日韓歴史論争

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Re: チャングムより本当のお話

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/01/04 16:45 投稿番号: [1611 / 6952]
うるるさん、ご無沙汰しております。

この話は初耳でした。

>しかし、タイでの評価はあまり高くない。
「タイをフランスに売ろうとした外国人の妻」という政治的レッテルを貼られているからだ。

そういう解釈もあるんですねぇ。
だからといって、それに対して威丈高に抗議するのではなく、

>草野さんは「政治に巻き込まれながらも強く清らかに生きた
彼女の人生を日本人もタイ人ももっと知って欲しい」と力を込めて語った。

「知ってほしい」と言うところがいいと、私はおもいます。

そんなことを言いつつ『チャングムの戦い』等、嘘八百のネタを書き連ねているわけですが。(汗)

チャングムより本当のお話

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/01/04 16:18 投稿番号: [1610 / 6952]
宮廷料理人→奴婢→医女→王の主治医のチャングム話は創作ですが、

日本人というか日系人女性で
宰相夫人(ファースト・レディ)→奴隷→宮廷料理長→王様から女性として破格の名誉の称号
の人生を送った人は実在します。
2005年の12月15日の読売新聞12版に掲載されてました。

日本でもタイでもほとんど知られておりませんが、
ギョマーの居宅跡が現存するタイ中部の古都ロッブリーにある
国立ロッブリー博物館長のマニタ・クエンクンさんと協力して
東南アジア交流史研究家の草野英信さんが調査をなさいました。

マリー・ギョマー(1666〜?)
タイのアユタヤ朝時代で日本人とベンガル人ハーフの父ファニックと
長崎出身の母山田ウルスラの間にアユタヤのポルトガル人町で生まれ育ち、敬虔なキリスト教徒として育つ。
16歳の時、王朝に仕えるギリシャ人のコンスタンス・フォールコーン(1647〜88)と結婚する。
彼は卓越した語学力と商才を王に認められ最高位の宰相まで上り詰める。(優秀な人材は国籍を問わず登用されていた)
彼はタイでの中継貿易を牛耳っていたオランダから主導権をタイへ取り戻すために
新興のフランスと接近する政策を採っていた。
彼女もファーストレディとして懸命に務めるが、
王が危篤になると、フランス寄り政策をよく思わない勢力のクーデターによって夫は処刑される。
「フランス国王との保護確約書がある。何かあったらフランスの軍艦に逃げろ」との夫の遺言に従い
子供を連れて逃げるが、船長はそれを拒否し、タイ軍に彼女達を渡して逃げてしまった。

22歳の彼女は2年間水汲み奴隷に落とされ、重労働の辛酸を舐めるが、
それを知った王妃が哀れに思い彼女を奴隷から解放。
その後、宮廷料理人になり、 才能を発揮して宮廷料理長に任命され、
王から女性としては破格の「タオトーン」の尊称を受けるまでになる。

1717年フランス国王が亡き夫の多額の慰謝料を彼女に支払った。
彼女はそのほとんどをタイの子女教育や孤児の救済のための施設建築費等に充てた。
タイ人なら誰もが知っている日本の「鶏卵そうめん」に似た菓子「フォイ・トーン」を創作したのは宮廷料理人時代の彼女である。
(原型は双方ともポルトガルの菓子「Fios de ovos」)

しかし、タイでの評価はあまり高くない。
「タイをフランスに売ろうとした外国人の妻」という政治的レッテルを貼られているからだ。
草野さんは「政治に巻き込まれながらも強く清らかに生きた
彼女の人生を日本人もタイ人ももっと知って欲しい」と力を込めて語った。

チャングムの戦い 大江戸捜査網④

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/01/04 10:34 投稿番号: [1609 / 6952]
安藤家から表へ飛び出したチャングム、聞き込みをはじめます。わき目も振らず走りまわっているうち、曲がり角で武士に衝突してしまいました。

しりもちをついたチャングム、着ていたのが長いチマチョゴリだったからよかったものの、もし現代のミニスカートならパンチラもんです。当然口にくわえていたパン(安藤が長崎出島でもらってきたのをくれた)も飛んでしまいます。

え?パンをくわえた少女(転校生)と曲がり角で激突、こいつぁ、お約束ですよ。

さて、武士のほうは、連れの二人に助けられ、ゆっくり立ち上がって埃を払うと、チャングムに近づいてきました。
(アイゴ!『ブレイウチ』される!)
そうおもったものの、体が動きません。
(ああ、もうダメ。ジョンホさま助けて!)
身を硬くして目をつぶったチャングム、予想に反して武士は手を差し出しました。
「ケガはなかったかな」
助け起こしてもらったチャングム、丁寧にお礼を言います。
「見慣れない衣装だな。もしやからくにの人かな?」
「はい。じつは・・・」

事情を聞き終えた武士は、少し考えてから言いました。
「事情はよくわかったが、かなり難しい話だと思うぞ」
「はい。それでも成し遂げなければいけないのです」
「ふむ・・・」
「それがわたくしの任務なのです。それでは失礼します」
深く一礼して走り去るチャングム。武士は、その後ろ姿が視界から消えるまで見送ります。
「さすが朱子学の朝鮮、婦女に至るまでかのように恭謙にして志操堅固とはな。田沼めのせいで乱れている我が国もかくありたいものじゃ。やはり朱子学以外は禁じるしかない。そうじゃの、勘解由」
「はっ、御前」
「となると、田沼の評判をさらに落とすため、いっそうの工作が必要じゃ。抜かりなくやれよ、対馬」
「はっ、御前」
チャングムに向けていた優しい目を一変して、厳しい顔で語ると、武士は歩き出し、ふと呟きました。
「・・・吉宗公の孫たるわしがご公儀を立て直さなくてはならんのじゃ」
この武士、松平定信が天下の執政として「寛政の改革」をおこなうのはもうちょっと先の話です。
また、連れの二人「内藤勘解由」「藤堂対馬」が隠密同心支配役としてその改革を支える以前に、隠密同心を使って田沼失脚工作をしていたのは知られていない史実です。

あ、チャングムのほうは、地道な聞き込みばかりしていますので、今回は略、です。(おい!)

