竹島

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平和愛好国家の日本としては

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2004/02/18 20:50 投稿番号: [3706 / 18519]
国際紛争の解決に平和国家の日本は軍事行動はできませんっ!(キッパリ)
あくまで平和的に、正論で解決すべきです。


正論で理があるのに軍事力を使う必要はありません。
日本は本気で国際世論に正論で実体(現状)を訴える。
ちゃんと国民(世論)に事実を知らせ、世論を高める。
および経済制裁で解決を図れると思います。
韓国人の中には現状では実体として韓国が占拠を続けているから、今のままで韓国が有利と開き直る人もいますが。
実力行使(軍事力)で居座った方が勝ち(理がなくても居座ったほうがトク)ということだけは絶対に認めてはいけないと思います。
あくまでも正論で、平和的に理を説いて行きましょう!

独島の歌を全世界に

投稿者: trek022 投稿日時: 2004/02/18 19:57 投稿番号: [3705 / 18519]
朝鮮日報中文版によると、韓国の音楽サイトbugsはネットで独島の歌の外国語歌詞を募集し、優秀作をアルバムにして世界各国に配布する予定と発表した。英語、日本語の他、フランス語、中国語などが予定されている。最近、独島切手がオークションで高値を呼んだり、コブギ(タートルス)が独島替え歌をヒットさせたのにヒントを得たものだろう。bugs側は「我々がこの活動を展開する目的は全世界に独島が韓国領土であることを知らしめ、日本の事実歪曲を阻止することである。」と語った。新たな独島商法か、、。

http://chinese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/02/16/20040216000001.html

なお、これが「独島を愛する歌」を募集しているbugsのホームページ。あなたもおひとつ、、、。

http://event.bugs.co.kr/Evt/evt_view/evt_event.asp?mainURL=http://event.bugs.co.kr/Evt/contents/htm/040216docdo/040216docdo.htm

また三峰島

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/17 22:54 投稿番号: [3704 / 18519]
独島学会、資料探索の三峰島部分を読了。やはり解説には同意しかねる部分あり。また、解説は三峰島を鬱陵島でも独島でもあるとしていますが、独島である可能性をここに加える必然性は全くないと思う。以下、備忘メモがてら大きな流れのみ提示。

成宗元年12月   永安道観察使から三峰島に賦役を逃れるものありと報告。
2年8月   成宗が永安道の居民が逃げた鬱陵島への願行者を募集。(ここで王は三峰島=鬱陵島と把握。)
3年2月   兵曹が三峰島に行くに必要な目録を提出。三峰島を知る金漢京の同行を願う。
3年3月   日本語・女真語の通訳同行決定。未知の島であることに備えた模様。
3年6月   朴宗元ら調査にでかけるも遭難。他の船が鬱陵島を調査。
6年5月   金漢京ら三峰島を見るも上陸せず。(成宗2年にも一度漂着したことあり。)
7年9月   金自周・金漢京ら三峰島を見るも上陸せず。
10年9月   曹衛を三峰島敬差官に。
10年10月   曹衛に金自周・金漢京らも同行することに。
10年10月   曹衛ら出港も、風が悪く、帰港。再び出港も一ヶ月経っても帰らず。
10年12月   金漢京ら帰還。金漢京、風を理由に三峰島に行きたがらなくなる。
11年2月   三峰島招撫使に鄭錫禧、副使に朴宗元任命。
11年2月   三峰島招撫使に鄭錫禧、三峰島行きを渋って罰を受ける。左遷。
11年2月   副使朴宗元、病を理由に三峰島行きを渋って、左遷。その後、招撫使は沈安仁に。
11年5月   沈安仁の探査を王が風を理由に停止させる。
12年1月   永安道観察使が30人の自願者による探査を提言。王が受け入れる。
12年2月   募集した人が三峰島に持っていく諭書を与える。おそらく自願者は出港したはず。これにて、三峰島に関する記録は終了。
13年2月   「乱心逆賊」である金漢京の娘を奴婢に。

私は今まで勘違いしていたのですが、どうも金漢京は朴宗元の成宗3年の探査にも同行したようですね。金漢京は鬱陵島を見たはずですが、おそらく朴宗元とともに遭難したと考えるべきでしょう。

成宗10年の航海は詳しくは不明ですが、最低でも金漢京は2・6・7年の三度は三峰島に行っています。3年に6キロほど離れて目にしたであろう鬱陵島となぜ同じであるとは思わなかったのかはなぞですね。

そのあたりの疑問はともかく、上記の記述の内容は全て、鬱陵島に関するものと言っていいでしょう。人が住む所、島に小島がありそこに2戸の住民があることまで書いてあったりもします。

「三峰島=鬱陵島・独島」とする必要は全くありませんし、独島をうかがわせる情報を含む記述も皆無です。三峰島はどこまでも鬱陵島を勘違いしたに過ぎないのであり、だからこそ後に金漢京らは処罰されたのでしょう。

はじめまして

投稿者: ue20030810 投稿日時: 2004/02/17 21:47 投稿番号: [3703 / 18519]
  もう皆さん3702回の議論でお分かりのように竹島が日本の領土であることは間違いないことです。

  在日ですら実効支配(要するに李ラインにより勝手に組み込まれ、以来不法占拠状態が続いているということ)を認めよとわめいているのです。

  韓国人ですら、認めているのですから疑いの余地はありません。だから国際法廷への出席も拒否しているのです。

  残された問題は、どうやって取り戻すのか、あるいはやくざもの同然の不法占拠状態に泣き寝入りするか・・・どちらを選択するか?

