竹島

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誰もリャンコ島を想起していなかった1

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/23 17:35 投稿番号: [18398 / 18519]
1   明治政府が「松島」と呼ぶ島はダジュレー島である。

  私は、「明治政府が『松島』と呼ぶ島はダジュレー島である」と主張します。ahirutousagi2さんもこの様に主張していると思います。しかし、ararenotomo1さんは、ある時はダジュレー島とし、又ある時はリャンコ島として、ご自分の主張に都合の良いように文献解釈をしていると考えています。又、「この松島はシーボルトが誤って松島とした鬱陵島である」と言われますが、原因がシーボルトの誤認であろうと、明治政府が松島をダジュレー島としていた事実を否定することにはなりません。
  明治政府が言葉を使用して意思統一を図っている組織である限り、「松島」の文言を使用した命令・報告が、ある時はダジュレー島とし、又ある時はリャンコ島とすることはあり得ません。


2   「古来の竹島と松島」との文言は文献に表れない。

  明治13年に天城艦が松島に廻航する迄の間、「古来の竹島と松島」という概念が明治政府に存したと出来る根拠はありません。たぶん、「アルゴノート島は架空島」との情報はあったでしょうが、それが「元禄期の竹島と松島」と「明治初年の竹島と松島」を区別して認識していた理由とはなりません。そもそも、「古来の竹島と松島」というのはararenotomo1さんの造語であって、当時の文献に現れた文言ではありません。


3   明治10年に「竹島」と呼ぶ島はアルゴノート島である。

  幕末から明治10年の間、竹島を載せた地図が多く作成されています。これらの何れもが、竹島=アルゴノート島としています。(No.18373)
  ararenotomo1さんは、現代的視点で「元禄期の竹島はダジュレー島」である、又、現代的視点で「鬱陵島はダジュレー島」であるから、明治10年の明治政府は「竹島はダジュレー島」の認識を有していたと主張されますが、論理的に成立しない主張です。
  尚、ararenotomo1さんは、『太政官は竹島=鬱陵島と認識していた、と思いますが、“太政官が「竹島=ダジュレー島」たる認識を有していた”とは思っておりません。』と言われます。これは、「アルゴノート島であるかダジュレー島であるか判然としない竹島を版図外とした」と主張されているようにも見えます。この主張は、ahirutousagi2さんと同じ認識であると思われます。もしそうであるならば、明確に宣言して頂くと議論が進むかも知れません。


4   朝鮮名「鬱陵島」はアルゴノート島か

  明治10年の時、朝鮮名「鬱陵島」がアルゴノート島であるかダジュレー島であるか判然としていなかったのではないでしょうか。
  1855年のイギリスの地図に拠れば、アルゴノート島ダジュレー島の外に于山島鬱陵島が在ると記されています。(No.18374)
  太政官指令が出される1877年までの15個の地図を示しましたが、鬱陵島がどこに在るのか、何も示していません。(No.18373)
  内務省が添付した1号〜4号からは、ダジュレー島であるよりも、アルゴノート島であると捉えていた可能性が高いと思われます。(No.18366)
  明治10までに日本で再発行された朝鮮作成地図の鬱陵島は、ダジュレー島であるよりも、アルゴノート島であると捉えていた可能性が高いと思われます。(No.18374)

  ararenotomo1さんが、鬱陵島=ダジュレー島とされる根拠がわかりません。

竹島占領しました。

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/23 17:17 投稿番号: [18397 / 18519]
http://tosi.iza.ne.jp/blog/entry/1753940/

韓国人だけがご熱心ですね(笑)

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/23 14:07 投稿番号: [18396 / 18519]
騒ぎ立てて自尊心と植民地支配時代の悔しさ惨めさを
不法占拠で晴らしているおつもりでしょうが(笑)

朝鮮人さん
頑張ってくださいませ。

Re: こんな話がニュースに

投稿者: kuntakinte1929 投稿日時: 2010/08/23 13:59 投稿番号: [18395 / 18519]
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/takeshima_island/?1282532516
ですね。
日韓両国が領有権を主張する竹島問題で、韓国側の領有の根拠のひとつを覆す17世紀末ごろの朝鮮の木版印刷の古地図が神戸市立博物館で見つかっていたことが22日、分かった。韓国側は、当時、竹島が「子山(于山)」と呼ばれ、この時期に朝鮮国漁民が「子山は朝鮮の領土」と鳥取藩に主張し認められたという記録があることを有力な根拠としている。ところが、この地図の子山は実際の竹島と方角も距離も違う位置に記載されており、別の島の可能性が高いという。

[フォト]19世紀ドイツの地図も「竹島は日本領」

  見つかったのは「地図」と題された朝鮮の地図帳の中の「江原道図」。記載の地名から1684〜1767年の間に朝鮮半島で流通したとみられる。当時の朝鮮半島の古地図が確認されたのは初めてという。

  地図では、朝鮮半島の東側にある鬱陵島のすぐ南側に「子山」という島が描かれている。実際の竹島の位置は鬱陵島の南東92キロにあり、位置も方角も異なる。

  子山が問題になるのは、1696年に朝鮮国の漁民、安龍福が日本に密航した際、自身が所持する朝鮮図に鬱陵島と子山島が記載されていると供述した記録が島根県・隠岐の「村上家文書」にあるからだ。

  安龍福は鳥取藩によって追放、送還された後の取調べで、自ら鳥取藩主と交渉して「松島(現在の竹島)は即ち子山島、此れ亦我国の地(子山島は朝鮮領)」と認めさせたと朝鮮側に証言したとされる。

  このため、竹島をめぐる領有問題が持ち上がった後年には、韓国で領有権を日本に認めさせた「英雄」とされている。

  朝鮮でこれまで見つかった古地図は、鬱陵島近くの東や西に「子山」の「子」の字が変化したとみられる「于山」という島が描かれており、日本側は于山は、竹島ではないとしていた。しかし、この古地図は安龍福の時代ではないことが問題点のひとつだった。しかし、今回の地図は、安龍福の生きた時代で、その地図の記載から、安龍福が実際の竹島ではない島を自国領と主張したことを示す可能性が高いという。

