竹島

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>物わかりの悪いお人だね

投稿者: mekatarami 投稿日時: 2004/09/14 19:51 投稿番号: [5634 / 18519]
>SF条約は独立主権国家たる韓国にとっては第三国同志が締結したものであり、
>同条約を根拠に韓国が不利益を蒙る義務はないと云える。

正直言いまして、この発想については、最初わたしもなるほどなァ、
と思たもんです。
そういう考えもアリかなァ、てね。

ただ、よう考えると、これやっぱりおかしいように思いますなァ。

そもそもSF条約の締結国に、韓国(と北朝鮮)が入ってないのは、
なんでなんですかなァ?
師匠の仰るように、当時の韓国は完全な独立主権国家なわけですわな。

それが、なんでです?
どっから見ても、第二次大戦の当事国ですやん。どっか中南米の国が
SF条約に参加してないのとはまるっきり訳が違う。

しかも、敗戦国日本がゴネて、韓国を外したんと違いますわな
(たぶんそんな力はなかったやろし)。
水が高きから低きに流れるように(各国の合意の下で)、おのずから
そうなった訳で。

これはやっぱり、当時の韓国の「独立主権国家」としての値打ちが、
その程度しかなかったことの証拠と違いますのかなァ?

「独立主権国家」なるもの、そんなにドグマティックなもんではないように
思います。
俗に言うピンからキリまであるわけで、それに対する尊重のされ方も
千差万別ですわ。

普通に考えたら当然参加資格のある会議、いやむしろ、自国の運命を左右する
重要な国際会議に参加「させてもらえない」国家の「独立主権」なるもの。

さて、いかほどの値打ちのあるもんなんでしょうなァ?

契約によって、その契約に何ら同意していない第三者の財産に変動を
加えることはできない。
これは国際法に限らず、かなり普遍的な法理であるように思います。

ただ、これはあくまでその第三者が「人間」である場合の話ですわなァ。
「犬」や「猿」の持ち物を、人間が取り上げようがどうしようが、先の法理とは
あんまり関係ないように思うんですけど、どないですかなァ?

悪あがきはよさないか

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/09/14 19:42 投稿番号: [5633 / 18519]
それとも理解力が欠如しているのか。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=5629

SF条約は関係ない。
遅くとも1948年8月15日には韓国の主権は回復して居り、このことは1965年韓日基本条約に於いて日本国も確認しておる。
SF条約は独立主権国家たる韓国にとっては第三国同志が締結したものであり、同条約を根拠に韓国が不利益を蒙る義務はないと云える。

都合の悪いこは忘却するお人だね

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2004/09/14 19:39 投稿番号: [5632 / 18519]
>SF条約は関係ない。

関係ないと思いたいだけなのね。この間の質問に答えてくれないかな。
ちなみに、国連の承認は国家承認とみなす、みなさないで学説がわかれてるらしいよ。どっちにしても終戦時に存在しない韓国に対する履行義務は日本は負ってないので関係ないけどな。

mattouyaさん

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2004/09/14 19:28 投稿番号: [5631 / 18519]
日本の韓国支配(併合)が終わって、韓国は併合前の状態に復帰(原状回復)したのではないのでしょうか?

であれば、日帝併合期に日本がどう扱ったかじゃなくて、併合前の状態はどうだったのかが問題ではないかと思うのですが?

いかがでしょうか?

物わかりの悪いお人だね

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/09/14 18:47 投稿番号: [5630 / 18519]
>そして、間違いに気がついてSF条約と。

SF条約は関係ない。
遅くとも1948年8月15日には韓国の主権は回復して居り、このことは1965年韓日基本条約に於いて日本国も確認しておる。
SF条約は独立主権国家たる韓国にとっては第三国同志が締結したものであり、同条約を根拠に韓国が不利益を蒙る義務はないと云える。

併合は無効になってます

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/09/14 18:26 投稿番号: [5629 / 18519]
日本政府も確認済み

http://pweb.cc.sophia.ac.jp/~j-eto/IntLaw/03mat-10.htm

# 椎名外相答弁(1965.11.19)
  これは、従来の日韓間に締結された旧条約、それに対して、客観的にもはや無効であるという事実を宣言したものでございまして、これらの条約がしからばいつ無効になったのかというと問題が残るのでございますが、日韓間の併合条約は、1948年8月15日、すなわち、朝鮮が日本の支配を離れたとき、すなわち韓国が独立を宣言したその日から失効したという解釈をとっております。それから併合前の諸条約は、それぞれ条約の所定の条件が成就した際に失効し、あるいはまた、併合条約の発効に際して失効すると解釈をとっております。

結果として

投稿者: mattouya 投稿日時: 2004/09/14 18:04 投稿番号: [5628 / 18519]
併合は終わったのですから、
終わった時点で、大日本帝国が慶尚道に属するとしていた「竹島=独島」は
その後も慶尚道に属するというのが分かりやすいです。