  そして取り戻すためには北方領土とともに軍事力の行使しかないのでは・・・ただ現在の日本で全滅覚悟で自衛隊員に戦えなどと要求できるか・・・彼らは基本的に軍事演習をしている公務員に過ぎない・・・家族もおり無茶はできないということを分かってあげる必要がある。

  ああジレンマですね。

henchin_pokoider01さん(追加)

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/17 14:57 投稿番号: [3702 / 18519]
>成宗7年には出ていません。省略されたようですね。
三峰島煙部分→省略
禹用鼎報告書→紛失(要約あり)
う〜ん。

皇城日報1899年9月23日の記事も省略されています。

それにしても皇城日報1899年9月23日の記事はどう考えるべきなのでしょう。誰が書いた記事なのでしょう。さっぱり分かりません。

大西氏の本ではフランス人で釜山税関使であったラ・ボーテがこの記事を載せたとしていますが、時期的に1900年に調査がなされたとすればそれはないはず…。また、名前も資料探究を見ると、ラ・ボーテではなくラポルテ(E. Laporte, 羅保得)とされています。さらに、イギリス人だとか。

大西氏の間違いかとは思いますが、このあたりの事情を探ろうと原文をあたろうと思っても、禹用鼎の報告書は「紛失」ですし…。

henchin_pokoider01さん

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/17 13:09 投稿番号: [3701 / 18519]
>メニューが翻訳されないのでわからない・・・・。

メニューが左側に出ると思いますが、その中の上から三番目、即ち△印アイコンの一番上のリンクをクリックしてください。すると本の表紙の写真が六つあると思いますが、その中の第5巻から第8巻までが資料探究です。表紙をクリックすると目次が出て、該当部分をダウンロードできます。

>P32ですな。

成宗7年には出ていません。省略されたようですね。
三峰島煙部分→省略
禹用鼎報告書→紛失(要約あり)
う〜ん。

>太宗実録の「流山国島に移転」「于山島」の話しが出ているのかも気になる・・・。

出てますよ。ただ、漢文の解釈が違うようです。

つまり、
命議政府 議処流山国島人 江原道観察使報云 流山国島人 白加勿等十二名 来泊高城於羅津 言曰 予等生長武陵 其島内人戸十一 男女共六十余 今移居本島 是島自東至西 自南至北 皆二息周…

ですが、ここでは「本島」が「本来の島」とされ、白加勿らによれば自分たちは武陵島で生まれ育ったが、島の11戸の男女60余名がすでに本来の島に移ったという。この島は東から…という感じの解釈です。

資料解説はこの資料を鬱陵島の情況を示すものとして解釈しています。

竹島に行った記録も地図もない

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/17 07:25 投稿番号: [3700 / 18519]
国ならではの馬鹿騒ぎだね。

http://japanese.joins.com/html/2004/0216/20040216184004700.html

「獨島学会」のサイト

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/17 07:10 投稿番号: [3699 / 18519]
リンク先から判断するとソウル国立大学(京城帝国大学の後身)のサーバーに間借りしているが、これを見ても情け無い連中だってことがわかる。

ところで、ソウル国立大学自体は京城帝国大学の後身であることを隠蔽中。(笑)

http://www.snu.ac.kr:6060/engsnu/aboutsnu/history.jsp

>>「獨島学会」サイト

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/17 04:09 投稿番号: [3698 / 18519]
http://plaza.snu.ac.kr/~bigbear1/main.htm

念のため、こちらも出しておきます。

田中さん2

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/17 00:54 投稿番号: [3697 / 18519]
以下は「鬱陵島検察日記 in 1882」について目についた部分です。あくまでさっと見た限りです。

まず、日本語原文が「〜です・ます」と「〜だ・である」が混ざった文体なので韓国語でも文がやや不自然です。これはできれば統一するように直したほうがいいと思います。

①原文:「松竹島、芋山島は鬱陵島の傍らに在り、しかしてその相距たる遠近いかん。また何れの物有りや否や」と下問している。

→上の「しかして」が「しかし」になっています。文がちょっとぎこちない気がします。

②原文:芋山島は即ち鬱陵島にて、芋山は古(いにしえ)の国都の名なり

→「国都」が「国の都市」となっています。

③原文:松竹島は即ち一小島にて、相距たること十里(今の2Kmに相当)

→「一」が誤字です。(ところで10里は今の2kmに相当するのでしょうか。朝鮮では400mが1里では?)

