太政官は竹島と外一島を共に・・・ 3
投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/18 18:48 投稿番号: [18374 / 18519]
2-02
1872年
官許・日本與地全圖増補改定日本輿地全圖 翠堂中島彭編述東京銅鐫師 楊堂木村胤鐵筆
http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_detail?detail_sea_param=years,9,1 55,0
2-03 1874年 官許・大日本西国四国九州地図 北畠茂兵衛他
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/takeshima04d.data/5-3-7-01.pdf
2-04 1875年 官許・大日本国郡全図 明治八年第二月 隠岐國
3 アルゴノート島ダジュレー島の他に于山島鬱陵島があるとの認識を示している地図があります。1855年のイギリスの地図がそれです。中国を媒体とした朝鮮情報は、鬱陵島の浜の沙渚が歴歴と見える程に半島から近いとなっていたのでしょう。シンヨンハ氏等が、フランス地図に独島を韓国領で表示と主張する地図に、アルゴノート島ダジュレー島が組み合わされています。但し、1-06 1963年のイギリスの地図では、于山島鬱陵島が消えているようです。
3-01 1855年のイギリスの地図
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/zn/1855/1855.html/
4 朝鮮の地図を日本人が転記した地図は次のとおりです。これらの地図に載っている鬱陵島は、私には、アルゴノート島であるかに見えます。明治政府の官僚も同様に判断したと思います。
4-01 1873年 朝鮮全図 海軍水路寮 明治6年
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chosenzenzu-1873
4-02 1875年 佐田白茅著 改訂新鐫朝鮮全図 岸田?香・松田敦朝 外務省出仕
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/kaiteishinsenchosenzenzu-1875/
4-03 1876年 原板朝鮮全図之写 海左全図 陸軍大尉
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/takeshima04d.data/5-1-1-7-02.pdf
4-04 1876年 朝鮮国全図 瀬脇壽人校 金麟昇音 外務省浦塩須徳駐在
http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_detail?detail_sea_param=loc,6,1,0
5 磯竹島略図(太政官指令のある『公文録』に所収された地図。島根県が提出した享保年間の大谷家の地図を縮写したもの。) は、そこに示されている距離を基に判断すれば、磯竹島はアルゴノート島を示しています。そして、その姿形はダジュレー島を示していますが、当時の明治政府の官僚はダジュレー島の姿形を知りませんから、その姿形から判断していないと思います。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032-1877/index.html
6 1875年に出版されたかどうかは知りませんが、『日本地誌提要』は、「西北に方たりて松島・竹島の2島あり。土俗相伝て云ふ。穩地郡福浦港より松島に至る。海路凡六拾九里三拾五町。竹島に至る。海路凡百里四町余。朝鮮に至る海路凡百三拾六里三拾町。」と記しています。ここには、詳細な距離が記されています。これほどの詳細な距離は、地図を基に経緯度から計算したと推察され、示された竹島はアルゴノート島を示しています。
http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_detail?detail_sea_param=years,9,1 55,0
2-03 1874年 官許・大日本西国四国九州地図 北畠茂兵衛他
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/takeshima04d.data/5-3-7-01.pdf
2-04 1875年 官許・大日本国郡全図 明治八年第二月 隠岐國
3 アルゴノート島ダジュレー島の他に于山島鬱陵島があるとの認識を示している地図があります。1855年のイギリスの地図がそれです。中国を媒体とした朝鮮情報は、鬱陵島の浜の沙渚が歴歴と見える程に半島から近いとなっていたのでしょう。シンヨンハ氏等が、フランス地図に独島を韓国領で表示と主張する地図に、アルゴノート島ダジュレー島が組み合わされています。但し、1-06 1963年のイギリスの地図では、于山島鬱陵島が消えているようです。
3-01 1855年のイギリスの地図
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/zn/1855/1855.html/
4 朝鮮の地図を日本人が転記した地図は次のとおりです。これらの地図に載っている鬱陵島は、私には、アルゴノート島であるかに見えます。明治政府の官僚も同様に判断したと思います。
4-01 1873年 朝鮮全図 海軍水路寮 明治6年
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/chosenzenzu-1873
4-02 1875年 佐田白茅著 改訂新鐫朝鮮全図 岸田?香・松田敦朝 外務省出仕
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/kaiteishinsenchosenzenzu-1875/
4-03 1876年 原板朝鮮全図之写 海左全図 陸軍大尉
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04_01/takeshima04d.data/5-1-1-7-02.pdf
4-04 1876年 朝鮮国全図 瀬脇壽人校 金麟昇音 外務省浦塩須徳駐在
http://www.lib.meiji.ac.jp/perl/ashida/search_detail?detail_sea_param=loc,6,1,0
5 磯竹島略図(太政官指令のある『公文録』に所収された地図。島根県が提出した享保年間の大谷家の地図を縮写したもの。) は、そこに示されている距離を基に判断すれば、磯竹島はアルゴノート島を示しています。そして、その姿形はダジュレー島を示していますが、当時の明治政府の官僚はダジュレー島の姿形を知りませんから、その姿形から判断していないと思います。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032-1877/index.html
6 1875年に出版されたかどうかは知りませんが、『日本地誌提要』は、「西北に方たりて松島・竹島の2島あり。土俗相伝て云ふ。穩地郡福浦港より松島に至る。海路凡六拾九里三拾五町。竹島に至る。海路凡百里四町余。朝鮮に至る海路凡百三拾六里三拾町。」と記しています。ここには、詳細な距離が記されています。これほどの詳細な距離は、地図を基に経緯度から計算したと推察され、示された竹島はアルゴノート島を示しています。
これは メッセージ 18373 (take_8591 さん)への返信です.
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