美しい国日本

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Re: 美しい国日本 age

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/06/16 16:43 投稿番号: [322 / 402]
age

遊郭

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/06/13 11:37 投稿番号: [321 / 402]
思えば苦難の往路であった。海は荒れ、風雨と濃霧が一行を翻弄した。火事で船を一艘焼いてしまうわ、突っ張って野宿はするわ、風雨暗夜のド根性行進やら、まー、騒がしく旅路を重ね、ようよう一行は江戸入りを果たした。行程としては帰路を入れると半分ということだが、しかし目的は江戸城や市中における行事と交歓である。(裏目的は情報収集、技術取得だが)
彼らは旧暦の五月二十日に品川に着き六月十三日に江戸市中を離れたので都合二十三日間江戸に滞在したことになる。

この逗留の前にちょっと横道を歩いてみよう。
最後の一日は藤沢の宿を日の出とともに出立し夕暮れに品川に着いたが、その途中神奈川の宿で休憩をとった。信徒はこう残している。
「・・村の中に数十箇所楼閣があり、海を俯瞰して広々と静かである。楼閣の中は太鼓橋や高い梯子で左右の楼閣に通じ、金色の屏風と刺繍した絹の帳が奢侈で精巧である。尋ねてみるとみな娼家であるという。」

聞きなれない宿場名でも廓の盛況ぶりは目に浮かぶ。1617年に吉原遊郭が幕府によって許可されているが、それから百数十年、遊郭文化は列島のあらゆる町で華を咲かせていたようだ。
なぜこんな話をするかというと、まず、バッグひとつでハワイに帰ってきたので引用本がない。あの本は厚くて重いのだ。で、韓国関連で引っかかっていたことがあったのでお茶を濁させてもらうことにした。
近年猶系米人が書いた「Memoirs of a Geisha」 がアメリカでベストセラーになり、映画化権を得たスピルバーグ製作の「さゆり」も世界的にヒット、米アカデミーのデザイン・美術・撮影賞をとったりした。
それに対してある韓国紙が、「われわれにも日本に先んじて妓生(キーセン)文化が華やかだったのにハリウッドは日本の芸者を選んだ。・・・もしわが国が舞台であれば、と恨めしく思う」(概してこんな文章)と書いていたのを思い出したからだ。
そういえば朝鮮文化を捉えたハリウッド映画はあったのだろうかと思ったが、・・なにも浮かんでこない。
大東亜戦争でアメリカ・イギリス・オランダ・オーストラリア・という列強を相手に戦ったのは日本であった。だからハリウッドは国民的スター・ジョン・ウェインで「硫黄島の砂」を撮り、あのイースト・ウッドは自ら企画した「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」をものにして名声を一段と上げた。またハリウッドは日本の黒澤明に「トラ・トラ・トラ」を撮らせもした。これは深作欣治(中島貞夫)に交代したが作品の出来がよく高く評価されている。
このような戦記ものは、国の存亡の瀬戸際に至っても事大、人任せにして自ら戦わなかった韓国を主題には撮りようがない。しかしそれだけではない。
トム・クルーズは、
「名誉を重んじ、自らが信じるもののためには死を恐れない。これは、そんな『サムライ魂』を讃える映画です。まちがいなく、私にとって一生忘れられない作品になります。」「サムライ魂の持つエレガンスと美に、私はずっと強く惹かれてきました」
と「ラストサムライ」を製作して世界中でヒットさせた。
同じころ韓国映画界もそこ、そこの出来だった「MUSA」を撮り、起源は韓国にありと武者ならぬ無茶なことを言い出したが、誰も相手にしなかった。
また、「エイリアン」のリドリー・スコットは高倉健と松田優作を使って「ブラックレイン」を撮り、名作「ブレードランナー」のシュールを大阪に再現した。
オレは観ていないが古い映画で「サヨナラ」というすぐれた恋愛映画もあったらしい。二組の駐留米軍将校と日本女性との熱愛ものだが、白人優越主義の周囲の圧力に、一組は天国で結ばれようと『日本的』に心中を遂げ、もう一組の将校は係累すべてを投げ捨て日本娘と結ばれる。
キムチを常食として時々犬を食べる韓女とキスをする恋愛劇を、果たして西洋人は演じることができるのか。

