植民地朝鮮の日本人 ③
投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/08 01:08 投稿番号: [2820 / 3669]
贋金作り
山口県で8人兄弟の末っ子として生まれた浦尾文蔵は、
裁縫と貸家をしていた姉のいる漢城へ旅立った。
漢城で1896年には「一穫千金の朝鮮人参買い入れに没頭した。
高瀬商会の代人から資金を調達し、漢城の薬屋・満岡文三郎の
家に宿泊し、日本領事館の巡査2人を帯同して買収に臨んだ
人参の売買は朝鮮政府の許可なしに行えないことになっていたから、
朝鮮の兵隊がこれを阻止しようとしたが、浦尾は「刀を抜きはなって」
強行した。
同業者のなかには「偽造契約書をつくり、すでに参価を払ったうふうに
よそおい、片っぱしから、めぼしい人参を採掘しはじめた」
人もいた。
人参畑を視察するために江原道に行ったときは、「右手にピストルを握り
左手に刀を握って」いた。
1899年1月には、三人の仲間と共謀して、贋金を作った。
大阪に行って二銭五輪の偽造白銅貨を七厘で作って朝鮮に持ち込んだ
のである。
5000円の出資で2万円近くなるはずであったが、刑事に捕まり、贋金は
没収、立ち退きを命じられた。
帰国船には、「同じような事件で同船したもの、わたしをいれて14名」
というからいかに多くの居留民が贋金をつくり、流通を混乱させたかが推測
できよう。
植民地朝鮮の日本人
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これは メッセージ 2816 (whiterose20051 さん)への返信です.
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