日韓歴史論争

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Re: 秀吉の朝鮮出兵を考える 

投稿者: ricky_eto 投稿日時: 2006/10/04 16:42 投稿番号: [3240 / 6952]
まず謝罪から

平安期に奴隷制度が無くなったと書きましたが   これは間違いでした

平安期に奴隷はなくなりましたが   あらためて「下人」という制度が出来たようで
これ自体は江戸期まで残っていたようです

謹んでお詫び申し上げます



戦国末から江戸初期の海外貿易は   双方とも年に何回か催されるモノだったようで
莫大な利潤を生む一方   リスクも相当なモノだったようですね
となると   奴隷のような食べ物を摂取するモノを海外に大量に売りつけると言うのは   果たしてどうなのかなと思います
また一方   それ以外の輸出商品に較べて比較的元で要らずで手に入る奴隷の方が
商品として好適なのかなとも思えます

秀吉軍が半島に上陸して   自軍の糧食にも事欠いていた時期に   果たして大量の捕虜を維持出来たのか
そして   補給路が途絶寸前の状態で
そんな大量の捕虜を後方移送ないし   商人が半島にきて   捕虜を買い付けする事なんて出来たのか
その辺は大変疑問に思います

Re: 秀吉の朝鮮出兵を考える 

投稿者: junksai 投稿日時: 2006/10/04 15:56 投稿番号: [3239 / 6952]
私もこのことを   どうこういうのも   おかしな噺だとおもっていますよ
元寇のときは   どうだ
騎馬民族渡来説はどうだ   あれも半島からの侵略じゃないかとかね。
ただ   シナでもやっているとか   当時の状況はとか
たしかにそうなんですが
黙祷しましょうよ。すこしだけ思いをこめてね  

ただ   日本の歴史学者でも   この点を持ち出す方は   いらっしゃいます。
日本で   相手にされないで   この噺を朝鮮でしている   某小田実さんとか
和田   人間性に問題のある   春樹さんも   しているかな?
何百年前のことを持ち出して   きりないよなと思います。
それで   12歳の女の子の誘拐事件はスールですから

奴隷制度うんぬんはしりませんが   ソースは何でしょうか?
奴隷制度が禁止というよりは
これを発生される争いをしてはいけませんよ
という方が正しいかと
また   この乱取りという   そうなんですが
論功ではありませんよ   役得です。
よく   行きたくもないのに
朝鮮半島までという言い方はされますが
みんな   これを期待して
海を越えたんです。

戦国時代では   あちらこちら
でしていましたから、いつぐらいに禁止されたかは   私も知りませんが
秀吉政権下では
朝鮮人は   対象外ではなかったか?と思います。また切支丹禁令が出されても
  信者さんはいましたし   貿易もありましたから   南蛮人への転売で
利鞘は稼げたと思います。

また大阪の陣でも   城から逃げた人々を   捕まえて   売り払うというのは
絵にも残っていたような気がします

いまだって法の目をかいくぐる悪党はいます。昔だって   似たようなものでしょうか?

ただ   家康政権下で   全部   帰国したわけではなかったようですね。

Re: 秀吉の朝鮮出兵を考える 

投稿者: ricky_eto 投稿日時: 2006/10/04 13:44 投稿番号: [3238 / 6952]
その当時の日本にはすでに「奴隷制度」は無く

女性が性の対象として   借金の形として売買されていた事実はあるにしても

公然と人間を売買する事は出来なかったはずです



なお   その頃の徳川家康の   駿府城における奥向き女中にも   朝鮮出身の女中が居ましたが

もし人身売買が事実であるとしたら   この状況はいささかおかしなモノとなってしまいますね

家康が当時一番の開明君主であったか
あるいは   日本人が朝鮮人を売買対象としても差別対象としてもいなかった…
と…

Re: 秀吉の朝鮮出兵を考える 

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/10/04 13:26 投稿番号: [3237 / 6952]
まあ、当時は戦争で勝てば戦利品として物品のみならず人間も獲られるのが常識でしたからね。それを論功行賞で兵に与えたのです。

欧州も支那大陸も同じです。支那人の方がもっと激しく、敵側高位の者は一族郎党皆殺しです。敗残兵等は人肉食用にされ戦場の兵糧にもなった。

だから、強制連行と言う現代語とは無関係です。現在の価値観でどうこう言っても意味がありません。

Re: 秀吉の朝鮮出兵を考える 

投稿者: junksai 投稿日時: 2006/10/04 13:06 投稿番号: [3236 / 6952]
http://www.blu.m-net.ne.jp/~tashima/b2006.html

奴隷貿易ですね、別に   日本軍ではなく、商人たちが   いっぱい付いてきてますので   最前線の足軽たちが   銭ほしさで   捕虜を売り飛ばしていたようです。実数は知りませんが、
いわゆる切支丹の殉教においても   けっこう   朝鮮人や   混血の殉教が見られますが   そのあと   どうなったのでしょうか?

強制連行というならば   これを指すのが正しいですね。

Re: 檀君神話の‘3の論理’

投稿者: takigawamasuuji 投稿日時: 2006/10/03 23:16 投稿番号: [3235 / 6952]
>彼は檀君神話に現われた‘3の論理’が今日の観点で見る時、弁証法的統合概念を提示するということに特に注目しなければならないと強調した。「桓因、桓雄、檀君がまず‘3’です。桓雄が天符印3個と群3千人を連れて出るということにも‘3’がありますね。桓雄と熊女を通じて檀君が生まれるということにも‘3’があります。空と地の葛藤を人が主体的に調和させるということが3の論理、すなわち我が民族の固有の生命思想です。これが高句麗の象徴‘三足烏’に繋がるのですね.