ともあれ、現在は日本と同じ軍事同盟国であっても、語るべき文化も歴史もない韓国を米国映画界は相手にしない。まったく絵にならないのである。しかし日本文化は錚々たるスタッフ・キャスト・で映画化される。彼我の文化と歴史の埋めようのない差異であるが、韓国人はそれを理解しない、いや、正確には理解を避ける。そして脳内にお花畑を展開し元気一杯楽しむことができるのだ。とまれ、韓国人とはきわめて特殊な技を持つ人種ではある。

つづく

Re: 美しい国日本 あげ

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/06/09 23:34 投稿番号: [320 / 402]
あげ

朝鮮通信使14

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/06/06 02:07 投稿番号: [319 / 402]
ジェットコースターから降りるときガクッとした疲れを感じることがあるだろう。恐怖心は過剰にアドレナリンを放出させて体内エネジーを大量消費する。川越人足の一歩一歩に神経を集中して体をこわばらせ続けた信使一行は、幸い流された者は一人もいなかったが、岸辺にたどり着いたときは茫然自失、ヘトヘト状態だったことが推察される。渡し場に蝟集した駿河衆から盛大な拍手が起こったことだろうが、彼らは両手をあげてその歓呼に応えることができたのだろうか。

恨めしき大井川を背にした向こう岸は駿河の国だ。ちょうど茶摘みの季節でもある。われわれの駿河のイメージといえば、富士山を背景に茶畑がゆるやかな丘陵地帯に広がり、その中に紺の絣を着た♪あかねだすきに   菅の笠♪の娘たちが点在する、そんな風情だが、信使の記録に茶摘み風景は語られていない。江戸時代も半ばに入っていて駿河茶は出回っていたようだが、チャッキリ節的な風景はもっと後のことなのか、それとも茶摘み娘もこぞって行列見物に出払っていたものか。それほどお茶目な通信使は行く先々で大人気なのである。

さて、桜・紅葉と、日本列島はその色合いを年に数度も変える。そして新緑の候も格別なものがある。茶色の残る木々を置き去りにするように、勢いのいい樹木はやわらかな薄緑色を野や山に、町中の立ち木まで、芳しい香りとともに展開していく。この時期、林の中で深呼吸してみるといい、生命の活力を感じることができるだろう。
元寇の造船で、バリカンをあてたように山々の木々を刈りつくされた半島人にとって、東海道の新緑は樹木のプロムナードであり、山中のそれは目くるめく翠の緞帳だ。

その夜は藤枝で渡河の疲れをとり、さらに駿河江尻、伊豆三島と泊まりを重ねて天下の険、箱根にさしかかる。ふもとの村々から若者を駆り出し箱根越えのサポートをさせる。
昼過ぎに山頂付近に設けられた物々しい警戒の関所に差し掛かかった。ここを通れば文字通り関東だ。
箱根八里、標高八百四十メートル、外様の多い西国からの兵を遮断するため江戸幕府が施設した砦である。他国の関所とは権威が違う。

迎え出た役人は、三使以外の者達の下馬を願う。憶えているだろうか、京都上陸後、先行の賄方が対馬の守の宿泊所前を通ったとき、対馬藩士が下馬を要求したが、それが無礼と、ついに一行全員路上で野宿したことを。あの時下馬を要求されたのは中官であったが、今度は三使以外全員下馬しろというのだからただではすまない。

正使洪啓禧「何ゆえに下馬を要求なされるか。」
「この関所は将軍が重臣を遣わして守る場所であるから、代表者以外は下馬のうえ通行いたすのが慣例でござる」
「慣例とおっしゃるか、慣例ならそちら側の習俗であり、われらが関知するところではござらぬ。われわれは朝鮮国の代表として赴いている。われらが従うのは貴国が布告された政令のみと存ずるがいかがか?」
さすが儒教世界のエリート、弁が立つ。ま、屁理屈とも言うが。関所側はたじろいだ。もとより、関の警護を任されるのが幕中の重臣が多かったので、敬意を表して大名以外は下馬したのが習慣になったもので、法令で特に定められているものではない。証拠を出せといわれても難しいものがある。
そのとき対馬藩士が直近の通行録を持ってくるよう関所側に言う。
しかしそこには士分、大名の通行録が記されているだけで、誰が下馬したとかなどとはもとより書かれていない。しかし通訳は対馬藩士である。記録書を広げ、「このような次第になっております。」と示した。
エリートの正使といえども日本語に堪能ではない。なにが書いてあるかわからない。が、しかし、彼は記録書を受け取り、それを広げて高く後続の者に示し何ごとか朝鮮語で叫んだ。鞍上の一行は一斉に下馬を開始する。
正使は記録書の内容が意味のないものと知っていたのか、それとも部下に対して日本語が分かる振りをしたのだろうか。知っていたとすれば正使の役どころは安宅関の富樫といったところだが、勧進帳の壮厳な空気とは逆に、通信使のリアクションにはいつもユーモアが付きまとってしまう。

