竹島

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国際司法裁判所の小和田所長は

投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/08/16 00:16 投稿番号: [18358 / 18519]
雅子様の父親ニダ      愛子様の祖父ニダ

Re: 国に恥をかかせるようなこと 1

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/16 00:12 投稿番号: [18357 / 18519]
鬱島郡の配置顛末(1906.7.13   皇城新聞)

  統監府から内務部に照会があって、江原道三陟郡管下に所在する鬱陵島に所属する島嶼と郡庁設置年月を示せとのことであったので回答が出され、光武二年五月二十日に鬱陵島監を置いていたが、光武四年十月二十五日に政府会議を経て郡守を配置し、郡庁は台霞洞に在り、その郡の所管島は竹島、石島で、東西が六十里で南北が四十里なので、合わせて二百余里だとしたという。



  現時点ではこの記事しか手がかりがないので、正確な解明ができないわけですが、統監府が「何の理由で」、「何について」質問したのかが重要ですね。

  記事によれば、照会事項は「鬱陵島に所属する島嶼」と「郡庁設置年月」の二つであったように見えます。ところが韓国政府の回答は、その二つのほかに、「郡庁の位置」と距離なのか範囲なのか判然としない「数字」が回答されています。

  では、「郡庁の位置」と「数字」は、聞かれてもいないことを回答したのか、という疑問が生じますが、私はそうではなかろうと思っています。

  まず、郡庁の位置については、聞かれているのは郡庁の設置年月であるわけですが、設置年月を回答しようとすれば、自然に、「郡庁は台霞洞だが」というくらいの説明はくっつくものと思います。まあ、聞かれていないことを回答したと言えないこともないですが、郡庁の設置年月を回答する際の補足説明でしょうから、全く無関係のことを回答したとは言えません。

  次に謎の数字ですが、これも、聞かれていることと全く無関係のことを回答するはずはないので、聞かれている「鬱陵島に所属する島嶼」を説明するために必要であったから付け加えられたと考えるのが自然でしょう。

  「鬱陵島に所属する島嶼」は勅令には「竹島、石島」とありますが、これではどこにある島なのかさっぱり分からないので、正確に回答するためには、勅令には書いてないけれども数字を持ち出す必要が生じます。

  では、その数字は、大先生が言うように距離を示すものなのか?   海上の島と島との間の距離を示すのならば、方角と距離を示せば良いわけです。「鬱陵島から東南東に○○里」とかいう言い方で。ところが、この回答では「東西が六十里で南北が四十里だから合わせて二百余里」ですから、これはとても2地点間の距離を指すものとは言えない。明らかに何かの「範囲」です。大先生はこの点を無視しました。

   これは、やはり、「所管する島は竹島、石島」というだけではどこらへんにあるのかさっぱり分からないので、それらの島は「東西が六十里で南北が四十里、合わせて二百余里」の四方の範囲内にある、と説明したものだ、と考えるのが最も自然ですね。

  また、柳美林氏が「東西が60里で南北が40里なので合わせて200余里」は鬱陵島そのものの範囲を言ったものだというのも、何の根拠がある話なのか。統監府の照会事項は「鬱陵島に所属する島嶼」と「郡庁設置年月」の二つであったわけで、鬱陵島の面積を回答する必然性は何もないです。

  統監府は、要するに、日本が韓国の領土を誤って竹島として編入したのかそうではないのかをはっきりさせたかったから「鬱陵島に所属する島嶼」を中心とするこの照会を出した(と私は考えている)のであって、鬱陵島の面積なんかはこの場合はどうでもいいことだったはずです。

   ただ、柳美林氏の見解は、大先生の「二百里は独島までの距離だ」という見解を否定していることにはなりますね。

国際司法に出て来れない情けない人たちです

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/15 22:51 投稿番号: [18356 / 18519]
おかしく滑稽な人達です。

これが小国の発想なんでしょうなぁ

Re: 国に恥をかかせるようなこと 2

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/15 22:31 投稿番号: [18355 / 18519]
   鄭佑相(チョン・ウサン)記者も、そして彼のこの記事を掲載することを認めた朝鮮日報の編集責任者も、全くひどいものですね。


  「日本は1905年に独島を日本に編入した決定の根拠として、大韓帝国の財政権、外交権を奪った1904年の第1次韓日協約を挙げている。」などという話は聞いたこともない。鄭佑相記者が個人的に接した日本人の誰かがそんな類のことを語ったということはあるのかも知れないが、公的な主張としてはそんなことは誰も主張していないでしょう。

  そもそも1905年の竹島編入は、そこが「無主地」であることを前提として行われている。無主地を編入するのに日韓協約などの二国間条約が何の関係があると言うのだろう。

  鄭佑相記者は日本側の主張を捏造して、韓国人が反日感情を持ちやすい材料であるところの日韓協約に強引に結びつけている。新聞が両国国民間の相互理解を進めるのでなく、いたずらに悪感情を増幅させる役割を果たしていることになる。

  もっと正確な報道をしてもらいたいと思う。(ト、ムリヲショウチデイッテミル。)

Re: 国に恥をかかせるようなこと 2

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/15 12:21 投稿番号: [18354 / 18519]
http://photo.jijisama.org/index.html

国に恥をかかせるようなこと 2

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/15 12:12 投稿番号: [18353 / 18519]
  朝鮮日報チョンウサン記者は、「独島(竹島)問題と関連し、日本は1905年に独島を日本に編入した決定の根拠として、大韓帝国の財政権、外交権を奪った1904年の第1次韓日協約を挙げている。」と述べています。
   http://www.chosunonline.com/news/20100811000019

  ここにいう「日本」とは、日本政府を意味する筈です。日本政府・島根県はかかる主張をしていません。
  この認識は、日本側が「1905年以降実効支配をしていたのに、韓国から異議申立がなかった」と主張し、韓国側が「外交権を奪われていたので、異議申立が出来なかった」と反論している事実に基づく誤認であると推察されます。

  朝鮮日報チョンウサン記者においてすら、独島領有根拠に関しこの程度の知識なのです。韓国一般市民において、そのレベルの低さは推して知るべきです。
  この独島領有根拠への市民レベルでの低い認識が、昨年末に発表の「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」が犯した『幼稚な歪曲解釈』を、半年以上に渡って放置しているのだと思います。

国に恥をかかせるようなこと 1

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/15 11:54 投稿番号: [18352 / 18519]
  ahirutousagi2さん。   「こんな説明を、韓国の人は恥ずかしくないのか、私はそちらが不思議です。日本でこんなことを言い出す研究者がいたら、研究生活も危ぶまれるほどに信用をなくすことでしょう。」No.18344
  chaamieyさん。   「こんな子どもだましのような説明を韓国人は果たして信じるのだろうか?」No.18348


  韓国にも「恥」という概念はあるようです。
  8月13日付朝鮮日報社説は、菅談話誤訳報道に対して「こうした韓国の姿を見詰める日本の視線を思うと、顔から火が出る思いだ。外交部は、国に恥をかかせるようなことを自ら招いたのだ。」と締めています。
   http://www.chosunonline.com/news/20100813000011

  ところで、柳美林氏の主張は「国(民)に恥をかかせるようなこと」に該当しないのでしょうか。柳美林氏は杉野氏への反論において、皇城新聞の記事を「郡の所管島は竹島と石島である。(郡の主島である鬱陵島は)東西が60里で南北が40里なので合わせて200余里である。」と解釈しました。対して、杉野氏は文理解釈上の反論をしていました。又、韓国施政改善の途中で為されたものであれば、統監府が鬱陵島の大きさ情報を求めたとは考えられません。これは、「減らず口」なのかも知れません。