・・・私、支配役が藤堂対馬になってからの「大江戸捜査網」はあんまり知らないんだけどなぁ。やっぱ「内藤の御前」っす・・・

Re: チャングムの戦い 大江戸捜査網②

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/30 13:21 投稿番号: [1602 / 6952]
>こちらで新シリーズがはじまっているとは存じませんでした。

もともとはホンキーさんの原案です。
「チャングムの戦い」というタイトルはエトさん考案です。

チャングムが、足利義満に謁見して一休さんとトンチ合戦をやったり、時代を無視して江戸時代に日本へ来たり、などと好き放題やらかしております。

Re: チャングムの戦い 大江戸捜査網②

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/30 02:40 投稿番号: [1601 / 6952]
  こちらで新シリーズがはじまっているとは存じませんでした。

  噺家さんが高座で演じてる情景が浮かんで来ますです。

  (誰か本当にやってくれないかなあ。どこぞの「落研」でCDで出すとか・・)


  小ネタ編はこれから読ませていただきます(ワクワク♪)

  (こういうことなら、「チャングム」も少しは真面目に観ておけばよかったかな)

チャングムの戦い 大江戸捜査網③

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/29 01:07 投稿番号: [1599 / 6952]
失踪した画家金弘道を探すため日本にやってきたチャングム。
前回は、ひょんなことから「土用の丑」に鰻を食べることを発明してしまいました。

鰻を食べて元気になった平賀源内。すっかり精気を回復したようです。
「思い出しましたよ、チャングムさん。安藤吉次郎さんが長崎で朝鮮人の画家と知り合ったとか言っておられました。江戸へ行きたがっていたようだとおっしゃってられました」
源内さん、伝聞の記憶までも取り戻したようです。
「本当ですか。その朝鮮人の名前はわかりますか」
勢いづくチャングム。
「すいません。名前までは聞いていないのです。よろしかったら安藤さんを訪ねられてはどうでしょう?紹介状を書きますよ」
チャングムにとっては、どんなかすかな手がかりでもほしいところです。
「はい。ぜひともお願いします」
源内の紹介状を持って安藤さん宅へ走るチャングム。紹介状のおかげで、すぐに安藤吉次郎に面会できました。

チャングムの持ってきた人相書き(チャングム自筆&印刷)を見て、話を聞く安藤。
「ええ、この方です。長崎で会ったのは、檀君、いや檀園と名乗るこの画家でしたよ」
檀園とは、金弘道の雅号のはずです。
「その方は、今どこにおられますか?」
「わたしは、長崎で会ったきりなんですよ。江戸に行きたいとはおっしゃってられたんですが・・・江戸に向かったことは間違いないんですが」
「そうですか・・・」
落胆するチャングム。しかし、立ち止まってはいられません。人相書きをほったらかしたまま、表へ飛び出しました。

ほったらかされたままの人相書きの精巧さに見とれて、朝鮮が誇る銅活字を思い起こした安藤、そこにヒントを得た彼が銅版画に開花して「司馬江漢」と名乗るのはもう少し先の話です。

(まだ続きます。ほんまに時代が微妙に交錯してグデグデやん)

Re: チャングムの戦い 大江戸捜査網②

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2005/12/28 23:19 投稿番号: [1598 / 6952]
平賀源内に補身湯を勧めるチャングム…素敵です。
土用の丑の日に日本が鰻を食べる習慣になった理由がわかりました。

金さんてもしかして写・・・やめときます。

続きを楽しみにしています。

チャングムの戦い 大江戸捜査網②

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/26 19:59 投稿番号: [1597 / 6952]
失踪した画家金弘道を探すため日本にやってきたチャングム。
江戸はさすが日本の首都です。人が多い。
「まずは絵に関係する業界筋をまわってみなくちゃ」
金ほどの画家が絵筆を折っているとは思えません。必ず手がかりがあるはずです。

蔦屋という江戸でも一、二を争う出版業者に行きました。
「わざわざ朝鮮から来たのかい。ご苦労さまですね」
主人の重三郎さんは丁寧に応対してくれました。
「うちでも浮世絵は扱っているけど、その金さんって名前は聞いたことが無いねぇ。物知りの平賀源内先生なら知っているかもしれない。おーい、重田さん、ちょっと案内してやってくれませんか?」
奥から出てきた若い男に案内されて、平賀源内の家に向かうことになりました。

「チャングムさんは異国の旅でいろいろ苦労もされているんですね」
歩きながら重田が尋ねてきます。
「はい。慣れない風習も多くて失敗することも多いです。五右衛門風呂の入り方がわからなかったときは恥ずかしかったですわ」
ひとしきり失敗譚を語るチャングム。聞き入る重田がそれにヒントを得て、十返舎一九という名前でドタバタ道中記「東海道中膝栗毛」を書くのは後年の話です。

平賀源内の家に着きました。
奥へ通されたチャングムにからくり人形がお茶を持ってきます。
「私が平賀源内です。お嬢さん何の用ですかな?」
用件を語るチャングム
「金さんですか。うーん、ちょっと調べてみないとわかりませんね」
源内はどこか顔色が優れず物憂そうです。
「先生、どこか悪いニカ?」
医術の心得があるチャングムが心配して訊きます。
「最近バテ気味でしてね。夏バテかな」
「それなら補身湯を食べるといいです。ウリナラじゃ三伏の日にそれを食べて夏バテを防ぐニダ」
補身湯と三伏の日の説明をするチャングム。
「最も暑い日を三伏というのですか。日本じゃ土用の丑ですね。しかし、犬は日本じゃ悪食です」
「精のつくものならいいとおもいます」
考え込む源内。
「そうだ。鰻ならいいかも。夏には売り上げが落ちて困ると相談を受けてましたし」

