李朝朝鮮
Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー
Re: >妙な音楽を演奏する窃盗団でした。
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/11/25 10:56 投稿番号: [520 / 1329]
>トピ主殿も酔っ払ってないで、抑えて抑えて。(笑)
うぉ〜、隣カテの私のプライベートトピが読まれてるニダ〜"く(""0"")>
次の日の朝食が美味しくなくなるので、やっぱり飲みすぎは控えようと思いました<(_ _)>(反省)
ここらへんの事実はどうなんでしょう。
日本側が殺害するのはよほどのことと思うんですけどね。
あっちの掲示板では韓国側は捏造と言い張ってましたが。
これは メッセージ 514 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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私的にはアメリカドラマ希望
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/11/25 10:42 投稿番号: [519 / 1329]
韓国ドラマがなければ、
デスパレートな妻達が放送されてたと思う。
また韓国ドラマ、チュオクが放送されるらしいというけど、
どうなんだろう。
なんだかんだいって、あの時間帯は観てしまう。
これは メッセージ 516 (canyontrue さん)への返信です.
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Re: >妙な音楽を演奏する窃盗団でした。
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/11/25 02:17 投稿番号: [518 / 1329]
伝蔵ですが、山本博文の『対馬藩江戸家老』という本だったかな、対馬藩主宗氏が、藩士に「朝鮮人に何か侮辱されたら、斬り捨ててしまえ」と暗に命令されていたようだが、確たるウラが取れていないとの事ですね。
まあ、藩主がモロにそんな事を公に出来たわけはないんですが。
これは メッセージ 517 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: >妙な音楽を演奏する窃盗団でした。
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/11/25 01:51 投稿番号: [517 / 1329]
>崔天宗の最後の言葉は、明らかに矛盾しております。
通信使メンバーの記録ですらバラバラなんですよ。
・正使
趙ガン[日巖]の『海槎日記』
崔が、鏡を紛失したのを鈴木が盗んだものと思い込んで、馬の鞭で打ち据えたため、それを恨んで刺殺したという。
・書記
金仁謙の『日東壮遊歌』四月十八日条
十八日、首訳が来て
正使に申し上げるには
伝蔵は逃げ出して
ここより七里の地
丹波の国へいったん行き
摂津まで戻ったところを
ここから四里ばかり先の
池田という所で捕らえ
連行されて来たとのこと
痛快この上ない話である
伝蔵の自白によると
人参の取引がもとで殺したというが
真相はとうていわからず
苛立たしさが募る
・書記
成大中の『槎上記』四月十九日条
鈴木伝蔵が崔天宗に飯を分けてほしいと頼むと、飯はくれたが箸をくれなかった。鈴木が箸も求めると馬鞭でたたかれ、憤慨したのが動機である言っているがこれは疑わしい。
これは メッセージ 514 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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韓国ドラマはあるのに
投稿者: canyontrue 投稿日時: 2006/11/25 01:04 投稿番号: [516 / 1329]
韓国ドラマはあるのに
アメリカドラマはない。
古くはダイナスティ
近年では、シカゴ・ホープ、ER、24など、いろいろアメリカのドラマが放送されているが、新聞のテレビ欄に掲載されているのは番組名だけであり、「アメリカ・ドラマ」なる言葉はまずない。
しかし、韓国のドラマの場合、番組名の前に「韓国ドラマ」という言葉が入るのが常だ。
これはいったいなぜか。
韓国に拒否感を持つ人が、アメリカのドラマのような題名に惑わされ、”間違って”見てしまわないように配慮しているのか、それともサブリミナル効果のように、「韓国」という言葉を浸透させたいからなのだろうか。
これは メッセージ 515 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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Re: 今夜でチャングムも最終回
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/11/25 00:39 投稿番号: [515 / 1329]
韓国のKBSの記事です。
ヒドイ風邪でも、安静にしてれば1週間か10日も経てば快復するだろう、とツッコミを入れておきます。
風邪の特効薬はなく、症状緩和剤しかない訳ですからね。
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韓国ドラマの主人公たち
その嘘と真実
その4.大長今
2006-11-22
今週は日本でも大ヒットしている韓国ドラマ「大長今」、日本名「宮廷女官チャングムの誓い」についてご紹介しましょう。
まず、チャングムは実在の人物か、ということですが、NHKのホームページには、
「このドラマは実在の人物「長今」をモデルに描いています。
実在の長今は、朝鮮王朝第11代王中宗に仕えた女医として、
「朝鮮王朝実録」の「中宗実録」にその名前が記されています。
しかし生没年やその生い立ち、性格などについての記載はなく、
