日韓歴史論争
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保守派の馬鹿な政治化・知識人のことだね
投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/07 02:40 投稿番号: [2860 / 6952]
学習すればするほどいかに日本がひどい統治したか分ってくるのだよ。
開国後60年弱の間こんなひどい目にあっているだから
当然反日感情もそう簡単にはなくならないだろう。
教育で反日感情をおしえているからだと
日本保守派の政治化・知識人は何の学習能力もなしに
はずかしげもなくメディアで恥じをさらしているが
又再度朝鮮・中国侵略を言い出すだろうね。
そのときのために天皇と靖国神社は必須要件だからね
なくならないのだね。
まあそのときはおじさんいきていないから良いが
又日本人民衆や朝鮮・中国人民衆が戦争でくるしむ
歴史は繰り返すということかね。
これは メッセージ 2859 (imp_mania_jk さん)への返信です.
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↓学習能力なし
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/07 02:25 投稿番号: [2859 / 6952]
恥知らず!
これは メッセージ 2858 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 朝鮮を独立させた日本が悪い
投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/07 02:20 投稿番号: [2858 / 6952]
>朝鮮人は支那の属国であることに誇りを持っていた。
属国ではありません。
朝鮮の内政・外交には清国は干渉しないと
相談されれば相談にのる
そういう関係だと日清通商条約の交渉時日本へ言っている。
それに清国が朝鮮政府の依頼により出兵したとき平定しおわったとき
に朝鮮政府の撤兵要請を了解している。
ところが日本側は朝鮮政府が要請もしないのに日清条約をたてにとって
勝手に出兵
終わっても朝鮮政府の撤兵要請を無視
日本が作った改革案を呑めと要求しのむ様子がないから今度は王宮占領して
その結果日清戦争がおこった。
>その朝鮮人を無理矢理独立させたから、朝鮮人は日本を恨むのである。
明治以後無法な日本人が米や金銀を奪取、高利貸しなど朝鮮人を苦しめた
独立は形式なものであって日本の支配下におくため独立を主張しただけじゃない。
>彼等は何も文化的な学校や病院を作って欲しくなかった。
朝鮮人のためなら言いが日本の威力をみせつけ
学校は日本人優先の学校
病院も患者は日本人の方が多い
つまり朝鮮人には何の役にたたなかった。
>奴隷制度を堅持し国民の9割が無学無知でクソの浮いた川の水で飯を炊き洗濯をして、わら小屋に動物のように住み、病気になれば人糞や犬のクソを飲むのが良かった。
そんな光景朝鮮のどこでみたというのだね。
朝鮮には書堂が全国にあり決してそんな無学・無知ではなく書堂出身者から
農民の意思を代弁する指導者層が生まれた。
>人口も平均寿命が26歳で死ぬから人口問題も起きなかった。
根拠はどこにあるのかな
又嫌観サイトからだろうな、あそこはまともに歴史解釈してないからね。
日本がいかに悪い事ばかりしたか少しもかいてないからね。
日本語の授業時間を増やして朝鮮語時間を減らし
朝鮮語ではできるだけ授業しなかったに
ハングルをひろめたとは
もうここまでくると歴史を創作しているとしかいえないね。
>何もかも日本が併合して無理矢理、朝鮮人を文明社会に引きずり出した結果である。
米の強制出荷や日本人の高利貸しで土地がなくなり日本人が優先のため
小作もできなくなり仕方なく日本や満州へ家族をつれて移住せざるようになった。
李朝時代はこんなひどいことはなかった。
併合により朝鮮民衆は監禁・牢獄のような生活をしいられたということ
だから
>すべて日本が悪い。
そのとうり、何とか良いとこ見つけようとするのだが国家の政策統治レベルではないね。
在鮮日本人もわるいのばかりだからね。
バスの中で朝鮮人に罵声でののしり無理やり座る日本人学生が多かったようだよ。
でもね。救いは少数だが朝鮮人のために努力した日本人もいたことだね。
布施
辰治など不法に取られた土地問題の裁判で朝鮮人のために自費で
弁護した。
それ以外にも少数だが無名の朝鮮や朝鮮につくした日本人がいた。
これを知ると少しは救われる
しかしこのようなひどい統治をした原因は大国の隣の小さな国というのが
江戸時代後期より日本人が蔑視しだした原因だろうね。
いまだに蔑視している日本人がいるのは心苦しいが
これは メッセージ 2852 (korea_dame さん)への返信です.
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朝鮮の属国ぶり(3)
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/07 01:57 投稿番号: [2857 / 6952]
ここで朝鮮人の民族特性をまとめ直すと、
まず、『誰よりも“過去や先祖”を誇りたがる民族』であるということ。
民族の成り立ち上、醜い過去に対するコンプレックスが強いのである。
そして『努力せずに嘘や小細工で勝ち組になれることに味をしめた民族』
であるということ。過去の歴史を書き換えることで名門になることが
できた国の人々なのである。
このような性質を持つ彼らには、朝鮮民族の歴史はあまりにも惨めすぎた。
つまり痛々しすぎて自分たちの過去を振り返るのが苦痛なのである。
それゆえ、独立した後に“民族意識を高めるための愛国教育”として、
『我が国は5000年間一度も他国に支配されたことの無い独立国である』
という“偽りの栄光の歴史”をあたかも真実のように国民に教え込むことに
したのである。
これが韓国の愛国教育の成り立ちである。
そこで韓国政府は、
まず、政府自ら作った教科書以外を教科書と認めないことにした。
そして「日本が朝鮮を独立させてやったこと」を隠蔽した。
具体的には日清講和条約(下関条約)の第一条の内容を削除したのである。
日本と中国の間で締結されたこの下関条約第一条の本当の内容は、
『日本が清国に朝鮮の独立を承認させた』というもの。
これを韓国の国民に知られると、
「半万年(5000年)独立していたという政府が作った嘘の朝鮮国史」
に反してしまうので教えられないのである。
ちなみに前述の『迎恩門』は、朝鮮が独立した時に
『独立門』という“中国からの独立を記念する門”に建て替えられていたが、
現在の反日教育ではこの門を“中国からの独立”を記念した門、ではなく
“日本からの独立”を記念した門、と意味を勝手に変えて教えている。
そもそも迎恩門は日清戦争が終わって朝鮮が独立した時に、
清(中国)への屈辱的隷属の象徴だったことを理由に開化派の
独立協会に取り壊されたもの。そして1897年(明治30年)に自主独立の
決意を込めて“わざわざ同じ場所”に建てられたのが独立門である。
米国GHQの軍政から朝鮮が独立したのは日本の敗戦から3年後、
独立門が建てられて『51年後』の1948年(昭和23年)なので、
建設の年代を見るだけで独立門と日本が全く無関係なのは明白なのである。
このように簡単に暴くことができる嘘でも韓国では疑われることなく
中学校の教師レベルまでもが信じ込んでいるほど反日教育が浸透している。
この門に関してそんな嘘を教え込んでいる理由は簡単、
『1000年間の長きに渡る清(中国)の支配からの悲願の独立が、
日清戦争に勝利した日本のおかげ』だからである。
民族の独立を日本に頼ったことがカッコ悪かったので、
手柄を横取りしたかったのである。
これらが次々と膨れ上がる朝鮮の歴史捏造の序曲であった。
これは メッセージ 2856 (imp_mania_jk さん)への返信です.
