竹島
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太政官は竹島外一島を鬱陵島・現竹島と認識
投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/08/16 23:19 投稿番号: [18362 / 18519]
ahirutousagi2様、ご返事ありがとうございます。
少し誤解しておりました。確かに、ahirutousagi2様が述べておられるのは、太政官は竹島と松島を版図外にした、だけですね。大変失礼いたしました。
私が誤解したのは、ahirutousagi2様が、「結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった」と書かれたからです。これはahirutousagi2様の解釈ですね。
私は、内務省や太政官が、島根県提出の資料から、松島をダジュレー島に比定したとは考えません。島根県提出資料は、No.18332で示したように、古来の竹島・松島について詳述しており、松島=ダジュレー島を示唆するものは何もありません。
1876年10月16日付で、島根県が提出した資料は古来の竹島を鬱陵島とは言っていませんが、内務省は1877年3月17日に、『旧政府評議之旨意』(一号文書)等を加えた『日本海内竹島外一島地籍編纂方伺』を太政官に提出しました(内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社, 2007)。一号文書には所謂「竹島一件」で幕府が竹島=鬱陵島(蔚陵島)を放棄したことが明記されています。
ahirutousagi2様はまた、「その松島はほかでもなく、現在のまさに鬱陵島の位置で理解されていた、」と述べられました。『原由之大畧』の「松島」の位置は、「現代の視角」から見ると鬱陵島の近くになります。しかし私は、『原由之大畧』の記事から、内務省・太政官はその「松島」を隠岐から竹島へ行く途中にある島と理解していた、と思います(No.18332)。さらに、内務少輔前島密は、「古来の松島」が勝海舟識『大日本國沿海畧圖』で「リエンコヲルトロック」となっていることを知っていた、とahirutousagi2様が紹介された「ウィキペディア:竹島外一島」は記しています。
私は「ウィキペディア」の「竹島外一島」の項目を前に読んだことがありますが、何とも歯切れが悪い曖昧な文章が多く、どうもよく理解できませんでした。それでも、「竹島外一島」は鬱陵島と現竹島を意味しない、という日本の一部にある主張に、根拠を与えようと懸命に努力されていることは分かりました。ahirutousagi2様の優れた文章力によって、この項目が一読して理解できるようになればと期待しております。
「ウィキペディア:竹島外一島」には、「明治10年頃の状況、内務省の立場、情報を纏めると、」として、“(6)前島密ら明治政府は欧米列強各国からの相次ぐ情報から、幕末時に勝海舟が編纂した『大日本国沿海略図』では鬱陵島が二重描画になっていて「竹島」は架空島で、海図上の「松島」が鬱陵島である蓋然性が高いことを知っていた。(7)前島密らは欧米列強各国からの相次ぐ情報で、シーボルト海図以前の徳川時代に「松島」と呼ばれていた島は、『大日本国沿海略図』では「リエンコヲルトロック」となっていることを知っていた。”と記されています。
前島密は、箱館の諸術調所で武田斐三郎に航海術を学び、1859〜1861年に函館から日本海を南下し太平洋岸に出て函館に戻る航海や、ロシア領ニコライエフスクへの航海等を行っています。また、鹿児島・対馬から北海道まで日本全土を何度も旅行し、地理には精通していましたから、上記の「ウィキペディア」の記述は頷けます。
http://www.japanpost.jp/corporate/founder/index02.html太政官は、1877年3月17日に提出された「竹島外一島本邦関係無之」とした内務省からの「伺」を審議し、1877年3月29日、内務省からの「伺」どおり、「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」と指令しました。竹島外一島は、上述の記事から、竹島は鬱陵島、外一島は古来の松島=リアンクール岩=現竹島であることは明らかです。
これは メッセージ 18334 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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Re: ふと考えて見た
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/16 07:21 投稿番号: [18361 / 18519]
ええと・・・・・・コメントありがとうございます。が、私がふと思ったのは1900年の勅令制定時の資料ではなくて、1906年の統監府の質問とそれに対する大韓帝国政府の回答に関する文書に関してでした。制定時には地図が添えられていなくても、6年後のやりとりはまた別でしょうから。
これは メッセージ 18360 (puracyaka2007 さん)への返信です.
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Re: ふと考えて見た
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2010/08/16 06:31 投稿番号: [18360 / 18519]
chaamiey様
>鬱島郡の配置顛末(1906.7.13
皇城新聞)の記事のもととなった往復公文書は現存していないのだろうか。
>報道された内容は簡単なものであっても、実際の回答文書には正式な回答文書のほかに説明のための参考資料として勅令41号全文の写しとか「竹島、石島」の位置を示す地図くらいは添付されているのが普通ではなかろうか、と思う。
Web竹島問題研究所2008年11月分の回答に次のものがあります。
【質問1】
実事求是10に、「勅令第41号が裁可される前日、内部大臣李乾夏が提出した請願書に「該島地方は縦八十里、横五十里たるべし」とあるように、その中に竹島(竹嶼)と石島も含まれていたということである。」とあるが、勅令第41号の起案書や請願書には地図は添付されていないのだろうか。
<回答>
「勅令第41号」の請議書に、地図が添付されていたかとのご質問に対し、お答えします。結論から申しますと、地図は添付されておりません。
しかし、「勅令第41号」の第二條で欝島郡の行政区域に加えられた石島が、今日の竹島(独島)でないことは明らかです。「勅令第41号」の公布に繋がる内部大臣李乾夏の「欝陵島を欝島と改称し、島監を郡守に改正するに関する請議書」は、1900年6月、欝陵島に派遣された視察官禹用鼎等の視察録を基にしており、禹用鼎が残した『欝島記』では、欝陵島の疆域を「周廻亦可為一百四五十里」としているからです。この事実は、極めて重大です。
禹用鼎が欝陵島の疆域を「周廻亦可為一百四五十里」としたのは、1882年5月、高宗の命を奉じ、欝陵島を踏査した李奎遠の『欝陵島検察日記』・『啓本草』等を踏襲しているからで、李奎遠は欝陵島の疆域を「一百四五十里許」、「周回仮量為一百四五十里」とし、欝陵島開拓の必要性を奏上しています。そこで高宗は、それまで渡海を禁じていた欝陵島の開拓を命じますが、同時にそれは欝陵島の疆域が定まった時でもありました。
ここで問題になるのは、李奎遠が「周回仮量為一百四五十里」とした中に、今日の竹島が含まれていたのかどうかです。それを知る手がかりは、同行した画員劉淵■の『欝陵島外図』の中にあります。この『欝陵島外図』も、李奎遠によって高宗に奏上されますが、そこには「勅令第41号」に登場する竹島(竹嶼)と、後に鼠項島となる島項の二島が描かれているだけで、今日の竹島は描かれていません。
ということのようです。
これは メッセージ 18359 (chaamiey さん)への返信です.
