ふと考えて見た
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/16 01:09 投稿番号: [18359 / 18519]
鬱島郡の配置顛末(1906.7.13
皇城新聞)の記事のもととなった往復公文書は現存していないのだろうか。
報道された内容は簡単なものであっても、実際の回答文書には正式な回答文書のほかに説明のための参考資料として勅令41号全文の写しとか「竹島、石島」の位置を示す地図くらいは添付されているのが普通ではなかろうか、と思う。
もし韓国政府にそういう地図も含めて文書が残っているならば、それを公開すれば「石島」は明らかに「独島」であることが分かって、「石島は観音島ではないか」などという「妄言」を吐く日本人をギャフンと言わせられるのに。公開されないということは、そういう資料は残っていないのかなあ。
日本側については、まず、その当時、この件についてのやりとりが本国政府にまで報告されていたのかどうかが問題です。単に現地の統監府の判断だけで事実を確認しようとしたのであれば、文書は統監府限りのものとなり、現在の日本政府には全く残っていないことになります。
ただ、統監府が、「こんな話があったので、こういうふうに確認したよ」と本国政府に報告していたならば、文書が残っている可能性もあります。
どうなんでしょうねぇ。
これは メッセージ 18357 (chaamiey さん)への返信です.
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