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朝鮮の属国ぶり(2)
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/07 01:53 投稿番号: [2856 / 6952]
朝鮮国王が宗主国の清国皇帝に奉呈した貢文に気に入らない言葉が
たった一つあっただけで、朝鮮国王は銀1万両を罰金として払った上に、
年貢への見返りを3年間停止するという厳しい処罰を受けている。
朝鮮国内にもその名残がある。
現在ソウルの城門のあった場所には「独立門」というものが建てられたが、
昔その場所には『迎恩門』という門があり、それは「朝鮮王が9回頭を
地面に叩きつけて擦りつけ、ひれ伏して清の使者を迎える」という
屈辱的な隷属の象徴の門だった。この迎恩門で『朝鮮の国王』が
土下座して出迎えたのは、中国の「王」ではなく中国の『使者』である。
朝鮮はそれほどまでに国家として“下”にみられていたのだ。
この1000年に渡る奴隷のごとき低い扱いは、
彼ら朝鮮民族の『民族気質』に深刻な影響を与えることになる。
朝鮮民族の民族気質を簡単に説明するには、
朝鮮人の名前が「金(キム)」や「朴(パク)」などのように
ワンパターンになった理由を説明するのがわかりやすい。
1.朝鮮人は長い間中国の属国として低い身分にあったため、低い身分の者や
貧困者、弱者、ひいては身障者などへの虐待を「下の者が下に見られるのは
仕方のないこと、上の者が下の者を見下すのは当然のこと」と考える民族的
傾向が定着していた。屈辱を「当然」と考えなければ精神的に乗り越えられない
ほど、千年の隷属というのは長かった。
2.朝鮮は虐げられる者の反動として、より低い者を虐げる「貴族社会」が
長く続いた。そのため、家系が悪ければ努力はほとんど無意味だった。
貴族が裕福なのも、奴隷が貧しいのも、生まれた家に決定された。
3.やがて低い身分にある者が「自分の先祖は名門だった」と思いたくなり、
いつしか「偽の家系図を買う」または「家系図を書き換える」ことで
底辺で虐げられる身分から一発逆転を果たすことが流行してしまった。
4.その結果、皆が「限られた同じ名門(両班という)の名前」になり、
形の上では皆が同じ名門の家系出身の者ということになった。
逆に底辺(白丁という)の出身者は歴史の闇へと消えていった。
現在、どの韓国人に聞いても「私は由緒ある両班の出身だ!」と
答える。今はもう白丁の子孫であってもその自覚すらなくなっている。
これは メッセージ 2855 (imp_mania_jk さん)への返信です.
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朝鮮の属国ぶり(1)
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/07 01:51 投稿番号: [2855 / 6952]
世界で知られるように、朝鮮はずっと中国の『属国』だった。
記録や物的証拠も国内外に数え切れないほど残っており、留学経験のある朝鮮人にも
自ら属国であったことを認めている者もいる。そもそも韓国の古い国旗にまで
「大清国属(清=中国)」と書いてあったのだから属国だったことは否定しようがない。
まず、朝鮮と清(中国)がどの程度の従属関係だったか。
朝鮮というのは、中国の属国の中でも琉球(現在の沖縄)よりも低い地位だった。
そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、
下国のなかの下国であった。
天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、
朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。
また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、
朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが
「渓陰漫筆」に書かれている。
そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。
(黄文雄『韓国は日本人が作った』徳間書店)
服装も違ったし、籠にも乗れなかった。
身分が「最も低い」のだからしかたない。
身分の低さは朝鮮がどんな扱いを受けていたかを見ればより明白になる。
・朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。
・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならない。
・朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎えなければならない。
・朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下。
・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてない。
・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もない。
・朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、
馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならない。
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
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朝鮮支配の源泉 Re征韓論:
投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/07 01:41 投稿番号: [2854 / 6952]
吉田松陰は,西洋との通商で失った富を朝鮮・満州の土地獲得で補うべしと主張し,橋本左内は,日本独立のために満州・朝鮮などを併合しなければならないと論じた
また,勝海舟は,欧米列強に対抗するには日本・朝鮮・中国の三国が連帯協力すべきであると説いたが,もし朝鮮がロシアに侵略されれば直ちに日本の存立を危くするから,その場合には日本が先手をうって朝鮮を武力で服従させよとも論じた。
参与木戸孝允であった。木戸は,使節を派遣して朝鮮の無礼を責め,先方が謝罪しないときは武力を行使せよと強調した。
西郷は,1873年10月15日付で太政大臣三条実美にあてた「始末書」において,〈公然と使節差し立てらるる〉のが至当であり,あらかじめ戦争準備をして使節を派遣するのは〈礼を失せられ候〉,そうでなくて誠心誠意の交渉によって〈是非交誼を厚く成され候御趣意貫徹いたし候様これありたく〉と明言している
http://www.tabiken.com/history/doc/K/K032L100.HTM1873年7月29日
西郷より板垣あての手紙
「兵隊を先に遣わし相成り候儀は如何にござ候や。
兵隊を御くりこみ相成り相わば、かならず彼方より引き揚げ候よう申し立て候に相違これなく、
その節は彼方より引き取らざる旨答え候わば、これより兵端開き候わん。
左候わば初よりの御誠意とは大いに相変じ職を醸成候場に相当りもうすべきやと愚考仕り候
断然使節を先に差し立てられ候方御よろしくはこれあるまじくや。
左候えば、決してかれより暴挙のことはさし見え候につき、討つべきの名もたしかに
相立ち候ことと存じ奉り候
兵隊を先におくりこみ候わけに相成り候わば、樺太のごときはもはや魯より兵隊をもって保護を備え
、たびたび暴挙もこれあり候ことゆえ、朝鮮より先に保護の兵を御くりこみ相なるべしと相考え
申し候間、
かたがた往先の処故障出来候わん。
それよりは公然と使節を差し向けられ候わば、暴殺は致すべき儀と相祭せられ候につき、
何卒私を御遣わし下され候処伏して願い奉り候。
副島君ごとき立派の使節は出来申さず候えども、死するくらいのことは相ととのい申すべしと
存じ奉り候間、よろしく願い奉り候」
かれが使節を派遣するというのは、平和の内に国交をまとめるためではなく、
朝鮮が使節を殺すことを予期して戦争の口実をつくるためであることは、これで明白である。
(日本の歴史
20巻
明治維新
P330
中央公論)
イギリス、アメリカは日本の朝鮮支配を支援すると言っていた。
中国の列強の進出もあり日本が突然従来の形式と異なった国書をもってきたことを不信に思い侵略を目的に開国しよう言ってきったのではないかと朝鮮の大院君は考え開国をできるだけ引き伸ばそうとした。
征韓論と言っても、朝鮮侵略それ自体が目的でなく、真の狙いが中華主義に基づいた華夷秩序の破壊にあったことは明らかであろう。
呉
善花
韓国併合への道
日本は朝鮮を中国の支配下(朝鮮の内政外交には清国は干渉しないと清国との通商条約の交渉時清国は日本へいっている。華夷秩序は支配、被支配の関係ではなくお互いの友好関係を示す関係である。)から外し日本の支配下に入れるためたびたび朝鮮は独立国であるということを言った
後の日本の朝鮮進出はほぼこのような征韓論にいわれたようになっている。
つまりまだ朝鮮と開国しない以前から朝鮮を支配
征服するのが日本の目標
となっている。
これは メッセージ 2837 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害に介入した物証を発見
投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2006/06/06 14:34 投稿番号: [2853 / 6952]
>からくりがわかりました。
>どうやら、あの子安という馬鹿の入れ知恵のようです。
あぁ、あの子安教授ですか。
HP見た事ありますが。
かなり「思想的に」左の淵にぶら下がっている御仁ですね。
あと、かなりの「親中韓シンパ」
そもそもこの教授。
専門は「政治思想」(史学じゃありません)
「歴史の史実」など「政治思想」の前では、いくらでも歪曲できると言う事を「証明」している御仁ですから・・・
手前味噌の「歪曲・捏造」を白日の下にさらしてどうするんだか・・・
これは メッセージ 2851 (imp_mania_jk さん)への返信です.
