ビックリ台湾!?
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Re: コンビ二のお茶。
投稿者: sound_gate1984 投稿日時: 2008/04/29 01:20 投稿番号: [1480 / 3149]
ジャスミンティーなどにお砂糖を大量投入すると
なんだか台湾のペットボトルのお茶飲んでる感じがするので、
最近ハマってます。あまあま最高。
これは メッセージ 5 (daikichi1003 さん)への返信です.
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台湾に出現した新しい漢字
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/04/28 11:26 投稿番号: [1479 / 3149]
半年ほど前に気がついたが、台湾に新聞に新しい漢字が出現して、使用頻度がかなり高い。「大」の下に「力」をいれた字です。台湾で出版された辞典にはちゃんと出ていて、土を搗き固める道具だという。それならわかる。直径30cm、長さ1mぐらいの丸太に三、四本の棒を取り付けて、三、四人で土を土を搗き固める。日本語で何と言うのか知らないが、土木工事現場でよく見かける。しかし近頃の新聞ではそんな意味ではなく、「人気のある」という形容詞として、使っているようだ。
これは メッセージ 1478 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 国共内戦
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/04/24 09:22 投稿番号: [1478 / 3149]
unhoo先生
ありがとうございました。いわゆる国共内戦の「戦記物」は「南京解放史」「武漢解放史」等、中国各都市で競って出版され、横浜中華街の書店にもその一部が並んでいます。これらは非常に詳しく書かれていますが、日本語に訳して出版しても売れるとも思えず、また、「…ほぼ、三昼夜の激戦で敵の三個師団が全滅し、○○将軍の一個師団が蜂起し、○○将軍は二千の兵を引き連れて帰順した…」等、共産軍のほうの損害はまったく記述がなく、史料としての価値が幾分落ちるのは否めません。日本の戦時中の大本営発表でも「我方の損害」が必ず併記されてはいましたが、もちろん今では信用する人はいません。
張さんが昨日、来日しました。30日に帰ります。わたしの説明不足でしたが、「この機会に日本での買い物等の御用がありましたら、お申しつけください」ということであります。
これは メッセージ 1477 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 国共内戦
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/04/24 03:17 投稿番号: [1477 / 3149]
tokyo_cachito3 さんのメッセージ1447への二ヶ月半遅れのお粗末なコメントです。
>国民党政府のいう「流族集団」が、「戦争の疲弊に乗じて」瞬く間に中国大陸を奪取してしまった。そのあたりはまるで大掛かりなマジックを見るようで、百万を越す戦死者が出たであろうその「国共内戦」と言われる戦史を詳しく知りたいのだが、日本語で出版されたものはなぜかまったく見つからない。その一方で、望みもしないのに負け戦の敗残兵や難民を大量に抱え込んでしまった人々の苦難も併せて知らなければならないだろう。
____________________
蒋介石軍は徐蚌会戦の全面敗北で崩壊しました。この会戦は、国共戦争の関が原だったようです。
国共戦争を記述した日本語の本はないのだそうですが、中国語のもおいそれとは見つかりません。中国語で徐蚌会戦の経過を手短に書いたものを見つけましたから、お知らせします。
h
ttp://hpds.ee.ncku.edu.tw/~guard/history/history018.htm
これは メッセージ 1447 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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酒と睡眠薬
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/04/19 02:03 投稿番号: [1476 / 3149]
子どものときからの父母の訓話のおかげで、わしは酒は飲めるけれども溺れず、睡眠薬とは全く縁なしです。
台湾の大病院では、外省人たちが健康保険を利用して、必要以上の薬を要求して、大陸の親戚へ送るので、薬の出し惜しみをするようになったとか、詳しいことは知りません。
張麗○さんの話、それには及びません。わしの家族はいまのところ人手が足りています。しかし少子化現象で、わしの息子や娘は、年を取ると孤独な老人になりそうです。
これは メッセージ 1475 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: バナナ
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/04/11 16:47 投稿番号: [1475 / 3149]
酒と睡眠薬という悪霊から逃れて一ヶ月。あの連中には「去るものは追わず」などという鷹揚さはありません。「あれほど愛してくれていたのに、なんで私たちを見捨てるのかぁ!!」と、恐ろしい形相で後を追いかけてきました。こちらも必死になって逃走中ですが、そのための寝不足と体調不良が続いています。
睡眠薬などはいつのまにか癖になり、これなしでは寝られなくなりました。中止して数日間は一睡もできませんでした。日本の開業医はレントゲンはもとより、CTスキャンだの、超音波ナントカだので大変な設備費、人件費が掛かり、患者のカラダより会計のほうが心配なのです。台湾の医療、健康保険についてはよく知りませんが、過剰投薬、過剰検査は日本と同じではないでしょうか。
unhoo先生、台北・双連街の張麗○さんが今月23日にまた我が家に来ます。帰りは月末ですが、なにか御用がございましたら喜んで承ります。遠慮なくお申し付け下さい。
これは メッセージ 1474 (unhoo さん)への返信です.