  さて、「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」は、相変わらず「減らず口」に満ちていますが、皇城新聞の記事解釈においては、その限度を超えていると思いました。韓国人の知的レベルがこんな「子供騙しの説明」を受け入れる程に低いとは考えられません。韓ドラ「チャングムの誓い」は面白いですもん。私の翻訳が誤っている可能性が高いと考えるべきです。
  しかし、私の翻訳はそれ程間違っていなかった様です。
  すると、シンヨンハ氏の皇城新聞の記事解釈は、明らかに、「国(民)に恥をかかせるようなこと」に該当すると考えられます。


 -- -追伸 -- -
  冒頭の社説は、『日本は一度も「返還」という言葉を使ったことがないのにもかかわらず、韓国だけが「日本の姿勢は変わった」と騒いでいたということだ。・・・今回の誤訳騒動は「意図的な歪曲ではないか」という声が上がるほどひどかった。』と述べています。
  しかし、この誤訳騒動の本質は、一国の首相の発言に対しその原文を確認することなく、外交の成果として発表した外交部、お祭り騒ぎをしたマスコミの幼稚性にあります。然るに「意図的な歪曲である」との前提で問題を掘り下げない反動性をこそ恥ずべきでしょう。

おめでとうございます。

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/14 22:37 投稿番号: [18351 / 18519]
http://photo.jijisama.org/hata.html

鬱陵、独島で世界大学生祝祭

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/14 21:59 投稿番号: [18350 / 18519]
鬱陵、独島で世界大学生祝祭

毎日新聞 2010.08.14
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=32938&yy=2010


   社団法人韓国未来青年フォーラム(代表金ククソン)は、17〜20日、鬱陵島と独島で「第1回8.15独島世界大学生祝祭」を開催すると11日明らかにした。韓国未来青年フォーラムは、大学生60人と国内に居住する外国人大学生50人を招待して鬱陵、独島を探訪する計画だ。参加する学生たちは、18日午後に鬱陵島に到着して「サンフランシスコ平和条約と独島」を主題とする保坂祐二世宗大学教授の講演を聞いて、19日には独島現地を訪問して大型太極旗を広げて光復節記念行事を行う。
   金ククソン韓国未来青年フォーラム代表は、「独島探訪を通じて学生たちに海洋領土の重要性と愛国心を悟らせ、外国の学生たちには独島が大韓民国の領土であることを確かに伝えるために行事を行う。」と語った。

Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: takeshima_makoto_japan 投稿日時: 2010/08/14 04:57 投稿番号: [18349 / 18519]
>公共の掲示板で「ウソツキ」と言うことばは使いたくないので、他にどう表現したらいいかなあ・・・・・・

それではペテン師、詐欺師、法螺吹きなどではいかがでしょうか?(ウソツキの言い換えは難しい!!)

Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/13 21:50 投稿番号: [18348 / 18519]
「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」の該当部分の翻訳です。



10 1900年、大韓帝国勅令41号により独島を韓国の領土として、西洋の国際法を参照して、世界へ改めて公布しました。

(4)日本側が1906年に大韓帝国政府に鬱陵島の所属島を質問してきた時、大韓帝国政府は、「1900年10月25日、政府会議を経て郡守を配置したが、鬱陵島の付属島嶼は竹島(竹嶼島を意味する)と石島で、その距離は合せて200余里(約80余km)」と返事しました。鬱陵島から100里あるいは200里離れた所にある島は東海には独島しかないので、石島が即ち独島であることが、もう一度再確認されたのです。

    「鬱島郡の配置顛末」の記事画像

  石島が鬱陵島から200余里(80余km)離れた島であることを明らかにして、石島が即ち独島であることを証明した大韓帝国内部の公文書を報道した「皇城新聞」1906年 7月13日付け記事。

(翻訳ここまで)



  実際の記事は、「その郡の所管島は竹島と石島で、東西が60里で南北が40里なので合わせて200余里という。」ですが、大先生の説明では「東西が60里で南北が40里なので」の部分が完全に無視されていて、単に鬱陵島から竹島/独島までの距離が200里と書かれているかのようになっています。

  こんな子どもだましのような説明を韓国人は果たして信じるのだろうか?


  公共の掲示板で「ウソツキ」と言うことばは使いたくないので、他にどう表現したらいいかなあ・・・・・・



「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」も何の進歩も見られない。

Re: 「韓国施政改善ニ関スル協議会」

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/13 21:11 投稿番号: [18347 / 18519]
良い資料を確認なさいましたね。

  ほんの一部だけですが、ここにも記録があります。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=cddeg&sid=1835396&mid=17368


   要するに韓国統監である伊藤と韓国政府との間では定期的に話し合いが行われていたわけで、韓国側の言う「日本の竹島編入に対して、外交権を日本に掌握されていた韓国政府は抗議ができなかったのだ」という主張がたわごとに過ぎないことが、今回確認なさった資料によって一層明らかになると思います。

日の出展望台 & 韓国が意図的に「誤訳」

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/08/13 20:48 投稿番号: [18346 / 18519]
菅さんの「お詫び」で物事が大きくなっております。「菅首相談話」よりも「太田総理と安倍元総理のトーク」の方がよっぽど日本の為になります。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。中国にも飛び火しちゃってますね。


さて、掲題の件ですが、西短が1回戦突破しましたので「日の出展望台」をアップしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/


next, coming up
■鬱陵島サイト(高校野球とタイアップ)
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/
西短1回戦突破で日の出展望台公開!(アップ済み)
西短2回戦突破で可頭峰公開!
西短3回戦突破でチュンドゥボン公開!
http://www2.asahi.com/koshien/
http://www9.nhk.or.jp/koushien/
■西短が負け以降は文章起し
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/oilfieldfact-1970/


今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
韓国が首相談話を意図的に「誤訳」、文化財すべて返還要求の声も
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0812&f=national_0812_180.shtml
独立運動団体が首相談話に反発「天皇による具体的な謝罪」を要求ー韓国
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0812&f=national_0812_090.shtml
日本首相の「韓国だけへの謝罪」に神経を尖らせる中国
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0813&f=politics_0813_006.shtml
【櫻井よしこ   菅首相に申す】36回…なぜ謝罪続ける
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100811/plc1008112356015-n1.htm

Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: takeshima_makoto_japan 投稿日時: 2010/08/13 17:45 投稿番号: [18345 / 18519]
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/02/july-1906-korea-omits-dokdo-from-uldo.ht ml で取り上げていますね。

「欝島郡の範囲は東西60里、南北40里だから周囲は合わせて200里ほどとなる」と読むんじゃないでしょうか。つまり東西24km、南北16km、周囲80kmほどの範囲が欝島郡であると言っているわけです。愼𨉷廈大先生の読み方はなんとか竹島を韓国領としたがためのこじつけとしか言いようがありません。素直に読めば鬱陵島の南東92km程の所にある竹島は版図外と朝鮮政府は認識していたことを示すとしか読めないでしょう。

1900年の勅令第41号には欝島郡の範囲は示されていませんが、その請議書には「該島地方は縦が八十里ほど、膻は五十里という。」(http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2010/02/1900-oct-22-petition-by.html )との記述が出てきます。皇城新聞の「鬱島郡の配置顛末」とは若干数字が異なりますが、いずれにしてもリアンクル島と呼ばれたこともある竹島は朝鮮の版図外であると朝鮮政府が認識していたという事実は覆しようがなさそうです。

すなわち、これは「512年の于山国の新羅帰順以来の朝鮮領である」との韓国側の主張を否定するものであり、1905年段階で竹島は無主地であったのであって、日本の先占は合法的に行われたものであるということでしょう。だからこそ初期の草案で韓国領としていたサンフランシスコ講和条約も最終的には日本の主張を認め、竹島を日本が放棄する地域に含めなかったのではないでしょうか。

Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/08/13 17:39 投稿番号: [18344 / 18519]
>「欝島郡の範囲は東西60里、南北40里だから周囲は合わせて200里ほどとなる」と読むんじゃないでしょうか。つまり東西24km、南北16km、周囲80kmほどの範囲が欝島郡であると言っているわけです。愼𨉷廈大先生の読み方はなんとか竹島を韓国領としたがためのこじつけとしか言いようがありません。

これはひどい。議論の余地もなく、ブログを参照するまでもなく、あきらかに仰る通りの理解が正しいわけで、こじつけもいいところです。話になりませんね。問題外。

こんな説明を、韓国の人は恥ずかしくないのか、私はそちらが不思議です。日本でこんなことを言い出す研究者がいたら、研究生活も危ぶまれるほどに信用をなくすことでしょう。この引用解釈は、韓国ならではの、議論以前のむちゃくちゃな話ですね。

Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: takeshima_makoto_japan 投稿日時: 2010/08/13 14:45 投稿番号: [18343 / 18519]
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2008/02/july-1906-korea-omits-dokdo-from-uldo.ht ml で取り上げていますね。

「欝島郡の範囲は東西60里、南北40里だから周囲は合わせて200里ほどとなる」と読むんじゃないでしょうか。つまり東西24km、南北16km、周囲80kmほどの範囲が欝島郡であると言っているわけです。愼𨉷廈大先生の読み方はなんとか竹島を韓国領としたがためのこじつけとしか言いようがありません。素直に読めば鬱陵島の南東92km程の所にある竹島は版図外と朝鮮政府は認識していたことを示すとしか読めないでしょう。

1900年の勅令第41号には欝島郡の範囲は示されていませんが、その請議書には「該島地方は縦が八十里ほど、膻は五十里という。」(http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2010/02/1900-oct-22-petition-by.html )との記述が出てきます。皇城新聞の「鬱島郡の配置顛末」とは若干数字が異なりますが、いずれにしてもリアンクル島と呼ばれたこともある竹島は朝鮮の版図外であると朝鮮政府が認識していたという事実は覆しようがなさそうです。

すなわち、これは「612年の于山国の新羅帰順以来の朝鮮領である」との韓国側の主張を否定するものであり、1905年段階で竹島は無主地であったのであって、日本の先占は合法的に行われたものであるということでしょう。だからこそ初期の草案で韓国領としていたサンフランシスコ講和条約も最終的には日本の主張を認め、竹島を日本が放棄する地域に含めなかったのではないでしょうか。

竹島でお風呂はどうしていますか?

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/13 14:01 投稿番号: [18342 / 18519]
朝鮮人軍はお風呂に入っていますか?

頑張ってくださいませ。

Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/13 13:42 投稿番号: [18341 / 18519]
  5月初旬の一連の独島の報道から7月13日の「鬱島郡の配置顛末」までの認識を新たにすることが出来ました。

  ところで、独島学会が、「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」という『PDF』を作成しています。シン・ヨンハ氏がまとめたものの様です。その30頁に次のとおりです。
  http://plaza1.snu.ac.kr/~bigbear1/booklet/dokdo16point.pdf

 --------------------
  日本から、1906年に大韓帝国政府に鬱陵島所属島の照会があったた時、大韓帝国政府は、「1900年10月25日政府会議を経て郡守を配置したが、鬱陵島の付属島嶼は竹島と石島で、その距離は合せて200余里(約80余km)」と返事しました。鬱陵島で100里または200里離れた所にある島は東海には独島しかないので、石島が即ち独島であることがもう一度再確認されたのです。
    「鬱島郡の配置顛末」の記事画像
  石島が鬱陵島から200余里(80余km)離れた島であることを明らかにして、石島が即ち独島なのを証明した大韓帝国内部の公文書を報道した黄城新聞。   1906年 7月 13日付け記事。
 --------------------

  と言うことなので、puracyaka2007さんへの反論は、「いいえ、韓国に対して勅令41号にかかる照会があったので、独島が韓国領であると回答しています。」となるのかも知れません。


 ---- 追伸 --------

  どなたか、「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」の該当部分を正しく翻訳していただけませんか。
  又、鬱島郡の配置顛末の皇城新聞記事が、独島学会の様に解釈できる可能性を教えて下さい。それはハングル文字を除くと「郡所管島■竹島石島■東西■60里■南北■40里■合200余里■■■」となっています。

韓国施政改善ニ関スル協議会

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2010/08/13 00:43 投稿番号: [18340 / 18519]
続きです。
時系列で並べてみますと,
4月19日   「韓国施政改善ニ関スル協議会第五回」
5月初旬   一連の独島の報道
6月25日   「韓国施政改善ニ関スル協議会第六回」参政大臣朴斉純は独島に言及せず(内部大臣李址鎔は欠席)
6月28日   伊藤統監高宗と正式謁見
7月2日    伊藤統監高宗と内謁見。
7月3日    「韓国施政改善ニ関スル協議会第七回」
7月12日   「韓国施政改善ニ関スル協議会第八回」
7月13日   皇城新聞「鬱島郡の配置顛末」記事
(すべて1906年中)
という流れです。
もし韓国政府が伊藤統監に対して独島が韓国領である旨説明する意思があったのであれば,その機会はいくらでもあったことは明らかです。しかし,当時の韓国政府はそれをしなかった。なぜか?それは独島が韓国領であるという証拠が見つからなかったからに違いありません。

◆あの悪党小沢!検察は諦めても、国税は

投稿者: jyougayayamatokome 投稿日時: 2010/08/13 00:07 投稿番号: [18339 / 18519]
諦めないぞ!

小沢一郎が中心になり「政治資金規正法」を改正しておきながら、それを悪用し不正蓄財を重ねてきた悪徳政治家=悪党小沢。
検察は人事で脅せば黙らせることができるかもしれませんが、国税はそうはいきません。
もし国税までもがこの様な悪党を見逃すことがあれば、もはやこの日本で誰も真面目に納税しようと思う者はいなくなるでしょう。

その辺の経緯を含め「悪党小沢」の実態を、「日本の良心」渡部昇一氏が詳しく書いています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★小沢氏は何で稼いだのか★
渡部昇一書下ろしニュースレター /抜粋

  民主党幹事長・小沢一郎氏の政治資金規正法違反問題や隠し資産問題で
検察はこれを不起訴とした。
  小沢問題の詳細はすでに報じられているからここでは割愛するが、
今度の騒ぎは小沢氏の政治資金管理団体である陸山会が東京・世田谷区に
約4億円で購入取得した不動産にもっぱら焦点が当たった。
これを事務所経費として計上しているが、名義は小沢氏個人であり、
これは政治資金規正法違反である、というわけである。
これに対して小沢氏は、この不動産は秘書宿舎であって、この事は公表しており、
名義については小沢名義になっているが、陸山会の財産を小沢氏個人の資産
にはしないという確認書を交わしていると主張、何の問題もないと説明した。
しかし、陸山会の代表は小沢氏なのである。
小沢氏の説明だと、「個人としての小沢氏」と「陸山会代表としての小沢氏」
の間で確認書が交わされたというわけである。
これだと、政治家というのは自分の資産財産を、これは自分個人のもの、
これは政治家としての自分のものと自分で好き勝手に仕分ければ、
それで通用してしまうことになる。
何とも噴飯物である。

