『隠州視聴合紀』、韓国の見解
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/09/05 22:26 投稿番号: [5598 / 18519]
半月城です。
田中邦貴さんは、#5570に対する回答はまだなようです。代わりに、『隠州視聴合紀』にある「此州」を韓国がどう解釈しているのか、田中さんが指定した金学俊氏の本から引用します。
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この部分は日本の乾地、すなわち西北境界が雲州と断定した。したがって西北境界を越えた所ある二つの島 松島と竹島、すなわち独島と鬱陵島は日本の領土ではないことを認めたわけであり、したがって朝鮮の領土であることを認めたわけである。
換言すれば、日本の公式報告書と言える『隠州視聴合記』は、既に一六六七年に独島を朝鮮の領土として認めていたのである(注1)。
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金氏は「此州」を雲州として、鬱陵島とは解しませんでした。ここで、雲州は隠州の誤りと思われます。それはさておき、金氏の主張は、田中さんの「州は島の意味です。これについては、中国・韓国もそう解釈しています」という見方とはほど遠いものです。さすがは狼少年です。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=2137
韓国の見方ですが、韓国政府は『隠州視聴合紀』の解釈に関して、59年に日本政府へこう反論しました。
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日本側は、自己の主張を補強するために『隠州視聴合記』を引用したが、その引用が大きな誤読であるので、もう一度、原文を精読する必要がある。この本は書名のように隠州国隠岐島に関する記事で、隠州が日本の乾地(西北限界)になっているというのである。その原文を引用すると
隠州在北海中 故云隠岐島 按倭訓海中言遠故名与 南方至雲州美 戍亥間行二日一夜有松島 又一日程有竹島 此二島無人之地 見高麗 如自雲州 望隠州 然則 日本之乾地 以此州為限矣
ここで、いわゆる松島はすなわち独島、竹島は鬱陵島をさすもので、この二島から高麗(韓国)本土を望見する距離関係がちょうど雲州から隠州を望観するのと同じなので、それすなわち日本の西北部は此州で限界とするというのである。
これを日本側は誤読して前の二島を日本の西北部の限界としたのは誤りである。『隠州視聴合記』の記事こそ正当な見解であると見なければならない(注2,P378)。
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これに対して日本政府は反論をあきらめたのか、62年の反論書では単に『隠州視聴合紀』が松島、竹島を認識していたことだけを下記のように記すのみでした。
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寛文7年(1667年)に出雲藩士 齋藤某が編した『隠州視聴合記』は隠岐の漁夫らの実見談を採録したものであるが、その巻1に、
「鬱陵島・・・西北方に行くこと二日一夜にして松島(今の竹島)あり、また一日程で竹島(今の鬱陵島)があり、この二島 人なき地・・・」
と記している(注2,p425)。
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結局、日本政府は日本の「西北の限界」問題については沈黙したままでした。このやりとりを見るかぎり「州」をシマと呼ぶのが困難で回答不可能だったように思えます。
(注1)金学俊『独島/竹島 韓国の論理』論創社,2004, P100
(注2)愼𨉷廈『独島領有権資料の探求、第4巻』(韓国語)独島研究保全協会,2001
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
田中邦貴さんは、#5570に対する回答はまだなようです。代わりに、『隠州視聴合紀』にある「此州」を韓国がどう解釈しているのか、田中さんが指定した金学俊氏の本から引用します。
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この部分は日本の乾地、すなわち西北境界が雲州と断定した。したがって西北境界を越えた所ある二つの島 松島と竹島、すなわち独島と鬱陵島は日本の領土ではないことを認めたわけであり、したがって朝鮮の領土であることを認めたわけである。
換言すれば、日本の公式報告書と言える『隠州視聴合記』は、既に一六六七年に独島を朝鮮の領土として認めていたのである(注1)。
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金氏は「此州」を雲州として、鬱陵島とは解しませんでした。ここで、雲州は隠州の誤りと思われます。それはさておき、金氏の主張は、田中さんの「州は島の意味です。これについては、中国・韓国もそう解釈しています」という見方とはほど遠いものです。さすがは狼少年です。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=2137
韓国の見方ですが、韓国政府は『隠州視聴合紀』の解釈に関して、59年に日本政府へこう反論しました。
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日本側は、自己の主張を補強するために『隠州視聴合記』を引用したが、その引用が大きな誤読であるので、もう一度、原文を精読する必要がある。この本は書名のように隠州国隠岐島に関する記事で、隠州が日本の乾地(西北限界)になっているというのである。その原文を引用すると
隠州在北海中 故云隠岐島 按倭訓海中言遠故名与 南方至雲州美 戍亥間行二日一夜有松島 又一日程有竹島 此二島無人之地 見高麗 如自雲州 望隠州 然則 日本之乾地 以此州為限矣
ここで、いわゆる松島はすなわち独島、竹島は鬱陵島をさすもので、この二島から高麗(韓国)本土を望見する距離関係がちょうど雲州から隠州を望観するのと同じなので、それすなわち日本の西北部は此州で限界とするというのである。
これを日本側は誤読して前の二島を日本の西北部の限界としたのは誤りである。『隠州視聴合記』の記事こそ正当な見解であると見なければならない(注2,P378)。
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これに対して日本政府は反論をあきらめたのか、62年の反論書では単に『隠州視聴合紀』が松島、竹島を認識していたことだけを下記のように記すのみでした。
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寛文7年(1667年)に出雲藩士 齋藤某が編した『隠州視聴合記』は隠岐の漁夫らの実見談を採録したものであるが、その巻1に、
「鬱陵島・・・西北方に行くこと二日一夜にして松島(今の竹島)あり、また一日程で竹島(今の鬱陵島)があり、この二島 人なき地・・・」
と記している(注2,p425)。
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結局、日本政府は日本の「西北の限界」問題については沈黙したままでした。このやりとりを見るかぎり「州」をシマと呼ぶのが困難で回答不可能だったように思えます。
(注1)金学俊『独島/竹島 韓国の論理』論創社,2004, P100
(注2)愼𨉷廈『独島領有権資料の探求、第4巻』(韓国語)独島研究保全協会,2001
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 5570 (NEO_SWAT さん)への返信です.
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