④原文:その産するところは即ち檀香と簡竹」と、答えている。

→「産する」に誤字があります。

⑤原文:その高宗の不確かな鬱陵島理解に対して…

→「その高宗が」となっています。

⑥原文:或いは松島、竹島と称して鬱陵島の東に在りとす。而(しか)してこれ松竹島以外に別して松島、竹島あるに非ず

→「しかして」が「従って」と訳されています。これでいいのでしょうか。「しかれども」「しかし」の意味ではないでしょうか。

⑦原文:晴明の日、高きに登りて遠眺すれば、即ち千里を窮(きわ)むべくして、更に一挙の石一撮の土なし

→清明な日、高いところに登って遠いところを眺めると、即ち千里を望むことができ、その上、石一つ土一つない。となっています。「その上」というのは適当でしょうか。「全く」という意味では?

⑧原文:李奎遠の地理的正確さを改めて実証しただけでなく、

→「李奎遠の地理的正確さを調査して実証しただけでなく」となっています。

さしあたり、目についた部分を申し上げました。私は細かいのは飛ばして、あくまで問題があると思われるものだけを申し上げています。流し読みですのでそのつもりで…。

>「獨島学会」サイト

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2004/02/16 23:43 投稿番号: [3696 / 18519]
>   http://www.dokdoinkorea.com/

ありがとう。けど、繋がらない・・・。

アヒルさんへ
アレアハングルなら、変換ツールがあるのでOKっす。

>世宗実録の正しい読み方。

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2004/02/16 23:38 投稿番号: [3695 / 18519]
> 「世宗実録」は漢文GIF形式加工に時間が掛かるので飛ばしました。

unicodeにすれば?

↓変換サイト
http://ideas.paunix.org/utfrefcon.htm

田中さん

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/16 23:08 投稿番号: [3694 / 18519]
まず二つだけ手っ取り早く直せるものを指摘しておきます。

①海左全図   in1822
この文中に「(大韓全図)」とあります。この漢字は削除してください。

②大韓帝国勅令第41号 in 1900
最後の方の「(大韓全図)」という漢字を削除してください。

「鬱陵島検察日記 in 1882」はちょっといろいろあるので、また次回に指摘します。今からテレビを見るので…。

該当ページ

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/16 22:05 投稿番号: [3693 / 18519]
なぜか竹島学会がつながらなくなってしまいました。なお、これはアレアハングルファイル(hwp)です。アレアハングルがないと見られません。ちょっとつながらないので、また今度、返事いたします。

>ソウル大学

投稿者: nobuo_shoudoshima 投稿日時: 2004/02/16 19:44 投稿番号: [3692 / 18519]
右翼のシン・ヨンハおじさんは今は、はにゃーん大学だそうです。

( ´H`)y-~~

「獨島学会」サイト

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/16 17:06 投稿番号: [3691 / 18519]
http://www.dokdoinkorea.com/

>金漢京はやはり嘘をついた「乱臣逆賊」として極刑に処され、娘の金貴珍は奴婢になったとか。名前からして大切にされた娘だったでしょうに、哀れな話です。

そうですね。因みに、金玉均の父君も死刑に処されています。

>いい資料

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2004/02/16 16:36 投稿番号: [3690 / 18519]
>とくに、叢書をダウンロードでき、その中に私が願っていたようなもの、つまり原文を集大成して訳文と解説もつけた膨大な資料

  メニューが翻訳されないのでわからない・・・・。ダウンロードの該当urlを教えてもらえませんか?


>島に30人の朝鮮人がいて煙が上がっていたとの部分が叢書資料に見当たりません。この部分は何年の記録でしたか?

http://kyujanggak.snu.ac.kr/IMAGE/kyu03422.PDF
のP32ですな。

>意図的に削っているのか、私が見落としているのか

太宗実録の「流山国島に移転」「于山島」の話しが出ているのかも気になる・・・。

>ジェームス・ワイルドの「中国地図」

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/16 16:04 投稿番号: [3689 / 18519]
>韓国人にはダジュレー島が鬱陵島であるという知識はないのでしょうか。こんなことは竹島問題を少しでもかじった人なら誰でも知っていることですが。

間違った情報を是正する行為が売国行為と見なされたり、ソウル大学の嘘八百教授の意見を批判しようものなら首が飛ぶ国だから。

おまけに、若い世代で漢文で書かれた資料を読めるだけの理解力を持つ人材は数少ないために、老人教授たちが『曲解・歪曲』して翻訳した資料を鵜呑みにするしかない状態だね。

あらら

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/16 03:16 投稿番号: [3688 / 18519]
所々韓国語が間違っているところがあります。今、泥酔状態ですので、明日か、後日にでもまた。

