竹島

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北朝鮮歴史学会の竹島=独島見解13

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/09/21 09:15 投稿番号: [2567 / 18519]
   半月城です。
   今回は島根県告示が中心ですが、論文では意味がすこし不明な個所があります。歴史学会は「伯耆藩の大谷・村川両家が竹島を幕府から借りて経営したという主張も歴史の歪曲、捏造である」と記しましたが、ここにいう「竹島」は鬱陵島をさすのか竹島=独島をさすのかあいまいです。
   また「渡海免許状」は竹島(鬱陵島)をさすのか、竹島=独島をさすのか不明です。その一方で、今の日本では「松島(竹島=独島)渡海免許」は竹島=独島日本領派の学者すら存在しなかったと主張していることを付記します。

        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  「独島は誰もが侵犯することができない朝鮮の神聖な領土である」(2001.7.31付)
               朝鮮民主主義人民共和国歴史学学会
(承前)
   その他、独島を朝鮮領と認めて表記した日本の古文献や地図はいくらでもあげることができる。このように朝鮮側文献と地図はもちろん日本の基本文献と地図もみな独島の朝鮮領有を認定しており、したがって「昔から日本の領有権を明白に示している文献または古地図がある」という主張は完全にこじつけであり、領土膨張の野望を成し遂げようとする軍国主義者たちの妄言にすぎない。
   伯耆藩の大谷・村川両家が竹島を幕府から借りて経営したという主張も歴史の歪曲、捏造である。先に分析したように彼らが「渡海免許状」の発給をうけた事実が独島を自国領と見なしたり、かれらが独島を幕府から借りて経営したという証拠にはなりえないのである。中井がアシカ猟のために大韓帝国から独島借用の許可を得ようとした事実がそれを物語っている。
   日本帝国主義者たちは次に国際法上からみても「日本の固有領土」という妄説を繰りひろげている。かれらの主張は、国際法上で先占に対する領域確定が実現されるにはまずその地域が無主地でなければならず、つぎに領域獲得の国家的意思があり、さらにその意思を対外的に公布すべきであり、加えてその地域で実効的な占有、経営がなければならないという条項などをあげ、かれらはこれらの要件をみな実現したが、朝鮮側は占有に対する「国家的意思」やその表明もなく、効果的な経営もないばかりか「平穏で継続的な占有」もなかったというものである。
   これもやはり根拠のないこじつけであり、賊反荷杖式の強盗的論理である。先に何度も強調したが、独島は無人島ではあるが決して無主地ではないし、占有の国家意思は長期間の「空島政策」期にも倭人に何度も明白に表明したし、中国でもわが国の文献をとおして知られている。
   とくに 1900年、勅令第41号が発表されたことにより朝鮮の独島領有は近代の慣例に合うよう万国に通告、再確認された。
   しかし、日本はどうしただろうか?   軍国主義者たちの破廉恥な主張は主に独島編入に関する閣議決定と「島根県告示」第40号を念頭においたものだが、この文書は高宗の勅令第41号が公布された5年後に造作されただけでなく、それすら国内外に公布されなかった。
   元来、国際法の要求は、無主地を自国領に編入する際に当然その地と隣接する国々との事前協議や照会を要望しており、またそのようにするのが慣例である。
(つづく)

まあ、あんな岩山ごときに

投稿者: pursue_truth 投稿日時: 2003/09/21 01:37 投稿番号: [2566 / 18519]
軍出動など、日本の歴史に泥を塗るようなもんです。

日本には自衛隊以上に強力なカードがあるわけだから、それを切ればいいわけですね。

そう、それは経済制裁です。

ちょんに火病が発症しかかってくれば、その時こそ、徹底的に叩いてやれば良い。

自衛出動ですから、憲法問題もクリアです。(笑

竹島以上変な尖閣諸島問題。

投稿者: taibei007 投稿日時: 2003/09/21 01:30 投稿番号: [2565 / 18519]
竹島は韓国が武力により不法占拠してると解釈するのが妥当だと思います。
しかし、日本国の敗戦後に竹島には日本の行政権が無くなったのも事実です。

しかし尖閣諸島に関しては、中華人民共和国の行政権は絶対に存在しない!
尖閣諸島は中華人民共和国の領土ではない!
常識では台湾の領土が正解でしょうが、台湾の領土だと証明する根拠が残念ながら無い。
領土だと主張できるのは日本国だけでしょうか?

好き勝手な事はかりですね。

投稿者: taibei007 投稿日時: 2003/09/21 00:21 投稿番号: [2564 / 18519]
日本側と韓国側とで好き勝手な判断をしてますね。

竹島は500年代以前は日本国の領土であったのは間違いない事実ですね。
日本人の渡海禁止が日本領土の放棄とは全く関係ありませんね。
李氏王朝も1910年まで渡海禁止をしています。

1905年以後は国際的に認められた日本国島根県の一部ですね。
領有圏行政権は国際的に一番最初に認められたのが優先されるべきでしょう。

日本国の敗戦後は日本国の行政権は外れましたが、韓国の領有圏内でもありません。

1953年に韓国が無理やり武力により竹島を占領したのが事実です。
早い話が韓国が武力により不法占拠してると解釈するのが妥当でしょう。

逆に言えば日本国が武力によって取り返す事も可能です(憲法問題)

保守

投稿者: syouryuhoubu 投稿日時: 2003/09/20 22:21 投稿番号: [2563 / 18519]
  保守しておきます。
  どうか、皆さんが竹島問題を認識してくれますように。

その見解少々異議あり

投稿者: kiasirikugame 投稿日時: 2003/09/16 00:26 投稿番号: [2562 / 18519]
1.1690年代の鬱陵島論戦を行った事自体が、竹島を日本の領土と双方が認定してのものであったはず。また渡海禁止については小笠原、沖縄、また佐渡でさえ一般人の渡海を禁じていた事を考えると、それを以って他国領と認定するというのはおかしい。

2.明治政府が再三にわたって調整領有を認定した、というのは詭弁である。内部調査にて朝鮮側の不当な領有を発見したに過ぎず、維新間もない政府にとって自国領土が他国により領有を主張されかねぬ状況に、いささか重い外交問題になりえると認識した文書と理解するのが自然。