>もともとも現在も別の国

投稿者: mekatarami 投稿日時: 2004/09/14 17:24 投稿番号: [5627 / 18519]
>一時併合して一つの国にしていたときに

なるほどなァ。
日本は韓国を併合するときに「これは一時的なもんですよ」言うて
併合したわけですなァ。
「第一条   韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ
日本国皇帝陛下ニ譲与ス」の裏には、秘密条約かなんかがあって、「一時的な
併合」っちゅう合意がでけとったわけですなァ。
実に興味深いことですなァ。

できましたら、その根拠になるような文書なんかをお教えいただけると、大変
ありがたいことですなァ。

もともとも現在も別の国

投稿者: mattouya 投稿日時: 2004/09/14 16:55 投稿番号: [5626 / 18519]
一時併合して一つの国にしていたときに、
淡路島が兵庫に属するように、独島=竹島   は、慶尚北道に属していた。
国が分離したときに帰属するのも、慶尚北道でしょう。

>全体から見れば・・・・

投稿者: NEO_SWAT 投稿日時: 2004/09/14 16:48 投稿番号: [5625 / 18519]
>もし、大阪と兵庫が別の国になった場合には、...

別の国にならないことが この議論の前提です。よろしく おねがいします。

#5252参照

現代でも矛盾はあるよん。

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2004/09/14 16:42 投稿番号: [5624 / 18519]
>日本の政府機関毎に矛盾がある
国土交通省の管轄では、長野県は分断されてるね。各機関の機能に応じて管理しやすいように管轄を決定するのは現代においても当たり前だわな。県警等の地方行政下の組織は除くよ。
「The Court attached probative value to various acts relating to the exercise by Jersey of jurisdiction and local administration and to legislation・・(MINQUIERS AND ECREHOS CASE)」
んで、「地方行政上」島根県から朝鮮に移動したわけ?そもそも、当時は半島も含めて日本国だったわけで、軍の「水路としての認識」が領域権原にどのような影響をもたらすのか不明だけどな。(大韓帝国や韓国のexternal displayではない)
ちなみに、Ligitan and Sipadan ではオランダ軍駆逐艦の上陸報告や周辺海域の調査・監視報告は不採用になってますな。

>その矛盾がSCAPIN677の策定
そして、間違いに気がついてSF条約と。

ところで、暫くこのトピを見てなかったんだけど、素晴らしいurinara国際法を披露なさってたようで。

まだあったんですか

投稿者: toraneko_yh 投稿日時: 2004/09/14 16:26 投稿番号: [5623 / 18519]
このトピ

竹島が日本の領土であることは明らかなのにねえ。

全体から見れば・・・・

投稿者: mattouya 投稿日時: 2004/09/14 16:13 投稿番号: [5622 / 18519]
>>日帝強占期には、竹島=独島が日本区域に入ろうと朝鮮区域に入ろうとほとんど影響がないので、
>「ほとんど影響がない」のであれば、
>以下の 文と 矛盾するのでは?


いや、淡路島が大阪府に属するか
兵庫県に属するか、徳島県に属するかは
日本国にとっては「ほとんど影響がない」が
もし、大阪と兵庫が別の国になった場合には、淡路島の帰属が問題になるでしょう。
同じ国であった場合に兵庫に属していれば、別の国になった場合にも、兵庫を有する国のものになるのでは?

矛盾は矛盾でしょう

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/09/14 12:06 投稿番号: [5621 / 18519]
矛盾があるとすれば、何故に日本の政府機関毎に矛盾があるのかでしょうね。
島根県は自分の所轄だとしている筈なのに、同じ日本でも他の政府機関は違った見解を持っていたからじゃないのですか。

その矛盾がSCAPIN677の策定時に影響を及ぼしたとする論理なのでしょう。

>陸軍省の『地圖区域一覧圖』

投稿者: NEO_SWAT 投稿日時: 2004/09/14 11:53 投稿番号: [5620 / 18519]
>日帝強占期には、竹島=独島が日本区域に入ろうと朝鮮区域に入ろうとほとんど影響がないので、

「ほとんど影響がない」のであれば、

#4613における:
「この資料で「獨島」が「朝鮮区域」に分類されれば、日本の帝国主義者たちも「獨島」の元来の主人が朝鮮であることをみずから認めるものに他ならないからである。」が

なりたたない ことになり。以下の 文と 矛盾するのでは?