世宗実録

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/16 02:09 投稿番号: [3687 / 18519]
私も陸地から見たものと判断しています。

于山、武陵二島、在縣正東海中、二島相去不遠、風日清明、則可望見、新羅時、称于山国、一云鬱陵島、地方百里、恃険不服、智證王十二年、異斯夫為何琵羅州軍主…

ですが、これは原文を見れば分かるように、

「于山武陵二島在縣正東海中」
二島相去不遠   風日清明   則可望見   新羅時   称于山国   一云鬱陵島   地方百里   恃険不服   智證王十二年   異斯夫為何琵羅州軍主…

括弧で記した「于山武陵二島在縣正東海中」の部分が見出しとして書かれています(原文は括弧でなく、大きい文字)。この部分の翻訳は私と田中さんはちょっと微妙に理解が違うようです。私は、

「于山武陵二島は県の真東外、東海中にある。」
二島は互いに隔たるに遠くない。風日が清明なれば、望み見ることが出来る。以下省略

と考えています。陸から見てとも、あるいは島を互いに見てともとれますが、文脈からして陸地から見たというのが正しいでしょう。おっしゃるように「江原道襄陽縣」の条に書かれているのですから。

いい資料

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/16 01:53 投稿番号: [3686 / 18519]
どうもいいサイトを教えていただきありがとうございます。独島学会のページ、とても勉強になりそうです。とくに、叢書をダウンロードでき、その中に私が願っていたようなもの、つまり原文を集大成して訳文と解説もつけた膨大な資料もあり、これは便利です。さっそく、少しずつ読んでいこうと思います。

ダウンロードして、まず三峰島関係の部分をのぞいて見ました。これは、恥ずかしながら勉強のやりなおしです。サイバー独島の資料や論文などに引用されたものだけを見ていたにすぎず、まだまだだと実感しました。

ちらちらと見たところでは、今までの考えがさほどには変わるようなことはなさそうですし、むしろ三峰島=鬱陵島を裏付けるものが多くなりそうですが、ちょっと私の資料の読み違いもあったようです。これから勉強しなおします。

あくまで部分的にしか見ていませんが、少し哀しい物語もありますね。金漢京はやはり嘘をついた「乱臣逆賊」として極刑に処され、娘の金貴珍は奴婢になったとか。名前からして大切にされた娘だったでしょうに、哀れな話です。

なお、これもまだちゃんと読んでいないので報告はできませんが、どうも例の金自周の探査で、島に30人の朝鮮人がいて煙が上がっていたとの部分が叢書資料に見当たりません。この部分は何年の記録でしたか?この資料では成宗7年にも8年にも出ていませんが…。意図的に削っているのか、私が見落としているのか、また詳しく読んでみることにします。

さて、先ほど書き込んだ1900年の禹用鼎による報告書ですが、これ、叢書の資料紹介によれば「紛失」だそうです。そんなのありかな…。要約文だけはかなりの分量で有るのですが。

ともあれ、やっと願っていた原文資料集に出会えて嬉しいです。どうもどの本にも間違い・恣意的解釈がみちており、まずは原文にあたらないとどうしようもありませんから。韓国の研究書も日本の研究書もどうもあまりあてになりません。いろいろと資料をあたって自分の目で最大公約数としての理解を見つけていくしかなさそうです。

世宗実録の正しい読み方。

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2004/02/15 23:11 投稿番号: [3685 / 18519]
「世宗実録」は漢文GIF形式加工に時間が掛かるので飛ばしました。
また、「鬱陵島の名前の変遷リスト」も都合により後日作成します。
それ以外は全て本日仕上げました。綺麗に出来上がっています。

世宗実録の下記を
于山、武陵二島、在縣正東海中、二島相去不遠、風日清明、則可望見

韓国は、「于山、武陵の二島は東海(日本海のこと)にあり、二島はそれほど遠くないので晴れた日に見ることが出来る」

この文章には”主語”が無いから、韓国は勝手に「二島はお互いに晴れた日に見える」
と解釈していますが、上記漢文の主語は「江原道襄陽縣」の条に書かれているので、
江原道襄陽縣が主語です。

正しい翻訳はこうなります。
「于山、武陵の二島は東海(日本海のこと)にあり、二島は”江原道襄陽縣”からそれほど遠くないので晴れた日に見ることが出来る」

事実、晴れた日に江原道にある高い山に登って日本海を見渡すと、
微(かす)かに鬱陵島が見えます。

>植え込まれた意識

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/15 21:42 投稿番号: [3683 / 18519]
愼𨉷廈(シン・ヨンハ)教授が会長を務める「獨島学会」の公式サイトでは、間違った意識を外国人にも植え込もうとする意図が見受けられます。

『1899年、大韓帝国学部(文部省)発行の「大韓全図」が「獨島」の正確な位置を鬱稜島の東に示し、「獨島」が韓国領であることを確証する』と宣伝的に書いていますが、公正な知識ある第三者から見れば嘘なのは明白ですね。