ほかの文献にも見当たりません。
とはいえ正史記録である「朝鮮王朝実録」に
その名前が何度となく出てくることは、
長今という人物が当時非常に優れた人物で、
重鎮されていたことを示しています。」
と書かれています。
実在はしたのであろうが、その生涯は謎ということです。
そして脚本家はインタビューにこたえ、ストーリー自体は100%創作だと語っています。
しかし登場人物の王や王妃などは実在の人物が登場していますのでそういう女性が中宗の主治医の一人だったことは確かです。
そこで実際の歴史書、朝鮮実録にはどういう記録があるのかを調べてみました。
まず中宗39年1月29日には
「私が風邪にかかり、咳がひどくて
長い間、視察もできなかった。
少し良くなったので、学者からの講義を聞いたところ
ちょうどその日が寒かったため、前の症状が
再びぶり返してしまった。
医員の朴世挙と内医女の大長今に
薬を議論して差し出すようにと伝えた」
という記述があり、その10日後の中宗39年2月9日には風邪がすっかりよくなったとみえてこんな記述があります。
「内医員のユン・ウンボとチョン・スンブンには
それぞれ馬1頭づつを与えるように。
医女、大長今には米と豆合わせて5石を与えるように」
風邪のすっかり良くなった王様は機嫌よく大長今らにご褒美をとらせたということです。
http://world.kbs.co.kr/japanese/korea/korea_rainhistory_detail.htm?No=187
これは メッセージ 499 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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Re: >妙な音楽を演奏する窃盗団でした。
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/11/25 00:21 投稿番号: [514 / 1329]
まあまあ、トピ主殿も酔っ払ってないで、抑えて抑えて。(笑)
以下は、半尻ちゃんような個人のメルマガです(つまり、半島寄り)。
東亜さん提出の次の資料と異なり、全く逆の主張です。
崔天宗の最後の言葉は、明らかに矛盾しております。
つまり、李朝側に不利な部分を意図的に隠して、一方的な事件になっているようです。
こうした文章が韓国で出版されているというのは、問題ですね。
>>山本博文の元ネタは、朝鮮の外交担当部署であった礼曹の典客司の記録『通信使謄録』ですかね。↓
「四月初六日、在大坂天宗失鏡、使伝蔵捜索之、而終不得、天宗云日本人能盗、伝蔵罵道却是朝鮮人最能為盗、相与怒罵、終至於天宗以鞭痛打伝蔵」
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辛基秀(シンギス)氏は、朝鮮通信使が今般のように広く知られるようになった仕掛け人のひとりですが、氏の著作「朝鮮通信使
人の往来、文化の
交流」(明石書店刊)に「8章
歌舞伎『唐人殺し』と朝鮮通信使」、の記述がある。
今回はその記述にのっとって書いていきたい。
正使趙氏の日記「海槎日記」から事件経過をたどっている。
4月7日
盗人が都訓導催崔天宗を殺した。(夜明け前)
「私は、今回の旅路で何の倭人とも争ったり恨みを買うような事もないのに倭人が私を刺し殺そうとしたのは誠に何故なのかわからない。もし私が国事で死ぬとか使臣の職務のために死ぬのなら死んでも恨むことhじゃないが、今徒に倭人に刺されて死ぬようなことになり死ぬことが極めて悔しくて堪らない。」
この言葉を残して日が出た後に死ぬ。
崔氏と同郷の大丘の人をして葬式の準備。
夜
検視(奉行・裁判・目付・用人)
9日
再検
新都訓導に郷書記
金光虎を昇格任命。
11日
入棺
小童
金漢仲(竹林寺の墓碑の字は、重)の柩を安置した所に一緒に置いて出送させた。(竹林寺)
13日
食前に霊柩を送り出した。側聞するに、伝語官の一人が公然と逃げ出して極めて疑わしいとのことであった。
14日
元凶は、正しく先日逃げた伝語官の鈴木伝蔵・・・・、彼自ら「朝鮮人を刺殺したので逃亡する。」との意で伝語官庁に投書・・・
18日
午後に聞くと、摂津州で鈴木伝蔵が逮捕拘禁された・・・
29日
朝方に町奉行所が外庁に来て首訳をして使者の言葉を送り「伝蔵を今日処刑するので三首訳と軍官は宜しく参観されるべきである。」(この参観でもめることになる)
30日
格軍(船夫)李光河が春に発狂して首を刺したことがあった。再発して傷口に毒がまわり死亡・・・
長老がきてゆうには、「伝蔵を処刑するとき朝鮮人が参観するとの一節を城尹がゆるしました。」
5月2日
賊人
伝蔵の首を刎ねた。
(この11次通信使では三人の死人がでた。)
5月5日
翌日の出発を控えて崔天宗の柩前に鈴木伝蔵の処刑の告奠が行われ金漢仲(同上、重)・李光河の三霊柩を倭船に載せて釜山に発送・・・
http://sv3.inacs.jp/bn/?2005050051254170005551.ewk79544
これは メッセージ 513 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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>妙な音楽を演奏する窃盗団でした。
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/11/24 20:51 投稿番号: [513 / 1329]
これは メッセージ 512 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/513.html
歌舞伎の演目「唐人殺し」
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/11/24 20:45 投稿番号: [512 / 1329]
おお〜これこそ
某トピタイトル「朝鮮通信使ブーム」ニダ!!!
歌舞伎の主役になってるニダ!