>陸軍省は率直に本来あるべき姿で独島を分類したようでした。

陸軍省の『地圖区域一覧圖』

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/09/12 21:50 投稿番号: [5619 / 18519]
   半月城です。
  「獨島問答Q83、日帝強占期」へのコメント、および NEO_SWATさんの #5603へのコメントをかね記します。

   RE:4613   独島問答 Q83,
>   この『地圖区域一覧圖』では「獨島」を「朝鮮」と「日本本州」のどちらに分類するかがとても重要だが、日本陸軍参謀本部は、地図上で「獨島」を日本本州に入れる空間が十分あるのにもかかわらず、鬱陵島と「獨島(竹島)」をひとくくりにして朝鮮区域に分類して描き、獨島の右側に「朝鮮区域」と「日本本州区域」を区分する太い線を引いた。

   愼𨉷廈氏は別な資料で『地圖区域一覧圖』についてこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   しかるに、日本の陸軍参謀本部 陸地測量部は独島を「朝鮮区域」に含めたのである。これは日本軍が、日本帝国主義の最盛期である1936年の時点で、大日本帝国が解体すれば独島が朝鮮領として返還することをあらかじめ例証する資料を準備したにひとしい。
   1945年8月15日、日本の帝国主義が敗亡し、連合国が大日本帝国を解体する時、この『地圖区域一覧圖』がもっとも重要な資料のひとつになったのは論難の余地がない。
   なぜなら、連合国最高司令部が従来日本領の特定区域に対して日本政府の政治・行政上の権利行使、または企図の停止を命令したSCAPIN第677号の集団分類(grouping)がこの『地圖区域一覧圖』とほとんど一致するためである(注)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   日帝強占期には、竹島=独島が日本区域に入ろうと朝鮮区域に入ろうとほとんど影響がないので、陸軍省は率直に本来あるべき姿で独島を分類したようでした。そうした認識が、日本の敗戦で朝鮮支配が終ったとき、連合国により SCAPIN 677号という形で反映されたようで、竹島=独島は日本の政治・行政から切り離されました。
   このSCAPIN 677号に対し、日本政府は何ら不服やクレームを一切申し立てず、率直に従ったのでした。帝国主義時代に新たに獲得した領土であるので、敗戦により切り離されても当然視されたのでしょうか。

(注)愼𨉷廈『独島の民族領土史研究』(韓国語)知識産業社 1996,P251

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

朱印船と『隠州視聴合紀』

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/09/12 21:47 投稿番号: [5618 / 18519]
   半月城です。
   内藤氏の著書にもたしかに『隠州視聴合紀』は詳述されていました。それが何と「第4章、19世紀末の竹島(鬱陵島)」の章にあったとはちょっとした落し穴でした。内藤氏は、斉藤豊仙の『隠州視聴合紀』についてこう記しました。

  「(『隠州視聴合紀』は)1691年(元禄9)の竹島一件が結着する以前の時期である1667年にまとめられた文献である以上、幕府の特別許可を得て竹島渡海事業が行われている時期であるから、竹島(鬱陵島)を日本の乾地(西北境)と思って記述したことは当然とみなければならない(注1,P122)」

   この論理にはすこし飛躍があるようです。もし、竹島(鬱陵島)渡海事業が「幕府の特別許可」なしに行われていたのなら内藤氏の説は妥当なところですが、同氏の強調する「幕府の特別許可」こそが問題です。内藤氏は「幕府の特別許可」についてこう記しました。

  「もともと異国への渡海を許可する朱印状は、渡航先は明記されているが、宛先も渡航期限も示されないのが通例で、渡航が終るごとに返却する一回限りのものであった。
   これに対して奉書船制度における奉書とは異国への渡海許可を記した老中文書で海外に携行したものとされている。ただし宛先は海外に行く本人であって、竹島渡海免許のように鳥取藩主に宛てたのは異例としなければならない(注1,P54)」

   内藤正中氏は「幕府の特別許可」をこう考えるのなら、それを斉藤豊仙がどう受止めたのかについて考察すべきでした。それに関する記述は『隠州視聴合紀』にあるのみならず、内藤氏の著書出版以前すでに下條正男氏により次のように明らかにされていました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   さらに当時、斉藤矛緩が鬱陵島を以って日本の北西限とし、鬱陵島を日本領と認識していたことは、『隠州視聴合記』の「知夫郡 焼火山縁起」の文中からも指摘することができる。
   同縁起には「時に元和四年春三月、又伯耆国の大賈 村河氏、官より朱印を賜わり大船を磯竹島に致す。颶風に遇いて高句麗に落つ(注2)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   下條氏は「朱印を賜り」渡海することの意味をどれだけ知っているのか、首をかしげたくなります。朱印船で渡海するのは「異国」であるという史実を知らないのでしょうか?
   それはともかく、斉藤豊仙は磯竹島(鬱陵島)を朱印船で渡海していた島、すなわち異国の島と認識していたのでした。竹島(鬱陵島)が異国の島なら、同島が日本の西北の限りにはなりえません。
   また、これは前にも書いたように、『大日本史』の編者も『隠州視聴合紀』をそのように理解しました。内藤氏が『大日本史』について知らなかったのは仕方ないかも知れません。また『現代コリア』は学術誌とはいえないので、内藤氏がそれを知らなかったのも無理ないかもしれません。
   しかし島根県の研究者なら、地元の史料である『隠州視聴合紀』をもっと大切に扱うべきではなかったかと思われます。

