竹島

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竹島考(安龍福)

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/18 12:44 投稿番号: [9447 / 18519]
転写
http://hiroshima.cool.ne.jp/kotodama-era/zatugaku_20.htm

安龍福、帰国して「日本の松島(現在の竹島)は朝鮮の宇山島の事だ」と証言し、それが後世に伝えられ、竹島問題において今の韓国側の根拠の1つになっております。
実際にそう思ったのか、また処罰を恐れて適当な事を言ったのかは分かりません。
しかしこの者、「宇山島(竹島)は鬱陵島の東北にあり、鬱陵島より大きな島」と言っています。
実際の竹島は鬱陵島の東南にあり、島の規模も殆どが岩の小島です。人すら住めません。
これに関して、安龍福は隠岐島に渡ったので、隠岐島と勘違いしていると言われています。
実際の方角は東南で証言の東北と異なりますが、考えられるのは隠岐島と勘違いしているか完全に嘘をついているかですね。安龍福が渡った島で「鬱陵島の東北にあり、鬱陵島より大きな島」に該当する島はないんですから。

古文書見つかるが,はたして

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/18 12:23 投稿番号: [9446 / 18519]
倭人はこう答えた。「吾が輩は本、松島に住んでおり、たまたま漁採の為に来ただけだ。今、丁度戻ろうとするところだ」。そこで安龍福は、「松島は即ち于山島だ。これもまた我が国だ、どうして住めるのだ」と言った
安龍福は于山島を鬱陵島より頗(すこぶ)る大きな島だったと言っている。しかし鬱陵島と日本本土との間には大きな島は隠岐島以外には存在しない。つまり安が見た大きな島とは隠岐島だったのである

Okino:
安龍福の見解はこうだ,松島=于山島=隠岐島   であるから安龍福は松島を隠岐島
だと信じていた

>安龍福の竹島記した古文書見つかる

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/18 09:04 投稿番号: [9445 / 18519]
「竹島と朝鮮之間三十里   竹島と松島之間五十里」

なるほど、倭の所謂松島は于山島であり、于山島は朝鮮領である。

re安龍福の竹島記した古文書/

投稿者: kwsk_my 投稿日時: 2005/05/17 21:09 投稿番号: [9444 / 18519]
末尾から2段目の段落

  覚書の末尾には京畿道など「朝鮮之八道」が記され、江原道には注釈として「此道ノ中ニ竹島松島有之」と書かれ、松島(現・竹島)も朝鮮領と認識していたことがうかがえる。


「朝鮮之八道」とは八道総図のことかしら?

安龍福の竹島記した古文書見つかる

投稿者: kwsk_my 投稿日時: 2005/05/17 20:50 投稿番号: [9443 / 18519]
http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=102374006
山陰中央新報

まだ、なんとも言えないけど距離関係や
その島を、現在の竹島(独島)と認識していたかの確認が必要のようですね

竹島=リヤンコ島

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/17 19:33 投稿番号: [9442 / 18519]
転写
http://chinachips.fc2web.com/repo1/015gosaku.html#id

――   もともと無人島だった竹島は、

近代以前は日朝間で領有権問題が持ち上がることはありませんでした。二十世
紀初めに、日本人が海驢(アシカ)猟の基地として使い始めてから利用価値が認
められ、日本政府は1905年1月28日「他国に於いて之を占領したりと認
めむべき形跡」のないことを確認の上、閣議決定で日本領とし、同年2月22
日、島根県知事の松本武吉は「島根県告示第40号」を公示して島根県に編入
しました。

この編入が日露戦争の最中のことだったため、韓国側では後世、竹島の島根県
編入は日本の侵略行為とする見方が生まれ、今も中学の歴史教科書では「日本
は露日戦争中に、一方的に独島をその領土に編入してしまった」と教えていま
すが、その記述は、過去の歴史を正しく伝えていません。

なぜなら、1900年10月25日、大韓帝国政府は、鬱陵島を鬱陵郡とし、
その行政区域を「鬱陵島全島と竹島・石島」と定めましたが、その中には竹島
の前身であるリヤンコ島は含まれていなかったからでです。

19世紀から20世紀にかけての竹島=リヤンコ島)は、どこの国にも属さな
い絶海の孤島だったのです。

>安龍福は犯罪人(流罪)