よくもまあ、こじつけたもんだなあ。
じゃこっちも、モンテスキューの法の精神は、三権分立を基本としている。つまり、ここから三足烏が、生まれたのである。

これと同レベルだな。

Re: すみません・・・

投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2006/10/03 23:04 投稿番号: [3234 / 6952]
よくできてますね。

すみません・・・

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/10/03 22:59 投稿番号: [3233 / 6952]
あれ、ネタです。
本当にはありません。

失礼しました。

Re: 檀君神話の‘3の論理’

投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2006/10/03 22:51 投稿番号: [3232 / 6952]
>ここでも   パクリしてんの、日本の本全てまねてるんじゃないの

ハングル表記でなく、日本語表記なのもパクりだからですね。
そこまで、パクらんでよいのに。

Re: 檀君神話の‘3の論理’

投稿者: goodjapan48 投稿日時: 2006/10/03 22:43 投稿番号: [3231 / 6952]
>   ありますよ。(笑)
「ムー」の姉妹本で「へー」です。


ここでも   パクリしてんの、日本の本全てまねてるんじゃないの

どうせ小説等もパクリしてんでしょう。

Re: 檀君神話の‘3の論理’

投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2006/10/03 22:32 投稿番号: [3230 / 6952]
> ありますよ。(笑)
> 「ムー」の姉妹本で「へー」です。

へ〜
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20へ〜

Re: 檀君神話の‘3の論理’

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/10/03 22:28 投稿番号: [3229 / 6952]
>「ムー」の韓国語版を出したら売れるだろなぁ。

ありますよ。(笑)
「ムー」の姉妹本で「へー」です。
http://hipee.moe.hm/uplon/5700.jpg

Re: 檀君神話の‘3の論理’

投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2006/10/03 22:11 投稿番号: [3228 / 6952]
「ムー」の韓国語版を出したら売れるだろなぁ。

檀君神話の‘3の論理’

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/10/03 21:58 投稿番号: [3227 / 6952]
>3の論理、すなわち我が民族の固有の生命思想です。
>これが高句麗の象徴‘三足烏’に繋がるのですね。
>「これを21世紀にふさわしく再解釈する必要がある」

また都合よくくっつけましたね。(笑)

>ユン教授は「中国や日本の将来を思う時、韓国がなければ両国が直ちに対立して東アジアに破滅をもたらすかもしれない」

バランサーですか?

>檀君朝鮮が実在したということは歴史学者みなが合意した事実です。

(   ゚Д゚)
そうすると、先祖が熊ってことも事実になりゃしないか?
いいのか?それで。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<2006開天節特集−古朝鮮を尋ねる人々>
「檀君朝鮮→高句麗承継は文献上にも明白」

韓国史の根である古朝鮮は実在した歴史と言うよりは神話として記述される傾向が強い。根拠が大部分中国と北朝鮮にあり、実在の研究がほとんど不可能なわけだ。このような状況で中国は東北工程で高句麗史に引き続き、渤海史、一歩進んで古朝鮮の歴史まで中国の歴史に含ませようと考えている。歴史学界と自然科学界で古朝鮮を追跡して来た東国大ユン・ミョンチョル教養教育院教授に古朝鮮時代の歴史と哲学、そして科学について聞いた。

「檀君朝鮮が実在したということは歴史学者みなが合意した事実です。ただ起源、領土、支配様式に対する異論があるのですね。私は檀君神話の中に込められている生命の論理、すなわち空と地、男と女、遊牧文化と農耕文化を調和させる内容が今日葛藤の世界を統合する思想として大きな意味があると思います。」歴史学者と同時に詩人、探険家として檀君朝鮮と高句麗史を研究して来たユン・ミョンチョル教授は「檀君神話は実際、歴史的事実を説話的に霊妙に表現したから民族の原型思想を探求するために大事な宝物倉庫の役目がある」「これを21世紀にふさわしく再解釈する必要がある」と言った。

彼は檀君神話に現われた‘3の論理’が今日の観点で見る時、弁証法的統合概念を提示するということに特に注目しなければならないと強調した。「桓因、桓雄、檀君がまず‘3’です。桓雄が天符印3個と群3千人を連れて出るということにも‘3’がありますね。桓雄と熊女を通じて檀君が生まれるということにも‘3’があります。空と地の葛藤を人が主体的に調和させるということが3の論理、すなわち我が民族の固有の生命思想です。これが高句麗の象徴‘三足烏’に繋がるのですね.」

彼は檀君朝鮮を高句麗が受け継いでいるということは一応文献史的に明らかだと言った。‘三国遺事’や‘帝王韻記’などの四書に明記されているというのだ。「私が何回も論文を通じて強調したように、檀君神話と高句麗建国神話の構造はまったく同じであることも高句麗が檀君朝鮮を受け継いだという明白な証拠です。空族属と地族属のシナージズムを通じて第3の勢力が誕生するというところです。

檀君神話の風伯、雨師、雲師が朱蒙神話のオイ、マリ、ヒョッポではないですか。こういうところから見れば、高句麗を自国の領土に編入させようとする中国の東北工程は虚しく、でたらめなことなのに、これを中国側が無理やり推し進めることは、今後の東アジア秩序再編の時の優位を占めようとする戦略です。したがって東北工程は歴史問題ではなく政治問題、すなわち歴史戦争です。」

(中略)

ユン教授は「中国や日本の将来を思う時、韓国がなければ両国が直ちに対立して東アジアに破滅をモたらすかもしれない」「中国、日本のためにも韓国といっしょに鼎立することが望ましい」と言った。「3の論理が共存を意味するということはもう檀君神話で現われます。高句麗の三足烏も足が三つじゃないですか。我が民族の生人思想は東アジアの未来、地球の将来のためにとても有効な概念ですね。」

(以下略)
文化日報

Re: れRe: れ: 世宗大王はハングルを創製〜

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/10/03 01:02 投稿番号: [3226 / 6952]
世宗はハングルの普及による発音の統一と、単語ごとに使う漢字の統一を目指していました。
しかしハングルは普及せず、地方地方で固まってしまった方言も強制できず失敗。
後に日本が復活させるまでハングルは歴史の闇に消えました。

↓ご存知かと思いますが、ご参考までに・・・

ハングル創制の目的は「中国漢字音のコピー」にあった
http://toron.pepper.jp/jp/syndrome/jpnhan/kunmin.html

朝鮮王朝・第四代目の王、世宗大王がハングルを創制した理由は、
その制字の原理、用例を明らかにした『訓民正音』に端的に表れている。

國之語音異乎中国   與文字不相流通   故愚民有所欲言   而終不得伸其情者多矣。
予為憫然新制二十八字   欲使人人易習便於日用耳。

(我が国の語音が中国と異なり、寛治とは互いに通じないので、
一般民衆(愚民)が言おうとするところがあっても、その意志を表すことの出来ない者が多い。
そこで予が之を哀れんで新しく28文字を作ったが、
これは人々が習い易く日常に使うのに便利なようにしたものだ。)

朝鮮語の正書法
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E8%AA%9E%E3%81%AE%E6%AD%A3%E6%9B%B8%E6%B3%95

