Re: 植民地朝鮮の日本人 ⑥
投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/08 09:27 投稿番号: [2825 / 3669]
排人の高浜虚子が夫人を同伴して朝鮮を旅したのは、
韓国併合の翌年、1911年であった。
高浜がそこで見たのは、横暴な日本人、あるいは賎しい日本人の姿であった。
釜山では、日本人の男が、足りない料金を請求する荷物運びの朝鮮人少年
に対して、5銭しか払わず、「もう其れ無い」と言って
「子供を突きのけるようにした」
このころ、2003年生まれの梅根悟は、大丘で石炭商・梅根商店を営む
叔父を訪ねて朝鮮へ行った。
そこでみたものは高浜が見たものよりひどいものだった。
迎えに来てくれた叔父の会社の使用人は、人力車に金を払うだんになると、
「さも汚らわしというように、金を道に投げつけた。
車夫が「足りない」と抗議すると、罵倒しながら」ひっぱたいたのである
(潮
1971年
9月号
P113)
平城新聞の記者であった中西伊之助は、藤田組の鉱山における
労働者虐待を暴露して投獄された。
そして「多くの朝鮮人と接触する機会をもち、日本支配の実情を
より底辺から認識した。
これは メッセージ 2824 (whiterose20051 さん)への返信です.
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