誰もリャンコ島を想起していなかった1
投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/23 17:35 投稿番号: [18398 / 18519]
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明治政府が「松島」と呼ぶ島はダジュレー島である。
私は、「明治政府が『松島』と呼ぶ島はダジュレー島である」と主張します。ahirutousagi2さんもこの様に主張していると思います。しかし、ararenotomo1さんは、ある時はダジュレー島とし、又ある時はリャンコ島として、ご自分の主張に都合の良いように文献解釈をしていると考えています。又、「この松島はシーボルトが誤って松島とした鬱陵島である」と言われますが、原因がシーボルトの誤認であろうと、明治政府が松島をダジュレー島としていた事実を否定することにはなりません。
明治政府が言葉を使用して意思統一を図っている組織である限り、「松島」の文言を使用した命令・報告が、ある時はダジュレー島とし、又ある時はリャンコ島とすることはあり得ません。
2 「古来の竹島と松島」との文言は文献に表れない。
明治13年に天城艦が松島に廻航する迄の間、「古来の竹島と松島」という概念が明治政府に存したと出来る根拠はありません。たぶん、「アルゴノート島は架空島」との情報はあったでしょうが、それが「元禄期の竹島と松島」と「明治初年の竹島と松島」を区別して認識していた理由とはなりません。そもそも、「古来の竹島と松島」というのはararenotomo1さんの造語であって、当時の文献に現れた文言ではありません。
3 明治10年に「竹島」と呼ぶ島はアルゴノート島である。
幕末から明治10年の間、竹島を載せた地図が多く作成されています。これらの何れもが、竹島=アルゴノート島としています。(No.18373)
ararenotomo1さんは、現代的視点で「元禄期の竹島はダジュレー島」である、又、現代的視点で「鬱陵島はダジュレー島」であるから、明治10年の明治政府は「竹島はダジュレー島」の認識を有していたと主張されますが、論理的に成立しない主張です。
尚、ararenotomo1さんは、『太政官は竹島=鬱陵島と認識していた、と思いますが、“太政官が「竹島=ダジュレー島」たる認識を有していた”とは思っておりません。』と言われます。これは、「アルゴノート島であるかダジュレー島であるか判然としない竹島を版図外とした」と主張されているようにも見えます。この主張は、ahirutousagi2さんと同じ認識であると思われます。もしそうであるならば、明確に宣言して頂くと議論が進むかも知れません。
4 朝鮮名「鬱陵島」はアルゴノート島か
明治10年の時、朝鮮名「鬱陵島」がアルゴノート島であるかダジュレー島であるか判然としていなかったのではないでしょうか。
1855年のイギリスの地図に拠れば、アルゴノート島ダジュレー島の外に于山島鬱陵島が在ると記されています。(No.18374)
太政官指令が出される1877年までの15個の地図を示しましたが、鬱陵島がどこに在るのか、何も示していません。(No.18373)
内務省が添付した1号〜4号からは、ダジュレー島であるよりも、アルゴノート島であると捉えていた可能性が高いと思われます。(No.18366)
明治10までに日本で再発行された朝鮮作成地図の鬱陵島は、ダジュレー島であるよりも、アルゴノート島であると捉えていた可能性が高いと思われます。(No.18374)
ararenotomo1さんが、鬱陵島=ダジュレー島とされる根拠がわかりません。
私は、「明治政府が『松島』と呼ぶ島はダジュレー島である」と主張します。ahirutousagi2さんもこの様に主張していると思います。しかし、ararenotomo1さんは、ある時はダジュレー島とし、又ある時はリャンコ島として、ご自分の主張に都合の良いように文献解釈をしていると考えています。又、「この松島はシーボルトが誤って松島とした鬱陵島である」と言われますが、原因がシーボルトの誤認であろうと、明治政府が松島をダジュレー島としていた事実を否定することにはなりません。
明治政府が言葉を使用して意思統一を図っている組織である限り、「松島」の文言を使用した命令・報告が、ある時はダジュレー島とし、又ある時はリャンコ島とすることはあり得ません。
2 「古来の竹島と松島」との文言は文献に表れない。
明治13年に天城艦が松島に廻航する迄の間、「古来の竹島と松島」という概念が明治政府に存したと出来る根拠はありません。たぶん、「アルゴノート島は架空島」との情報はあったでしょうが、それが「元禄期の竹島と松島」と「明治初年の竹島と松島」を区別して認識していた理由とはなりません。そもそも、「古来の竹島と松島」というのはararenotomo1さんの造語であって、当時の文献に現れた文言ではありません。
3 明治10年に「竹島」と呼ぶ島はアルゴノート島である。
幕末から明治10年の間、竹島を載せた地図が多く作成されています。これらの何れもが、竹島=アルゴノート島としています。(No.18373)
ararenotomo1さんは、現代的視点で「元禄期の竹島はダジュレー島」である、又、現代的視点で「鬱陵島はダジュレー島」であるから、明治10年の明治政府は「竹島はダジュレー島」の認識を有していたと主張されますが、論理的に成立しない主張です。
尚、ararenotomo1さんは、『太政官は竹島=鬱陵島と認識していた、と思いますが、“太政官が「竹島=ダジュレー島」たる認識を有していた”とは思っておりません。』と言われます。これは、「アルゴノート島であるかダジュレー島であるか判然としない竹島を版図外とした」と主張されているようにも見えます。この主張は、ahirutousagi2さんと同じ認識であると思われます。もしそうであるならば、明確に宣言して頂くと議論が進むかも知れません。
4 朝鮮名「鬱陵島」はアルゴノート島か
明治10年の時、朝鮮名「鬱陵島」がアルゴノート島であるかダジュレー島であるか判然としていなかったのではないでしょうか。
1855年のイギリスの地図に拠れば、アルゴノート島ダジュレー島の外に于山島鬱陵島が在ると記されています。(No.18374)
太政官指令が出される1877年までの15個の地図を示しましたが、鬱陵島がどこに在るのか、何も示していません。(No.18373)
内務省が添付した1号〜4号からは、ダジュレー島であるよりも、アルゴノート島であると捉えていた可能性が高いと思われます。(No.18366)
明治10までに日本で再発行された朝鮮作成地図の鬱陵島は、ダジュレー島であるよりも、アルゴノート島であると捉えていた可能性が高いと思われます。(No.18374)
ararenotomo1さんが、鬱陵島=ダジュレー島とされる根拠がわかりません。
これは メッセージ 18386 (ararenotomo1 さん)への返信です.
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