3.   韓国側が再三引用する「古文献」というものもいささか眉唾である。たしかに15〜16世紀の文献に于山島または三峰島という名が出てくるが、これらが竹島であるという積極的な根拠は無い。むしろ、この文献こそが、それらが竹島でないことを示している。

4.   1905年(明治38年)に閣議決定と島根県告示によって近代国家として竹島領有を再確認したものだが、これを韓国が「一地方官庁によって隠密裏に行われた」という根拠は無い。この告示は新聞報道もされており、近代国家の行政区分に組み入れた事を対外的に宣言している。何を以って隠密裏なのか。

5.   1779年、刊行日本地図として最も代表的な長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」には位置関係正しく日本領としての竹島が記載されている。都合の良い文献を拾い読みするのは、よろしくない。

おいおい! 林子平の頃に

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2003/09/15 23:28 投稿番号: [2561 / 18519]
「日本学会」なんてあったのかヨ〜!(爆)

でさ〜、何度も言ってるが、「北朝鮮」歴史学会なんて、アンタの発言になんの権威も威厳も持たせやせんが?
そもそも竹島を不法占拠しているのは韓国だっつうの!(笑)

で、いつ北は韓国と竹島をめぐって争奪戦をするんだね?

アンタも時間を持て余して引用に精を出しているのは健気だがな。(笑)

北朝鮮歴史学会の竹島=独島見解12

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/09/14 20:30 投稿番号: [2560 / 18519]
   前にみたように、1690年代に朝鮮政府と日本対馬島主、江戸幕府間で繰りひろげられた鬱陵島領有問題論戦のはてに、結局、江戸幕府と対馬島主が「竹島とその外一島(独島)」の朝鮮領有を認定し、その島への日本人の渡海を禁止する命令を出したのがその一例である。
   幕府が倒れ明治政府が樹立された後、日本政府は鬱陵島とともに竹島の朝鮮領有を再三にわたり明白に規定した。
   明治維新の翌年である 1869年12月、日本外務省は佐田、森山、斉藤など三名の外務省所属派遣員を朝鮮に送り実態を調査させたが、かれらは「朝鮮の事情を実地探査」して提出した報告書「朝鮮国 交際始末 内探書」の終わりの部分に「竹島(鬱陵島)、松島(独島)が朝鮮の付属になっている経緯」に対する調査結果を報告したのであり、結局それを否定する結論は出さなかった(『日本外交文書』巻3)
   この報告書は日本外務省の正式派遣員の公式文書である。かれら3名の公式派遣代表は一貫して独島が鬱陵島の隣島であり、鬱陵島とともに朝鮮の領土であることを認定したいた。
   1877年、日本内務省は二島に対する5カ月間の再調査結果を政府最高機関である太政官に報告したが、太政大臣代理 岩倉具視はこれにもとづいて、3月29日「竹島(鬱陵島)とその外一島(松島すなわち独島)は本邦(日本)に関係ないと心得るべき」という指令を内務省に下達しており、内務省は4月9日、それを島根県に下達した(『日本国立公文書館』所蔵資料)。
   この指令はそのまま日本の明治政府が鬱陵島とともに独島を日本には関係ない朝鮮領と認定した国家の公文書であり、内務省と島根県に二島を日本の境域から除外するよう指令した政府の決定書である。日本政府が独島の朝鮮領有権を認定した文献としてこれよりも有力なものはなく、日本側文献にこれを否定する文献もない。
   日本の古地図を探し回っても事情は同じである。独島博物館で複写した日本の朝鮮関係古地図をみれば、みな一様に独島を鬱陵島とともに朝鮮領に含めている。壬辰倭乱の時、朝鮮侵略のために九鬼嘉隆などが豊臣の命により作成した『朝鮮国地理図』の『八道総図』と江原道部分地図に于山島と鬱陵島が並んで江原道の沖合に明記された。これは日本で鬱陵島と独島をわが国の名称で表記した最初の地図である。

   つぎに、日本地図製作の大家として知られている林子平が 1785年ころ『三国通覧図説』に朝鮮と日本および中国東北地方を描いた付録地図を見れば、竹島(鬱陵島)とその横に小さい島(独島)を明記して朝鮮本土と同じ黄色で彩色し(日本は対馬と同じ灰色)、その横に「朝鮮のもの」と書いている。これは当時の日本学会でも独島を朝鮮の領土と認定していることを示している。
   1876年、日本海軍水路部がロシア艦隊パラダ号が作成した地図を作戦用に再発行した「朝鮮東海岸図」にも鬱陵島と独島など付属島が詳細に描かれているが、とくに独島は別に絵で描かれた。
   1882年、木村が製作した「東国朝鮮国全図」も日本は赤色で表示したが、竹島(鬱陵島)と松島(独島)は朝鮮本土と同じ薄い灰色で表示してそれらの島がみな朝鮮領であることを明らかにしている。
   日本海軍水路部で 1883年に初めて発刊した『寰瀛水路誌』にも「リアンコールド岩(独島)」を鬱陵島の属島と明示し、その後、1945年6月に発刊した『簡易水路誌』に至るまで何度も発行した水路誌ではみな独島を朝鮮領の構成部分に記録した(1952年 海上保安庁が発行した「朝鮮半島沿岸水路誌」から独島を日本領に編入)。
   特に、ヒケムセッコが 1930年に出した『日本海(朝鮮東海)に位置する竹島に関する日鮮関係』では「竹島(独島)と鬱陵島は現在 朝鮮の江原道に所属し日本海のなかにあるが、朝鮮領土の境界としては最東端である」とし、1936年 日本陸軍参謀本部陸地測量部で製作した「地図区域一覧表」には日本領土と朝鮮半島の間にある鬱陵島と独島を一区画でくくり、朝鮮本土所属と表記した。
   このような事実は日帝の朝鮮強占期にも独島が実際上 島根県に所属していなかったことを意味し、したがって「独島島根県編入」は完全に虚偽、謀略であったことを告発している。

   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

北朝鮮歴史学会の竹島=独島見解11

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/09/14 20:30 投稿番号: [2559 / 18519]
   半月城です。
   前回、北朝鮮の歴史学会は、明治政府が竹島=独島を放棄した太政官指令についてふれていないと書いたのですが、実はこれは今回紹介する分に書かれていたので訂正します。具体的には前回の前文のみをそっくり削除します。