(注1)内藤正中『竹島(鬱陵島)をめぐる日朝関係史』多賀出版,2000
(注2)下條正男「竹島問題考」『現代コリア』1996.5, P70
  『隠州視聴合紀』原文
  「時 元和四年春三月、又伯耆国之大賈 村川民 自官賜朱印 致大舶於磯竹島 遇颶風 落高句麗 日暮不知津」
  (隠岐郷土研究会編『隠岐島史料 近世編 上』1963,P29 より引用)

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

「人民日報」 1953年1月18日

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2004/09/12 20:58 投稿番号: [5617 / 18519]
「琉球群島はわが国台湾の東北と日本の九州の西南の海上に散在しており、尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、大島諸島、トカラ諸島、大隈諸島の七組の島嶼を含んでおり、それぞれには大小さまざまな島嶼があり、総計で名称のある島嶼五十と四百余りの無名の小島があり、陸地の総面積は四千六百七十万平方メートルである。」

北西限界

投稿者: NEO_SWAT 投稿日時: 2004/09/12 16:47 投稿番号: [5616 / 18519]
>結論からいうと『隠州視聴合紀』の「此州」を竹島(鬱陵島)とみるのは困難です。

ただ 隠州とすると 北西限界と 称するにしては えらく 鈍角で、これなら あえて 北西限界を 云々する 必要は ないのでは?とも おもうんですよね。

『隠州視聴合紀』の解釈

投稿者: earth_nori_4567 投稿日時: 2004/09/11 21:51 投稿番号: [5615 / 18519]
下條氏の解釈を批判されていますが
今回「竹島は日韓どちらのものか」
を読み返してみました。
すると下條氏の考えに説得力がある
と思われます。
あくまでも私は原文は読まずに下條氏
の本を読んでの判断です。
下條氏の解釈で重要なことは一部分を
読んで解釈するのではなく全体を通し
て読んで著者である斉藤豊仙が意図し
ていることは何かかが理論的に論じら
それはここで一部分をもって誤読と判
断しているのに比べると数段論理的に
解釈できていると判断されます。

>『籌海図編』に見る竹島

投稿者: NEO_SWAT 投稿日時: 2004/09/11 16:08 投稿番号: [5614 / 18519]
隠岐「山」や 伊岐「州」って かきかたに 目を ひかれたり...

『籌海図編』に見る竹島

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/09/11 14:50 投稿番号: [5613 / 18519]
最近愚生は海外ニュースカテにて太田黒氏から『籌海図編』を紹介して頂きました。

同書は明の倭寇討伐総督である胡宗憲が当時幕下に迎えていた明代随一の地理学者である鄭若曽に命じて1562年に編纂したものらしい。

<『籌海図編』>
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/eastasia/chukai.htm

この中の日本地図中に「竹島」が描かれている。

胡宗憲は当時倭寇の大頭目であった王直への使者に蒋洲と陳可願を日本に送り、会談させているが、この蒋洲が持ち帰り鄭若曽へ提供された資料を基に日本地図が描かれたと思われる。

<王直>
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/kaizoku/ouchoku.html

王直は五島列島など九州西部各所に邸宅があった模様だが、もし蒋洲がこれらの地方で竹島に関する情報を入手していたとすれば、1562年以前に日本でも竹島(現在の鬱陵島)の存在が知られていた蓋然性があるのではないか。

どうですかね

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/09/10 09:52 投稿番号: [5612 / 18519]
>90km「も」ですよね、常識的には。

海上の90kmが近いのか遠いのか。

尖閣諸島の魚釣島と大正島との間は約110kmですが、110km「も」離れていてもワンセットで考えられているようですね。

http://akebonokikaku.hp.infoseek.co.jp/page005.html

「竹島諸島」に関しては日本でも古くから隠州視聴合紀に見られるように「此二島」とのワンセットの認識があり、また幕府の「竹島渡海免許」があれば別途松島への渡海免許は必要なかったようですし、その程度の距離は竹島諸島を殆ど一体と見なす妨げにはなっていないように感じますが。

↓追加

投稿者: tmakuma 投稿日時: 2004/09/10 00:57 投稿番号: [5611 / 18519]
要するに、古来から日本国60余州と呼称するところから

日本国内では旧国名を○○州と呼称あるいは記述する事があることを下條氏は知らないと思われる

ちょっと情けないですね
それか知っていて恣意的に説を曲げているのか・・・

もしそうなら『曲学阿世の徒』というしかないかw

re:隠岐島

投稿者: tmakuma 投稿日時: 2004/09/10 00:52 投稿番号: [5610 / 18519]
かなり強引と言うか、事実を捻じ曲げていると言うか古文書の読み方を知らないと言うか・・・

日本は現在47都道府県ですが
それぞれが国だったのは日本人ならだいたい分かるところですましてや研究者ならw

島根県で言うと
島根県東部は出雲国、島根県西部(大田市あたりから西)は石見国
そして隠岐島は「隠岐国」です

島で国となっているのは・・・
佐渡島>佐渡国
淡路島>淡路国
壱岐島>壱岐国
対馬島>対馬国
の合わせて5カ国です

さて、これら旧国名を称して「○○州」と記載・記述する事があります。
ちなみに九州は
『9つの島があるわけではなく、9つの国があったからつけられています』

旧国名を州で呼称している例

遠江国(静岡県西部)>遠州
安芸国(広島県西部)>芸州
または遠江守(遠江国の長官職)の呼称も同様に呼びます
小堀遠州

また、足利幕府時代にあった役職では
奥州探題と言うのも有ります
(これは現在の福島、宮城、岩手、青森の地域の長官)
羽州探題(山形、秋田)

