また三峰島
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/17 22:54 投稿番号: [3704 / 18519]
独島学会、資料探索の三峰島部分を読了。やはり解説には同意しかねる部分あり。また、解説は三峰島を鬱陵島でも独島でもあるとしていますが、独島である可能性をここに加える必然性は全くないと思う。以下、備忘メモがてら大きな流れのみ提示。
成宗元年12月 永安道観察使から三峰島に賦役を逃れるものありと報告。
2年8月 成宗が永安道の居民が逃げた鬱陵島への願行者を募集。(ここで王は三峰島=鬱陵島と把握。)
3年2月 兵曹が三峰島に行くに必要な目録を提出。三峰島を知る金漢京の同行を願う。
3年3月 日本語・女真語の通訳同行決定。未知の島であることに備えた模様。
3年6月 朴宗元ら調査にでかけるも遭難。他の船が鬱陵島を調査。
6年5月 金漢京ら三峰島を見るも上陸せず。(成宗2年にも一度漂着したことあり。)
7年9月 金自周・金漢京ら三峰島を見るも上陸せず。
10年9月 曹衛を三峰島敬差官に。
10年10月 曹衛に金自周・金漢京らも同行することに。
10年10月 曹衛ら出港も、風が悪く、帰港。再び出港も一ヶ月経っても帰らず。
10年12月 金漢京ら帰還。金漢京、風を理由に三峰島に行きたがらなくなる。
11年2月 三峰島招撫使に鄭錫禧、副使に朴宗元任命。
11年2月 三峰島招撫使に鄭錫禧、三峰島行きを渋って罰を受ける。左遷。
11年2月 副使朴宗元、病を理由に三峰島行きを渋って、左遷。その後、招撫使は沈安仁に。
11年5月 沈安仁の探査を王が風を理由に停止させる。
12年1月 永安道観察使が30人の自願者による探査を提言。王が受け入れる。
12年2月 募集した人が三峰島に持っていく諭書を与える。おそらく自願者は出港したはず。これにて、三峰島に関する記録は終了。
13年2月 「乱心逆賊」である金漢京の娘を奴婢に。
私は今まで勘違いしていたのですが、どうも金漢京は朴宗元の成宗3年の探査にも同行したようですね。金漢京は鬱陵島を見たはずですが、おそらく朴宗元とともに遭難したと考えるべきでしょう。
成宗10年の航海は詳しくは不明ですが、最低でも金漢京は2・6・7年の三度は三峰島に行っています。3年に6キロほど離れて目にしたであろう鬱陵島となぜ同じであるとは思わなかったのかはなぞですね。
そのあたりの疑問はともかく、上記の記述の内容は全て、鬱陵島に関するものと言っていいでしょう。人が住む所、島に小島がありそこに2戸の住民があることまで書いてあったりもします。
「三峰島=鬱陵島・独島」とする必要は全くありませんし、独島をうかがわせる情報を含む記述も皆無です。三峰島はどこまでも鬱陵島を勘違いしたに過ぎないのであり、だからこそ後に金漢京らは処罰されたのでしょう。
成宗元年12月 永安道観察使から三峰島に賦役を逃れるものありと報告。
2年8月 成宗が永安道の居民が逃げた鬱陵島への願行者を募集。(ここで王は三峰島=鬱陵島と把握。)
3年2月 兵曹が三峰島に行くに必要な目録を提出。三峰島を知る金漢京の同行を願う。
3年3月 日本語・女真語の通訳同行決定。未知の島であることに備えた模様。
3年6月 朴宗元ら調査にでかけるも遭難。他の船が鬱陵島を調査。
6年5月 金漢京ら三峰島を見るも上陸せず。(成宗2年にも一度漂着したことあり。)
7年9月 金自周・金漢京ら三峰島を見るも上陸せず。
10年9月 曹衛を三峰島敬差官に。
10年10月 曹衛に金自周・金漢京らも同行することに。
10年10月 曹衛ら出港も、風が悪く、帰港。再び出港も一ヶ月経っても帰らず。
10年12月 金漢京ら帰還。金漢京、風を理由に三峰島に行きたがらなくなる。
11年2月 三峰島招撫使に鄭錫禧、副使に朴宗元任命。
11年2月 三峰島招撫使に鄭錫禧、三峰島行きを渋って罰を受ける。左遷。
11年2月 副使朴宗元、病を理由に三峰島行きを渋って、左遷。その後、招撫使は沈安仁に。
11年5月 沈安仁の探査を王が風を理由に停止させる。
12年1月 永安道観察使が30人の自願者による探査を提言。王が受け入れる。
12年2月 募集した人が三峰島に持っていく諭書を与える。おそらく自願者は出港したはず。これにて、三峰島に関する記録は終了。
13年2月 「乱心逆賊」である金漢京の娘を奴婢に。
私は今まで勘違いしていたのですが、どうも金漢京は朴宗元の成宗3年の探査にも同行したようですね。金漢京は鬱陵島を見たはずですが、おそらく朴宗元とともに遭難したと考えるべきでしょう。
成宗10年の航海は詳しくは不明ですが、最低でも金漢京は2・6・7年の三度は三峰島に行っています。3年に6キロほど離れて目にしたであろう鬱陵島となぜ同じであるとは思わなかったのかはなぞですね。
そのあたりの疑問はともかく、上記の記述の内容は全て、鬱陵島に関するものと言っていいでしょう。人が住む所、島に小島がありそこに2戸の住民があることまで書いてあったりもします。
「三峰島=鬱陵島・独島」とする必要は全くありませんし、独島をうかがわせる情報を含む記述も皆無です。三峰島はどこまでも鬱陵島を勘違いしたに過ぎないのであり、だからこそ後に金漢京らは処罰されたのでしょう。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/3704.html