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ふと考えて見た
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/16 01:09 投稿番号: [18359 / 18519]
鬱島郡の配置顛末(1906.7.13
皇城新聞)の記事のもととなった往復公文書は現存していないのだろうか。
報道された内容は簡単なものであっても、実際の回答文書には正式な回答文書のほかに説明のための参考資料として勅令41号全文の写しとか「竹島、石島」の位置を示す地図くらいは添付されているのが普通ではなかろうか、と思う。
もし韓国政府にそういう地図も含めて文書が残っているならば、それを公開すれば「石島」は明らかに「独島」であることが分かって、「石島は観音島ではないか」などという「妄言」を吐く日本人をギャフンと言わせられるのに。公開されないということは、そういう資料は残っていないのかなあ。
日本側については、まず、その当時、この件についてのやりとりが本国政府にまで報告されていたのかどうかが問題です。単に現地の統監府の判断だけで事実を確認しようとしたのであれば、文書は統監府限りのものとなり、現在の日本政府には全く残っていないことになります。
ただ、統監府が、「こんな話があったので、こういうふうに確認したよ」と本国政府に報告していたならば、文書が残っている可能性もあります。
どうなんでしょうねぇ。
これは メッセージ 18357 (chaamiey さん)への返信です.
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国際司法裁判所の小和田所長は
投稿者: kiyoakl 投稿日時: 2010/08/16 00:16 投稿番号: [18358 / 18519]
雅子様の父親ニダ
愛子様の祖父ニダ
これは メッセージ 18356 (heisinokumaarasi さん)への返信です.
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Re: 国に恥をかかせるようなこと 1
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/16 00:12 投稿番号: [18357 / 18519]
鬱島郡の配置顛末(1906.7.13
皇城新聞)
統監府から内務部に照会があって、江原道三陟郡管下に所在する鬱陵島に所属する島嶼と郡庁設置年月を示せとのことであったので回答が出され、光武二年五月二十日に鬱陵島監を置いていたが、光武四年十月二十五日に政府会議を経て郡守を配置し、郡庁は台霞洞に在り、その郡の所管島は竹島、石島で、東西が六十里で南北が四十里なので、合わせて二百余里だとしたという。
現時点ではこの記事しか手がかりがないので、正確な解明ができないわけですが、統監府が「何の理由で」、「何について」質問したのかが重要ですね。
記事によれば、照会事項は「鬱陵島に所属する島嶼」と「郡庁設置年月」の二つであったように見えます。ところが韓国政府の回答は、その二つのほかに、「郡庁の位置」と距離なのか範囲なのか判然としない「数字」が回答されています。
では、「郡庁の位置」と「数字」は、聞かれてもいないことを回答したのか、という疑問が生じますが、私はそうではなかろうと思っています。
まず、郡庁の位置については、聞かれているのは郡庁の設置年月であるわけですが、設置年月を回答しようとすれば、自然に、「郡庁は台霞洞だが」というくらいの説明はくっつくものと思います。まあ、聞かれていないことを回答したと言えないこともないですが、郡庁の設置年月を回答する際の補足説明でしょうから、全く無関係のことを回答したとは言えません。
次に謎の数字ですが、これも、聞かれていることと全く無関係のことを回答するはずはないので、聞かれている「鬱陵島に所属する島嶼」を説明するために必要であったから付け加えられたと考えるのが自然でしょう。
「鬱陵島に所属する島嶼」は勅令には「竹島、石島」とありますが、これではどこにある島なのかさっぱり分からないので、正確に回答するためには、勅令には書いてないけれども数字を持ち出す必要が生じます。
では、その数字は、大先生が言うように距離を示すものなのか?
海上の島と島との間の距離を示すのならば、方角と距離を示せば良いわけです。「鬱陵島から東南東に○○里」とかいう言い方で。ところが、この回答では「東西が六十里で南北が四十里だから合わせて二百余里」ですから、これはとても2地点間の距離を指すものとは言えない。明らかに何かの「範囲」です。大先生はこの点を無視しました。
これは、やはり、「所管する島は竹島、石島」というだけではどこらへんにあるのかさっぱり分からないので、それらの島は「東西が六十里で南北が四十里、合わせて二百余里」の四方の範囲内にある、と説明したものだ、と考えるのが最も自然ですね。
また、柳美林氏が「東西が60里で南北が40里なので合わせて200余里」は鬱陵島そのものの範囲を言ったものだというのも、何の根拠がある話なのか。統監府の照会事項は「鬱陵島に所属する島嶼」と「郡庁設置年月」の二つであったわけで、鬱陵島の面積を回答する必然性は何もないです。
統監府は、要するに、日本が韓国の領土を誤って竹島として編入したのかそうではないのかをはっきりさせたかったから「鬱陵島に所属する島嶼」を中心とするこの照会を出した(と私は考えている)のであって、鬱陵島の面積なんかはこの場合はどうでもいいことだったはずです。
ただ、柳美林氏の見解は、大先生の「二百里は独島までの距離だ」という見解を否定していることにはなりますね。
これは メッセージ 18352 (take_8591 さん)への返信です.
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国際司法に出て来れない情けない人たちです
投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/15 22:51 投稿番号: [18356 / 18519]
おかしく滑稽な人達です。
これが小国の発想なんでしょうなぁ
これは メッセージ 18355 (chaamiey さん)への返信です.
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Re: 国に恥をかかせるようなこと 2
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/15 22:31 投稿番号: [18355 / 18519]
鄭佑相(チョン・ウサン)記者も、そして彼のこの記事を掲載することを認めた朝鮮日報の編集責任者も、全くひどいものですね。
「日本は1905年に独島を日本に編入した決定の根拠として、大韓帝国の財政権、外交権を奪った1904年の第1次韓日協約を挙げている。」などという話は聞いたこともない。鄭佑相記者が個人的に接した日本人の誰かがそんな類のことを語ったということはあるのかも知れないが、公的な主張としてはそんなことは誰も主張していないでしょう。
そもそも1905年の竹島編入は、そこが「無主地」であることを前提として行われている。無主地を編入するのに日韓協約などの二国間条約が何の関係があると言うのだろう。
鄭佑相記者は日本側の主張を捏造して、韓国人が反日感情を持ちやすい材料であるところの日韓協約に強引に結びつけている。新聞が両国国民間の相互理解を進めるのでなく、いたずらに悪感情を増幅させる役割を果たしていることになる。
もっと正確な報道をしてもらいたいと思う。(ト、ムリヲショウチデイッテミル。)
これは メッセージ 18353 (take_8591 さん)への返信です.
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Re: 国に恥をかかせるようなこと 2
投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/15 12:21 投稿番号: [18354 / 18519]
これは メッセージ 18353 (take_8591 さん)への返信です.