植民地時代
ハングルの表記法を近代的な意味での正書法として明文化したものは、植民地時代の朝鮮総督府による「普通学校用諺文綴字法」(1912年)が最初である。これは朝鮮総督府編『朝鮮語辞典』(1920年)の編纂を経て1921年に「普通学校用諺文綴字法大要」として修正された。しかし、朝鮮総督府によるこれらの正書法は、新たな正書法というよりは、従来行われていた慣習的な表記法を整理し明文化したものである。その後、教育界などから指摘された問題点を改訂し、また周時経が提唱していた形態主義を一部取り入れる形で1930年に「諺文綴字法」が発表された。

れRe: れ: 世宗大王はハングルを創製〜

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2006/10/03 00:42 投稿番号: [3225 / 6952]
>トンデモ歴史常連の古代文字とかいうやつです。
な〜るほど、それで教わらなかったんだ。

「檀君」は、完全に「神話」として聞きましたが、そのあとの「箕子」に
ついては「ただの伝説」として本で知りました(でも東亜日報だっけ?
記者のソヌさんって、「箕子伝説」と結びついた家系の姓なんだが)。
「神話/伝説」と「事実」、ついでに「妄想」も、まさに糞味噌一緒にする
のね、超賎って(だから韓国人は「鹿図文」も「箕子」も教えなかった)。

Re: れ: 世宗大王はハングルを創製しなかっ

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/10/03 00:20 投稿番号: [3224 / 6952]
>ところで「吏読」、「鹿図文」の説明がないのが気にかかりますが…。
「吏読」ってのは、たしか「漢字の崩し文字(かな/カナの兄弟か?)」だったかと記憶してますが、「鹿図文」って何や?

吏読(イド)は、万葉仮名のように漢字の音を利用して、漢文の白文の脇に書き添えるものです。

鹿図文(ノクトムン)は、加臨土(カリンドゥ)文字と同じく、檀君朝鮮やら誇大朝鮮帝国やら、ああいったトンデモ歴史常連の古代文字とかいうやつです。古代ハングルが存在したとかいう説には必ずといっていいほど顔を出してきます。

れ: 世宗大王はハングルを創製しなかった?

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2006/10/03 00:10 投稿番号: [3223 / 6952]
へ〜え、面白い解釈だすなぁ。

ウリは「学者でもあった世宗大王を中心に、他十名くらいの学者を集めて作った」
と聞きましたが、まぁ「中心」てのは「お供え」みたいなもんで、実質のリーダーは、
他の学者の中のひとり、だとは思っていましたがね(普通そう思うわな)。

ところで「吏読」、「鹿図文」の説明がないのが気にかかりますが…。
「吏読」ってのは、たしか「漢字の崩し文字(かな/カナの兄弟か?)」だった
かと記憶してますが、「鹿図文」って何や?

世宗大王はハングルを創製しなかった?

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/10/02 19:27 投稿番号: [3222 / 6952]
>世宗(セジョン)大王はハングルを創製しなかった』と言う内容を書いた、北朝鮮の作家、パク・ジュンヨンの歴史小説『小説・訓民正音』が出版された。

歴史小説にムキにならなくてもいいのでは?

>「朝鮮王朝実録や1940年に発見された訓民正音解例本の原本などの記録を見ると、世宗大王がハングルを創製したことは異論の余地はない」とし、「世宗大王創製説は南北の両方で既に正論になっている」と説明した。

毎度の事ですが、説明になっていません。
日本語に変えようと強制した(とあちらが言ってる)日本統治中に見つかった物が何故現代まで残ってるんでしょうね。

それに、朝鮮語の辞書を作ったのは、憎っくき日帝なんだよね?
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/02/27/20040227000088.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【北朝鮮の歴史小説〜パク・ジュンヨンの『訓民正音』】

『世宗(セジョン)大王はハングルを創製しなかった』と言う内容を書いた、北朝鮮の作家、パク・ジュンヨンの歴史小説『小説・訓民正音』が出版された。

ハングルは世宗大王が眼病まで患いながら苦心したあげくに創製されただけではなく、研究・頒布も主導的に推進したというのが私達が知っているハングル創製過程の定説である。

特にかなり大勢の集賢殿の学者達は、むしろ訓民正音の創製に反対したり非協力的だった事が知られている。

だが小説では、「ハングル創製の功労者は、成三問(ソン・サンムン)を含めた集賢殿の学者達」という全く違った視点で訓民正音の創製過程を興味津々にに追跡する。

世宗は、「新しい文字を作らなくてはいけない」と言う確固たる信念と大きな方向だけを提示しただけで、崔萬理(チェ・マンリ)の吏読(イド)の研究を自由にする程、多くの可能性を解放していたと言うのが作家の主張である。

一方、成三問は持続的な研究を通じてハングル原理を捜し出し、文字類型を確立する一方、妻と下人に使わせてハングル実用化の可能性まで実験した。したがってハングルは成三問を含めた集賢殿の学者達が創製したという。

訓民正音の起源に対しても、作家は型破りな意見を提示した。

作家によれば『人体の発音機関を象って作った(発音器管象形説)』と、知られている訓民正音は古朝鮮首都だった平壌に残された『シンジ文字(鹿図文)』が重要な誕生の背景となる。小説で成三問がハングルの原理を悟るのも『シンジ文字』を通じてである。

ハングル創製を集賢殿の学者達が主導し、訓民正音が関西地方(グァンソ地方/朝鮮半島の北西部)が起源という主張は受け入れにくいが、少なくとも北朝鮮内でもハングル創製の過程に対して様々なな意見が共存している事が伺える。

漢字を基礎としたシンジ文字使用を主張する崔満理と、古代から伝えられたハングル文字を基礎に新しい文字創製を主張する成三問の整然とした論理対決も興味津々である。

この本の主張に関連し、ハングル学会のソン・ギジ研究員は、「朝鮮王朝実録や1940年に発見された訓民正音解例本の原本などの記録を見ると、世宗大王がハングルを創製したことは異論の余地はない」とし、「世宗大王創製説は南北の両方で既に正論になっている」と説明した。

韓国日報

「白村江の戦い」は知らないニダ

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/09/30 01:29 投稿番号: [3221 / 6952]
記事はツッコミ不足です。甘いです。
韓国の歴史学者に会って、対決しないといけません。(笑)
白村江の戦いに至る日本から百済への流れを意図的に欠落させているので、白村江も記述できないのでしょう。
全部書いちゃうと、韓国が考えている妄想史から、日本と百済の関係が逆転しちゃうかも。