言うまでもなく、「獨島」の正確な位置は同地図の圏外、東経131度であり、同地図は「獨島」が韓国領でないことを確証する証拠なのです。

http://plaza.snu.ac.kr/~bigbear1/data7-8.htm

http://www.ullungdo.com/map/12.htm

疑問

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/15 15:04 投稿番号: [3680 / 18519]
>こうして大韓帝国政府は内部官吏の禹用鼎を責任者にし、韓国側の釜山監理署主査・金〓秀と封辧の金聲遠、日本側は釜山駐在の日本領事館副領事である赤塚正助と警部一名、第三国人は釜山駐在税務司の英国人 ラポルテ(E.Raporte, 羅保得)らで調査団を構成し、1900年5月25日、鬱陵島に出発した。

ずっと前から疑問だったのですが、大西輝俊はこの調査を1899年とし、皇城日報1899年9月23日の記事もラボーテによるものとしています。これは大西の誤りということですね。

私の書き込みに大西の記述を踏襲したものがありますが、これについてはラボーテの記事だと思っていたのがそうではなく、単なる皇城日報の記事ということに訂正する必要がありそうです。

大西氏の本も、危ないなぁ。

で、禹用鼎の報告書原文をどこかで見ることはできないものでしょうか。要約は問答Q58にあるようですが。

獨島問答 Q56,57

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/02/15 13:05 投稿番号: [3679 / 18519]
愼𨉷廈教授の獨島問題 100問100答
Q56.(日本人の密入島)
  再赴任した鬱陵島島監の蠔季周と釜山港外国人税務司の鬱陵島実態調査はどうであったのか?

ANS.かれらの報告によれば 1899年5-6月現在、鬱陵島には日本人数百名が群をなして不法侵入し、村落を作って居住しており、引き続き森林を伐採し船舶を運航して日本へ運びだし穀食と物貨を密貿易していた。
  鬱陵島に移住した韓国人がこれを少しでもとがめると、日本人は刀を抜いて振り回し暴動を起こすので、韓国人の移住民はみな驚愕し、恐れて安堵できない実状であると報告書は指摘した。
  あわせて鬱陵島島監の蠔季周は、鬱陵島に不法に入ってきた日本人や、かれらの行状はけっして軽視すべきでなく、これを中央政府の命令で厳重に取り締まらなければ、鬱陵島に移住してきた韓国人が離散してしまうので、取り急ぎこれを報告するとともに中央政府が積極的に処置するよう要請した。
  こうして実態を知るようになった大韓政府は、外部大臣が駐韓日本公使に公文を送り、鬱陵島に不法密入島した日本人を期限を定め本国に送り返すことと、開港場でない港で密貿易した罪を「朝・日修好条約」(1876年)の約定により調査、懲罰し、後日の弊害を永久に根絶することを要請した。
  一方、ロシア側は 1899年9月15日付で大韓帝国の外部大臣に公文を送り、日本人が鬱陵島に不法に入島して村を作って住み、森林を伐採し狼藉を働いているので、開港場でもない鬱陵島に不法密入島した日本人たちを刷還するよう日本公使館へ強力に要請するよう大韓政府に圧力を加えた。

Q57.(国際調査団)
  大韓政府は日本人の不法入島と森林伐採および不法な行状を禁止することを強力に要求してきたロシア側の圧力にどのように対応したのか?

ANS.当初、大韓政府は日本公使館をつうじて日本人を撤収させようと日本公使に公文を送った。しかし、日本公使の回答は傲慢不遜にもほどがあった。たとえば、万一、日本人の違法行為があれば韓国の官憲が逮捕し、近くの日本領事に引き渡すよう「朝・日修好条約」に規定されているので、韓国官憲はそうしろというものであった。
  これに大韓帝国の内部当局は、根本対策の樹立が必要なのを痛感し、1899年12月、内部官吏の禹用鼎を鬱陵島視察委員に任命し、日本側と第三国の外国人を含めた調査団を派遣し日本人の不法侵入と森林不法伐採の実態調査をし、その後、鬱陵島・獨島の行政官制を改定、格上げし、その行政管理を強化するようにした。
  大韓政府は鬱陵島にもっとも近い日本領事館である釜山の日本領事館の責任者を同行させ、日本側と交渉した。
  こうして大韓帝国政府は内部官吏の禹用鼎を責任者にし、韓国側の釜山監理署主査・金〓秀と封辧の金聲遠、日本側は釜山駐在の日本領事館副領事である赤塚正助と警部一名、第三国人は釜山駐在税務司の英国人 ラポルテ(E.Raporte, 羅保得)らで調査団を構成し、1900年5月25日、鬱陵島に出発した。

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

ふむ

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/15 12:25 投稿番号: [3678 / 18519]
この地図ではホーネット島(独島)が入っていないように見えますね。イメージを拡大して見てみましたが、詳しいところは見えませんでした。