  島根県竹島問題研究会の杉原隆・副座長は「安龍福の時代の地図が見つかったことで、子山島の位置が竹島の領有権の根拠にはなり得ないものであることが改めて明らかになった」と話している。

____________________________
さて又馬鹿ん国は捏造だ(実は自分がいつもそうしてるので他国がそうだと思いこんでる。日本はそれが捏造だとばれたら国際信用無くすので余程の事が無い限りそんな事はしない。)と火病るんでしょう。

こんな話がニュースに

投稿者: kokinguto 投稿日時: 2010/08/23 13:26 投稿番号: [18394 / 18519]
集中力が無いもので、皆さんの長文はとても理解出来ないのですが、
こんな記事が有りました。

「竹島問題   韓国の主張覆す古地図見つかる」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100823-00000510-san-soci

如何なんでしょうね?

やはり竹島は日本でした。

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/23 01:09 投稿番号: [18393 / 18519]
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100816/plc1008160311001-n2.htm

Re: 太政官は竹島外一島を鬱陵島・現竹島と

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/08/22 23:11 投稿番号: [18392 / 18519]
ウィキペディアの文章をもう一度読んでみましたが、おっしゃる通り分かりづらいところも見受けられますね。かと言って他人の文章を私が要約したり説明したりするような性質のものでもないでしょうし、その能力もありませんのでウィキペディアの説明は重複を避けましょう。

>私は、内務省や太政官が、島根県提出の資料から、松島をダジュレー島に比定したとは考えません。島根県提出資料は、No.18332で示したように、古来の竹島・松島について詳述しており、松島=ダジュレー島を示唆するものは何もありません。

太政官の判断において示唆されるものは竹島・松島を判図外としたということのみであって、ほかに明示できるものはないと考えます。松島=リアンクール岩(の位置)という根拠も、一切ありません。

となると考えうるのは政府関連、あるいは官許関係の地図やその後の天城の調査なり三条実美などの規定などと整合性のとれる理解というものが必要になりますが、この場合、松島=ダジュレー島(の位置)ということに何の違和感もありません。

むしろ、周辺事項のあらゆる情報の整合性から完全に外れているものが松島=リアンクール岩(の位置)という理解にほかならないことでしょう。架空の島であることを知っていた、あるいは前島密がどう考えていた、ということすら実質上、どうでもよいことです。

確かなことは、竹島・松島を判図外とした。それは前後の数々の資料からアルゴノート島・ダジュレー島に比定された、ということしか言えないということです。これは、整合性として「確かなこと」だと考えます。

>太政官は、1877年3月17日に提出された「竹島外一島本邦関係無之」とした内務省からの「伺」を審議し、1877年3月29日、内務省からの「伺」どおり、「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」と指令しました。竹島外一島は、上述の記事から、竹島は鬱陵島、外一島は古来の松島=リアンクール岩=現竹島であることは明らかです。

大変に申し訳ないのですが、それなりにアラレさんの文章は誠実に読み、また
受け入れるべきご主張があれば、耳を傾ける気持ちもありますが、どういうわけで「竹島は鬱陵島、外一島は古来の松島=リアンクール岩=現竹島であることは明らかです」となるのか、いまだにさっぱり分かりません。

天城の調査や、三条実美の規定についても、いろいろな理由付けをされるのでしょうが、仮に太政官判断の松島=リアンクール岩というのが「明らか」だとして、これをどう考えるべきか、もののついでですので、勉強までに教えていただけませんか。

私の意見は何度も申し上げましたが、架空の島だったとか、誰がどういっていたとかは実はどうでもよいことなのだろうと思っています。前後の資料の整合性にしか答えはないのだろう、という判断です。

太政官判断に、島の位置が特定されておらず、特定(島根県によっても、当時の地図によっても)されているとすれば、位置的にはアルゴノート島とダジュレー島の位置のみ、という状況だからです。架空の島だの、誰かが何を言っていただのというのは参考事項を超えるものではないという判断です。

結論を先に出すのではなく、時代を鳥瞰する目が太政官判断の解釈については必要なのだろうと思います。アラレさんの太政官判断についての議論は徹底して、マクロの視点というか時代を鳥瞰する視点が欠けている印象を受けているのが正直なところです。私の読解力不足かもしれませんが。

参考にしてくださいませ。

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/22 18:51 投稿番号: [18391 / 18519]
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100818/edc1008180303000-n1.htm


ここまで親切な日本人は他国では類をみませんね。

Re: 問題は反応

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2010/08/22 13:13 投稿番号: [18390 / 18519]
>7月13日の記事が竹島を石島としたものであるなら、日本の領有に対する反対運動や記事が無ければおかしい。
>領土だと思うけど、日本の領有を仕方ないと思うなら、結局同じ。
>だから、アリバイが無いことは結局変わらない。

私もそう思います。
伊藤統監は一般人からの手紙をかなり貰っていたようですし,地方官(郡主や観察使)とも面会に応じていますから,石島が竹島をさすのであれば政府が動かなくても他のルートから情報が入ったことでしょう。
また,排日運動華やかな中で,日本の領有に対する反対運動が見られないのは奇妙としか言いようがありません。

Re: 久保田発言は正論である。

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/22 09:19 投稿番号: [18389 / 18519]
当時植民地支配下での日本人の比率はたったの2パーセントです。
韓国人のためのインフラ整備をしてあげたのに
天皇陛下にお礼を言わないのは失礼な民族だと思いませんか?