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国に恥をかかせるようなこと 2
投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/15 12:12 投稿番号: [18353 / 18519]
朝鮮日報チョンウサン記者は、「独島(竹島)問題と関連し、日本は1905年に独島を日本に編入した決定の根拠として、大韓帝国の財政権、外交権を奪った1904年の第1次韓日協約を挙げている。」と述べています。
http://www.chosunonline.com/news/20100811000019
ここにいう「日本」とは、日本政府を意味する筈です。日本政府・島根県はかかる主張をしていません。
この認識は、日本側が「1905年以降実効支配をしていたのに、韓国から異議申立がなかった」と主張し、韓国側が「外交権を奪われていたので、異議申立が出来なかった」と反論している事実に基づく誤認であると推察されます。
朝鮮日報チョンウサン記者においてすら、独島領有根拠に関しこの程度の知識なのです。韓国一般市民において、そのレベルの低さは推して知るべきです。
この独島領有根拠への市民レベルでの低い認識が、昨年末に発表の「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」が犯した『幼稚な歪曲解釈』を、半年以上に渡って放置しているのだと思います。
これは メッセージ 18352 (take_8591 さん)への返信です.
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国に恥をかかせるようなこと 1
投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/15 11:54 投稿番号: [18352 / 18519]
ahirutousagi2さん。
「こんな説明を、韓国の人は恥ずかしくないのか、私はそちらが不思議です。日本でこんなことを言い出す研究者がいたら、研究生活も危ぶまれるほどに信用をなくすことでしょう。」No.18344
chaamieyさん。
「こんな子どもだましのような説明を韓国人は果たして信じるのだろうか?」No.18348
韓国にも「恥」という概念はあるようです。
8月13日付朝鮮日報社説は、菅談話誤訳報道に対して「こうした韓国の姿を見詰める日本の視線を思うと、顔から火が出る思いだ。外交部は、国に恥をかかせるようなことを自ら招いたのだ。」と締めています。
http://www.chosunonline.com/news/20100813000011
ところで、柳美林氏の主張は「国(民)に恥をかかせるようなこと」に該当しないのでしょうか。柳美林氏は杉野氏への反論において、皇城新聞の記事を「郡の所管島は竹島と石島である。(郡の主島である鬱陵島は)東西が60里で南北が40里なので合わせて200余里である。」と解釈しました。対して、杉野氏は文理解釈上の反論をしていました。又、韓国施政改善の途中で為されたものであれば、統監府が鬱陵島の大きさ情報を求めたとは考えられません。これは、「減らず口」なのかも知れません。
さて、「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」は、相変わらず「減らず口」に満ちていますが、皇城新聞の記事解釈においては、その限度を超えていると思いました。韓国人の知的レベルがこんな「子供騙しの説明」を受け入れる程に低いとは考えられません。韓ドラ「チャングムの誓い」は面白いですもん。私の翻訳が誤っている可能性が高いと考えるべきです。
しかし、私の翻訳はそれ程間違っていなかった様です。
すると、シンヨンハ氏の皇城新聞の記事解釈は、明らかに、「国(民)に恥をかかせるようなこと」に該当すると考えられます。
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-追伸
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冒頭の社説は、『日本は一度も「返還」という言葉を使ったことがないのにもかかわらず、韓国だけが「日本の姿勢は変わった」と騒いでいたということだ。・・・今回の誤訳騒動は「意図的な歪曲ではないか」という声が上がるほどひどかった。』と述べています。
しかし、この誤訳騒動の本質は、一国の首相の発言に対しその原文を確認することなく、外交の成果として発表した外交部、お祭り騒ぎをしたマスコミの幼稚性にあります。然るに「意図的な歪曲である」との前提で問題を掘り下げない反動性をこそ恥ずべきでしょう。
これは メッセージ 18348 (chaamiey さん)への返信です.
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おめでとうございます。
投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/14 22:37 投稿番号: [18351 / 18519]
これは メッセージ 18350 (chaamiey さん)への返信です.
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鬱陵、独島で世界大学生祝祭
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/14 21:59 投稿番号: [18350 / 18519]
鬱陵、独島で世界大学生祝祭
毎日新聞 2010.08.14
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=32938&yy=2010
社団法人韓国未来青年フォーラム(代表金ククソン)は、17〜20日、鬱陵島と独島で「第1回8.15独島世界大学生祝祭」を開催すると11日明らかにした。韓国未来青年フォーラムは、大学生60人と国内に居住する外国人大学生50人を招待して鬱陵、独島を探訪する計画だ。参加する学生たちは、18日午後に鬱陵島に到着して「サンフランシスコ平和条約と独島」を主題とする保坂祐二世宗大学教授の講演を聞いて、19日には独島現地を訪問して大型太極旗を広げて光復節記念行事を行う。
金ククソン韓国未来青年フォーラム代表は、「独島探訪を通じて学生たちに海洋領土の重要性と愛国心を悟らせ、外国の学生たちには独島が大韓民国の領土であることを確かに伝えるために行事を行う。」と語った。
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Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会
投稿者: takeshima_makoto_japan 投稿日時: 2010/08/14 04:57 投稿番号: [18349 / 18519]
>公共の掲示板で「ウソツキ」と言うことばは使いたくないので、他にどう表現したらいいかなあ・・・・・・
それではペテン師、詐欺師、法螺吹きなどではいかがでしょうか?(ウソツキの言い換えは難しい!!)
これは メッセージ 18348 (chaamiey さん)への返信です.
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Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/13 21:50 投稿番号: [18348 / 18519]
「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」の該当部分の翻訳です。
10 1900年、大韓帝国勅令41号により独島を韓国の領土として、西洋の国際法を参照して、世界へ改めて公布しました。
(4)日本側が1906年に大韓帝国政府に鬱陵島の所属島を質問してきた時、大韓帝国政府は、「1900年10月25日、政府会議を経て郡守を配置したが、鬱陵島の付属島嶼は竹島(竹嶼島を意味する)と石島で、その距離は合せて200余里(約80余km)」と返事しました。鬱陵島から100里あるいは200里離れた所にある島は東海には独島しかないので、石島が即ち独島であることが、もう一度再確認されたのです。
「鬱島郡の配置顛末」の記事画像
石島が鬱陵島から200余里(80余km)離れた島であることを明らかにして、石島が即ち独島であることを証明した大韓帝国内部の公文書を報道した「皇城新聞」1906年 7月13日付け記事。
(翻訳ここまで)
実際の記事は、「その郡の所管島は竹島と石島で、東西が60里で南北が40里なので合わせて200余里という。」ですが、大先生の説明では「東西が60里で南北が40里なので」の部分が完全に無視されていて、単に鬱陵島から竹島/独島までの距離が200里と書かれているかのようになっています。
こんな子どもだましのような説明を韓国人は果たして信じるのだろうか?
公共の掲示板で「ウソツキ」と言うことばは使いたくないので、他にどう表現したらいいかなあ・・・・・・
「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」も何の進歩も見られない。
これは メッセージ 18341 (take_8591 さん)への返信です.