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/05/17 13:36 投稿番号: [9441 / 18519]
>,長崎に連行取り調べうけるも脱走する,今日韓国では,しがない漁民

連行するまえに、鳥取藩で追い放しになったと下条氏は述べてますね。

鬱陵島が朝鮮領になったのは対馬藩の仕事なのに、安龍福の手柄になっちゃった。
運のいい人ですね。

安龍福は犯罪人(流罪)

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/17 11:08 投稿番号: [9440 / 18519]
竹島で日本人漁師が朝鮮人を見つけ,逃げ遅れた2名を捕らえた,そして密漁の容疑で連れ帰り幕府につきだした,その後朝鮮に戻され(帰国ルートは不明)朝鮮当局の取り調べを受けたさい,御法度の竹島にいたため,その罪から逃れるため言葉たくみににげて,死罪だけはまぬがれたが流罪をうけた,その数年後こんどは大勢仲間を引き連れて隠岐に密航して来たが,みつかり捕らえられた,長崎に連行取り調べうけるも脱走する,今日韓国では,しがない漁民安龍福は英雄視され将軍様にされてしまっている,まさに捏造大国,韓国ではある

「民間外交官」安龍福がドラマ化ニダ!

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/05/17 09:45 投稿番号: [9439 / 18519]
へぇ????(笑)

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/05/17/20050517000002.html

>馬鹿の壁

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/05/16 22:32 投稿番号: [9438 / 18519]
>改正日本輿地路程全圖(元題簽);新刻日本輿地路程全圖(序) / [長久保赤水著]

>[弘化3年] -- -- 木版 (色刷) -- 1舗 -- 67.7×94.4cm(22.7×15.8cm)
安永乙未三月 阿波國儒者讃岐柴邦彦

>これなんぞ、半月さんの思いこみが誤りで、高麗国と明らかに異なる萌葱色
の色づけで竹島、松島が色刷りされておりますわい。

>一部転写でものを論ずる気なんぞありませぬわ。この日本輿地路程全圖の
付記をお調べなされ。

>愚老の言うところが、事実であることが氷解されましょうぞ。


私の言う、馬鹿の壁とはこのことよ。エンドレス・ストーリーの始まりでしょう。

>>あのー

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/16 22:17 投稿番号: [9437 / 18519]
いえ、弘化年間のものは安永年間のものとは同一ではありません。
この場合は、「国代記」から長久保赤水が引用したことが問題なのですから、オリジナルの安永年間のものを見ませんと、赤水先生が意図したことは分からないと思いますが。
その70年後に他の発刊者が、オリジナルをどう改変したのか、または考証を加えたのかは、その者が果たして「国代記」を参照したかどうか不明ですので、「国代記」の記述とは直接関係ないわけです。
やはり厳密には、「国代記」を直接参照したであろう事が確実なオリジナルを根拠にすべきかと思われますが、如何でしょう。

>あのー

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/05/16 22:08 投稿番号: [9436 / 18519]
弘化3年版は赤水先生の死後数十年の後、他の方が発行したものですよね。
主題は長久保赤水が国代記から引用したことですから、安永年間の地図を根拠にされた方が宜しいのでは?

安永年間のものは手彩色ですわい。色刷りがないかと半月さんはそれのみを言
われたはず、色刷りを出して進ぜたまで。死後に議論しているのに、著作物は
死後は焚書されるべき?

またがるのがお好きのようですな。要は、付記の意味するものがこの場合、頭に
あるものの解説であることが分かれば良いのでは・・・それとも愚老を愚弄される
おつもりですかな、Am_I_AHO殿。(微笑)

あのー

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/16 21:29 投稿番号: [9435 / 18519]
弘化3年版は赤水先生の死後数十年の後、他の方が発行したものですよね。
主題は長久保赤水が国代記から引用したことですから、安永年間の地図を根拠にされた方が宜しいのでは?