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ソウル発人&風
第53回   「白村江の戦い」はなかった?!
下川正晴
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/column/seoul/news/20060926org00m030069000c.html

>2年ほど前、東京にいたころだ。駐日韓国大使館の幹部と話をしていて、彼が「白村江の戦い」(663年)を知らないのに気付き、驚いたことがある。
>この幹部は、40歳代後半。
>外交官として長いキャリアがある人物が「そんなことがあったのですか」と首をかしげるのを見て、仰天するしかなかった。

>韓国で「白村江の戦い」はどう教えられているか。

>ソウルの大型書店の歴史書コーナーにならんでいる単行本「歴史を歪曲する韓国人」(バンディ出版社、2006年5月20日初版刊行)
>この本の副題は「オントリ教科書を批判する」。オントリというのは「でたらめ」「いんちき」「うそ」と言った意味の韓国語だ。著者のキム・ビョンフン氏は、1959年生まれの元新聞記者であるという。
>「(高校)教科書の<百済と高句麗の滅亡>(54ページ)には、『この時、倭の水軍が百済復興軍を支援するために、百江入り口まで来たが、敗れて追い出された」とだけ書いてある。『韓国史新論』には出て来もしない。(中略)。おかげで韓国人たちの大部分は、百済復興のために日本の大軍が海を越えてきたという事実すら知らない」

>どうしてなのか?
>大学教授(薬学専攻)は、「日本は常に侵略者という韓国側の固定概念からすると、説明しにくい事実だからじゃないんですかね」と語った。まあ、そういうことだろうか。

>「百済の復興運動は、指導層が分裂して失敗し、これを助けようとした日本勢力も白江で撃退された」(国定韓国中学校歴史教科書・1996年初版発行、明石書店日本語版76ページ)
>「三国のなかで、倭と最も緊密な関係を維持したのは百済であった。(中略)百済は(中略)倭軍を韓半島に引き入れ、三国の抗争に利用しようとした」(国定韓国高校歴史教科書1995年発行、明石書店日本語版53ページ)。白村江の戦いについての具体的記述は見当たらない。

北東アジア歴史財団発足

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/09/29 20:20 投稿番号: [3220 / 6952]
正しい歴史認識っていうより自分に都合のいい歴史認識だろ?

韓国って近代から歴史習うから、どんどん過去がおかしくなるんだろ?
ウリ達は偉大だって信じてるから、そんな歴史はないってどんどん歴史修正していく。
で結局、昔朝鮮は大帝国で、日本も中国も支配していたととんでもない事になっている。

>北東アジア歴史財団

しかし、韓国は同じ様な団体をいくつ作るつもりなんだろ?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
北東アジア歴史財団発足、正しい歴史認識の確立へ

【ソウル28日聯合】北東アジア歴史財団が28日、ソウル市内に事務所を開き、正式に発足した。歴史問題を総合的に研究分析し、歴史への正しい理解を国民に広め、内外の市民社会や学会との協力事業などを推進することが目的。財団には周辺国との歴史問題を研究する3つの研究室と運営企画、戦略企画、交流広報室などが置かれる。  
  中国の韓国古代史に対する解釈、日本による独島の領有権の主張、歴史教科書問題などに対し、調査と研究はもちろん対応戦略を立て、政府の政策決定機関と連携しながら正しい歴史確立に向けた統合調整機関の機能を果たしていく。

  この日の事務所オープンには、金信一(キム・シンイル)教育副首相(教育人的資源部長官を兼任)や国会教育委員会の権哲賢(クォン・チョルヒョン)委員長、李泰鎮(イ・テジン)ソウル大学教授、市民団体の代表者など約100人が集まった。金副首相は、「財団は国民に正しい歴史認識を確立させ、北東アジアの平和と繁栄にに寄与するシンクタンクとしての役割を果たしてほしい」とあいさつした。

  北東アジア歴史財団は、中国が「東北工程」と呼ぶ中国東北地方の地域研究プロジェクトに対応するために2004年3月に発足した高句麗研究財団に代わる機関として設立された。

三国は新羅・百済・伽耶

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/09/27 19:10 投稿番号: [3219 / 6952]
もう、これでいいじゃん。

「三韓とは、馬韓・弁韓・辰韓の3つのことで、日本の大和朝廷時代に朝鮮半島にあった都市国家群のことです。この3つがそれぞれ統合され、百済・任那・新羅が生まれました。これを三国といいます。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「三国は新羅・百済・伽耶」高句麗除かせた中国ポータル

「三国とは百済(ペクジェ、B.C.18〜A.D.660)、新羅(シルラ、356〜935)伽耶(ガヤ、紀元前後〜562)のこと?」

中国の検索最大手・百度(www.baidu.com)が高句麗(コグリョ、B.C.37〜A.D.668)の歴史だけでなく三国時代の歴史までわい曲していることが分かった。インターネットの媒体・クッキーニュースが25日報じた。

同ニュースは、国会図書館・中国資料館のソ・ジュンソプ博士のコメントとして、こうした内容を伝えた。ソ博士によると、百度が今年4月から開始した百科事典サービスで、こうした内容が検索された。同博士は「同サイトで『韓国人』を検索すると『欧州が依然として暗黒の時期にあった時代、韓国はすでに敵対的な3王国を形成していた」という説明と共に、三国について「西南部の百済と東南部の新羅、南部の伽耶の3国に案内する」とした。

「新羅」の具体的な説明は省かれている。これは、新羅を説明すれば「新羅と唐の連合」を通じた高句麗征服の過程と結果、百済との戦争など、正史がそのまま表れるため避けたもの、というのがソ博士の分析。これに関連、ポータルサイトの特性上、情報が急速に拡散するだけに対策作りが急がれるとの見方が出ている。半面、米オンライン上の百科事典・ウィキペディアの中国語版は、高句麗について正反対の説明をしている。

同サイトは「高句麗は古代中国の東北部と韓半島北部に位置した民族国家」とし「人民は主に中国東北部と韓半島に住んだ扶余・靺鞨・古朝鮮の遊民」と紹介。また「中国社会科学院は中国東北部の少数民族の歴史研究プロジェクト『東北工程』を02年より開始、04年に北京政府が高句麗は自国の地方政権であるとの認識を打ち出したところ、韓国から激しい反発を受け外交問題化した」と説明。ウィキペディア・中国語版はサイトへの検閲に反対したとして、中国当局が中国内でのアクセスを遮断した状態。

中央日報

Re: 秀吉の朝鮮出兵を考える 

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/09/25 19:24 投稿番号: [3218 / 6952]
>前から疑問に思っていましたが、15万余の秀吉軍が5万も6万も捕虜を連れ帰るなんて可能だったんでしょうか?

