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Re: あのさ〜

投稿者: bottomlineshock 投稿日時: 2006/06/12 13:20 投稿番号: [2851 / 3669]
>歴史歪曲には他の追従を不許する倭族がいうことではないね。
>誇大妄想による想像の翼を伸ばし、漫画みたいな嘘の歴史を書いてきた糞部族。

これ、全部朝鮮人のことなんだけど??(嘲笑)

>文化宗主国の韓国を罵倒することがお返しだと信じてるらしいのだ。

何百回も論破されたネタをいつまで使うのかね?(嘲笑)
まあ、韓国の文化宗主国は中国であるわけだが(嘲笑)

>最近は悲願の国連安保理の常任理事国への進出を目標にいくら拒否されてもしつこく挑戦しつつあるらしく、
>今度は太平洋の小さな島国らを訪ね、お金を餌に国連で支持してくれと誘い工作をやっているらしい。
>卑劣な島猿の汚い根性は永遠に消せないのか?

そう言えば、韓国は日本にお願いにきてたね。
『お願いです、ウリナラの人間を国連事務総長にしてくれるよう応援してください』って。
どこまで恥知らずな民族なんだろうね(嘲笑)

Re: あのさ〜

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 13:13 投稿番号: [2850 / 3669]
>自分らの嘘の歴史、感情論で日本を非難する事は誹謗・中傷そのもの。

歴史歪曲には他の追従を不許する倭族がいうことではないね。賄賂を払い、昔から自国の未開野蛮史を
隠し、ないし美化し、誇大妄想による想像の翼を伸ばし、漫画みたいな嘘の歴史を書いてきた糞部族。
これが倭族の素顔だ。

>事実を突きつけられ反論されると、誹謗・中傷というのがちょーせん人。

その言葉もお前ら倭族にそっくり戻す。大体この未開糞民族倭って自分がやったことは棚の上において
呆れることに恩国で文化宗主国の韓国を罵倒することがお返しだと信じてるらしいのだ。未開さ野蛮さは
一千年経っても洗えなさそうだ。
最近は悲願の国連安保理の常任理事国への進出を目標にいくら拒否されてもしつこく挑戦しつつあるらしく、
今度は太平洋の小さな島国らを訪ね、お金を餌に国連で支持してくれと誘い工作をやっているらしい。
卑劣な島猿の汚い根性は永遠に消せないのか?

れ: あのさ〜

投稿者: red_mangou 投稿日時: 2006/06/12 13:11 投稿番号: [2849 / 3669]
>恥を知るんだな。ボケ

「恥」を知っていたら超賎奴ではありません。知っていれば韓国(朝鮮)人れしゅ。
もっとも、「厚顔無恥」だけが超賎奴の特徴ではありましぇんが。をっと、超賎奴は、「厚顔無恥」ではなく、
面の皮が「超合金製」でちた。

Re: あのさ〜

投稿者: koshien21c 投稿日時: 2006/06/12 12:56 投稿番号: [2848 / 3669]
>掲示板は他国を蔑視して誹謗中傷する場所ではありません。

自分らの嘘の歴史、感情論で日本を非難する事は誹謗・中傷そのもの。

事実を突きつけられ反論されると、誹謗・中傷というのがちょーせん人。

恥を知るんだな。ボケ

船窓夜話ー第二弾ー懐かしいシンガポール

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 12:42 投稿番号: [2847 / 3669]
投稿者: ilkuji
マーボーおっさん、お久しぶりです。
海洋手記お好きでしたら、こちらも勇気を出して続けて連載してみます。よろしく。


(懐かしいシンガポール)

台湾の基隆で雑貨をいっぱい載せて南支那海を滑るように走った。農産物を附帯に入れた貨物を船内起重機で載せるとき、附帯が張り裂けて甲板上に落ちることがたまにある。落ちた生姜を拾って誰かが韓国焼酎に入れ生姜酒を漬けた。大人の拳何倍ぐらいの大きさでまだ土が付いてる奴を洗って皮を抜いてそのまま焼酎に漬けて一ヶ月ぐらい経ったら引き出して飲むのだ。しかし一ヶ月もどうやって待つの。

一週間後シンガポールに入港し次第、ふたを開けた。酒好きの一等航海士が夕食の終わった後、自分の事務所に甲板部全員を招集した。久しぶりに甲板部の酒席を設けたのだ。厨房長冷凍されたマグロを何皿いっぱい切って来て皆、順番でまだ熟成されてない生姜酒を飲みながら食卓を箸で叩きながら歌を歌った。1、2、3等航海士、見習航海士、甲板長、甲板長補、1、2、3舵手、1、2、3、4甲板員に見習甲板員まあで、総員14名が夕暮れから集まり、飲み始めた。

時間がだんだん流れ体力の弱い老人たちからそろそろ消え始めた。朝、気付いたら残った人は2等航海士と3等航海士の私だけだった。日が水平線に立つのを眺めながらきっちり喜悦を感じた。多分そのように長時間酒を飲んだのはそれが最初で最後だったろう。

いろんな雑貨を降ろすには何日間かかった。甲板長補がある日、突然歯痛を訴えた。私が医薬品担当の航海士だったんで通訳を兼ねていっしょに上陸した。市内の病院に行ったら20代ほどの女医者が出て歯を抜いた。そして終わったんで帰るようにいわれた。廊下に出て船に連れて行ってくれる代理店の人を待っていたら甲板長補は再び歯痛を訴え始めた。慌ててその診療室へ戻って看護婦に聞いたら医者は昼食時間なので出ていったので1時間待つようにいわれただけ。

甲板長補は椅子に座って待ってたが痛いと下にべたんと座ってから、もうころころ転がった。そしたら痛みが消えると、また座り直すのを繰り返した。どうしょうもない状況だった。気が付いたらその看護婦が18、9才くらいの中国系らしけど可愛かった。それで女に久しぶりに言いかけたくていろんな話をして、つい愛を告白した。彼女の顔が真っ赤になった。そして住所を交換した。後であの医者が来て、また治療を受けて船に戻ってきた。

ダイアモンド形の島国、シンガポールは最初、西洋から来た船員たちが発見したとき、獅子が暮らすのをみたとその島の象徴として獅子像を海辺に建てといた。その海辺に整然と並んでいるサテー料理屋。焼き鳥の一種でサテーというマレー系の独特なソースを塗って焼くとその匂いが食欲を懇切に刺激する。現代式ビルと伝統の料理屋が調和して異色的な雰囲気を出すその海辺。

出港後、2週間でスエズ運河に到達、その看護婦に手紙を送ったが受けたがどうか、もしくは本船が不定期船なので返書をこちらがもらえなかったかは分からず、一年後、他の船でシンガポールに行ったとき、その病院のあるビルを探したが歯科病室自体が消えてしまった。マドロスの虚しい恋だったのか?