です

さぁ

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/09/10 00:41 投稿番号: [5609 / 18519]
>下條氏の「形状」はトンデモな解読で了解しました。

どうでしょうね。私は「状況」あたりで読むのが自然として、下條氏の読み方を恣意的解釈としていますが、かといって、全くそう読めないかどうかは、私にはよく分かりません。

私の知る指令文の原文は、

来報ハ 閲悉デアリ 独島領地之説ハ 全属無根ナリシガ 該島 形便ト 日人 如何行動ヲ 更為査報スル   コト(カタカナ部分、ハングル)

です。これだけの文章ではどうもよく分かりません。 独島領地の説は全て根拠がないが、該島の「形便」と日本人の行動如何を更に調査報告をなすこと、という程度でしょうか。

この「形便」をどう読むかは、微妙なところだと思いますね。「形状」までも含めて問うているのかどうか。この指令文に対する返事を確認すれば済むことですが、それについては話を聞いたこともありません。

いずれにせよ、恣意的解釈の可能性は充分にありますが、あたかも「形便」に「形状」の意味をも存在しないかのように責めたてる半月城氏の意見もちょっとどうでしょうか。

まぁ、トンデモ解読では、私は下條氏よりは論争相手でもあった金柄烈氏が数段上だと思いますよ。(5578に一例のみあげました)

半月城氏は

>そうしたレベルの下條氏は、去る 96年から99年にかけて大胆にも韓国の学者と竹島=独島論争を展開しました。
   下條氏は日本側論者の代表になった感がありますが、同氏の変遷ぶりや実力では結果は歴然としています(注6)。

と述べています。注6でちょうど私も持っている「独島論争」を引用していらっしゃいますが、半月城氏のこのことばは、私にはじつに理解不能な評価です。下條氏であれ金氏であれ、間違っていれば批判すれば済むことなのですが。

Yes

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/09/09 21:42 投稿番号: [5608 / 18519]
下條氏の「形状」はトンデモな解読で了解しました。

>>形便

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/09/09 20:33 投稿番号: [5607 / 18519]
形便に「地の形状」の意味も含まれていることは先に指摘したとおりです。韓国でもっとも権威を認められる辞書である国立国語研究院の辞書でもその意味が記載されています。

http://www.korean.go.kr/dictionary/kd01.htm

もちろん、これは形便に含まれるごく一部分の意味ですが。

>形便

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/09/09 20:15 投稿番号: [5606 / 18519]
愚生の所持している40年前の辞書には『(物事や現象が)置かれていたり形成される過程や状態』と定義されています。
「家庭形便」と云えば、その家庭が置かれている状態、即ち家庭事情と云った具合に使われるのが最も一般的ですし、現在も韓国内で使われています。

しかし少数ながら「沿海形便図」の様な用例もあり、この場合は単に「海岸の形や地勢」のみならず港湾の船舶停泊能力、航路や距離などの情報や、その地方の置かれている状態など「形勢」以外の各種の情報も記されるのが一般的なようです。
「形便」に「形勢」の意味が含まれているとしても、それはより広範囲な情報の中の一部分に過ぎないと解釈するのが妥当と思われます。

形便

投稿者: NEO_SWAT 投稿日時: 2004/09/09 18:43 投稿番号: [5605 / 18519]
補足しておくと...

「形便」を 韓日辞書で しらべると「形勢」という 意味も あり、「形勢」を おなじ辞書で しらべると「山の形や地勢」とも あります。

隠岐島

投稿者: NEO_SWAT 投稿日時: 2004/09/07 18:45 投稿番号: [5604 / 18519]
>    驚いたことに下條氏は「隠岐島」と「隠州」を同列に考え、島名と行政区画単位を混同しているようです。単純な反論ですが、たとえば「因州」といったら「因幡」のことであり、決して「因島」のことではありません。

この反論にも 混同が みられるような 気がしますが...
「隠岐島」って島名でしたっけ?
隠岐地方の 島々を 総称して「おきのしま」とは いいますが、一島嶼としての 隠岐島は ないのでは?
#島根県民なのに自身はないですが


ただ、引用部分だけ よむと 下條氏も 強引ですね。

>『隠州視聴合紀』、韓国の見解

投稿者: NEO_SWAT 投稿日時: 2004/09/06 09:48 投稿番号: [5603 / 18519]
レスありがとうございます。

#5252にも おねがいします。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&action=m&mid=5252&mid=

#気が むいたら #5294にも...