負けて撤収してるのに、ありえませんね。(笑)
しかもこの人、豊臣軍の侵攻に対抗した義兵の子孫(笑)だそうです。
そんな英雄がなんで日本にくすぶってるのでしょうか。
そもそも、あの国に、400年前まで溯れるきちんとした家計図なんてあるのでしょうか。

きりが無いので、日本以外で秀吉の悪行を世界に知らしめてもらいましょう。
国連総会で演説くらいはやってもらわないといけませんね。
そして緊急に秀吉非難決議を採択するように働きかけるべきです。(笑)

Re: 秀吉の朝鮮出兵を考える 

投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2006/09/25 11:59 投稿番号: [3217 / 6952]
>朝鮮半島から5−6万人が日本に連行、人身売買され、多くの民間人が含まれていたことから、「捕虜」ではなく「被虜人」と呼ぶべきだとした。

大半が「自ら進んで」協力した人々なのになぁ・・・
でもって、大半が徳川家康が「送還」しているのになぁ・・・
*帰らなかった人々は、「自らの意思で」日本に残った人々。

相も変わらず、けったいな事言ってるわ・・・

Re: 秀吉の朝鮮出兵を考える 

投稿者: monju_jz 投稿日時: 2006/09/25 10:50 投稿番号: [3216 / 6952]
前から疑問に思っていましたが、15万余の秀吉軍が5万も6万も捕虜を連れ帰るなんて可能だったんでしょうか?

戦では撤退戦が一番難しいといいますし、そのさなか3人が1人を捕虜として連れ歩くなんて、自分の常識では考えられません。盾として使ったとしても人数が多すぎてかえって足手まといだったと思うのですが。まして全員舟に乗せる必要も無かったと思います。
彼らは秀吉軍と一緒に逃げてきた、と考えるのが一番つじつまが合っていると思いますがどうでしょう?

連れ帰った人数が5−6万人で間違いなかったとすれば、それは

>「捕虜」ではなく「被虜人」と呼ぶべきだとした

ここまでいうのなら、そのどちらでもなく「亡命者」と呼ぶのが正しいのではないかと思っています。

秀吉の朝鮮出兵を考える 

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/09/25 02:27 投稿番号: [3215 / 6952]
ここまで救いようがないと笑えるな。
400年前のことをネチネチといいつづける朝鮮人は本当にきもいな。
実際のところ、秀吉は明を征服して天竺を目指すといってた。
朝鮮なんぞ、眼中にないんだよね。

明への道案内を拒否した朝鮮に対し、英雄豊臣秀吉公は朝鮮征伐の為に出兵、行く先々で朝鮮民衆は日本側に寝返り、土地の有力な両班や地方長官をなぶり殺しにし、朝鮮の王子二人を捕らえて日本軍に引き渡した。
しかし、その朝鮮の王子を捕らえた「加藤清正」は二人の王子を厚く待遇し、二人の王子に   激しい憎悪を向ける、朝鮮人民衆からこれらの王子を保護し、無事   朝鮮王へ送り届けた。

↓これは、そのときの二人の王子から「加藤清正」に送られた感謝の手紙です。

「壬辰元年、七月二十四日に捕らられてから礼遇され、厚い保護を受け、衣服糧食を与えられ、至れり尽せりの待遇を受けた。このたび関白殿下に上申して釜石から京城に送り還された。その慈悲は仏のごとくである。もし一行の者がこの恩を忘れ、後日、日本及び清正公に対し、僅かでも背く者ようなことがあったら、人情を弁えぬ者であって、天智の神々もこれを知っているであろう」

紀州徳川家蔵

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
秀吉の朝鮮出兵を考える   京でシンポ

  豊臣秀吉の朝鮮出兵を考えるシンポジウム「欧州文化の鉄炮を携えて玄界灘を渡った豊臣軍団−壬辰倭乱について」が23日、京都市下京区のひと・まち交流館京都で開かれた。日韓の専門家12人が、朝鮮半島から日本に連行された人々の生きざまなどを語った。
  豊臣軍の侵攻に対抗した義兵の子孫でつくる「壬辰倭乱義兵功臣会」(伏見区)が主催し、市民や研究者ら約80人が参加した。
  「兵庫津・朝鮮通信使を知る会」代表幹事で在日コリアン2世の尹達世(ユンダルセ)さん(61)=神戸市=は「朝鮮『出兵』という呼称では戦争だとわからない。また、韓国側の呼称『壬辰倭乱』の『倭』は日本に対する差別語ではないか」と指摘。朝鮮半島から5−6万人が日本に連行、人身売買され、多くの民間人が含まれていたことから、「捕虜」ではなく「被虜人」と呼ぶべきだとした。
  このほか、「被虜人」が日本に伝えた儒教文化などについて専門家が報告した。

京都新聞

Re: 『日本書紀』の疑問

投稿者: satoumtr314 投稿日時: 2006/09/24 23:03 投稿番号: [3214 / 6952]
そうですね。ずれたようですね。

ただ、新羅人、唐人、日本に来た中国人、どんな人だったのかと。
例えば、夏人が最初に新羅朝鮮や日本に来ていたとしたら、その後、唐人が来ていたとしたら、どうなりますかね。

古代の年月は何百年の年月ですよね。

Re: 『日本書紀』の疑問

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/09/24 22:49 投稿番号: [3213 / 6952]
いやいや、失礼ながら、それは論点がずれています。
東亜さんは、「当時日本に中国人が来ていなかった」とは、ひとことも仰っていません。

中国人が日本に来ていたのは、それこそ『日本書紀』を読んでもよく分かる事で、ここでの話題は、「『日本書紀』が唐人と新羅人の合作だった」とかいう部分です。

日本に中国人がいた・いない、ではありません。

日本における中国系帰化豪族の氏族については『新撰姓氏録』に記されていますし、特に応神朝以降、それは顕著です。

Re: 『日本書紀』の疑問

投稿者: junbanhoo 投稿日時: 2006/09/24 22:14 投稿番号: [3212 / 6952]
横スレ。
>中国人が朝鮮にだけ来て、何百年も日本に来なかった、ということは、考えられないのですが。