久保田発言は正論である。

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2010/08/22 07:43 投稿番号: [18388 / 18519]
「日韓外交資料集成6   上,中,下」(厳南堂書店)を読み進めています。
本年は日韓併合100年ということで,今日日比谷公会堂で保守系団体の集会もあるようです。
「韓国施政改善ニ関スル協議会」の記録中に竹島とは直接関係はありませんが非常に印象的な部分がありましたので言及したいと思います。
かつて,日韓国交正常化交渉中にいわゆる久保田発言が問題となったことがありました。外務省参与の久保田貫一郎氏が「日本は多額の持ち出しで朝鮮のインフラ整備を行った。日本は朝鮮でよいこともした。」という内容の発言を行ったところ,韓国は「インフラ整備は日本人のために行ったもので,韓人には何の利益もなかった。」と反論し,交渉が中断したという事件です。
では,韓国のインフラ整備は誰のために行われたのでしょうか。「韓国施政改善ニ関スル協議会」で伊藤統監や韓国閣僚等はインフラ整備は韓国民の直接間接の利益となるから進める必要があるという趣旨の発言をしています。韓国が豊かになることは日本の利益にもなりますから日本の利益もその目的といえますが,韓国民を利益することが直接の目的であったことは間違いありません。
久保田発言はまったくの正論なのです。

日本人に相手をしてもらいたいのでしょうね

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/21 22:50 投稿番号: [18387 / 18519]
日本人にすれば
別にどうてことない小さな出来事に過ぎないことを
植民地時代の恨みを晴らす如く拘るのは
日本人他の事で何もかなわないから誇示している
つもりなのでしょうね。(笑)

小国の発想そのものですね(笑)

Re: 太政官は竹島と外一島を共に松島と認識

投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/08/21 22:31 投稿番号: [18386 / 18519]
take_8591様、ご意見をありがとうございます。よく分からないところが多いのですが、理解できる範囲でお答え致します。

>>内務省や太政官が・・・松島=ダジュレー島を示唆するものは何もありません。
>ここで問題となっているのは、島根県の認識ではなく、太政官の認識ですね。すると、島根県提出の資料の解釈は後回しにして、太政官の認識を論点とすべきです。「ウィキペディアの竹島外一島」は、太政官指令が出される1877年までの地図を掲げ、太政官が「竹島=アルゴノート島」の認識を有していたと主張しているようです。ararenotomo1さんは、これに反論せず、又、太政官が「竹島=ダジュレー島」たる認識を有していた資料の提出を拒んでいます。

「ウィキペディアの竹島外一島」で具体的にどの個所で、“太政官が「竹島=アルゴノート島」の認識を有していたと主張している”のか、ご指摘いただければと思います。私の理解では、「ウィキペディア」においては「竹島=アルゴノート島」は「架空島」と数か所で書いているようです。又、私は、太政官は竹島=鬱陵島と認識していた、と思いますが、“太政官が「竹島=ダジュレー島」たる認識を有していた”とは思っておりません。

>>内務省は・・・『日本海内竹島外一島地籍編纂方伺』を太政官に提出しました。
>この内務省伺いの本文は、「竹島所轄之儀に付   島根県より別紙伺出取調候処」と始まり、竹島のみの「所轄之儀」に付いて取り調べたことを明らかにしています。「竹島所轄之儀に付」「本邦関係無之相聞」と判断した内務省は、「版図の取捨は重大之事件に付」、1号〜4号・口上書を摘採し添付し上申しました。そこで、「1号〜4号・口上書」を見ると、そこには竹島のみの争いが記され、アルゴノート島とダジュレー島、又は、ダジュレー島とリャンコ島の2島が争われた痕跡はありません。(中略)論ずる迄もなく日本に遠く朝鮮に近い島は、アルゴノート島でありダジュレー島ではありえません。更に、磯竹島略図で確認すると、隠岐〜竹島は120里であり、竹島〜半島は50里です。この様に、版図外とした竹島はアルゴノート島であると解するに相当性があります。

これらの資料で論じられたのは竹島で、アルゴノート島・ダジュレー島という言葉はありません。私は、先に書いたように、版図外とした竹島は鬱陵島と思っています。

>境二郎は、明治9年に「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」をして、「竹島外一島の義   本邦関係無之義」の返答を得ています。これを承知の境二郎は明治14年に「日本海内松島開墾之儀ニ付伺」をしました。この事から、明治9年の伺いに謂う「外一島」が松島を意味しないとの境二郎認識が判明しました。『原由之大畧』の「次に一島あり・・・」が、論理的に境二郎認識として「外一島」を意味しないのです。

この部分はよく理解できませんが、私なりに次のように解釈して、お答え致します:“「日本海内松島開墾之儀ニ付伺」の松島は鬱陵島だから、明治9年の伺いに謂う「外一島」が松島(=現竹島)を意味しない、との境二郎の認識が判明しました。”

「日本海内松島開墾之儀ニ付伺」は大屋兼助等から出された松島開墾願書についての「伺」です。松島は「東西凡四五里南北三里余周廻十五六里、島山ニシテ海岸ヨリ頂ニ至ル凡一里半雑樹森在古木稠茂シ其間幾多ノ渓流且ツハ平坦ノ地アリ・・」と書かれていますから、この松島はシーボルトが誤って松島とした鬱陵島であることは明らかです。ただし、この文書は、提出された松島開墾願書をそのまま伝えただけで、境二郎が鬱陵島を松島と認識していた訳ではありません(No.17667)。

一方、境二郎は、『原由之大畧』では「次ニ一島アリ松島ト呼フ周囲三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許樹竹稀ナリ亦魚獸ヲ産ス」と、古来の松島を的確に記述しています。これに基づき、内務省と太政官は古来の竹島と松島を、「竹島外一島本邦関係無之」としました。「竹島松島本邦関係無之」という表現を避けたのは、鬱陵島を松島とするシーボルトの誤りが、かなり普及していたからでしょう。

Re: 世界人独島理解16−1

投稿者: anti_notarin 投稿日時: 2010/08/21 17:01 投稿番号: [18385 / 18519]
>そうではありませんで、日本の領土を韓国が不法占拠している状態です。

一方が自国領土だと宣言しても実効支配をしなければ意味がありません。

日本が自国領土だと主張するならそれなりの対処をすべきなのに、韓国が占拠した後も、日本政府は自国の領土だと主張するだけで排除行動をしません。

日本の憲法が自衛を認めているなら、自衛隊は行動すべきです。
口で何を言っても相手には通用しません。

韓国は、すでに大国ですよ!