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バナナ
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/04/09 12:20 投稿番号: [1474 / 3149]
昨今台湾でバナナが突然に高価になり、バナナ栽培者は泥棒されないように、武装監視しているそうだ。武装と言ってもピストルや鉄砲でなく、棒ぐらいであろう。昨日深夜テレビのスイッチをいれたら、その報道が出たのだが、ちょっと見ただけで、すぐ終わったから、よくわからない。去年はバナナが生産過剰で豚の餌にしたそうだ。
台湾キャベツも、年によって一個百円以上になったり、安くて採っても引き合わないから、畑で腐らしたりする。
これは メッセージ 1473 (unhoo さん)への返信です.
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清明
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/04/09 02:11 投稿番号: [1473 / 3149]
「経験では、台北では清明の日に夏の先触れのような天気になることが多い。気温がその年初めて30℃を越し、吹く風に夏の気配を感じます。」とわしは申しました。今年は清明を4日過ぎて、昨日(4月8日)その日が来ました。昨日外出した人は、突然の熱さにへたばりそうでした。しかしこのまま夏になるのではありません。また涼しさが戻ってきます。
これは メッセージ 1471 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 清明
投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2008/04/07 02:52 投稿番号: [1472 / 3149]
unhoo様:
清明節の日に偶然台湾に旅行していましたが、丁度良い季節でありました。
5月になるともう蝉が喧しく鳴き始めます。是は初夏の到来をつげます。
高雄市内の北部に内地人の墓地がありましたが、1992年では草がぼうぼう
と繁り、墓石も斃れたのがありました。しばし草取りをしたものです。
1999年に再度訪問したついでに墓場をとおりましたが、綺麗に墓石も
たっていました。市の観光協会が奉仕で清掃しているとききました。
日本人観光が多くなり、この無様はいけないと考慮したらしい。このお墓は
日本的であるので、一寸台湾式と異なりデザインで見分けがつきます。日本のお盆(8月)で米国(5月)のメモリアルデイですね。
この時期は大統領が献花を国立墓地にささげます。是を見ようと世界から人が
集ります。日本の首相が堂々と靖国神社に参れる時期はいつなんでしょうか?
これは メッセージ 1471 (unhoo さん)への返信です.
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清明
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/04/03 10:52 投稿番号: [1471 / 3149]
台湾では清明の日が墓参りの日です。清明は4月5日のことが多いが、今年は4月4日に清明が来ます。
わしは一生の大部分を台北で過ごしました。経験では、台北では清明の日に夏の先触れのような天気になることが多い。気温がその年初めて30℃を越し、吹く風に夏の気配を感じます。
しかしそれは2,3日だけのことで、気温はまたすこし下がります。早まって冬服をしまいこんでしまうと、また引っ張り出さなければならなくなります。冬の上着や下着を洗濯してしまいこむのは、台北では海軍記念日(5月27日)を過ぎてからがよろしい。
これは メッセージ 1 (bikkuri_taiwan さん)への返信です.
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Re: ビックリ台湾!?
投稿者: natunokaze001 投稿日時: 2008/03/30 23:28 投稿番号: [1470 / 3149]
あげる。
これは メッセージ 1 (bikkuri_taiwan さん)への返信です.
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Re: 友を作るのがへたな阿扁
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/03/29 13:36 投稿番号: [1469 / 3149]
こんどの選挙結果については様々な要因があると思います。一般論になりますが、「独立」「統一」という問題は大多数の庶民にとっては差し迫った選択肢にはなっておらず、やはり、馬氏が正面から訴えた、大陸との「三通」による景気の回復が人民にアピールしたものと受け取る以外にはないでしょう。中国の富裕層は1000万に達し、毎年、100万を越える観光客が台湾に押し寄せるのもそう遠い先ではなく、その観光収入は非常に魅力的なものとなります。同時に、謝長廷氏が獲得した544万票、41.55%は、「三通」が、なし崩し的な台湾の中国化、すなわち「統一」の地ならしになると警戒する人々の票であることはだれもが認めるべきものです。このあたりに台湾の政治の大変な難しさがあって、容易に結論が出ず、方向性が定まらないのは仕方がないと考えるところです。
わたしは、中国人による「白色恐怖」の体験者としてのunhoo先生の鮮明な反中国の政治的立場を十分に理解しています。「40歳代以下の台湾人は国民党の蛮行を知らず、現在の民主台湾が昔からあったものと誤解している」というご意見はもっともであります。
同時に、わたしは、「戦後民主主義」のなかで生きたものとして、台湾を利用して両岸の敵対関係を煽ろうとする日本の一部勢力には断固として反対します。
これは メッセージ 1468 (unhoo さん)への返信です.
