チャングムより本当のお話
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2006/01/04 16:18 投稿番号: [1610 / 6952]
宮廷料理人→奴婢→医女→王の主治医のチャングム話は創作ですが、
日本人というか日系人女性で
宰相夫人(ファースト・レディ)→奴隷→宮廷料理長→王様から女性として破格の名誉の称号
の人生を送った人は実在します。
2005年の12月15日の読売新聞12版に掲載されてました。
日本でもタイでもほとんど知られておりませんが、
ギョマーの居宅跡が現存するタイ中部の古都ロッブリーにある
国立ロッブリー博物館長のマニタ・クエンクンさんと協力して
東南アジア交流史研究家の草野英信さんが調査をなさいました。
マリー・ギョマー(1666〜?)
タイのアユタヤ朝時代で日本人とベンガル人ハーフの父ファニックと
長崎出身の母山田ウルスラの間にアユタヤのポルトガル人町で生まれ育ち、敬虔なキリスト教徒として育つ。
16歳の時、王朝に仕えるギリシャ人のコンスタンス・フォールコーン(1647〜88)と結婚する。
彼は卓越した語学力と商才を王に認められ最高位の宰相まで上り詰める。(優秀な人材は国籍を問わず登用されていた)
彼はタイでの中継貿易を牛耳っていたオランダから主導権をタイへ取り戻すために
新興のフランスと接近する政策を採っていた。
彼女もファーストレディとして懸命に務めるが、
王が危篤になると、フランス寄り政策をよく思わない勢力のクーデターによって夫は処刑される。
「フランス国王との保護確約書がある。何かあったらフランスの軍艦に逃げろ」との夫の遺言に従い
子供を連れて逃げるが、船長はそれを拒否し、タイ軍に彼女達を渡して逃げてしまった。
22歳の彼女は2年間水汲み奴隷に落とされ、重労働の辛酸を舐めるが、
それを知った王妃が哀れに思い彼女を奴隷から解放。
その後、宮廷料理人になり、 才能を発揮して宮廷料理長に任命され、
王から女性としては破格の「タオトーン」の尊称を受けるまでになる。
1717年フランス国王が亡き夫の多額の慰謝料を彼女に支払った。
彼女はそのほとんどをタイの子女教育や孤児の救済のための施設建築費等に充てた。
タイ人なら誰もが知っている日本の「鶏卵そうめん」に似た菓子「フォイ・トーン」を創作したのは宮廷料理人時代の彼女である。
(原型は双方ともポルトガルの菓子「Fios de ovos」)
しかし、タイでの評価はあまり高くない。
「タイをフランスに売ろうとした外国人の妻」という政治的レッテルを貼られているからだ。
草野さんは「政治に巻き込まれながらも強く清らかに生きた
彼女の人生を日本人もタイ人ももっと知って欲しい」と力を込めて語った。
日本人というか日系人女性で
宰相夫人(ファースト・レディ)→奴隷→宮廷料理長→王様から女性として破格の名誉の称号
の人生を送った人は実在します。
2005年の12月15日の読売新聞12版に掲載されてました。
日本でもタイでもほとんど知られておりませんが、
ギョマーの居宅跡が現存するタイ中部の古都ロッブリーにある
国立ロッブリー博物館長のマニタ・クエンクンさんと協力して
東南アジア交流史研究家の草野英信さんが調査をなさいました。
マリー・ギョマー(1666〜?)
タイのアユタヤ朝時代で日本人とベンガル人ハーフの父ファニックと
長崎出身の母山田ウルスラの間にアユタヤのポルトガル人町で生まれ育ち、敬虔なキリスト教徒として育つ。
16歳の時、王朝に仕えるギリシャ人のコンスタンス・フォールコーン(1647〜88)と結婚する。
彼は卓越した語学力と商才を王に認められ最高位の宰相まで上り詰める。(優秀な人材は国籍を問わず登用されていた)
彼はタイでの中継貿易を牛耳っていたオランダから主導権をタイへ取り戻すために
新興のフランスと接近する政策を採っていた。
彼女もファーストレディとして懸命に務めるが、
王が危篤になると、フランス寄り政策をよく思わない勢力のクーデターによって夫は処刑される。
「フランス国王との保護確約書がある。何かあったらフランスの軍艦に逃げろ」との夫の遺言に従い
子供を連れて逃げるが、船長はそれを拒否し、タイ軍に彼女達を渡して逃げてしまった。
22歳の彼女は2年間水汲み奴隷に落とされ、重労働の辛酸を舐めるが、
それを知った王妃が哀れに思い彼女を奴隷から解放。
その後、宮廷料理人になり、 才能を発揮して宮廷料理長に任命され、
王から女性としては破格の「タオトーン」の尊称を受けるまでになる。
1717年フランス国王が亡き夫の多額の慰謝料を彼女に支払った。
彼女はそのほとんどをタイの子女教育や孤児の救済のための施設建築費等に充てた。
タイ人なら誰もが知っている日本の「鶏卵そうめん」に似た菓子「フォイ・トーン」を創作したのは宮廷料理人時代の彼女である。
(原型は双方ともポルトガルの菓子「Fios de ovos」)
しかし、タイでの評価はあまり高くない。
「タイをフランスに売ろうとした外国人の妻」という政治的レッテルを貼られているからだ。
草野さんは「政治に巻き込まれながらも強く清らかに生きた
彼女の人生を日本人もタイ人ももっと知って欲しい」と力を込めて語った。
これは メッセージ 1 (ryuckel さん)への返信です.
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