船窓夜話ー第一弾ー海賊に出会う−2

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 12:39 投稿番号: [2846 / 3669]
大きな船が徐々に船首を左側へ回すと一旦危急状況は免れたよう。ところが今度はその船が方向を回し本船1時方向から再び入ってくるのだ。私は「Port!」と命じた。左へ15度との意味だ。しかしその船はもう本船の船首を左にして過ぎる状況だった。私が「Midship!」と叫んだら「Midship!」と舵手が復唱しながら 舵柄を正中央へ戻したら既に本船の前に来ている。再び「Hard Starboard!」と命じた。右へ25―30度とのことだ。

本船が大きく円を描きながら右へ回転するともう本船の左側に付こうとしている。そしてサーチライトをつけて本船に発光信号を送る。無線電話で呼んだら「Water police. Stop engine」と停船を要求する。海上警察だけど調査することがあるそうだ。一旦エンジン・テレグラプ(変速機)をstop 位置に回したら本船の後ろからロープを上げようとしている。

船長が急いで上がってきて「不思議だね」と呟いた。軍服ぶりの人たちが警備艇サイズのボートに乗り、縄ばしごを上げようと熊手のついたロープを投げていあ。 船長の表情が一瞬変ったら「海賊だ!」といって「Full ahead!」と叫んだ。また全速前進をはじめた。2等航海士が船尾へ降りていって欄干にかかている彼らのロープを非常斧で切った。ボートが船尾にあったので本船プロペラの揺れに後ろへ押さえられ激しく揺れた。そしたら騒々しく機関銃の発射音が聞こえた。海賊たちが乗船に失敗すると、むやみに乱射していたのだ。

機関室から 騒々しく電話がかかってきて「どうしたのか?バンカーC油なのに何故停船し、また全速か」と大騒ぎだ。船舶では入出港時やエンジン変速を頻繁しするときはバンカーA油を使い一旦大洋航海がはじまるとバンカーC油をつかうので燃料を変えるときは前もって機関室に連絡し用意をさせるのが普通だが、それをする暇がなかったのだ。

アカバに到着して埠頭に降りたら船尾の鉄板があちこち表に打たれたように入っている誰かがそこに立っていたら即死したはずだった。くらっとした瞬間だった。

船窓夜話ー第一弾ー海賊に出会う−1

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 12:37 投稿番号: [2845 / 3669]
海洋手記第一弾 2002/ 9/ 6 17:08
メッセージ: 3305 / 6014

投稿者: ilkuji
本トピの活性化のために、又、常に尊敬している旅人木おっさんと
マーボーおっさんに感謝の表現として私の航海士体験談を定期的に
載せるようにします。よろしく。



海賊に出会う

日本の水島を出港した本船は一途中近東のアカバを目的地にして南支那海を切り走った。出港する前、本社の無電連絡を受けた船長は1、2、3等航海士をサロンレストランに呼んだ。船長は本社の電文をみせながら「南支那海航海途中、ベトナム難民船を発見するか難民船から救助を要請されても無視して全速航進せよ」との命令を下ろした。航海士として命令に従うしかないが人道主義より利益だけを追求する商業主義を冷たく感じた。勿論難民たちを救助するえば予定航路を外れて隣の港に入港すべきであるし、彼らの入国手続などで時間が遅滞され予定とおり運航ができず、従って金銭的に会社が多くの損害をうけるのは事実である。

水平線と海だけみえる退屈な航海がまた始まった。たまに本船と走り試合をするようんい並んで走りながらジャンプをするイルカたちと翼のようにヒレをばたつかせて飛ぶ飛魚だけが唯一な友だ。心配してた難民船とは遭遇しなかった。そしてシンガポルを過ぎながら片思いで終ったあの看護婦を思い出した。

狭いマラカ海峡。東西洋の関門というこの海峡は陸上道路の中央線みたいに海図上に出ている線の両側にわけて往来する船が航行する。世界で航海者に一番難コースで有名な日本の瀬戸内海のように航路が乱れている。漁船や大小貨物船および旅客船が横断し灯台はあちこちでライトをきらめく。レーダーをつけて一を確認しながらスマトラ島の西側先をレーダーのスクリン上で確認するのにかいぞと模様が違う。慌てて仔細にみると海峡のほうに海を埋立したようにふくらんでいるのに海図はのっぺりしている。海図の制作年度をみたら1935年。海図制作以降、海を埋め立てたのだ。

夕方10而頃、海図室から出て真っ黒のブリッジで目絞りを調節しながら舵手と話をしていた。彼らは何より女話が好きだ。それで負けたくないので学校のとき、女を食った経験をもっと誇張して話したり、一片、女を一日一人づつ食ったという彼らの話を聴いてやらなきゃならない。

突然、11時方向から横断する船舶を肉眼で探知した。航海灯をみたら小型船だけど速度は速い。レーダー上では2マイル前方である。そのまま置いたら危険そうなので舵柄を取っている舵手に命令した。「Port easy!」左へ10度くらい針路を変えろとの意味だ。「Port easy!」と舵手が復唱し、 舵柄を回した。