更に噛み砕いて

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/16 21:22 投稿番号: [9434 / 18519]
分かり易く説明いたしますと、赤水先生は国代記からの引用を記す際に、紛れもなく竹島(鬱陵島)単独の説明であることを明白にするために、「簡略版」のような方向に記載も出来たはずですね。
http://toron.pepper.jp/jp/take/image/nagaku3.jpg

この様に書いたのならば、それは紛れもなく竹島一島の説明でしょう。
しかし事実は違うわけです。「簡略版」とは反対に、二島の領域にまたがるように記載されました。

http://www2.library.tohoku.ac.jp/kano/kochizu/CJA08342001/CJA08342001-5.html

何故でしょう?

.>>>此州為限矣

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/05/16 21:18 投稿番号: [9433 / 18519]
改正日本輿地路程全圖(元題簽);新刻日本輿地路程全圖(序) / [長久保赤水著]

[弘化3年] -- -- 木版 (色刷) -- 1舗 -- 67.7×94.4cm(22.7×15.8cm)
安永乙未三月 阿波國儒者讃岐柴邦彦

これなんぞ、半月さんの思いこみが誤りで、高麗国と明らかに異なる萌葱色
の色づけで竹島、松島が色刷りされておりますわい。

一部転写でものを論ずる気なんぞありませぬわ。この日本輿地路程全圖の
付記をお調べなされ。

愚老の言うところが、事実であることが氷解されましょうぞ。

>>>此州為限矣

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/16 20:44 投稿番号: [9432 / 18519]
>「見高麗如自雲州望隠州」の頭は何処にありましょうや?
>本邦では注記する場合頭のあるところの解説であるのが慣例ですわい。

なるほど。
頭は竹島(鬱陵島)には向いていませんね。竹島の右上辺りから松島の左上辺りに書き込まれていますが?

http://www2.library.tohoku.ac.jp/kano/kochizu/CJA08342001/CJA08342001-5.html

頭が竹島に向いているのは、注記ではなく島名ですね。

次のリンクは某サイトに「簡略版」として掲載されているものです。
http://toron.pepper.jp/jp/take/image/nagaku3.jpg

この「簡略版」だけを見れば、尻尾が松島とは反対方向に向いていますので、いかにも注記は竹島(鬱陵島)のみに付されたような印象を持たせることが出来ますが、原本を観れば尻尾が松島にまでまたがるように記されているのですから、これは二島についての注記ではないかとの印象を持ちました。

>>此州為限矣

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/05/16 20:16 投稿番号: [9431 / 18519]
>赤水先生が国代記をどう読んだか、竹島と松島との間に「見高麗」以下の文章を二島にまたがるように斜めに注記したのは何故でしょうね。

愚老を愚弄なさるようなお方とも思われませんので愚見を述べましょうぞ。
「見高麗如自雲州望隠州」の頭は何処にありましょうや?
本邦では注記する場合頭のあるところの解説であるのが慣例ですわい。

竹島の横に注記が始まるので、尻尾が何処に有ろうと、またがるように
見えようと松島には関係なく、まさしく竹島の解説ですわい。

根拠が無い それならば侵略!

投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/05/16 16:42 投稿番号: [9430 / 18519]
http://homepage1.nifty.com/okotanpe/k-5.htm

韓国人がその根拠とする三国史記(1145年刊)の巻第44、列伝第4「異斯夫(イサブ)」には、概略こうあるだけである。「新羅・智証王13年(512年)、異斯夫が于山国を手に入れようとして獅子の木像で島の人を脅して、島人は降伏した」 。于山国自体がどこを指すのか不明瞭で、のちの高麗史(1452年刊)や、世宗実碌(1454年編)
に現われる記述では、鬱陵島(ウルルンド)とその周辺の島の二島を指すと読める。しかし世宗実録では「異斯夫」の逸話を再録しつつも、「島の中には大きな山があり、山頂から東向きに海までの距離は一万余歩、西向に一万三千四歩(中略)、村落は七箇所あり」などとあり、
これは明らかに鬱陵島のことで、混乱している。新羅時代に降伏したのが竹島だと指し示す資料はない

>不戦親父さん

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/05/16 14:15 投稿番号: [9429 / 18519]
>通常は干物や塩辛などに加工

確かにそうです。
わかめとアワビでは干すでしょうね。

安龍福が、于山島として記述しているなかにも火を使った加工の記述がありましたね。
もっとも燃料が無いので、獨島とは考えにくいですが。

なんにしても、北東に見えたのでは獨島に確定することは難しいですね。
それから、獨島を視認したのであれば、相当困難ですから
その記述があるはずですね。
ただ単に見たと書けるような見え方ではないでしょう。