で、韓国人にはダジュレー島が鬱陵島であるという知識はないのでしょうか。こんなことは竹島問題を少しでもかじった人なら誰でも知っていることですが。

これまた恣意的に国民に知らせていないのかな。

鬱稜島は日本の領土

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/15 10:40 投稿番号: [3677 / 18519]
韓国式に曲解して1879年のドイツ製作(A. Petermann)の地図に拠れば鬱稜島も日本の領土ということになる。

http://www.gracegalleries.com/images/JC/J-C135.jpg

言うまでもないが

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/15 08:57 投稿番号: [3676 / 18519]
「ウソ***、ホラ***」が抜けてるね。(笑)

「朝鮮八道古今総攬図」

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/15 08:41 投稿番号: [3674 / 18519]
>「1673年(顯宗 13年)、金壽弘が木版本で刊行した「朝鮮八道古今総攬図」の筆写本(1674年)。 鬱陵島の上部に于山島という地名で独島を記録した。」

何の証明にもならないが、于山島は鬱陵島の北という認識だったことがわかる。

http://www.ullungdo.com/map/3.htm

ジェームス・ワイルドの「中国地図」

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/15 08:18 投稿番号: [3673 / 18519]
>英国王室の地図製作者であるジェームスワイルドが1840年に作った横83.3cm,縦62.6cmで、鬱陵島に見える島はアルゴノートで、独島に見える島はダジュレーと表記し、韓半島の領土の中に表示、日本の領土と区別した。

の第2版(1841年)はネットで見られるね。

http://www.gracegalleries.com/images/JC/JC128.jpg

韓国式に解釈すると、この地図は朝鮮半島が中国の領土という証拠。また、「日本海」表記は当時すでに定着していたことを示す証拠でもあるね。(笑)

 経済制裁で 韓国を 締め上げよう

投稿者: ikassamaworldcup 投稿日時: 2004/02/15 03:39 投稿番号: [3672 / 18519]


   韓国経済が   日本なしでは   成り立たないことを


     朝鮮人の   骨の髄まで   叩き込もう

地図

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/15 01:38 投稿番号: [3671 / 18519]
どうも有り難うございます。またゆっくり見せていただきます。例の鬱陵島コムの資料に出てくる地図はなさそうですね。残念です。

西洋古版アジア地図

投稿者: ms_sm2 投稿日時: 2004/02/15 00:24 投稿番号: [3670 / 18519]
http://wsv.library.osaka-u.ac.jp/tenji/maps/maps.htm

ジェームスワイルドの該当地図は見つかりませんでしたが日本・朝鮮を含む古地図集です。使えそうな地図があれば見てください。

フルサイズのリンクをたどった地図をペイント等のソフトにカット&ペーストすれば最大画像で見れます。

アルゴノート島

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/14 21:10 投稿番号: [3669 / 18519]
>鬱陵島に見える島はアルゴノートで、独島に見える島はダジュレーと表記し、韓半島の領土の中に表示、日本の領土と区別した。

これも韓国人がよくする歪曲的な彼らには都合のいい見方だね。

ダジュレー島が鬱陵島の事なのは知識ある韓国人にはわかっているんだが、批判すること自体が売国行為と見なされる韓国では、間違った知識が訂正されることなく充満していく訳。

訂正

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/14 18:00 投稿番号: [3668 / 18519]
>韓国文部省ではなく日本文部省ではないですか。

そうですね、日本の文部省の間違いです。

明治37年(1904年)発行の「小學地理」のことを言っているのでしょう。

http://www.humikura.com/huroku/kyo1.html

>それにしても北緯・東経がケンチャナヨですね。この数値、アルゴノート島のものかと思いますが…。

「北緯37.9°、東経129.5°」と言っていますからね。竹島は北緯37.1°、東経131.5°くらいでしょう。

「資料を土台で」といっても…

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/14 17:38 投稿番号: [3667 / 18519]
ひどい資料解釈ですね。ほかにも、一つだけ指摘しておきます。いちいち指摘するとほかにもありますが、面倒なので一つにしておきます。

英国(2)ジェームスワイルドの地図
英国王室の地図製作者であるジェームスワイルドが1840年に作った横83.3cm,縦62.6cmで、鬱陵島に見える島はアルゴノートで、独島に見える島はダジュレーと表記し、韓半島の領土の中に表示、日本の領土と区別した。

本当にそうなのでしょうか。ネットでは1868年のワイルドの地図を見ることができます(田中さんのサイト)。ダジュレー島は鬱陵島であり、独島はホーネットのはずですが、1840年の地図はそうではないということでしょうか。

1840年刊行の別の地図があるのか単なる誤記なのかはしりませんが、仮に1840年の地図があったとしても1868年の地図に対する言及がない以上、恣意的解釈でしょう。