「船窓夜話」と「シドニーブルース」の目次

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 12:34 投稿番号: [2844 / 3669]
★   船窓夜話(海洋手記)
第1話   海賊に出会う
第2話   懐かしいシンガポール
第3話   ヨダン川を眺めながら
第4話   ああ、二等航海士よ
第5話   ある下品な酒場
第6話   スナック・バー巡礼
第7話   アルジェリのアルジアにて
第8話   一等航海士の恋
第9話   毛酒  
第10話   あの船長
第11話   命懸けの航海
第12話   カボチャお婆さん
第13話   瀬戸内海   Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ,Ⅳ,Ⅴ,Ⅵ,Ⅶ,Ⅷ,Ⅸ,Ⅹ
第14話   スエズ運河
第15話   ダイアナ妃、その他
第16話   南浦洞スヤ
第17話   カサブランカ
第18話   熱砂のサワヂ
第19話   サロンボイ
第20話   タンパにて
第21話   バスラ
第22話   サイクロン
第23話   3機士と1機士
第24話   バットと酒と男とサウジ
第25話   ドンキホテ   Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ,Ⅳ
第26話   藪医者  
第27話   中央洞にて   Ⅰ,Ⅱ
第28話   助平女   Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ
第29話   ニュージーランドのカモメ
第30話   帰国   Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ
後書き


★   シドニーブルース
第1話   悲恋   Ⅰ,Ⅱ
第2話   新婦強盗
第3話   a blue night
第4話   新婦拉致
第5話   セックス教習   Ⅰ,Ⅱ
第6話   海原の序曲   Ⅰ,Ⅱ
第7話   豪州と戦争   Ⅰ,Ⅱ
第8話   社内セックス   Ⅰ,Ⅱ
第9話   あるナイトクラブ
第10話   阪神淡路大震災とビザ
第11話   車泥棒
第12話   貝売り娘  
第13話   カワラ脱走   Ⅰ,Ⅱ
第14話   釣り馬鹿と病身
第15話   幼い性
第16話   セクハラ    Ⅰ,Ⅱ
第17話   事業と交接
第18話   この女の行き方   Ⅰ,Ⅱ
第19話   営業マンの哀歓
第20話   タクシー運転
第21話   銃器規制    Ⅰ,Ⅱ

その後は目下、このトピで連載中にだ。

「船窓夜話」および「シドニーブルース」

投稿者: ilkuji_99 投稿日時: 2006/06/12 12:28 投稿番号: [2843 / 3669]
実は数年前、自分のPCがウイルスにかかって自分のワードに所蔵していたエッセイを含んで
全てのファイルが開けなくなり、結局全部消えてしまったのだ。だが、相姦トピにも
載ってるし、犬鍋さんがわざわざ「コリア関連書籍」に移してくれたので安心して再びワードに
移しておかなかったのだが、最近相姦トピが消えてしまい、そのトピから「書籍」トピへ移したのも
自動的に消えたのに最近気づいたのだ。
絶望的な気持ちで迷ってたのがつい思い出したのが友人のオリンさんのHPにも所蔵されて
もらってるとのことだった。彼女のHPじゃなかったとしたら永遠に失ったはずだね。彼女に心底から
感謝の心を伝えたい。
そういうわけで、また本日はオーストラリアのエリザベス女王様のお誕生日を向かえ、ダブルの記念碑的な
出来事の連続の日なので拙作のリバイブル連載を決めたわけである。綴りミスや表現の怪しさはあると
知っているものの、校正は出版のとき(?)、親友の犬鍋さんに任せるつもりなので先ずは荒いけど
原石のまま、流したいと思うにだ。よろしくお願い申し上げます。

投稿内容についての疑義

投稿者: gades_pluton_1930 投稿日時: 2006/06/11 19:10 投稿番号: [2842 / 3669]
> whiterose20051さん

ひとことだけレスします。

No.2831とNo.2837の投稿で、
高崎宗司氏著の本を引用という形で、あなたは文章を書いていますが、
これらの内容は、はっきり申しまして、
年代(西暦)の記述がことごとくおかしい、と私は思います。

この年代記述では、朴正熙が政権を握っていた時代の話になってしまいます。
1箇所書き間違えた程度(ケアレスミス)ならばともかく、
どうして全ての箇所で間違えているのか。

これでは、投稿内容(引用内容?)に対しての、
信用性を頭から疑わざるを得ません。
本の文章を転記するにしても、正確におこなっていただきたいものです。

Re: あのさ〜

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/10 18:13 投稿番号: [2841 / 3669]
>悪党が悪等行為を正当化して自己満足する場ではありません。

なんだよ〜。自分の事言ってるじゃん。(笑)

>お前ら個人攻撃して退散さすのが目的だから

いつも反撃食らって、遁走するのはどっち?(爆)

>朝鮮人をひどい目に合わせておいて、無能・無知だの劣等民族など
>悪口雑言を許せないだけです。

↑だから、嫌われるって気づかないの?
それは、もう論破されてるだろ?
君が書いて、皆が反論したら逃げちゃうじゃないか。
早く宿題やれよ。
宿題を片付けなかったら、いつまでも君の投稿は自己満足のオ○ニー扱い。
今日もまた、人が見てる所でやるのか?オ○ニー・・・

気持ち悪いな〜。(オエ〜〜〜〜)

↓はい、じゃあ俺もコピペするよ〜。

本田総一郎氏曰く「海外工場で一番悪かったのは韓国」
「アジア共栄権の時代」   邱永漢   渡部昇一著

(邱氏が、直接総一郎氏から聞いたお話です)

邱「海外で一番うまく言っている工場はどこですか?」

本「台湾」「台湾に行くと皆が私に『こうやって自分達が仕事をやれるのは、
  本田さんのお陰です』と言って、物凄く丁寧に扱ってくれるのです、ですから、
  胸に一物持っていても言い出せない」

邱「ちなみに、一番具合の悪かったところはどこですか?」

本「韓国」「向こうへ言ってオートバイを作る事を教えた、それで、一通りできるように
  なったら、『株を全部買いますから帰ってくれ』と言われた、『どうしましょうか?』と
  下のものに言われたので『そんな事言われるとこでやる事はねえよ』と言って
  金を返してもらった」

Re: あのさ〜

投稿者: bottomlineshock 投稿日時: 2006/06/10 12:55 投稿番号: [2840 / 3669]
>掲示板は他国を蔑視して誹謗中傷する場所ではありません。

一部の馬鹿を除けば、そんなやつはいないよ。
あんたの不都合な点を突かれているから、そう感じているだけなんじゃない?