不戦親父さん

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/16 14:00 投稿番号: [9428 / 18519]
でも4−5日かけて出漁したのならば、冷凍技術のない昔のことでもあり、通常は干物や塩辛などに加工してから持ち帰るでしょうね。
出来るだけ早く陸地へ戻ったとしても、腐りかけの魚じゃ売れないでしょうに。

そうすると、朝鮮には船上で加工する伝統はありませんから、どうしても陸上で加工することになるでしょう。
最低限小屋掛けして、水場を確保して、食料も貯蔵し、それなりの滞留設備が必要と思われますし、更に規模を拡げるのならば漁具の保管修理も必要でしょう。
安龍福が猫や鳥に言及しているのは、或いは干物をくすねられないように対策する必要があったからかもしれませんね。

>此州為限矣

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/16 13:21 投稿番号: [9427 / 18519]
赤水先生が国代記をどう読んだか、竹島と松島との間に「見高麗」以下の文章を二島にまたがるように斜めに注記したのは何故でしょうね。

ちなみに赤水先生が参考にしたといわれる森幸安の「日本分野図」には、松島は現れませんので、「見高麗」以下は赤水先生が注記したものでしょう。
http://jpimg.digital.archives.go.jp/jpg_prg/jgmWeb.dll?TmpFileDisp1?env=jpeg2k_image s/ezu/nihonyochizu/220_nihonbunyazu.env&l=3&cy=3580&cx=3856&dy=800&dx=964&all=0

>沖永良部島

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/16 13:00 投稿番号: [9426 / 18519]
  Am I AHOです。

>   それらの島が日本の地であるとする根拠は何ですか?   日本の地であれば天領ですか?   天領ならだれが管理していたのですか?   また、天領でないならどこの藩の所属ですか?   国絵図には載っていますか?

沖永良部島は薩摩藩の琉球侵攻により琉球国から奪取した奄美諸島の一つです。
従って、薩摩藩と同色に彩色されているようです。
これは版により赤く彩色されたり、或いは薄く鼠色に彩色されたりしているようですが、何れも薩摩藩と同色に塗られているようです。
或いは、版元によっては、彩色されていない特定の版が在るのかもしれませんが、未確認です。

> 安龍福の活動範囲

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2005/05/16 10:06 投稿番号: [9425 / 18519]
>   想像力が欠如しているようです。日本の漁師にせよ、朝鮮の漁師にせよ、4−5日かけて出漁したのに、海辺だけで行動して、また4−5日かけて引き返すなんて私には考えられませんし、

海辺だけで行動して戻るのが当然です。
遊びで行ってるんじゃないんですよ。
海産物を出来るだけ早く売ったり処分する必要があるでしょう。
山の上に行ってるなら、山の物産を仕込むためです。

どっちみち、想像力は必要ないです。
本人が、「北東」と言ってるし、大きな島とか言っておりますので、獨島認識と確定することは無理です。
せいぜいひょっとしたらぐらいですね。

>2日くらい、東から西までもまたしかり

見ただけでもわかりますし、人から聞いただけでもわかります。

半月城さんは、自分に有利なものは可能性だけで証拠にしてしまいます。
一次資料を多用する学問的要素と、論理の飛躍はかなり落差がありますね。
NIFTY時代からそう思っております。

半月へ 。安龍福の原本を出しなさい。

投稿者: shoin1992 投稿日時: 2005/05/16 08:08 投稿番号: [9424 / 18519]
半月へ。 原書原本を見て言っているんだろうな。

江戸期の安龍福記述の件は、朝鮮による改ざんの疑いが濃厚だ。

この原書原本は、韓国政府の金庫の中にあるだろう。
李承晩の竹島侵略時の米との内書も、金庫の中にあるだろうから、
これも出すように。

韓国政府の主張文献に沿って行わないと、
対話の場合、意味が生じないなー。

この問題、私は遊びでしているんじゃないんだ。

すでに極悪の北鮮とは、戦争状態にある。
この北・悪党・金正日は、化学兵器をソウルに打ち込んで、
南朝鮮人を殺すことを用意している。

この時、南北朝鮮は崩壊するが、
日本に助けてほしい、といっている。
戦後、歴史を捏造し、反日で散々攻撃しておいて、
何を助けるんだ。
日本人よりもアジア人の為に、どれだけの血を流したのか。

