竹島

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三峰島

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/12 22:56 投稿番号: [3661 / 18519]
三峰島のおさらいがてら、ここのトピでも引用されたことがある半月城通信の該当部分を読んで見ました。

>朝廷は三峰島を蔚陵島(鬱陵島)と考え、島民を連れ戻すために三峰島敬差官、朴宗元および軍隊を派遣しました。船は大風にあいましたが、4隻のうち3隻が蔚陵島にたどりつき、3日間島を捜索しました。かれらは住居跡を見つけたものの、居住民を発見できませんでした。

朝廷は「鬱陵島」の島民を連れ戻すために朴宗元を送ったのでしょうか。「成宗二年有告別有三峯島者乃遣朴宗元往見之因風濤不得泊而還同行一船泊鬱陵島只取大竹鰒魚回啓云島中無居民矣」は、どうなるのでしょうか。これは半月城さんより、アホさんの理解の方がどちらかと言えば正しいと思う。

>その報告を受けた朝廷は、三峰島と蔚陵島はちがうのではないかと考えるようになり、その調査を永安道観察使に命じました。観察使は、かつて1471年に三峰島に漂泊し島民とじかに接したことがあるという鏡城の金漢京たちを派遣しました。
>1475年、金漢京たちは三峰島から7,8里(3km)離れた地点において島を望見することができましたが、風が強かったため上陸しませんでした。これらの記録からすると、蔚陵島を永安道では三峰島と呼んでいたようです。

その通り、金漢京は鬱陵島を「三峰島」としていたに過ぎません。ただし「蔚陵島を永安道では三峰島と呼んでいた」というよりは金漢京が三峰島のことを鬱陵島とは別の島だと考えたのでしょう。だから咸鏡道の官僚から朝廷まで動くことになったのではないですか。

>しかし、この報告に疑問を払拭しきれない朝廷は、さらに三峰島のくわしい調査を命じました。1476年、観察使は金自周に麻尚船5隻を与え、さらに渡航歴のある金興や金漢京、李吾乙亡たちを一行に加えました。金自周たちは、この三峰島探索の過程で今日の竹島=独島を確認したようで、実録にこう記録されました。(以下、略)

この金自周を中心とした三峰島探索は、金漢京らが言っている「三峰島」を案内を受けて調査しに行ったのであり、それは結果としては当然に鬱陵島でしかありません。ここでなんで突然に独島が出てくるのでしょう。島の描写も鬱陵島の様子からさほど外れるものでもありません。

>さらに、もし金自周たちがたどりついた島が三峰(鬱陵)島なら、同島に二度も行ったことのある金漢京たちが気がつかないはずはありません。

この文章の意味は金漢京はそもそも「鬱陵島=三峰島」を分かっていて、その上で別の「独島」を発見したということでしょうか。その妥当性はともかく、半月城さんは「独島=三峰島」を反対するということでしょうか。半月城さんが「独島=三峰島」反対派だとは少し驚きました。

要するに、①朴宗元は鬱陵島を住民を取り締まるために探査に行った。→②住民がいなかったから朝廷は三峰島が別にあると考え、金漢京に調査させる。ただし金漢京のいう三峰島は鬱陵島である。→③金自周・金漢京らによってさらに調査。ここで独島を発見。というのが半月城通信でしょうか。

ちなみにアヒルの理解は①朴宗元は鬱陵島とは別の三峰島なる島を取り締まりに出かけたが遭難(鬱陵島を別船が調査)、→②金漢京が三峰島(鬱陵島を勘違い)へ近づくも入島せず。→③金自周・金漢京があらためて探査。入島(鬱陵島を勘違い)できず。という感じです。

大きな違いは、金自周・金漢京の三峰(鬱陵)島探査においてたまたま独島を見つけてそれを記録した、というのが半月城さんで、彼らはどこまでも三峰島探査を行ったのであってそれは鬱陵島を勘違いしたものであったというのがアヒルです。どうなんでしょうか…。

http://www.han.org/a/half-moon/hm093.html#No.680
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