  しかし、小沢氏への疑惑はこれだけではない。
4年ほど前に『週刊現代』が、陸山会が東京都内にマンション10戸、6億円以上を所有しているとしているが、名義はすべて小沢氏個人であり、
小沢氏の隠し資産である、と報じたことがあった。
小沢氏は名誉を傷つけられたとして、発行元の講談社などを告訴した。
ところがこの裁判は、一、二審とも小沢氏の敗訴だったのである。これに対して、小沢氏は最高裁に上告しなかった。
つまり裁判上は、陸山会が東京都内に所有するとする10戸のマンションは
小沢氏個人の隠し資産、ということで決着がついたのである。
この裁判は今度の騒ぎでは片隅に置かれた感じであまり表面には出てこなかった。
  しかし、新しく出てきた問題に、沖縄の基地予定地の近くの土地や
新しく候補地としてささやかれる島にも土地を買っているという問題もある。

それはともかく、小沢問題が浮上したとき、民主党最高顧問の渡部恒三氏が、
「山林など自分の財産を売って政治資金にし、それで丸裸になったという政治家の話しは聞いたことがあるが、政治資金で自分の不動産を買った政治家というのは聞いたことがない」
とコメントしていたが、うなずける素朴な感想である。

  だが、私にはそれ以上に素朴な感想がある。
小沢一郎氏の父親は代議士だった小沢佐重喜氏である。
事実はどうかは知らないが、岩手県出身の貧乏代議士でそれだけに清廉潔白
が売りの政治家で、一郎氏が相続した遺産は一文もなかったという。
その佐重喜氏が急死し、跡を継いで一郎氏が衆院選に当選したのは27歳だった。
以来、小沢氏はずっと衆議院議員一筋で、政治家以外の仕事はしたことはない。
すなわち収入は議員としての歳費だけのはずである。
にもかかわらず、わかっただけでも10数億円の個人資産を蓄えているのである。
これほどの金をどこから稼いだのか。賄賂以外には考えられないではないか。

疑念と危惧は深まるばかりである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Re: 太政官指令の外一島は古来の松島=現竹

投稿者: melancholy_night 投稿日時: 2010/08/13 00:06 投稿番号: [18338 / 18519]
オツムの中のOSがWindows95レベルでバグだらけなんでしょう。

Re: 太政官指令の外一島は古来の松島=現竹

投稿者: goodalgotsson 投稿日時: 2010/08/12 23:43 投稿番号: [18337 / 18519]
大きなお世話かもしれませんが、
あんまり考えすぎると、体に悪いですよ。
歴史の考察は、現代の風味と過去のランダムな資料でいろいろな
味付けが可能になります。
ともすれば、都合よく時間軸を長くしたり、短くしたり、わかりもしない
当時の人々の心情を妄想したりします。

少なくとも、多くの日本人を傷つけ、拘束し、人質にし、日本アシカを
絶滅させ、島の環境を破壊したのは、朝鮮人。

ただし、55年前の韓国は、独裁政治国家であり、悪い人が権力を
持ってしまえば、何をしでかすかわからない国。

今はどうか、一応、民主化して20年程度たっている。しかし、韓国人は誰一人
55年前の悪行に異を唱える人はいない。

機能的な問題によるものなのか?   何か意図があるのか?
どう思う。皆さん。

Re: 竹島

投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2010/08/12 00:02 投稿番号: [18336 / 18519]
久しぶりの投稿となります。
かなり前に「韓国施政改善ニ関スル協議会」の記録に有用な情報がある可能性があるという趣旨の投稿をしました。
肝心の「韓国施政改善ニ関スル協議会」の記録がどこにあるのかわからずそれっきりになっていたのですが,ひょんなことから「日韓外交資料集成6   上,中,下」(厳南堂書店)にすべて収録されていることが分かり,探したところ近所の県立図書館に収蔵されていることもあっさり判明しました。ちなみに当該書籍には伊藤統監と高宗の内謁見記録もすべて収録されています。
漢字カタカナ文で読みにくくて3巻中1巻をようやく読み終えたところですが,内容は目からウロコです。
気付いた点をいくつか挙げてみますと,
・伊藤が韓国大臣の意見を採用したり,議論の末妥協する場面が頻繁に見られる。
・伊藤が韓国大臣からの苦情処理をする場面がある。(日本人警察官の「不謹慎ナル言動」について法部大臣李夏栄から苦情を持ち込まれ,伊藤が文書訓示を行った事例,早稲田大学の学生討論会で韓国帝室を侮蔑する行為があったと大韓毎日新報が報じたため韓国政府が激怒し,伊藤が顛末を日本政府に照会した事例)
・郡主レベルの朝鮮人官吏とも面会していたらしい。(伊藤が平壌郡主と面会したと話す場面がある。)
・一般韓国人から手紙を貰っていたらしい。
上巻は明治40年5月30日の第16回協議会までですがその中には「独島」は出てきません。領土問題で話題になっているのは,間島と鴨緑江中の黄草坪という小島の帰属だけです。

Re: 太政官指令の外一島は古来の松島=現竹

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/08/08 00:35 投稿番号: [18335 / 18519]
尻切れトンボでしたでしょうか。

…そのような認識があれば、外務省で甲論乙駁など、はじめから存在しなかったことでしょう。

というようなことを続けて書いていました。

Re: 太政官指令の外一島は古来の松島=現竹

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/08/08 00:26 投稿番号: [18334 / 18519]
次のお返事ですが(便宜上番号を入れます)、
================ =
1. 幕末から明治の初期、日本海西部沿岸地方の人々は、しばしば鬱陵島に渡航していたようです。従って、島根県当局者は隠岐の西北に竹島と松島の2つの島があることは十分に承知していたでしょう。しかし、竹島とは現存しないアルゴノート島のことであり、松島は鬱陵島に相当するダジュレー島であるという、西洋の地図を知る人は極めて少なかったのではないかと思います。

2. ahirutousagi2様はまた、「太政官判断において竹島松島は版図外とされた。そして、松島は古来から認識されてきた松島と考えて差支えない。ただし、その島は鬱陵島の位置において認識された形で判断がなされた。結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった」と述べられました。

3. 上記の文章は私なりに次のように解釈しました:「太政官は竹島松島を版図外と判断した。松島は古来の松島である。ただし、その松島は鬱陵島の位置において認識されたので、太政官は鬱陵島と判断した。結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった(松島=現竹島は版図内)。」

4. 松島は、現代の地図で鬱陵島の位置にあるから、太政官は松島を鬱陵島と判断したということが、私にはどうもよく理解できません。確かに、隠岐から松島への距離80里は過大で、「現代の視角」から見ると鬱陵島の近くになります。しかし、更にその西北40里には竹島=鬱陵島が在ると、『原由之大畧』は記していますから、太政官は、松島を鬱陵島とは判断せず、やはり古来の松島=現竹島と判断した、と私は考えます。
================ =

1については「島根県当局者は隠岐の西北に竹島と松島の2つの島があることは十分に承知していたでしょう」というのはあたっていると思います。ただそれを超える斟酌をすべきものではないと理解しています。太政官、内務省もしかりです。結局、島根であれ太政官であれ、竹島と松島の二島を理解していたことが、松島=ダジュレー(の位置認識)との理解を否定する根拠には何らなりえものと思われます。

2は、そのままご理解下さい。私なりに簡単に書いたつもりでしたが、そんなに分かりにくい文章だったでしょうか。

3については、私の意図することとは明らかにいささか違った解釈が入り込んでいます。一つは、太政官が松島=ダジュレー=鬱陵島と判断したということです。私はそのように書いた記憶はありません。太政官が松島=鬱陵島と考えたというところまで私は踏み込んでいないということです。太政官は鬱陵島については何も語っていないのではないでしょうか(竹島の情況については言及があります)。私が申し上げたのは、太政官が現在の視角から確認できる鬱陵島の位置において松島を把握したこと、ということだけです。