>幕府は、朝鮮通信使を「朝貢使」として、大名や民衆に見せることで、幕府の権威付けに利用したのです。
なるほど。でも、大国清を見習って、待遇が良いと勘違いしてしまうようで。
明・清の使節は朝鮮の宮廷で悪どいことをしようがお咎めなしでしたもんね。
今も昔も変わりなく、朝鮮の人って・・・
これは メッセージ 506 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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Re: 鶏を盗んだ江戸時代の朝鮮人
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/11/23 23:35 投稿番号: [511 / 1329]
>いえいえ、本当にお気遣いなく。
そんなつもりで言ったのではありませんから。
それは承知していましたが、こちらの「返し」が中途半端なせいで、ご負担をおかけしました。
楽屋事情を言いますと、第一シリーズのゲストキャラとして出演していただいたものの、
「ゲストキャラだけで終わらせるのは、ちょっともったいないやろ」
と思ったのが本音です。
>琉球の使節より、格下に扱われて憤慨したとか、何か読んだことがありますが、
高麗時代に磁器や禅宗を採り入れたのと違って、李朝ではほとんど文化的な発展はありませんね。
そうなんですよね。
清史稿の属国列伝では、朝鮮は琉球を抑えてみごと第一位にエントリーしているんですが。(苦笑)
>政治体制、漢方や儒教の面で少しは進歩したのでしょうか。
李朝の停滞は、「清の停滞のセイ」ですね。(笑)
中華の精髄たる明朝が滅び、蛮夷の満洲族が中原の支配者になった以上、中華の精髄を継ぐ者は朝鮮をおいて他に無し!というのが「小中華主義」ですから、党争で弾き出されていた実学派がどう言おうと、蛮夷の清「ごとき」に学ぶことは無い、というのが本音でしたでしょう。
これは メッセージ 510 (trip_in_the_night さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/511.html
Re: 鶏を盗んだ江戸時代の朝鮮人
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/11/23 23:14 投稿番号: [510 / 1329]
>本編たる『茶ん汲むの戦い』で埋め合わせをば、と師父が言っております。(汗)
いえいえ、本当にお気遣いなく。
そんなつもりで言ったのではありませんから。
>清に派遣された通称「燕行使」についてはどういう記録や資料(紀行文など)があるんでしょうね。清に学ぶべし、と主張した実学派も存在していた以上、清の状況についてなにかしら報告や感想があってもよさそうなものですが。
そうですね。
琉球の使節より、格下に扱われて憤慨したとか、何か読んだことがありますが、
高麗時代に磁器や禅宗を採り入れたのと違って、李朝ではほとんど文化的な発展はありませんね。
政治体制、漢方や儒教の面で少しは進歩したのでしょうか。
李朝の停滞は、「清の停滞のセイ」ですね。(笑)
これは メッセージ 509 (toaniuniu05 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/510.html
Re: 鶏を盗んだ江戸時代の朝鮮人
投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/11/23 22:49 投稿番号: [509 / 1329]
>あ゛ー、あれ、ウルルさんが結構活躍するヤツですね。
私の役回りがよく分かりませんでしたが。(苦笑)
いえいえ、チョイ役で充分という意味ですよ。
HP掲載時にいろいろ詰め込んで改変したせいでさらにグデグデになってしまったせいです。そのためトリップさんの出番がなんだか中途半端になってしまいました。ひらにご容赦を・・・本編たる『茶ん汲むの戦い』で埋め合わせをば、と師父が言っております。(汗)
朝鮮通信使のほうの記録は、このように見ることができるのですが、清に派遣された通称「燕行使」についてはどういう記録や資料(紀行文など)があるんでしょうね。清に学ぶべし、と主張した実学派も存在していた以上、清の状況についてなにかしら報告や感想があってもよさそうなものですが。
これは メッセージ 508 (trip_in_the_night さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/509.html
Re: 鶏を盗んだ江戸時代の朝鮮人
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/11/23 22:35 投稿番号: [508 / 1329]
>これは『チャングムの戦い
イルボン道中ニダ栗毛』でネタに使ったときに調べました。
あ゛ー、あれ、ウルルさんが結構活躍するヤツですね。
私の役回りがよく分かりませんでしたが。(苦笑)
いえいえ、チョイ役で充分という意味ですよ。
これは メッセージ 507 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/508.html
Re: 鶏を盗んだ江戸時代の朝鮮人
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/11/23 21:11 投稿番号: [507 / 1329]
>朝鮮通信使は、鶏だけでなく、夜具や食器なども盗んでいたようで、それが遠因で殺害事件にまで発展しています。
ホテルの備品を持って帰るようなもんですね。
>この殺害事件の顛末は、犯人の鈴木伝蔵が処刑されて落着したようですが、詳細は分かりません。
これは『チャングムの戦い
イルボン道中ニダ栗毛』でネタに使ったときに調べました。当時の朝鮮通信使のメンバーでさえ事件の動機についてはばらばらなことを書いており、詳細はわからないとしか言えません。(私はストーリー上、高麗人参の闇取引のトラブル説を使いましたが)
山本博文の元ネタは、朝鮮の外交担当部署であった礼曹の典客司の記録『通信使謄録』ですかね。↓
「四月初六日、在大坂天宗失鏡、使伝蔵捜索之、而終不得、天宗云日本人能盗、伝蔵罵道却是朝鮮人最能為盗、相与怒罵、終至於天宗以鞭痛打伝蔵」
>続編のスレッドが発見できません。
まだ出ていないんじゃないでしょうか。
これは メッセージ 506 (trip_in_the_night さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/507.html
Re: 鶏を盗んだ江戸時代の朝鮮人
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/11/23 20:21 投稿番号: [506 / 1329]
朝鮮通信使は、鶏だけでなく、夜具や食器なども盗んでいたようで、それが遠因で殺害事件にまで発展しています。
この殺害事件の顛末は、犯人の鈴木伝蔵が処刑されて落着したようですが、詳細は分かりません。
歌舞伎の演目「唐人殺し」にもなっているそうです。
続編のスレッドが発見できません。