   今回の分で気になる点があります。それは長久保赤水の『日本輿地路程全図』です。歴史学会はこれを日本側に有利な私撰地図とみていますが、地図の着色という点ではかえって日本側に不利な史料になっていることを付けくわえます。
http://www.han.org/a/half-moon/hm095.html#No.6981
   ただし、これはささいな問題です。というのも『日本輿地路程全図』は歴史学会が指摘するように私撰地図なので、国家の認識とは無関係なためです。したがって領有権問題にとって史料価値は低いものです。

   つぎに気になる点ですが、歴史学会が<1945年6月に発刊した『簡易水路誌』に至るまで何度も発行した水路誌ではみな独島を朝鮮領の構成部分に記録した>としている点です。堀氏の論文「190年 日本の竹島領土編入」によれば、日本が竹島=独島を領土編入した後の1907年版『日本水路誌』関係海図索引には竹島=独島が日本の方に組み入れられているとのことで、食い違いがあるように思えます。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  「独島は誰もが侵犯することができない朝鮮の神聖な領土である」(2001.7.31付)
               朝鮮民主主義人民共和国歴史学学会
(承前)
3.日本の「独島領有権」主張は領土拡張熱に浮かされた者たちの虚説
   独島を奪おうとした日本帝国主義者たちの策動はぶざまな敗北を喫したにもかかわらず、今日の息を吹き返した日本軍国主義者たちは再び「日本領有」を主張しており、独島を「奪還」すべきだと騒乱を起こしている。
   独島領有権を主張する日本極右たちの主張はまったく根拠のない妄説であり、失敗をくり返した領土拡張主義者たちの繰り言にすぎない。それは日本軍国主義者の侵略的本性が変わらないことを示している明白な証拠でもある。

   日本の政治家は独島が「歴史的にも日本の固有の領土」で「昔から日本領有権を明確に示している文書と古地図がある」としているが、実際のところ、それは「日本輿地路程全図」や「竹島図説」などいくつかの私撰地図、地理書にすぎず、その外のあらゆるものはかえって朝鮮領有権を確証してくれるのである。
   前にみたように、朝鮮の歴代文献と地図はどれもがすべて独島を我が領土としており、日本の領土としたのは一件もない。『三国史記』や『高麗史』、『朝鮮実録』など政府が編纂した国家正史、あるいは政府の百科事典でもある『増補文献備考』で独島を于山島、三峰島、可支島などと呼び、江原道蔚珍県所属の島と明記し、官撰地理書である『新増東国輿地勝覧』では地図として于山島と鬱陵島を並べ朝鮮領土として描いた。
   1900年に大韓帝国が独島を「鬱島郡所属の島」と明白に再宣明し、政府機関紙である『官報』で世界に公布したことはこうした歴史伝統に基礎をおくものであった。それのみならず、日本の歴代基本文献と権威ある地図もみな独島を日本のものでなく、朝鮮の付属の島としている。
(つづく)

保守

投稿者: syouryuhoubu 投稿日時: 2003/09/14 08:51 投稿番号: [2558 / 18519]
  日本の領土です。

ポツダム宣言には

投稿者: kyomo_2003 投稿日時: 2003/09/07 20:51 投稿番号: [2557 / 18519]
竹島あたりの細かいことは
書いてあっただろうか。

ただ、日本の領土は本州、北海道、九州、四国と周辺の島に限ると
いうことだけでは
なかったか。

おわび

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/09/07 20:51 投稿番号: [2556 / 18519]
   半月城です。
   #2553は手違いでした。

北朝鮮歴史学会の竹島=独島見解10

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/09/07 20:48 投稿番号: [2555 / 18519]
   海軍のこうしたあざとい打算により、あれほど冷遇された中井の独島貸下願は積極的な支持と庇護を受けるようになり、結局は中井の貸下願が1904年9月29日「りゃんこ島(独島)領土編入並ニ貸下願」という表題をつけられ、内務、外務、農商務の3省大臣に提出された。
   つまり中井の本来の目的である朝鮮政府に対する独島貸下の交渉が日本政府による領土編入問題に転換、拡大したのである。日本の内閣はこのころ朝鮮政府に武力で「保護条約」(1905年11月に捏造した乙巳5条約)を強要する計画をくり返し討議していた時だったので、この機会に独島を強占することも上策と考えるようになったのであり、これから1905年1月28日に閣議でついに独島の島根県編入を独断的に決定する横暴を強行するようになった。この閣議の決定とは次のとおりである。

  「この無人島は他国がこれを占領したと認められる形跡がない」。しかるに隠岐島司の所管にするのは「差しつかえないと判断」し、中井の「請議のとおり閣議決定が成立したと認める」

   まったくこれは傍若無人な独断であり、独善的なサムライ式行為であった。独島を朝鮮が歴代にわたり領有していたという「形跡」は日本にも多くあったし、ちょうどこの閣議決定に先立つ1900年10月、すでに大韓帝国は勅令第41号で独島の朝鮮領有を再確認し『官報』で世界各国に知らせたのである。
   それにもかかわらず、日本が「他国が占有したと認められる形跡がない」として「差しつかえないと判断」して「決定が成立したと認める」としたことは実に言語道断である。
   この強盗的閣議決定にしたがい、島根県庁は2月22日付で「島根県告示」第40号なるものを造作し「北緯37度30分、東経131度55分、隠岐島から西北85マイルにある島嶼を竹島と称し、今日から本県所属隠岐島司の所管に定める」と公布した。
   実に「島根県告示」なるものは、何人かの謀略輩が陰で作りだした完全な捏造品である。それにもかかわらず日帝は、一朝にして千数百年間にわたり朝鮮が領有経営してきた独島を「日本領土」と規定し、それが国際法に規定された「無主地先占」手続きや要求に合致すると言い張った。

   こうした独島強奪は完全に謀略かつ陰謀であり、徹頭徹尾 不法無道な強盗行為であった。300余年前に領議政 南九萬が糾弾した「狡猾な倭人の心根」はこの時も変わりなかった。独島は日本閣議の決定や「島根県告示」により日本領土に編入されたのではなく、実際は日帝の朝鮮強占により朝鮮半島およびそれに付属した他の島とともに日帝に併呑されたのであり、したがって日帝の敗亡とともにカイロ、ポツダムなど国際協定と連合国最高司令部指令第677号により本来の主人に帰属した。これで独島を侵奪しようとした日本帝国主義者たちの策動は完全敗北に終わった。

   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

血迷ったか? ダブル投稿じゃん!