二つめに、私は「松島=現竹島は版図内」とは書いた記憶がありません。私はこの外一島の理解は、この何年間も変わることのない考え方を持っていますがその一貫した考え方は、「リアンクール岩については明確な主権意識が欠けていた。基本的にリアンクール岩=無主地の理解であったと思われる」というものです。

4については、太政官は鬱陵島については何も語っていない、ということに尽きるのだろうと思います。太政官は竹島・松島を放棄した。それだけの話であり、また、その松島はほかでもなく、現在のまさに鬱陵島の位置で理解されていた、ということがいえるだけです。そして、それは、前後して出されている政府に関連する部署の地図にすべて統一的に整合性が取れるものであると同時に、天城の調査や三条実美の記述に至るまで、すべて何の矛盾もなく理解が可能である、ということです。

その後に知ったのですが、私の考え(私の考えは、ここで提示してもう何年にもなっています。そのころに私のような主張をしている方は誰もいなかったように記憶しているのですが)におおむね近い、次のような主張があることを知りました。全面的に同意すべきかどうかは、まだ読み込んでいませんが、さっと読んだところでは、かなり私の考えに近い印象を受けました。体力があるときにまたじっくり読んでみます。もしもよろしければご参考ください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B3%B6%E5%A4%96%E4%B8%80%E5%B3%B6

『原由之大畧』は、太政官が放棄した松島=リアンクール岩だったという根拠には、何もなっていないと思います。そもそも古来の松島=現竹島(つまりリアンクール岩)なんて認識が、普通にあったとは私は考えません。漁民は分かりませんが、島根県や内務省、太政官ら政府関係者においてです。そのよ\xA4

Re: henchin_pokoider01様へ

投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/08/05 22:35 投稿番号: [18333 / 18519]
henchin_pokoider01様は、“当時の欧米地図はリアンクールロック「ス」を2つの島として描いています。しかしながら、明治9年10月16日の「内務卿あて日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」では、松島を1つの島として記載しており、現竹島の形状上の最大の特徴である「隣接する2岩」とはなっていません。”と書いておられます。

しかし、島根県が明治9年10月16日、内務卿大久保利通に宛てた『日本海内竹島外一島地籍編纂方伺』には、『磯竹島略圖』という地図を添えましたが、それには、松島として、現竹島の形状上の最大の特徴である「隣接する2岩」が描かれています(内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社, 2007)。

島根県提出文書の一つ『原由之大畧』にある松島の記述は、“大きさ的には、地図に描かれたダジュレー、アルゴノートの2つの鬱稜島とは異なりますが、形状的にはリアンクールロックスとして描かれた現竹島とも異なる。このため、『この島根県の地理情報から政府が「松島=現竹島」と判断した』なんて断定は無理ですし、2つの岩として描かれた地図をもってその状況証拠とするは「結論ありきの物語」でしかないと思いますね。”とhenchin_pokoider01様は述べられました。

『原由之大畧』は、松島の大きさと位置を「周回三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許」、竹島のそれを「隠岐國ノ乾位一百二拾里許ニ在リ周囲凡十里許」と書いています。従って、henchin_pokoider01様が言われたように、大きさから松島を鬱陵島とするのは無理でしょう。しかも、『原由之大畧』は、松島が隠岐から竹島への航路の途中にある島と記しました。それ故、「隣接する2岩」を明白に描いた松島の地図とともに、これら島根県の地理情報から、政府(太政官)は「松島=現竹島」と判断した、と私は思っています。

henchin_pokoider01様はまた、“『塚本明毅は、「松島」を「竹島一件」で放棄した鬱陵島、「竹島」を烏有のアルゴノート島の位置に比定し、「竹島外一島」を版図外とした太政官指令に対し、ささやかな抗議の意を示しました』も噴飯ものですな。”と述べておられます。

島根県文書の竹島・松島と隠岐間の距離から、「竹島をアルゴノート(架空の鬱陵島)、松島を現鬱陵島に比定」されたのは、henchin_pokoider01様が恐らく最初ではないかと思います(No.2810)。塚本明毅は『Carte de l'empire du Japon』や『日本地誌提要』で「竹島松島」の日本領化を図りました。しかし、1877年3月の「竹島外一島本邦関係無之」とした「太政官指令」により、その意図は挫折しました。そこで彼は、henchin_pokoider01様の卓抜した識見と同じ様に、竹島をアルゴノート、松島を鬱陵島に比定して、抗議の意を表した、と私は考えております(Nos.15816, 15893)。今、henchin_pokoider01様は自らの優れた卓見を噴飯ものと思っておられるとは、驚きました。

太政官指令の外一島は古来の松島=現竹島

投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/08/05 22:28 投稿番号: [18332 / 18519]
ahirutousagi2様はNo.18325で、「外一島を松島と考えた。当たり前の話です。前からずっと私はそう言い続けています。それは古来からの松島であったと認識されたと言ってもよいでしょう。私もそう考えています。」と書かれました。

私は、ahirutousagi2様が島根県提出資料に記された外一島の松島を、古来の松島と認識されていたとは、全く思っていなかったので、非常に驚きました。先の投稿では余計な事を書いてしまった様です。大変失礼いたしました。

私が誤解していたのは、ahirutousagi2様が「政府から出ていた資料がことごとく竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーであった」と、繰返し何度も主張されていたのが、極めて強く印象に残っていたからです。古来の松島・竹島と西洋人命名のダジュレー・アルゴノートとは余りにも異質なので、容易に結び付きませんでした。

島根県が内務省に提出した資料の一つ『原由之大畧』は、竹島について「磯竹島一ニ竹島ト稱ス隠岐國ノ乾位一百二拾里許ニ在リ周囲凡十里許山峻嶮ニシテ平地少シ・・渓谷幽邃樹竹稠密・・魚貝ハ枚挙ニ暇アラス就中海鹿鮑ヲ物産ノ最トス・・」と書いています。この記事から、竹島は江戸時代初期、米子の大谷・村川両家が渡航し豊富な物産を持ち帰っていた鬱陵島であることが分かります。一方、松島については「次ニ一島アリ松島ト呼フ周囲三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許樹竹稀ナリ亦魚獸ヲ産ス」と書いています。松島は隠岐から竹島へ行く途中80里の所にあり、竹島は隠岐の西北120里にある、と記していますから、『原由之大畧』は、『隠州視聴合紀』や長久保赤水以来の地図に載せられた、古来の竹島・松島について述べていることは明らかです。

『原由之大畧』は、当時島根県参事の職にあり「松下村塾」で学んだ、境二郎が主体になり、竹島渡航者の談と松浦武四郎『竹島雜誌』(1854)等を参考にして、纏めたものと思われます(No.18184)。『竹島雜誌』は松島に関しては殆ど触れていませんが、『竹島圖説』を引用して、竹島は「隠岐の國松島の西島(分註:松島の一小屬島也。土俗呼て次島と云。)より海上道規凡四十里許り北の方に有」と記しました。境二郎については、Web竹島問題研究所のサイトに杉原隆氏による極めて優れた紹介があります。
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-1/takeshima04-o.html

幕末から明治の初期、日本海西部沿岸地方の人々は、しばしば鬱陵島に渡航していたようです。従って、島根県当局者は隠岐の西北に竹島と松島の2つの島があることは十分に承知していたでしょう。しかし、竹島とは現存しないアルゴノート島のことであり、松島は鬱陵島に相当するダジュレー島であるという、西洋の地図を知る人は極めて少なかったのではないかと思います。

ahirutousagi2様はまた、「太政官判断において竹島松島は版図外とされた。そして、松島は古来から認識されてきた松島と考えて差支えない。ただし、その島は鬱陵島の位置において認識された形で判断がなされた。結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった」と述べられました。