中央アジアから遊牧民は朝鮮半島を渡って日本に来ている。
倭人は東シナ海、黄海、渤海、九州沿岸部を縄張りとし稲作を伝えた。
1万年前中国南部に大陸(ムー大陸?)が在ったが温暖化によって水没した。国立博物館HPより

『日本書紀』の疑問

投稿者: satoumtr314 投稿日時: 2006/09/24 21:59 投稿番号: [3211 / 6952]
横スレ。

日本書紀を作られた理由は、白村江の戦いで任那日本府?が無くなったことで、日本書紀を作成されたと記憶していたのですが、
だとすれば、誰が書いたか何かは、どうでも良いことでは、ないかと。

それに朝鮮は中国の植民地でしたから、朝鮮の各地には多数の中国人が来ていたでしょうから、当然、日本にも中国人が来ていたのではないかと、思います。
特に根拠は無いのですが、ヨーロッパ人が、喜望峰に到達し、ボンベイに到達し、中国に到達した各年月を考えると、中国人が朝鮮にだけ来て、何百年も日本に来なかった、ということは、考えられないのですが。

感想です。

「明成皇后の揮ごう」

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/09/24 21:01 投稿番号: [3210 / 6952]
あれ?ハングルでないの?(笑)
朝鮮人にとっちゃ、下手か上手いかもわからないんだろうなぁ。
この字を見る限り、教養を身につけさせるって概念がなかったんだな・・・。
まあ捏造って可能性もあるけど。
こんな奴ホントに有り難がってる朝鮮人っているのかな?

とりあえず芸術性はまったく感じられません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「明成皇后の揮ごう」、初めてオークションに登場

明成皇后(1851−1895)の揮ごうが初めてオークションに出品される。「素朴な書体、王室でのみ使用された紙と落款から見て、間違いなく明成皇后の書だ」というのが鑑定家らの評価だ。

  Kオークションが14日にオークションに出品するこの書は、縦25センチ横188センチの大きさの紙に書かれた「一片氷心在玉壷(写真)」。唐の詩人・王昌齢(698〜756)の詩から取ったもので、「友がわたしの便りを尋ねたら、一片の固い心は玉壷の中に入っていると伝えておくれ」という一節の後ろの部分だ。これは列強の脅威の中で堂々たる国母の心情を表したものと見られる。なお、明成皇后が殺害された場所でもある明成皇后の寝殿の名前も玉壷楼だ。

  書芸鑑定家のキム・ヨンボク氏(文友書林代表)は「明成皇后の最も有名な書である“一片丹忠”(梨花女子大博物館所蔵)と書体が同一であり、整ってはいないが力を込めておおらかに書かれた筆致から見て、明成皇后の揮ごうであることは疑う余地がない。おそらく1890年代に書かれたものだろう」と語った。

  明成皇后の書は時折展示には出品されるが、作品数が多くはないため珍しく、オークションには一度も出品されたことがなかった。Kオークション側は「明成皇后の実家の子孫らがある画廊に売ったものが、他の画廊を経て出品された」と明らかにした。落札価格は2500万ウォン(約307万円)から3500万ウォン(約430万円)程度になるものと見られている。

李圭鉉(イ・ギュヒョン)記者

朝鮮日報
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/13/20060913000022.html

『日本書紀』朝鮮関係年表、仲哀〜雄略⑤

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/09/22 13:27 投稿番号: [3209 / 6952]
○仁徳天皇11年癸未   323
是歳、新羅人、朝貢。茨田堤造営の労役に従事させる。

○仁徳天皇12年甲申   324
7月、高麗国、鉄盾・鉄的を貢る。
8月、高麗客を饗す。群臣に高麗の献上した鉄の盾と的を射させる。

○仁徳天皇17年己丑   329
9月、新羅が朝貢してこないため、使者を新羅に遣わして事由を問わせる。新羅人、懼れて、調絹及び種々の雑物あわせて80艘分を貢上する。

○仁徳天皇41年癸丑   353
3月、紀角宿禰を百済に遣わし、はじめて国郡の境界を分け、土産の品々を記録させる。この時、百済王族酒君が無礼。よって紀角宿禰が百済王を責める。百済王、酒君を縛り、襲津彦に付して日本に送る。天皇、その罪を赦す。

○仁徳天皇53年乙丑   365
5月、新羅の朝貢がないため、使者を遣わして事由を問わせる。新羅、軍を出して使者を拒む。戦闘のすえ、数百人を殺し、4邑の人民を捕虜として帰国。

○仁徳天皇58年庚午   370
10月、呉国・高麗国、並に朝貢。

○允恭天皇3年甲寅   414
正月、新羅に遣使して良医を求める。新羅の医師が来日し、天皇の病気を治す。医師に褒賞を与えて帰国させる。

○允恭天皇2年戊戌   458
7月、百済の池津媛を密通の疑いで殺す。「百済新選」に云わく、「己巳の年(429)に、蓋鹵王(△有王か)即位。天皇、遣使して女郎を求める。百済、慕尼婦人の娘を着飾らし、適稽女郎と称して、天皇に貢上した。」と。

Re: 『日本書紀』>横から>素朴な疑問

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/09/16 22:02 投稿番号: [3208 / 6952]
>何故なら、彼等は「述作者」と言うより「述筆者」でしょうから・・・
つまるところ、honky氏が仰るところの「施工者」、或いは「施工業者」であって。
「日本書紀」の原草稿、原案、元資料を作成・収集・検討し、纏め上げた「原作者」
つまり「施主」ではないのでしょうから・・・

>「施主」=朝廷
「設計・施工監理」=担当官(一品舎人親王及び編集チーム)
「施工業者」=(唐人)+(山田史御方or新羅系渡来人or百済系渡来人?)