『隠州視聴合紀』の解釈について

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/09/06 08:36 投稿番号: [5602 / 18519]
1.もし『隠州視聴合紀』(1667年)が当時の日本の領有意識を正しく反映しており
2.もし「此二島」が「此州」と同等の意味を持つならば
3.竹島一件で放棄した領土はどうなるか。

川上氏ら日本の名だたる論客が揃って注意深く避けたのも当然でしょう。

Yes

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/09/06 08:27 投稿番号: [5601 / 18519]
此二島=此州と対比して読むことも出来るでしょう。

二島ワンセットです。

ちなみに竹島一件以前だった筈。

(以下略)

朝日新聞 1953年10月23日

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2004/09/06 00:16 投稿番号: [5600 / 18519]
朝日新聞   1953年10月23日
日韓会談決裂後の二十一日、対馬暖流を調査中の島根県水産試験船島根丸は竹島を訪れ、記者は同島に上陸、東島南側の砂砂利で去る十五日、韓国が立てた標石を発見した。長さ一メートル七○の「独島遭難漁民慰霊碑」で、米軍の誤爆によって同島に出漁中の韓国人十四人が死亡、または行方不明となった霊を慰めるために同国慶尚北道知事が立てたものだ。碑の左側の岩の上にコンクリートで固めた五〇センチ、横二〇センチ、高さ二五センチの御影石の標石を発見、石の表には「独島LIANCOURT」と刻まれており、1952年8月15日韓国アルペン協会が同島を訪れたのを記念し、去る15日建立したもので、日本側で立てた標柱のかわりに韓国領土であることを示したものと思われる。韓国調査団が訪れて間もないものとみえ、米国製煙草のすいがらや、空箱、フィルム箱、赤白の測量ボールなどがところどころに散在していた。東島の頂上には四本の測量ポールが立っていた。「島根県隠岐郡五箇村竹島」の標柱は引き抜かれたらしく、どこにも見当たらなかった。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/pole.jpg

>『隠州視聴合紀』1

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/09/05 22:49 投稿番号: [5599 / 18519]
>他の文献を調べたところ、下條正男氏以外に田川孝三氏が「日本の乾の方の限界は此の州(州はシマの意である)なのであると釈読しなければならぬ(注7)」と書いているのが判明しました。

内藤正中を省略するのは、どうしてですか?何か都合が悪いのでしょうか。

内藤氏は州=島とは明確に述べてはいませんが、「竹島を日本の乾地と思って記述したことは当然とみなければならない」としてますね。

まぁ、どうでもいいですが。私は必ずしも州=島とも考えませんから。5126参照。

『隠州視聴合紀』、韓国の見解

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/09/05 22:26 投稿番号: [5598 / 18519]
   半月城です。
   田中邦貴さんは、#5570に対する回答はまだなようです。代わりに、『隠州視聴合紀』にある「此州」を韓国がどう解釈しているのか、田中さんが指定した金学俊氏の本から引用します。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   この部分は日本の乾地、すなわち西北境界が雲州と断定した。したがって西北境界を越えた所ある二つの島 松島と竹島、すなわち独島と鬱陵島は日本の領土ではないことを認めたわけであり、したがって朝鮮の領土であることを認めたわけである。
   換言すれば、日本の公式報告書と言える『隠州視聴合記』は、既に一六六七年に独島を朝鮮の領土として認めていたのである(注1)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   金氏は「此州」を雲州として、鬱陵島とは解しませんでした。ここで、雲州は隠州の誤りと思われます。それはさておき、金氏の主張は、田中さんの「州は島の意味です。これについては、中国・韓国もそう解釈しています」という見方とはほど遠いものです。さすがは狼少年です。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=2137

   韓国の見方ですが、韓国政府は『隠州視聴合紀』の解釈に関して、59年に日本政府へこう反論しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   日本側は、自己の主張を補強するために『隠州視聴合記』を引用したが、その引用が大きな誤読であるので、もう一度、原文を精読する必要がある。この本は書名のように隠州国隠岐島に関する記事で、隠州が日本の乾地(西北限界)になっているというのである。その原文を引用すると
  隠州在北海中 故云隠岐島 按倭訓海中言遠故名与 南方至雲州美 戍亥間行二日一夜有松島 又一日程有竹島 此二島無人之地 見高麗 如自雲州 望隠州 然則 日本之乾地 以此州為限矣
   ここで、いわゆる松島はすなわち独島、竹島は鬱陵島をさすもので、この二島から高麗(韓国)本土を望見する距離関係がちょうど雲州から隠州を望観するのと同じなので、それすなわち日本の西北部は此州で限界とするというのである。
   これを日本側は誤読して前の二島を日本の西北部の限界としたのは誤りである。『隠州視聴合記』の記事こそ正当な見解であると見なければならない(注2,P378)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   これに対して日本政府は反論をあきらめたのか、62年の反論書では単に『隠州視聴合紀』が松島、竹島を認識していたことだけを下記のように記すのみでした。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   寛文7年(1667年)に出雲藩士 齋藤某が編した『隠州視聴合記』は隠岐の漁夫らの実見談を採録したものであるが、その巻1に、
  「鬱陵島・・・西北方に行くこと二日一夜にして松島(今の竹島)あり、また一日程で竹島(今の鬱陵島)があり、この二島 人なき地・・・」
  と記している(注2,p425)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   結局、日本政府は日本の「西北の限界」問題については沈黙したままでした。このやりとりを見るかぎり「州」をシマと呼ぶのが困難で回答不可能だったように思えます。