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Re: 「韓国施政改善ニ関スル協議会」
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2010/08/13 21:11 投稿番号: [18347 / 18519]
これは メッセージ 18336 (puracyaka2007 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18347.html
日の出展望台 & 韓国が意図的に「誤訳」
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/08/13 20:48 投稿番号: [18346 / 18519]
これは メッセージ 18329 (senkaku_islands さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18346.html
Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会
投稿者: takeshima_makoto_japan 投稿日時: 2010/08/13 17:45 投稿番号: [18345 / 18519]
これは メッセージ 18341 (take_8591 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18345.html
Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/08/13 17:39 投稿番号: [18344 / 18519]
>「欝島郡の範囲は東西60里、南北40里だから周囲は合わせて200里ほどとなる」と読むんじゃないでしょうか。つまり東西24km、南北16km、周囲80kmほどの範囲が欝島郡であると言っているわけです。愼𨉷廈大先生の読み方はなんとか竹島を韓国領としたがためのこじつけとしか言いようがありません。
これはひどい。議論の余地もなく、ブログを参照するまでもなく、あきらかに仰る通りの理解が正しいわけで、こじつけもいいところです。話になりませんね。問題外。
こんな説明を、韓国の人は恥ずかしくないのか、私はそちらが不思議です。日本でこんなことを言い出す研究者がいたら、研究生活も危ぶまれるほどに信用をなくすことでしょう。この引用解釈は、韓国ならではの、議論以前のむちゃくちゃな話ですね。
これは メッセージ 18343 (takeshima_makoto_japan さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18344.html
Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会
投稿者: takeshima_makoto_japan 投稿日時: 2010/08/13 14:45 投稿番号: [18343 / 18519]
これは メッセージ 18341 (take_8591 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18343.html
竹島でお風呂はどうしていますか?
投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/13 14:01 投稿番号: [18342 / 18519]
朝鮮人軍はお風呂に入っていますか?
頑張ってくださいませ。
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Re: 韓国施政改善ニ関スル協議会
投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/13 13:42 投稿番号: [18341 / 18519]
5月初旬の一連の独島の報道から7月13日の「鬱島郡の配置顛末」までの認識を新たにすることが出来ました。
ところで、独島学会が、「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」という『PDF』を作成しています。シン・ヨンハ氏がまとめたものの様です。その30頁に次のとおりです。
http://plaza1.snu.ac.kr/~bigbear1/booklet/dokdo16point.pdf
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日本から、1906年に大韓帝国政府に鬱陵島所属島の照会があったた時、大韓帝国政府は、「1900年10月25日政府会議を経て郡守を配置したが、鬱陵島の付属島嶼は竹島と石島で、その距離は合せて200余里(約80余km)」と返事しました。鬱陵島で100里または200里離れた所にある島は東海には独島しかないので、石島が即ち独島であることがもう一度再確認されたのです。
「鬱島郡の配置顛末」の記事画像
石島が鬱陵島から200余里(80余km)離れた島であることを明らかにして、石島が即ち独島なのを証明した大韓帝国内部の公文書を報道した黄城新聞。
1906年 7月 13日付け記事。
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と言うことなので、puracyaka2007さんへの反論は、「いいえ、韓国に対して勅令41号にかかる照会があったので、独島が韓国領であると回答しています。」となるのかも知れません。
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追伸
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どなたか、「世界人が独島問題を理解するための16ポイント」の該当部分を正しく翻訳していただけませんか。
又、鬱島郡の配置顛末の皇城新聞記事が、独島学会の様に解釈できる可能性を教えて下さい。それはハングル文字を除くと「郡所管島■竹島石島■東西■60里■南北■40里■合200余里■■■」となっています。
これは メッセージ 18340 (puracyaka2007 さん)への返信です.
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韓国施政改善ニ関スル協議会
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2010/08/13 00:43 投稿番号: [18340 / 18519]
続きです。
時系列で並べてみますと,
4月19日
「韓国施政改善ニ関スル協議会第五回」
5月初旬
一連の独島の報道
6月25日
「韓国施政改善ニ関スル協議会第六回」参政大臣朴斉純は独島に言及せず(内部大臣李址鎔は欠席)
6月28日
伊藤統監高宗と正式謁見
7月2日
伊藤統監高宗と内謁見。
7月3日
「韓国施政改善ニ関スル協議会第七回」
7月12日
「韓国施政改善ニ関スル協議会第八回」
7月13日
皇城新聞「鬱島郡の配置顛末」記事
(すべて1906年中)
という流れです。
もし韓国政府が伊藤統監に対して独島が韓国領である旨説明する意思があったのであれば,その機会はいくらでもあったことは明らかです。しかし,当時の韓国政府はそれをしなかった。なぜか?それは独島が韓国領であるという証拠が見つからなかったからに違いありません。
これは メッセージ 18336 (puracyaka2007 さん)への返信です.
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◆あの悪党小沢!検察は諦めても、国税は
投稿者: jyougayayamatokome 投稿日時: 2010/08/13 00:07 投稿番号: [18339 / 18519]
諦めないぞ!
小沢一郎が中心になり「政治資金規正法」を改正しておきながら、それを悪用し不正蓄財を重ねてきた悪徳政治家=悪党小沢。
検察は人事で脅せば黙らせることができるかもしれませんが、国税はそうはいきません。
もし国税までもがこの様な悪党を見逃すことがあれば、もはやこの日本で誰も真面目に納税しようと思う者はいなくなるでしょう。
その辺の経緯を含め「悪党小沢」の実態を、「日本の良心」渡部昇一氏が詳しく書いています。
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★小沢氏は何で稼いだのか★
渡部昇一書下ろしニュースレター /抜粋
民主党幹事長・小沢一郎氏の政治資金規正法違反問題や隠し資産問題で
検察はこれを不起訴とした。
小沢問題の詳細はすでに報じられているからここでは割愛するが、
今度の騒ぎは小沢氏の政治資金管理団体である陸山会が東京・世田谷区に
約4億円で購入取得した不動産にもっぱら焦点が当たった。
これを事務所経費として計上しているが、名義は小沢氏個人であり、
これは政治資金規正法違反である、というわけである。
これに対して小沢氏は、この不動産は秘書宿舎であって、この事は公表しており、
名義については小沢名義になっているが、陸山会の財産を小沢氏個人の資産
にはしないという確認書を交わしていると主張、何の問題もないと説明した。
しかし、陸山会の代表は小沢氏なのである。
小沢氏の説明だと、「個人としての小沢氏」と「陸山会代表としての小沢氏」
の間で確認書が交わされたというわけである。
これだと、政治家というのは自分の資産財産を、これは自分個人のもの、
これは政治家としての自分のものと自分で好き勝手に仕分ければ、
それで通用してしまうことになる。
何とも噴飯物である。
しかし、小沢氏への疑惑はこれだけではない。
4年ほど前に『週刊現代』が、陸山会が東京都内にマンション10戸、6億円以上を所有しているとしているが、名義はすべて小沢氏個人であり、
小沢氏の隠し資産である、と報じたことがあった。
小沢氏は名誉を傷つけられたとして、発行元の講談社などを告訴した。
ところがこの裁判は、一、二審とも小沢氏の敗訴だったのである。これに対して、小沢氏は最高裁に上告しなかった。
つまり裁判上は、陸山会が東京都内に所有するとする10戸のマンションは
小沢氏個人の隠し資産、ということで決着がついたのである。
この裁判は今度の騒ぎでは片隅に置かれた感じであまり表面には出てこなかった。
しかし、新しく出てきた問題に、沖縄の基地予定地の近くの土地や
新しく候補地としてささやかれる島にも土地を買っているという問題もある。
それはともかく、小沢問題が浮上したとき、民主党最高顧問の渡部恒三氏が、
「山林など自分の財産を売って政治資金にし、それで丸裸になったという政治家の話しは聞いたことがあるが、政治資金で自分の不動産を買った政治家というのは聞いたことがない」
とコメントしていたが、うなずける素朴な感想である。
だが、私にはそれ以上に素朴な感想がある。
小沢一郎氏の父親は代議士だった小沢佐重喜氏である。
事実はどうかは知らないが、岩手県出身の貧乏代議士でそれだけに清廉潔白
が売りの政治家で、一郎氏が相続した遺産は一文もなかったという。
その佐重喜氏が急死し、跡を継いで一郎氏が衆院選に当選したのは27歳だった。
以来、小沢氏はずっと衆議院議員一筋で、政治家以外の仕事はしたことはない。
すなわち収入は議員としての歳費だけのはずである。
にもかかわらず、わかっただけでも10数億円の個人資産を蓄えているのである。
これほどの金をどこから稼いだのか。賄賂以外には考えられないではないか。
疑念と危惧は深まるばかりである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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Re: 太政官指令の外一島は古来の松島=現竹
投稿者: melancholy_night 投稿日時: 2010/08/13 00:06 投稿番号: [18338 / 18519]
オツムの中のOSがWindows95レベルでバグだらけなんでしょう。
これは メッセージ 18337 (goodalgotsson さん)への返信です.