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友を作るのがへたな阿扁
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/03/28 05:41 投稿番号: [1468 / 3149]
今から十年前の台北市長選挙で、当時の陳水扁台北市長が再選を狙ったが、国民党の市長候補者に敗れた。
馬氏は選挙に勝つと、すぐさま桃園県にある蒋経国の遺体保存所へ駆けつけて勝利を報告し、涙を流したと当時の新聞、テレビが報道している。これでは仇討ち本懐を遂げた大石良雄みたいだ。「・・・溢るる涙とどめかねつも」というわけだ。
しかるに、台北市長選挙で馬氏が勝利したために、2年後の2000年に阿扁が総統選に出馬して、当選してしまった。1998年の台北市長選に馬氏が負けていたら、阿扁はまだ台北市長にすぎなかったのに、今や阿扁は総統で、馬氏はたかが台北市長、馬氏が桃園で流した涙は、むなしいものになった。
役所には総統の写真を掲ぐべしという規定を、馬氏は蹂躙して、孫文の写真を掲げることにした。孫文は台湾に何の貢献もないのだから、孔子の画像でも掲げたほうがよかっただろう。
阿扁はどうも友を作ることがへたのようだ。彼は台北市長時代、風俗業の取り締まりにえらく熱心だった。阿扁市長が風俗業を弾圧した結果、小型レストラン業、屋台店営業、タクシー業など、夜の営業が大切だった業者が大打撃をうけた。この人たちは、もとは阿扁のファンだったから、阿扁に事情を訴えて手加減を要望したが、阿扁は頑として手をゆるめなかった。その結果、1998年の台北市長選挙では、四年前に阿扁を支持して当選させた夜間営業の業者がこぞって馬側に寝返って怨念を晴らし、阿扁を落選させたのである。
阿扁が友を作るのがへただったもうひとつの例をわしは記憶している。1997年の3月、捷運淡水線の開通が間近になり、料金表が発表されたとき、淡水線の末端あたりに住む人たちが「この料金表では、われわれが台北市に通勤しする交通費が一ヶ月にこれこれの額に達し、負担が大きすぎる。料金計算を、距離が遠いほど逓減する方式にしてもらえまいか」と申し出た。これに対して阿扁市長は「この料金表は、専門家が精密に計算して作ったのだから、変更は不可能である」とにべもない返事をあたえた。まるでわざわざ敵を作ろうとしているようなものだ。拒絶するにも、もっと穏やかな言いかたがあるはずだし、遠距離地住民の立場は、考慮すべきだった。
これは メッセージ 1 (bikkuri_taiwan さん)への返信です.
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Re: 淡水天元宮の桜
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/03/22 20:41 投稿番号: [1467 / 3149]
淡水天元宮の桜は吉野桜という品種だそうです。吉野桜と、染井吉野とは別品種と了解しています。東京の上野公園、千鳥ヶ淵、小金井公園などの桜は染井吉野で、はわしから見ると、白い花と言いたくなる。
子どものときに、花咲じじいなどの絵本で見た桜は、淡水天元宮の桜ぐらいの色に描かれていました。今回天元宮の桜を見て、子どもの時に見た絵のとおりの色なので、かなり気に入りました。5年後にはあのあたりの桜はたいしたものになって、日本人が台湾へ花見に来るかもしれません。
淡水東北部の丘陵地帯にはもう一種の桜があって、色がもっと赤い。その桜は、山桜と呼ばれているようで、咲き具合が、染井吉野や天元宮の吉野桜とはちがっている。染井吉野や天元宮の吉野桜は花が樹を覆っているという咲き具合ですが、山桜は細枝にたくさんの花が着生しているという咲き具合です。
これは メッセージ 1466 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 淡水天元宮の桜
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/03/19 14:35 投稿番号: [1466 / 3149]
「天元宮」とはどんなところか、Yahoo!奇摩を見ようとしたが、「世界のヤフー」には欧米と中韓の9カ国しかない。「はて、台湾も香港もあったはずだが…」と思ったが、検索で簡単に引き出して、とにかくは「お気に入り」に。
「台湾にも桜があったのか」と、自分の無知を白状しなければならないが、桜にもいくつかの品種があって、日本人は明治時代に全国に広まった「ソメイヨシノ」以外は見向きもしない。八重桜などは文句のないほどキレイな桃色の花がビッシリと咲くもののなぜか完全に無視されてしまう。「元天宮」の桜は写真でみると「八重桜」のようだが、だからといって好みの問題をとやかく言うつもりはまったくない。
日本の百円玉は桜のデザインだが、能無しで無感覚な役人の好みにあったのか、ごちゃごちゃとした最悪の図柄である。桜の花弁は五枚と決まっているのだが、重なり合うように七枚も八枚もみえて、できそこないの薔薇のようだ。おそらくは造幣局のエライ人が「これがいい」と決めたのだろう。
これは メッセージ 1465 (unhoo さん)への返信です.
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淡水天元宮の桜
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/03/19 05:33 投稿番号: [1465 / 3149]
淡水の東北方はゆるい丘陵地で、そこに天元宮という宗教建築がある。わしは宗教には無関心だから、どんな宗教に属するのか知らないが、仏教のお経の題目を刻んだ石碑もある。しかし、純粋な仏教、ではないようだ。そこの桜が満開になったから、見に行こうや、行こうやと三月18日の午後、知人のマイカーに押し込められて行った。なるほど日本種の桜が植えてあって、樹数も多い。まだ樹齢が若いが、成長が早いそうで、今後一年一年と壮観になるだろう。花の色は染井吉野よりも濃いピンク。桜が咲くと全域が歩行区にされて、車は通れない。坂道の連続だから、脚腰の弱い人には向かない。
これは メッセージ 1 (bikkuri_taiwan さん)への返信です.