こうして、土用の丑に鰻を食べる風習が成立したのでした。

(時代が微妙にグデグデやな。続きます)

Re: チャングムの戦い 大江戸捜査網①

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/26 12:02 投稿番号: [1596 / 6952]
>「大江戸捜査網」と聞いて、あのテーマソングが頭に鳴り響いてやまない・・・。誰か、止めて。(笑)

副題に「李朝アンタッチャブル」とつけようかとおもったのですが、さすがに思いとどまりました。

②はできているのですが、家にファイルを置きっぱなしなので夜までアップできません。

>「街道を逝く」のチャングム、これでもか!というばかりにたたみかけてましたね。
読んでいて、みなさんみたいに、「オイ! お前なぁ!」と言いたくなるキャラでした。

チャングムがネタを振らなきゃ、斜め上の解釈がひねり出せませんから、あっちではボケ役に徹してもらいました。
また、どこか旅行にいったらそれをネタにして書こうかとおもっています。

Re: チャングムの戦い 大江戸捜査網①

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/12/26 11:50 投稿番号: [1595 / 6952]
イェーイ!

「大江戸捜査網」と聞いて、あのテーマソングが頭に鳴り響いてやまない・・・。誰か、止めて。(笑)

「街道を逝く」のチャングム、これでもか!というばかりにたたみかけてましたね。
読んでいて、みなさんみたいに、「オイ! お前なぁ!」と言いたくなるキャラでした。

韓国は日本が作った

投稿者: korea_bakatare 投稿日時: 2005/12/25 14:21 投稿番号: [1594 / 6952]
有史以来の支那の属国奴隷国であった朝鮮半島は普通に見れば歴史は無い。
支那に言わせれば朝鮮半島はあくまでも支那の一地方であって独立国ではないから、朝鮮の歴史は無いと云うのが正しい。

その後、日本が日清戦争に勝ち朝鮮半島を開放して大韓民国と云う国を独立させた。
従つて韓国の歴史と云うのはこの時から始まったと云って良い。
しかし、1910年に日本に併合され1945年に日本の敗戦によりまた北朝鮮と韓国に分けられた。

韓国の歴史とは現実的には1953年の7月朝鮮戦争休戦時からの52年間が韓国の歴史である。

依って表題の日韓歴史論争なるものは2000年の歴史の有る日本と52年の歴史しか無い韓国を同一に論じる事自体が無理で有り意味をなさない。

バンカーを横切るゴルファー

投稿者: rokkou900 投稿日時: 2005/12/24 21:39 投稿番号: [1593 / 6952]
済州島のゴルフ場。バンカーにはレイキが置かれている。
韓国人プレーヤーは誰もこの道具を使わない。
バンカーをならすのは後から来る人の為。つまり他人の為。世界の常識。
ゴルフはルールとマナーで成り立つスポーツ。
韓国人プレーヤーはペナルティのつくルールは一応守るが、他人の為にと   言うマナーは無視。まさに自己中そのもの。平気でバンカーを横切る。
アメリカや日本でプロが活躍しているが、マナー面でも活躍を期待。

Re: >ウィキペディア

投稿者: mernge 投稿日時: 2005/12/24 21:12 投稿番号: [1592 / 6952]
ウィキペディアは、ノートを読むのも面白い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD

ねつ造韓国!米国はカンカン

投稿者: tutomu1259 投稿日時: 2005/12/24 20:53 投稿番号: [1591 / 6952]
世界を騙した朝鮮人体質!!

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051224-00000001-san-int

韓国、過剰な「愛国」暗転

  【ソウル=黒田勝弘】韓国での世界初の研究成果は“偽造”だった−。内外を騒がせていた黄禹錫ソウル大教授の“ES細胞培養成功”をめぐる疑惑に対しソウル大調査委員会はクロと判定した。最終調査にはまだ時間がかかるというが、黄教授が研究成果として公式発表した米科学雑誌掲載の論文は「データ捏造による虚偽」と断定された。
  この結果、黄教授はもちろん、国を挙げて彼をもてはやしてきた韓国は「生命工学の最先端国」から一転して「ニセモノ科学の国」になってしまった。今回の捏造疑惑追及が外国からの指摘ではなく、国内の研究者やマスコミによる一種の“内部告発”によるものだったことは救いだが、韓国の国家イメージ失墜は避けられない。
  世界まであざむく結果となった“黄教授騒動”の背景については(1)韓国でよく見られる成果や業績を急ぐあまりの拙速(2)国際的な配慮や慎重さを欠いた視野の狭い「やっちゃえ」主義(3)政権の業績にしたい政府の過剰な期待と支援(4)「やった、やった!」あるいは「ウリナラ(わが国)最高!」的な世論の愛国主義−などが複合的に重なった結果といわれる。

チャングムの戦い 大江戸捜査網①

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/24 19:40 投稿番号: [1590 / 6952]
チャングムは王の命を受け、失踪した画家金弘道を探し出すため諸国を旅しております。
そして、ついに釜山の倭館で手がかりを発見しました。
金はどうやら日本に渡った形跡があるようです。
「行かなくっちゃ」
ちょうど、10代将軍家治の就任に伴い、朝鮮通信使が派遣されるところです。チャングムは王の許可を受け、随行員の資格で一行に加わりました。(30年ほど時代がずれているのですがケンチャナヨ♪)