>私の投稿を読んで一人でもまともに考える人が増えることを祈って投稿している。

あんたは本の内容をせっせと書き写しているだけ。
そんなおばかさんの投稿に感化される阿呆はおりません。

>朝鮮人をひどい目に合わせておいて、

何回も言ってるけど、
併合された方が悪いんだよ。日本を恨むのは筋違いな話だ。
国を滅ぼしたご先祖様のふがいなさを嘆きなさい。

Re: あのさ〜

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/10 12:36 投稿番号: [2839 / 3669]
>掲示板はオナニーのために使うもんじゃないよ

掲示板は他国を蔑視して誹謗中傷する場所ではありません。

悪党が悪等行為を正当化して自己満足する場ではありません。

お前ら個人攻撃して退散さすのが目的だから
まともな議論などできません。

私の投稿を読んで一人でもまともに考える人が増えることを祈って投稿している。

朝鮮人をひどい目に合わせておいて、無能・無知だの劣等民族など
悪口雑言を許せないだけです。

あのさ〜

投稿者: bottomlineshock 投稿日時: 2006/06/10 12:19 投稿番号: [2838 / 3669]
他の人と対話する気がないんだったら、
ブログなりホームページなり作ってそこで好きなだけ叫んでいろよ。
掲示板はオナニーのために使うもんじゃないよ。
掲示板は意見交換したり議論するとこ。
コピぺしまくって一人で悦に入るところじゃありません。

植民地朝鮮の日本人 釜山開港(2)

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/10 12:09 投稿番号: [2837 / 3669]
1976年9月、日本政府は、長崎・五島・対馬・釜山の航路開設
には助成金年5000円の下付を通知し、渡航や貿易を奨励した。

こうして、商船が一ヶ月に一回、長崎と釜山の間を往復する
ようになった。

そして、10月になると、これまで朝鮮と特殊な関係にあった対馬
の人に限られていた朝鮮への渡航規則を撤廃し、日本人は誰でも
自由に朝鮮を渡り、貿易も出来るようにした。

1977年1月になると、「釜山港日本人居留地祖借条約」を締結し、
江戸時代に設置されていた倭館の敷地11万坪をそのまま日本の
専管居留地にした。

そして、管理官を派遣し管理丁を置いた
(それぞれ領事・領事館と改称されたのは1980年のことである。)

1977年2月には、居留地に近代的な官立済生病院を開設した。

日本の発展ぶりを誇示するものであった。

ところで、日本はなぜ、釜山に目をつけたのだろうか。
釜山は、日本に最も近かっただけなく、江戸時代以来、対馬との間で
貿易を行っていて、倭館も設置されていたからである。

1971年ころには200人程度の居留民もいたし、1972年には、後に
「朝日新聞」釜山通信員と活躍する半井泉太郎も、医者として
倭館に勤務していたから父のもとで給仕として働いていている。

対馬藩が朝鮮外交役を罷免された後だったので、そこに居住する
者は減少していたが、それでも50人〜60人はいた。

その中には、1973年10月に外務省が設置した草梁館語学所で学ぶ
旧対馬藩士族が10人もいたという。

ところで、釜山を開港した年(1976年)の釜山居留民の人口統計は
見つかっていない。

しかし、当時は釜山以外には日本人はいなかったから、善生英助が
調査した全朝鮮居留民の数を釜山のそれとして考えれば、54人で
あった。

そのうちの二人は女性と記録されている。

難波専太郎によると、海軍大軍医・矢野義徴の妻と女中が最初で、
大倉組の富田重五郎の「女中」(妻の誤まり)がそれにつぐという

富田が妻子をつれて釜山についたのは1976年11月のことであった。

11月には、外務省書記生・中野許太郎も妻を帯同してきたというから
、年末の女性はの数は、二人以上になっていたはずである。

1977年3月、朝鮮側は、家族連れの渡航は条約違反であると抗議したが
、日本側は突っぱねた。

1977年には345人と激増した。
そうした中で、早くも同年5月には、13人の児童を対象に、共立学校という
名の小学校程度の学校が設置された。

朝鮮における日本人学校の初めである。
1980年末には2066人に達した。

植民地朝鮮の日本人   高崎   宗司著   P4〜5

Re: 朝鮮軍司令部 1904‐1945

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/10 11:21 投稿番号: [2836 / 3669]
>朝鮮兵は、入営が昭和19年の秋以降にずれ込んだために、本土と朝鮮防衛の部隊に入り、南方の戦地で死んだ者は日本兵に比して多くはなかった。

南方へ軍属としての派遣が多い
困難な基地設営の労働者として派遣されたから当然日本兵より兵隊の戦死は少ない

朝鮮兵は戦場の前線にだされることはなく捕虜管理や補給部隊の一員として
だされたから当然日本兵より少ないです。
朝鮮兵が信用できなかったから後方の任務が多かったのです。

>一、いつ、いかなる時でも唐辛子粉を食事に際し好きなだけ使わすこと。
一、絶対に頭を叩いてはいけない。怨みを持って復讐することが気質があり、脱走の原因となる。
一、清潔な食事運搬用バケツと雑巾バケツの区別をよく教えること。
一、危険な状況下では銃を投げ捨てて哀号!と泣き出す習癖があるから、日本兵二名で一名の 朝鮮兵を入れて行動せよ」

このような通達がどこまで守られたのでしょうか

朝鮮軍司令部 1904‐1945

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/10 03:19 投稿番号: [2835 / 3669]
朝鮮軍司令部 1904‐1945
古野 直也 (著)

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4336031940/250-1793395-7506647?v=glance&n =465392

朝鮮人気質を考える重要な参考書

対人関係の考え方、恥の概念などが、礼節の國「日本」とまるで違う韓国・朝鮮。太平洋戦争時も、多々問題になったようだ。
少し引用すると、

「朝鮮兵は、入営が昭和19年の秋以降にずれ込んだために、本土と朝鮮防衛の部隊に入り、南方の戦地で死んだ者は日本兵に比して多くはなかった。既に船舶が底をついて、海外には送り難かったのだ。初めて管理する朝鮮兵の扱いについて陸軍は通達を出し、細部まで注意事項の厳守を求めている。特に目を引く項目は次の如くである。

一、いつ、いかなる時でも唐辛子粉を食事に際し好きなだけ使わすこと。
一、絶対に頭を叩いてはいけない。怨みを持って復讐することが気質があり、脱走の原因となる。
一、清潔な食事運搬用バケツと雑巾バケツの区別をよく教えること。
一、危険な状況下では銃を投げ捨てて哀号!と泣き出す習癖があるから、日本兵二名で一名の 朝鮮兵を入れて行動せよ」

今も昔も変わらない朝鮮の民族性を考えるのに重要な一冊。

↓楽しいか?