韓国政府、同議員と韓国新聞に、この竹島占拠の、
明確なる根拠を提示するように
言っている。

反日の在日は、大局の歴史勉強の不足。
洗脳され散々しゃべってきたが、その幕は終わった。
学問は真実の追究が主題。

半月よ。原書をだされよ。

韓国政府、きちんとした根拠をだしなさい。
出せないなら、謝罪して、竹島から退散しなさい。
そして遺族に賠償しなさい。

韓国の新聞は事実を報道しなさい。

>馬鹿の壁

投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/05/16 07:58 投稿番号: [9423 / 18519]
たびたびありがとうございます。

正直に言ってまだお話が理解できないのですが、今すぐに理解しなければならない内容では無さそうだと判断したので、この件についてはひとまずこれまでにしようと思います。

最後に一点だけコメントします。

> 辞書で結論が出れば、この話はとうに終わっています。
> 隠州視聴聞記に同じような用い方が有るか調べても
> 此州と同じ用法と相手が認めなかったら今と同じように
> エンドレス・ストーリー

私は自分が納得するために調べているので、他人が認めるかどうかはどうでも良いです。
ただ、他人が認めないのは論証に不備があるためかもしれないので、認めない方には詳しく話を聞いて、自分の検証に役立てたいと思っています。

>沖永良部島

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/15 23:47 投稿番号: [9422 / 18519]
>それらの島が日本の地であるとする根拠は何ですか?

竹島・松島に関して申し上げれば、次の通りです。

第一に、隠州視聴合記の記述を「松島・竹島は朝鮮(異国)のもので、日本の西北境は隠州と言っている」とは決して読めないこと。第二に、現実として幕府の許可により鬱陵島への渡航事業が行われていること。第三にtinopureさんもお示しのように竹島一件後もいくつかの資料において松島が日本の地であるとの前提があることを見て取れること。などです。そうしたさまざまなことを整合的に考えたものです。

沖永良部島については「1609年薩摩藩の侵攻により薩摩の直轄領となる。薩摩藩はこの島にサトウキビの栽培を命じた」とWikipediaにあります。さらに長久保の地図に「是より南百二十里、琉球国」との記述があることはご存知かと思います。視点の置き所が日本にあることが分かります。青ヶ島は長久保の時代からすでに有人島だったのではないですか。沖ノ島についてはよく知りません。

>日本の地であれば天領ですか?   天領ならだれが管理していたのですか?

竹島・松島について申し上げると幕府は竹島への御奉書を出してはいますが島の管理は誰もしていなかったのでしょう。それは「御尋の御書付」のやり取りをみても分かることです。ただし、阿部豊後守のことばには明らかに日本の「附属」の意識はあったとすべきかと考えます(鳥取藩の竹島認識はそうでもなかったのかもしれませんが)。ですから、私は次のように書いたのでした。

>日本に属する島ではあるが、管理・所轄の対象である有人島ではなく、単に開発・事業の対象としての無人島の意識です。わざわざ斉藤はそれを「西北境」とはしなかった。それが私が2で示したものでした。(9391)

>また、天領でないならどこの藩の所属ですか?   国絵図には載っていますか?

私はあくまで斉藤の記述をどう読むべきかの次元の問題のみについて申し上げたつもりです。さきに明確にしています。どこの藩の所属か。それは私には分かりません。国絵図も同じです。私の申し上げたことは、斉藤が「松島・竹島は無人島であり、日本の西北境は隠州と言っている」とする解釈のみです。つまり以下の通りです。

>2はつまり「遠い無人島をわざわざ明確に西北境と規定するつもりがなかった。かといって両島を朝鮮としているわけではない。」ということです。こうした理解は、周辺状況からはずれないものと思います。

>私は2でいいのではないかと思っています。そして、現実として竹島・松島は事業・経営の対象であり、またこうした資料を読んだ先人が鬱陵島の向こうに朝鮮という国を見ていたということは言えるように思います。(9365)