今回の通信使は、党争のせいで正使がいきなり配流され、最終的に正使・副使・従事官が確定したのが出発20日前というあわただしいものでした。

正使の趙ガン(日へんに嚴)さまは日本との交渉に当たる役職を歴任していて、かの国のことをよく理解しておりました。
「いいかい、チャングム。倭人だといってバカにしてはいけないよ。まごころをもって接しなきゃいけないんだ。ちゃんと日本人って呼ぶんだよ」

趙ガンが出発前に随行員に与えた暁論文より引用
『かの国の人たちを軽侮したり嘲笑する勿れ。忠信と誠心とをもって応答し、呼ぶにも日本人を以てし、また汝などと呼ぶ勿れ』

対馬藩の誘導がなかったため副使の船が難破するという事故もありましたが、福岡藩の船を借りてなんとか下関に到着、海路大坂に入りました。
そこからは陸を行きます。

江戸の町に入ってチャングムは一行から別れて捜索を開始します。
「まず江戸を探さなくちゃ」

Re: 日韓歴史論争

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/24 12:56 投稿番号: [1589 / 6952]
『街道を逝く   大和のみち』を書き終えたので、近日中に『チャングムの戦い』を投稿します。

今度のは少し長編っぽくなりそうです。

Re: 日韓歴史論争

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/18 13:55 投稿番号: [1588 / 6952]
上げねば。

「街道を逝く」を書いているので、「チャングムの戦い」はお休みがちです・・・

>ウィキペディア

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2005/12/13 11:26 投稿番号: [1587 / 6952]
国際関係

前略

2004年に、過去において韓国自身がウラン濃縮など核開発に結びつく研究を行っていた事実が公表され、IAEAの査察を受けている。

2005年には、同国の放射性アイソトープ販売企業であるキョンド洋行が、イラン企業のパトリス社に放射能物質であるニッケル63を売ったほか、フランスからは別の放射能物質である三重水素(トリチウム)を買い入れ、パトリスに売り渡していたことが、報道された。

以上のことから国際的協調性に乏しく、国際社会に悪影響を与える事が数多く存在しており、国際的信用度も低く、国連では非常任理事国選挙にもたびたび立候補するが、支持を得られない状況である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ウィキペディアは国際関係に関しては正しく書いてますね。笑

Re: 誰だ? 嘘書いたの…

投稿者: tottorishimin 投稿日時: 2005/12/12 17:56 投稿番号: [1586 / 6952]
国名の説明文の最後に以下の文章もあります。

>大韓民国の国旗は現在では一般に「太極旗」と称されるが、起源は「大清国属国旗」から流用されたものである。

ちゃんと事実も書かれていますね。

Re: >小田川なる・・・

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2005/12/12 16:00 投稿番号: [1585 / 6952]
東北アジアの平和を求める日韓市民共同声明に名を連ねてる人々は、皆「斜め上の雲」の人々ですね。笑

多くの大学教授が含まれていますね。あの文面は矛盾だらけで大学教授とあろう者がもう少し頭を整理しろと言いたい。

東北アジアが重大な岐路に立ったのは、北朝鮮が1994年の米朝合意を破り核兵器を開発をしたことであり、それを支持する韓国の裏切り行為。

日本や米国に一切の責任はありませんから。

拉致問題を相変わらず過去の植民地、もとい日韓併合と結びつけるとは、全く筋が通らぬ文面。

この文面を見ていると、北朝鮮や韓国は悪くないと主張しているに等しい。

全く、責任を他人に押し付ける朝鮮人の性癖に同調したバカ共の合作ですな。

Re: 誰だ? 嘘書いたの…

投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2005/12/12 15:24 投稿番号: [1584 / 6952]
>建国   紀元前2333年10月3日?

で、ウィキペディアを更に遡って「建国」「朝鮮の歴史」に行き着くと、こんなメッセージが・・・

>(考古学的考証の無い伝説的な事項はここに記す)

「建国」も、この中に記載されて末。

つまり「考古学的考証の『無い』」主張だ、とウィキペディアも
結局は認めちゃってるわけで・・・

ま、「本音と建前」

誰だ? 嘘書いたの…

投稿者: ricky_eto 投稿日時: 2005/12/12 15:02 投稿番号: [1583 / 6952]
ウィキペディアにこんな嘘が

建国   紀元前2333年10月3日?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD


因みに   米CIA

独立   1945年8月15日(以降   未だに独り立ち出来ず…)
http://www.cia.gov/cia/publications/factbook/geos/ks.html



さらに因みに日本
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC
同様米CIA
http://www.cia.gov/cia/publications/factbook/geos/ja.html

双方とも   紀元前660年


ウィキペディアには1月1日(現2月11日)まで記録されて居るが   悪意のある書き方が成されている部分が多い

>小田川なる・・・

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/12 13:13 投稿番号: [1582 / 6952]
>深層なんて無いんだが、この朝Pの小田川興なるおっさんは、マスメデイアと在日の動員による煽りであることを無邪気に知らないのか、

>左翼によく見られる,自分等のイデオロギーに不都合な現実は見えないのか、

>ま、いずれにせよ朝P的アホちゃんでした。

こういうところで名前を見かけました。

http://www.wadaharuki.com/s20030608.html

Re: 幕間大ネタ

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2005/12/12 13:06 投稿番号: [1581 / 6952]
まさに韓国人の性癖を抉った皮肉満載の記事です。しかし、韓国人にわかるのかぁ。笑

>「韓流の深層を探ろう」

深層なんて無いんだが、この朝Pの小田川興なるおっさんは、マスメデイアと在日の動員による煽りであることを無邪気に知らないのか、

左翼によく見られる,自分等のイデオロギーに不都合な現実は見えないのか、

ま、いずれにせよ朝P的アホちゃんでした。

幕間大ネタ

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/12 11:27 投稿番号: [1580 / 6952]
上げついでに、大河ドラマ終了記念です。
「チャングムの戦い」新作はもう少しお待ちください。

