Re: ahirutousagi2さん
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/03/18 22:27 投稿番号: [17929 / 18519]
すみません。よく分からないのですが、
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元禄8年12月、幕府は鳥取藩に対し「因州・伯州え付竹嶋はいつの頃より両国へ附属候哉」と質問し、その質問に対する鳥取藩の回答書で「大谷・村川が竹嶋へ渡海しているのは松平新太郎領国の節、奉書を承ったと両人が言っていることを承っています」という文面があり それが根拠となっています。
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これは外務省のパンフレットにある文章ですか。それともh369jpさんの文章ですか。前者かと思って、外務省のパンフレットをのぞいているのですが該当部分が見つからず、どう論じていいか困っています。
ともあれ、
>1618年(注)、鳥取藩伯耆国米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛は、同藩主を通じて幕府から鬱陵島(当時の「竹島」)への渡海免許を受けました。これ以降、両家は交替で毎年年1回鬱陵島に渡航し、あわびの採取、あしかの捕獲、竹などの樹木の伐採等に従事しました。
にさほどの違和感はないように思います。ポイントだけを押さえて提示したものでしょう。注で1625年説まで入れているのも、まぁ、いいのではないでしょうか。
>つまり、竹嶋への渡海免許の件は 大谷・村川両家がそう言っている と鳥取藩は報告しているに過ぎません。
鳥取藩史の該当資料をご参照なさるのがよさそうです。それと、元禄八年のご引用ですが、何か変ですか?というより、何でこれが「根拠」になっているのですか?新説のように思われて、何が何だかよく分かりません。外務省でそんなことを書いているのかと思って探しても見当たりませんし、これは一体、何を仰りたいのでしょうか。
ご参考の文書であろう『竹嶋之書附』の「松平新太郎領国之節、以御奉書被仰出候旨承候」が、どこがおかしいのか、また何の「根拠」だと仰っているのかよく分かりません。
>つまり、竹嶋への渡海免許の件は 大谷・村川両家がそう言っている と鳥取藩は報告しているに過ぎません。
元禄八年の件で言えば、これは、参考までに言及した程度でしょう。
>幕府も鳥取藩もよく分からないが大谷・村川両家だけが知っていたこの竹嶋渡海免許をもって 外務省は幕府が領有権を確立していたとパンフレットに記述されています。
幕府がどのように認識していたかはさらなる研究を待たなければならないでしょうが、鳥取藩は渡海免許を受けていたことは知っていましたよ。「松平新太郎領国之節、以御奉書被仰出候旨承候」なんて、知らなかったら書けないでしょう。
>外務省パンフレットは堂々と渡海免許の写しを載せていますが そこには3名の老中が連盟で署名されています。この3名は1618年にはまだそろって役職に就いていません。
池内氏、内藤氏は、二人としていますが、三人でしたか。どこに出ていますでしょうか。参考までに教えていただければ有難いです。ともあれ、この老中の就任の問題に主たる原因があって、外務省は注釈をつけているわけでしょう。何か変ですか?
個人的には、韓国の石島方言説のほうが、よほど笑えますが。
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元禄8年12月、幕府は鳥取藩に対し「因州・伯州え付竹嶋はいつの頃より両国へ附属候哉」と質問し、その質問に対する鳥取藩の回答書で「大谷・村川が竹嶋へ渡海しているのは松平新太郎領国の節、奉書を承ったと両人が言っていることを承っています」という文面があり それが根拠となっています。
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これは外務省のパンフレットにある文章ですか。それともh369jpさんの文章ですか。前者かと思って、外務省のパンフレットをのぞいているのですが該当部分が見つからず、どう論じていいか困っています。
ともあれ、
>1618年(注)、鳥取藩伯耆国米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛は、同藩主を通じて幕府から鬱陵島(当時の「竹島」)への渡海免許を受けました。これ以降、両家は交替で毎年年1回鬱陵島に渡航し、あわびの採取、あしかの捕獲、竹などの樹木の伐採等に従事しました。
にさほどの違和感はないように思います。ポイントだけを押さえて提示したものでしょう。注で1625年説まで入れているのも、まぁ、いいのではないでしょうか。
>つまり、竹嶋への渡海免許の件は 大谷・村川両家がそう言っている と鳥取藩は報告しているに過ぎません。
鳥取藩史の該当資料をご参照なさるのがよさそうです。それと、元禄八年のご引用ですが、何か変ですか?というより、何でこれが「根拠」になっているのですか?新説のように思われて、何が何だかよく分かりません。外務省でそんなことを書いているのかと思って探しても見当たりませんし、これは一体、何を仰りたいのでしょうか。
ご参考の文書であろう『竹嶋之書附』の「松平新太郎領国之節、以御奉書被仰出候旨承候」が、どこがおかしいのか、また何の「根拠」だと仰っているのかよく分かりません。
>つまり、竹嶋への渡海免許の件は 大谷・村川両家がそう言っている と鳥取藩は報告しているに過ぎません。
元禄八年の件で言えば、これは、参考までに言及した程度でしょう。
>幕府も鳥取藩もよく分からないが大谷・村川両家だけが知っていたこの竹嶋渡海免許をもって 外務省は幕府が領有権を確立していたとパンフレットに記述されています。
幕府がどのように認識していたかはさらなる研究を待たなければならないでしょうが、鳥取藩は渡海免許を受けていたことは知っていましたよ。「松平新太郎領国之節、以御奉書被仰出候旨承候」なんて、知らなかったら書けないでしょう。
>外務省パンフレットは堂々と渡海免許の写しを載せていますが そこには3名の老中が連盟で署名されています。この3名は1618年にはまだそろって役職に就いていません。
池内氏、内藤氏は、二人としていますが、三人でしたか。どこに出ていますでしょうか。参考までに教えていただければ有難いです。ともあれ、この老中の就任の問題に主たる原因があって、外務省は注釈をつけているわけでしょう。何か変ですか?
個人的には、韓国の石島方言説のほうが、よほど笑えますが。
これは メッセージ 17921 (h369jp さん)への返信です.
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