>安龍福の活動範囲

投稿者: mekatarami 投稿日時: 2005/05/15 20:41 投稿番号: [9421 / 18519]
常日頃はいっぱしの理論家を気取っていても、

少し痛いところを突かれると、文章が途端に乱れるのは、

昔からちっとも変わったはらしまへんなァ。

「想像力の欠如」ですかいな。

そら「想像力」に何の権威もないことを認めてしもたら大変ですわなァ。

「想像力」だけで書き上げた「半月城通信」には何の価値もないちゅうことを、

満天下に知らしめてしまうだけですもんなァ。

お立場、お察し致します。

沖永良部島

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/05/15 19:22 投稿番号: [9420 / 18519]
   半月城です。

   RE:9391,ahirutousagi2さん
>個人的にはイメージとしては長久保赤水の地図のような感じで理解しています。そこでは沖ノ島や青ヶ島、沖永良部島などが竹島・松島にあわせて彩色されていませんが、日本の地であることにはかわりありません。

   それらの島が日本の地であるとする根拠は何ですか?   日本の地であれば天領ですか?   天領ならだれが管理していたのですか?   また、天領でないならどこの藩の所属ですか?   国絵図には載っていますか?

安龍福の活動範囲

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/05/15 19:19 投稿番号: [9419 / 18519]
   半月城です。

   RE:9351, three_monkeys_and_sleeping_catさん
>これらの記述を見ると、安龍福の行動範囲は海辺です。
・・・
>安龍福の置かれた状況から考えて、彼が竹島(独島)を視認可能な位置まで移動するのは極めて不自然だと思いますが、半月城さんはどう思われますか?

   想像力が欠如しているようです。日本の漁師にせよ、朝鮮の漁師にせよ、4−5日かけて出漁したのに、海辺だけで行動して、また4−5日かけて引き返すなんて私には考えられませんし、実際にもそれだけに終わっていません。私に本気で反論するつもりなら、眠り猫を決めこまないで、すこしは一次資料をあたってからにしてください。
   ま、親切心で安龍福の活動範囲を紹介すれば、安龍福は鬱陵島に到着したときの模様をこう語りました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『粛宗実録』22年9月戊寅
   主山は三峯で、高いところは三角である。南から北まで2日くらい、東から西までもまたしかり。山には雑木や鷹や鳥、猫が多い・・・
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   安龍福の朝鮮における自供は手柄話なので誇張や虚偽が多いのですが、それでも上の一節はだいたい当っています。これだけ見ても安龍福の行動は海辺だけにかぎられないことが明白です。

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

banbancho2さん

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/05/15 19:18 投稿番号: [9418 / 18519]
   半月城です。

banbancho2さんの質問には答えましたが、私の質問にはどうしますか?
答えるも自由、沈黙するも自由です。

可能性としては

投稿者: tinopure 投稿日時: 2005/05/15 11:42 投稿番号: [9417 / 18519]
5.「州(島)」は竹島(鬱陵島)松島(現在の島根県竹島)を表し、日本の西北境は竹島(鬱陵島)

ってのは、ありでしょうか?

>「此二島無人之地」のうちで「見高麗如自雲州望隠州」と整合性があるのは
竹島(鬱陵)のみである。

という部分は   その通りだと思いましたので、
細かくなりますが   こういうことになるのかなと思いまして   私としては   4番ではなく、5番にさせていただければと思います。

此州為限矣

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/05/15 10:26 投稿番号: [9416 / 18519]
>>1.松島・竹島は朝鮮(異国)のもので、日本の西北境は隠州と言っている。
>>2.松島・竹島は無人島であり、日本の西北境は隠州と言っている。
>3.「州(島)」は竹島(鬱陵島)を表し、日本の西北境は竹島(鬱陵島)と言っている。
>>4.「州」は竹島・松島、二島を表す。日本の西北境も二島と言っている。