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Re: 太政官指令の外一島は古来の松島=現竹
投稿者: goodalgotsson 投稿日時: 2010/08/12 23:43 投稿番号: [18337 / 18519]
大きなお世話かもしれませんが、
あんまり考えすぎると、体に悪いですよ。
歴史の考察は、現代の風味と過去のランダムな資料でいろいろな
味付けが可能になります。
ともすれば、都合よく時間軸を長くしたり、短くしたり、わかりもしない
当時の人々の心情を妄想したりします。
少なくとも、多くの日本人を傷つけ、拘束し、人質にし、日本アシカを
絶滅させ、島の環境を破壊したのは、朝鮮人。
ただし、55年前の韓国は、独裁政治国家であり、悪い人が権力を
持ってしまえば、何をしでかすかわからない国。
今はどうか、一応、民主化して20年程度たっている。しかし、韓国人は誰一人
55年前の悪行に異を唱える人はいない。
機能的な問題によるものなのか?
何か意図があるのか?
どう思う。皆さん。
これは メッセージ 18332 (ararenotomo1 さん)への返信です.
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Re: 竹島
投稿者: puracyaka2007 投稿日時: 2010/08/12 00:02 投稿番号: [18336 / 18519]
久しぶりの投稿となります。
かなり前に「韓国施政改善ニ関スル協議会」の記録に有用な情報がある可能性があるという趣旨の投稿をしました。
肝心の「韓国施政改善ニ関スル協議会」の記録がどこにあるのかわからずそれっきりになっていたのですが,ひょんなことから「日韓外交資料集成6
上,中,下」(厳南堂書店)にすべて収録されていることが分かり,探したところ近所の県立図書館に収蔵されていることもあっさり判明しました。ちなみに当該書籍には伊藤統監と高宗の内謁見記録もすべて収録されています。
漢字カタカナ文で読みにくくて3巻中1巻をようやく読み終えたところですが,内容は目からウロコです。
気付いた点をいくつか挙げてみますと,
・伊藤が韓国大臣の意見を採用したり,議論の末妥協する場面が頻繁に見られる。
・伊藤が韓国大臣からの苦情処理をする場面がある。(日本人警察官の「不謹慎ナル言動」について法部大臣李夏栄から苦情を持ち込まれ,伊藤が文書訓示を行った事例,早稲田大学の学生討論会で韓国帝室を侮蔑する行為があったと大韓毎日新報が報じたため韓国政府が激怒し,伊藤が顛末を日本政府に照会した事例)
・郡主レベルの朝鮮人官吏とも面会していたらしい。(伊藤が平壌郡主と面会したと話す場面がある。)
・一般韓国人から手紙を貰っていたらしい。
上巻は明治40年5月30日の第16回協議会までですがその中には「独島」は出てきません。領土問題で話題になっているのは,間島と鴨緑江中の黄草坪という小島の帰属だけです。
これは メッセージ 1 (ritiarno さん)への返信です.
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Re: 太政官指令の外一島は古来の松島=現竹
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/08/08 00:35 投稿番号: [18335 / 18519]
尻切れトンボでしたでしょうか。
…そのような認識があれば、外務省で甲論乙駁など、はじめから存在しなかったことでしょう。
というようなことを続けて書いていました。
これは メッセージ 18334 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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Re: 太政官指令の外一島は古来の松島=現竹
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/08/08 00:26 投稿番号: [18334 / 18519]
次のお返事ですが(便宜上番号を入れます)、
================
=
1. 幕末から明治の初期、日本海西部沿岸地方の人々は、しばしば鬱陵島に渡航していたようです。従って、島根県当局者は隠岐の西北に竹島と松島の2つの島があることは十分に承知していたでしょう。しかし、竹島とは現存しないアルゴノート島のことであり、松島は鬱陵島に相当するダジュレー島であるという、西洋の地図を知る人は極めて少なかったのではないかと思います。
2. ahirutousagi2様はまた、「太政官判断において竹島松島は版図外とされた。そして、松島は古来から認識されてきた松島と考えて差支えない。ただし、その島は鬱陵島の位置において認識された形で判断がなされた。結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった」と述べられました。
3. 上記の文章は私なりに次のように解釈しました:「太政官は竹島松島を版図外と判断した。松島は古来の松島である。ただし、その松島は鬱陵島の位置において認識されたので、太政官は鬱陵島と判断した。結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった(松島=現竹島は版図内)。」
4. 松島は、現代の地図で鬱陵島の位置にあるから、太政官は松島を鬱陵島と判断したということが、私にはどうもよく理解できません。確かに、隠岐から松島への距離80里は過大で、「現代の視角」から見ると鬱陵島の近くになります。しかし、更にその西北40里には竹島=鬱陵島が在ると、『原由之大畧』は記していますから、太政官は、松島を鬱陵島とは判断せず、やはり古来の松島=現竹島と判断した、と私は考えます。
================
=
1については「島根県当局者は隠岐の西北に竹島と松島の2つの島があることは十分に承知していたでしょう」というのはあたっていると思います。ただそれを超える斟酌をすべきものではないと理解しています。太政官、内務省もしかりです。結局、島根であれ太政官であれ、竹島と松島の二島を理解していたことが、松島=ダジュレー(の位置認識)との理解を否定する根拠には何らなりえものと思われます。