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2003/09/07 20:47 投稿番号: [2554 / 18519]
え〜?(笑)

北朝鮮歴史学会の竹島=独島見解9

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/09/07 20:45 投稿番号: [2553 / 18519]
   半月城です。
   北朝鮮歴史学会の独島論文ですが、今回は明治時代の日本をとりあげます。今回、気になるのは、1877年、明治政府が竹島(鬱陵島)および外一島、すなわち竹島=独島を放棄した史実にまったくふれていないことです。これは、歴史学会がその史実を知らなかったとしか思えません。そうだとすると、日本史料の批判が弱いようです。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  「独島は誰もが侵犯することができない朝鮮の神聖な領土である」(2001.7.31付)
               朝鮮民主主義人民共和国歴史学学会
(承前)
   19世紀後半に「征韓論」が台頭し、明治政府の海外侵略が政策化するや独島に対する侵奪策動は次第に露骨になり、大規模に敢行され、朝鮮政府が1882年、積極的な独島開拓政策に移行した後も日本人の違法行動はやまなかった。
   1900年、禹用鼎が鬱陵島を巡察したとき、144名の日本人が11隻の船を停泊させ、鬱陵島に潜入して非法な資源略奪をこととしていた。かれらは撤収を要求する鬱陵島住民の要求に従順に応じる代わりに刀を振り回し反抗し、こちらの正当な要求に対し自分たちは島監の黙認下に商業貿易をしていたと抗弁した。
   露日戦争時、日帝は非法にも独島に海軍望楼(監視塔)を設置し、北部朝鮮ー鬱陵島ー独島ー日本本島にいたる海底電線を敷設し、日本の東郷艦隊は独島に依拠し、付近の海洋でロシア遠征艦隊を撃破した。
   この事実を当時の朝鮮政府はまったく知らず、日本政府もまだこの露骨な背信行為を隠していた。この時期にも日本は独島に対する侵略行為を継続した。それは中井養三郎の有名な「独島貸下願」の事実が物語っている。

   島根県の漁業企業家である中井は独島水域でアシカ捕獲独占権をえるために、1904年9月農商務省に「りゃんこ島(独島)貸下願」を提出したが、かれはここで独島を10年の期限で借用し、アシカ猟の独占権をもてるように旧韓国政府と交渉するよう提起した。
   農商務省と外務省、内務省の官吏はそれが朝鮮領であると知っていただけでなく、その島の借用可能性に対し疑問をもちソッポを向いたが、唯一海軍省だけがそれに興味をもち、政府に提出したという。
   独島が厳然たる朝鮮の領土であり鬱陵島の付属であるという状況で、この問題はただ朝鮮政府との協商によってのみ解決されるのであった。中井自身もそのように考えていた。

   このような事実に対し、1923年7月島根県教育会で発行した『島根県誌』では「・・・中井はこの島(独島)を朝鮮領土と考え上京し、農商務省へ説明して同政府(朝鮮政府)に貸下願いを出そうとした」と書かれてあり、1933年2月に刊行された『隠岐島誌』にも「中井はリャンコ島(独島)を朝鮮領土と信じ、同政府(朝鮮政府)に貸下願を出すことを決心した」と明らかにした(しかるに日本は、かつてこれに対し「編者の誤解」などと見苦しい弁明をした)。
   中井自身も後に「独島は鬱陵島に属した韓国の領土と考えた」と明らかにし、まさにそのために「上京して農商務省をとおして韓国政府に貸下願」を出そうとしたと証言した(1910年に書かれた中井の「履歴書」、1906年に出版した『歴史地理』8巻6号)。日本政府もやはりそのような事実を明らかに知っていたため、中井の提議が複雑な問題を惹起するものと判断して1カ月を過ぎても交渉に応じなかった。
   まさにこのような時、海軍省を中心にこの問題に関心をもつようになったのは、当時の朝鮮が、日本の軍事的侵略の対象になっていた朝鮮でうまくすればこの機会に独島を強占して海外侵略基地にでき、またそうした可能性もあると計算したためであった。
   というのも、中井が独島でアシカ猟をした事実がすぐさま独島に対する日本の領有権を主張できる重要な根拠になりうるし、独島が朝鮮領であっても人が常住しない無人島であるうえに17世紀以後日本人が「松島」と呼んだ資料が残っている事実、そしていかなる帝国主義列強も独島に対する領有権を主張しないばかりか、もっと重要なことに島の領有国である朝鮮が日帝植民地に転落していた当時の環境で抗議を提起できないだろうなどがその理由であった。
(つづく)

だから、「北朝鮮」じゃ意味無いって☆

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2003/09/07 20:41 投稿番号: [2552 / 18519]
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=2514

>北朝鮮歴史学会の竹島=独島見解9

投稿者: mekatarami 投稿日時: 2003/09/07 20:32 投稿番号: [2551 / 18519]
>1877年、明治政府が竹島(鬱陵島)および外一島、すなわち竹島=独島を
>放棄した史実

相変わらず、泣けますなァ。
ここまでくると、浪花節みたいなもんですなァ。
いつの日か、その勤労奉仕が報いられて、祖国で高い地位にお就きになれると
よろしいですなァ。

>歴史学会がその史実を知らなかったとしか思えません。

そんな「重要な史実」を知らんとは、語るに落ちた学会ですなァ。
そんな学会が何を発表しても、そんなもんに権威がありますのかなァ。
でも、そんなことになったら、その学会の論文を必死になって紹介したはる
半月先生の立場が・・・

