半月城さん、貴サイトから引用
投稿者: three_monkeys_and_sleeping_cat 投稿日時: 2005/05/08 21:26 投稿番号: [9351 / 18519]
過去の半月城通信の内容から考えて、鬱陵島の竹島視認可能地域と
安龍福の鬱陵島での行動範囲は以下の理由からかぶらないと思います。
> ここでも下條氏はヤブヘビになった感がありますが、『竹嶋紀事』の記事はさらにそ
>れを強調する結果になりかねません。『竹嶋紀事』で、かの地すなわち鬱陵島に安龍福が
>逗留する間に于山島をようやく二度見たことがあり、その島は朝鮮人の間で于山島として
>知られていたことが記されました。
> この記述は『世宗実録』地理志にある記述「二島、相去ること遠くなく、天候が清明
>なら、すなわち望み見ることができる」を実証するものにほかなりません。
> さらに『竹島紀事』によれば、于山島は鬱陵島から一日の航路にあるので、距離的に
>も竹島=独島に合致します。
下條正男氏への批判、安龍福と竹島=独島(http://www.han.org/a/half-moon/hm106.html#No.779)
1693年の鬱陵島逗留中に安龍福が于山島を見たと言うことですが
> 安龍福が于山島というものの存在を知ったのは、鳥取藩に密航する三年前の1693(元
>禄6)年4月、「鮑(あわび)と和布(わかめ)かせぎ」のため鬱陵島に渡ったときである。
「下條正男氏への批判、安龍福と竹島=独島」で引用されている下條正男氏の記述
>粛宗19年(1693)夏、海で漁をしていたところ漂流して鬱陵島に到着した
>が、たまたま倭船に遭い拘束され五浪島に入った。
竹島=独島と安龍福(http://www.han.org/a/half-moon/hm094.html#No.688)
これらの記述を見ると、安龍福の行動範囲は海辺です。
漁のためであれば海辺から離れるとは考えにくいですし、漂流しの末ついたと考えても
不案内な山深くにはいるとは考えにくく(最悪、仲間とはぐれる)行動範囲は海辺に限定されると思います。
その上で以下を読んで見る。
> つまり鬱陵島の、200 - 300m の高度の東南がひらけた場所からなら、竹
>島=独島は水平線上に小さくではあるがとにかく見える。そうした視認可能地
>点は地図を開いてみれば鬱陵島には随処にあることが分かる。
>(中略)
>つまり当然漁業だけではなく農業を行っていたと推定されるのだが、鬱陵
>島もやはり海岸部は概して急峻で、むしろ 200 - 300mの台地上に比較的平坦
>な開墾適地が多く、現在もそんな土地に少なからず人家があり畑が開かれてい
>る。
竹島(独島)は見えるか(http://www.han.org/a/half-moon/hm066.html#No.434)
つまり、安龍福が竹島(独島)を見たとすると
鬱陵島の海岸部から急峻(傾斜が急で険しいこと)な場所を登り200 - 300m地点まで
わざわざ行ったということになります。
(参考までに東京タワーの展望台が150m、特別展望台が250m地点です。)
安龍福の置かれた状況から考えて、彼が竹島(独島)を視認可能な位置まで移動するのは
極めて不自然だと思いますが、半月城さんはどう思われますか?
安龍福の鬱陵島での行動範囲は以下の理由からかぶらないと思います。
> ここでも下條氏はヤブヘビになった感がありますが、『竹嶋紀事』の記事はさらにそ
>れを強調する結果になりかねません。『竹嶋紀事』で、かの地すなわち鬱陵島に安龍福が
>逗留する間に于山島をようやく二度見たことがあり、その島は朝鮮人の間で于山島として
>知られていたことが記されました。
> この記述は『世宗実録』地理志にある記述「二島、相去ること遠くなく、天候が清明
>なら、すなわち望み見ることができる」を実証するものにほかなりません。
> さらに『竹島紀事』によれば、于山島は鬱陵島から一日の航路にあるので、距離的に
>も竹島=独島に合致します。
下條正男氏への批判、安龍福と竹島=独島(http://www.han.org/a/half-moon/hm106.html#No.779)
1693年の鬱陵島逗留中に安龍福が于山島を見たと言うことですが
> 安龍福が于山島というものの存在を知ったのは、鳥取藩に密航する三年前の1693(元
>禄6)年4月、「鮑(あわび)と和布(わかめ)かせぎ」のため鬱陵島に渡ったときである。
「下條正男氏への批判、安龍福と竹島=独島」で引用されている下條正男氏の記述
>粛宗19年(1693)夏、海で漁をしていたところ漂流して鬱陵島に到着した
>が、たまたま倭船に遭い拘束され五浪島に入った。
竹島=独島と安龍福(http://www.han.org/a/half-moon/hm094.html#No.688)
これらの記述を見ると、安龍福の行動範囲は海辺です。
漁のためであれば海辺から離れるとは考えにくいですし、漂流しの末ついたと考えても
不案内な山深くにはいるとは考えにくく(最悪、仲間とはぐれる)行動範囲は海辺に限定されると思います。
その上で以下を読んで見る。
> つまり鬱陵島の、200 - 300m の高度の東南がひらけた場所からなら、竹
>島=独島は水平線上に小さくではあるがとにかく見える。そうした視認可能地
>点は地図を開いてみれば鬱陵島には随処にあることが分かる。
>(中略)
>つまり当然漁業だけではなく農業を行っていたと推定されるのだが、鬱陵
>島もやはり海岸部は概して急峻で、むしろ 200 - 300mの台地上に比較的平坦
>な開墾適地が多く、現在もそんな土地に少なからず人家があり畑が開かれてい
>る。
竹島(独島)は見えるか(http://www.han.org/a/half-moon/hm066.html#No.434)
つまり、安龍福が竹島(独島)を見たとすると
鬱陵島の海岸部から急峻(傾斜が急で険しいこと)な場所を登り200 - 300m地点まで
わざわざ行ったということになります。
(参考までに東京タワーの展望台が150m、特別展望台が250m地点です。)
安龍福の置かれた状況から考えて、彼が竹島(独島)を視認可能な位置まで移動するのは
極めて不自然だと思いますが、半月城さんはどう思われますか?
これは メッセージ 9345 (hangetsujoh さん)への返信です.
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