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朝鮮を独立させた日本が悪い
投稿者: korea_dame 投稿日時: 2006/06/06 13:58 投稿番号: [2852 / 6952]
朝鮮人は支那の属国であることに誇りを持っていた。
その朝鮮人を無理矢理独立させたから、朝鮮人は日本を恨むのである。
彼等は何も文化的な学校や病院を作って欲しくなかった。
奴隷制度を堅持し国民の9割が無学無知でクソの浮いた川の水で飯を炊き洗濯をして、わら小屋に動物のように住み、病気になれば人糞や犬のクソを飲むのが良かった。
人口も平均寿命が26歳で死ぬから人口問題も起きなかった。
何もかも日本が併合して無理矢理、朝鮮人を文明社会に引きずり出した結果である。
すべて日本が悪い。
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害に介入した物証を発見
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/06 11:24 投稿番号: [2851 / 6952]
>日本政府が明成皇后の殺害に介入した物証を発見
からくりがわかりました。
どうやら、あの子安という馬鹿の入れ知恵のようです。
従軍慰安婦の次はこれで攻めるようですね。(笑)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日政府明成皇后殺害介入物証111年ぶりに‘日の光’
「本当に恐ろしいことを捜し出した。日本人としては見当はついていたが捜し出すことは
大変なことだ。歴史の真実は必ず現われるようになっている。」
日本政府が明成皇后殺害に直接介入したことを傍証する山県有朋陸軍大将と陸奥宗光外相
の間の手紙を見て、日本の子安宣邦(こやすのぶくに)大阪大名誉教授(政治思想史)は
このような反応を見せた。先月中旬、韓国学中央研究院の世界碩学招請講座に招待された
子安教授は、崔文衡(チェ・ムンヒョン)漢陽(ハンヤン)大学名誉教授が日本国会図書
館憲政資料室で捜し出したこの手紙の解読に大きな手助けとなった。漢字学にも造詣の深
い同名誉教授は日本の明治時代の漢文書体を専攻した日本人学者らを動員してその意味を
明確に糾明してくれた。
(中略)
日本の歴史小説家、角田房子は『明成皇后暗殺−朝鮮王朝末期の国母』(訳注:日本版
では閔妃暗殺)という本の結論で、陸奥外相が同郷の後輩で殺害事件に加わった岡本柳之
助が送った手紙を読んで初めて明成皇后殺害事件を知った、「いくら自由な想像力の羽を
広げても日本政府とこの事件の間には直接的な関係がない」と主張した。
しかし山県の手紙の内容を見る時、陸奥は明成皇后殺害事件の前にある種の強硬策を提示
したことを推論することができる。山県が手紙で「驚愕を禁ずることができない」、「到
底堪えることができない」と言う言葉とともに「閣議で決まり次第に断行なさることを希
望する」と書いたことは、陸奥の強硬策に同意したことだということが崔教授の解釈だ。
この文章に尊敬語「御」が使われており、これが「韓国問題に全権を持っていた井上馨が
仕事を断行するように願うという意味」と崔教授は解釈した。井上は陸奥より八才、山県
より二才年上である。井上は帰国直後、朝鮮朝廷に300万円の寄贈金を与える方式で明
成皇后を懐柔しようとした。しかしこれは日本内閣の考えとは距離のある提案で、手紙は
井上が閣議決定を受け入れて強硬策に旋回するように願うという意味を込めたというのだ。
崔教授は日本閣議が事実上明成皇后排除の決断を出した時をまさにこの時点と見ている。
寄贈金を提示した井上が問題の手紙が使われた7月8日直後に、突然自分の後輩で同郷の
陸軍中将出身の三浦梧樓を推薦したからだ。韓日関係の最高専門家で「白衣従軍」までし
た井上が、緊迫した時期に外交の門外漢である三浦を後任に薦めたことは、手を血で汚す
事は自分より‘カルジャピ’(訳注:と畜人をさす差別語)が適格と考えたためだったろ
うという推論だ。
崔教授は今回発見した資料を補って、すぐ「明成皇后殺害の真実を明らかにする」(知識
産業社)の完結版を出刊する予定だ。2004年和訳版(閔妃は誰に殺されたのか―見え
ざる日露戦争の序曲、彩流社)が出たこの本は、現在英訳作業も進行中だ。
東亜日報
これは メッセージ 2828 (botannabe2003 さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害 2
投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2006/06/06 00:33 投稿番号: [2850 / 6952]
>朝鮮には名義上の独立を与えるためであり内政には常に干渉していました。何も朝鮮を支援しようとしたのではなく当初から支配、属国化を明治維新の元勲たちは考え実行したということです。
違うね。コピペだが、
明治四十二年七月二十四日の日韓新協約締結後、数日を経た頃、新聞記者を集めて伊藤が演説しているが、その中に、
「最近、自分は韓国の大官や両班等に次のように詰った。
朝鮮国を独立国とすべく、最初に発言したのは自分である。そして韓国の独立を最初に承認したのは日本である。朝鮮人の何びとが、みずから、その独立を主張したのであろうか。かつまた、朝鮮人の何びとが、みずから、韓国の独立を承認したであろうか。あるならば聞きたい。韓国人は、三、四千年来、固有の独立を有するように言っているが、自分はこれを承認できない。
日本はできるだけ、韓国を独立させようと欲して来た。けけども韓国は遂に独立できなかった。ために、日本は、日清・日露の二大戦役を開くやむなき結果となった。その結果として、日本は遂に韓国を保護国とした。これをしも日本が禍心を
包蔵するものであるというならば、いうがよい。日本は自衛上、実にやむを得ずして韓国を保護国としたものである。かつ、世界の大勢を見るがよい。どんな強大国でも、今日未だ一国だけで世界の平和を維持できるものではない。僅かに局部局部の泰平を維持しつつあるだけである。これすなわち、同盟国の必要なゆえんであって、もし、一衣帯水をへだてる韓国に外国の一指を染むるを許さんか、日本の独立をあやうくするのおそれがある。日本は、断じて韓国の日本に背くを許すことができない。