北朝鮮歴史学会の竹島=独島見解9

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/09/07 20:08 投稿番号: [2550 / 18519]
   半月城です。
   北朝鮮歴史学会の独島論文ですが、今回は明治時代の日本をとりあげます。今回、気になるのは、1877年、明治政府が竹島(鬱陵島)および外一島、すなわち竹島=独島を放棄した史実にまったくふれていないことです。これは、歴史学会がその史実を知らなかったとしか思えません。そうだとすると、日本史料の批判が弱いようです。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  「独島は誰もが侵犯することができない朝鮮の神聖な領土である」(2001.7.31付)
               朝鮮民主主義人民共和国歴史学学会
(承前)
   19世紀後半に「征韓論」が台頭し、明治政府の海外侵略が政策化するや独島に対する侵奪策動は次第に露骨になり、大規模に敢行され、朝鮮政府が1882年、積極的な独島開拓政策に移行した後も日本人の違法行動はやまなかった。
   1900年、禹用鼎が鬱陵島を巡察したとき、144名の日本人が11隻の船を停泊させ、鬱陵島に潜入して非法な資源略奪をこととしていた。かれらは撤収を要求する鬱陵島住民の要求に従順に応じる代わりに刀を振り回し反抗し、こちらの正当な要求に対し自分たちは島監の黙認下に商業貿易をしていたと抗弁した。
   露日戦争時、日帝は非法にも独島に海軍望楼(監視塔)を設置し、北部朝鮮ー鬱陵島ー独島ー日本本島にいたる海底電線を敷設し、日本の東郷艦隊は独島に依拠し、付近の海洋でロシア遠征艦隊を撃破した。
   この事実を当時の朝鮮政府はまったく知らず、日本政府もまだこの露骨な背信行為を隠していた。この時期にも日本は独島に対する侵略行為を継続した。それは中井養三郎の有名な「独島貸下願」の事実が物語っている。

   島根県の漁業企業家である中井は独島水域でアシカ捕獲独占権をえるために、1904年9月農商務省に「りゃんこ島(独島)貸下願」を提出したが、かれはここで独島を10年の期限で借用し、アシカ猟の独占権をもてるように旧韓国政府と交渉するよう提起した。
   農商務省と外務省、内務省の官吏はそれが朝鮮領であると知っていただけでなく、その島の借用可能性に対し疑問をもちソッポを向いたが、唯一海軍省だけがそれに興味をもち、政府に提出したという。
   独島が厳然たる朝鮮の領土であり鬱陵島の付属であるという状況で、この問題はただ朝鮮政府との協商によってのみ解決されるのであった。中井自身もそのように考えていた。

   このような事実に対し、1923年7月島根県教育会で発行した『島根県誌』では「・・・中井はこの島(独島)を朝鮮領土と考え上京し、農商務省へ説明して同政府(朝鮮政府)に貸下願いを出そうとした」と書かれてあり、1933年2月に刊行された『隠岐島誌』にも「中井はリャンコ島(独島)を朝鮮領土と信じ、同政府(朝鮮政府)に貸下願を出すことを決心した」と明らかにした(しかるに日本は、かつてこれに対し「編者の誤解」などと見苦しい弁明をした)。
   中井自身も後に「独島は鬱陵島に属した韓国の領土と考えた」と明らかにし、まさにそのために「上京して農商務省をとおして韓国政府に貸下願」を出そうとしたと証言した(1910年に書かれた中井の「履歴書」、1906年に出版した『歴史地理』8巻6号)。日本政府もやはりそのような事実を明らかに知っていたため、中井の提議が複雑な問題を惹起するものと判断して1カ月を過ぎても交渉に応じなかった。
   まさにこのような時、海軍省を中心にこの問題に関心をもつようになったのは、当時の朝鮮が、日本の軍事的侵略の対象になっていた朝鮮でうまくすればこの機会に独島を強占して海外侵略基地にでき、またそうした可能性もあると計算したためであった。
   というのも、中井が独島でアシカ猟をした事実がすぐさま独島に対する日本の領有権を主張できる重要な根拠になりうるし、独島が朝鮮領であっても人が常住しない無人島であるうえに17世紀以後日本人が「松島」と呼んだ資料が残っている事実、そしていかなる帝国主義列強も独島に対する領有権を主張しないばかりか、もっと重要なことに島の領有国である朝鮮が日帝植民地に転落していた当時の環境で抗議を提起できないだろうなどがその理由であった。
(つづく)

半月は馬鹿!

投稿者: kimahakekerajya 投稿日時: 2003/09/05 15:46 投稿番号: [2549 / 18519]
馬鹿!半月のレスは、
以前からたいして変わらず、繰り返し同じ事を言っているだけ。

文章が多ければ良いって問題じゃないだろ。
馬鹿、朝鮮民族は文章の多さに騙されるが。

もっともっと勉強しろ半月!

結論はでておる。

投稿者: yamatonihiganoboru 投稿日時: 2003/09/02 21:03 投稿番号: [2548 / 18519]
捏造言いがかりの半島人は世界の嫌われものである
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KIKAKU/nihonkai/position_jp.htm

やっぱり反応

投稿者: hangetsujou 投稿日時: 2003/09/02 20:04 投稿番号: [2547 / 18519]
しちゃうもんですね^^

間違った思いこみだらけの半月

投稿者: toyonpa 投稿日時: 2003/09/02 15:57 投稿番号: [2546 / 18519]
竹島は日本領土です!

鬱病半月の狂った熱意は認めますが、
この狂った熱意は他の部分で非常にマイナス要因です。

日本国領土の竹島の不法侵入朝鮮人は、直ちに竹島から出て行きなさい!

半月もこの世界出からて行ってね。

>脱線がすぎますが・・・

投稿者: toraneko_yh 投稿日時: 2003/09/02 11:13 投稿番号: [2545 / 18519]
またひとり二役の開始ですか

脱線がすぎますが・・・

投稿者: mattouya 投稿日時: 2003/09/02 11:00 投稿番号: [2544 / 18519]
私は半月城さんと紛らわしいハンドルをつけておりません。
私が言ったのはまあ駄洒落のうちです。
韓国には半月城というのがいくつかあるんですよ。
年に何回かフイールドワークに出かけますから、二つの半月城は既に見てきました。
それとかけて、冗談言ったまでです。

>半月城はたくさんあるようです。

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2003/09/02 08:06 投稿番号: [2543 / 18519]
あなたも、半月城なの?

半月城はたくさんあるようです。

投稿者: mattouya 投稿日時: 2003/09/01 13:10 投稿番号: [2542 / 18519]
お笑いネタのハンドルですか?

訳分からん

投稿者: hangetsujou 投稿日時: 2003/09/01 12:41 投稿番号: [2541 / 18519]
お笑いネタでその資料を出してくれてるんでしょ?