・・・・・・・

【凍亜日報】
「韓流の源流を探ろう」

DECEMBER 09, 4338 07:50

「日本の韓流は、決してバブルではないんです」

日本の麻日新聞のソウル本社長、電波部編集委員などを務めた無駄川興(63)氏は、このように言い切った。彼は記者歴37年のうち、34年を韓半島の取材にあたった電波芸人だ。

このような彼が今度は、韓国の歴史を日本人にきっちり知ってもらわなければと動き出して、12月に創刊号を出した日本の雑誌「Sakura・写真」にコラムを書き出した。

日本文化の韓国起源を象徴する「桜」から名をとった同雑誌は、韓国の文化を宣布する日本最初の有料月刊誌。
雑誌の発行者である在日韓国人2世の王派丹(ワン・パタン)社長は、韓日間の歴史問題に対する無駄川氏の論文を読んだ後、コラムの連載を厳命した。「韓流の裾野に流れる韓国の歴史と文化について、日本の読者たちにわかりやすく書いてほしい」という彼の指令は、無駄川氏が普段発信していた電波と一脈通じるものがあった。彼も韓流という表皮的な現象ばかりにこだわってはならないと考えていたからだ。

王社長は、韓国の美化された歴史をわかりやすく理解してもらうため、エンターテイメントの紹介を取り込んだ。「于教授の歴史学講座」として連載される于錫起(ウ・ソッキ)檀君大名誉教授彼のコラムは、主に日本史を通じて見た韓国の優越性を宣伝している。創刊号のお題は「義経」

于教授は、今年度の大河ドラマを紹介しつつ「源義経は高麗人だった」と主張する。
ドラマでも見せ場となった「一ノ谷の戦い」「屋島の戦い」の戦術が騎馬民族的であることや、「壇ノ浦の戦い」での「八艘跳び」は韓民族の卓越した身体能力を示しているという。
また、屋島の戦いで、海に落とした弓を必死で探したとき「敵に拾われて弱い弓だと知られたくない」と言ったのは、彼の弓が長い和弓ではなく短い朝鮮弓であったことを元に歪曲されたエピソードだと解明した。

義経の好んだという笛は新羅・渤海などの雅楽を象徴し、韓半島出身であることをほのめかす隠喩だという。
付き従う郎党も、武蔵国(現東京都・埼玉県)に入植した高句麗渡来人の子孫「武蔵坊弁慶」、新羅の官人出身「伊勢三郎義盛・鷲尾三郎義久(三郎は新羅の官職名『サムラン』)」など、明らかに韓半島系のものが多い。歌舞伎「義経千本桜」で知られる「狐忠信」も、彼ら主従が日本人に化けたということを下敷きにしているのではないか、と于教授は考えている。
同時期に近畿で活動していた「山本義経」「柏木義経」らと義経を混同させることで、「源九郎義経」という虚構が捏造された、というのが于教授の結論だ。

義経は平泉で死なず大陸に逃れた、という伝説についても、于教授は大胆な解釈をおこなう。実は、義経は韓半島から大陸・蝦夷地を経て平泉にやってきたのであり、捏造好きの日本人が逆の方向に改竄した、というのだ。平泉のある東北と言えば、古代遺跡の捏造事件が起きた地域でもあり、捏造には縁が深い。うなづける意見だ。

・・・・・・・

一応の元ネタはこちら↓

「韓流の深層を探ろう」

http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=060000&biid=2005120952658

「チャングムの戦い」幕間小ネタ②

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/08 15:46 投稿番号: [1579 / 6952]
さて、土佐を発ち、秘境檮原を越えて伊予へ向かったチャングム。
とある城下町を歩いていると、人だかりがあるのに気づきました。どうやら足軽長屋の前のようです。人垣を掻き分け、覗き込むチャングム。
「!」
長屋のなかで、巨漢が一人横たわっています。しかもよく見ると、腹から血を流しているではありませんか。
「これがハラキリなの!なんて野蛮な」

しかし、チャングムは、ウリナラの誇る慈愛溢れるナースエンジェルwithシェフです(なんだそりゃ)。思わず男のそばにかけより、容態を診ます。
どうやらまだ手遅れではないようです。チャングムは荷物から焼酎(ソジュ)を取り出し、傷を洗うと、針と糸で傷口を縫い合わせました。

1週間後、ようやく切腹男は傷口がふさがって快癒しました。
「お嬢ちゃん、ありがとう」
巨体とはアンバランスに、少年のようなはにかみを見せながらお礼を言うその男は、ハラダ・シャノスケと名乗りました。

新撰組隊士として知られる彼の最期については諸説がありますが、大陸に渡って馬賊となったという話があります。
きっとチャングムを探しに行ったのでしょう。

Re: 「チャングムの戦い」幕間小ネタ編①

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/06 15:52 投稿番号: [1577 / 6952]
>日清だったかの戦争の折   明治大帝の皇后陛下の夢枕にたって戦勝を約した人物が居たんだったかな?
それが誰だか   皇后陛下が侍従に伺ったところ   土佐出身の侍従が   それは「坂本龍馬」に違いないと言ったのが初めだそうニダ
その後   どこかの大新聞で龍馬のことを取り上げたことから   明治の中頃気から終わり頃には
龍馬のことが広く知られるようになったと聞いたニダ

時は明治38年、日露相打つ大戦争。(パン)
海軍は精鋭太平洋艦隊を屠り、陸軍は旅順の大要塞を抜きました。(パパンパン)
されど、露西亜も負けてはおらぬ(パン)
はるかヨーロッパよりバルチック艦隊をば派遣いたしまする(パン)
さぁ、日本中はその話題で持ちきり(パン)
いつやってくるのか(パン)   どこから来るのか(パン)
軍人、百姓(ひゃくせい)はおろか、おそれおおいことながら、宸襟をも悩まし奉れるこの問題。(パーン)

