Re: 太政官指令の外一島は古来の松島=現竹
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/08/08 00:26 投稿番号: [18334 / 18519]
次のお返事ですが(便宜上番号を入れます)、
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1. 幕末から明治の初期、日本海西部沿岸地方の人々は、しばしば鬱陵島に渡航していたようです。従って、島根県当局者は隠岐の西北に竹島と松島の2つの島があることは十分に承知していたでしょう。しかし、竹島とは現存しないアルゴノート島のことであり、松島は鬱陵島に相当するダジュレー島であるという、西洋の地図を知る人は極めて少なかったのではないかと思います。
2. ahirutousagi2様はまた、「太政官判断において竹島松島は版図外とされた。そして、松島は古来から認識されてきた松島と考えて差支えない。ただし、その島は鬱陵島の位置において認識された形で判断がなされた。結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった」と述べられました。
3. 上記の文章は私なりに次のように解釈しました:「太政官は竹島松島を版図外と判断した。松島は古来の松島である。ただし、その松島は鬱陵島の位置において認識されたので、太政官は鬱陵島と判断した。結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった(松島=現竹島は版図内)。」
4. 松島は、現代の地図で鬱陵島の位置にあるから、太政官は松島を鬱陵島と判断したということが、私にはどうもよく理解できません。確かに、隠岐から松島への距離80里は過大で、「現代の視角」から見ると鬱陵島の近くになります。しかし、更にその西北40里には竹島=鬱陵島が在ると、『原由之大畧』は記していますから、太政官は、松島を鬱陵島とは判断せず、やはり古来の松島=現竹島と判断した、と私は考えます。
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1については「島根県当局者は隠岐の西北に竹島と松島の2つの島があることは十分に承知していたでしょう」というのはあたっていると思います。ただそれを超える斟酌をすべきものではないと理解しています。太政官、内務省もしかりです。結局、島根であれ太政官であれ、竹島と松島の二島を理解していたことが、松島=ダジュレー(の位置認識)との理解を否定する根拠には何らなりえものと思われます。
2は、そのままご理解下さい。私なりに簡単に書いたつもりでしたが、そんなに分かりにくい文章だったでしょうか。
3については、私の意図することとは明らかにいささか違った解釈が入り込んでいます。一つは、太政官が松島=ダジュレー=鬱陵島と判断したということです。私はそのように書いた記憶はありません。太政官が松島=鬱陵島と考えたというところまで私は踏み込んでいないということです。太政官は鬱陵島については何も語っていないのではないでしょうか(竹島の情況については言及があります)。私が申し上げたのは、太政官が現在の視角から確認できる鬱陵島の位置において松島を把握したこと、ということだけです。
二つめに、私は「松島=現竹島は版図内」とは書いた記憶がありません。私はこの外一島の理解は、この何年間も変わることのない考え方を持っていますがその一貫した考え方は、「リアンクール岩については明確な主権意識が欠けていた。基本的にリアンクール岩=無主地の理解であったと思われる」というものです。
4については、太政官は鬱陵島については何も語っていない、ということに尽きるのだろうと思います。太政官は竹島・松島を放棄した。それだけの話であり、また、その松島はほかでもなく、現在のまさに鬱陵島の位置で理解されていた、ということがいえるだけです。そして、それは、前後して出されている政府に関連する部署の地図にすべて統一的に整合性が取れるものであると同時に、天城の調査や三条実美の記述に至るまで、すべて何の矛盾もなく理解が可能である、ということです。
その後に知ったのですが、私の考え(私の考えは、ここで提示してもう何年にもなっています。そのころに私のような主張をしている方は誰もいなかったように記憶しているのですが)におおむね近い、次のような主張があることを知りました。全面的に同意すべきかどうかは、まだ読み込んでいませんが、さっと読んだところでは、かなり私の考えに近い印象を受けました。体力があるときにまたじっくり読んでみます。もしもよろしければご参考ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B3%B6%E5%A4%96%E4%B8%80%E5%B3%B6
『原由之大畧』は、太政官が放棄した松島=リアンクール岩だったという根拠には、何もなっていないと思います。そもそも古来の松島=現竹島(つまりリアンクール岩)なんて認識が、普通にあったとは私は考えません。漁民は分かりませんが、島根県や内務省、太政官ら政府関係者においてです。そのよ\xA4