私は昨日くだんの著作を読み終えたところなのですが、まさにおっしゃるとおりで、設計図はともかく、施工業者の作業流儀や手順が「唐・新羅」仕込みというだけの話じゃないかと思いました。

森氏も、あくまでも表記論の立場から施工技術について分析し、「述作者」つまり、現場の担当業者について述べているだけであり、「ハンギョレ説」のいうような「新羅人と唐人の合作」という見解はしていなかったと思います。

Re: 『日本書紀』>横から>素朴な疑問

投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2006/09/16 21:37 投稿番号: [3207 / 6952]
>「ハンギョレ説」

ってのは、「日本書紀」が

>「新羅人と唐人の合作」

と、言う事なのでしょうか・・・

ワタクシ、別に唐人であろうが、新羅人であろうが、百済人であろうが、新羅留学歴の有る僧侶であろうが、何等問題は無いと思うのですが・・・

何故なら、彼等は「述作者」と言うより「述筆者」でしょうから・・・
つまるところ、honky氏が仰るところの「施工者」、或いは「施工業者」であって。
「日本書紀」の原草稿、原案、元資料を作成・収集・検討し、纏め上げた「原作者」
つまり「施主」ではないのでしょうから・・・

「施主」=朝廷
「設計・施工監理」=担当官(一品舎人親王及び編集チーム)
「施工業者」=(唐人)+(山田史御方or新羅系渡来人or百済系渡来人?)

この場合、

>「新羅人と唐人の合作」

とは言いませんよね・・・

Re: 『日本書紀』>横から

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/09/16 19:58 投稿番号: [3206 / 6952]
もうひとつ議論がかみ合ってない気がするのですが。

くだんの書における森氏の推論では、主にα群は唐人二人の執筆、β群は僧時代に新羅に留学していた山田史御方の執筆ということでしたね。

>また御方はβ群の執筆者であったとしても、
書紀編纂の方針や原史料の取捨選択には、
参議クラスの政治的判断を仰ぐ必要があります。

というのは、ホンキーさんのおっしゃる施主と施工者の関係と同じく、施工者の立場に関係なく施主の意思があることと同じことを指している様に思えます。
出自がどうあろうが、留学先はどうあろうが、施主の意向・設計思想こそが大事ということでしょうね。
そういや、α群の作者とされる唐人の一人は唐&新羅VS百済の戦いで捕虜となって日本に献上(?)された人間だったそうですね。で、ほぼ完璧な漢文であるα群において、若干見られる「倭臭」や「妻を妹と称す。古俗なるか?」なんて日本の習俗に無知な書き込みがあるのは、施主から提供された原資料をそのまま使ったせいでそういうツッコミをしてしまったんじゃないか、とありましたね。

>>『日本書紀』は、アンチ新羅です。
>>『百済新撰』『百済記』『百済本紀』に三篇を引用しています。

>というのは、御方の父祖が新羅からの渡来人であるという可能性を排除する「論拠」にはなりません

このあたりは、ここでの論点にはならないのではないでしょうか。「新羅人と唐人の合作」説というのは、あなたの紹介された「ハンギョレ説」のようですし、森氏の推論とは無関係だと思うのですが。

あくまでも森氏は、表記論的なアプローチによって、日本書記という鬱蒼たる文章の森の中で博学審問し、唐人二人と山田史がその「述作者」であるという結論に達しただけではないかと。

そうそう、あなたが3202でおっしゃった、

>話題になっている森博達は、日本書紀の内容ではなく、音韻・語彙・文法・文体の分析によって結論を導きました。クソ文献実証と言われる所以です。

「クソ文献実証」と称されているのは本当なんでしょうか?
私は国文学出身ですが、音韻・語彙・文法・文体の分析による研究というのは、第二次大戦後の「万葉集」研究などで取り入れられて、急速に発達したきわめて有効な手法だと思うのですが。そこまで酷評されているんですか?

北京は高句麗領土

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/09/14 19:06 投稿番号: [3205 / 6952]
>( 香港= 連合ニュース) ジョン・ジュホ 特派員 = 北朝鮮が 自体 製作した ドキュメンタリーを 通じて 高句麗が ひととき 現在の 中国 北京( 北京) 一帯まで 進出した 強大な 自主 独立国だったと 主張した 事実が 確認された.

>おこる 北朝鮮が 騎馬民族 征服王朝説を 主張した 日本の 著名な 歴史学者 江上 ナミオ( 江上波夫) 東京大学 名誉教授を 招請, 江上 教授の 原作で 去る 95 年 製作した ドキュメンタリー ` 騎馬民族国家' 3 部作 シリーズで 現われた.

江上波夫かぁ。ものと人は使いようなんですねぇ。

>連合ニュースが 14 仕事 手に入れた これ ドキュメンタリーで 北朝鮮は 広開土王碑, 古墳の壁画, 酸性, 歴史伝説, 各種 遺跡. 文化財 などを 紹介して 高句麗が 韓民族の 独自的 国家なのを 強調した.

>北朝鮮 文化性 所属の 朝鮮科学教育映画撮影所が 製作した これ ドキュメンタリーは ` 金日成勲章' まで 授与されて 高句麗社に 大韓 北朝鮮の 公式的な 立場(入場) 表明で 劣らなくて, 日本 著名 学者の 口を 借りて 客観性を 高めたという 点でも 目に たたえる.

>江上 教授は "2 次大戦後 出した 騎馬民族説は 史料 不足で 高句麗 部分を 簡単に 言及したが 半世紀が 流れて 北朝鮮の 招請で 北朝鮮 学者たちと 意見を 分けて 高句麗 文化 遺跡地を 振り返る きっかけが 生じた" であり " 高句麗こそ 東方歴史で 主役を 担当した 強大な 騎馬民族国家だったという 事実に もっと 確信を 持つように いい" 故 言った.

はぁ、そうですか、としか言いようがないのですが。(苦笑)
騎馬民族説の問題は、資史料の不足とかいうところではなく、フィールドワークに出る前から結論を持ち、その思い込みに適合するものしか見ようとしなかった姿勢にあるんですがね。
しかし、金日成勲章なんてもらっていたんですか。

>ドキュメンタリーは 高句麗が 漢族 王朝とは 完全に 櫃を 異にした 騎馬民族国で 周辺国との 無力闘いを 通じて 昔の 古朝鮮の 領土を 確保した 後 北京 近所まで 進出したという 歴史的 根拠を 各種 映像を 添えて 説明して ある.

>ドキュメンタリーは 平壌市 ドックフングリに 位した 幼主自社( 幽州刺史) チン( 鎭) 義 古墳の壁画を 紹介して 高句麗が 370 年 電研の 残余勢力を 退けること のために 万里長城 西の方 地域である 幼主( 幽州) 路 進出した 事実が 現われると 主張した.

>説明に よれば 信徒県( 信都. 今の 平北 ウングゾン) 出身の 高句麗 代わり チンは 万里長城 東西に かけた 幼主の 13 軍 75 現の 広い 地を 治めて 13 軍 太守の 政務報告を 受けたり した.