けれども、日本は非文明的、非人道的な働きをしてまでも韓国を亡ぼさんと欲するものではない。韓国の進歩は大いに日本の臨むとろこであって、韓国はその国力を発展せしむるため、自由の行動をしてよろしいけれども、ただ、ここにただ一つの条件がある。すなわち、韓国は日本と提携すべしということ、これである。日章旗と巴字旗(韓国旗)とが並び立てば日本は満足である。日本は何を苦しんで韓国を亡ぼすであろうか。自分は実に日韓の親睦を厚うするについては、自分に赤誠を貢献しようとしている。しかも、日清・日露の両大戦役の間、韓国は一体何をなしたか。陰謀の外に何をなしたか。戦争中は傍観しただけではないか。諸君は、日本が、にわかに来たって韓国を亡ぼすならんと思うのは、果たして何に基ずくのか聞きたいものである。
日本は韓国の陰謀を杜絶するため、韓国の外交権を日本に譲れというた。だが、日本は韓国を合併するの必要はない。合併は甚だ厄介である。韓国は自治を要する。しかも、日本の指導監督がなければ、健全な自治を遂げ難い。これが今回の新協約を結んだ所以なのである。」
あくまで日本的な利害を基にして韓国に対している。
しばしば彼は、日本人の通弊であった朝鮮人ベッ視感に関し、「民族的なベッ視感を朝鮮人に対して持つことはよくない。朝鮮は古い歴史と文化を有し、体質的にも頭脳的にも立派な民族であるから、これに対してベッ視的な感情で対することは甚だよくない。そういうことが、日韓対立・悪感情の原因になる」ということを、日本内地や朝鮮各地の演説会で述べております。これが伊藤の強い信念でなかったかと考えます。
これは メッセージ 2849 (kohshien21c さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害
投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2006/06/06 00:02 投稿番号: [2849 / 6952]
これは メッセージ 2844 (whiterose20051 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffc4znrbbkoc0ah_1/2849.html
Re: 明成皇后の殺害
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/06/05 22:55 投稿番号: [2848 / 6952]
>勝海舟の著作を読んでいない証拠ですなあ。
>まったく、想像と付け焼刃のナマ知識でブータレるとはねえ。
同感です。
無知と歪曲ほど恐いものはありませんね。
西郷隆盛の「征韓論」だって、「西郷自身が朝鮮に乗り込み誠心誠意、朝鮮国王に開国の必要性を説く。それでも聞かず、西郷が殺されたときは、武力をもっても開国の大切さを知らしめる」という意味で、「朝鮮征服・征伐」のような意図はありません。
前段の部分は、勝海舟の「三国同盟論」と全く同じ意味を無視し、後段の「武力をもってしても・・」の部分だけが一人歩きしているようです。
そのため、意味が全く逆になってしまいます。
これは メッセージ 2847 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/06/05 22:13 投稿番号: [2847 / 6952]
ハハハ。
勝海舟の著作を読んでいない証拠ですなあ。
まったく、想像と付け焼刃のナマ知識でブータレるとはねえ。
これは メッセージ 2846 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/06/05 22:03 投稿番号: [2846 / 6952]
>日本の朝鮮蔑視観は吉田松陰、勝海舟などにも見られますね。
>つまりこのような土壌の上で日本は当初から朝鮮支配を目的てしていました。
>朝鮮には名義上の独立を与えるためであり内政には常に干渉していました。
>何も朝鮮を支援しようとしたのではなく当初から支配、属国化を明治維新の元勲たちは考え実行したということです。
空想はやめましょう。
多くの幕末の志士は、大アジア主義、つまり欧米列強の侵略を防ぐには、アジア諸国の連帯が必要という考えにありました。
その理想論を打ち砕いたのは、李朝の怠惰と無知です。
李朝の実情を知らない勝海舟は、「そろそろ朝鮮にも西郷のような奴が現れる頃だ」と期待していた位です。
李朝の惰弱のために日本の安全保障が脅かされるようになったので、保護化、併合へ向かったというのが論理的整合性のある史実です。
日清戦争中の閣議ですら、日本は保護国化の指針を持っていません。
1895年4月17日に日清講和条約(下関条約)の第一条で、「朝鮮は自主独立の国である」と定めた意味を捻じ曲げてはいけません。
朝鮮支配を目的にしていたら、李朝への開国要求から併合まで何十年も掛ける必要はありません。
しかも併合してくれと日本に頼んだのは、経済破綻した李朝の方ですよ。
----------------------------------------------
1863年4月27日、勝海舟の『幕末日記』より、桂小五郎(後の木戸孝允)に述べた「三国同盟論」。
「今朝、桂小五郎、対馬藩大島友之允、同道にて来たる。朝鮮の議を論ず。我が策は、当今亜細亜州中、欧羅巴人に抵抗する者無し。これみな規模狭少、彼が遠大の策に及ばざるがゆえなり。今我が邦より船艦を出だし、弘く亜細亜各国の主に説き、横縦連合、共に海軍を盛大し、有無を通じ、学術を研究せずんば、彼が蹂躙を遁べからず。先ず最初、隣国朝鮮よりこれを説き、後日支那に及ばんとす。同人悉く同意」
これは メッセージ 2844 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/05 19:57 投稿番号: [2845 / 6952]
それで、百年前の事件で仮に日本政府が関与してたとして、だからどうしたって?