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/21 16:49 投稿番号: [18384 / 18519]
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=22983

中国でも日本でもパクリ大国として

ゆるぎない地位を築いています。

Re: 韓国は日本に負けたから植民地なんです

投稿者: air_sinsinsin 投稿日時: 2010/08/21 16:12 投稿番号: [18383 / 18519]
日,独島.北方領土国有化対象除外"

韓国は日本に負けたから植民地なんですよ

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/21 14:41 投稿番号: [18382 / 18519]
それをいまさら違うと言われても歴史的事実は整形手術のように
捏造は不可能です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%88%E5%B7%9E%E5%B3%B6%E5%9B%9B%E3%83%BB%E4%B8%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6

こっちは言わないの?ん

Re: 世界人独島理解16−1

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/21 12:28 投稿番号: [18381 / 18519]
>すなわち現在はどちらのものとも言えない状況です。

  そうではありませんで、日本の領土を韓国が不法占拠している状態です。



>国境確定は平和裏に決定できることは理想で有るが、基本的に双方が反目対峙しあう状況では武力または金銭に依って確定するしかないだろう。

  竹島問題に関して言えば、当面は、韓国の主張がウソばかりだということを韓国人に知らせるという作業が必要でしょうし、そのことはそれなりの効果はあるだろうと思います。

●^o^● 脱南移民300万人だって

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/20 09:25 投稿番号: [18380 / 18519]
投稿者 :
heisinokumaarasi


韓国を捨てて逃げ出す脱南移民が
なんと!4000万人の国で300万人もいるのだって
●^o^●ビックリしたなぁもう〜



http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100816/plc1008160311001-n2.htm

Re: 世界人独島理解16−1

投稿者: anti_notarin 投稿日時: 2010/08/20 09:22 投稿番号: [18379 / 18519]
>1 韓国は遥かな昔(西暦512年)から「独島」を韓国固有領土として「領有」して来ました。

領有したことと領土確定とは何ら関連がないと思います。

本来、陸続きの大陸各国は有史以前から侵略、被侵略を繰り返し戦争に勝った方が領有してきました。

近代の国境策定は第二次大戦後に確定されたと考えるべきです。

国境確定は二国間のあるいは国境を接する多国間の条約に依って決定されるべき問題であります。

国際慣習で国境を認められたとしても、当事国間で認め合わなければ何ら意味を持ちません。

その意味では日本は昔から他国と海洋で分離され、領土、国境に関して極めていい加減で有ったといえます。

また韓国も現在、竹島を自国領土として占拠していますが、日本が認めてないので、韓国領土と確定はしてないと言えます。

すなわち現在はどちらのものとも言えない状況です。

北方4島しかり、これは日本がサンフランシスコ条約締結時、時の政府が国境確定の法的措置を怠ったためであり、日本人の国境意識が希薄で有ったために禍根を残す結果になったのだと思う。

国境確定は平和裏に決定できることは理想で有るが、基本的に双方が反目対峙しあう状況では武力または金銭に依って確定するしかないだろう。

世界人独島理解16−1

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/20 01:09 投稿番号: [18378 / 18519]
「世界人が独島問題を理解するための16のポイント」
シン・ヨンハ
http://plaza1.snu.ac.kr/~bigbear1/booklet/dokdo16point.pdf

1 韓国は遥かな昔(西暦512年)から「独島」を韓国固有領土として「領有」して来ました。
(1)古文献である『三国史記』(金富軾   編、1145年)には、西暦512年(新羅智証王13年)に于山国が新羅に服属して併合されたので新羅の一地方として編成したと2ヶ所に記録されています。于山国は、今の「鬱陵島」と「独島」を含んだ東海上の小さな王国でした。
「独島」は、19世紀までは于山島と呼ばれました。新羅は韓国を形成した古代国家の一つです。韓国は西暦512年以前から独島を「認識」し、512年には独島を「領有」したが、日本は『2008年−10のポイント』(1)でようやく18世紀末(1779年) の地図を根拠として提示して、「領有」ではなくようやく独島を「認識」したと主張しています。

(2)別の古文献『三国遺事』 (一然   著、1285年)にも、新羅の智証王の時、将軍異斯夫が于山国の降服を受け、于山国が新羅の一地方として併合されたと記録されています。 『三国遺事』と『三国史記』は記録内容が一致します。

(3)于山国が鬱陵島と独島で構成されていたという事実を証明する古文献は多数あります。『世宗実録』地理誌(1432年編纂)、『東国輿地勝覧』(1481年)、『新増東国輿地勝覧』(1531年)、『肅宗実録』(1696年の条)、『万機要覧』軍政編(1808)、その他に各種の古文献と古地図に鬱陵島と于山島(独島)が全て昔の「于山国」の領土だったと記録されています。
  特に、『万機要覧』軍政編では于山島(独島)を当時の日本の呼称も記録して、「輿地志にいう、鬱陵島と于山島は皆于山国の地であり、于山島は倭人たちが言う松島(マツシマ)だ」としました。日本では19世紀に鬱陵島を「竹島」(タケシマ)、于山島を「松島」と呼んでいました。『万機要覧』は朝鮮の「于山島(独島)」が日本では「松島」(今の独島)と呼称され、全て「于山国」の領土と明白に記録して説明しているのです。
  日本外務省の『2008年−10のポイント』(2)において、韓国が昔から独島(松島、今日の日本でいう竹島)を認識していたという根拠がないと主張しているのは千万不当な嘘であることが『万機要覧』軍政編によってよく証明されます。