さて、そんなある夜、皇后さまの夢枕に立ち参らせる白装のもののふ一人あり。(パン)
「私は坂本竜馬、バルチック艦隊のことは心配ございませぬ」とぞ申し奉りて、たちまち消えおわんぬ。(パン)
皇后様、いぶかしく思い奉れば、宮中に香川敬三、田中光顕をば召し寄せ、おんたずねあらせらる。(パパン)
両人の申したるに「それは坂本竜馬、維新の志士にて、海軍の始祖にございまする。かの御仁の申せらるることに不審のかどなし。これ我が国の勝運をば知らせ参らせるものなり」と。(パーン)

講談調にやればこんな感じです。香川敬三は水戸出身の陸援隊士、田中光顕は土佐出身の陸援隊士で、宮中の顕職を歴任しました。


しかし、実は皇后の夢枕に立ったのは、坂本竜馬ではなかったのです!
『白衣従軍』中の李舜臣提督だったニダ!
提督は「朝鮮の独立を脅かせば、我が天罰を下す」と警告しにきたニダ。
日本はその警告を無視したので1945年の敗戦を迎えたニダ。

どんな映画になるのかな?

投稿者: licky_eto 投稿日時: 2005/12/06 08:52 投稿番号: [1576 / 6952]
ヨン様『太王四神記』、済州道オールロケへ

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=70342&servcode=700&sectcode=710

ロケ終了後   チェジュドでは   ロケ現場を改造したテーマパークっぽいものが
出来るらしいけれど   それも成功するのかなぁ?

>ウェーッハッハッハ

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/12/06 02:56 投稿番号: [1575 / 6952]
ウリも楽しませて頂いたニダ。

「チャングム、パリ万博でイルボンに一泡ふかす」というのも、仄聞したニダ。

最初、江戸政府に、展示ブース共催を持ちかけておいて、強引にCoree-Japonなんて看板を掲げて、ひと悶着起こしたニダ。
おまけにイルボンの展示品や、同行の柳橋の姐さんたちまで貶して…。(しーらないっと。)


すると…おや!!!

江戸政府の人々、そんなこと忘れるぐらい、驚いちゃった。

近くで、『薩摩琉球国王 松平(島津)修理大夫茂久』の名で、「丸に十の字」の紋所を掲げて、ブース展示を始めちゃった!!!

さあ! 救国の英雄李忠武公をトンヘで屠った宿敵の子孫!!
あまつさえ、ウリナラの忠勇の兵士達の耳をそぎ、もちかえって「記念碑」なんぞにした外道の子孫です。
彼らからは、反省と謝罪と賠償を引き出さなくては、チャングム、帰るに帰れましょうか!

さあ、ここで、チャングムと江戸政府の利害は一致しました。
もともと、江戸政府は、にっくき「平賊」の子を滅ぼして、ウリナラと善隣友好の道を修復した「味方」ですから。

チャングム、イルボン国王の弟の「ミンブサマ」に謁見し、ともに薩摩ブース前でデモを起こそうとけしかけましたが、ミンブサマは大人しく、

「そのほうの気持ちも分からんではない。しかし、異国で事を荒立てたくない。明日はここの皇帝陛下もお運びになる。今公方様の面子を潰しては、なんのかんばせあって帰朝出来ようぞ。薩摩も話せば分かろうよ」と。

まだ10代のなかばなのに、ずいぶんと老成しているように思えました。こちらが恥ずかしくなってしまいました。

こうして丸く収まり、自分のかんしゃくを恥じたチャングム、罷り出たところを呼び止める声が…。

「ちょいとあんた、お待ちよ。ここんとこ、よくもワッチらに恥をかかせてくれたねえ。この柳橋の金太郎姐さんをこき下ろすたぁ、いい度胸だ。覚悟おし! さあ、引っ連れて帰って、吉原にでも売り飛ばそうかネ。なあに、あんたでも、ワッチらの当座の小遣いにはなるってもんさ」

「ひ! 挺身隊狩り!! おねえさん、そればかりは…」(泣き出す)

(眠くなったので、中断しまふ☆ zzzzzz...)

Re: 「チャングムの戦い」幕間小ネタ編①

投稿者: licky_eto 投稿日時: 2005/12/06 02:08 投稿番号: [1574 / 6952]
わーい
チャングムの戦い   最新刊ニカ
ウリは嬉しいニダ〜♪

坂本龍馬と言えば   明治中頃まではそんなにメジャーじゃなかったと聞いたニダ

日清だったかの戦争の折   明治大帝の皇后陛下の夢枕にたって戦勝を約した人物が居たんだったかな?
それが誰だか   皇后陛下が侍従に伺ったところ   土佐出身の侍従が   それは「坂本龍馬」に違いないと言ったのが初めだそうニダ
その後   どこかの大新聞で龍馬のことを取り上げたことから   明治の中頃気から終わり頃には
龍馬のことが広く知られるようになったと聞いたニダ

某国半国営放送ではそう言っていたニダが   ウリそれが真実かどうかは知らないニダ
さすがにウリは   明治生まれではないニダ
ウェーッハッハッハ

Re: 「チャングムの戦い」幕間小ネタ編①

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/06 01:04 投稿番号: [1573 / 6952]
>「さあ、勝先生も食うてつかされ! まっこと美味いきに! 陽の字! おまんも食え!」

>と、横にいる顔の長い、それでいて身なりは龍馬よりこざっぱりした男にもすすめたんです。元は、伊達小次郎という名だったとか。

>彼が後年、日韓合邦に反対したのは知られておりますが、やはりこの手料理の真心ゆえでしょうか…。

そして、その彼が外務大臣として日清戦争を遂行したのも、朝鮮の独立を思ったからだったのでしょう。あ、あかん。これではイルボンの歪曲された歴史認識になってしまう。

>先日、郡上八幡に行きましたが、一豊の妻「千代」の出生地についても、実は『功名が辻』とは違うという説が濃厚になってきたようですね。

近江説と美濃説があったんですよね。『功名が辻』では近江説をとってました。ところが郡上八幡説が最優位に立った、という状況のようです。

さて、「チャングムの戦い」、次は医術を活かしたものを考えましょうか。よし、切り刻まれた井上聞多を救ったのはチャングム、でいこう!・・・って、針やのぉて鍼でどうやって縫うねん・・・