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朝鮮通信使殺害事件
前編
ttp://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=72538朝鮮通信使殺害事件
後編
ttp://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=72539『江戸時代を「探検」する』
山本博文
新潮社
には、次の記述があります。
「通信使の随員の中には、そのような扱いに慣れ、段々と尊大な行動をする者も現れた。出船の時に、前夜出された夜具を盗んで船に積み込んだり、食事に難癖をつけて、魚なら大きいものを、野菜ならば季節外れのものを要求したりというような些細なことから、予定外の行動を希望し、拒絶した随行の対馬藩の者に唾を吐きかけたりするようなこともあったという」
その時、1764年4月6日。
この日の昼、江戸からの帰途、大阪は長浜の荷揚げ場で、朝鮮の下級官人が鏡を紛失しました。
通信使の都訓導(中級官人)、崔天宗という者が、これを咎め、
「日本人は、盗みの仕方が上手だ」
というような悪口を言いました。
これに対応した鈴木伝蔵(Suzuki Denzou)という対馬藩の通詞(通訳)は、紛失しただけで何の証拠も無く日本人が盗ったと言われたのは「日本の恥辱」になると感じ、また、日頃から通訳として朝鮮通信使のそばにいて、彼らの姑息な窃盗にうんざりしていたので、
「日本人のことをそのように言うが、韓半島人も、食事の際に出た飾りの品々(食器など)を持って帰っているではないか。これをどう思うのか」
と言い返しました。
鈴木伝蔵(Suzuki Denzou)に痛いところを突かれた崔天宗は、身に覚えがあったからでしょう頭に血が上り、人々が見ている前で、鈴木伝蔵(Suzuki Denzou)を杖で何度も打ちました。
鈴木伝蔵(Suzuki Denzou)は、下級の武士とはいえ武士です。このままでは、武士として生きていくことができません。思いつめた鈴木伝蔵(Suzuki Denzou)は、仕方なく崔を殺すことを決心します。
その夜、鈴木伝蔵(Suzuki Denzou)は、崔天宗の喉を槍で突き刺し殺害しました。
これは メッセージ 504 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/506.html
Re: 清史稿に見える朝鮮
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/11/23 19:21 投稿番号: [505 / 1329]
>敗者が罪人の格好で勝者の前にひざまづくのは中華パターンですね。
これを大東亜戦争で敗戦した日本に求めたんでしょうけど。
しかし、本当に徹底的に従属(-ω-) ・・・
この情況を知らなければ、日清戦争の意味を韓国人に理解してもらえませんね。
これは メッセージ 503 (toaniuniu05 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/505.html
鶏を盗んだ江戸時代の朝鮮人
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/11/23 19:17 投稿番号: [504 / 1329]
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/504.html
Re: 清史稿に見える朝鮮
投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/11/22 22:51 投稿番号: [503 / 1329]
>なんか、『神功紀』の新羅王の降伏の場面にそっくりですね。
そう言えば似ていますね。敗者が罪人の格好で勝者の前にひざまづくのは中華パターンですね。
朝鮮の仁祖実録では、降伏が決定したさい、朝鮮王はどういう姿で三田渡に行けばいいかという指示を受ける場面がありました。
そこでは、縛り上げられて、棺桶あるいはまさかりを背負うというお決まりの作法は免除されたと書いてあります。
・・・・・・・
仁祖十五年(1637)一月二十八日戊辰
龍胡曰:“三田浦已築受降壇。皇帝自京出來,明日可行此禮。面縛、輿[木親]等許多節目,今盡除之矣。”瑞鳳曰:“國王着龍袍,當以此服出來乎?”龍胡曰:“龍袍不可着也。”瑞鳳曰:“當自南門出來乎?”龍胡曰:“有罪之人,不可由正門出也。”
(訳)
龍骨大(英俄爾岱)は、
「三田渡に降伏を受ける壇を築いてある。太祖ホンタイジが瀋陽を出発され明日この儀式に着くようになっている。朝鮮王は後ろ手に縛り棺桶を担ぐといった多くの降伏の作法を除外する」といった。
瑞鳳(朝鮮の大臣)は、
「国王は龍袍を着ているが、着たまま行くべきか」
というと、龍骨大は
「ダメ」
といった。
瑞鳳は、
「南門から出るべきか」
というと、龍骨大は
「罪人やし、正門使ったらアカンやろ」
といった。
これは メッセージ 502 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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Re: 清史稿に見える朝鮮
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/11/22 22:29 投稿番号: [502 / 1329]
なんか、『神功紀』の新羅王の降伏の場面にそっくりですね。
これは メッセージ 501 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/502.html
清史稿に見える朝鮮
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/11/22 21:48 投稿番号: [501 / 1329]
清史稿において、朝鮮は属国列伝のトップに上げられております。その中から少し引用します。
・・・・・・・
清史稿
列傳
卷五百二十六
列傳三百十三
屬國一
序言
當時用兵中原,而朝鮮服屬有明,近在肘腋,屡抗王師.崇紱二年,再入其都,國王面縛納質,永為臣僕,自此東顧無憂,專力中夏.
(訳)
中原(支那大陸)に兵を進めるとき、朝鮮は明の服属国であって清の脇腹を牽制するかたちでしばしば抵抗したため、崇徳二年、再び漢城を落とした。朝鮮国王は、自らを縛り(罪人の格好をすること)、人質を出して、永く清の臣下しもべとなった。これにより清は東方面の心配をなくし、支那進出に専念した。
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/501.html
Re: 崇儒廃仏
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/11/21 00:30 投稿番号: [500 / 1329]
>廃仏政策の完成は、仁租期の三田渡の屈辱(1636年)より後と言う事になる。この時代に僧侶は城内に入れなくなり、尼僧は強制的に還俗させられている。
そういえばイザベラ・バード『朝鮮紀行』に、こんな都市伝説めいた記述がありました。
・・・・・・・