(4)また、独島の古い名前である「于山島」という名称自体が、「于山島」は「于山国」の所属であることを証明してくれています。于山国の大きい島である「鬱陵島」の名称が固定されると、その付属島である独島に遅くとも15世紀に「于山島」という名称が固定して付いたことは、于山島が于山国の領土であったことを明白に証明してくれるのです。

(5)日本外務省は、『2008年−10のポイント』(2)において「于山島」が今日の 「独島」だという根拠がないと言うが、韓国と日本の多数の古地図が最も理解しやすい根拠です。例えば、韓国の初期カトリック神父金大建が1846年に報告用としてフランス語で表記した「朝鮮全図」(Carte de la Coree)は、鬱陵島の東南側の正確な位置に「独島」を描き、「Ousan」(于山)と表記しました。

ahirutousagi氏 & 南島風土記

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/08/19 20:11 投稿番号: [18377 / 18519]
西短が敗れるだけでなく、九州学院も東海大相模にやられてがっくりです。タイアップ資料が公開出来ませんのでahirutousagiさんにご協力をお願いする次第です。NHKの番組で正当な主張をしていた青年が運営しているサイトを見つけました。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。アニオタは凄いです。


さて、掲題の件ですが、「開発と真相」に一部不備がありましたので、先に「南東風土記」の下記文章越しをします。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/nantofuudoki-1950/
(文字化けしていますが、序々に修正します)


next, coming up
■南島風土記(文章起こし開始)
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/nantofuudoki-1950/
■chaamieyさん案件
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka76/a001a.jpg
上記翻訳をお願いします。(翻訳後チュンドゥボン公開)
■ahirutousagi2さん案件
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chigaku-1905-202/
文章起こしで可頭峰公開!


今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
アニオタ保守本流   「日本の、これから」に出演していた人のサイト
http://d.hatena.ne.jp/aniotahosyu/

脱南移民300万人だって

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/19 19:46 投稿番号: [18376 / 18519]
韓国を捨てて逃げ出す脱南移民が
なんと!4000万人の国で300万人もいるのだって
●^o^●ビックリしたなぁもう〜



http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100816/plc1008160311001-n2.htm

格調高いです。

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/18 19:04 投稿番号: [18375 / 18519]
http://www.youtube.com/watch?v=KzZMotE-0i4&feature=related

見たら感想をお願いします。

太政官は竹島と外一島を共に・・・ 3

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/18 18:48 投稿番号: [18374 / 18519]
  2-02   1872年   官許・日本與地全圖増補改定日本輿地全圖 翠堂中島彭編述東京銅鐫師 楊堂木村胤鐵筆
     http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_detail?detail_sea_param=years,9,1 55,0

  2-03   1874年   官許・大日本西国四国九州地図 北畠茂兵衛他
     http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/takeshima04d.data/5-3-7-01.pdf

  2-04   1875年   官許・大日本国郡全図 明治八年第二月 隠岐國


3   アルゴノート島ダジュレー島の他に于山島鬱陵島があるとの認識を示している地図があります。1855年のイギリスの地図がそれです。中国を媒体とした朝鮮情報は、鬱陵島の浜の沙渚が歴歴と見える程に半島から近いとなっていたのでしょう。シンヨンハ氏等が、フランス地図に独島を韓国領で表示と主張する地図に、アルゴノート島ダジュレー島が組み合わされています。但し、1-06   1963年のイギリスの地図では、于山島鬱陵島が消えているようです。

  3-01   1855年のイギリスの地図
     http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/zn/1855/1855.html/


4   朝鮮の地図を日本人が転記した地図は次のとおりです。これらの地図に載っている鬱陵島は、私には、アルゴノート島であるかに見えます。明治政府の官僚も同様に判断したと思います。

  4-01   1873年   朝鮮全図 海軍水路寮 明治6年
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chosenzenzu-1873

  4-02   1875年   佐田白茅著 改訂新鐫朝鮮全図 岸田?香・松田敦朝 外務省出仕
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/kaiteishinsenchosenzenzu-1875/

  4-03   1876年   原板朝鮮全図之写 海左全図 陸軍大尉
     http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/takeshima04d.data/5-1-1-7-02.pdf

  4-04   1876年   朝鮮国全図 瀬脇壽人校 金麟昇音 外務省浦塩須徳駐在
     http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_detail?detail_sea_param=loc,6,1,0


5   磯竹島略図(太政官指令のある『公文録』に所収された地図。島根県が提出した享保年間の大谷家の地図を縮写したもの。) は、そこに示されている距離を基に判断すれば、磯竹島はアルゴノート島を示しています。そして、その姿形はダジュレー島を示していますが、当時の明治政府の官僚はダジュレー島の姿形を知りませんから、その姿形から判断していないと思います。
   http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032-1877/index.html


6   1875年に出版されたかどうかは知りませんが、『日本地誌提要』は、「西北に方たりて松島・竹島の2島あり。土俗相伝て云ふ。穩地郡福浦港より松島に至る。海路凡六拾九里三拾五町。竹島に至る。海路凡百里四町余。朝鮮に至る海路凡百三拾六里三拾町。」と記しています。ここには、詳細な距離が記されています。これほどの詳細な距離は、地図を基に経緯度から計算したと推察され、示された竹島はアルゴノート島を示しています。

太政官は竹島と外一島を共に・・・認識 2

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/18 18:26 投稿番号: [18373 / 18519]
1   太政官指令は、「竹島外一島を版図外とする」旨を決定しています。この事は、竹島の位置情報と版図外とする理由が、明治政府内で共有されていたことを示しています。先ず、位置情報ですが、それは当時の地図を参照すれば解ると思います。太政官指令が出される1877年までの地図は、アルゴノート島を竹島と表記し、ダジュレー島を松島と表記しています。

  1-01   1840年   シーボルト「Japan」所収日本図
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/t-siebold1840.gif

  1-02   1855年   ハイネの地図
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/t-heine1855.gif

  1-04   1855年   幕命   山路諧孝の重訂萬國全圖 幕府天文方
     http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/exhibit/ex_search_detail?detail_sea_param=4,63,0 ,b