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/10 02:57 投稿番号: [2834 / 3669]
悪いけど、オ○ニーは人が見るところでしないでくれる?

一人でやってよ、気持ち悪いから。(オエ)

韓国併合への道 呉 善花

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/10 02:49 投稿番号: [2833 / 3669]
この不平等条約について
著者はこのように言っている。

「朝鮮政府がこれらへのこだわりをまったくみせなかったことからすれば
、何のことか分らず、これが不平等条約だとすら認識していなかったのでは
ないか」と

背景には日本が軍艦を派遣し10日以内に締結を要求
また交渉まとまらない場合は日本が出兵する準備を用意していたこと

【李氏朝鮮の態度】欧米列強の開国要求に対して激しく抵抗した朝鮮が,
日本とは抵抗もなく不平等とされる条約を結んだのは,
当時李氏朝鮮内で攘夷派の大院君からこれに反対する閔氏派に政権が移ったことが関係している。

閔氏政権は日本の軍事行動を恐れ,条約内容を吟味するよりも一時逃れとして要求通りに調印し,実施に際し無視すればよいと考えていた。

http://www.tabiken.com/history/doc/N/N382R100.HTM

↓楽しいか?

投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/06/10 02:16 投稿番号: [2832 / 3669]
こういった事しても日本人はもう騙されないよ。

はっきり言って、無駄な努力。

壊れたラジオ状態。

夜中までごくろうなこった。(嘲笑)

植民地朝鮮の日本人 釜山開港(1)

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/10 02:04 投稿番号: [2831 / 3669]
釜山開港(1)

1976年2月の日朝修好条規の主な内容は次ぎのようなことであった。

釜山を開港すること。

今後20ヶ月以内に他の二港を開港すること。

それらの港では「地面を賃借し家屋を造営し、又は所在朝鮮人民の居宅を賃借するも
各其随意に任す」こと。

「日本国人民、朝鮮国指定の各口に在留中、若し罪科を犯し朝鮮人民に交渉する事件は、
総て日本国官員の審断に帰す」こと(治外法権)

そして、同年8月には「修好条規に付属する往復文書」と「修好条規付録」とを
結んで、輸出入品に関税をかけないこと。

朝鮮において日本貨幣の通用を認めることを決めた

いづれも、日本にとって、はなはだ有利な取り決めであった。

幕末の日本に対してアメリカなどが強要した不平等条約は、アメリカなどの治外法権を認め
日本の関税自主権を認めなかったことでしられているが、

日本は朝鮮に対して、関税自主権どころか、関税そのものを認めなかったのである。

そして、アメリカなどが日本に対してもたなかった、自国貨幣の通用させる権利まで

手にいれたのである。

植民地朝鮮の日本人 ⑧

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/10 01:37 投稿番号: [2830 / 3669]
1937年7月日中戦争が全面化すると、威鏡南道の朝鮮窒素興南工場も軍需産業に
転換していった。

そして、「朝鮮人が死んだって風が吹いたほどにも感じない」ように
なっていった。

日本人は朝鮮人を押さえ指導していく民族だという自覚を会社は徹底して植えつけた

残業で疲れ果て座り込んでいる労働者を木刀で殴って働かせた。

岡本達明・松崎次夫編   「聞書   水俣民衆史」第5巻   草風社

Re: 植民地朝鮮の日本人 ⑦

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/08 18:05 投稿番号: [2829 / 3669]
京城白樺派