>江上 教授は " 私が 分かるには 幼主の 住所ジャジーである 半季は 今の 中国 北京 近所" と 言った.

95年の制作放送だそうです。
しかしこういうことを言い出せば、漢四郡をもって朝鮮半島北部を中国領土というのもできるわけで・・・

http://j2k.naver.com/j2k_frame.php/japanese/news.naver.com/news/read.php?mode=LSS2D&office_id=130&article_id=0000011102&section_id=104&section_id2=231&menu_id=104

Re: 『日本書紀』

投稿者: tyongol 投稿日時: 2006/09/13 11:22 投稿番号: [3204 / 6952]
3203にレスします。

其の一
>>ゆえに、新羅人説は、ワタシは却下します。
>>答はカンタン。『日本書紀』は、アンチ新羅です
>>『百済新撰』『百済記』『百済本紀』に三篇を引用しています。

山田史御方は父祖が新羅からの渡来人であっても、
氏姓を朝廷から下賜されている以上、日本人です。
しかも大学寮の文章博士という重職にも就いていました。
当然朝廷に忠誠を尽くさねばなりません。

また御方はβ群の執筆者であったとしても、
書紀編纂の方針や原史料の取捨選択には、
参議クラスの政治的判断を仰ぐ必要があります。
したがって、

>『日本書紀』は、アンチ新羅です。
>『百済新撰』『百済記』『百済本紀』に三篇を引用しています。

というのは、御方の父祖が新羅からの渡来人であるという可能性を排除する「論拠」にはなりません。

其の二
>>これは天に唾するものではありませんか。
>「天」と呼べるほどの普遍性を、その森氏説に、あなた、感じたわけですな?

「天に唾する」という日本語の意味が分からないなら、国語辞典を引いてください。
天空を仰いで唾を吐けばどうなりますか。唾が自分にかかるでしょ。
「森氏説の普遍性」云々とは無関係です。

『広辞苑』:「人を害しようとして、かえって自分の身をそこなうことのたとえ」

其の三
>「8世紀初頭」の新羅の文献とやらを知りたくなりました。

初頭ではないが、8世紀の新羅人が著した文献はあります。
慧超の「往五天竺伝」です。ご存知ではない?
それ以前は金石文ですね。

Re: 『日本書紀』

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/09/13 10:02 投稿番号: [3203 / 6952]
時間をおいて二度投稿されましたか。
あなたの3201と、3202の両方にレスします。

>>ゆえに、新羅人説は、ワタシは却下します。
>>答はカンタン。『日本書紀』は、アンチ新羅です
>>『百済新撰』『百済記』『百済本紀』に三篇を引用しています。

>「ゆえに」とありますが、これでは根拠になりません。

根拠にならんじゃなくて、いみじくも森氏の説をとり上げているあなたが、森氏に代わってきちん上述のワタシの述べた事を覆さなくっちゃ。

>>『日本書紀』『古事記』、朝鮮の『三国史記』『三国遺事』、そして中国歴代の公式史書を手元に置いていないと、憶測と類推ばかりで、話にはなりませんな。

>これらの文献はすべて持っています。
>「憶測と類推ばかり」というお言葉ですが、
>これは天に唾するものではありませんか。

その部分はワタシがあなたの事を指した文ではありませんが、それはさておき、「天」と呼べるほどの普遍性を、その森氏説に、あなた、感じたわけですな?

>話題になっている森博達は、日本書紀の内容ではなく、音韻・語彙・文法・文体の分析によって結論を導きました。クソ文献実証と言われる所以です。

なるほど。文体の解析に内容の話を持ってきたら、ワタシがお門違いになっちゃうかな?
まあ、いみじくもあなたが言われるとおり、森氏説の手法は「クソ」って事なんでしょうな。

ワタシも森氏説を調べて、唐朝は良いとして、『日本書紀』が書かれた時代の、「8世紀初頭」の新羅の文献とやらを知りたくなりました。サンプルとすべきn数(エヌすう)もそれなりにあったのでしょうし。

>私も森に倣って、あなたの文章を分析しましょうか。

>>中国歴代の公式史書

>あなたの教養がこの言葉から窺えます。
>これは普通は「正史」と言いますね。

なーるほど、「正史」の呼称は知っていますが、それはまあ置いといて、つまり森氏は、公文書上「自動車」と呼ぶものを俗語で「クルマ」と呼ぶと、重箱の隅をつついてケチを付けるタイプなんですか。なるほど、やはりあなたが言うとおり、「クソ」ですなぁ。その喩え、よく分かりました。
ワタシも、例えばニュースの通訳者が「海軍兵学校」と訳すべきところを「海軍士官学校」なんて訳をしたらコケますが、でも意味が通じるから許すけどなあ。(爆)

それよりも、2ちゃんねるだとか、或いはどっち派が優勢だとかそんなギャラリー的な視線はドーデモいいので、ここから、あなた「自身」がどの説に拠って立ち、どのようにその説を擁護・補足または否定するかを開陳なさっては、如何?
大事なのは、あなたの「立脚点」なのですよ。
あなたの投稿を数本読みましたが、「立場」が見えません。

Re: 『日本書紀』

投稿者: tyongol 投稿日時: 2006/09/13 02:42 投稿番号: [3202 / 6952]
>そして中国歴代の公式史書を手元に置いていないと、憶測と類推ばかりで、話にはなりませんな。

話題になっている森博達は、日本書紀の内容ではなく、音韻・語彙・文法・文体の分析によって結論を導きました。クソ文献実証と言われる所以です。

私も森に倣って、あなたの文章を分析しましょうか。

>中国歴代の公式史書

あなたの教養がこの言葉から窺えます。
これは普通は「正史」と言いますね。

あなたは二十四史を備えておらず、
また東洋史の基礎的知識も欠けています。

Re: 『日本書紀』

投稿者: tyongol 投稿日時: 2006/09/13 02:22 投稿番号: [3201 / 6952]
>ゆえに、新羅人説は、ワタシは却下します。
>答はカンタン。『日本書紀』は、アンチ新羅です
>『百済新撰』『百済記』『百済本紀』に三篇を引用しています。

「ゆえに」とありますが、これでは根拠になりません。

>『日本書紀』『古事記』、朝鮮の『三国史記』『三国遺事』、そして中国歴代の公式史書を手元に置いていないと、憶測と類推ばかりで、話にはなりませんな。

これらの文献はすべて持っています。
「憶測と類推ばかり」というお言葉ですが、
これは天に唾するものではありませんか。
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