  1-05   1856年   アメリカ艦隊ペリー提督の地図
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/t-perry1856.gif

  1-06   1863年   イギリスの地図   U.K hydrographic office Admirary Chart 2347 Japan sikok and kiusiu
     http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/zn/1863/1863.html/

  1-07   1867年   勝海舟の大日本沿海略図
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/enkairyakuzu-1867/

  1-08   1870年   官許・橋本玉蘭の大日本四神全図
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/shijinzenzu-1870/09.jpg

  1-09   1873年   Carte de l'empire du Japon
     http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/vienne-1873/

  1-10   1874年   官許・大日本及支那朝鮮圖 北畠茂兵衛他
     http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka38/nipponchinakorea-1874/07.jpg

  1-11   1875年   亜細亜東部輿地図 陸軍参謀局
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/asiaeast-1875/05.jpg

  1-12   1875年   朝鮮全図 陸軍参謀局 明治8.11
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chosenzenzu-1875

  1-13   1876年   朝鮮東海岸図 海軍水路寮
     http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/korea_eastcoast-1876/

  1-14   1876年   朝鮮全図 明治9年 陸軍参謀局
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chosenzenzu-1876

  1-15   1877年   大日本図(文部省出版 宮元三平著)
     http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/nihonzenzu-1877/


2   長久保赤水の『日本輿地路程全図』の改訂版が出版されており、それは次のとおりです。これらの地図には「高麗を見ること、猶雲州より隠州を望むがごとし」という付記があります。この付記から、半島と竹島は雲州から隠州の程度に離れていると解釈し、竹島をアルゴノート島に比定することが可能です。

  2-01   1871年   官許・明治改正大日本輿地全圖
     http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_detail?detail_sea_param=loc,9,90, 0

  2-02   1872年   官許・日本與地全圖増補改定日本輿地全圖 翠堂中島彭編述東京銅鐫師 楊堂木村胤鐵筆
     http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_detail?detail_sea_param=years,9,1 55,0

Re: 韓国人は優秀ですか?

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2010/08/18 10:56 投稿番号: [18372 / 18519]
>世界一優秀な民族がなんで売春しに
日本に来るのですか?

言いたいことはわかるけど、そういう朝鮮たたきは他でやりましょ。
このトピは史料価値の高い議論の伝統があるんだよ。

Re: 竹島

投稿者: xpsqp700 投稿日時: 2010/08/18 10:02 投稿番号: [18371 / 18519]
ただの岩
固有の領土など有り得ない。

Re: 韓国人は優秀ですか?

投稿者: kuntakinte1929 投稿日時: 2010/08/18 09:35 投稿番号: [18370 / 18519]
それは全てが嘘、捏造(当然世界1優秀も)の国だから。

韓国人は優秀ですか?

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/17 23:36 投稿番号: [18369 / 18519]
世界一優秀な民族がなんで売春しに
日本に来るのですか?

なぜノーベル賞がとれないのでしょうか?

なぜ日本の経済大国二位に追いつけないのでしょうか?

世界一優秀な民族がなぜ日本の真似ばかりするのですか?

なぜ強姦が激烈に多いのですか?

教えてください。

chaamiey氏 & 在特会 22日(日) 15時

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/08/17 22:13 投稿番号: [18368 / 18519]
先日の「日本の、これから」は面白かったですね。冒頭マツコデラックスが出てきたかと思いました。webデザイナーの方はよく歴史を知っていると思いますが、ツイッターのコメントで「おいおい」見たいな意見が出て、監督も暴言を吐いていましたね。全くダメです。見逃した方は下記をご覧下さい。

日本のこれから   〜韓国人の妄言 1/3
http://www.youtube.com/watch?v=IC-GII8hh_Y
http://www.youtube.com/watch?v=DTYvWV3rRs8
http://www.youtube.com/watch?v=SxwBZ-WUDEM

今週日曜日には東京の日比谷公園で15時から「日韓併合の真実」がございます。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。全国各地でもやって頂きたいです。


さて、掲題の件ですが、西短が2回戦で負けましたので下記文章お越しをしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/oilfieldfact-1970/
ただ、ある問題が・・・。


next, coming up
■鬱陵島サイト(高校野球とタイアップ)
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/
西短2回戦突破で可頭峰公開!(←負けたので当分の間非公開)
西短3回戦突破でチュンドゥボン公開!(←負けたので当分の間非公開)
http://www2.asahi.com/koshien/
http://www9.nhk.or.jp/koushien/
■西短が負け以降は文章起し
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/oilfieldfact-1970/
(6-7ページを紛失していることが判明!)
■chaamieyさん案件
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka76/a001a.jpg
上記翻訳をお願いします。

今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
朝鮮半島を救った日韓併合の真実   東京・日比谷公園   22日(日) 15時
http://www.zaitokukai.info/

歴史の真実ですね。

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/17 17:14 投稿番号: [18367 / 18519]
イチローの年収が36億円だって●^o^●

チョンチョンさんは
どう思われましたか?

