下條正男氏への批判、『隠州視聴合紀』1
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/09/05 22:20 投稿番号: [5594 / 18519]
半月城です。
今回も下條正男氏の著書『竹島は日韓どちらのものか』に対する批判を続けたいと思います。
RE:5090, NEO_SWATさん
>この本で一点気になった部分があります。
『隠州視聴合紀』の解釈の部分なんですが、「此州を以て限りと為す」の「此州」は鬱陵島だと云う解釈は大丈夫なんでしょうか?
「此州」が「此嶋」となっていれば全く問題ないと思うのですが...
半世紀前、日本の限界とされた「此州」が、此島すなわち竹島(鬱陵島)なのか、それとも隠州すなわち隠岐なのか日韓間で外交論争になりましたが、結論からいうと『隠州視聴合紀』の「此州」を竹島(鬱陵島)とみるのは困難です。それを検証したいと思います。
56年9月、日本政府は見解書を韓国政府に送りましたが、そのなかで斉藤豊仙の『隠州視聴合紀』についてこう紹介しました。
「さきに掲げた『隠州視聴合紀』(一六六七年)も松島(今の竹島)及び竹島(鬱陵島)をもって、日本の北西部の限界と見ており、・・・(注2,P330)」
この主張の出所は、外務省関係の川上健三説かなと思って同氏の著書を調べたのですが、意外なことにそこには鬱陵島を日本の限界とする主張はありませんでした。
「寛文七年秋八月に命を奉じて隠岐島を巡見した際に、著者自ら視 または聴いたところを採録したものであるが、それが後述するように竹島(鬱陵島)渡海の最盛期における著作であったことは、特に注目に値する。この記述中にある隠岐に近い「松島」というのが、今日の竹島であり、さらにそれより一日程の行程にある「竹島」というのが鬱陵島である(注2)」
どうやら、川上氏は著書の出版時点である66年には「日本の限界」問題を避けているようです。韓国政府の反論を暗に認めたのかもしれません。また、田村清三郎氏も『隠州視聴合紀』を書いても「日本の限界」については何もふれませんでした(注4)。さらに、中村栄孝氏の研究書をあたったところ、そこでは「日本の限界」に関する記述のみがすっぽり抜けていました(注5)。
狐につままれた思いで「竹島日本領派」である塚本氏のレビューを見ましたが、そこには『隠州視聴合紀』の名前すらありませんでした(注6)。何か不都合でもあるのか、あるいは題名にある「竹島領有権問題」を考えるうえで、『隠州視聴合紀』論争は同氏にとって取るにたらない問題なのでしょうか。
他の文献を調べたところ、下條正男氏以外に田川孝三氏が「日本の乾の方の限界は此の州(州はシマの意である)なのであると釈読しなければならぬ(注7)」と書いているのが判明しました。
はたして日本で「州」をシマと読む例はあるのでしょうか?「洲」の字なら、これをシマと読む例は『日本書紀』に下記のようにあります(注8)。
淡路洲(あはぢのしま)、佐度洲(さどのしま)、大八洲(おおやしま)
これをサポートするかのように『広辞苑』でも「洲」を下記のように説明しています。
しゅう【洲】シウ
〓川の中にできた島。す。「洲渚・汀洲」
〓地球上の大陸。
(つづく)
今回も下條正男氏の著書『竹島は日韓どちらのものか』に対する批判を続けたいと思います。
RE:5090, NEO_SWATさん
>この本で一点気になった部分があります。
『隠州視聴合紀』の解釈の部分なんですが、「此州を以て限りと為す」の「此州」は鬱陵島だと云う解釈は大丈夫なんでしょうか?
「此州」が「此嶋」となっていれば全く問題ないと思うのですが...
半世紀前、日本の限界とされた「此州」が、此島すなわち竹島(鬱陵島)なのか、それとも隠州すなわち隠岐なのか日韓間で外交論争になりましたが、結論からいうと『隠州視聴合紀』の「此州」を竹島(鬱陵島)とみるのは困難です。それを検証したいと思います。
56年9月、日本政府は見解書を韓国政府に送りましたが、そのなかで斉藤豊仙の『隠州視聴合紀』についてこう紹介しました。
「さきに掲げた『隠州視聴合紀』(一六六七年)も松島(今の竹島)及び竹島(鬱陵島)をもって、日本の北西部の限界と見ており、・・・(注2,P330)」
この主張の出所は、外務省関係の川上健三説かなと思って同氏の著書を調べたのですが、意外なことにそこには鬱陵島を日本の限界とする主張はありませんでした。
「寛文七年秋八月に命を奉じて隠岐島を巡見した際に、著者自ら視 または聴いたところを採録したものであるが、それが後述するように竹島(鬱陵島)渡海の最盛期における著作であったことは、特に注目に値する。この記述中にある隠岐に近い「松島」というのが、今日の竹島であり、さらにそれより一日程の行程にある「竹島」というのが鬱陵島である(注2)」
どうやら、川上氏は著書の出版時点である66年には「日本の限界」問題を避けているようです。韓国政府の反論を暗に認めたのかもしれません。また、田村清三郎氏も『隠州視聴合紀』を書いても「日本の限界」については何もふれませんでした(注4)。さらに、中村栄孝氏の研究書をあたったところ、そこでは「日本の限界」に関する記述のみがすっぽり抜けていました(注5)。
狐につままれた思いで「竹島日本領派」である塚本氏のレビューを見ましたが、そこには『隠州視聴合紀』の名前すらありませんでした(注6)。何か不都合でもあるのか、あるいは題名にある「竹島領有権問題」を考えるうえで、『隠州視聴合紀』論争は同氏にとって取るにたらない問題なのでしょうか。
他の文献を調べたところ、下條正男氏以外に田川孝三氏が「日本の乾の方の限界は此の州(州はシマの意である)なのであると釈読しなければならぬ(注7)」と書いているのが判明しました。
はたして日本で「州」をシマと読む例はあるのでしょうか?「洲」の字なら、これをシマと読む例は『日本書紀』に下記のようにあります(注8)。
淡路洲(あはぢのしま)、佐度洲(さどのしま)、大八洲(おおやしま)
これをサポートするかのように『広辞苑』でも「洲」を下記のように説明しています。
しゅう【洲】シウ
〓川の中にできた島。す。「洲渚・汀洲」
〓地球上の大陸。
(つづく)
これは メッセージ 5090 (NEO_SWAT さん)への返信です.
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