それにしてもさっきの小学校地理教科書の北緯と東経、どう考えても、アルゴノート島です。不思議です。実物を確認して見たいものです。私は韓国側の「資料」というものは実物(写真)を確認しないことには信用できない癖がつきました。それだけひどい言及が一杯あるということです。

新地図

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/14 16:49 投稿番号: [3666 / 18519]
>日韓併合以前の1904年に(韓国)文部省が発行、使用されはじめた最初の国政教科書の小学地理用新地図で独島を韓国の領土として表記している。

韓国文部省ではなく日本文部省ではないですか。日本ではもちろん小学校はもっと古くからありましたが、ちょっと検索して見ましたら国定教科書となったのが1904年からとありました。そのことかと思いますがいかがでしょう。

それにしても北緯・東経がケンチャナヨですね。この数値、アルゴノート島のものかと思いますが…。ちょっと疑問です。実際に地図を見てみる必要がありそうですね。どこかのサイトで見れないものでしょうか。

自爆教科書

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/02/14 15:56 投稿番号: [3665 / 18519]
>一つだけまともな回答がきました。

これは回答じゃなくて下のページの丸写しですね。

http://www.ullungdo.com/dokdo/chistory.htm#d3

中でも笑えるのは「日韓併合以前の1904年に(韓国)文部省が発行、使用されはじめた最初の国政教科書の小学地理用新地図で独島を韓国の領土として表記している。。。。北緯 37.9°、東経 129.5°地点に竹島(鬱稜島の東にある同名別島)という名前で独島が表示してある」ですね。

つまり、1904年の韓国政府発行の地図には「独島」が表記されていなかったということです。これも韓国には不利な証拠ですね。

naver報告

投稿者: ms_sm2 投稿日時: 2004/02/13 20:58 投稿番号: [3663 / 18519]
田中さんの韓国語版ホームページを日韓翻訳掲示板に紹介した所、一つだけまともな回答がきました。ハングル正常に読めるようです。


作成時刻 : 2004.02.13 20:48:40



韓国
ヘズァゾンも

93年忠南付与から発見された街で 72cm, 縦 115cm大きさの指導, <ヘズァゾンも>は 18歳期に製作されたことに推定されるのに独島を '傘'で表記しておいたし "鬱陵島はもともと于山国で新羅時代引っ越し部が攻撃して降参を受けた"と増えた記録がある.

東国地図

18世紀にゾングサングイックが作った <東国地図>では鬱陵島と傘も(独島)の位置とクがが正確に表示されていて鬱陵島と傘も(独島)が一つという日本の主張が間違いというのを証明している.

朝鮮八道古今総覧も

1674年(燎宗 14) ギムスホングが木彫り本で刊行した <朝鮮八道古今総覧も>の筆写本. 鬱陵島の上部に傘島という地名で独島を記録した.



日本
サムグックトングラムヨジロゾングゾンも

1785年日本の経世思想家と同時に地理学者下野時時ヘイ(林子平)が描いた指導で独島が当時朝鮮の領土という意味の "朝鮮の 持え"という記録がある. この絵は去る 93年 11月 4日グックリムズングアングドソグァンで発見されて独島領有権を取り囲んだ日本の減らず口主張に楔を刺した.

小学地理竜神誌も

韓日併合以前の 1904年から文部省が発行, 使い始めた最初の国政教科書小学地理竜神指導で独島を韓国の領土で表記しておいている. 我が国を韓国だと表記して中国は清国だと表記したこの指導は韓国指導部分で江陵で近い北魏 37.9゜, 東京 129.5゜地点に竹刀という名前で独島を表示している.

8道総図

592年壬辰の乱当時豊臣秀吉が朝鮮侵略のために製作したのも. 横 36cm, 縦 495cm の大きさであるこの指導で日本人たちは独島を朝鮮の領土路で記録しただけでなく現在日本領土に規定された対馬島も朝鮮の領土だと記録して '対馬島論争'を起こす牛地代いる資料で評価を受けている.


イギリス

ジェイムズコルネトの航海図

1791年イギリスの航海がジェイムズコルネトは東海を韓国海路表記して独島が韓国に帰属された島で見た.

ジェイムズワイルドの指導

イギリス王室地図製作者であるジェイムズワイルドが 1840年作った横 83.3cm, 縦 62.6cmの指導として鬱陵島で見える島はアゴノ−ト(Argonaut)で独島で見える島はダゲルレット(Dagelet)で表示したし韓半島の領土の中に表示, 日本領土と区分して置いた.

東洋三国志図牒

1832年ドイツの東洋学者クラプロトが横 60cm, 縦 85cmの大きさで製作したのも <東洋三国志図牒>では独島を竹島で表記しながら韓国領土で紹介している.



ロシア

朝鮮東海岸も : 1854年ロシア艦隊によって作成された指導に韓国して中に独島を描いて入れて独島が韓国領なのを明らかにした.