>   ahirutousagiさんが4.に加えられるのなら・・・

>ところでAm_I_AHO_1stさん   お教え下さらんかな。
>松島(現・竹島)から高麗は歴々と見えましょうや。

Am_I_AHO_1stさんは、竹島、松島を一連の方位図で捉えて4.とされる。
愚老は此書の執筆の時点で3.でなければと考えている。

此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、
然則日本之乾地、以此州為限矣

「此二島無人之地」のうちで「見高麗如自雲州望隠州」と整合性があるのは
竹島(鬱陵)のみである。

あとはこれまで述べてきた事に尽きる。

う−ん

投稿者: tinopure 投稿日時: 2005/05/15 09:37 投稿番号: [9415 / 18519]
隠州視聴合記の読み方は
http://toron.pepper.jp/jp/take/jpn/onsyu.html
でいいと思っております。
やはり全文通して無理なく読むと「鬱稜島含む」と思いました。

そして、幕府が鬱稜島への渡海を禁じたあとの「長生竹島記」では
「松島哉と遠見す   本朝西海のはて也」
と、国境が鬱稜と松島(現在の島根県竹島)となった.

そのように考えたのです。

いろいろと   当たって   新しい資料等がでてきたら   また   書き込んでみます。

>資料です

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/05/15 08:36 投稿番号: [9414 / 18519]
隠州視聴合記以外のご提示の資料はそれぞれ元禄9年の竹島一件のあとのものですね。

これらの資料は、さきに私が可能性としてあげた2・3・4のいずれとも矛盾するものではなく、必ずしも4のみの根拠とはならないと思います。

ちなみに隠州視聴合記そのものの記述、これらの資料、竹島一件における「御尋の御書付」の件、長久保赤水の地図などから私はさきにあげたもののうち「2」が整合性がとれると考えたわけです。

遅くなりました 資料です

投稿者: tinopure 投稿日時: 2005/05/15 07:02 投稿番号: [9413 / 18519]
1667年   隠州視聴合記
http://www.lares.dti.ne.jp/~takuhi/folder/siryou.html#隠州視聴合記

宝暦年間(1751−63年)   北?(くにがまえの中に「元」)   通?(あん・庵)(←すいませんunicodeでないと漢字がでないようです)「竹島図説」
隠岐国松島ノ西島ヨリ海上道規凡四十里許リ北方に一島アリ名テ竹島ト曰フ   此ノ島日本ニ接シ朝鮮ニ隣シ地形三角ニシテ周囲凡ソ十五里許リ

1801年   矢田高当   「長生竹島記」
竹島渡海之砌竹島丸往き通ひにはかならす此島江津掛りをなしたると云
当時も千石余の廻船夷そ松前行に不(レ点)量大風に被(二点)吹出(一点)し時は   これそ聞伝う松島哉と遠見す   本朝西海のはて也

1823年   大西   教保   「隠岐古記集」(隠州視聴合紀が底本)
亥ノ方四十余里にして   松島あり   周り凡壱里程にして生木なき岩嶋という   又酉ノ方七十里余に竹嶋といひ伝ふ竹木繁茂して大島の由
是より朝鮮を望めば隠州より雲州を見るより尚近しと云
今は朝鮮人来往すと云と   愚(注:自分のこと)諸国の船人に問尋するに方角誠に然り   秋晴天北風の日に大満寺山の頂上より望み見は
松島は遙かに見へんという   竹島は朝鮮の池山に懐かれ遠く望めば朝鮮地と見ゆる由   愚按当国にて古より磯竹と云伝へあり

Am_I_AHO_1stさん

投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/05/14 22:02 投稿番号: [9412 / 18519]
ライコス掲示板時代、竹島トピックスを通じて秘かに感服しておりました。

誠実で、高い知性と研究心をお示し頂き
随分勉強させて頂きました。

今までの、非礼の数々をお詫び申し上げると共に今後のご発展を願っております。

国代記についての見解

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/14 20:17 投稿番号: [9411 / 18519]
かつてライコス掲示板時代には、異なった見解を持っていましたが、その後に得られた知見については、或いはそれにより生じた疑念など、このトピックスでその都度示してきました。

まず第一に、斉藤豊仙の時代には竹島渡海事業が行われており、その知見が反映されても当然なのではないかとする考えに立ったことは、このトピックスでも大分以前に表明しました。
次に、竹島渡海事業が行われる前にも、日本の中に竹島(鬱陵島)を自国領と考えている者が居た可能性については、『籌海図編』を巡る考察の中で明らかにしました。
その考察を要約すると、『籌海図編』が如何なる資料を元に、「日本図」の中に竹島を含めたのかは分かりませんが、その編纂の経緯から、日本国内で収集した何らかの資料を元にした蓋然性が高いと判断するものです。
その他、最近の投稿で考えを示したとおりです。