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1. 幕末から明治の初期、日本海西部沿岸地方の人々は、しばしば鬱陵島に渡航していたようです。従って、島根県当局者は隠岐の西北に竹島と松島の2つの島があることは十分に承知していたでしょう。しかし、竹島とは現存しないアルゴノート島のことであり、松島は鬱陵島に相当するダジュレー島であるという、西洋の地図を知る人は極めて少なかったのではないかと思います。
2. ahirutousagi2様はまた、「太政官判断において竹島松島は版図外とされた。そして、松島は古来から認識されてきた松島と考えて差支えない。ただし、その島は鬱陵島の位置において認識された形で判断がなされた。結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった」と述べられました。
3. 上記の文章は私なりに次のように解釈しました:「太政官は竹島松島を版図外と判断した。松島は古来の松島である。ただし、その松島は鬱陵島の位置において認識されたので、太政官は鬱陵島と判断した。結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった(松島=現竹島は版図内)。」
4. 松島は、現代の地図で鬱陵島の位置にあるから、太政官は松島を鬱陵島と判断したということが、私にはどうもよく理解できません。確かに、隠岐から松島への距離80里は過大で、「現代の視角」から見ると鬱陵島の近くになります。しかし、更にその西北40里には竹島=鬱陵島が在ると、『原由之大畧』は記していますから、太政官は、松島を鬱陵島とは判断せず、やはり古来の松島=現竹島と判断した、と私は考えます。
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1については「島根県当局者は隠岐の西北に竹島と松島の2つの島があることは十分に承知していたでしょう」というのはあたっていると思います。ただそれを超える斟酌をすべきものではないと理解しています。太政官、内務省もしかりです。結局、島根であれ太政官であれ、竹島と松島の二島を理解していたことが、松島=ダジュレー(の位置認識)との理解を否定する根拠には何らなりえものと思われます。
2は、そのままご理解下さい。私なりに簡単に書いたつもりでしたが、そんなに分かりにくい文章だったでしょうか。
3については、私の意図することとは明らかにいささか違った解釈が入り込んでいます。一つは、太政官が松島=ダジュレー=鬱陵島と判断したということです。私はそのように書いた記憶はありません。太政官が松島=鬱陵島と考えたというところまで私は踏み込んでいないということです。太政官は鬱陵島については何も語っていないのではないでしょうか(竹島の情況については言及があります)。私が申し上げたのは、太政官が現在の視角から確認できる鬱陵島の位置において松島を把握したこと、ということだけです。
二つめに、私は「松島=現竹島は版図内」とは書いた記憶がありません。私はこの外一島の理解は、この何年間も変わることのない考え方を持っていますがその一貫した考え方は、「リアンクール岩については明確な主権意識が欠けていた。基本的にリアンクール岩=無主地の理解であったと思われる」というものです。
4については、太政官は鬱陵島については何も語っていない、ということに尽きるのだろうと思います。太政官は竹島・松島を放棄した。それだけの話であり、また、その松島はほかでもなく、現在のまさに鬱陵島の位置で理解されていた、ということがいえるだけです。そして、それは、前後して出されている政府に関連する部署の地図にすべて統一的に整合性が取れるものであると同時に、天城の調査や三条実美の記述に至るまで、すべて何の矛盾もなく理解が可能である、ということです。
その後に知ったのですが、私の考え(私の考えは、ここで提示してもう何年にもなっています。そのころに私のような主張をしている方は誰もいなかったように記憶しているのですが)におおむね近い、次のような主張があることを知りました。全面的に同意すべきかどうかは、まだ読み込んでいませんが、さっと読んだところでは、かなり私の考えに近い印象を受けました。体力があるときにまたじっくり読んでみます。もしもよろしければご参考ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B3%B6%E5%A4%96%E4%B8%80%E5%B3%B6
『原由之大畧』は、太政官が放棄した松島=リアンクール岩だったという根拠には、何もなっていないと思います。そもそも古来の松島=現竹島(つまりリアンクール岩)なんて認識が、普通にあったとは私は考えません。漁民は分かりませんが、島根県や内務省、太政官ら政府関係者においてです。そのよ\xA4
これは メッセージ 18332 (ararenotomo1 さん)への返信です.
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