清国と同じように孔子廟とその教えを記した碑があるのはべつとして、ソウルには公認の寺院がひとつもなく、また僧侶が城内に入れば死刑に処せられかねなかったので、(中略)寺院がないのは朝鮮の他の都市の特徴でもある。仏教は李王朝が創建される以前、千年にわたり大衆に好まれた宗教だったが、一六世紀以来「廃止」されており、実質的に禁止されてしまった。聖職者に対して過酷な法律が制定されたのは、三世紀前に日本が侵略してきたとき、日本人が仏教僧に変装して都に入る許可をもらい、守備隊を虐殺したからだと朝鮮人はいう。その真偽はいずれにせよ、朝鮮ではよほど探さなければ仏教の形跡は見つけられない。
これは メッセージ 495 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/500.html
今夜でチャングムも最終回
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/11/18 23:41 投稿番号: [499 / 1329]
や〜と終わる。でもさびしかったりして。
http://wiki.livedoor.jp/crescent_castle/d/%a5%c1%a5%e3%a5%f3%a5%b0%a5%e0%a4%ce%bf%bf%bc%c2チャングムの真実
漢字で書くと長今。姓は無し。朝鮮王朝実録の中の中宗実録に出てくる医女。死ぬ間際に王の看病をしていた。史実としてはこれが全てである。従って、ドラマ大長今(チャングムの誓い)の中身は全てフィクションである。(登場人物の大半は存在しない)
当時の李氏朝鮮の風俗を再現したなどと言うふれこみもあるがそれも無い。
なぜなら・・・
16世紀の李氏朝鮮の風俗は良く分かっていない。
当時存在しない食物が出てくる。
服や町並みも出鱈目
そもそも16世紀前半の李氏朝鮮は貨幣が流通していない(主流は布や米)
15世紀中盤の世宗実録によれば、朝鮮の市は、魚などを汚物まみれの土の上にそのまま並べ踏みつけりしたモノを売っているぐらい不潔だった
どちらかと言うと17-18世紀の李氏朝鮮のイメージでドラマを作っている感覚が強く、16世紀の李氏朝鮮の様子と言うにはほど遠いと結論づけられる(手っ取り早く言えば江戸時代のイメージで戦国時代の時代劇をやるようなものだと思ってください)と言う訳で、100%想像の産物である(そもそも脚本のキム・ヨンヒョンがインタビューでそう言っている)。
要するに、暴れん坊将軍みたいなモノとでも思えば良い。それ以上でもそれ以下でも無い。あのドラマを見て李氏朝鮮史を理解した気がする事。それが一番危険である。なぜなら李氏朝鮮は500年と言う長い王朝だからである。たとえて言えばイギリスのヴィクトリア朝の映画を見てデーン朝のイギリスを理解すると言うようなばかげた行為である。
注:このページは、
http://nidar.hp.infoseek.co.jp/souko/JangGuem.html とリンク関係にあります
これは メッセージ 1 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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Re: 朝鮮と日本の詩人
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/11/18 23:07 投稿番号: [498 / 1329]
>当時の知識人も現代もそうですが、社会主義が人は皆平等や人類皆平等と
唱えている事をうぶだから本気で信じてたのでしょうね。
当時はどの国も大概の権力がある役職は世襲制で、富もそれに付随するのが当然とされてましたから、画期的だったのだと思います。
血縁が最重視がベースにある国では、社会主義的な富の平等分配は無理だったのではないでしょうか。
>戦後、植民地体制を崩壊させたことで証明しています。後世の歴史家の判断にゆだねる必要が全くない正しい現代史です。
そうなのでしょうか、日本の悪しきアジアへの野心ということで欧米に裁かれてしまいましたが、
いつ欧米でこの名誉が回復できるのでしょうか。
これは メッセージ 496 (kohshien21c さん)への返信です.
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Re: 水車がなぜ普及しなかったのか
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/11/18 22:54 投稿番号: [497 / 1329]
>やれば、できる子なんですよ。きっと。
手取り足取りの家庭教師つけないとダメな子なんですぅ〜('д`)
テキスト読むのが苦手だし、プライド高いのに万事受身でどうなるかと思いましたが、
イルボン先生のおかげでここまでこれました。
劣等性の朴李の乳母。
これは メッセージ 494 (pup_pooh_one さん)への返信です.
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Re: 朝鮮と日本の詩人
投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2006/11/18 22:46 投稿番号: [496 / 1329]
当時の知識人も現代もそうですが、社会主義が人は皆平等や人類皆平等と
唱えている事をうぶだから本気で信じてたのでしょうね。全てまやかしでした。
それだけ人間のどろどろした部分に目を瞑り、観念論だけでものを言っていただけです。
華国鋒主席時代から中国に行きましたが、とても社会主義が唱える平等とは違う現実でした。
階級闘争したはずの中国共産党に階級があるのです。階級により着る服の生地が違う、食べる物が違う金銭も含め、所有物が階級により違う。
階級社会を否定する中国共産党自体が、階級社会は過去もいまもそのものです。
それで、何が平等かと言うと、下層階級も腹いっぱい食べられるという事だけです。
しかし、それさえも中国では未だ出来ていない。更に北鮮は飢餓状態。
これが共産主義や社会主義の現実です。その砂上の楼閣を追っている日本のサヨク。私は敢えてクズと呼ぶが、この連中は人間がどういう存在であるかの思考がありません。従って共産主義思想の大欠陥=人間性を知らず脳内妄想だけで自分の身の処し方を棚の上に置き、他人に品行方正だけを要求している下衆な輩と思ってます。
ところが、過去を覗けば社会主義でない立憲君主国の明治、大正期の日本人は人種差別は不当と思い、国際社会で唱えました。
国際連盟設立時にもです。しかし、敢無く植民地主義の米英の反対により連盟憲章に取り入れることは出来ませんでした。
爾来、その目的も含め日本は国際社会で振舞ってきたのが史実です。
その意味で、大東亜戦争で日本が果した役割は人類史上大きな価値があったと思います
戦後、植民地体制を崩壊させたことで証明しています。後世の歴史家の判断にゆだねる必要が全くない正しい現代史です。
これは メッセージ 483 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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崇儒廃仏