(注1)金学俊『独島/竹島 韓国の論理』論創社,2004, P100
(注2)愼𨉷廈『独島領有権資料の探求、第4巻』(韓国語)独島研究保全協会,2001

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

下條正男氏への批判、『隠州視聴合紀』4

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/09/05 22:24 投稿番号: [5597 / 18519]
(注3)川上健三『竹島の歴史地理学的研究』(復刻版)古今書院,1996(初版1966)
(注4)田村清三郎『島根県竹島の研究』島根県,1996
(注5)中村栄孝『日鮮関係史の研究』下、吉川弘文館,1969,P447
(注6)塚本孝「竹島領有権問題の経緯」『調査と情報』289号、国立国会図書館,1996
(注7)田川孝三「竹島領有に関する歴史的考察」『東洋文庫書報20』1988,P41
(注8)『日本書紀』前編、吉川弘文館、2002,P5
(注9)『広辞苑』岩波書店
しゅう【州】シウ
〓中国の行政区画の一。古代では全土を分つ大きな行政区画の称(九州・十二州の類)。次第に細分化され、郡との区別がなくなったので、隋では郡を廃し、州に県を統轄。近世、県と共に府に属した。辛亥革命の後、省の下に道・県を置き、州の名称は全く廃止。
〓くに。日本の国郡制度の国。「九州・武州・六十余州」
〓もと、台湾の行政区画の一。
〓(state) アメリカ合衆国・オーストラリアなどの行政区画。
〓(provinciaラテン) 古代ローマで、各総督の下に置かれた地方領土。
〓(Landドイツ) ドイツなどの地方行政区画。「邦」とも訳す。「バイエルン州」
〓地球上の大陸を分けた称。洲。「アジア州」
(注10)下條正男「竹島問題考」『現代コリア』1996.5, P70
(注11)金学俊『独島/竹島 韓国の論理』論創社,2004, P103
(注12)下條正男『竹島は日韓どちらのものか』文春新書,2004, P171
(注13)『大日本史』巻308,志3、隠岐国4郡、読み下し文
  (   )内は小文字で書かれた部分を示す。
  隠岐の国、下、(延喜式、一に淤岐、あるいは意岐とする)。
  また隱伎三子島という(古事記、案ずるに国は海中にあるゆえ名がついた。邦をいうに、海洋でいう澳をなす。隠岐はすなわち澳である)。
  およそ4島、分けて島前、島後という(隠州視聴合記、隠岐国図、属島は179で、総称して隠岐小島という)。
  別に松島、竹島があり、これに属する(隠岐古記、隠岐紀行、案ずるに隠地郡の福浦より松島に至るには海上69里、竹島に至るには100里4町である。韓人は竹島を称して鬱陵島という。すでに竹島といい、松島といい、我が版図となした。智者を待つが知れない。ついては、以て考えに備える)。
(注14)大西俊輝『日本海と竹島』東洋出版,2003, P178

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

下條正男氏への批判、『隠州視聴合紀』3

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/09/05 22:23 投稿番号: [5596 / 18519]
   さらにダメ押しを書くと、昔の日本人も「此州」を隠州と読んでいたようです。具体的にいうと、水戸黄門が編纂を始めた『大日本史』がそのような読み方をしました。
<于山国の歴史、『大日本史』>
http://www.han.org/a/half-moon/hm091.html#No.649
http://www.han.org/a/half-moon/hm091.html#No.650

  『大日本史』における『隠州視聴合紀』の解釈では、竹島、松島を隠岐の属島179に含めず、「我が版図」扱いにしませんでした。かわりに『隠岐古記』や『隠岐紀行』から松島、竹島を「我が版図」と考えました。ただし、どうしてそのようになったのかは誰も知らないとつけ加えました(注13)。

   この資料の存在により、はからずも日本政府や下條正男氏の『隠州視聴合紀』に関する解釈は我田引水だったことがはっきりしました。
  「此州」を「隠州」と解釈したのは堀和生氏も同様ですが、最近では大西俊輝氏も韓国側の見解を支持してか、こう記しました。

  「さて戌亥(いぬい)の方向を、二日と一夜たどれば島あり、松島という。そこから一日程にして竹島がある。これは俗に言う磯竹島のことである。竹や魚や海鹿(あしか)が多い。此の二島は無人の地である。ここから高麗を見るに、隠州から雲州を望むが如き有様である。してみると日本の乾(いぬい)の地とは、此の隠州を以て限りと為すものであろうか。云々(注14)」