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Re: 雨港基隆
投稿者: urfraternity 投稿日時: 2008/03/13 13:27 投稿番号: [1464 / 3149]
横から失礼、おもしろく読ましていただいたので降水量を知りたいと思いましたら、台湾の気候データは有料だそうですね・・・中国並みかと失望しましたが次ぎのデータをhttpで見つけました。字が小さくて見にくいとは思いますが・・何となくわからぬでもない・・。
//contest.ks.edu.tw/~river/know/201know/c7graquarter3.pdf
と言ってもどの河が基隆近くを流れているのかわかりませんが、年に4000mmから5000mmだそうで・・・これだけですごい量と思います。世界トップは6000mmかもしれませんが・・・。
これは メッセージ 1462 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 雨港基隆
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/03/12 22:57 投稿番号: [1463 / 3149]
初めての訪台は「美麗島事件」の前年だったが、「台湾の旅」というガイドブックを買って持って行った。著者は「須藤」さんだったと記憶している。この本は書棚を探せばまだあるはずだが、もちろん「基隆」にもページを割いていて、「雨が多く、ここでは銅像の蒋介石もレインコートを着ている」という記述があった。まさか、鬼神も恐れぬ「世界的偉人」が雨合羽を羽織っているとは驚きだが、その人がマントを着ている写真をよくみるから、その間違いではなかろうか。すでに民主台湾から個人崇拝が放逐されたので件の銅像などは残っていないだろう。
昔、台中の駅前ロータリーにも立派な銅像がたっていたが「これはワイヤーロープで足を引っ掛け、トラックで引っ張れば数分で作業完了だな」と思ったことがある。結局、そんな一銭にもならない「破壊的」、「革命的」な行動をする人は現れなかったが、あるとき、それがいつの間にかなくなっているのに気づき、自分にはなんの関係もないのになんだか無性に嬉しくなったのを覚えている。
最近はあまり聞かないが、昔は保守派のエライ人や政治家が盛んに「日本人は蒋介石に感謝しなければならない。それは蒋介石が終戦時にラジオ放送で《以徳以怨》の声明をして在華日本兵を無事に帰してくれたからである」と喧伝していた。が、これでも読書人のはしくれ、そんな見えすいた問題のすり替え、レトリックはわたしには通用しない。
ところで、「台湾民主記念館」は、また元の名に戻されたと聞くが実際はどうなのだろう。いかに関心が高くても台湾に住んでいるわけではないからそのあたりはよくわからない。もう二十年以上も前に、知り合いになった台湾のご年配とクルマでその前を通りかかったとき、その方が「あんなもの引きずり出してやるんだ」と憎々しげに言われたのを覚えている。以前、わたしがこの「台湾」の掲示板のどこかで「中正記念堂の跡地をどうするか」という架空の提言してちょっと賑わったことがある。この都心の一大資産は近い将来、だれが総統になるにせよ、「均富」という国民党のスローガンのひとつを実現させるために使ってもらいたい。が、まず無理だろう。どのような政治思想、手法を使っても実現不可能なスローガンである。
これは メッセージ 1462 (unhoo さん)への返信です.
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雨港基隆
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/03/12 10:32 投稿番号: [1462 / 3149]
戦前基隆は台湾でいちばん雨の多い土地とされて「雨の基隆」という流行歌までできた。戦後もしばらくは「雨港基隆」という言葉が生きていた。
しかし今では「雨港基隆」は死語である。わしも忘れていて、最近ひょっと思い出したところだ。気候の長期変化が起こったのである。
今の日本人は「基隆」をなんと読んだらいいのかわからないようだ。戦前の日本人はキールンと読んでいた。小学校の地理科でそう教えていたので、日本人がみな知っていたはずだ。横文字でのつづりは Keelung が世界に通用していた。
これは メッセージ 1461 (unhoo さん)への返信です.
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霧社事件
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/03/10 14:03 投稿番号: [1461 / 3149]
nachitakao様
霧社事件の原因については、双方の当事人物が事件の渦中で全部死亡したので、すべての伝説は憶測にすぎません。しかし原住民側が、真っ先に日本人小学生を皆殺しにしてしまったことは事実です。まるでそれが目的であるかのような行動でした。
これは メッセージ 1460 (nachitakao さん)への返信です.