>竹島=独島見解8

投稿者: kyomo_2003 投稿日時: 2003/08/31 09:35 投稿番号: [2540 / 18519]
>1696年1月、江戸政府が「竹島とその外の一島(独島)」が朝鮮領であることを認定し、日本人の鬱陵島水域出入りを禁止する命令をだすようになり、1698年には鬱陵島と独島が「一島二名(ひとつの島にふたつの名)であることを認定し、1699年には文書交換が完了し一旦終わりになった。<

江戸時代、長州藩では、
こういう見解はなかったのでは。

だから、江戸幕府の取り決めは
本当にそういう内容だったのだろうか。
単に、鎖国をしていたための便宜では
なかったか。

>北朝鮮歴史学会の竹島

投稿者: kyomo_2003 投稿日時: 2003/08/31 09:29 投稿番号: [2539 / 18519]
>独島は新羅の時から朝鮮領土の一部とみなされ、
朝鮮歴代王朝により合法的に経営されてきたが、<


経営していたんだろうか。
もともと、無人島だったんでは、
江戸時代までは。

北朝鮮歴史学会の竹島=独島見解8

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/08/31 09:20 投稿番号: [2538 / 18519]
   1618年、伯耆藩の大谷・村川は幕府の承認のもとに隠州すなわち因幡藩から竹島渡海免許を得て、その後70年間、年毎に鬱陵島近海に来て漁労作業をした(注)。
   倭人のこのような不法行為は1692年、朝鮮漁夫に発覚し、阻止された。翌年、安龍福、朴於屯をはじめとする東莱、蔚山漁民40余名の集団抗議で侵入者たちは完全に追い出された。しかし、この事件を契機に日本は鬱陵島、独島を奪おうとする領土的野望を露骨にさらけだした。
   対馬島主 宗義信は、逃げる倭船を追って日本の隠岐島と伯耆藩にまで行き鬱陵島と独島の朝鮮領有を認定した従前の約束を守ることを要求して闘った安龍福と朴於屯を拘留・押送し、「貴国の漁民が本国(日本)の竹島(鬱陵島)へ船に乗って」来たために、2名を逮捕し送還するという文を礼曹に伝え(『増補文献備考』巻31,輿地考19)、同時に竹島(鬱陵島)領有に関する交渉を進めることを提起した。
   1694年には橘を送り、朝鮮人が「日本の竹島(鬱陵島)」に勝手に来て魚取りをしたが、入れないようにしてほしいと懇請した。これは倭人が鬱陵島を竹島とよび、それを奪う奸計をたくらんでいることを示している。

   これに対し小心な官吏たちは、第2の壬辰倭乱が起こるまいかと慎重に処理することを提起したが、領中枢府使 南九萬は粛宗に島をカラにしたとて「なぜ先代の王の時代から受け継いだ彊土を他国に与えられましょうか」として、倭奴の奸計に断固として対処するよう提起した。当時、史官はこの事件に対し次のように明察な評価をした。
   倭人のいう竹島はまさにわが国の鬱陵島であり、鬱陵という名称は新羅と高麗の歴史書と中国人の文集にもみえるが、その由来は非常に古い。その島で竹が多く産出するので竹島という名もあるが、実は一島に対するふたつの名である。
   倭人が鬱陵島という名を隠し、ただ竹島で魚取りをするという口実をもうけたのは、わが国からそれを許可するという回答を引きだし、それを証拠にして島を所持しようという企みを実現しようとするものであった(『粛宗実録』巻26,20年2月癸酉)。

   倭人たちの鬱陵島侵略策動は、その後、対馬島主が亡くなり、新しい島主が江戸に行き、関白(将軍)に「竹島は朝鮮に近いのでお互いに争ってはいけない」と勧告した後、一悶着あったが、結局は朝鮮政府の頑強な態度により、1696年1月、江戸政府が「竹島とその外の一島(独島)」が朝鮮領であることを認定し、日本人の鬱陵島水域出入りを禁止する命令をだすようになり、1698年には鬱陵島と独島が「一島二名(ひとつの島にふたつの名)であることを認定し、1699年には文書交換が完了し一旦終わりになった。
   その後、双方はこの島に出入りする倭人を侵犯罪(越境罪)で取り締まることを約束したが、「空島政策」の余波をついて個別的な倭人たちの不法な出入りとその水域の漁労は継続された。倭人たちは巡視制度の間隙を利用し、群をなして押し寄せ、追い出されても追い出されても再三押し寄せたりした。

(注)「伯耆藩」は鳥取藩、「隠州すなわち因幡藩」も鳥取藩のまちがいと思われます。

   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

北朝鮮歴史学会の竹島=独島見解7

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/08/31 09:18 投稿番号: [2537 / 18519]
   半月城です。
   このシリーズは最初に書いたように、北朝鮮歴史学会の論文をそのまま翻訳したものです。したがって訳文に「引用者注」とあるのは、引用者である雑誌『歴史批評』関係者の注釈です。これは、おそらく論文を取り次いだ研究者 姜萬吉氏の注と思われます。
   さて、今回は江戸時代の日朝関係が主です。文中に<1696年1月、江戸政府が「竹島とその外の一島(独島)」が朝鮮領であることを認定>とありますが、この認識は間違っているようです。うえのように認定したのは後の明治政府であり、江戸幕府は竹島(鬱陵島)のみを朝鮮領と認定し、竹島=独島には直接ふれなかったことを付けくわえます。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  「独島は誰もが侵犯することができない朝鮮の神聖な領土である」(2001.7.31付)
               朝鮮民主主義人民共和国歴史学学会
(承前)
2.独島に対する日本の侵犯、強奪策動
   独島は新羅の時から朝鮮領土の一部とみなされ、朝鮮歴代王朝により合法的に経営されてきたが、日本はそれを奪い、自国の領土にしようと執拗に策動した。独島に対する日本の侵奪策動は、高麗後期の倭寇による鬱陵島侵略から始まった。
   1379年、倭寇が鬱陵島を侵犯し15日間も滞留し、島民を殺戮したり財物を略奪したが、壬辰倭乱のときもそこに侵入し、島を廃墟にした。このとき、もちろん鬱陵島に隣接した独島が倭寇の蹂躙からまぬがれなかっただろうということは明白である。しかし、まだ領土野欲は表面化せず、ただ鬱陵島と独島の島および海の資源の略奪を基本にした侵略であった。