日本人の多くは朝鮮および朝鮮人を食い物に
するために朝鮮へ渡った。

しかし、ごく少数ではあるが、朝鮮および朝鮮人を理解するために
朝鮮へ渡った人もいた。

淺川   伯教・巧兄弟らは後者にぞくする稀有な日本人であった。

彼らは白樺派のメンバ−ではなかったが、柳宗悦を通じて白樺派と
言動をともにした「京城白樺派」とも呼ぶべき人々であった。

小学校の教師で、彫刻家でもあった伯教は、故郷・山梨県の友人の
集めた朝鮮陶磁器に魅かれた。

また、東京帝国大教授・関野貞が紹介した朝鮮美術についての
報告書を読んで朝鮮に憧れた。

そして、1913年に朝鮮へ渡った。

本業は京城の南大門小学校訓導であった。
そこでは教師がサ−ベルを堤げていた。

三・一運動が起こる1919年まで、朝鮮における教師は、それが義務で
あった。

伯教は、さっそく李王家の博物館を訪れた。

そして、高麗青磁の美にうたれた。

骨董屋で買い求めようとしたが、高くて手が出なかった。

そうしたとき、朝鮮白磁に出会った。

骨董屋は白磁をさして、「こんな白い壷は漬物でも入れるには
よいかも知れぬが、骨董の仲間入りするものではない。」と言った。

しかし伯教は、「高麗の青磁は過去の冷たい美しさだが、この白磁は
現在の私の血に通う生きた友である。これには間違いない。

私の眼が開けたのだ、よい物を見た」と思った。

白磁に対する高い評価は、その後、柳宗悦の支持を得て、やがて一般の
物になった。

伯教は、朝鮮陶磁器の歴史を研究し、700余箇か所の窯址を調査して
著作や論文をまとめ、その美を日本人と朝鮮人に紹介した。

「釜山窯と対州窯」などは、蔑視や偏見とは無縁の愛情あふれたものであった。

敗戦後の1946年、日本へ戻るときには、それまで収集してきた約3000点
の美術品を朝鮮博物館に引き渡した。

それらの品々は今、韓国中央国立博物館に所蔵されている。

2001年、故郷の山梨県高根町に淺川伯教・巧兄弟美術館が建設された。

ところで、「日本は朝鮮で悪いこともしたが、良いこともした。
その一つは植林である」と信じている人は多い。

しかし、植林をしたのは、より多くの森林資源を収奪するためであり、

、朝鮮の山を緑にすることを目的にしたものではなかったことを忘れてはならない。

巧は、朝鮮に来た1914年以来、林業試験所で朝鮮唐松の育苗を試み、露天埋蔵法などの開発に取り組んだ。

また、伯教の影響で朝鮮の工芸の研究を始め、「朝鮮の膳」「朝鮮陶磁名考」などの名著を残した。

巧は、1931年亡くなり、京城郊外の忘憂里共同墓地に葬られた。

そして、2002年今も、3万人の朝鮮の死者たちとともに、日本人として
ただ一人そこに眠っている。

墓は林業試験場の朝鮮後輩たちによって守られているのである。

それは、巧が職場の朝鮮人同僚と分け隔てなく付き合い、その子弟を援助
していたというようなことが、職場で語り継がれているからである。

「朝鮮の土となった日本人」高崎   宗司   著   1998年

http://www.gilink.co.kr/sjc2/sjcnews/society/0319.htm

Re: 日本が支配した朝鮮の実体

投稿者: bottomlineshock 投稿日時: 2006/06/08 12:53 投稿番号: [2828 / 3669]
>お前らと議論しても時間の無駄

じゃあ、何で来るの?

>蔑視観を根底に罵倒することで自己満足している連中と議論しても

あんたはコピペしまくって自己満足してるだけじゃん。

>何も得られない

じゃあ、来るなよ。

韓国人は、そもそも出発点からして間違っている。
国を失った方が悪い。国を奪われるほうが悪い。それだけのこと。

悔しいんだろうけど、日本を恨むのは筋違いだね。
とてつもなく弱かったご先祖様を恨めよ。

孤高宣言かいな?

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/08 12:19 投稿番号: [2827 / 3669]
>お前らと議論しても時間の無駄

正確には、あんた、議論が「できない」だけでしょ。文章の都合のいい箇所だけを引きまくっているだけで相互矛盾してくることにも気付かない。(いや頬かむりしているだけなのかも)
ああ、それと文章書き写しにしても入力後に校正はかけてるのかい?あの体たらくじゃ司馬遼の文章も台無しだ。

>蔑視観を根底に罵倒することで自己満足している連中と議論しても
何も得られない

今いいこと言った!

他投稿者への蔑視感を根底に議論を回避し、ひたすら文章の書き写しで自己満足している輩とは、議論しても何も得られないばかりか、議論自体が成立しない。

日本が支配した朝鮮の実体

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/08 11:16 投稿番号: [2826 / 3669]
お前らと議論しても時間の無駄

蔑視観を根底に罵倒することで自己満足している連中と議論しても
何も得られない

Re: 植民地朝鮮の日本人 ⑥

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/08 09:27 投稿番号: [2825 / 3669]
排人の高浜虚子が夫人を同伴して朝鮮を旅したのは、
韓国併合の翌年、1911年であった。

高浜がそこで見たのは、横暴な日本人、あるいは賎しい日本人の姿であった。

釜山では、日本人の男が、足りない料金を請求する荷物運びの朝鮮人少年
に対して、5銭しか払わず、「もう其れ無い」と言って
「子供を突きのけるようにした」

このころ、2003年生まれの梅根悟は、大丘で石炭商・梅根商店を営む
叔父を訪ねて朝鮮へ行った。

そこでみたものは高浜が見たものよりひどいものだった。

迎えに来てくれた叔父の会社の使用人は、人力車に金を払うだんになると、
「さも汚らわしというように、金を道に投げつけた。

車夫が「足りない」と抗議すると、罵倒しながら」ひっぱたいたのである
(潮   1971年   9月号   P113)

平城新聞の記者であった中西伊之助は、藤田組の鉱山における
労働者虐待を暴露して投獄された。
そして「多くの朝鮮人と接触する機会をもち、日本支配の実情を
より底辺から認識した。

Re: 植民地朝鮮の日本人 ⑤

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/08 09:06 投稿番号: [2824 / 3669]
銭鎮漢が京城の本町にあった寺田商会に勤めはじめたとき、
主人は、銭より年下の山木には、「この子は、銭と呼びなさい」
と言い、銭には山木を「山木さま」と呼ぶように、と言った。

そして、夜間中学入学のために勉強をしていた銭に対して
、「朝鮮人のくせに!」と言いながら、電灯の使用を禁じた。

銭は耐えられずに店をやめた
その時銭は、「肌着1枚」で追放された。
銭が「日本打倒」を決意したのはこの日だったという

「朝鮮人のくせに」というせりふもずいぶん吐かれた

Re: 植民地朝鮮の日本人 ④

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/08 08:48 投稿番号: [2823 / 3669]
「朝日新聞」の京城特派員であった中野正剛は、「我が観たる満鮮」
(政教社、1915年)
で、日本の「同化政策は殆ど不可能」だと述べた。
「内地人の鮮人に対する言語の如きは、不都合千万のものにて、彼等は
如何なる朝鮮人に対するも、一律に「ヨボ」と呼び捨つるを常とす。

「ヨボ」なる語は、元来呼びかけの言語にて、決して侮蔑の言に非ざれども、
内地人の朝鮮人に対する時は、
必ず其声調に一種侮蔑的脅迫的意味を含まざるはなし。

耐して交渉の面倒となり、言語の通じ難きに至るや
内地人は必ず「ヨボ」に次ぐに、
「馬鹿」「野郎」「イヌマ(朝鮮語で「このやろう」)等の語を以てする。」

使用人に日本名をつけて呼んだり、年下の日本人店員が年上の朝鮮人店員
を呼びつけにしたり、というようなことも多かった。

読む気もしないからw

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/06/08 01:26 投稿番号: [2822 / 3669]
ダラダラと書き写しに膨大なエネルギーを浪費して、気を紛らわしてるってか。(笑)