これで謝罪だ賠償だ言うなら、百年前に伊藤博文を殺害した件の謝罪と賠償、それと殺人犯の英雄視の取り消しと処罰をしてもらわないとな。
これは メッセージ 2844 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害
投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/05 19:36 投稿番号: [2844 / 6952]
>大院君と閔妃一族の争いで朝鮮が疲弊していた事に言及せず
具他的にどのような争いがその結果何がどのように疲弊していたのか
資料提示してください。
>東学党の乱が李朝政府の圧制に対する農民の反乱
背景には列強の経済進出による農民の生活苦がありそれが
外国勢力排斥を唱えるようになり地方の暴虐な官吏の粛清を求めるように
なった。
嫌韓サイトは李朝の腐敗をことさら書きたてていますが、
李朝政府は外国の進出に対しいかに独立を維持するため
色々な対応策をとっていますが、日本を初め武力を背景として
難題要求に対応できなくなって民衆の支持を失い民衆の決起がおきた
と考えます。
民衆は外国勢力の排斥を強く要求していくのです。
嫌韓サイトは近代化を図らず事大主義、中華主義から抜け出さなかった
と書きたてていますが
日本や列強が持ち込んだ近代化は朝鮮を搾取するための近代化で
そのような近代化に民衆が抵抗するのは当然です。
何も近代化が進まなかったのは文明の素晴らしさを知らなかったのではなく
もたらされた文明により一層生活が苦しくなっていったということです。
左翼であろうと右翼であろうと歴史の事実に近くずくためには関係ありません。
日本の朝鮮蔑視観は吉田松陰、勝海舟などにも見られますね。
つまりこのような土壌の上で日本は当初から朝鮮支配を目的てしていました。
朝鮮には名義上の独立を与えるためであり内政には常に干渉していました。
何も朝鮮を支援しようとしたのではなく当初から支配、属国化を明治維新
の元勲たちは考え実行したということです。
ようです。
これは メッセージ 2840 (kohshien21c さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害 ②
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/06/05 19:21 投稿番号: [2843 / 6952]
「韓国・堕落の2000年史」崔基鎬著より
大院君を清に売った閔妃の謀略
日本の愚かな女性作家が、閔妃に同情的な本を書いた事があるが、閔妃は義父に背恩した上に、民衆を塗炭の苦しみに遇わせ、国費を浪費して国を滅ぼしたオゾマシイ女である。この様な韓国史に対する無知が、却って日韓関係を歪めて来た事を知る可きである。
大院君は賭けに勝ち、7年振りに権力を握ったかに見えた。
しかし、閔妃の権謀術数には敵わず、閔妃が清に訴え出た為に、大院君は清によって拘束され、天津に拉致された。
李氏朝鮮は創建された時から独立性が無く、歴代の王と王族は中国皇帝の家臣達の支配下に在った。李鴻章の腹心である袁世凱の命令に対して、高宗が一言の異議も挟む事無く、実父が強制連行されるのを認めた事は、清の朝鮮に対する宗主権と冊封秩序が、些かも揺らいで居なかった事を示して居る。
ロシア公使館のなかで政務を執った国王
李朝は信義が全く無かった。その為に国際的な信頼を得る事も、全く出来なかった。高宗は、実父の大院君と妃の閔妃との間で激しい闘争が繰り広げられている間も、傍観を続けて、多数の犠牲を出した。
閔妃の政策も、ある時は清国に接近し、ある時は日本に擦り寄り、親清かと思えば、親日に変わり、日本を捨てると、ロシアと結んだ。庶民の生活を思い遣る事が全く無かったのは、李朝の支配階級の通弊で在ったとしても、高宗の実父であり、自身の恩人であった大院君を追放し、清国の袁世凱を唆して逮捕させるなど、智謀家では在ったが、その行いは倫理に大きく悖ったものだった。忘恩背徳の生涯であった。
高宗も、閔妃も、大院君も、ただ権力を維持する為に、その時々、力がある外国と結んで利用し、政治を弄んだ。この様な放逸な政治を行なった事から、1894年に東学農民の動乱が起きると、その乱の鎮定を清に委ねると言う愚行を犯し、日清戦争を誘発させた。しかし、高宗も廷臣達も何らの責任も感じなかった。
日清戦争の翌年の1896年2月11日の暁、高宗王と王世子は極秘の内に、宮城から脱出してロシア公使館に居所を移した。これを「俄館播遷」というが、朝鮮の悲劇は、このように一国の主権者である君主が、自ら王宮を脱すると言う怯弱な体タラクで在った事である。
更には、ロシア公使館に入ると、即座に警務官、安桓を呼びつけ、全然罪の無い金弘集総理大臣、鄭秉夏農相工部大臣、兪吉濬内務大臣、趙義淵、張博らの5大臣を、逆賊として捕殺する様命じた。
この様な理不尽な命令を伝え聞いた金弘集内閣は総辞職し、金は「私がこの国の内閣総理大臣として、全力を尽くした上で死を賜う事も天命である」として、従容として警官と群集によって惨殺された。鄭秉夏大臣も斬殺され、その屍体も鐘路に放置されたまま、群衆の投石を受け、数日間に亘って風雨に晒された。
正当な理由も無く、裁判も無く行なわれたこの暴挙に対し、ロシア公使も高宗に抗議した程だった。
呪われた国の悲しい終焉
そして李氏朝鮮は、1910年、高宗の子の純宗の代に滅亡した。純宗は、李成桂から数えて27代目だった。
李朝は倒れるべくして、倒れた。李氏朝鮮は儒教の朱子学を国教として定めながら、美辞麗句を弄ぶ裏で、私利私欲に駆られた党派抗争に耽って、汚れ切って居た。オゾマシイ階級制度によって、民衆を縦(ほしいまま)に苦しめて、収奪した。李氏朝鮮は今日の北朝鮮と全く変らず、人民には餓死するか、公開処刑によって死ぬか、強制収用所に入る自由しか無かった。
李朝が5世紀にも亘って韓族に君臨した為に、韓族の精神を歪めて仕舞った。「小中華」である事を誇って、呪われた国を創って仕舞った。
隣国の日本と何と大きく違って居た事だろう。日本は19世紀後半に西洋による脅威に直面すると、それを撥ね返すだけ強い力を、徳川期を通じて蓄えて居た。ところが、李氏朝鮮は骨の髄まで腐り切って居た。そこで人民の解放は、韓日併合という他力本願のものと、成ら非るを得なかったのである。
これは メッセージ 2842 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害 ①
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/06/05 19:11 投稿番号: [2842 / 6952]
「韓国併合への道」呉善花著より
日清戦争の最中の8月17日、陸奥外相は日清戦後の対朝鮮基本構想に四つの案を示して閣議に諮っている。
「甲案」朝鮮の自主独立放任
「乙案」日本による保護国化
「丙案」日清両国による朝鮮の共同担保
「丁案」永世中立国化
会議では結論が得られず、「乙案の大意を目的とする」に止まっている。保護国とは「隷属国の統治機能の一部を行使する保護関係を条約により設定する国家関係」を意味する。この様に、この時点では日本はハッキリと朝鮮独立から保護国化へと基本方針を転換したとは言えなかった。
下関条約の第1条で、中国と朝鮮の宗属関係を廃棄して朝鮮を「独立自主の国」とし、それに伴って旧来の「貢献典礼」を廃止すると宣言された事は、正しく朝鮮半島の歴史にとって一大画期を為す出来事であった。
1895年4月17日に日清講和条約(下関条約)が結ばれる。しかし、その直後にロシア・ドイツ・フランスが、日本が戦利として得た遼東半島の清国への返還を要求し、日本はこれに屈して遼東半島の領有を放棄する(三国干渉)。後に三国が日本への干渉の代償として、それぞれ清国から、遼東半島を始めとする各地の利権を得た事は言う迄も無い。
1895年10月8日閔妃殺害
1895年甲午改革によって推進されたのは、政治・経済・社会全般に亘る制度の大幅な近代化であり、農民軍から提議された幣制改革にも応え得るものであった。
併し乍ら、これらの改革推進には国王・閔妃・大院君各派の反発が強く、結局は実を結ぶ事は無かった。
その第一の理由は、国王がそもそも法的に制限を受けない最高権威として伝統化されていた為、制度が改まっても政策決定は依然として国王と取り巻きの重臣貴族によって行われた事に在った。つまり改革は王府から政治権力を奪う形を執らない侭進められ、その為に改革の内容を有効に実現する事が出来なかったのである。
特に李朝側が党派対立に終始して改革推進能力を欠いていた事が大きかった。また改革推進の過程で、日本は李朝政府各部門に政治顧問を派遣し、日本の朝鮮保護国化の意図が次第に鮮明となっていった為、朴泳孝ら旧改革派すら改革の遂行を妨害する様になり、朝鮮独自の改革案を意図する様になっていった。その事も、改革を実現出来なかった要因の一つだったろう。
全くの空想に過ぎないのだが、もし挙国一致で改革が進められていたとしたら、間違い無く王朝国家李朝は崩壊し、日本もロシアも容易に進出することの出来ない近代民族国家へと大きく変身を遂げていた筈である。
(仙人曰く、有り得ない。党争の国・李氏朝鮮で、挙国一致など出来る筈が無い。)
三国干渉後の世界は、最早かっての様に、日本が朝鮮から独占的に利権を獲得できる情勢には無かったからである。
(仙人曰く、朝鮮開国から日清戦争に至る迄の間、日本は、未だ朝鮮から独占的に利権を獲得したる事無し。)
事実、日本の李朝への300万円借款供与と引き換えに実現を図った、鉄道管理権の50年保有と日本軍の朝鮮駐留という利権に対しては、1895(明治26)年5月、欧米列国は強固な抗議を以って日本にそれを断念させている。
これは メッセージ 2837 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害>私への
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/05 19:08 投稿番号: [2841 / 6952]
レスになっているようだが、いったい何を言いたいのかな?