   領土を奪おうとする策動は、17世紀(光海君〜粛宗年間)から表面化したが、この時期の侵奪策動の特徴は鬱陵島と独島の朝鮮領有を認定したうえで経営の看板を出し、将来の有利な機会に鬱陵島と独島を完全に奪うための基盤づくりをねらっていたことにある。
   鬱陵島を侵奪しようとする策動は、1615年、対馬島主が礒竹島(鬱陵島)の日本領有を主張したことで表面化する。これに対し東莱府使 尹守謙(その後は朴慶業)は日本人のいう「礒竹島」とは朝鮮の鬱陵島であり、したがってその島に出入りする倭人を海賊として取り締まると警告した。
   こうした状況において、日本は日本人が鬱陵島と独島に出入りすることを「越境罪」で取り締まるふりをしたが、実際は朝鮮政府の「空島政策」を悪用し、朝鮮巡視官に発覚しないかぎりこれを黙認し、背後で慫慂する両面政策を実施した。日本の伯耆藩 大谷・村川両家が江戸幕府から「渡海免許状」を得て、日本漁夫を鬱陵島、独島水域に送ったのはその実例である。
  「渡海免許状」とは禁止区域の海に行けるという許可証であり、他国の地に出入りできるという許可証ではなく、それを発給したこと自体が鬱陵島水域への出入りが公式に禁止されていた証拠である。
(つづく)

ポツダム宣言と竹島は関係ないでしょう

投稿者: kyomo_2003 投稿日時: 2003/08/30 07:46 投稿番号: [2536 / 18519]
竹島は、本州、北海道、九州、四国
に付随する日本の領土と言えば。

SCAPINの失効について考察

投稿者: naver138 投稿日時: 2003/08/30 03:47 投稿番号: [2535 / 18519]
1945年9月2日   日本は「ポツダム宣言」受諾の降伏文書に署名したことにより、戦争を終結する機会を与えられました。
[一   われら合衆国大統領、中華民国政府主席及びグレート・ブリテン国総理大臣は、われらの数億の国民を代表して協議の上、日本国に対して、今次の戦争を終結する機会を与えることで意見が一致した。]

その後、戦争状態の終了を認められたのは、サンフランシスコ条約 第一条(A)によりサンフランシスコ条約が発行した日となっています。
[第一条(a)   日本国と各連合国との間戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。]


ポツダム宣言受諾後、日本は主権を奪われ、サンフランシスコ条約により主権の回復を認められるまで日本国に主権は存在しませんでした。

その間の主権は連合国総司令部に存在し、その指令はSCAPINと呼ばれる指令書により、日本国政府にくだされ、日本国政府はSCAPINに従い行政を行ってきました。


1952年 サンフランシスコ条約が締結され発行することにより、日本国は主権を回復しました。
[第一条(b)   連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。]

日本国が主権を回復したことにより、連合国総司令部による主権は消滅し、日本に対して主権を行使していたSCAPINは効力を失います。



以上が、私がポツダム宣言&サンフランシスコ条約を読んだ上で、SCAPINが無効となると考える理由です。


NAVERで書き込む前に、考え方に間違いが無いかどうか確認のため投稿しました。
意見がある方は返信してください。

ポイントは

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2003/08/28 11:30 投稿番号: [2534 / 18519]
>朝鮮政府が鬱陵島と独島に対する450余年間の消極的な「空島政策」を放棄して積極的な開拓政策を実施したのは 1880年代初からであった。<

これが
>朝鮮政府が「鬱陵島」に対する450余年間の消極的な「空島政策」を放棄して積極的な開拓政策を実施したのは 1880年代初からであった。<

であったら、異論はないのですが、「鬱陵島」はよいとして、朝鮮政府は「独島」なんて認識していなかったにもかかわらず、さりげなく「鬱陵島と独島」としちゃってるところがすばらしい。

バカの壁

投稿者: toraneko_yh 投稿日時: 2003/08/28 09:53 投稿番号: [2533 / 18519]
半月城氏と彼の分身を見ていると、まさのこの言葉の実例を見る思いだ。

「バカの壁」

自分が知りたくないことは聞かないし理解しないという愚か者

素朴な疑問

投稿者: shisyamo_a 投稿日時: 2003/08/28 09:38 投稿番号: [2532 / 18519]
1881年以降は、独島と呼ばれていたらしいですね。
この島を、1900年の勅令第41号で石島としているのはどうしてなのですかね?
また、勅令で石島としておきながら、現在の名称が、またもや独島になっている事への疑問はないのですか?
正式に国が石島と命名したのなら、今もなお石島と呼ばれるのが当然でしょう?

日本ではその昔、あの島は松島と呼ばれていた。しかし、西洋の地図の誤認識による混乱から、いつしか竹島へと名が変わった。そして、1905年に竹島として正式に編入し、それ以降は竹島という名称で日本人は認識している。


石島と独島を明確に結びつけるような史料はありませんか?あったら明示して頂きたい。

一応言っておきますが、現地人がそう呼んでいる等と言う根拠のない理屈や、質問返し等のはぐらかしは、もう聞き飽きましたから止めてね。

>北朝鮮歴史学会の竹島=独島見解6

投稿者: mekatarami 投稿日時: 2003/08/24 09:41 投稿番号: [2531 / 18519]
ここでももう、何度も出ておるかとは思いますけど、

于山島、三峰島あるいは可支島という立派な名前があるならば、
なんで1900年の勅令で、それらの名前が使われへんかったんですかなァ?
しかも、その1900年の勅令で使われた島名も「石島」。

いったん「石島」として勅令公布までして確認をした島名が、
僅か6年にして変わってしまう。
こんなデタラメな行政行為がほんまにありますのかなァ?

