Re: 朝鮮と日本の詩人
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/11/16 23:53 投稿番号: [484 / 1329]
石川啄木
ココアのひと匙
1911.6.15.TOKYO
われは知る、テロリストの
かなしき心を−−
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らむとする心を、
われとわがからだを敵に擲げつくる心を−−
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり。
はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/takuboku02.html
石川啄木
一握の砂・悲しき玩具
金田一京助編
1952 新潮文庫
どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな
やや遠き ものに思ひしテロリストの
悲しき心も
近づく日のあり
誰そ我に
ピストルにても撃てよかし
伊藤のごとく死にて見せなむ
唐突に何かを打擲するような加撃的な短歌をあげてみた。静かに激震を引き受けているのがしんしんと伝わってくる。
啄木が灰色の精神のテロリストで、ココア色の魂のアナキストであったことは、いまさら言うまでもない。『紙上の塵』という文章には、昔の日本の書生にははっきり「天下国家といふ庫(くら)」があり、キリスト教にも「神様といふ庫」があったと書いて、その庫(くら)にあたるものがわれわれにはなくなったのではないかと感想しているし、『所謂今度の事』には「無政府主義といふのは詰り、凡ての人間が私慾を絶滅して完全なる個人にまで発達した状態に対する、熱烈なる憧憬」と定義した。『ココアのひと匙』にはさらに有名な次の詩句がある。
はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
その薄苦き舌触りに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。
啄木の思想は僅かな生涯のなかでアレクサンドライトの光のように変遷している。初期は仏教にもキリスト教にも惹かれているし、ニーチェにも憧れていた。日露戦争前後では、日清のときには好戦的だった「平民新聞」が非戦・厭戦・反戦に転じても、戦争は必ずしも罪悪ではないと断じて、愛国心を滾(たぎ)らせていた。
その後は一方でクロポトキンに傾倒し、アナキズムを愛し、他方でハルビン駅頭の伊藤博文暗殺に哀しんだ。冒頭に掲げた「誰そ我にピストルにても撃てよかし伊藤のごとく死にて見せなむ」はそのときの心情を詠んでいる。ついで大逆事件がおこると、「時代閉塞」に陥っている社会全体を相手どって怒りに苦悩した。教育についても痛哭に吠えた。ぼくがかつて瞠目した『林中書』には「日本の教育は人の住まぬ美しい建築物である。別言すれば、日本の教育は教育の木乃伊(ミイラ)である」「小学校教育を破壊しなければならない」と書いている。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1148.html
ココアのひと匙
1911.6.15.TOKYO
われは知る、テロリストの
かなしき心を−−
言葉とおこなひとを分ちがたき
ただひとつの心を、
奪はれたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らむとする心を、
われとわがからだを敵に擲げつくる心を−−
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり。
はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/takuboku02.html
石川啄木
一握の砂・悲しき玩具
金田一京助編
1952 新潮文庫
どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな
やや遠き ものに思ひしテロリストの
悲しき心も
近づく日のあり
誰そ我に
ピストルにても撃てよかし
伊藤のごとく死にて見せなむ
唐突に何かを打擲するような加撃的な短歌をあげてみた。静かに激震を引き受けているのがしんしんと伝わってくる。
啄木が灰色の精神のテロリストで、ココア色の魂のアナキストであったことは、いまさら言うまでもない。『紙上の塵』という文章には、昔の日本の書生にははっきり「天下国家といふ庫(くら)」があり、キリスト教にも「神様といふ庫」があったと書いて、その庫(くら)にあたるものがわれわれにはなくなったのではないかと感想しているし、『所謂今度の事』には「無政府主義といふのは詰り、凡ての人間が私慾を絶滅して完全なる個人にまで発達した状態に対する、熱烈なる憧憬」と定義した。『ココアのひと匙』にはさらに有名な次の詩句がある。
はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
その薄苦き舌触りに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。
啄木の思想は僅かな生涯のなかでアレクサンドライトの光のように変遷している。初期は仏教にもキリスト教にも惹かれているし、ニーチェにも憧れていた。日露戦争前後では、日清のときには好戦的だった「平民新聞」が非戦・厭戦・反戦に転じても、戦争は必ずしも罪悪ではないと断じて、愛国心を滾(たぎ)らせていた。
その後は一方でクロポトキンに傾倒し、アナキズムを愛し、他方でハルビン駅頭の伊藤博文暗殺に哀しんだ。冒頭に掲げた「誰そ我にピストルにても撃てよかし伊藤のごとく死にて見せなむ」はそのときの心情を詠んでいる。ついで大逆事件がおこると、「時代閉塞」に陥っている社会全体を相手どって怒りに苦悩した。教育についても痛哭に吠えた。ぼくがかつて瞠目した『林中書』には「日本の教育は人の住まぬ美しい建築物である。別言すれば、日本の教育は教育の木乃伊(ミイラ)である」「小学校教育を破壊しなければならない」と書いている。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1148.html
これは メッセージ 483 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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