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/11/18 22:37 投稿番号: [495 / 1329]
三日月城通信で崇儒廃仏も興味深い内容でした。
http://wiki.livedoor.jp/crescent_castle/d/%bf%f2%bc%f4%c7%d1%ca%a9元々、李成桂を担ぎ上げた勢力は儒臣が中心になって居たために、高麗の国教であった仏教を排斥し(高麗時代、仏教は国家の上にあったと言われている。)、儒教を広めると言うのが国是に成っていた。
しかし、なかなか浸透しなかった様で、悪戦苦闘している様は李氏朝鮮の歴史を追っていくとよく分かる。
まず、崇儒廃仏を始めた、太祖李成桂自体が、息子達の殺し合い(第一次、第二次王子の乱)に嫌気をさして譲位して出家してしまう。死ぬまで念仏を唱えて生活していたと言われている。自分の息子を殺した息子である第三代太宗とは仲が悪く、その後和解したもののやはり廃仏政策に反対し、対立していた。
こういう事情があり、廃仏政策は太宗、その後の世宗時代に入らないと大きく進展しない。
この時代に宗派の統廃合、寺院の取り壊し、廃止、領地の取り上げなどが行われ(2宗派242寺までに減らされた。また、石仏を破壊し石橋の礎石にしたりした。)、廃仏政策は大きく進んだかに見えた。
しかし、世宗は元々からだが弱かったためか、晩年になるとやはり仏教に帰依してしまう。
つまり、王宮内にも仏教と言うものは根強く残っており完全には根絶できなかったわけである。
次に廃仏が進むのは安定期と言われる睿宗から成宗にかけての時代である。この時代に僧科(僧侶に成るための資格試験)が廃止され、仏寺はわずか2,3のみと言う状態になる。
しかし、その後の世祖の時代になると逆に儒教を弾圧し、仏教を保護する政策に転換している。これは世祖即位の過程に原因があると言われている。世租は甥である端宗から王位を纂奪しため、儒教的にはかなり負い目を持っていた。その為儒臣勢力を押さえ込む為に反儒臣勢力を取り込み、仏教を振興した。
しかし、この政策も世租の孫の燕山君の時代になると再び仏教弾圧へと歯車が動く。李氏朝鮮一の暴君と言われる燕山君は、世租の立てた仏寺を取り壊し、妓生の役所を建てるなどしソウル内の仏寺を破壊している。
しかし、世租の取り立てた家臣の子孫(旧勳派と言われる。この時代より新興儒臣である、士林派と対立していく)と言うのは、世租のDNAを受け継ぐものであり仏教に帰依するものも数が少なくなかったと思われる。
そう言う理由で、旧勳派が支配していた世租から明宗までの時代は廃仏政策は割と軟化している様である。
中宗期も廃仏(燕山君に破壊された民家を建て直す為に仏寺を破壊)をしていたものの中宗の三番目の王妃である文定王后は仏教を信仰していた為に矛盾が生じていたようである。中宗が亡くなり、明宗の時代に入ると、文定王后が摂政を行っていたので、王宮内にも深く仏教が入り込んでいた。文定王后は、一部の僧侶を優遇し、科挙の中に僧科を復活させようとまでした。僧科の復活は家臣の猛反対に遭い挫折する。また文定王后の死により、僧侶の弾圧が行われ、廃仏政策がようやく起動に乗り始める。従って廃仏が完全に既定路線となるのは新興儒臣である士林派が中枢権力を掌握した宣租の時代からになる。宣租の即位が1567 年であるので、ここに至るまで170年ぐらいかかっている訳である。
しかし、宣租期に入っても廃仏政策が徹底されていたわけではない。秀吉の朝鮮出兵や仁租期には清軍の侵入などがあり、内政どころではなかったからである。義勇兵として弾圧していた仏僧の力を借りた事もあり(逆に秀吉軍に呼応して反乱を起こした勢力もある)、仏僧を使役に使う代わりに信仰を見逃すと言う方向性が出来てくるのがこの時代である。しかし、宣租期から仁租期までは戦乱の時代であり、内政・外交ともに混沌としていたため、廃仏政策の完成は、仁租期の三田渡の屈辱(1636年)より後と言う事になる。この時代に僧侶は城内に入れなくなり、尼僧は強制的に還俗させられている。
結果的に仏教が完全に山奥に追いやられたのは江戸時代に入ってからの様である。
しかしながら李氏朝鮮は仏僧を言うのは労働力として利用した為に仏教は完全に根絶されることは無く開国に至る。
これは メッセージ 466 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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Re: 水車がなぜ普及しなかったのか
投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2006/11/18 22:34 投稿番号: [494 / 1329]
> その気概があったら、その他にもなんでもできてたかもしれませんもんね。
エンコリの模型板の韓国人の作品は凄く立派なんですけどね。
やれば、できる子なんですよ。きっと。
これは メッセージ 493 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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Re: 水車がなぜ普及しなかったのか
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/11/18 22:30 投稿番号: [493 / 1329]
>朝鮮にピョートル1世みたいな君主がいたら、歴史がひっくり返ってますよ(^o^;)
そりゃそうだ〜☆彡
その気概があったら、その他にもなんでもできてたかもしれませんもんね。
これは メッセージ 490 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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安岡正篤
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/11/18 22:14 投稿番号: [492 / 1329]
東洋ものが好きな人が多いので、一応ご存知と思いますが、
貼り付けておきます。
きっと妻細木の活躍に青筋たててびっくりしてることでしょう。
安岡正篤 1898‐1983(明治31‐昭和58)
やすおかまさひろ
陽明学者,日本主義思想家。大阪生れ。1922年東京帝国大学卒業。
1921年ころから参加していた社会教育研究所,その後身の大学寮で
当時のデモクラシー思潮に対抗して日本主義を主張する講義を行う。
25年行地社を脱退し,青少年の精神教化運動を志して,酒井忠正らの
援助により金鶏学院を創立(1927)。32年日本精神による政教の維新を
唱えて国維会を結成,新官僚の本山と目された。戦時中,大東亜省顧問などを務め,
終戦時の〈玉音放送〉の原案に朱を入れた。49年全国師友協会,58年右翼団体の
連合組織新日本協議会などを創立し,岸信介,佐藤栄作を中心とする長栄会,
蒋介石,三島由紀夫をはじめ,政財官界の指導者に影響を与えた。
桂川 光正
(C) 1998-2000 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.