2は、そのままご理解下さい。私なりに簡単に書いたつもりでしたが、そんなに分かりにくい文章だったでしょうか。
3については、私の意図することとは明らかにいささか違った解釈が入り込んでいます。一つは、太政官が松島=ダジュレー=鬱陵島と判断したということです。私はそのように書いた記憶はありません。太政官が松島=鬱陵島と考えたというところまで私は踏み込んでいないということです。太政官は鬱陵島については何も語っていないのではないでしょうか(竹島の情況については言及があります)。私が申し上げたのは、太政官が現在の視角から確認できる鬱陵島の位置において松島を把握したこと、ということだけです。
二つめに、私は「松島=現竹島は版図内」とは書いた記憶がありません。私はこの外一島の理解は、この何年間も変わることのない考え方を持っていますがその一貫した考え方は、「リアンクール岩については明確な主権意識が欠けていた。基本的にリアンクール岩=無主地の理解であったと思われる」というものです。
4については、太政官は鬱陵島については何も語っていない、ということに尽きるのだろうと思います。太政官は竹島・松島を放棄した。それだけの話であり、また、その松島はほかでもなく、現在のまさに鬱陵島の位置で理解されていた、ということがいえるだけです。そして、それは、前後して出されている政府に関連する部署の地図にすべて統一的に整合性が取れるものであると同時に、天城の調査や三条実美の記述に至るまで、すべて何の矛盾もなく理解が可能である、ということです。
その後に知ったのですが、私の考え(私の考えは、ここで提示してもう何年にもなっています。そのころに私のような主張をしている方は誰もいなかったように記憶しているのですが)におおむね近い、次のような主張があることを知りました。全面的に同意すべきかどうかは、まだ読み込んでいませんが、さっと読んだところでは、かなり私の考えに近い印象を受けました。体力があるときにまたじっくり読んでみます。もしもよろしければご参考ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B3%B6%E5%A4%96%E4%B8%80%E5%B3%B6『原由之大畧』は、太政官が放棄した松島=リアンクール岩だったという根拠には、何もなっていないと思います。そもそも古来の松島=現竹島(つまりリアンクール岩)なんて認識が、普通にあったとは私は考えません。漁民は分かりませんが、島根県や内務省、太政官ら政府関係者においてです。そのよ\xA4
これは メッセージ 18332 (ararenotomo1 さん)への返信です.
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Re: henchin_pokoider01様へ
投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/08/05 22:35 投稿番号: [18333 / 18519]
henchin_pokoider01様は、“当時の欧米地図はリアンクールロック「ス」を2つの島として描いています。しかしながら、明治9年10月16日の「内務卿あて日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」では、松島を1つの島として記載しており、現竹島の形状上の最大の特徴である「隣接する2岩」とはなっていません。”と書いておられます。
しかし、島根県が明治9年10月16日、内務卿大久保利通に宛てた『日本海内竹島外一島地籍編纂方伺』には、『磯竹島略圖』という地図を添えましたが、それには、松島として、現竹島の形状上の最大の特徴である「隣接する2岩」が描かれています(内藤正中・朴炳渉『竹島=独島論争』新幹社, 2007)。
島根県提出文書の一つ『原由之大畧』にある松島の記述は、“大きさ的には、地図に描かれたダジュレー、アルゴノートの2つの鬱稜島とは異なりますが、形状的にはリアンクールロックスとして描かれた現竹島とも異なる。このため、『この島根県の地理情報から政府が「松島=現竹島」と判断した』なんて断定は無理ですし、2つの岩として描かれた地図をもってその状況証拠とするは「結論ありきの物語」でしかないと思いますね。”とhenchin_pokoider01様は述べられました。
『原由之大畧』は、松島の大きさと位置を「周回三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許」、竹島のそれを「隠岐國ノ乾位一百二拾里許ニ在リ周囲凡十里許」と書いています。従って、henchin_pokoider01様が言われたように、大きさから松島を鬱陵島とするのは無理でしょう。しかも、『原由之大畧』は、松島が隠岐から竹島への航路の途中にある島と記しました。それ故、「隣接する2岩」を明白に描いた松島の地図とともに、これら島根県の地理情報から、政府(太政官)は「松島=現竹島」と判断した、と私は思っています。
henchin_pokoider01様はまた、“『塚本明毅は、「松島」を「竹島一件」で放棄した鬱陵島、「竹島」を烏有のアルゴノート島の位置に比定し、「竹島外一島」を版図外とした太政官指令に対し、ささやかな抗議の意を示しました』も噴飯ものですな。”と述べておられます。
島根県文書の竹島・松島と隠岐間の距離から、「竹島をアルゴノート(架空の鬱陵島)、松島を現鬱陵島に比定」されたのは、henchin_pokoider01様が恐らく最初ではないかと思います(No.2810)。塚本明毅は『Carte de l'empire du Japon』や『日本地誌提要』で「竹島松島」の日本領化を図りました。しかし、1877年3月の「竹島外一島本邦関係無之」とした「太政官指令」により、その意図は挫折しました。そこで彼は、henchin_pokoider01様の卓抜した識見と同じ様に、竹島をアルゴノート、松島を鬱陵島に比定して、抗議の意を表した、と私は考えております(Nos.15816, 15893)。今、henchin_pokoider01様は自らの優れた卓見を噴飯ものと思っておられるとは、驚きました。
これは メッセージ 18327 (henchin_pokoider01 さん)への返信です.