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Re: 台湾紀行
投稿者: nachitakao 投稿日時: 2008/03/10 01:04 投稿番号: [1460 / 3149]
unhoo様:
北原白秋が来た時、彼はたっての願いで北投温泉に宿泊しました。佐藤春夫
は和歌山県の新宮中学でストライク指導の廉で中退させられ、東京にでて、中学を終えたのです。慶応予科をでています。先輩であり、言葉を戦後交わした時があります。実家が新宮ですが、姪が三好達治に嫁いだので、良く姪御にあいに来ました。隣の家でありましたが、大きな二階立ての家で昔は医院でした。昭和6年でしたか、台湾の霧社事件が終わって1年後、春夫氏は単身40日の予定で霧者を細かく観察しました。すでに治安も回復したのに、通訳と歩く霧社以東の山道が
物騒だと他人が言いましたが、本人はぜんぜん意に介しない台湾紀行をかきました。日本から本物大作家が台湾を紹介した紀行文では最初であります。
4編ありますが、代表的な文は「霧社』であります。佐藤春夫全集にのりました。前年は事件に関する記事は軍か総督府から出版されたものばかりでしたが、春夫の内容は平民が原住民と同じレベルの目で見た旅行記で、新鮮であったそうです。非常に原住民に同情的であります。手元にありましたが、
大寮近くの義守大学の図書館に寄贈しました。昨年の話ですが、総計30冊
です。
HEITOTAKAOHONOR=NACHITAKAO
これは メッセージ 1453 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 李登輝前総統
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/03/05 19:05 投稿番号: [1459 / 3149]
大正12年、つまり関東大震災の時ですね。わたしの母はその前年ですが、外出歩行以外は達者です。しかし、先生と御同年の前総統も放り投げたという「パソコン」を、先生が自由に楽しまれているとは素晴らしいことであります。パソコンについては、わたしもインターネットとメール以外はダメで、まだわからないことが山のようにあります。
パソコンのリカバリーで、「マイ・ピクチャー」に記録したデジカメの写真がすべて消えました。それらは去年の9月に来日した張さん一行の100枚ほどの写真と、インターネットで見つけて気に入った数枚の女性ヌード写真です。「ああ、もったいないことをしたなぁ」と思っても後の祭りです。しかし、そのデジカメのカードは成田空港の出発ロビーでカメラから抜いて張さんに渡し、郵送で送り返してもらったことを思い出しました。彼女たちは帰国後、弟さんのパソコンで写真を見たり、印画紙をもらっていたのです。で、早速、「こういう仕儀ではあるが、そちらのパソコンに写真が残っているか」と弟さんにメールしました。すぐに、「すぺてCDに残してあるから安心されたし。それを複製して郵送する」という返事がありました。
これは メッセージ 1458 (unhoo さん)への返信です.
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李登輝前総統
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/03/05 15:55 投稿番号: [1458 / 3149]
unhooは李前総統と同じ年にうまれました(1923年)。しかし李氏は1月生まれ、unhooは12月生まれです。今から5年ぐらい前だったか、李氏が新聞記者にこんなことを話していました:「最近電脳を習ってみたが、覚えなきゃならんことがたくさんあってかなわん。お手上げじゃ」。
これは メッセージ 1457 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 霾る台北
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/03/04 18:21 投稿番号: [1457 / 3149]
パソコンが壊れて、友人に「リカバリー」を施してもらった結果、復旧しました。インターネットに繋げ直すのも「設定CD-ROM」が無効らしく、プロバイダから電話で教えてもらいながらやっとできました。いくらお客さんだからって、忍耐強く教えてくれるものです。ただ、これまでの「お気に入り」や画像を残して置かなかったので、すべてキレイに消えてしまいました。
先生は「奥の細道」にも造詣が深いのですね。この「奥の細道」から一瞬、「unhoo先生は、ひょっとして、李登輝その人ではないか」と緊張しましたが、まぁ、そうではありますまい。台湾のご年配には李登輝さんと考えを同一にする方が大勢おられるのは承知しています。わたしも浅学ながら俳句、川柳、漢詩などにたまには目を通すこともあります。ありますが、「つちふって」という季語は初めてお目にかかりました。最後に「○○市」と持ってこられたのも驚きでした。
これは メッセージ 1456 (unhoo さん)への返信です.
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霾る台北
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/03/04 02:21 投稿番号: [1456 / 3149]
タイトルは「つちふるたいほく」と読んで貰うつもりです。
IMEには霾の字があって、ヤフーの掲示板にこの字を使っても、化け字にならないことがわかりました。IMEによるとこの字の訓読はバイまたはメイです。
今日、霾る台北の空はかすんで、太陽は黄色い光芒に包まれています。台湾まで漂流してくる黄砂は超微細な砂塵ばかりですから、汚い感じはありません。視界距離はさほどわるくはありませんが、5.6km離れた101ビルは、まったく見えません。5.6kmとは、グーグルアースで測量した正確な値です。
「つちふる」をヤフーで検索したら、たくさんの記事が出ました。俳人たちが「霾」を詠むためのに奮闘していますが、まだ人をうならせるような名作は出現していません。『奥の細道』には「雲端に霾る心地して・・・」という記述があるとのことですが、句はありません。芭蕉にも「霾」は難題だったと見えます。
わしは霾った今日の台北のうつくしさが嬉しかったから、愚作を一句掲げます。
霾って夢のやうなる台北市
unhoo
これは メッセージ 1455 (unhoo さん)への返信です.
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台湾に土が降る
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/03/02 21:25 投稿番号: [1455 / 3149]
徳川時代の日本語に「つちふる」という言葉があって、蒙古の黄砂が日本まで吹き寄せられてくる現象を言う。日本ではこの現象がおこるのは春だけだから、俳句では「土降る」が春の季語になっている。北京は蒙古に近いから、この現象は春とは限らず、年中起こるそうだ。
霧の字の「務」の部分を「貍」に変えた字があって、その字一字だけで「つちふる」と読む。
台湾の気象局の発表によれば、昨日から黄砂が台湾に達したそうで、この現象は3日続く見込みで、第三日目の明日がもっともひどいであろうという。台北では今日の昼間は、久しぶりに日が照ったが、たしかに太陽の光が黄色っぽい。わしの家ではこの3日間はなるべく窓を開けないことにしている。台湾まで吹いてくるのはよほど細かな砂塵であろう。
これは メッセージ 1450 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 台湾紀行↓訂正
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/02/26 02:08 投稿番号: [1454 / 3149]
佐藤治夫
間違い
佐藤春夫
と訂正
これは メッセージ 1453 (unhoo さん)への返信です.