安岡正篤 1898‐1983
やすおかまさひろ
陽明学者,右翼思想家。大阪生れ。1922年東京帝大卒。若くして華族・
富豪層に師として遇され,1927年伯爵酒井忠正の援助で金鶏学院を創立,
日本主義思想による青少年の精神教化運動に取り組む。1932年日本精神に
基づく国政維新を唱えて国維会を結成,斎藤・岡田両内閣に閣僚を送り込む
などした。終戦時の〈玉音放送〉の原案を添削したことは有名。
1949年全国師友協会を設立,政・財・官各界に隠然たる影響力を持った。
三島由紀夫も共鳴者のひとりだった。
マイペディア(C)株式会社日立システムアンドサービス
これは メッセージ 491 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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>韓医学「体質分け」
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/11/18 22:08 投稿番号: [491 / 1329]
まるで占いのようですね。(細木の○○星人のような)
でも東洋占いの易と中国・朝鮮の東洋思想はセットだったので、
(易学は古代中国の儒教の経典の一つ)
漢方もそういう部分があるのだと思います。
東洋思想の大家、安岡正篤
(終戦時の〈玉音放送〉の原案を添削、平成を名付た人、細木カズコの最後の夫)
が『易と健康法』を出しています。
※私は易なんて全然知らない人なのですが、うんくさい細木のことを調べていて知ったことです。
http://homepage2.nifty.com/namnam/korea/13.htm>また韓国人は何かにつけ「易」を気にします。それは日本人の「趣味の占い」というレベルではなく、生活の多くに易が係わっています。
例えば、住む場所も易で決め、結婚相手も易で決める。仕事も易で探し、年配を尊重する風潮があるのも易(儒教)の影響です。失敗すれば易が悪いとします
こんなのを見つけました↓
http://myseoul.hp.infoseek.co.jp/body/taisitu.html韓国に伝わる四象医学と8体質について
>韓国で2002年のテレビ時代劇「太陽人 李済馬」で韓国内でも話題沸騰
なるほど、時代劇医学ものチャングムだけではなかったのですね。
>調べ出すとほんとにおもしろくて、まるで占いのようでした。
やっぱり。
>四象の中にも陰陽があり、分かれて八卦となるとの理論から発展していったのが、俗に云う「周易と卜筮」である。
これは メッセージ 486 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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Re: 水車がなぜ普及しなかったのか
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/11/18 22:04 投稿番号: [490 / 1329]
そんな御無体な…(^_^;)
朝鮮にピョートル1世みたいな君主がいたら、歴史がひっくり返ってますよ(^o^;)
これは メッセージ 489 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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水車がなぜ普及しなかったのか
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/11/18 21:32 投稿番号: [489 / 1329]
>職人を軽視する朝鮮では技術を守り発展させようとする人材が育たない。
まぁ、多分そんなことだろうと思うのですが、
ここまで各時代の重要な地位にある人達がその必要性を痛感しているのに、
何故と思ってしまいます。
昔読んだロシアのピョートル大帝を思い出してしまいました。
彼はオランダの造船所では身分を隠してして船大工見習のピーター・ティンメルマンとして雇われ、自身ハンマーをふるって造船を学びました。
これぐらいの気概を朝鮮の身分の高い人達が持てば違ってたかもしれませんね。
これは メッセージ 487 (kusuo1 さん)への返信です.
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伊藤博文・安重根、石川啄木
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/11/18 21:15 投稿番号: [488 / 1329]
沢山の面白い資料をありがとうございます(・∀・)
>また当時の社会主義運動の影響で、反国家革命主義に傾斜していた。
あの頃は社会主義が斬新な思想でしたから。
独立活動家、民族主義、社会主義・・・色々あった時代でしたね。
文化や言語まで奪おうとする他国の侵略や支配から国を守り、
食べるにも事欠く民を救うことがあの頃の時代の急務だったからかもしれません。
日本の社会主義活動家も朝鮮の独立運動や中国の革命を支援してましたから、啄木もそんな感じの人なのでしょう。
「同時代を生きた伊藤博文・安重根、そして石川啄木」のサイト、
突っ込みどころ満載ですね(笑)
>博文P:私は初代総理大臣をやり、韓国初代統監になりました。私は天皇の命令を忠実に実行しました。
↑これは日本人が作ったとは思えません。。・゚・(つд⊂)
当時の帝国主義を言い訳に朝鮮植民地化を擁護する時はこれを言え対策なんでしょうかね。いや、、、サヨの先生のサイトなんですね(汗)
1995年7月8日だからしょうがないか、でも昨年あたりにこのページ作られたんですよね。ハングル板や他のサイトをのぞいて悟ってくれることを願っています。
>当時の多くの韓国人が必要性を認めていないのに押しつけた併合がどうして平和につながるのか明らかにしてください。
ここらへんから更にイタタな展開に・・・
これを理解するには李朝の中国の属国ぶりを理解する必要があります。
中国は西洋との接触で自国領域を主張しなければならなくなり、朝鮮や沖縄も含めて自国領土と主張するつもりだったのをどれだけの韓国人が知っているのだろう。
>伊藤P:日本が韓国併合をしなかったら、欧米がしていたと思いますが、そうなったらどうなっていたと思いますか。逆に聞きたいです。
>現代K:欧米というより実際は、ロシアが来たと思うが、結果は変わらなかったと思います。第2次世界大戦後、各地に起こったように韓国でも反ロシア義兵闘争などが起こり植民地独立運動によって独立すると思います。
日本がアジアの独立運動にどうかかわったか知らないのですね(/-_-\)
サハリンのように朝鮮もロシア圏になってたりしてね。
おっとその前にソ連下で共産圏だったかも。
>重根P:私たち義兵運動は、戦争することが目的ではなくて、伊藤さんの謀略を明らかにすること、列強の同情を得ようとしていたのが目的でした。
同情って・・・(-ω-) 同情するかな〜。
列強がどんなことしてたか知ってるのかな〜。
欧州同士も戦争してその国を占拠しあってる情況ってのに。
それはないな〜。
これは メッセージ 486 (trip_in_the_night さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/488.html
Re: 三日月城通信で興味深かったもの
投稿者: kusuo1 投稿日時: 2006/11/18 17:11 投稿番号: [487 / 1329]
>水車がなぜ普及しなかったのでしょう。
専門の水車大工がいなかったからでしょ。
