下條正男氏への批判、『隠州視聴合紀』2
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/09/05 22:21 投稿番号: [5595 / 18519]
『広辞苑』によれば、「州」の方は行政区画単位などに用いられるようで、自然にできた島などの意味はないようです(注9)。もっとも両者は時には混用され「アジア州」「アジア洲」などとも書かれるので、その区別は絶対的なものではないかもしれません。ちなみに、下條氏は「州」をシマと読める根拠をこう記しました。
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愼氏は何ら疑うことなく、「此の州」を「隠州」のこととされているが、「州」には「島」の意味があり、隠岐島を隠州とするように「此の州」を鬱陵島のこととしても問題はないのである。
現に李ヨクも『星湖[イ塞]説類選』の中で、安龍福の功で鬱陵島が朝鮮に復したことを「一州の土を復す」と記しているからだ(注10)。
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驚いたことに下條氏は「隠岐島」と「隠州」を同列に考え、島名と行政区画単位を混同しているようです。単純な反論ですが、たとえば「因州」といったら「因幡」のことであり、決して「因島」のことではありません。こうした誤りは「一州の土」についても同様です。金学俊氏はこう反論しました。
「州が島の意味で使われる場合がなくはないが、このような場合は群島や、行政体制を持つ村がある場合にだけ該当する。
例えば、安鼎福が書いた『星湖[イ塞]説類選』にあるように、「安龍福の功労で鬱陵島、独島などを取りもどした」という意味であって鬱陵島一島を取りもどしたという意味ではない(注11)」
安龍福が「朝鬱両島監税将」すなわち「二島」の監税将を名乗り「一島の土」ではなく「二島の土」を取りもどしました。「二島の土」がすなわち「一州の土」であり、下條氏の主張は成り立ちません。
さらに下條氏の間違いですが、同氏は『星湖[イ塞]説類選』の著者を李ヨクとしましたが、正しくは金氏がいうように安鼎福です。安鼎福は星湖・李ヨクの弟子にあたります。どうも下條氏は杜撰なようです。
このように漢字の読み方に関しても下條氏は分が悪いのですが、さらに斉藤豊仙の松島、竹島認識についても読み違いをしているようにみえます。下條氏はこう記しました。
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実際『隠州視聴合記』中の別の記事「知夫郡 焼火山縁起」にも、「伯耆の国の大賈 村河氏、官より朱印を賜り大船を磯竹島(鬱陵島のこと)に致す」と記されており」「齋藤豊仙が鬱陵島を日本領として『隠州視聴合記』に書くのは当然のことなのである(注12)。
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斉藤豊仙は、竹島(鬱陵島)へ渡航する村川家の船を「朱印船」と理解していたようでした。いうまでもなく、朱印船とは「外国」への渡航を幕府から許された船をさします。実際は、村川家の船は朱印船でなく奉書船に近いのですが、斉藤が朱印船と認識していた事実は、斉藤が渡航先の松島、竹島を日本領ではなく、外国と考えていたことを暗示します。
これは鳥取藩の認識にも共通します。幕府の竹島渡海免許を村川家などに取り次いだ同藩は、後日、幕府から「お尋ね」を受けましたが、それに対し「竹嶋は因幡 伯耆附属ニては(ママ)無御座候」「竹嶋松嶋其外両国え付属の嶋 無御座候」と回答し、松島、竹島が同藩の所属ではないことを明らかにしました。
したがって、鳥取藩や出雲松江藩などが自藩の国絵図に松島、竹島を描かなかったことはいうまでもありません。結局、斉藤豊仙も松島や竹島を日本領と認識していなかったとみるべきではないかと思います。
また、『隠州視聴合紀』の内容をみても、下記で詳細に書いたように、文脈上で日本の限界を隠州と解釈するのが妥当です。
<『隠州視聴合紀』の読み方>
http://www.han.org/a/half-moon/hm091.html#No.651
<「高麗を見る」ワナ>
http://www.han.org/a/half-moon/hm089.html#No.633
(つづく)
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愼氏は何ら疑うことなく、「此の州」を「隠州」のこととされているが、「州」には「島」の意味があり、隠岐島を隠州とするように「此の州」を鬱陵島のこととしても問題はないのである。
現に李ヨクも『星湖[イ塞]説類選』の中で、安龍福の功で鬱陵島が朝鮮に復したことを「一州の土を復す」と記しているからだ(注10)。
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驚いたことに下條氏は「隠岐島」と「隠州」を同列に考え、島名と行政区画単位を混同しているようです。単純な反論ですが、たとえば「因州」といったら「因幡」のことであり、決して「因島」のことではありません。こうした誤りは「一州の土」についても同様です。金学俊氏はこう反論しました。
「州が島の意味で使われる場合がなくはないが、このような場合は群島や、行政体制を持つ村がある場合にだけ該当する。
例えば、安鼎福が書いた『星湖[イ塞]説類選』にあるように、「安龍福の功労で鬱陵島、独島などを取りもどした」という意味であって鬱陵島一島を取りもどしたという意味ではない(注11)」
安龍福が「朝鬱両島監税将」すなわち「二島」の監税将を名乗り「一島の土」ではなく「二島の土」を取りもどしました。「二島の土」がすなわち「一州の土」であり、下條氏の主張は成り立ちません。
さらに下條氏の間違いですが、同氏は『星湖[イ塞]説類選』の著者を李ヨクとしましたが、正しくは金氏がいうように安鼎福です。安鼎福は星湖・李ヨクの弟子にあたります。どうも下條氏は杜撰なようです。
このように漢字の読み方に関しても下條氏は分が悪いのですが、さらに斉藤豊仙の松島、竹島認識についても読み違いをしているようにみえます。下條氏はこう記しました。
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実際『隠州視聴合記』中の別の記事「知夫郡 焼火山縁起」にも、「伯耆の国の大賈 村河氏、官より朱印を賜り大船を磯竹島(鬱陵島のこと)に致す」と記されており」「齋藤豊仙が鬱陵島を日本領として『隠州視聴合記』に書くのは当然のことなのである(注12)。
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斉藤豊仙は、竹島(鬱陵島)へ渡航する村川家の船を「朱印船」と理解していたようでした。いうまでもなく、朱印船とは「外国」への渡航を幕府から許された船をさします。実際は、村川家の船は朱印船でなく奉書船に近いのですが、斉藤が朱印船と認識していた事実は、斉藤が渡航先の松島、竹島を日本領ではなく、外国と考えていたことを暗示します。
これは鳥取藩の認識にも共通します。幕府の竹島渡海免許を村川家などに取り次いだ同藩は、後日、幕府から「お尋ね」を受けましたが、それに対し「竹嶋は因幡 伯耆附属ニては(ママ)無御座候」「竹嶋松嶋其外両国え付属の嶋 無御座候」と回答し、松島、竹島が同藩の所属ではないことを明らかにしました。
したがって、鳥取藩や出雲松江藩などが自藩の国絵図に松島、竹島を描かなかったことはいうまでもありません。結局、斉藤豊仙も松島や竹島を日本領と認識していなかったとみるべきではないかと思います。
また、『隠州視聴合紀』の内容をみても、下記で詳細に書いたように、文脈上で日本の限界を隠州と解釈するのが妥当です。
<『隠州視聴合紀』の読み方>
http://www.han.org/a/half-moon/hm091.html#No.651
<「高麗を見る」ワナ>
http://www.han.org/a/half-moon/hm089.html#No.633
(つづく)
これは メッセージ 5594 (hangetsujoh さん)への返信です.
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