>新しく駐韓公使になったのは外交は素人であると自らいっていた三浦梧郎中将である。
と書いているから、「無知な武人」三浦観樹将軍についての表現の話かな?
それならあなたの引用文章の8割は無駄だが。
それとも誤爆かな?
これは メッセージ 2837 (whiterose20051 さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害
投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2006/06/05 18:54 投稿番号: [2840 / 6952]
海野福寿ってサヨクのおっさんで、史実の言いとこ取りして理論展開してんだろ。
大院君と閔妃一族の争いで朝鮮が疲弊していた事に言及せず、東学党の乱が李朝政府の圧制に対する農民の反乱である事を摩り替えている。
加えロシアの実質満州支配もさらっと述べ、当時の国際関係に言及していない。
これを屑サヨクと言い、朝鮮人から見れば良心的だろうが、実はお前達に害をなす輩だという事なんだが、
チョンは盲目だから理解不能だろう。笑
これは メッセージ 2837 (whiterose20051 さん)への返信です.
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言論の自由の無い韓国と話しても意味ない
投稿者: henrymacgils 投稿日時: 2006/06/05 18:42 投稿番号: [2839 / 6952]
分かり合うのって無理でしょう。
・・・日本は言論、出版、学問の自由がある国。
日本人にとって歴史の教科書は目次みたいなもの。子供の道具。
私は歴史の勉強を趣味にしている人をたくさん知っているが、皆、
「教科書ではこう書いているけどね、実は・・・」というのを楽しみににしている。教科書以外にも勉強したければいくらでも方法がある。
・・・韓国は言論、出版、学問の自由が無い。
新聞法、反日法によって言いたい事がいえない社会。
歴史を学ぶのには学校の先生と教科書がすべて。
自由に勉強できないから、大の大人が子供の勉強道具である教科書でムキになっている。
これは メッセージ 2838 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
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↓末チャンよ♪
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/06/05 18:23 投稿番号: [2838 / 6952]
長々とした引用、しかも自分が気に入ったものの引用はいいから、他トピでの問いかけから逃げたら、朝鮮人の名折れだヨ♪
あ、逃げは相変わらずか。(笑)
これは メッセージ 2837 (whiterose20051 さん)への返信です.
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明成皇后の殺害
投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/05 17:19 投稿番号: [2837 / 6952]
日清戦争
1890年帝国議会において山県有朋首相は
施政方針の中で
国家の安全に密接に関連する地域、すなわち朝鮮の「利益線」
確保のための国力・軍事力の増強を強調した。
1894年甲午農民戦争=日本では東学党の乱と呼ぶ
東学とは民間信仰に儒教・仏教・道教をとりまぜた独自の宗教で
キリスト教の西学に対する東方の朝鮮の学ということで東学と呼んだ。
平等主義、人間主義思想外国勢力の排斥と社会革命を主張
政府は社会不安をあおる邪教として弾圧
日本や西洋諸国の勢力の侵入を拝し大義達成を唱える「斥倭洋唱義」
(日本・西洋を斥け、義を唱える)を掲げ、暴虐な地方官吏の粛清を求める
農民の世直し的生活保障を要求した反封建・反侵略の農民蜂起がおき
これを甲午農民戦争という。
政府は清国に救援を求め
清国は出兵
これに対し日本は天津条約にもとづいて出兵を清国に通告
日本側は朝鮮政府の制止をふりきり漢城へ入京した。
全州和約(朝鮮政府と農民軍との間で農民軍は撤収、封建的身分の否定、
封建的収奪の制限、土地に平均分作等の改革の実行)
が成立、出兵理由がなくなるが日本は撤退せず。
農民軍の日清両軍による鎮圧と朝鮮内政の改革を清国に提案
清国は朝鮮への内政干渉になると拒否
朝鮮政府及びロシア・イギリスなど各国より撤兵の要求があり
清国は応じる意向を示す。
無成果のまま撤退するわけに行かない日本は朝鮮政府に内政改革案を提示
拒否した場合には「兵威をもって」漢城の城門及び王宮を占拠してはどうかと
大島駐公使は陸奥外務大臣に指示を仰いでいる。
朝鮮政府は改革案より日本の撤兵が先であると回答
22日回答期限とした清国軍の撤退、清朝習属関係を反映する清朝間諸条約の廃棄を要求した公文に
対し朝鮮側が渋るとみるや
歩兵一個連隊を入京させ王宮を占拠
国王を捕まえ蟄居中の大院君をかつぎだし執政に任じて政務を統轄させることにした。
親日派の金弘集を嶺議政(首相にあたる)に任命し開化派による政府を設立
7月23日黄海会戦
清の艦隊と衝突
日本軍は朝鮮政府から清国軍駆逐命令を引き出し南進を開始兵力にまさる日本軍は30日牙山を制圧
8月1日天皇は宣戦の詔勅を煥発
日本の要求による暫定合同条款と「朝鮮は日兵の進退及び其の糧食準備のため出来るだけその
便宜を与うべし」という攻守同盟条約である「大日本大朝鮮両国盟約」を締結
攻守同盟により日本軍は思いのまま人馬・糧食の徴収を行い朝鮮民衆の怒りをかった。
日清開戦による日本の侵略に対し農民軍がふたたび決起
これが第二次農民戦争である。
政府軍・日本軍と対峙した農民軍は敗れ指導者は処刑され政府軍・日本軍による虐殺が行われた
清国との講和条約において「清国は朝鮮国の完全無欠な自主独立国であることを確認する」
講和条約にいう朝鮮の自主独立とは清国の影響を排除したことへの宣言であり、
日本が朝鮮を支配する宣言でもあった。
日本の干渉に反発していた閔妃派がロシアの支援をえて朝鮮政府の改革派を抑制
親日的改革をリ−ドしようと考えていた井上公使は失意の内に離任
新しく駐韓公使になったのは外交は素人であると自らいっていた三浦梧郎中将である。
1895年9月1日着任。まもなく親露派排除のため閔妃暗殺計画を立てる
計画は王妃と敵対していた大院君を担ぎ出し日本教官指導の洋式軍隊である訓練隊を
そそのかし、王宮に侵入させるというものである。
実行主力は漢城駐在の日本軍守備隊、領事館員及び警察、居留日本人の壮士たちであった。
10月8日未明大院君の連れ出しには朝鮮政府軍顧問岡本柳之助など日本人30人があたり
歩兵独立第18大隊450人と朝鮮第二訓練隊が王宮占拠
第一訓練隊、侍衛隊など王宮警護の朝鮮側と銃撃戦を行い王宮を制圧
壮士の一群は王妃を求めて探し回り常殿で王妃惨殺し、領事館警部萩原秀次郎の指示で遺体を松林に運び
焼き捨てた。乙未事件という。
なりゆきを見ていた侍衛隊教官
アメリカ人ゼネラルダイとロシア人電気技師サバチンの証言から
真相が発覚した。
王妃暗殺後内閣改造が行われ親露米派、閔妃派が失脚、開化派が忠心となる。
乙未事件の処理にあたって日本の責任を追求しなかったこの内閣を国民は信用しなかった。