従って、なお若干の不明点を残すものの、現時点で筆者は4の立場を支持します。
今後の研究に期待します。

>>よろしいでしょう

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2005/05/14 19:52 投稿番号: [9410 / 18519]
>松島(現・竹島)から高麗は歴々と見えましょうや。

斉藤豊仙は二島の何れから高麗を見えると書きましたかな。
愚生には、何れから見えるとも書かれていないようにしか読めませぬ。
また斉藤本人が二島を訪ねて実見したうえでの文章でもないでしょう。
さて、松島から竹島が見える、竹島(鬱稜)から高麗が見えるとするのは、どこまでも後世の読者が他の知見から照射する後知恵であり、斉藤の文章とは本来無縁のものでもありますな。

そのうえで、敢えて純粋に国代記の文章だけから法則性を探すとするならば、斉藤が記したのは隠岐から他の州(シマ)への路程一覧なのであり、であればこそ二島をして一個の州(シマ)と表すことにより国代記の記述に規律を持たせることが可能になると筆者は考える。
また元来「島(シマ)」には単独の一島であるとする意味の外に、島々を指して用いられる場合もあるが、筆者は曖昧さを排する目的で後者の場合には「州(シマ)」としているのである。

自衛軍

投稿者: neo_takeshima100nen 投稿日時: 2005/05/14 19:01 投稿番号: [9409 / 18519]
で とりかへすしか ないんぢゃないかと

馬鹿の壁

投稿者: kana_ikeuchi 投稿日時: 2005/05/14 18:53 投稿番号: [9408 / 18519]
>アドバイスをありがとうございます。ただ、申し訳ございませんが、私には kana_ikeuchiさんのおっしゃることがよく理解できないため、少々お伺いしてよろしいでしょうか。

>>     1.ミクロ的に正しくても間違った結論が導かれることもある。
>>       例; 州を、辞書であたる。隠州視聴聞記に同じような用い方が有るか調べる。

>ここで「例;」として書かれているのは、文脈からして当然「ミクロ的に正しくても間違った結論が導かれる」例を挙げていただいたものと思ったのですが、どうも内容を見ると違うようです。むしろ、これらは「ミクロ的に正しい結論を導く方法」の例だと思います。

>それにも関わらず、これらを上の文脈で例として挙げたということは、kana_ikeuchiさんはこれらの方法を使うと間違った結論が導かれると考えていらっしゃる、或いは導かれた実例をご存知であるためだと推測したのですが、この推測は正しいでしょうか。

辞書で結論が出れば、この話はとうに終わっています。隠州視聴聞記に同じような用い方が有るか調べても此州と同じ用法と相手が認めなかったら今と同じようにエンドレス・ストーリー・・・

>正しい場合、どのような結論が導かれ、それがどのように間違いなのかについてもう少し具体的に教えていただけませんでしょうか。

エンドレス・ストーリーになるから悪いけどパス。(間違っている方が真実を認めないかぎりはね。)

>>     2.現存する記述、史料だけから必ずしも正しい結論が導き出せるとはかぎらない。
>>       例;「日本国内の島として」、「日本国内の島への渡航として」

>こちらも文脈からすると「現存する記述、史料だけから必ずしも正しい結論が導き出せない」例を挙げていただいたものと思うのですが、「日本国内の島として」「日本国内の島への渡航として」という文言がそれとどう関係するのか、申し訳ありませんが、私にはさっぱり分かりませんでした。もう少しご説明を加えていただけると幸いです。

  それぞれ状況証拠、状況判断となっても相手が感情的、情緒的では正しい結論として通じる筈ないわね。現に竹島は鬱陵「朝鮮の持」と日本が認めても、松島(独島)に関しては史実からマクロで非情にみれば日本領だけど韓国は認めようとしないでしょう。困って嶋を消滅させたいと仰有った韓国の要人がいたわね。論理的に考えるほど馬鹿の壁に突き当たる・・・。
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