太政官は竹島と外一島を共に松島と認識

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/17 15:06 投稿番号: [18366 / 18519]
>内務省や太政官が・・・松島=ダジュレー島を示唆するものは何もありません。

  ここで問題となっているのは、島根県の認識ではなく、太政官の認識ですね。すると、島根県提出の資料の解釈は後回しにして、太政官の認識を論点とすべきです。「ウィキペディアの竹島外一島」は、太政官指令が出される1877年までの地図を掲げ、太政官が「竹島=アルゴノート島」の認識を有していたと主張しているようです。ararenotomo1さんは、これに反論せず、又、太政官が「竹島=ダジュレー島」たる認識を有していた資料の提出を拒んでいます。


>内務省は・・・『日本海内竹島外一島地籍編纂方伺』を太政官に提出しました。

  この内務省伺いの本文は、「竹島所轄之儀に付   島根県より別紙伺出取調候処」と始まり、竹島のみの「所轄之儀」に付いて取り調べたことを明らかにしています。「竹島所轄之儀に付」「本邦関係無之相聞」と判断した内務省は、「版図の取捨は重大之事件に付」、1号〜4号・口上書を摘採し添付し上申しました。
  そこで、「1号〜4号・口上書」を見ると、そこには竹島のみの争いが記され、アルゴノート島とダジュレー島、又は、ダジュレー島とリャンコ島の2島が争われた痕跡はありません。安龍福が于山島鬱陵島2島領有を呈書したことに「有妄作之罪(3号)」と応えていますから、争われたのが1島であることが明らかです。
  そして、元禄期に争われた朝鮮名「鬱陵島」は、「風日清明、則峯頭樹木及山根沙渚、歴歴可見(3号の輿図所載)」であり、「無論彼遠此近(3号)」であると記されています。半島から峯頭の樹木及び山根の沙渚が歴歴可見な島は、アルゴノート島でありダジュレー島ではありえません。論ずる迄もなく日本に遠く朝鮮に近い島は、アルゴノート島でありダジュレー島ではありえません。更に、磯竹島略図で確認すると、隠岐〜竹島は120里であり、竹島〜半島は50里です。
  この様に、版図外とした竹島はアルゴノート島であると解するに相当性があります。


>竹島外一島は、上述の記事から、竹島は鬱陵島、外一島は古来の松島=リアンクール岩=現竹島であることは明らかです。

  島根県令境二郎は、明治9年10月16日と明治14年11月12日に、「竹島外一島」にかかる判断をしています。境二郎は、明治9年に「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」をして、「竹島外一島の義   本邦関係無之義」の返答を得ています。これを承知の境二郎は明治14年に「日本海内松島開墾之儀ニ付伺」をしました。
  この事から、明治9年の伺いに謂う「外一島」が松島を意味しないとの境二郎認識が判明しました。『原由之大畧』の「次に一島あり・・・」が、論理的に境二郎認識として「外一島」を意味しないのです。

  明治10年の内務省が「外一島」をどの様に認識していたのかは解りません。そもそも、「版図の取捨は重大之事件」にも関わらず、わざわざ「外一島」の文言を使用して曖昧にした理由が判りません。

  しかし、明治14年の内務省は、「外一島ハ松島ナリ」の註記をしました。史料的には、ここで始めて「外一島」への意味付が為されたのです。「竹島」=ダジュレー島、「外一島」=ダジュレー島と意味付けが為されたのです。
  ところが、 ararenotomo1さんは、内務省照会別紙甲号の「外一島ハ松島ナリ」の松島はリャンコ島であると主張されます。この解釈を延長すると、内務省照会本文の「日本海ニ在ル竹島松島之義」の松島もリャンコ島となり、別紙乙号の「日本海内松島開墾之儀」の松島もリャンコ島となります。更に、外務省返信の「朝鮮国蔚陵島即竹島松島之儀」の松島もリャンコ島となります。もう少し拡大解釈すると、明治15年に渡海を禁じた「蔚陵島(我邦人竹島又は松島と唱ふ)」の松島もリャンコ島となります。
  こんな解釈はありえません。ここに謂う松島はダジュレー島を示していると解釈しなければ、全体として意味を為しません。


島根県伺再考
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-1/takeshima04_j.html

明治15年指令
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a11rui97/

おれは釜山が欲しい

投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/08/17 15:01 投稿番号: [18365 / 18519]
だからよこせ

韓国人は竹島が欲しいの?

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/17 14:47 投稿番号: [18364 / 18519]
ん?

問題は反応

投稿者: husenoyaji 投稿日時: 2010/08/17 13:05 投稿番号: [18363 / 18519]
おひさしぶりです。

7月13日の記事が竹島を石島としたものであるなら、日本の領有に対する反対運動や記事が無ければおかしい。
領土だと思うけど、日本の領有を仕方ないと思うなら、結局同じ。
だから、アリバイが無いことは結局変わらない。

太政官は竹島外一島を鬱陵島・現竹島と認識

投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/08/16 23:19 投稿番号: [18362 / 18519]
ahirutousagi2様、ご返事ありがとうございます。

少し誤解しておりました。確かに、ahirutousagi2様が述べておられるのは、太政官は竹島と松島を版図外にした、だけですね。大変失礼いたしました。

私が誤解したのは、ahirutousagi2様が、「結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった」と書かれたからです。これはahirutousagi2様の解釈ですね。

私は、内務省や太政官が、島根県提出の資料から、松島をダジュレー島に比定したとは考えません。島根県提出資料は、No.18332で示したように、古来の竹島・松島について詳述しており、松島=ダジュレー島を示唆するものは何もありません。

1876年10月16日付で、島根県が提出した資料は古来の竹島を鬱陵島とは言っていませんが、内務省は1877年3月17日に、『旧政府評議之旨意』(一号文書)等を加えた『日本海内竹島外一島地籍編纂方伺』を太政官に提出しました(内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社, 2007)。一号文書には所謂「竹島一件」で幕府が竹島=鬱陵島(蔚陵島)を放棄したことが明記されています。

ahirutousagi2様はまた、「その松島はほかでもなく、現在のまさに鬱陵島の位置で理解されていた、」と述べられました。『原由之大畧』の「松島」の位置は、「現代の視角」から見ると鬱陵島の近くになります。しかし私は、『原由之大畧』の記事から、内務省・太政官はその「松島」を隠岐から竹島へ行く途中にある島と理解していた、と思います(No.18332)。さらに、内務少輔前島密は、「古来の松島」が勝海舟識『大日本國沿海畧圖』で「リエンコヲルトロック」となっていることを知っていた、とahirutousagi2様が紹介された「ウィキペディア:竹島外一島」は記しています。

