Re: 太政官は竹島外一島を鬱陵島・現竹島と
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/08/22 23:11 投稿番号: [18392 / 18519]
ウィキペディアの文章をもう一度読んでみましたが、おっしゃる通り分かりづらいところも見受けられますね。かと言って他人の文章を私が要約したり説明したりするような性質のものでもないでしょうし、その能力もありませんのでウィキペディアの説明は重複を避けましょう。
>私は、内務省や太政官が、島根県提出の資料から、松島をダジュレー島に比定したとは考えません。島根県提出資料は、No.18332で示したように、古来の竹島・松島について詳述しており、松島=ダジュレー島を示唆するものは何もありません。
太政官の判断において示唆されるものは竹島・松島を判図外としたということのみであって、ほかに明示できるものはないと考えます。松島=リアンクール岩(の位置)という根拠も、一切ありません。
となると考えうるのは政府関連、あるいは官許関係の地図やその後の天城の調査なり三条実美などの規定などと整合性のとれる理解というものが必要になりますが、この場合、松島=ダジュレー島(の位置)ということに何の違和感もありません。
むしろ、周辺事項のあらゆる情報の整合性から完全に外れているものが松島=リアンクール岩(の位置)という理解にほかならないことでしょう。架空の島であることを知っていた、あるいは前島密がどう考えていた、ということすら実質上、どうでもよいことです。
確かなことは、竹島・松島を判図外とした。それは前後の数々の資料からアルゴノート島・ダジュレー島に比定された、ということしか言えないということです。これは、整合性として「確かなこと」だと考えます。
>太政官は、1877年3月17日に提出された「竹島外一島本邦関係無之」とした内務省からの「伺」を審議し、1877年3月29日、内務省からの「伺」どおり、「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」と指令しました。竹島外一島は、上述の記事から、竹島は鬱陵島、外一島は古来の松島=リアンクール岩=現竹島であることは明らかです。
大変に申し訳ないのですが、それなりにアラレさんの文章は誠実に読み、また
受け入れるべきご主張があれば、耳を傾ける気持ちもありますが、どういうわけで「竹島は鬱陵島、外一島は古来の松島=リアンクール岩=現竹島であることは明らかです」となるのか、いまだにさっぱり分かりません。
天城の調査や、三条実美の規定についても、いろいろな理由付けをされるのでしょうが、仮に太政官判断の松島=リアンクール岩というのが「明らか」だとして、これをどう考えるべきか、もののついでですので、勉強までに教えていただけませんか。
私の意見は何度も申し上げましたが、架空の島だったとか、誰がどういっていたとかは実はどうでもよいことなのだろうと思っています。前後の資料の整合性にしか答えはないのだろう、という判断です。
太政官判断に、島の位置が特定されておらず、特定(島根県によっても、当時の地図によっても)されているとすれば、位置的にはアルゴノート島とダジュレー島の位置のみ、という状況だからです。架空の島だの、誰かが何を言っていただのというのは参考事項を超えるものではないという判断です。
結論を先に出すのではなく、時代を鳥瞰する目が太政官判断の解釈については必要なのだろうと思います。アラレさんの太政官判断についての議論は徹底して、マクロの視点というか時代を鳥瞰する視点が欠けている印象を受けているのが正直なところです。私の読解力不足かもしれませんが。
>私は、内務省や太政官が、島根県提出の資料から、松島をダジュレー島に比定したとは考えません。島根県提出資料は、No.18332で示したように、古来の竹島・松島について詳述しており、松島=ダジュレー島を示唆するものは何もありません。
太政官の判断において示唆されるものは竹島・松島を判図外としたということのみであって、ほかに明示できるものはないと考えます。松島=リアンクール岩(の位置)という根拠も、一切ありません。
となると考えうるのは政府関連、あるいは官許関係の地図やその後の天城の調査なり三条実美などの規定などと整合性のとれる理解というものが必要になりますが、この場合、松島=ダジュレー島(の位置)ということに何の違和感もありません。
むしろ、周辺事項のあらゆる情報の整合性から完全に外れているものが松島=リアンクール岩(の位置)という理解にほかならないことでしょう。架空の島であることを知っていた、あるいは前島密がどう考えていた、ということすら実質上、どうでもよいことです。
確かなことは、竹島・松島を判図外とした。それは前後の数々の資料からアルゴノート島・ダジュレー島に比定された、ということしか言えないということです。これは、整合性として「確かなこと」だと考えます。
>太政官は、1877年3月17日に提出された「竹島外一島本邦関係無之」とした内務省からの「伺」を審議し、1877年3月29日、内務省からの「伺」どおり、「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」と指令しました。竹島外一島は、上述の記事から、竹島は鬱陵島、外一島は古来の松島=リアンクール岩=現竹島であることは明らかです。
大変に申し訳ないのですが、それなりにアラレさんの文章は誠実に読み、また
受け入れるべきご主張があれば、耳を傾ける気持ちもありますが、どういうわけで「竹島は鬱陵島、外一島は古来の松島=リアンクール岩=現竹島であることは明らかです」となるのか、いまだにさっぱり分かりません。
天城の調査や、三条実美の規定についても、いろいろな理由付けをされるのでしょうが、仮に太政官判断の松島=リアンクール岩というのが「明らか」だとして、これをどう考えるべきか、もののついでですので、勉強までに教えていただけませんか。
私の意見は何度も申し上げましたが、架空の島だったとか、誰がどういっていたとかは実はどうでもよいことなのだろうと思っています。前後の資料の整合性にしか答えはないのだろう、という判断です。
太政官判断に、島の位置が特定されておらず、特定(島根県によっても、当時の地図によっても)されているとすれば、位置的にはアルゴノート島とダジュレー島の位置のみ、という状況だからです。架空の島だの、誰かが何を言っていただのというのは参考事項を超えるものではないという判断です。
結論を先に出すのではなく、時代を鳥瞰する目が太政官判断の解釈については必要なのだろうと思います。アラレさんの太政官判断についての議論は徹底して、マクロの視点というか時代を鳥瞰する視点が欠けている印象を受けているのが正直なところです。私の読解力不足かもしれませんが。
これは メッセージ 18362 (ararenotomo1 さん)への返信です.
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