上記の文章は私なりに次のように解釈しました:「太政官は竹島松島を版図外と判断した。松島は古来の松島である。ただし、その松島は鬱陵島の位置において認識されたので、太政官は鬱陵島と判断した。結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった(松島=現竹島は版図内)。」

松島は、現代の地図で鬱陵島の位置にあるから、太政官は松島を鬱陵島と判断したということが、私にはどうもよく理解できません。確かに、隠岐から松島への距離80里は過大で、「現代の視角」から見ると鬱陵島の近くになります。しかし、更にその西北40里には竹島=鬱陵島が在ると、『原由之大畧』は記していますから、太政官は、松島を鬱陵島とは判断せず、やはり古来の松島=現竹島と判断した、と私は考えます。

鮮于栄俊博士謹製の于山国図

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/08/04 23:59 投稿番号: [18331 / 18519]
絶句。

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-2/takeshima05-i.html

韓国人はお風呂に入らんから

投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/04 20:10 投稿番号: [18330 / 18519]
あんな岩の上にいつまでもおれるのとちゃうかぁ(笑)

風呂に入る習慣がない奴らはどうしようもないなぁ(笑)

ポハン & 日本の、これから 日韓 14日

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/08/04 19:34 投稿番号: [18329 / 18519]
先週日曜日の「プロジェクト Japan」は非常に面白かったですね。竹島問題は一義的に韓国の不法占拠によるものですが、日本側も不法占拠を止めさせるチャンスを自ら放棄しました。「学問の竹島」とは違い「政治の竹島」とはそういうものです。

今週の日曜は「シベリア抑留」がございますが、
http://www.nhk.or.jp/special/onair/100808.html
12日(木) 夜10時からは「アッツ島玉砕」がございます。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/100812.html
しかし、皆さんが一番見たいのはやはり日韓に関する番組ではないでしょうか?そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。久々に「日本の、これから」が放送されます。これは激論になりそうですね。


さて、掲題の件ですが、鬱陵島とは直接関係の無い「ポハンからの行き方」をアップしました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/


next, coming up
■鬱陵島サイト(高校野球とタイアップ)
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/
西短1回戦突破で日の出展望台公開!
西短2回戦突破で可頭峰公開!
西短3回戦突破でチュンドゥボン公開!
http://www2.asahi.com/koshien/
http://www9.nhk.or.jp/koushien/
■西短が負け以降は文章起し
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/oilfieldfact-1970/


今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
「日本の、これから   若者が考える日韓の未来」14日(土) 夜8時〜11時
http://www.nhk.or.jp/korekara/

上げ  レッドサンが攻めてくる!!

投稿者: cyan_poko 投稿日時: 2010/08/01 20:20 投稿番号: [18328 / 18519]
黒船の襲来!!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

米国人が想像したとてつもない日本

http://www.youtube.com/watch?v=x8zYoU0QW6o&feature=related

濱崎&#27493;10週年演唱會片段-1.mpg

http://www.youtube.com/watch?v=jQrvX82YhYg&translated=1

Re: >Re: 『大日本府縣分轄圖』について

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/07/29 07:23 投稿番号: [18327 / 18519]
>欧米の地図のLiancourt RocksやHornet Rocks、海軍水路寮『朝鮮東海岸
>圖』(1876)のヲリウツ礁・メ子ライ礁に相当することを承知していたで
>しょう(No.17667)。
これは酷いね。以前、「禹用鼎が調査で竹島を確認した」って感じで物語を創り上げていたことを思い出します。
当時の欧米地図はリアンクールロック「ス」を2つの島として描いています。しかしながら、明治9年10月16日の「内務卿あて日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」では、松島を1つの島として記載しており、現竹島の形状上の最大の特徴である「隣接する2岩」とはなっていません。

------------------------------------------------
次ニ一島アリ松島ト呼フ周回三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許樹竹稀ナリ亦鳥獣ヲ産ス
------------------------------------------------

大きさ的には、地図に描かれたダジュレー、アルゴノートの2つの鬱稜島とは異なりますが、形状的にはリアンクールロックスとして描かれた現竹島とも異なる。このため、『この島根県の地理情報から政府が「松島=現竹島」と判断した』なんて断定は無理ですし、2つの岩として描かれた地図をもってその状況証拠とするは「結論ありきの物語」でしかないと思いますね。

『塚本明毅は、「松島」を「竹島一件」で放棄した鬱陵島、「竹島」を烏有のアルゴノート島の位置に比定し、「竹島外一島」を版図外とした太政官指令に対し、ささやかな抗議の意を示しました』も噴飯ものですな。「経済水域」もなく、1870年代では「日ロ戦争の通信用」とかいう中井の海驢猟を無視した動機さえない。これも根拠なく自分の結論にあわせた物語だな。

国際法においてこのような間接的推定に駄目出しをしているのは、このような結論にあわせた推定ができてしまうからでしょう。

西短 & 日韓基本条約と竹島 1日夜9時

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/07/26 19:15 投稿番号: [18326 / 18519]
昨日のNHKスペシャルでは知らないことが沢山御座いました。戦前はアイヌ民族に選挙権が無い一方、日本に居る朝鮮人には選挙権があるとは存じませんでした。皇民化政策っていろんな意味で凄いですね。今度の日曜日には、いよいよ日韓基本条約と竹島問題が出てきます。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。これはもう見るしかありません!


さて、マルジャンドゥンの残りである下山編を公開します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/


next, coming up
■鬱陵島サイト(高校野球とタイアップ)
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/
西短1回戦突破で日の出展望台公開!
西短2回戦突破で可頭峰公開!
西短3回戦突破でチュンドゥボン公開!
http://www2.asahi.com/koshien/
http://www9.nhk.or.jp/koushien/
■西短が負け以降は文章起し
http://www.tanaka-kunitaka.net/senkaku/oilfieldfact-1970/


今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
「プロジェクト Japan 第5回   日韓関係はこうして築かれた」
http://www.nhk.or.jp/special/onair/100801.html
日韓国交正常化。そこにはパク・チョンヒ(朴正熙)大統領と岸信介元首相の密接な関係がある。二人に共通なのは満州国の体験。パクは満州軍官学校を卒業、満州国軍の中尉だった。一方岸は革新官僚として産業化を推進した。戦後パク大統領は対日外交で旧満州の人脈を利用。日本から援助を引き出し、経済成長を成し遂げたが、歴史認識や竹島等の問題が残された。2人の指導者を中心に日韓国交正常化を新資料と証言で追う。

Re: >Re: 『大日本府縣分轄圖』について

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/07/24 10:43 投稿番号: [18325 / 18519]
>外一島を松島と考えた根拠は、No.18184で詳述しましたが、再度ここに示します。

私はそんなことは聞いていないのですが。文章力のなさを申し訳なく思う次第ですが、コミュニケーションがなりたたないことを残念に思います。外一島を松島と考えた。当たり前の話です。前からずっと私はそう言い続けています。それは古来からの松島であったと認識されたと言ってもよいでしょう。私もそう考えています。そのうえで「次ニ一島アリ松島ト呼フ周回三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許樹竹稀ナリ亦魚獸ヲ産ス」がなぜリアンクール岩に比定できるのか、という位置的な問題を問うているのです。どうしてもご理解いただけないでしょうか。

当時の政府関連部署から見受けられる地図は点線であれ、朝鮮全図にされているものであれ、何にしても竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーです。私がメモとしてとってあるの政府関連部署の地図はお示しした通りです。ほかにも陸軍水路局や海軍による地図があるものと承知していますが、すべて同様であると記憶しています。重要なのは、そこに一貫しているのは、竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーという認識でしょう。点線は、極端に申しましてどうでもよい話です。