フランス

引導 - 中国誌も : フランスの地理学者ギョームドリルが 1705年に製作した <引導 - 中国誌も>では東海を韓国海路表記しておいている.



イタリア

中国製局地も : 1710年イタリアの地理学者シュポトが製作した <中国製局地も>でも東海が一グックヘで表記している.



アメリカ

地理学会が発行した世界地図 : 地理と指導分野の世界的権威を誇るアメリカ地理学会(ナショナルジオグレピックソサイオティ)は去る 66年から独島の名称を '独島(Tok do)'に変えて呼んで来たし日本側名称である竹島はてんから入れなかったことが確認された. アメリカ地理学会のバルデス副局長は "去る 54年韓国の内務省が独島に燈台施設を建設する事にして作業に取り掛かった事実が分かってこれを根拠で資料の調査をハンクッに独島が韓国地という結論を下した." と言った.

^^
資料を土台で調査して

三峰島

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/12 22:56 投稿番号: [3661 / 18519]
三峰島のおさらいがてら、ここのトピでも引用されたことがある半月城通信の該当部分を読んで見ました。

>朝廷は三峰島を蔚陵島(鬱陵島)と考え、島民を連れ戻すために三峰島敬差官、朴宗元および軍隊を派遣しました。船は大風にあいましたが、4隻のうち3隻が蔚陵島にたどりつき、3日間島を捜索しました。かれらは住居跡を見つけたものの、居住民を発見できませんでした。

朝廷は「鬱陵島」の島民を連れ戻すために朴宗元を送ったのでしょうか。「成宗二年有告別有三峯島者乃遣朴宗元往見之因風濤不得泊而還同行一船泊鬱陵島只取大竹鰒魚回啓云島中無居民矣」は、どうなるのでしょうか。これは半月城さんより、アホさんの理解の方がどちらかと言えば正しいと思う。

>その報告を受けた朝廷は、三峰島と蔚陵島はちがうのではないかと考えるようになり、その調査を永安道観察使に命じました。観察使は、かつて1471年に三峰島に漂泊し島民とじかに接したことがあるという鏡城の金漢京たちを派遣しました。
>1475年、金漢京たちは三峰島から7,8里(3km)離れた地点において島を望見することができましたが、風が強かったため上陸しませんでした。これらの記録からすると、蔚陵島を永安道では三峰島と呼んでいたようです。

その通り、金漢京は鬱陵島を「三峰島」としていたに過ぎません。ただし「蔚陵島を永安道では三峰島と呼んでいた」というよりは金漢京が三峰島のことを鬱陵島とは別の島だと考えたのでしょう。だから咸鏡道の官僚から朝廷まで動くことになったのではないですか。

>しかし、この報告に疑問を払拭しきれない朝廷は、さらに三峰島のくわしい調査を命じました。1476年、観察使は金自周に麻尚船5隻を与え、さらに渡航歴のある金興や金漢京、李吾乙亡たちを一行に加えました。金自周たちは、この三峰島探索の過程で今日の竹島=独島を確認したようで、実録にこう記録されました。(以下、略)

この金自周を中心とした三峰島探索は、金漢京らが言っている「三峰島」を案内を受けて調査しに行ったのであり、それは結果としては当然に鬱陵島でしかありません。ここでなんで突然に独島が出てくるのでしょう。島の描写も鬱陵島の様子からさほど外れるものでもありません。

>さらに、もし金自周たちがたどりついた島が三峰(鬱陵)島なら、同島に二度も行ったことのある金漢京たちが気がつかないはずはありません。

この文章の意味は金漢京はそもそも「鬱陵島=三峰島」を分かっていて、その上で別の「独島」を発見したということでしょうか。その妥当性はともかく、半月城さんは「独島=三峰島」を反対するということでしょうか。半月城さんが「独島=三峰島」反対派だとは少し驚きました。

要するに、①朴宗元は鬱陵島を住民を取り締まるために探査に行った。→②住民がいなかったから朝廷は三峰島が別にあると考え、金漢京に調査させる。ただし金漢京のいう三峰島は鬱陵島である。→③金自周・金漢京らによってさらに調査。ここで独島を発見。というのが半月城通信でしょうか。

ちなみにアヒルの理解は①朴宗元は鬱陵島とは別の三峰島なる島を取り締まりに出かけたが遭難(鬱陵島を別船が調査)、→②金漢京が三峰島(鬱陵島を勘違い)へ近づくも入島せず。→③金自周・金漢京があらためて探査。入島(鬱陵島を勘違い)できず。という感じです。

大きな違いは、金自周・金漢京の三峰(鬱陵)島探査においてたまたま独島を見つけてそれを記録した、というのが半月城さんで、彼らはどこまでも三峰島探査を行ったのであってそれは鬱陵島を勘違いしたものであったというのがアヒルです。どうなんでしょうか…。

http://www.han.org/a/half-moon/hm093.html#No.680
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