竹島

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世界人独島理解16−1

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/20 01:09 投稿番号: [18378 / 18519]
「世界人が独島問題を理解するための16のポイント」
シン・ヨンハ
http://plaza1.snu.ac.kr/~bigbear1/booklet/dokdo16point.pdf

1 韓国は遥かな昔(西暦512年)から「独島」を韓国固有領土として「領有」して来ました。
(1)古文献である『三国史記』(金富軾   編、1145年)には、西暦512年(新羅智証王13年)に于山国が新羅に服属して併合されたので新羅の一地方として編成したと2ヶ所に記録されています。于山国は、今の「鬱陵島」と「独島」を含んだ東海上の小さな王国でした。
「独島」は、19世紀までは于山島と呼ばれました。新羅は韓国を形成した古代国家の一つです。韓国は西暦512年以前から独島を「認識」し、512年には独島を「領有」したが、日本は『2008年−10のポイント』(1)でようやく18世紀末(1779年) の地図を根拠として提示して、「領有」ではなくようやく独島を「認識」したと主張しています。

(2)別の古文献『三国遺事』 (一然   著、1285年)にも、新羅の智証王の時、将軍異斯夫が于山国の降服を受け、于山国が新羅の一地方として併合されたと記録されています。 『三国遺事』と『三国史記』は記録内容が一致します。

(3)于山国が鬱陵島と独島で構成されていたという事実を証明する古文献は多数あります。『世宗実録』地理誌(1432年編纂)、『東国輿地勝覧』(1481年)、『新増東国輿地勝覧』(1531年)、『肅宗実録』(1696年の条)、『万機要覧』軍政編(1808)、その他に各種の古文献と古地図に鬱陵島と于山島(独島)が全て昔の「于山国」の領土だったと記録されています。
  特に、『万機要覧』軍政編では于山島(独島)を当時の日本の呼称も記録して、「輿地志にいう、鬱陵島と于山島は皆于山国の地であり、于山島は倭人たちが言う松島(マツシマ)だ」としました。日本では19世紀に鬱陵島を「竹島」(タケシマ)、于山島を「松島」と呼んでいました。『万機要覧』は朝鮮の「于山島(独島)」が日本では「松島」(今の独島)と呼称され、全て「于山国」の領土と明白に記録して説明しているのです。
  日本外務省の『2008年−10のポイント』(2)において、韓国が昔から独島(松島、今日の日本でいう竹島)を認識していたという根拠がないと主張しているのは千万不当な嘘であることが『万機要覧』軍政編によってよく証明されます。

(4)また、独島の古い名前である「于山島」という名称自体が、「于山島」は「于山国」の所属であることを証明してくれています。于山国の大きい島である「鬱陵島」の名称が固定されると、その付属島である独島に遅くとも15世紀に「于山島」という名称が固定して付いたことは、于山島が于山国の領土であったことを明白に証明してくれるのです。

(5)日本外務省は、『2008年−10のポイント』(2)において「于山島」が今日の 「独島」だという根拠がないと言うが、韓国と日本の多数の古地図が最も理解しやすい根拠です。例えば、韓国の初期カトリック神父金大建が1846年に報告用としてフランス語で表記した「朝鮮全図」(Carte de la Coree)は、鬱陵島の東南側の正確な位置に「独島」を描き、「Ousan」(于山)と表記しました。
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