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Re: 台湾紀行
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/02/26 02:03 投稿番号: [1453 / 3149]
佐藤治夫が台湾へ来たことがあるとは知らなかった。
わしがまだ三十台のころ、わしと同年齢の友人が、佐藤・谷崎の夫人交換の事件をしきりにわしに話していました。なぜそんな話しをしたがるのか、当時はわからなかったが、だいぶ後に気が付いた。奴はわしと夫人交換をたくらんでいたのです。わしが鈍感で話しが軌道に乗らなかったから、奴はついにあきらめました。今では奴もよぼよぼのジジイになって、古女房との金婚祝いもとうにすませました。
昭和一桁時代に北原白秋も台湾へ来たことがあります。白秋は接待を受けたお礼に、台湾に「華麗島」という美称を贈りました。この美称は内地人、本島人双方から喜びをもって受け入れられました。これが戦後、美麗島に変わってしまいました。
これは メッセージ 1452 (heitotakaohonor さん)への返信です.
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Re: 台湾紀行
投稿者: heitotakaohonor 投稿日時: 2008/02/21 04:31 投稿番号: [1452 / 3149]
tokyo_cachito3`sama:
横から入り申し訳ありません。2005年にCA.のPasadena cityで李前
総統の講演があり前を歩く総統は背が高く、顎だ出ていて威風堂々としていたが顔は笑った顔を記憶しますね。NY州のコーネル大学で講義を日本語に通訳
したとき、教授は李前総統をしっていました。彼が蒋径国から受け継いだ後は、まさしく関が原の合戦宜しく毎日が政治策略との戦争であったとか。一番策略を陰謀化したがフロリダに隠居して華麗な生活をしていた宋美麗であった。金銭をばら撒き、米国政治家まで巻き込んで追い落としを図った。だが当時のレーガン大統領、国務省担当官の頭はもう古い政治体制を捨てていた。
李前総統の意図と米国の民主化とが一致した時点で新総統はきまった。
台湾を日本に大作家として紹介したのは昭和6年の台湾紀行を書いた佐藤春夫
であった。佐藤春夫全集の1巻に集る1ヶ月の足で見た彼の台湾紹介は絶品である。是で「霧社」など3編の台湾短編紀行が日本に知られたそうです。中学で
ストライキを先導して退学にあい、谷崎潤一郎の奥様と交換をした慶応ボーイは私の地元の道むかいに実家があり(前の家)、新宮中学(和歌山県)の先輩ですが。海外から見ると、Sapio雑誌で書いている連中は中道のまともな論旨を
発表している感じです。左翼は終戦後から同じ頭で反論している感触です。
毎年12月13日には南京市でサイレンがなりひびきます。昭和12年のこの日を全市民に南京虐殺事件を覚えさせる共産党式の愛国心教育だそうです。
こんな教育で生育した若者が北京で競技する日本とのサッカーに冷静に観賞
するのは無理でしょう。応援団も命がけです。少しはずれましたが了承ください。
これは メッセージ 1449 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 李登輝は法統に合わない総統?
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/02/15 22:20 投稿番号: [1451 / 3149]
unhoo先生
ご見解、ご説明をありがとうございました。
ご返事を書いてからいよいよ「投稿ボタン」を押そうとして、どこのキーに触れたのか判りませんが画面がヤフーのホームページに…。こうなると復元は不可能で「履歴」にも残っていないのです。ときどき、これをやって失敗し、「ありゃりゃ」と思っても後の祭りです。これを「水泡に帰す」とか「元も子も失う」、あるいはちょっと難しい表現で「九ジンの功をイッキにカク」などと申しますが、これはきちんと漢字に転換できません。
これは メッセージ 1450 (unhoo さん)への返信です.
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李登輝は法統に合わない総統?
