獨島問答 Q56,57
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/02/15 13:05 投稿番号: [3679 / 18519]
愼𨉷廈教授の獨島問題 100問100答
Q56.(日本人の密入島)
再赴任した鬱陵島島監の蠔季周と釜山港外国人税務司の鬱陵島実態調査はどうであったのか?
ANS.かれらの報告によれば 1899年5-6月現在、鬱陵島には日本人数百名が群をなして不法侵入し、村落を作って居住しており、引き続き森林を伐採し船舶を運航して日本へ運びだし穀食と物貨を密貿易していた。
鬱陵島に移住した韓国人がこれを少しでもとがめると、日本人は刀を抜いて振り回し暴動を起こすので、韓国人の移住民はみな驚愕し、恐れて安堵できない実状であると報告書は指摘した。
あわせて鬱陵島島監の蠔季周は、鬱陵島に不法に入ってきた日本人や、かれらの行状はけっして軽視すべきでなく、これを中央政府の命令で厳重に取り締まらなければ、鬱陵島に移住してきた韓国人が離散してしまうので、取り急ぎこれを報告するとともに中央政府が積極的に処置するよう要請した。
こうして実態を知るようになった大韓政府は、外部大臣が駐韓日本公使に公文を送り、鬱陵島に不法密入島した日本人を期限を定め本国に送り返すことと、開港場でない港で密貿易した罪を「朝・日修好条約」(1876年)の約定により調査、懲罰し、後日の弊害を永久に根絶することを要請した。
一方、ロシア側は 1899年9月15日付で大韓帝国の外部大臣に公文を送り、日本人が鬱陵島に不法に入島して村を作って住み、森林を伐採し狼藉を働いているので、開港場でもない鬱陵島に不法密入島した日本人たちを刷還するよう日本公使館へ強力に要請するよう大韓政府に圧力を加えた。
Q57.(国際調査団)
大韓政府は日本人の不法入島と森林伐採および不法な行状を禁止することを強力に要求してきたロシア側の圧力にどのように対応したのか?
ANS.当初、大韓政府は日本公使館をつうじて日本人を撤収させようと日本公使に公文を送った。しかし、日本公使の回答は傲慢不遜にもほどがあった。たとえば、万一、日本人の違法行為があれば韓国の官憲が逮捕し、近くの日本領事に引き渡すよう「朝・日修好条約」に規定されているので、韓国官憲はそうしろというものであった。
これに大韓帝国の内部当局は、根本対策の樹立が必要なのを痛感し、1899年12月、内部官吏の禹用鼎を鬱陵島視察委員に任命し、日本側と第三国の外国人を含めた調査団を派遣し日本人の不法侵入と森林不法伐採の実態調査をし、その後、鬱陵島・獨島の行政官制を改定、格上げし、その行政管理を強化するようにした。
大韓政府は鬱陵島にもっとも近い日本領事館である釜山の日本領事館の責任者を同行させ、日本側と交渉した。
こうして大韓帝国政府は内部官吏の禹用鼎を責任者にし、韓国側の釜山監理署主査・金〓秀と封辧の金聲遠、日本側は釜山駐在の日本領事館副領事である赤塚正助と警部一名、第三国人は釜山駐在税務司の英国人 ラポルテ(E.Raporte, 羅保得)らで調査団を構成し、1900年5月25日、鬱陵島に出発した。
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
Q56.(日本人の密入島)
再赴任した鬱陵島島監の蠔季周と釜山港外国人税務司の鬱陵島実態調査はどうであったのか?
ANS.かれらの報告によれば 1899年5-6月現在、鬱陵島には日本人数百名が群をなして不法侵入し、村落を作って居住しており、引き続き森林を伐採し船舶を運航して日本へ運びだし穀食と物貨を密貿易していた。
鬱陵島に移住した韓国人がこれを少しでもとがめると、日本人は刀を抜いて振り回し暴動を起こすので、韓国人の移住民はみな驚愕し、恐れて安堵できない実状であると報告書は指摘した。
あわせて鬱陵島島監の蠔季周は、鬱陵島に不法に入ってきた日本人や、かれらの行状はけっして軽視すべきでなく、これを中央政府の命令で厳重に取り締まらなければ、鬱陵島に移住してきた韓国人が離散してしまうので、取り急ぎこれを報告するとともに中央政府が積極的に処置するよう要請した。
こうして実態を知るようになった大韓政府は、外部大臣が駐韓日本公使に公文を送り、鬱陵島に不法密入島した日本人を期限を定め本国に送り返すことと、開港場でない港で密貿易した罪を「朝・日修好条約」(1876年)の約定により調査、懲罰し、後日の弊害を永久に根絶することを要請した。
一方、ロシア側は 1899年9月15日付で大韓帝国の外部大臣に公文を送り、日本人が鬱陵島に不法に入島して村を作って住み、森林を伐採し狼藉を働いているので、開港場でもない鬱陵島に不法密入島した日本人たちを刷還するよう日本公使館へ強力に要請するよう大韓政府に圧力を加えた。
Q57.(国際調査団)
大韓政府は日本人の不法入島と森林伐採および不法な行状を禁止することを強力に要求してきたロシア側の圧力にどのように対応したのか?
ANS.当初、大韓政府は日本公使館をつうじて日本人を撤収させようと日本公使に公文を送った。しかし、日本公使の回答は傲慢不遜にもほどがあった。たとえば、万一、日本人の違法行為があれば韓国の官憲が逮捕し、近くの日本領事に引き渡すよう「朝・日修好条約」に規定されているので、韓国官憲はそうしろというものであった。
これに大韓帝国の内部当局は、根本対策の樹立が必要なのを痛感し、1899年12月、内部官吏の禹用鼎を鬱陵島視察委員に任命し、日本側と第三国の外国人を含めた調査団を派遣し日本人の不法侵入と森林不法伐採の実態調査をし、その後、鬱陵島・獨島の行政官制を改定、格上げし、その行政管理を強化するようにした。
大韓政府は鬱陵島にもっとも近い日本領事館である釜山の日本領事館の責任者を同行させ、日本側と交渉した。
こうして大韓帝国政府は内部官吏の禹用鼎を責任者にし、韓国側の釜山監理署主査・金〓秀と封辧の金聲遠、日本側は釜山駐在の日本領事館副領事である赤塚正助と警部一名、第三国人は釜山駐在税務司の英国人 ラポルテ(E.Raporte, 羅保得)らで調査団を構成し、1900年5月25日、鬱陵島に出発した。
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 3613 (hangetsujoh さん)への返信です.
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