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太政官指令の外一島は古来の松島=現竹島
投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/08/05 22:28 投稿番号: [18332 / 18519]
ahirutousagi2様はNo.18325で、「外一島を松島と考えた。当たり前の話です。前からずっと私はそう言い続けています。それは古来からの松島であったと認識されたと言ってもよいでしょう。私もそう考えています。」と書かれました。
私は、ahirutousagi2様が島根県提出資料に記された外一島の松島を、古来の松島と認識されていたとは、全く思っていなかったので、非常に驚きました。先の投稿では余計な事を書いてしまった様です。大変失礼いたしました。
私が誤解していたのは、ahirutousagi2様が「政府から出ていた資料がことごとく竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーであった」と、繰返し何度も主張されていたのが、極めて強く印象に残っていたからです。古来の松島・竹島と西洋人命名のダジュレー・アルゴノートとは余りにも異質なので、容易に結び付きませんでした。
島根県が内務省に提出した資料の一つ『原由之大畧』は、竹島について「磯竹島一ニ竹島ト稱ス隠岐國ノ乾位一百二拾里許ニ在リ周囲凡十里許山峻嶮ニシテ平地少シ・・渓谷幽邃樹竹稠密・・魚貝ハ枚挙ニ暇アラス就中海鹿鮑ヲ物産ノ最トス・・」と書いています。この記事から、竹島は江戸時代初期、米子の大谷・村川両家が渡航し豊富な物産を持ち帰っていた鬱陵島であることが分かります。一方、松島については「次ニ一島アリ松島ト呼フ周囲三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許樹竹稀ナリ亦魚獸ヲ産ス」と書いています。松島は隠岐から竹島へ行く途中80里の所にあり、竹島は隠岐の西北120里にある、と記していますから、『原由之大畧』は、『隠州視聴合紀』や長久保赤水以来の地図に載せられた、古来の竹島・松島について述べていることは明らかです。
『原由之大畧』は、当時島根県参事の職にあり「松下村塾」で学んだ、境二郎が主体になり、竹島渡航者の談と松浦武四郎『竹島雜誌』(1854)等を参考にして、纏めたものと思われます(No.18184)。『竹島雜誌』は松島に関しては殆ど触れていませんが、『竹島圖説』を引用して、竹島は「隠岐の國松島の西島(分註:松島の一小屬島也。土俗呼て次島と云。)より海上道規凡四十里許り北の方に有」と記しました。境二郎については、Web竹島問題研究所のサイトに杉原隆氏による極めて優れた紹介があります。
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-1/takeshima04-o.html幕末から明治の初期、日本海西部沿岸地方の人々は、しばしば鬱陵島に渡航していたようです。従って、島根県当局者は隠岐の西北に竹島と松島の2つの島があることは十分に承知していたでしょう。しかし、竹島とは現存しないアルゴノート島のことであり、松島は鬱陵島に相当するダジュレー島であるという、西洋の地図を知る人は極めて少なかったのではないかと思います。
ahirutousagi2様はまた、「太政官判断において竹島松島は版図外とされた。そして、松島は古来から認識されてきた松島と考えて差支えない。ただし、その島は鬱陵島の位置において認識された形で判断がなされた。結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった」と述べられました。
上記の文章は私なりに次のように解釈しました:「太政官は竹島松島を版図外と判断した。松島は古来の松島である。ただし、その松島は鬱陵島の位置において認識されたので、太政官は鬱陵島と判断した。結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった(松島=現竹島は版図内)。」
松島は、現代の地図で鬱陵島の位置にあるから、太政官は松島を鬱陵島と判断したということが、私にはどうもよく理解できません。確かに、隠岐から松島への距離80里は過大で、「現代の視角」から見ると鬱陵島の近くになります。しかし、更にその西北40里には竹島=鬱陵島が在ると、『原由之大畧』は記していますから、太政官は、松島を鬱陵島とは判断せず、やはり古来の松島=現竹島と判断した、と私は考えます。
これは メッセージ 18325 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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鮮于栄俊博士謹製の于山国図
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/08/04 23:59 投稿番号: [18331 / 18519]
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韓国人はお風呂に入らんから
投稿者: heisinokumaarasi 投稿日時: 2010/08/04 20:10 投稿番号: [18330 / 18519]
あんな岩の上にいつまでもおれるのとちゃうかぁ(笑)
風呂に入る習慣がない奴らはどうしようもないなぁ(笑)
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ポハン & 日本の、これから 日韓 14日
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/08/04 19:34 投稿番号: [18329 / 18519]
これは メッセージ 18326 (senkaku_islands さん)への返信です.
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上げ レッドサンが攻めてくる!!
投稿者: cyan_poko 投稿日時: 2010/08/01 20:20 投稿番号: [18328 / 18519]
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Re: >Re: 『大日本府縣分轄圖』について
投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2010/07/29 07:23 投稿番号: [18327 / 18519]
>欧米の地図のLiancourt RocksやHornet Rocks、海軍水路寮『朝鮮東海岸
>圖』(1876)のヲリウツ礁・メ子ライ礁に相当することを承知していたで
>しょう(No.17667)。
これは酷いね。以前、「禹用鼎が調査で竹島を確認した」って感じで物語を創り上げていたことを思い出します。
当時の欧米地図はリアンクールロック「ス」を2つの島として描いています。しかしながら、明治9年10月16日の「内務卿あて日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」では、松島を1つの島として記載しており、現竹島の形状上の最大の特徴である「隣接する2岩」とはなっていません。
------------------------------------------------
次ニ一島アリ松島ト呼フ周回三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許樹竹稀ナリ亦鳥獣ヲ産ス
------------------------------------------------
大きさ的には、地図に描かれたダジュレー、アルゴノートの2つの鬱稜島とは異なりますが、形状的にはリアンクールロックスとして描かれた現竹島とも異なる。このため、『この島根県の地理情報から政府が「松島=現竹島」と判断した』なんて断定は無理ですし、2つの岩として描かれた地図をもってその状況証拠とするは「結論ありきの物語」でしかないと思いますね。
『塚本明毅は、「松島」を「竹島一件」で放棄した鬱陵島、「竹島」を烏有のアルゴノート島の位置に比定し、「竹島外一島」を版図外とした太政官指令に対し、ささやかな抗議の意を示しました』も噴飯ものですな。「経済水域」もなく、1870年代では「日ロ戦争の通信用」とかいう中井の海驢猟を無視した動機さえない。これも根拠なく自分の結論にあわせた物語だな。
国際法においてこのような間接的推定に駄目出しをしているのは、このような結論にあわせた推定ができてしまうからでしょう。
これは メッセージ 18325 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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西短 & 日韓基本条約と竹島 1日夜9時
投稿者: senkaku_islands 投稿日時: 2010/07/26 19:15 投稿番号: [18326 / 18519]
これは メッセージ 18321 (senkaku_islands さん)への返信です.