少なくとも、1900年から1906年までの間に、当時の大韓帝国政府が、
石島に対してどのような実効的支配を及ぼしたのか、それくらいは
お教えいただきたいですなァ。

>第2条   郡庁・・・区域は鬱陵島全島と竹島(竹嶼ー引用者)、
>石島(独島ー引用者)を管轄する・・・

なんか、泣けてきますなァ。

いつの日か、半月先生が無理矢理な引用者注を付けんでも、「石島(あるいは
于山島)は独島なり!」と書いてあるような、資料が発掘されることを、
草葉の陰からお祈りしておりますよ・・・

ポイントは

投稿者: kyomo_2003 投稿日時: 2003/08/24 09:33 投稿番号: [2530 / 18519]
>朝鮮政府が鬱陵島と独島に対する450余年間の消極的な「空島政策」を放棄して積極的な開拓政策を実施したのは 1880年代初からであった。<

日本は実際に
1800年代に
施策を実施しつつあった。

日本もそれ以前から
発見していたはずだが。

北朝鮮歴史学会の竹島=独島見解6

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/08/24 09:04 投稿番号: [2529 / 18519]
   このように独島を最初に発見して経営したのも朝鮮人であり、その島を朝鮮の行政区域内に編入し内外に最初に公布した国も朝鮮であった。
  『三国史記』と『高麗史』、『朝鮮王朝実録』など国家的な正史に厳然と于山国以来、于山島、三峰島(1476年)、可支島(1794年)、独島(1881年以後)などと記録され、公式的にたえず経営されてきており『輿地志』と『世宗実録地理志』、『新増東国輿地勝覧』、『増補文献備考』など歴代地理書と歴史文献などに于山島(独島)が鬱陵島とともにいつも江原道蔚珍縣の島の条項とならんで明記された事実は、独島が新羅以来から朝鮮領土であったし、高麗時代からは蔚珍縣に編入されてきた朝鮮領土であったことを物語っている。

   とくに、この文献などが個人の著述でなく国家による官撰ということを念頭におくとき、またそれら文献が日本と中国にも伝来され、その国の対朝鮮外交事業の重要な基礎文献として利用されたという事実、そして重要なことに、当時は近代的な国際法が顔を出せずにいたし、またそれが制定された後もまだ広く知られていなかったという条件において、うえの文献記録は明白に対外的に国家の公式文献としての性格を帯び、国家的意志の表示となるのである。
   そうであるから国際法でいう領土権認定の基本要件がすでに古くから当時の歴史的条件にあうように整えられたことを物語っている。

   しかし、朝鮮政府は1900年になり、当時知られていた国際法体制の要求にあうよう独島領有権を再確認するため、10月25日、勅令第41号を公布し、独島に対する領有権を再三明白に宣布した。その主要条項は次のとおりである。

  勅令第41号   鬱陵島を鬱島に改称して島監を郡守に改訂する件
  第1条   鬱陵島を鬱島と改称して江原道に付属し、島監を郡守に改訂し、官制中に編入して郡等(級)は5等とする。
  第2条   郡庁・・・区域は鬱陵島全島と竹島(竹嶼ー引用者)、石島(独島ー引用者)を管轄する・・・
  第6条   本令は発布日から施行する。
  光武4年10月25日

   この勅令は政府新聞である『官報』第1716号、光武4年(1900)10月27日付で世界に正式公布された。こうして新羅以来、ずーっと朝鮮の領域になってきた独島はふたたび全世界に自己の所属を明白に宣言するようになったし、近代国際法の要求に合うように朝鮮の領土であることが再確認された。

   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/

北朝鮮歴史学会の竹島=独島見解5

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/08/24 09:02 投稿番号: [2528 / 18519]
   半月城です。
   北朝鮮歴史学会の論文ですが、今回は空島政策の転換から勅令第41号までの拙訳を掲示します。そのなかで注目されるのは、独島の名前の初出を1881年としていることですが、残念なことにそれを示す文献は引用されませんでした。それ以外は順当な主張のようです。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  「独島は誰もが侵犯することができない朝鮮の神聖な領土である」(2001.7.31付)
               朝鮮民主主義人民共和国歴史学学会
(承前)
   朝鮮政府が鬱陵島と独島に対する450余年間の消極的な「空島政策」を放棄して積極的な開拓政策を実施したのは 1880年代初からであった。「安龍福事件」後、一時静かだった倭人たちは、明治維新以後になって高唱された「征韓論」に便乗して、ふたたび鬱陵島をねらうようになった。そうした中、1881年5月、7名の倭人が鬱陵島に侵入し盗伐行為を行ったが、定期的に鬱陵島を巡視した朝鮮政府の捜討官により発覚するという事件が発生した。
   これに対し、朝鮮政府はすぐさま日本政府に抗議文を送る一方、現地調査のため副護軍 李奎遠を鬱陵島検察使とする102名の現地調査団を1882年4月、鬱陵島に出発させた。李奎遠の調査報告書によれば、当時、鬱陵島には140名の朝鮮人以外に非合法で78名の日本人がきていたが、かれらは「日本国の松島」という標木まで立てていたという(『Il seong 録』高宗19年5月22日;『日本外交文書』第14巻、『鬱陵島検察日記』)。これは両政府間の協約に対する破廉恥な背反であり、乱暴な挑発であった。
   事態の深刻さをさとった朝鮮政府は、1882年6月、日本政府にふたたび抗議する一方、鬱陵島開拓のため積極的な対策を立てた。その主要内容をみれば、本土の人民たちを島に移住させ農耕地を開拓し、鬱陵島行政官として島長を任命、派遣するというものであった(『承政院改修日記』、光緒8年(1882)8月20日)。

   その後 1883年3月、開化派の中心人物である金玉均を東南諸島開拓使 兼捕鯨使に任命することにより朝鮮政府は鬱陵島開拓事業に一層拍車をかけるようになり、当時不法滞留していた 254名の日本人たちを皆撤収させた。
   政府の積極的な鬱陵島開拓政策により、従来の島民に対する強制刷還政策「空島政策」は逆転し、本土陸地住民を島に移住させる事業が本格的になされ、島を開墾し島の資源を開発するために事業も公式的に推進された。
   朝鮮政府の内部官吏、禹用鼎の報告によれば、1900年に鬱陵島住民は400余戸1700名と大幅に増え、耕作地は7700マジギ(斗落)に拡張され、小麦、大麦と豆、ジャガイモなどを栽培し(『新東亜』2000年5月号、「独島」)、鬱陵島の自慢である優良木材も大々的に採伐された。

   鬱陵島が積極的に開拓され、その付属島である独島に対する管理と利用、領有権もさらに強固になった。鬱陵島住民は漁労期になれば、自然に独島に押し寄せアザラシを始め、
その外の珍貴な魚を捕らえた。
   1904年11月、日本軍艦 対馬号が独島を測量して提出した報告書で「毎年夏になると鬱陵島から多くの人たちがこの島に渡って来て、島の上に小さな小屋を建て、付近で漁業に従事する」としたのは、独島が近代に入り確実に鬱陵島の付属島としてわが人民により効果的に利用されていたことを実証してくれる。
(つづく)
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