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/02/13 14:37 投稿番号: [1450 / 3149]
李登輝氏が総統になったことは、当時の外省人に言わせれば法統に合わないのだそうだ。それでは法統とは何ぞやと聞いても、彼等は返事できなくて、黙ってしまう。彼等は理論を述べていたのでなく、感情を述べていたのである。蒋介石の一族か、または蒋介石父子の譜代の家来でない者が、総統という地位に就いたことに反発していたのだ。李登輝総統の在位12年間、外省人は法統論をぶつぶつ言い続けていた。しかし陳水扁が総統になったときには、彼等もやっと脳の掃除ができて、法統論を言わなくなった。
総統とか、総理の地位が転がり込んで来た者にとっては、その地位をしっかり掴んでおくことが先決問題である。地位を確保して、はじめて政治上の抱負を実行することができる。だから陳水扁氏はそれまで拒絶していた青天白日満地紅旗への敬礼や、三民主義の歌を歌うことを、総統に当選した後は実行した。小泉純一郎氏は、公約であった八月十五日の靖国参拝を、八月十三日というわけのわからぬ日に切り替えた。そこは大事の前の小事と、意地を引っ込めたのである。
李登輝が総統になた当初、意外な言行があったとしても、それは大事の前の小事を引っ込めただけのことである。
蒋経国が死んだ日から、李登輝氏は総統府から大直の蒋経国官邸まで、3km以上の道のりを、毎日2回車隊をつらねて遺体を礼拝しに行った。3回行った日もあった。おそらくは周囲に「法統に合わない」というつぶやきを感じて、俺は蒋経国から任命された副総統で、憲法により総統の職位を継承するのだぞということを、強調して見せたのであろう。蒋経国が死亡してから遺体が大溪に建築された遺体保存所に移されるまで1ヵ月半以上、毎日2回か3回押しかけられて、喪主の蒋孝勇氏はずいぶん迷惑したにちがいない。だから蒋孝勇氏は、数年後に喉頭癌で死ぬまで、最も強硬な反李登輝派だった。
これは メッセージ 1 (bikkuri_taiwan さん)への返信です.
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台湾紀行
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/02/12 01:07 投稿番号: [1449 / 3149]
司馬遼太郎の「台湾紀行」を読み返している。昔、新刊本で買ったこの本が「また読んでくれ」と言わんばかりにヒョイと出て来たのである。これはそんな安い本ではなかったので買った本屋まで覚えている。巻末には、当時は初対面だった中華民国総統・李登輝との対談が載っていて興味深い。だが、この李登輝と言う人がわたしにはいまだに謎である。総統就任時の記者会見で「2.28事件」についての感想を求められたとき、この台独の宗家のような人が、「君のように若い人がどうしてそんな昔のことを聞くのか」と、けんもほろろにこれを一蹴している。これが本心でなかったのは自明だが、このあたりは常人にマネのできることではない。前の投稿で「お追従だって本気でやれば誰も気がつかない」と書いたが、蒋経国にはあの大きな口を開けて、これ以上はできないような笑顔を向けていた画像を記憶している。彼は孫文、訒小平、葉剣英などと同族の客家人であるが先鋭的な「反中国」で、今日の民主台湾を築き上げた特別功労者でもある。大変な親日家であり、「尖閣は日本の領土」と発言してもいる。だが、先の選挙で一挙に政治基盤を失い、もはや影響力はまったくない。ちょっと言いにくいことを思い切って言えば、真実を言えば、日本の保守層や右翼陣営が喜ぶ、「親日、反中国」も、度を越すと台湾の政治地図から追放されるのである。
これは メッセージ 1447 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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Re: 「グーグルアース」の紹介写真
投稿者: edozaijyu 投稿日時: 2008/02/12 00:56 投稿番号: [1448 / 3149]
>食肉用の馬は日本では飼育されておらず、輸入されているわけでもない。あれはすべて、年明け数回の「三歳未勝利戦」に敗退した一群の競走馬なのである。
これがですね、最近はちょっと違いまして、世界各国から輸入されたものが多いんです。
先日も長野から馬刺しや干し肉などが送られてきたのですが、これが全部モンゴル産。
地方の特産品であるはずのものさえこの有様ですよ。
これは メッセージ 1440 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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国共内戦
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/02/11 23:14 投稿番号: [1447 / 3149]
本は横に積んでおくのがいいらしいが取り出すのが面倒だ。田中角栄が中南海の毛沢東の私邸に「伺候」したのは随分まえの話だが、この中国の「帝王」の部屋には「和綴じ」の書物が本棚に山のように積まれていた。角栄さんはその中から「楚辞集註」という本を貰ってきたが、なんだか、皇帝から蔵書を下賜されたというふうで「誠に恐憚の至りに耐えず」であった。当時の日本は佐藤内閣の長く重苦しい時代が終わり、田中角栄人気とともに日中国交回復の熱に浮かされていて、そうした光景もにこやかに迎えられたのである。しかし、糸で綴じた昔の本は中国語ではなんというのだろうか。ただ「書」というだけかもしれない。成金趣味のコテコテした調度品や骨董を並べておくより、積み上げた古本の山のほうがよほど凄みがある。田中とその一行を「帝王の間」に案内したのは、昔、ハマーショルド国連事務総長をして、「まれにみる優雅な人物で、自分が野蛮人のように思えた」と言わしめた周恩来である。このとき、この人物が毛氏のまえで身を捩(よじ)り、人見知りをする幼稚園児のように含羞(はにか)んでいる姿がテレビに映っている。これには田中とその番頭たちが驚いたらしいが、むろん、「こんな者たちが拝謁に参りましたが…」という周恩来一流の演技である。この程度の才覚がなければ権力闘争の渦のような中南海では生きてゆけない。お追従だって本気でやれば誰も気がつかない。こうした飛び切り一級の者たちが、つまり、国民党政府のいう「流族集団」が、「戦争の疲弊に乗じて」瞬く間に中国大陸を奪取してしまった。そのあたりはまるで大掛かりなマジックを見るようで、百万を越す戦死者が出たであろうその「国共内戦」と言われる戦史を詳しく知りたいのだが、日本語で出版されたものはなぜかまったく見つからない。その一方で、望みもしないのに負け戦の敗残兵や難民を大量に抱え込んでしまった人々の苦難も併せて知らなければならないだろう。
