竹島

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Re: 竹嶋と松嶋の権原

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/20 09:00 投稿番号: [17949 / 18519]
まず、松島の認識。これは「竹島渡海由来記抜書控」では「その後、大猷院(家光)様御代、竹島海道にてまた松島と申す島を見出し、御注進申奉り候えば、竹島の通り支配側許し遊ばされ、右両島へ渡海仕り来り」(1643年)というものがあります。幕府からすでに許可があったことがうかがえます。

松島への渡海免許に準ずるものとして大谷家の記録があります。「厳有院(家綱)様御代、竹島之道筋廿町斗廻申候小島御座候、草木無岩島ニ而御座候、廿五年以前安倍四郎五郎様御取持を以拝領、即船渡海仕候、此小島に而も海鹿魚油少宛所務仕候」(大谷家文書「御巡検様の御宿致し竹島に就き御尋ねあり其の御請け書控え」)。

おまけに、亀山庄左衛門から大谷九右衛門あて書状に「来年より竹嶋之内松嶋へ貴様舟御渡之筈ニ御座候旨、先年四郎五郎御老中様へ得御内意申候、渡海之番年相定、市兵衛殿・貴様へ証文相渡し置候聞、村川殿とご相談候而、其証文次第ニ可被成候、市兵衛殿も貴様も其証文之通少しも御違背者有之間敷儀と存候、猶期後音之時候、恐惶謹言」とありますが、この「証文」というのも推測としては渡海免許に準ずるものと考えられそうです。

松島渡海免許など存在しないと大声を上げていた人がいたような記憶がうっすらとありますが、それに反して、状況証拠のようなものは、存在しないわけではありませんね。現物に準ずるもの(写しなど)が現存しないので、そこは問題でしょうが。
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