   妥当な訳です。なお、韓国側の主張については次回記します。

(注1)斉藤豊仙 『隠州視聴合紀』(1667年)
  (『續々群書類従 第九』圖書刊行會,1906,P450より引用したが、論文によっては下記と一部異なる。書名も下條氏は『隠州視聴合記』としたが、下記『續々群書類従 第九』では『隠州視聴合紀』となっており、「紀」の字が使われている)

隠州視聴合紀 巻一
   国代記
  隠州在北海中 故云隠岐島・・・従是 南至雲州美穂関三十五里 辰巳至伯州赤碕浦四十里 未申至石州温泉津五十八里 自子至卯 無可往地 戍亥間行二日一夜有松島 又一日程有竹島(俗言磯竹島 多竹魚海鹿)此二島無人之地 見高麗如自雲岐(ママ)望隠岐(ママ) 然則日本之乾地 以此州為限矣

(注2)愼𨉷廈『独島領有権資料の探求、第4巻』(韓国語)独島研究保全協会,2001
(つづく)

下條正男氏への批判、『隠州視聴合紀』2

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/09/05 22:21 投稿番号: [5595 / 18519]
   『広辞苑』によれば、「州」の方は行政区画単位などに用いられるようで、自然にできた島などの意味はないようです(注9)。もっとも両者は時には混用され「アジア州」「アジア洲」などとも書かれるので、その区別は絶対的なものではないかもしれません。ちなみに、下條氏は「州」をシマと読める根拠をこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   愼氏は何ら疑うことなく、「此の州」を「隠州」のこととされているが、「州」には「島」の意味があり、隠岐島を隠州とするように「此の州」を鬱陵島のこととしても問題はないのである。
   現に李ヨクも『星湖[イ塞]説類選』の中で、安龍福の功で鬱陵島が朝鮮に復したことを「一州の土を復す」と記しているからだ(注10)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   驚いたことに下條氏は「隠岐島」と「隠州」を同列に考え、島名と行政区画単位を混同しているようです。単純な反論ですが、たとえば「因州」といったら「因幡」のことであり、決して「因島」のことではありません。こうした誤りは「一州の土」についても同様です。金学俊氏はこう反論しました。

  「州が島の意味で使われる場合がなくはないが、このような場合は群島や、行政体制を持つ村がある場合にだけ該当する。
   例えば、安鼎福が書いた『星湖[イ塞]説類選』にあるように、「安龍福の功労で鬱陵島、独島などを取りもどした」という意味であって鬱陵島一島を取りもどしたという意味ではない(注11)」

   安龍福が「朝鬱両島監税将」すなわち「二島」の監税将を名乗り「一島の土」ではなく「二島の土」を取りもどしました。「二島の土」がすなわち「一州の土」であり、下條氏の主張は成り立ちません。
   さらに下條氏の間違いですが、同氏は『星湖[イ塞]説類選』の著者を李ヨクとしましたが、正しくは金氏がいうように安鼎福です。安鼎福は星湖・李ヨクの弟子にあたります。どうも下條氏は杜撰なようです。
   このように漢字の読み方に関しても下條氏は分が悪いのですが、さらに斉藤豊仙の松島、竹島認識についても読み違いをしているようにみえます。下條氏はこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   実際『隠州視聴合記』中の別の記事「知夫郡 焼火山縁起」にも、「伯耆の国の大賈 村河氏、官より朱印を賜り大船を磯竹島(鬱陵島のこと)に致す」と記されており」「齋藤豊仙が鬱陵島を日本領として『隠州視聴合記』に書くのは当然のことなのである(注12)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   斉藤豊仙は、竹島(鬱陵島)へ渡航する村川家の船を「朱印船」と理解していたようでした。いうまでもなく、朱印船とは「外国」への渡航を幕府から許された船をさします。実際は、村川家の船は朱印船でなく奉書船に近いのですが、斉藤が朱印船と認識していた事実は、斉藤が渡航先の松島、竹島を日本領ではなく、外国と考えていたことを暗示します。
   これは鳥取藩の認識にも共通します。幕府の竹島渡海免許を村川家などに取り次いだ同藩は、後日、幕府から「お尋ね」を受けましたが、それに対し「竹嶋は因幡 伯耆附属ニては(ママ)無御座候」「竹嶋松嶋其外両国え付属の嶋 無御座候」と回答し、松島、竹島が同藩の所属ではないことを明らかにしました。
   したがって、鳥取藩や出雲松江藩などが自藩の国絵図に松島、竹島を描かなかったことはいうまでもありません。結局、斉藤豊仙も松島や竹島を日本領と認識していなかったとみるべきではないかと思います。
   また、『隠州視聴合紀』の内容をみても、下記で詳細に書いたように、文脈上で日本の限界を隠州と解釈するのが妥当です。

<『隠州視聴合紀』の読み方>
http://www.han.org/a/half-moon/hm091.html#No.651
<「高麗を見る」ワナ>
http://www.han.org/a/half-moon/hm089.html#No.633
(つづく)
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