>「逆に聞きましょうか。太政官が竹島をリアンクール岩に比定したとする根拠は何ですか?」とお尋ねになりましたが、質問の意味が分かりません。

単純ミスです。申し訳ありません。意味は汲み取っていただいていることかと思いますので議論をそのまま続けますが、

>「内務省と太政官は、島根県提出の文書と地図によって、「松島」は「竹島(鬱陵島)」の東南40里に在ることを知りました。そして、その「松島」は、欧米の地図のLiancourt RocksやHornet Rocks、海軍水路寮『朝鮮東海岸圖』(1876)のヲリウツ礁・メ子ライ礁に相当することを承知していたでしょう(No.17667)。

と、どうして勝手に推測できるのでしょうか。17667を読んでも意味が分かりません。私の知る限り、当時の政府関連部署のすべての地図が竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーとし、さらに、太政官判断のあと天城の調査や「大日本府県分轄図」、太政大臣三条実美の記録でも松島=ダジュレーに変わりはありません。これらのすべての条件を排除して、じつは内務省と太政官は松島=リアンクール岩だったと承知していたと推論する、その根拠を繰り返しお尋ねしていますが、半月城さんにしても、アラレさんにしても出てくるのは「現代からの視角」のみのようです。

私は、当時の認識において、その推論は成り立たない。あるいは成り立つ根拠が何もない。むしろ、整合性を考えれば、松島=ダジュレーと位置的に考えたとしか理解しようがない、と申し上げている次第です。

>その説明書の『日本地誌提要』では「松島竹島」を隠岐国条に配し(No.15715)、『大日本府縣分轄圖』の「大日本全國略圖」で、「松島竹島」を一度は隠岐や山陰道と同色に彩りました。

色はどうでもいいです。私が申し上げているのは、「大日本府県分轄図」でさえ、竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーの位置で島を記しているということです。アラレさんの話はご苦労様とは思いますが、ミクロの話で煙にまいているだけの話で、結局は、内務省・太政官が松島をリアンクール岩に比定していた根拠は何も提示していらっしゃいません。ミクロにこだわるあまり、さまざまな事象の整合性はまったく取れているようにも見えません。これでは天城の調査や三条実美の記述も、また御大層な理由付けをなさることになるのではないでしょうか。

難しいことは何もないと思います。太政官判断において竹島松島は版図外とされた。そして、松島は古来から認識されてきた松島と考えて差支えない。ただし、その島は鬱陵島の位置において認識された形で判断がなされた。結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった、ということです。

内務省・太政官がリアンクール岩を松島と考えて、その上で版図外としたという根拠は何もありません。それこそ外務省の甲論乙駁や地理的な混乱が収束した後世の言及などでも持ち出さない限り、理由付けはできないことでしょう。それが太政官判断と結びつく根拠もこれまた何もないというわけです。私は、事象は事象のままにそのままに解釈をすればよい、整合的に資料をとらえるべきだろう、と申し上げているに過ぎません。

>Re: 『大日本府縣分轄圖』について

投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/07/23 22:36 投稿番号: [18324 / 18519]
ahirutousagi2様、再び『大日本府縣分轄圖』について議論できることに感謝します。有難うございました。

ahirutousagi2様は、1877年内務省と太政官が「竹島外一島本邦関係無之」とした外一島を、「松島=リアンクール岩と考えた根拠をお尋ね」になったので、先ずそれについてお答えいたします。

外一島を松島と考えた根拠は、No.18184で詳述しましたが、再度ここに示します。

1876年10月、内務省地理寮は地籍編纂のため島根県に竹島について問合せたので、島根県は「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」を、付属文書とともに内務省に提出しました。付属文書の一つ「原由之大畧」は松島を次のように記しました:「次ニ一島アリ松島ト呼フ周回三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許樹竹稀ナリ亦魚獸ヲ産ス」。この記述から、松島は『隠州視聴合紀』『隠岐古記集』『竹島圖説』や長久保赤水『日本輿地路程全圖』の古くからの松島と判ります。従って、この松島が、竹島(鬱陵島)の東北2kmの竹嶼やシーボルトが誤って名付けた松島=ダジュレー=鬱陵島とは、全く考えられません。

ahirutousagi2様は、「政府関係部署から出ていた地図は、ことごとく竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーです。」と述べられました。それらは、ahirutousagi2様がNo.18320で示された、1867年の勝海舟識『大日本國沿海畧圖』や1875年の陸軍参謀局『朝鮮全圖』等と思われます。前者は、鬱陵島を松島とし、朝鮮よりに点線で竹島、隠岐よりにリェンコヲルトロックとして二つの小島を載せています。また後者も、鬱陵島を松島とし、その西北に点線で竹島を描いております。しかし、ahirutousagi2様は“ただ、点線の図を「基準」にするなどとは、私は今まで一言も申し上げていません。”と書いておられるので、「ことごとく竹島=アルゴノート、松島=ダジュレー」である、政府関係部署から出ていた地図を、具体的にご教示いただければ幸いです。

ahirutousagi2様はまた、「逆に聞きましょうか。太政官が竹島をリアンクール岩に比定したとする根拠は何ですか?」とお尋ねになりましたが、質問の意味が分かりません。「太政官が竹島をリアンクール岩に比定した」とは初めて聞きました。もし竹島が松島の間違いならば、先に述べたように、内務省と太政官は、島根県提出の文書と地図によって、「松島」は「竹島(鬱陵島)」の東南40里に在ることを知りました。そして、その「松島」は、欧米の地図のLiancourt RocksやHornet Rocks、海軍水路寮『朝鮮東海岸圖』(1876)のヲリウツ礁・メ子ライ礁に相当することを承知していたでしょう(No.17667)。ただし、内務省・太政官は外一島を古来の松島に比定しただけです。

塚本明毅の件は、「“その通りで、塚本明毅が歪曲した。外一島の判断に抗議する形であった。ただし、日本政府がリアンクール岩を放棄したということは変わらない”というお話のようですが、あまり妥当性があるような話に見せません。」と述べられました。ここで「塚本明毅が歪曲した。」と書いておられますが、「歪曲」という言葉は好みません。塚本明毅は、1873年の『Carte de l'empire du Japon』にMatsou I.とTake I.を描き(No.15816)、その説明書の『日本地誌提要』では「松島竹島」を隠岐国条に配し(No.15715)、『大日本府縣分轄圖』の「大日本全國略圖」で、「松島竹島」を一度は隠岐や山陰道と同色に彩りました。従って、塚本は「松島竹島」を日本領とする意図がありました(No.15893)。しかし、これは「歪曲」ではありません。ただし塚本明毅は、1882年以降の改訂版では、太政官の決定に従い「松島竹島」を日本の版図外にした、というのが私の結論です(No.18250)。

ahirutousagi2様は最後に、“私は、日本政府はリアンクール岩を「無主地」と考えていただけの話だと結論付けています。”と書かれました。博識のディレッタント大槻修二も同様に、1875年の『日本地誌要略』初版で、松島竹島を「居民統屬ナク」と記し、無主地と見做しました(No.15715)。しかし、日本政府は1877年3月、竹島(鬱陵島)とともに、古来の松島である外一島を、日本の「版圖外」と定めました。

> 竹島

投稿者: cyan_poko 投稿日時: 2010/07/22 17:54 投稿番号: [18323 / 18519]
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/

韓国民に見せたい動画

投稿者: cyan_poko 投稿日時: 2010/07/20 14:18 投稿番号: [18322 / 18519]
http://www.youtube.com/watch?v=E9yQaxNiRzo&feature=related

マルジャンドゥン & 在日 25日夜9時

投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/07/19 17:13 投稿番号: [18321 / 18519]
皆様、3連休はいかがお過ごしでしょうか?今日からFIFAの方々が4日間滞在して2022年に日本で開催するかどうかの確認を致します。そのことを意識してかどうか知りませんが、今週の日曜日に「中田英寿が見たワールドカップ」が放送され、同日在日韓国人に関するNHKスペシャルがございます。ただ今日はこれで決まりでしょう。そこで本日の尖閣掲示板エンディングテーマが決まりました。たけちゃん、よろしくお願いします。


さて、掲題の件ですが、京都で自民の二之湯氏がみごと当選しましたので「マルジャンドゥン」の登山編を公開します。
http://www.tanaka-kunitaka.net/ulleungdo/
マルジャンドゥンから聖人峰を望見しても2つの峰しか見えません。三峰島ではなく二峰島のようですね。なぜでしょう?私の予測が間違っていたのでしょうか。


next, coming up
■鬱陵島サイト(オールスターとタイアップ)
「マツダオールスターゲーム2010」公式サイト
http://allstargame.npb.or.jp/
「テレビ朝日 オールスターゲーム」 7月23(金)24(土)
http://www.tv-asahi.co.jp/baseball/
※ソフトバンク選手が最優秀選手に選ばれたら「チュクド展望台」公開!