水車を造るのは結構難しいそうで、専門の水車大工でないと造れない。
職人を軽視する朝鮮では技術を守り発展させようとする人材が育たない。
これは メッセージ 475 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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Re: 朝鮮と日本の詩人
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/11/18 15:30 投稿番号: [486 / 1329]
これは メッセージ 485 (trip_in_the_night さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/486.html
Re: 朝鮮と日本の詩人
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/11/17 00:13 投稿番号: [485 / 1329]
>>雄々しくも/死を恐れざる人のこと/巷にあしき噂する日よ
>>「死を恐れざる人」とは、09年10月26日に伊藤博文を射殺した安重根烈士のことである。詩人は、明治の元勲を暗殺したとして巷で極悪人とののしられている烈士を、死を覚悟して「雄々しくも」殉国した憂国の義士として深く敬愛し、その義挙に共感を示している。これは「友も、妻も、かなしと思ふらし−/病みても猶/革命のこと口に絶たねば」と詠んだ啄木の、朝・日両人民の国際的な連帯感を示したものであるといえる。
[朝鮮新報 2006.1.27]
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/06/0606j0127-00002.htm以上の説明がウソであること、ご理解戴けたと思います。
一部をピックアップして、全体とする手法は、彼等の常套手段です。
全体の中で、その部分はいかなる意味を持つのか検討する。
あるいは、その部分を集合させて、全体を構成する作業が必要かと思います。
これは メッセージ 484 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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Re: 朝鮮と日本の詩人
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/11/16 23:53 投稿番号: [484 / 1329]
石川啄木
ココアのひと匙
1911.6.15.TOKYO
われは知る、テロリストの
かなしき心を−−
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らむとする心を、
われとわがからだを敵に擲げつくる心を−−
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり。
はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/takuboku02.html石川啄木
一握の砂・悲しき玩具
金田一京助編
1952
新潮文庫
どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな
やや遠き
ものに思ひしテロリストの
悲しき心も
近づく日のあり
誰そ我に
ピストルにても撃てよかし
伊藤のごとく死にて見せなむ
唐突に何かを打擲するような加撃的な短歌をあげてみた。静かに激震を引き受けているのがしんしんと伝わってくる。
啄木が灰色の精神のテロリストで、ココア色の魂のアナキストであったことは、いまさら言うまでもない。『紙上の塵』という文章には、昔の日本の書生にははっきり「天下国家といふ庫(くら)」があり、キリスト教にも「神様といふ庫」があったと書いて、その庫(くら)にあたるものがわれわれにはなくなったのではないかと感想しているし、『所謂今度の事』には「無政府主義といふのは詰り、凡ての人間が私慾を絶滅して完全なる個人にまで発達した状態に対する、熱烈なる憧憬」と定義した。『ココアのひと匙』にはさらに有名な次の詩句がある。
はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
その薄苦き舌触りに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。
啄木の思想は僅かな生涯のなかでアレクサンドライトの光のように変遷している。初期は仏教にもキリスト教にも惹かれているし、ニーチェにも憧れていた。日露戦争前後では、日清のときには好戦的だった「平民新聞」が非戦・厭戦・反戦に転じても、戦争は必ずしも罪悪ではないと断じて、愛国心を滾(たぎ)らせていた。
その後は一方でクロポトキンに傾倒し、アナキズムを愛し、他方でハルビン駅頭の伊藤博文暗殺に哀しんだ。冒頭に掲げた「誰そ我にピストルにても撃てよかし伊藤のごとく死にて見せなむ」はそのときの心情を詠んでいる。ついで大逆事件がおこると、「時代閉塞」に陥っている社会全体を相手どって怒りに苦悩した。教育についても痛哭に吠えた。ぼくがかつて瞠目した『林中書』には「日本の教育は人の住まぬ美しい建築物である。別言すれば、日本の教育は教育の木乃伊(ミイラ)である」「小学校教育を破壊しなければならない」と書いている。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1148.html
これは メッセージ 483 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/484.html
朝鮮と日本の詩人
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/11/16 23:03 投稿番号: [483 / 1329]
これは メッセージ 478 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/483.html
Re: 慶州
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/11/16 22:53 投稿番号: [482 / 1329]
彼女はソウル生れのソウル育ちだったのですが、
親達のルーツが地域対立のところかもしれませんね。
裕福だったし、話す内容はどちらかというと親日でした。
(一応、植民地支配は許せないと思ってたかもしれないけど)
もしかしたら、併合時の彼女の親はけっこう良い状況だった家庭だったのかもしれません。
彼女にカラーの日本の被服史も含めた日本の文学史の本を渡したけど、全部読めたかな?
(日本語勉強中でした)
これは メッセージ 481 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/482.html
Re: 慶州
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/11/16 22:02 投稿番号: [481 / 1329]
案外、地域対立だからではないですかね? 想像ですが。
その女性が全羅道出身者だったとか。
これは メッセージ 480 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/mfbdabdabaaf_1/481.html
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