ムダだな。

つうか、逃げるなって。弱虫め。

読む気もしない。

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/08 01:11 投稿番号: [2821 / 3669]
どうせ何を書いているか想像できるから読むきもしないよ。

植民地朝鮮の日本人 ③

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/08 01:08 投稿番号: [2820 / 3669]
贋金作り

  山口県で8人兄弟の末っ子として生まれた浦尾文蔵は、
裁縫と貸家をしていた姉のいる漢城へ旅立った。
漢城で1896年には「一穫千金の朝鮮人参買い入れに没頭した。
高瀬商会の代人から資金を調達し、漢城の薬屋・満岡文三郎の
家に宿泊し、日本領事館の巡査2人を帯同して買収に臨んだ
人参の売買は朝鮮政府の許可なしに行えないことになっていたから、
朝鮮の兵隊がこれを阻止しようとしたが、浦尾は「刀を抜きはなって」
強行した。

同業者のなかには「偽造契約書をつくり、すでに参価を払ったうふうに
よそおい、片っぱしから、めぼしい人参を採掘しはじめた」
人もいた。
人参畑を視察するために江原道に行ったときは、「右手にピストルを握り
左手に刀を握って」いた。

1899年1月には、三人の仲間と共謀して、贋金を作った。
大阪に行って二銭五輪の偽造白銅貨を七厘で作って朝鮮に持ち込んだ
のである。
5000円の出資で2万円近くなるはずであったが、刑事に捕まり、贋金は
没収、立ち退きを命じられた。
帰国船には、「同じような事件で同船したもの、わたしをいれて14名」
というからいかに多くの居留民が贋金をつくり、流通を混乱させたかが推測
できよう。

植民地朝鮮の日本人   P86

逃げ回ってないで。(苦笑)

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/06/08 01:03 投稿番号: [2819 / 3669]
こんなところにコソコソ書き込んでないで、「日韓歴史論争」トピはどうするの?
無責任だなあ。
あちこちのトピに書きなぐって、反論されればトンズラばかり。

whiterose20051ちゃんは、皆さんに論破されて、負けを認めた。
これで、いいんですね。

↓末チャンよう♪

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2006/06/08 00:33 投稿番号: [2818 / 3669]
書き写しでで膨大なエネルギーなんか使うなって。(苦笑)

そんなの、「○○っていう本の何ページに書いてある」で済むだろうが。

それに、長々と引用すると、文芸春秋社や、福田みどり未亡人がクレーム付けるぞ。

坂の上の雲 日清戦争 ②

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/08 00:25 投稿番号: [2817 / 3669]
やがて日本が徳川家というただ一軒の家の権力を永久に守るために
対外関係をきりすて、鎖国をしたころ、ヨ−ロッパにあっては
30年戦争がつづいている。

以後、日本には奇蹟のような平和がつづいたが、しかしヨ−ロッパ
はそのまま戦争の歴史であり、さらに国富の増大のための植民地獲得競争
の歴史であった。

この間、ヨ−ロッパではあらゆる方面の「人智」がいよいよ発達した。

たとえば国家が君主のもちものであるという性格が変質し、君主権が
後退し、国民の国家というものにかわってゆく

とはいえあいかわらずの帝国主義はつづくが、そういう国家的利己主義も、
国際法的にも思想的にも多くの制約をうけるようになり、
いわばおとなの利己心というところまで老熟した時期、「明治日本」が
このなかまに入ってくるのである。

「明治日本」というのは、考えて見れば漫画として理解したほうが早い。
すくなくとも、列強はそうみた。
ほんの二〇余年前まで腰に大小をはさみ、東海道を二本すねで歩き、
世界中のどの国にもないまげと独特の民族衣装を身につけていたこの国民が
いまはまがりなりにも、西洋式の国会をもち、法律をもち、ドイツ式の陸軍と
イギリス式の海軍をもっている。

「猿まね」と、西洋人はわらった。
模倣を猿というならば、相互模倣によって発達したヨーロッパ各国民こそ老舗
のふるい猿であるにちがいなかったが、しかし猿仲間でも新点の猿は笑いもに
なるのであろう。

自分こそ猿ではなく、世界の中華であるとおもっている清国は清国で、日本人の
欧化をけいべつした。
もっとも日本人をけいべつしたのは、大清帝国の文明を信じ、その属邦でありつづけようとする
朝鮮であった。

朝鮮は日本に対し「倭人なるものは唾棄すべきことにおのれの風俗をすてた」
というそれだけの理由で日本を嫌悪し、日本の使節を追い返したことさえある。

明治初年の征韓論は、そういう、双方のこどもじみた感情問題が、口火となった。

いずれにしても、維新後国をあげて欧化してしまった日本と日本人は、先進各国から
みれば漫画にみえ、アジアの隣国からみれば笑止な、小面憎い存在としてしかみえず
どちらの側からも愛情や好意はもたれなかった。

しかし、当の日本人と日本人だけは、大まじめであった。
産業技術と軍事技術は、西洋よりも四百年おくれていた。

それを一挙にまねることによって、できれば、一挙に身につけ、それによって
西洋同様の富国強兵のほまれを得たいとおもった。

いや、ほまれというようなゆとりある心情ではなく、西洋を真似て西洋の力を
身につけねば、中国同様の亡国寸前の状態になるとおもっていた。

日本のこのおのれの過去をかなぐりすてたすさまじいばかりの西洋化には、日本帝国
の存亡が懸けられていた。

西洋が興隆したそのエネルギ−源はなにか、
と言う点では、日本の国権論者はそれが帝国主義と植民地にあるとみた。

民権論者も「自由と民権にある」とは言いつつも多くのものが帝国主義をも
あわせて認めた。

帝国主義と自由民権運動は渾然としていて西洋諸国の生命であると見、
当然ながらそれをまねようとした。

西洋の帝国主義はすでに年季を経、複雑で老獪になり、かっては強盗であったものが
商人の姿をとり、ときに変幻してヒュ−マニズムのすがたをさえ仮装するまでに
熟していたが、日本のそれは開業早々だけにひどくなまで、ぎごちなく
、欲望がむきだしで、結果として醜悪な面がある。