今日の尖閣掲示板エンディングテーマ
●「ビートたけしのTVタックル3時間スペシャル」
http://www.tv-asahi.co.jp/tvtackle/
真夏の参院選大反省会!!どうしてくれる国民生活!!国会議員へ直訴するゾ!!SP   政局よりも生活だ!!さまざまな職業の怒れる庶民50人がスタジオ集結!永田町時代劇&たけしロケ企画は政界揺るがしたあの事件の真相を!
●「中田英寿が見たワールドカップ」7月25日(日)16:40
http://www.nhk.or.jp/sports2/soccer/soccer.html
●「プロジェクト Japan 第4回   在日コリアンの戦後」
http://www.nhk.or.jp/special/onair/100725.html
“在日コリアン”の法的地位。その原点はGHQ占領期にある。敗戦後“在日”の多くが在日本朝鮮人連盟(朝連)を軸に、民族教育を求めた。しかし、GHQは冷戦の中で共産主義の運動と警戒を強め、1948年、神戸に非常事態宣言を発令し「阪神教育闘争」が起きる。一方、日本政府は「外国人登録令」をだし“在日コリアン”を外国人と見なした。GHQ文書や証言を基に“在日コリアン”をめぐる政策がつくられていく過程を追う。

Re: 『大日本府縣分轄圖』について

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/07/18 22:18 投稿番号: [18320 / 18519]
おまけです。アレレさんの見解も入れておきました。

1867年   勝海舟「大日本国沿海略図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島)
1875年   陸軍参謀局「朝鮮全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)
1877年   文部省「日本全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)
1877年   太政官判断。
1878年   外務省、鬱陵島=松島。(竹島言及なし)
1880年   天城艦の調査(鬱陵島=松島、竹島は北方の厳石)
1881年   内務省地理局「大日本府県分轄図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島…半月城さん「偶然の一致」、ararenotomo1さん「塚本明毅による外一島の判断への抗議」)
1881年   内務省が外務省に鬱陵島照会。外一島資料添付。反応なし。
1882年   鬱陵島への日本人渡航について朝鮮政府から抗議。
1883年   鬱陵島渡航禁止
1883年   太政大臣三条実美、同上令において「北緯37度30分、東経130度49分に位置する日本称する松島、一名竹島、朝鮮称する鬱陵島」と記録。

Re: 『大日本府縣分轄圖』について

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/07/18 22:05 投稿番号: [18319 / 18519]
ararenotomo1様

多忙につき、返事が遅れました。いずれにしても、私にはさほどの説得力は感じられませんでした。また、どうも議論がかみ合わない印象です。

>もしかするとahirutousagi2様は、1867年の勝海舟「大日本国沿海略図」(アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島)や1875年の陸軍参謀局「朝鮮全図」(鬱陵島が二つに分かれて竹島・松島)などの翻訳図を、「基準」と考えられているのではないでしょうか。

何か勘違いされていらっしゃるようです。島根県提出の文書が重要であることは言をまちません。一方で、当時の太政官がその竹島・松島をどの島に比定していたかは別途、総合的に考えるべき問題です。つまり、私は太政官が松島=リアンクール岩と考えた根拠をお尋ねしているに過ぎません。

現代の目から見てそれはリアンクール岩である、という返答には私は関心がありません。例えば、半月城さんの主張はまさにそれに一貫しています。私はそれは何の意味もない話だと思います。当たり前のことだからです。外一島の問題は太政官がどの島を比定して、松島・竹島を理解したかにあると考えます。現代から見てどうだというのはどうでもいいのです。

>それ故、「政府から出ていた資料がことごとく竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーであった」とは決して言えないと思います。鬱陵島をダジュレー=松島とした陸海軍の地図も、アルゴノート=竹島は点線で示していることにもっと注目すべきでしょう。

外務省の田辺、渡辺らの甲論乙駁は、私は基本的に傍論であると思っています。要するに、そういう見方も外務省であったということに過ぎないということです。一方、政府関係部署から出ていた地図は、ことごとく竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーです。ほかにありますでしょうか。

たとえ、それが点線で描かれていようと朝鮮の図に含まれていようと関係はありません。竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーという認識があったということ、それこそが外一島の判断に影響をおよぼすものと思われます。その外的(位置的)理解と、島そのものの理解(島根の資料)が合わさって外一島の判断がなされたものと考える次第です。

>勿論、他の資料も参考にしたことは否定しませんが、もし竹島を点線で示した翻訳図を「基準」とするならば、烏有のアルゴノートの位置に竹島を描くのは明らかに矛盾します。

当然ながら、当時のほかの資料も参考にしたことは想像に難くありません。それを考えてくださることは評価します。たとえば、半月城さんはそれをも否定していますが、それはまさに暴論としか言いようがないと私は思っていますので。ただ、点線の図を「基準」にするなどとは、私は今まで一言も申し上げていません。

この問題の理解は、全体的な流れを見るべきであり、その流れの中で整合性がとれる理解をすべきだと繰り返し書いてきました。その整合性は太政官が竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーと判断したということでしか、成り立たないといっても過言ではないと思います。

逆に聞きましょうか。太政官が竹島をリアンクール岩に比定したとする根拠は何ですか?外務省の甲論乙駁が太政官の判断にどういう形で影響を及ぼしたのか、根拠をお持ちでしょうか。私はそんなものはないと思いますが。

また、塚本明毅の件ですが、正直、何を仰りたいのか、意味がよく分かりませんでした。読解力がなくて申し訳ありませんが、私の疑問には何の返答にもなっていなかったように感じます。

私は「1881年の内務省地理局「大日本府県分轄図」をどのように理解されるのでしょうか。アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島となっていますが、これは内務省地理局の歪曲ということで理解すればよろしいのでしょうか。本当はリアンクール岩を放棄していたのに、気(政策)が変わったので、方向転換したというご意見でしょうか」と書きました。

お返事は、私なりに読み取ったところでは、「その通りで、塚本明毅が歪曲した。外一島の判断に抗議する形であった。ただし、日本政府がリアンクール岩を放棄したということは変わらない」というお話のようですが、あまり妥当性があるような話に見せません。ほかの資料と比べてどうでしょう。たとえば、1883年の三条実美の記述も、お話とは相反するものとなります。

私は、日本政府はリアンクール岩を「無主地」と考えていただけの話だと結論付けています。外一島の判断においてリアンクール岩を放棄した(太政官が正確にリアンクール岩と判断して)という根拠は、私の知る限り、ありません。あれば教えていただければ幸いです。島根の資料で、太政官がリアンクール岩に比定したと結論づけることは、不可能であるとすべきでしょう。付属地図までも含めてです。
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