これ以後日本軍は日本の敗戦まで駐留しつづけるのである。
反日感情の源泉のしとつとなっている王妃暗殺はこのように行われたのである。
海野
福寿著
韓国併合より
これは メッセージ 2836 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffc4znrbbkoc0ah_1/2837.html
Re: 明成皇后の殺害に介入した物証を発見
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/05 15:59 投稿番号: [2836 / 6952]
>>>外交に無知で武人出身の三浦梧樓
>いかにも軍人を蔑んだ言い方だな。
東亜日報の韓国語・中国語・英語版をあたってみました。
韓国語版では「無知で武人出身」となってます。辞書を見ると、どうも日本語の「無知」よりひどいニュアンスのようにも思えました。
英語版は「a former warrior who was indifferent in diplomacy」これでは「外交に無知」というニュアンスにはとりがたい気がします。せいぜい「外交がまずい、下手」くらいかな。
中国語版では「対外交事務非常陌生的武人」これは「外交にきわめて不案内である武人」という程度の意味になります。各国語版の中では一番侮蔑度が低い表現でしょう。
これは メッセージ 2835 (honkytonk_2002_x さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffc4znrbbkoc0ah_1/2836.html
Re: 明成皇后の殺害に介入した物証を発見
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/06/05 15:38 投稿番号: [2835 / 6952]
本質的なことはみなさんがおっしゃっているからさておき、
>>外交に無知で武人出身の三浦梧樓
いかにも軍人を蔑んだ言い方だな。
だったら、文中の山県も軍人だし…つうか、多くが維新の下級武士あがりの明治政府に「皇后を殺害」されたり、無血併合されたのは、その「武人あがり」未満のコシヌケ民族であることの証左じゃないか。(苦笑)
これは メッセージ 2828 (botannabe2003 さん)への返信です.
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Re: 明成皇后の殺害に介入した物証を発見
投稿者: onbinni710 投稿日時: 2006/06/05 14:29 投稿番号: [2834 / 6952]
100年経てば金親子も国父に崇められ
1000年経てば20世紀日本は韓国に朝貢してたと
放言しているでしょう。かの民族が存在してれば。
これは メッセージ 2831 (ricky_eto さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffc4znrbbkoc0ah_1/2834.html
Re: 日韓歴史論争
投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/06/05 13:01 投稿番号: [2833 / 6952]
これは メッセージ 2832 (koshien21c さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffc4znrbbkoc0ah_1/2833.html
Re: 日韓歴史論争
投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/06/05 12:52 投稿番号: [2832 / 6952]
>「ひとりで行ったわけではないが、海外に出た文化財に関心を持ってもらえるよう役割を果たせたのが非常にうれしい」と特別な所感を明らかにした。
今まで文化財保護の概念が無かったからだろ。
>大学の記者会見場は寄贈するのか返還するのかで多少緊張していた」と当時の会見場の雰囲気を説明した後「緊張していた東京大学副総長にソ・ギョンソクが大韓民国の国民の熱意を話し、双方の緊張を解いた」と述べた。
兎に角こいつらは、日本が略奪したと思い込んでの発想だ。
本来ならば、貴重な文献を保存して貰った事と東大の配慮に謝意を表すべきが筋だが、こいつらにはやはり感謝の念が欠落してる。
カス民族と言われ蔑まれても仕方が無いな。ベッ
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffc4znrbbkoc0ah_1/2832.html
Re: 明成皇后の殺害に介入した物証を発見
投稿者: ricky_eto 投稿日時: 2006/06/05 11:52 投稿番号: [2831 / 6952]
歴史の敗者は
時代が移ろえば評価も変わります
そして時として
認めたくない過去を持つ人々は
自分達の認めたい過去を追い求めます
普通は
時代の潮流から外れ
歴史の上で敗者とされた人々は
後の人々の正当な評価の名の下に
その意義を認められるものですが
お隣の国では
過去の自分達のだらしなさ故に
自分達より劣っていると妄想していた人間達に支配された過去を認めえず
敵の敵は味方と勘違いして
自分達の本当の敵を賞賛してしまってますね
真に上下コマ人の敵を賞賛・礼賛する風潮は
どうも上下共通なようです(笑)
閔妃が居なければ
朝鮮は独立国としてやっていけたかも知れない
閔妃が居なければ
…
閔妃の部分は金王朝と置き換え可能です(藁
これは メッセージ 2830 (bottomlineshock さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffc4znrbbkoc0ah_1/2831.html
Re: 明成皇后の殺害に介入した物証を発見
投稿者: bottomlineshock 投稿日時: 2006/06/05 11:25 投稿番号: [2830 / 6952]
>そもそも閔妃が殺されたと聞いたときの朝鮮人民の反応は腐敗と圧制の根源である悪女がいなくなったことに、
>狂喜乱舞したというのは歴史上の事実として残っている。
例え亡国の女王でも、目的のためなら聖女に仕立て上げる。
何かというよりも、すべてが間違えてますね。
これは メッセージ 2829 (imp_mania_jk さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffc4znrbbkoc0ah_1/2830.html
Re: 明成皇后の殺害に介入した物証を発見
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/05 10:50 投稿番号: [2829 / 6952]
これは メッセージ 2828 (botannabe2003 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/ffc4znrbbkoc0ah_1/2829.html
明成皇后の殺害に介入した物証を発見
投稿者: botannabe2003 投稿日時: 2006/06/05 07:58 投稿番号: [2828 / 6952]
で、どこに証拠が?
これか?
>閣議で決まり次第、断行されることを希望します
これのどこに殺害と記載してあるんだ?