坂の上の雲   第2巻   P30   司馬   遼太郎著   文春文庫

植民地朝鮮の日本人 ②

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/07 20:03 投稿番号: [2816 / 3669]
激増する在朝日本人(1905〜10)韓国保護化〜朝鮮併合

韓国が日本の保護下にあった05年から10年にかけて、
在朝日本人によって盛んにおこなわれていた悪行の一つに、高麗
の古都・開城における古墳の盗掘と、掘り出した高麗青磁の密売買があった。
それに関連して逮捕され、裁判で有罪を言い渡された人も多かった。
李亀烈「韓国文化財受難史」に紹介されている事例は10件に満たないが

それは氷山の一角に過ぎない。

なにしろ、後に開城を行脚した人が、

「彼の王陵郡のあたりに行くと、無数の墓榮があばかれて、
どの山もどの丘も一面の巣の如くに穴だらけとなっている」

と書くような状態であったのである。

「朝鮮古蹟行脚」P189   秦東書院   1930年

坂の上の雲 日清戦争 ①

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/07 19:44 投稿番号: [2815 / 3669]
日清戦争とは、なにか。
「日清戦争は、天皇制日本の帝国主義による最初の植民地獲得戦争である」
という定義が、第二次世界大戦のあと、この国のいわゆる進歩的学者たちのあいだで
相当の市民権をもって通用した。

あるいは
「朝鮮と中国に対し、長期に準備された天皇制国家の侵略政策の結末である」
ともいわれる。

というような定義があるかとおもえば、積極的に日本の立場を認めようとする
意見もある。

「清国は朝鮮を多年、属国視していた。さらに北方のロシアは、朝鮮に対し、
野心を示しつつあった。日本はこれに対し、自国の安全という立場から
朝鮮の中立を保ち、中立をたもつために朝鮮における日清の勢力均衡をはかろう
とした。が清国は暴慢であくまでも朝鮮に対するおのれの宗主権を固執しようと
したため、日本は武力に訴えてそれをみごとに排除した。」

前者にあっては日本はあくまでも奸悪な、悪のみに専念する犯罪者のすがたであり、

後者にあってはこれとうってかわり、英姿さっそうと白馬にまたがる正義の騎士のようである。

国家像や人間像を悪玉か善玉かという、その両極端でしかとらえられないというのは、
いまの歴史科学のぬきさしならぬ不自由さであり、その点のみからいえば、歴史科学は近代精神をよりすくなく
しかもっていないか、もとうにも持ち得ない重要な欠陥が、宿命としてあるようにもおもえる。

他の科学に、悪玉か善玉かというようなわけかたはない。

例えば水素は善玉で酸素は悪玉であるというよなことはないであろう。

そういうことは絶対にないと言う場所ではじめて科学というものが成立するのだが、

ある種の歴史科学の不幸は、むしろ逆に悪玉と善玉とわける地点から成立してゆくというところがある。

坂の上の雲   2巻   P26   司馬   遼太郎   文春文庫

ある朝鮮引き上げ日本人のことば

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/07 03:35 投稿番号: [2814 / 3669]
たしかに日本の支配下にあった朝鮮は、当時の日本にくらべて
近代化がおくれ、暗くて貧しかった。
日本が唱えた停滞論・落語論は、そういう現実の姿を基礎につくりだされたと思う。
もとより、これは大きい誤まりを犯している。
日本の支配が朝鮮の進歩を阻止したことを知ろうとしなかった点
、また先進・後進は永久不変なものでないのに朝鮮のおくれを
宿命のように考えた点は、不等な見解であった。
今朝鮮の変貌をみると、かって日本人が唱えた停滞論や落後論は
通用しなくなっている。

旗田   巍   (植民地朝鮮の日本人)

植民地朝鮮の日本人

投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/06 21:12 投稿番号: [2813 / 3669]
激増する在朝日本人(1905〜10)韓国保護化〜朝鮮併合

日本人の横暴

後に詩人となる丸山薫は、05年5月、6歳で、母と一緒に漢城へ渡った。
04年に締結された第一次日韓協約に基づいて、父・丸山重俊が韓国政府に
警察顧問として送り込まれていたからである。

薫は、08年夏、小学校三年の一学期までを朝鮮ですごした。
そのころ、次のような光景をみた。
電信柱が折れて上がっていた朝鮮人が地面にたたきつけられて死んだ。

「日本人工夫がチェッと舌打ちしながら、そのからだをずるずると曳きすっていった」。

また、日本人の荷車が坂を暴走し、朝鮮婦人を電柱の間に押しつぶして悶絶させた。
荷車の男は、「倒れた婦人をそのままにして」行ってしまった。
(丸山   薫全集   第四巻   324ペ−ジ)

キリスト教伝道で朝鮮に渡った二人の牧師酷天生と上田義男とは、そろぞれこう書き残している。
「邦人の演じたる暴行は実に吾人と雖も悲憤の涙に暮れざるをえざるものあり。
所謂貸金政策なるものは、統監府設立以前に於いて我国民の彼人民に対し
て取れる常套手段にして、一ヶ月一割二割の高利を付せしめ、期限が来る時は故意に外出して之を受取らず、
後に之を口実として其土地家屋を略奪せること、其数少なからずと聞く」

金の指輪を盗んでつかったった朝鮮人を、「イキナリ裏庭に引きづり、後手に縛り、
背と手の間に玉突の「キウ」を念じこみ、拷問にかけ、遂に気絶させした」

「当事鮮人に同情するものなどはナゼ朝鮮人を贔屓する、日本人を押潰してよいのか、この非愛国者奴が!」

それが当時の在鮮日本人気分と云うも、必ずしも過言でなかった」
小川圭冶・池明観編「日韓キリスト教関係史資料」1984年

Re: ◆コリア関連書籍◆

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/06/03 08:48 投稿番号: [2812 / 3669]
他トピで宿題残したまますりかえ・遁走しておいて、議論向きでなく自然反論も少ないであろうトピを選んで攻めるとはな。
その頭脳を宿題対応に使ってほしいものだ。(嘲笑)
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