Re: >妙な音楽を演奏する窃盗団でした。
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/11/25 00:21 投稿番号: [514 / 1329]
まあまあ、トピ主殿も酔っ払ってないで、抑えて抑えて。(笑)
以下は、半尻ちゃんような個人のメルマガです(つまり、半島寄り)。
東亜さん提出の次の資料と異なり、全く逆の主張です。
崔天宗の最後の言葉は、明らかに矛盾しております。
つまり、李朝側に不利な部分を意図的に隠して、一方的な事件になっているようです。
こうした文章が韓国で出版されているというのは、問題ですね。
>>山本博文の元ネタは、朝鮮の外交担当部署であった礼曹の典客司の記録『通信使謄録』ですかね。↓
「四月初六日、在大坂天宗失鏡、使伝蔵捜索之、而終不得、天宗云日本人能盗、伝蔵罵道却是朝鮮人最能為盗、相与怒罵、終至於天宗以鞭痛打伝蔵」
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辛基秀(シンギス)氏は、朝鮮通信使が今般のように広く知られるようになった仕掛け人のひとりですが、氏の著作「朝鮮通信使 人の往来、文化の
交流」(明石書店刊)に「8章 歌舞伎『唐人殺し』と朝鮮通信使」、の記述がある。
今回はその記述にのっとって書いていきたい。
正使趙氏の日記「海槎日記」から事件経過をたどっている。
4月7日 盗人が都訓導催崔天宗を殺した。(夜明け前)
「私は、今回の旅路で何の倭人とも争ったり恨みを買うような事もないのに倭人が私を刺し殺そうとしたのは誠に何故なのかわからない。もし私が国事で死ぬとか使臣の職務のために死ぬのなら死んでも恨むことhじゃないが、今徒に倭人に刺されて死ぬようなことになり死ぬことが極めて悔しくて堪らない。」
この言葉を残して日が出た後に死ぬ。
崔氏と同郷の大丘の人をして葬式の準備。
夜 検視(奉行・裁判・目付・用人)
9日 再検 新都訓導に郷書記 金光虎を昇格任命。
11日 入棺 小童 金漢仲(竹林寺の墓碑の字は、重)の柩を安置した所に一緒に置いて出送させた。(竹林寺)
13日 食前に霊柩を送り出した。側聞するに、伝語官の一人が公然と逃げ出して極めて疑わしいとのことであった。
14日 元凶は、正しく先日逃げた伝語官の鈴木伝蔵・・・・、彼自ら「朝鮮人を刺殺したので逃亡する。」との意で伝語官庁に投書・・・
18日 午後に聞くと、摂津州で鈴木伝蔵が逮捕拘禁された・・・
29日 朝方に町奉行所が外庁に来て首訳をして使者の言葉を送り「伝蔵を今日処刑するので三首訳と軍官は宜しく参観されるべきである。」(この参観でもめることになる)
30日 格軍(船夫)李光河が春に発狂して首を刺したことがあった。再発して傷口に毒がまわり死亡・・・
長老がきてゆうには、「伝蔵を処刑するとき朝鮮人が参観するとの一節を城尹がゆるしました。」
5月2日 賊人 伝蔵の首を刎ねた。
(この11次通信使では三人の死人がでた。)
5月5日 翌日の出発を控えて崔天宗の柩前に鈴木伝蔵の処刑の告奠が行われ金漢仲(同上、重)・李光河の三霊柩を倭船に載せて釜山に発送・・・
http://sv3.inacs.jp/bn/?2005050051254170005551.ewk79544
以下は、半尻ちゃんような個人のメルマガです(つまり、半島寄り)。
東亜さん提出の次の資料と異なり、全く逆の主張です。
崔天宗の最後の言葉は、明らかに矛盾しております。
つまり、李朝側に不利な部分を意図的に隠して、一方的な事件になっているようです。
こうした文章が韓国で出版されているというのは、問題ですね。
>>山本博文の元ネタは、朝鮮の外交担当部署であった礼曹の典客司の記録『通信使謄録』ですかね。↓
「四月初六日、在大坂天宗失鏡、使伝蔵捜索之、而終不得、天宗云日本人能盗、伝蔵罵道却是朝鮮人最能為盗、相与怒罵、終至於天宗以鞭痛打伝蔵」
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辛基秀(シンギス)氏は、朝鮮通信使が今般のように広く知られるようになった仕掛け人のひとりですが、氏の著作「朝鮮通信使 人の往来、文化の
交流」(明石書店刊)に「8章 歌舞伎『唐人殺し』と朝鮮通信使」、の記述がある。
今回はその記述にのっとって書いていきたい。
正使趙氏の日記「海槎日記」から事件経過をたどっている。
4月7日 盗人が都訓導催崔天宗を殺した。(夜明け前)
「私は、今回の旅路で何の倭人とも争ったり恨みを買うような事もないのに倭人が私を刺し殺そうとしたのは誠に何故なのかわからない。もし私が国事で死ぬとか使臣の職務のために死ぬのなら死んでも恨むことhじゃないが、今徒に倭人に刺されて死ぬようなことになり死ぬことが極めて悔しくて堪らない。」
この言葉を残して日が出た後に死ぬ。
崔氏と同郷の大丘の人をして葬式の準備。
夜 検視(奉行・裁判・目付・用人)
9日 再検 新都訓導に郷書記 金光虎を昇格任命。
11日 入棺 小童 金漢仲(竹林寺の墓碑の字は、重)の柩を安置した所に一緒に置いて出送させた。(竹林寺)
13日 食前に霊柩を送り出した。側聞するに、伝語官の一人が公然と逃げ出して極めて疑わしいとのことであった。
14日 元凶は、正しく先日逃げた伝語官の鈴木伝蔵・・・・、彼自ら「朝鮮人を刺殺したので逃亡する。」との意で伝語官庁に投書・・・
18日 午後に聞くと、摂津州で鈴木伝蔵が逮捕拘禁された・・・
29日 朝方に町奉行所が外庁に来て首訳をして使者の言葉を送り「伝蔵を今日処刑するので三首訳と軍官は宜しく参観されるべきである。」(この参観でもめることになる)
30日 格軍(船夫)李光河が春に発狂して首を刺したことがあった。再発して傷口に毒がまわり死亡・・・
長老がきてゆうには、「伝蔵を処刑するとき朝鮮人が参観するとの一節を城尹がゆるしました。」
5月2日 賊人 伝蔵の首を刎ねた。
(この11次通信使では三人の死人がでた。)
5月5日 翌日の出発を控えて崔天宗の柩前に鈴木伝蔵の処刑の告奠が行われ金漢仲(同上、重)・李光河の三霊柩を倭船に載せて釜山に発送・・・
http://sv3.inacs.jp/bn/?2005050051254170005551.ewk79544
これは メッセージ 513 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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