しかも・・
>漢字と日本語で書かれた同手紙は、行間に盛り込まれた意味が重要だ
かってに自己都合で解釈しておいて、世紀の発見みたいな(笑)
・・・・・・・・・・・・
日本政府が明成皇后の殺害に介入した物証を発見
(東亜日報
JUNE 05, 2006 03:16)
明成皇后殺害事件(1895年10月8日・乙未事変)が、日本の内閣の指示によって行なわれたことを示す物証が発見された。
漢陽(ハンヤン)大学の崔文衡(チェ・ムンヒョン)名誉教授(歴史学)は、山県有朋(1838〜1922)陸軍大将が1895年7月8日に陸奥宗光(1844〜1897)外相に送った手紙を日本の国会図書館憲政資料室で発見し、複写本とその内容を公開した。
山県有朋は同手紙で、「別添した手紙を読んで、実に驚がくしました。おっしゃるように、確かなことは、世外伯爵を直ちに渡韓させなければならないということです。お教えどおり、内外に対して傍観座視することは到底堪えられないことです。閣議で決まり次第、断行されることを希望します」と述べた。
崔教授は、「漢字と日本語で書かれた同手紙は、行間に盛り込まれた意味が重要だ」とし、「日本の内閣の核心人物が、明成皇后に対する懐柔政策をあきらめ、除去するための強硬策に切り替えた当時の心情と、このようなムードが日本の閣議決定に反映されたことを示している」と述べた。
手紙は、首相を務めた大物で、当時、日清戦争を陣頭指揮して勝利に導いた後、天皇の諮問に応じる「元老」だった山県有朋が、地方での肺病の療養中に、伊藤博文内閣の人々と書信の往来を通じて、対外政策を助言していた陸奥外相と明成皇后の除去の必要性を論議したことを示している。
手紙に登場する世外伯爵は、当時、在韓日本公使として朝鮮問題の全権を委任されていた大物(井上馨・1836〜1915)を指す。同手紙が書かれた直後の7月10日頃、井上馨は自分の後任に、外交に無知で武人出身の三浦梧樓(1846〜1926)を推薦した。9月1日、三浦梧樓が在韓公使に赴任し、その37日後に、明成皇后殺害事件が起きた。
崔教授は、「同手紙は、明成皇后殺害事件への日本政府の介入を否定し、三浦梧樓と大院君の主謀説を主張してきた日本側の主張を崩す決定的な証拠だ」と話した。
翰林(ハンリム)大学の韓永愚(ハン・ヨンウ)特任教授(国史学)も、「日本政府が、事件の関連資料をすべて破棄した点を考慮すると、日本政府の介入を裏付ける証拠でこれほどの資料を発見することは容易ではない」と評価した。
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
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Re: 韓日2000年史!
投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2006/06/04 18:17 投稿番号: [2827 / 6952]
>「経済計画と統制をはじめとした日帝時代末期の雰囲気を受け継いだのは、むしろ北朝鮮の経済政策であった。経済発展は工業化の遺産に後押しされたという見解は憶測に過ぎない」(鄭在貞・ソウル市立大教授)
このおっさん経済原理を知らないね。農業国を工業国にしない限り経済の発展は無い。
日韓併合時代に工業化の基盤、経済インフラや工業資本の蓄積それを使いこなす高等教育
これらがあって日韓基本条約で経済協力金による支援や技術移転で工業化が出来た事は否定できない。
雇用創出は農業だけや、単一の資源だけでは不可能。
現在のアフリカや中近東を見れば分かりそうなものを。
これで教授というんだからお粗末。
これは メッセージ 2813 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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Re: 起源は至高の価値なのか?
投稿者: doronpa90 投稿日時: 2006/06/04 17:34 投稿番号: [2826 / 6952]
>海外で、ビーチサンダルを買おうとしたら、鼻緒のあるタイプしかなかたら、韓国人的には屈辱なんでしょうか?
そういえば去年、仁江君がアバターにチョッパリサンダルを履かせていましたっけ・・・
指摘するとあわてて便所サンダルに履き替えさせていました・・・
朝鮮にはサーファーっているんでしょうか?
朝鮮語では「サーパー」かな?
これは メッセージ 2825 (pup_pooh_one さん)への返信です.
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Re: 起源は至高の価値なのか?
投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2006/06/04 15:38 投稿番号: [2825 / 6952]
>たとえば、キルビー特許が有名だ。
欧米が基礎研究をして、日本が製品化して儲けてると非難された事はありましたね。
> 現に、韓国がいくら起源、起源と大騒ぎしても、起源を主張する対象にサンダルや靴下など、あまりにもありふれたものは見られない。サンダルや靴下では、あまりもありふれていて自己陶酔できないからではないだろうか。
日本人をバカにする「チョッパリ」は、下駄や草履の鼻緒で、つま先が豚の足みたいに、2つに別れるからですが、鼻緒のあるサンダルは、日本起源が知らないけど、世界中にあるみたいですね。
海外で、ビーチサンダルを買おうとしたら、鼻緒のあるタイプしかなかたら、韓国人的には屈辱なんでしょうか?
これは メッセージ 2824 (canyontrue さん)への返信です.
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Re: 起源は至高の価値なのか?
投稿者: canyontrue 投稿日時: 2006/06/04 14:43 投稿番号: [2824 / 6952]
pup_pooh_oneさんの言われたように、「発展させられなかった」ということも大きなポイントだと思います。
それで、それに関連してこんなことがあります。ちょっと話がそれますが。
日本の企業がアメリカの企業から特許訴訟を起こされることはよくありますが、その特徴の一つが、日本企業が製品化した直後ではなく、製品の評価が高まり、利益が出てから、アメリカの企業が訴訟を起こしていることです。
特許料の決定は、収益もベースにすることもあることからすれば、収益が出てから訴えた方が訴訟を起こした側としてはより大きな金額を得られる可能性が高い。
たとえば、キルビー特許が有名だ。
話を戻りますが、韓国が起源を主張している物の少なからずが、日本などでよく知られている物です。
つまり、普及したり、独特なものとして良い評価を得ているものばかり。
既に高い評価が定着している物に対して起源を主張すると、「ほら見ろ、すごいだろ、偉いだろ、優秀だろ」と勝手な自己陶酔の度合いも高めることができる。
現に、韓国がいくら起源、起源と大騒ぎしても、起源を主張する対象にサンダルや靴下など、あまりにもありふれたものは見られない。サンダルや靴下では、あまりもありふれていて自己陶酔できないからではないだろうか。
キルビー特許
http://e-words.jp/w/E382ADE383ABE38393E383BCE789B9E8A8B1.htm
l
これは メッセージ 2822 (pup_pooh_one さん)への返信です.
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Re: 起源は至高の価値なのか?
投稿者: akkambeh 投稿日時: 2006/06/04 11:44 投稿番号: [2823 / 6952]
コリアンによる捏造をアメリカの弁護士に「美味しい商売」だと気づかせることができないでしょうか?
例えば、もしコリアンがアメリカでへんてこな茶道もどきをはじめて「日本の茶道はウリナラ起源でウリが元祖ニダ」と言ったら、弁護士が在米の茶道団体に訴訟を起こさせタンマリと賠償金をせしめる。とか・・・
一国の大統領自ら嘘をつき約束を破る国の人民相手ですので、勝訴する可能性は非常に高いと思いますが。
これは メッセージ 2819 (sempvinc さん)への返信です.
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Re: 起源は至高の価値なのか?
投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2006/06/04 11:35 投稿番号: [2822 / 6952]
> しかし、最初に生み出した人が、それを改良したり、普及させることができるかどうかというと、必ずしもそうではない。
ライト兄弟が、そうですね。
グーテンベルクも、そうだったかな?
何でもかんでも朝鮮が起源なのに、何一つ発展させられなかった事に疑問は無いんでしょうか。
これは メッセージ 2817 (canyontrue さん)への返信です.
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Re: ウルルン
投稿者: pup_pooh_one 投稿日時: 2006/06/04 11:09 投稿番号: [2821 / 6952]
何年か前、テレ朝で、日本に一時的に移住させられたアリューシャン列島の住民の番組を放送してたましたが、当時子供だったアリュート族のおじさんは、日本兵には遊んでもらったりで、悪い印象は無いそうです。
これは メッセージ 2818 (you56ss さん)への返信です.
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