植民地朝鮮の日本人
投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/06 21:12 投稿番号: [2813 / 3669]
激増する在朝日本人(1905〜10)韓国保護化〜朝鮮併合
日本人の横暴
後に詩人となる丸山薫は、05年5月、6歳で、母と一緒に漢城へ渡った。
04年に締結された第一次日韓協約に基づいて、父・丸山重俊が韓国政府に
警察顧問として送り込まれていたからである。
薫は、08年夏、小学校三年の一学期までを朝鮮ですごした。
そのころ、次のような光景をみた。
電信柱が折れて上がっていた朝鮮人が地面にたたきつけられて死んだ。
「日本人工夫がチェッと舌打ちしながら、そのからだをずるずると曳きすっていった」。
また、日本人の荷車が坂を暴走し、朝鮮婦人を電柱の間に押しつぶして悶絶させた。
荷車の男は、「倒れた婦人をそのままにして」行ってしまった。
(丸山
薫全集
第四巻
324ペ−ジ)
キリスト教伝道で朝鮮に渡った二人の牧師酷天生と上田義男とは、そろぞれこう書き残している。
「邦人の演じたる暴行は実に吾人と雖も悲憤の涙に暮れざるをえざるものあり。
所謂貸金政策なるものは、統監府設立以前に於いて我国民の彼人民に対し
て取れる常套手段にして、一ヶ月一割二割の高利を付せしめ、期限が来る時は故意に外出して之を受取らず、
後に之を口実として其土地家屋を略奪せること、其数少なからずと聞く」
金の指輪を盗んでつかったった朝鮮人を、「イキナリ裏庭に引きづり、後手に縛り、
背と手の間に玉突の「キウ」を念じこみ、拷問にかけ、遂に気絶させした」
「当事鮮人に同情するものなどはナゼ朝鮮人を贔屓する、日本人を押潰してよいのか、この非愛国者奴が!」
それが当時の在鮮日本人気分と云うも、必ずしも過言でなかった」
小川圭冶・池明観編「日韓キリスト教関係史資料」1984年
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