これは メッセージ 1446 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
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恭喜発財
投稿者: tokyo_cachito3 投稿日時: 2008/02/11 18:24 投稿番号: [1446 / 3149]
「恭」の字はこれで良かっただろうか。台湾ではどの家でも「富貴」など、考えつく限りのめでたい字の張り紙がしてある。もちろん、すべて原色の赤で中間色なんか探してもみつからない。これもかなり前の話だが、結婚を控えた台湾の母娘が日本のデパートで「婚礼用品」を整え、台湾で挙式するまでのルポを日本のテレビ局がオンエヤしていた。わざわざ日本まで買い付けに来るのだから裕福な家庭なのだろうが、かつて、なんでも「日本製」といえば有難がられた時代があったのである。結婚式にブーケ(花束)は欠かせない。彼女達は深紅のそれを探していたがついに見つからず、ピンクの花束(もちろん生花と見紛うほど良くできた造花である)を買って帰った。テレビカメラは挙式直前の彼女の家にまで入り込み、彼女は大勢の家族の前でスーツケースから様々な品物を取り出した。もちろん、そこには婿殿も来ていたのだが、彼はブーケを見るなり「この色は良くない」と真顔で言う。済まなそうに「これしかなかった」と弁解する彼女に、思わぬ助太刀が現れた。後ろの椅子に腰掛けていた彼女の祖父である。立ち上がって「それがいいんだ。まっ赤っかはだめ」と日本語で声をあげた。日本のテレビが来ていたから思わず日本語を使ったのかもしれないが、番組としてはこの場面が予期せぬ「絵」になったのである。婿殿と日本語世代の花嫁の祖父に色彩感覚の齟齬があるのは説明するまでもない。もちろん、「よい、悪い」の話でない。
司馬遼太郎ばかり読んでいるから文体が似てきた(笑い)。
これは メッセージ 1441 (unhoo さん)への返信です.
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さしみ
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/02/11 10:07 投稿番号: [1445 / 3149]
さしみの台湾語が生魚片だから、馬刺は生馬片ですね。
台湾のデパートに生馬片が売り出される可能性はないが、将来生猪片が出ないともかぎらない。生牛片も可能性なしとしない。
これは メッセージ 1444 (yuwfui さん)への返信です.
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Re: 「グーグルアース」の紹介写真
投稿者: yuwfui 投稿日時: 2008/02/10 11:06 投稿番号: [1444 / 3149]
まこと様
いきなり、語気つよく言っても理解出来ません。
理路整然と説明するのが、投稿者の責務では
ありませんか?
馬刺しと言えば、長野、熊本、
が本場と聞きますが〜〜その根拠は??????
これは メッセージ 1442 (makoto3618jp さん)への返信です.
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食用馬問題
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/02/10 01:07 投稿番号: [1443 / 3149]
「ばか、食用馬は日本で飼育している。よく調べて書き込め、シナ人。」
↑
makoto3618jpf殿、貴殿こそ他人の投稿をよく読んでから書き込むべきですぞ。
ところで、台湾ではさしみのことは生魚片と言います。生の魚を一片一片に切ったものという意味です。
アメリカのTV番組で見たが、ドッグレースで勝てない犬、あるいは年齢が増えて勝てなくなった犬は、人里離れたところに建てられた檻へ送られ、粗末な食物をあてがわれて、死を待つだけだそうです。ペットとして貰い受ける人があるのか、ないのか、テレビではそこまでは説明していなかったようです。
これは メッセージ 1442 (makoto3618jp さん)への返信です.
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Re: 「グーグルアース」の紹介写真
投稿者: makoto3618jp 投稿日時: 2008/02/09 19:48 投稿番号: [1442 / 3149]
ばか、食用馬は日本で飼育している。よく調べて書き込め、シナ人。
これは メッセージ 1440 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/a5sa5ca5afa5jbfoqa1aaa1a9_1/1442.html
旧正月用の下着
投稿者: unhoo 投稿日時: 2008/02/08 22:06 投稿番号: [1441 / 3149]
十年前に台湾ワコールが旧正月前に真っ赤な女性下着、つまり真っ赤なブラとパンティを売り出して「これをご着用になって旧正月をお過ごしになると、お金持ちになれます」と宣伝した。こんな知恵は日本人職員から出るはずはなく、台湾人職員の献策によるものにちがいないが、それが見事に中って、大いに売れた。それ以来台湾ワコールは、旧正月前に真っ赤な「内在美」(女性下着のこと)を売り出しては一儲けしていた。
しかし赤い色を使ったことで特許権を取ることはできないから、最近はほかの会社も、台湾のために旧正月前には真っ赤なのを特製して売り出している。
わしの推定では、今の台湾女性は、旧正月になると老いも若きも80%以上が真っ赤な下着をご着用あそばして、今年こそはお金を儲けるぞと、ほくほくしているらしい。
これは メッセージ 1440 (tokyo_cachito3 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835412/a5sa5ca5afa5jbfoqa1aaa1a9_1/1441.html
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