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Re: >Re: 『大日本府縣分轄圖』について
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/07/24 10:43 投稿番号: [18325 / 18519]
>外一島を松島と考えた根拠は、No.18184で詳述しましたが、再度ここに示します。
私はそんなことは聞いていないのですが。文章力のなさを申し訳なく思う次第ですが、コミュニケーションがなりたたないことを残念に思います。外一島を松島と考えた。当たり前の話です。前からずっと私はそう言い続けています。それは古来からの松島であったと認識されたと言ってもよいでしょう。私もそう考えています。そのうえで「次ニ一島アリ松島ト呼フ周回三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許樹竹稀ナリ亦魚獸ヲ産ス」がなぜリアンクール岩に比定できるのか、という位置的な問題を問うているのです。どうしてもご理解いただけないでしょうか。
当時の政府関連部署から見受けられる地図は点線であれ、朝鮮全図にされているものであれ、何にしても竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーです。私がメモとしてとってあるの政府関連部署の地図はお示しした通りです。ほかにも陸軍水路局や海軍による地図があるものと承知していますが、すべて同様であると記憶しています。重要なのは、そこに一貫しているのは、竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーという認識でしょう。点線は、極端に申しましてどうでもよい話です。
>「逆に聞きましょうか。太政官が竹島をリアンクール岩に比定したとする根拠は何ですか?」とお尋ねになりましたが、質問の意味が分かりません。
単純ミスです。申し訳ありません。意味は汲み取っていただいていることかと思いますので議論をそのまま続けますが、
>「内務省と太政官は、島根県提出の文書と地図によって、「松島」は「竹島(鬱陵島)」の東南40里に在ることを知りました。そして、その「松島」は、欧米の地図のLiancourt RocksやHornet Rocks、海軍水路寮『朝鮮東海岸圖』(1876)のヲリウツ礁・メ子ライ礁に相当することを承知していたでしょう(No.17667)。
と、どうして勝手に推測できるのでしょうか。17667を読んでも意味が分かりません。私の知る限り、当時の政府関連部署のすべての地図が竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーとし、さらに、太政官判断のあと天城の調査や「大日本府県分轄図」、太政大臣三条実美の記録でも松島=ダジュレーに変わりはありません。これらのすべての条件を排除して、じつは内務省と太政官は松島=リアンクール岩だったと承知していたと推論する、その根拠を繰り返しお尋ねしていますが、半月城さんにしても、アラレさんにしても出てくるのは「現代からの視角」のみのようです。
私は、当時の認識において、その推論は成り立たない。あるいは成り立つ根拠が何もない。むしろ、整合性を考えれば、松島=ダジュレーと位置的に考えたとしか理解しようがない、と申し上げている次第です。
>その説明書の『日本地誌提要』では「松島竹島」を隠岐国条に配し(No.15715)、『大日本府縣分轄圖』の「大日本全國略圖」で、「松島竹島」を一度は隠岐や山陰道と同色に彩りました。
色はどうでもいいです。私が申し上げているのは、「大日本府県分轄図」でさえ、竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーの位置で島を記しているということです。アラレさんの話はご苦労様とは思いますが、ミクロの話で煙にまいているだけの話で、結局は、内務省・太政官が松島をリアンクール岩に比定していた根拠は何も提示していらっしゃいません。ミクロにこだわるあまり、さまざまな事象の整合性はまったく取れているようにも見えません。これでは天城の調査や三条実美の記述も、また御大層な理由付けをなさることになるのではないでしょうか。
難しいことは何もないと思います。太政官判断において竹島松島は版図外とされた。そして、松島は古来から認識されてきた松島と考えて差支えない。ただし、その島は鬱陵島の位置において認識された形で判断がなされた。結論として、太政官判断で版図外とされたのは鬱陵島までであった、ということです。
内務省・太政官がリアンクール岩を松島と考えて、その上で版図外としたという根拠は何もありません。それこそ外務省の甲論乙駁や地理的な混乱が収束した後世の言及などでも持ち出さない限り、理由付けはできないことでしょう。それが太政官判断と結びつく根拠もこれまた何もないというわけです。私は、事象は事象のままにそのままに解釈をすればよい、整合的に資料をとらえるべきだろう、と申し上げているに過ぎません。
これは メッセージ 18324 (ararenotomo1 さん)への返信です.
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>Re: 『大日本府縣分轄圖』について
投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/07/23 22:36 投稿番号: [18324 / 18519]
ahirutousagi2様、再び『大日本府縣分轄圖』について議論できることに感謝します。有難うございました。
ahirutousagi2様は、1877年内務省と太政官が「竹島外一島本邦関係無之」とした外一島を、「松島=リアンクール岩と考えた根拠をお尋ね」になったので、先ずそれについてお答えいたします。
外一島を松島と考えた根拠は、No.18184で詳述しましたが、再度ここに示します。
1876年10月、内務省地理寮は地籍編纂のため島根県に竹島について問合せたので、島根県は「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」を、付属文書とともに内務省に提出しました。付属文書の一つ「原由之大畧」は松島を次のように記しました:「次ニ一島アリ松島ト呼フ周回三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許樹竹稀ナリ亦魚獸ヲ産ス」。この記述から、松島は『隠州視聴合紀』『隠岐古記集』『竹島圖説』や長久保赤水『日本輿地路程全圖』の古くからの松島と判ります。従って、この松島が、竹島(鬱陵島)の東北2kmの竹嶼やシーボルトが誤って名付けた松島=ダジュレー=鬱陵島とは、全く考えられません。
ahirutousagi2様は、「政府関係部署から出ていた地図は、ことごとく竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーです。」と述べられました。それらは、ahirutousagi2様がNo.18320で示された、1867年の勝海舟識『大日本國沿海畧圖』や1875年の陸軍参謀局『朝鮮全圖』等と思われます。前者は、鬱陵島を松島とし、朝鮮よりに点線で竹島、隠岐よりにリェンコヲルトロックとして二つの小島を載せています。また後者も、鬱陵島を松島とし、その西北に点線で竹島を描いております。しかし、ahirutousagi2様は“ただ、点線の図を「基準」にするなどとは、私は今まで一言も申し上げていません。”と書いておられるので、「ことごとく竹島=アルゴノート、松島=ダジュレー」である、政府関係部署から出ていた地図を、具体的にご教示いただければ幸いです。
ahirutousagi2様はまた、「逆に聞きましょうか。太政官が竹島をリアンクール岩に比定したとする根拠は何ですか?」とお尋ねになりましたが、質問の意味が分かりません。「太政官が竹島をリアンクール岩に比定した」とは初めて聞きました。もし竹島が松島の間違いならば、先に述べたように、内務省と太政官は、島根県提出の文書と地図によって、「松島」は「竹島(鬱陵島)」の東南40里に在ることを知りました。そして、その「松島」は、欧米の地図のLiancourt RocksやHornet Rocks、海軍水路寮『朝鮮東海岸圖』(1876)のヲリウツ礁・メ子ライ礁に相当することを承知していたでしょう(No.17667)。ただし、内務省・太政官は外一島を古来の松島に比定しただけです。
塚本明毅の件は、「“その通りで、塚本明毅が歪曲した。外一島の判断に抗議する形であった。ただし、日本政府がリアンクール岩を放棄したということは変わらない”というお話のようですが、あまり妥当性があるような話に見せません。」と述べられました。ここで「塚本明毅が歪曲した。」と書いておられますが、「歪曲」という言葉は好みません。塚本明毅は、1873年の『Carte de l'empire du Japon』にMatsou I.とTake I.を描き(No.15816)、その説明書の『日本地誌提要』では「松島竹島」を隠岐国条に配し(No.15715)、『大日本府縣分轄圖』の「大日本全國略圖」で、「松島竹島」を一度は隠岐や山陰道と同色に彩りました。従って、塚本は「松島竹島」を日本領とする意図がありました(No.15893)。しかし、これは「歪曲」ではありません。ただし塚本明毅は、1882年以降の改訂版では、太政官の決定に従い「松島竹島」を日本の版図外にした、というのが私の結論です(No.18250)。
ahirutousagi2様は最後に、“私は、日本政府はリアンクール岩を「無主地」と考えていただけの話だと結論付けています。”と書かれました。博識のディレッタント大槻修二も同様に、1875年の『日本地誌要略』初版で、松島竹島を「居民統屬ナク」と記し、無主地と見做しました(No.15715)。しかし、日本政府は1877年3月、竹島(鬱陵島)とともに、古来の松島である外一島を、日本の「版圖外」と定めました。
これは メッセージ 18319 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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> 竹島
投稿者: cyan_poko 投稿日時: 2010/07/22 17:54 投稿番号: [18323 / 18519]
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