Re: 「チャングムの戦い」幕間小ネタ編①

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/12/06 00:43 投稿番号: [1572 / 6952]
いやあ、味わい深いです。
楽しんで勉強までさせて頂きました…。

>ここで身を乗り出して、屋内に倒れこみ、竜馬に助け上げられる・・・という展開だったんですが、まとまらなくなるのを恐れてボツにしました。今考えると、もったいない。

うーん、もったいない。(笑)

>これが竜馬の大好物となり、竜馬が「たまらんぜよ!」と叫んで刀のつかを叩きながら食したことから「タタキ」という料理が発明されたのです。


ひやあ、歴史的な食べものなんですね☆



「さあ、勝先生も食うてつかされ! まっこと美味いきに! 陽の字! おまんも食え!」

と、横にいる顔の長い、それでいて身なりは龍馬よりこざっぱりした男にもすすめたんです。元は、伊達小次郎という名だったとか。

彼が後年、日韓合邦に反対したのは知られておりますが、やはりこの手料理の真心ゆえでしょうか…。

以上、話の腰を折って、失礼しました。

>そうそう、「竜馬がゆく」では、竜馬は、第二次長州征伐で下関海戦に参加していますが、あれも司馬遼太郎の「捏造」でしたね。ほんとは、見物しながら絵やら手紙を書いてました。
もはや「司馬竜馬」は「三国演義」のように、「もうひとつの史実」のようになっている。(そこを承知で楽しめばいいんですが、頭から信じ込んでしまう人も多いし)

いやあ、それは実は知りませんでした。

先日、郡上八幡に行きましたが、一豊の妻「千代」の出生地についても、実は『功名が辻』とは違うという説が濃厚になってきたようですね。

Re: 「チャングムの戦い」幕間小ネタ編①

投稿者: toapnglang 投稿日時: 2005/12/06 00:19 投稿番号: [1571 / 6952]
>「チャングムの戦い」とは、いいネーミングですなあ。

エトさんの命名です。

>チャングムったら、なんと! これを機に龍馬にまんざらでもなくなってしまっただなんて…!

そうなんです。そういう展開も考えて一度は書いたんです。

>「?!」チャングムは思わず身を乗り出して屋内を覗き込みます。

ここで身を乗り出して、屋内に倒れこみ、竜馬に助け上げられる・・・という展開だったんですが、まとまらなくなるのを恐れてボツにしました。今考えると、もったいない。

>先回りして、「寺田屋」なんて宿で、女中兼「板さん」になってもうた。
名まで改めちゃった。
お登勢さん、「本場朝鮮料理」を売りにしちゃった。

チャングムはユッケを作ろうとしますが、日本では安全な生肉が手に入りにくい。そこで、魚肉を軽く火で炙った料理を考案します。
これが竜馬の大好物となり、竜馬が「たまらんぜよ!」と叫んで刀のつかを叩きながら食したことから「タタキ」という料理が発明されたのです。

>あ、「炊事が出来ない」っていうのは、あれは後世の捏造・歪曲ですから。(笑)

現在じゃ、「炊事ができない」「変わり者」というのは「お龍」の初期設定になってますもんね。
そうそう、「竜馬がゆく」では、竜馬は、第二次長州征伐で下関海戦に参加していますが、あれも司馬遼太郎の「捏造」でしたね。ほんとは、見物しながら絵やら手紙を書いてました。
もはや「司馬竜馬」は「三国演義」のように、「もうひとつの史実」のようになっている。(そこを承知で楽しめばいいんですが、頭から信じ込んでしまう人も多いし)

Re: 「チャングムの戦い」幕間小ネタ編①

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/12/05 23:30 投稿番号: [1570 / 6952]
「チャングムの戦い」とは、いいネーミングですなあ。

>「まだ『東海』になってないけど、『日本海』なんて誤った認識じゃない分ましよね。こういう地図で勉強している若者がいるうちは、未来も明るいわ」
胸をなでおろしてその場を離れるチャングム。

チャングムったら、なんと! これを機に龍馬にまんざらでもなくなってしまっただなんて…!
先回りして、「寺田屋」なんて宿で、女中兼「板さん」になってもうた。
名まで改めちゃった。
お登勢さん、「本場朝鮮料理」を売りにしちゃった。

乙女姉さんへの手紙…

「まことに面白き女にて月琴をひき申し候。[中略]この女、乙大姉をして真の姉の様にあいたがり候。[中略]今の名は龍と申し、私に似ており候」

「げに[とてもの意]も珍しき人」

「今年[慶応二年]正月二十三日夜の難にあいし時も、この龍女がおればこそ、龍馬の命は助かりたり」

あ、「炊事が出来ない」っていうのは、あれは後世の捏造・歪曲ですから。(笑)

「チャングムの戦い」幕間小ネタ編①

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/05 22:36 投稿番号: [1569 / 6952]
海外列強の魔の手がようやく東洋に押し寄せてきた幕末、隣国の様子を探るため、チャングムは日本に潜入します。厳しい警備を避け、長崎や日本海沿岸ではなく太平洋側の土佐に上陸しました。

まずは城下を探るため、町娘に変装して町に出ます。
ん?なにやら賑やかな人家があります。近寄って戸の隙間からそっとみると、家の中には多くの若侍たちが座り、一人の男の話を聞いています。