私は「ウィキペディア」の「竹島外一島」の項目を前に読んだことがありますが、何とも歯切れが悪い曖昧な文章が多く、どうもよく理解できませんでした。それでも、「竹島外一島」は鬱陵島と現竹島を意味しない、という日本の一部にある主張に、根拠を与えようと懸命に努力されていることは分かりました。ahirutousagi2様の優れた文章力によって、この項目が一読して理解できるようになればと期待しております。

「ウィキペディア:竹島外一島」には、「明治10年頃の状況、内務省の立場、情報を纏めると、」として、“(6)前島密ら明治政府は欧米列強各国からの相次ぐ情報から、幕末時に勝海舟が編纂した『大日本国沿海略図』では鬱陵島が二重描画になっていて「竹島」は架空島で、海図上の「松島」が鬱陵島である蓋然性が高いことを知っていた。(7)前島密らは欧米列強各国からの相次ぐ情報で、シーボルト海図以前の徳川時代に「松島」と呼ばれていた島は、『大日本国沿海略図』では「リエンコヲルトロック」となっていることを知っていた。”と記されています。

前島密は、箱館の諸術調所で武田斐三郎に航海術を学び、1859〜1861年に函館から日本海を南下し太平洋岸に出て函館に戻る航海や、ロシア領ニコライエフスクへの航海等を行っています。また、鹿児島・対馬から北海道まで日本全土を何度も旅行し、地理には精通していましたから、上記の「ウィキペディア」の記述は頷けます。
http://www.japanpost.jp/corporate/founder/index02.html

太政官は、1877年3月17日に提出された「竹島外一島本邦関係無之」とした内務省からの「伺」を審議し、1877年3月29日、内務省からの「伺」どおり、「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」と指令しました。竹島外一島は、上述の記事から、竹島は鬱陵島、外一島は古来の松島=リアンクール岩=現竹島であることは明らかです。

Re: ふと考えて見た

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/16 07:21 投稿番号: [18361 / 18519]
ええと・・・・・・コメントありがとうございます。が、私がふと思ったのは1900年の勅令制定時の資料ではなくて、1906年の統監府の質問とそれに対する大韓帝国政府の回答に関する文書に関してでした。制定時には地図が添えられていなくても、6年後のやりとりはまた別でしょうから。

Re: ふと考えて見た

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2010/08/16 06:31 投稿番号: [18360 / 18519]
chaamiey様

>鬱島郡の配置顛末(1906.7.13   皇城新聞)の記事のもととなった往復公文書は現存していないのだろうか。
>報道された内容は簡単なものであっても、実際の回答文書には正式な回答文書のほかに説明のための参考資料として勅令41号全文の写しとか「竹島、石島」の位置を示す地図くらいは添付されているのが普通ではなかろうか、と思う。

Web竹島問題研究所2008年11月分の回答に次のものがあります。

【質問1】
    実事求是10に、「勅令第41号が裁可される前日、内部大臣李乾夏が提出した請願書に「該島地方は縦八十里、横五十里たるべし」とあるように、その中に竹島(竹嶼)と石島も含まれていたということである。」とあるが、勅令第41号の起案書や請願書には地図は添付されていないのだろうか。

<回答>
    「勅令第41号」の請議書に、地図が添付されていたかとのご質問に対し、お答えします。結論から申しますと、地図は添付されておりません。
    しかし、「勅令第41号」の第二條で欝島郡の行政区域に加えられた石島が、今日の竹島(独島)でないことは明らかです。「勅令第41号」の公布に繋がる内部大臣李乾夏の「欝陵島を欝島と改称し、島監を郡守に改正するに関する請議書」は、1900年6月、欝陵島に派遣された視察官禹用鼎等の視察録を基にしており、禹用鼎が残した『欝島記』では、欝陵島の疆域を「周廻亦可為一百四五十里」としているからです。この事実は、極めて重大です。
禹用鼎が欝陵島の疆域を「周廻亦可為一百四五十里」としたのは、1882年5月、高宗の命を奉じ、欝陵島を踏査した李奎遠の『欝陵島検察日記』・『啓本草』等を踏襲しているからで、李奎遠は欝陵島の疆域を「一百四五十里許」、「周回仮量為一百四五十里」とし、欝陵島開拓の必要性を奏上しています。そこで高宗は、それまで渡海を禁じていた欝陵島の開拓を命じますが、同時にそれは欝陵島の疆域が定まった時でもありました。
    ここで問題になるのは、李奎遠が「周回仮量為一百四五十里」とした中に、今日の竹島が含まれていたのかどうかです。それを知る手がかりは、同行した画員劉淵■の『欝陵島外図』の中にあります。この『欝陵島外図』も、李奎遠によって高宗に奏上されますが、そこには「勅令第41号」に登場する竹島(竹嶼)と、後に鼠項島となる島項の二島が描かれているだけで、今日の竹島は描かれていません。

ということのようです。

ふと考えて見た

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/16 01:09 投稿番号: [18359 / 18519]
  鬱島郡の配置顛末(1906.7.13   皇城新聞)の記事のもととなった往復公文書は現存していないのだろうか。

  報道された内容は簡単なものであっても、実際の回答文書には正式な回答文書のほかに説明のための参考資料として勅令41号全文の写しとか「竹島、石島」の位置を示す地図くらいは添付されているのが普通ではなかろうか、と思う。

  もし韓国政府にそういう地図も含めて文書が残っているならば、それを公開すれば「石島」は明らかに「独島」であることが分かって、「石島は観音島ではないか」などという「妄言」を吐く日本人をギャフンと言わせられるのに。公開されないということは、そういう資料は残っていないのかなあ。

  日本側については、まず、その当時、この件についてのやりとりが本国政府にまで報告されていたのかどうかが問題です。単に現地の統監府の判断だけで事実を確認しようとしたのであれば、文書は統監府限りのものとなり、現在の日本政府には全く残っていないことになります。

  ただ、統監府が、「こんな話があったので、こういうふうに確認したよ」と本国政府に報告していたならば、文書が残っている可能性もあります。
どうなんでしょうねぇ。
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