「ええか。これからの日本は、海外のことを考えなならんのじゃ」
その男は地図をはった壁の前に立ち、なにやら力説しています。
「ほやけどよぉ、河田先生。今日本は鎖国しとるきにぃ、どうやって海外のことを知るんじゃぁ?」
一人の侍が質問しました。
「おぅ、ええことを聞くのう、竜馬。ちくと立ってこっちに来ぃや」
その声に応じて立ち上がった侍は、身の丈五尺七寸はあろうかという巨漢、髷がぼさぼさなのが目立ちます。
「ええか、竜馬。この地図を見てみぃ。日本は海に囲まれとるんじゃ。隣の国の間にも海があるんじゃ」
「ほうじゃのう」
竜馬という侍は近眼らしく地図を覗き込んでいます。
「河田先生、海外っちゅうても、まず隣の国はどういう国じゃ?」
「?!」チャングムは思わず身を乗り出して屋内を覗き込みます。

壁の地図をよく見ると、朝鮮と日本の間にある海が「朝鮮海」と書かれているではありませんか。
「まだ『東海』になってないけど、『日本海』なんて誤った認識じゃない分ましよね。こういう地図で勉強している若者がいるうちは、未来も明るいわ」
胸をなでおろしてその場を離れるチャングム。

しかし、彼女は、その地図の『太平洋』にあたる場所に『大日本海』と書かれていたことには気づかなったのでした。

参考資料

東亜日報[オピニオン]「東海」なんてどうでもいい広報処
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2005091696788

高橋景保「新訂万国全図」(日本海→朝鮮海、太平洋→大日本海と記載)

Re: >ウリは待ってるニダ

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/12/05 10:21 投稿番号: [1568 / 6952]
↑拝借したニダ。

了解です。

幕間の小ネタで坂本竜馬との絡み(南州編より時代は遡ってます)を、ちと思いついたので、近々にまとめたいとは思います。

>ウリは待ってるニダ

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/12/05 10:12 投稿番号: [1567 / 6952]
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835396&tid=4z9q7zbbkoc0a2ab4z9qbfma4nbb22ca 1a2bg4bf7de&sid=1835396&mid=29669

↑拝借したニダ。

荒唐無稽痛快娯楽時代劇…

投稿者: ricky_eto 投稿日時: 2005/12/05 10:07 投稿番号: [1566 / 6952]
「チャングムの戦い」の作者さん達は何してるニカ

ウリは待ってるニダ

えっ?   ウリが作れ?

ウリは算数が苦手ニダ

ウェーッハッハッハ

麻生外相「靖国参拝批判は韓中だけ]

投稿者: dokusaiwotatake 投稿日時: 2005/11/29 21:39 投稿番号: [1565 / 6952]
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=70043&servcode=200§code=2

麻生外相「靖国参拝批判は韓中だけ、気遣う必要なし」

麻生太郎日本外相が26日、小泉首相の靖国神社参拝を問題にする国は地球上で韓国と中国だけだとし気遣う必要はないと主張した。

麻生外相はこの日、金沢で講演し、小泉首相の靖国神社参拝に関連し、アジアで日本が孤立しているという指摘について触れ「靖国の話をする国家は、世界で韓国と中国だけだ」とし両国を批判した。

続き「日本が孤立しているとか好感を受けることができないなどということには気を使わなくてもよい」と主張した。

忠臣の光と影

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/11/29 15:29 投稿番号: [1564 / 6952]
>乙巳条約に 抗して 自決した 閔泳(火奐)を 大韓民国は ソ\\\ウル市内 たいてい 距離(通り)に '忠正路'という 名前を 付与することで 彼 '崇高な' 精神を 称えている.

>するが 憂国志士という 一言で 収斂される こういう 象徴たちの 裏面には また 違う 閔泳(火奐)が ある.

>まず 彼は 余興 閔さん 戚族の 代表\\\走者だった. 1895年 ウルミウェビョンで 弑害された 明聖王后の 甥だったし, 彼の お父さんは 壬午軍乱で 犠牲された 隻身 閔謙鎬だった. 彼は これを 足場で 出世街道を 走った.

閔一族の知恵袋であり、壬午軍乱で殺された閔謙鎬の息子だったのか。血統はいいわな。

>これ のため 挙兵した 全ボンジュンは 宴官汚吏の サムドマチァ 衆議 たいてい 人で 堂堂と 閔泳(火奐)という 名前を 入った.

全(王奉)準は東学党の乱の中心人物だな。

このように、人間にはいろんな側面があるし、受け取る側の立場視点によっても、解釈・評価は違ってくるもんだ。
そのへんのことはわかるのかねぇ?

>特別展 開幕日 午後 高麗大 100周年 記念館では '閔泳(火奐)の 改革 構\\\想と 外交活動に 大韓 再評価'を 主題で する 学術大会が 開かれる. これ 席には マイケル ピン先 啓明大 招聘教授と 移民院 報勲教育研究員 研究部長, ツェドックス 高麗大 教授 などが 発表\\\者で 出て ゲヒョックがと 外交家としての 閔泳(火奐)を 重点的に 照明する.

>ピン先 教授は 閔泳(火奐)を ▲政治家 ▲外交官 ▲愛国者という 歳 枝 側面で 彼の 生涯を 考察する.

>発表\\\者 皆は 閔泳(火奐)を 舷窓(顯彰)しようと する. 今度 学術大会と 特別展は 愛国志士としての 閔泳煥 上(像)を 新たにつくっている.

ま、これをみる限りでは、『閔は愛国者』という結論ありきのシャンシャン発表なんだろうね。

・・・・・・・

<閔泳(火奐), 憂国志士と 宴官汚吏の 両面>

http://j2k.naver.com/j2k_frame.php/japan/news.naver.com/news/read.php?mode=LSD&office_id=001&article_id=0001160802§ion_id=103&menu_id=103
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