上記のやり取りはオレの悪ふざけだけど、ま、こんなものだったろう。ともあれ、彼らの『スジっぽさ』は江戸入りの後も続くのだ。

さて天下の険を歩み下ると小田原藩11万石の城下町、さらに翌日は藤沢に届き一泊の後六郷川(多摩川)を船で渡る。そして五月二十日に江戸の西玄関品川に到着、宿泊し衣を調えた。
通信使一行が故都漢城を離れたのが前年の11月、すでに半年を費やしている。先ずはご苦労様である。

つづく

映画ランボーより凄い、実在した帝国軍人2

投稿者: akanbei_21c 投稿日時: 2009/06/03 18:23 投稿番号: [318 / 402]
  http://blog.auone.jp/cxponyodeep/entry/detail/?EP=30418594

長嶺公夫少尉
海軍兵学校第六十八期生   横須賀第三特別陸戦隊

1942年2月20日、ティモール島の要港クーパンを攻略するための上陸作戦が決行され
横三特の落下傘部隊は主目標であるブトン飛行場近郊の牧場に降下した。
尖兵斥候長であった長嶺少尉は、放し飼いにしてあった馬に目をやると

  「おい、小林来い!飛行場まで突っ走るぞ!」

の一声で、伝令の小林一等水兵を後ろに乗せ
肩に軽機銃、腰に手榴弾をぶら下げてオランダ軍前哨に突撃し、兵舎を手榴弾で炎上させ
さらには機銃を乱射してオランダ軍守備隊を蹴散らした。

その頃、ブトン飛行場を攻略するための横三特主力450名は
戦車を含む転進中のオランダ軍と鉢合わせになってしまい、攻撃に移れないでいた。
本隊が苦戦しているのを見るや、長嶺少尉は意見具申し、少数の部下を率いて再び馬上で駆けた。
ブトン飛行場に着くと、連日の爆撃からの残存機がプロペラを回し、出撃寸前であった。


  「この野郎!飛ばせてなるか!」

と叫びつつ拳銃を乱射しながら駆け回り、整備兵を蹴散らし、さらには車輪を撃ち抜いて飛行不能に陥れた。 しかし、尖兵としての役割を十分に果たして20名程の部下を集めて本
隊に戻ろうとしている所に
攻撃に気付いたオランダ軍主力から戦車と装甲車が飛行場に向かって来た。

  「ちくしょう!戦車ぐらいに負けるか!」

と、手榴弾と拳銃を手に立ち向かい、キャタピラを破壊して一台を走行不能にすると
もう一台に飛び乗り、顔を出していた戦車長を撃ち、手榴弾を投げ込んでハッチを閉め、完全に沈黙させた。

映画ランボーより凄い、実在した帝国軍人

投稿者: akanbei_21c 投稿日時: 2009/06/03 17:35 投稿番号: [317 / 402]
兵個人の戦闘記録として唯一防衛省戦史叢書に記される働きをしています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%A9%E5%9D%82%E5%BC%98
(抜粋)アンガウルの戦い [編集]

アンガウルの戦い(Battle of Angaur)は第二次世界大戦におけるパラオ‐マリアナ戦役最後の戦いであり、この戦いで舩坂は多大な戦果を上げることになる。

擲弾筒および臼砲にて米兵を200人以上殺傷。 水際作戦により中隊が壊滅するなか、舩坂は筒身が真赤になるまで擲弾筒を撃ち続け、退却後は大隊残存兵らと島の北西の洞窟に籠城、ゲリラ戦へと移行した。

3日目には、舩坂も米軍の攻勢の前に左大腿部に裂傷を負う。米軍の銃火の中に数時間放置され、ようやく頼みの軍医がやって来るも、傷口を一目見るなり、自決用の手榴弾を手渡して去ってしまったという。

しかし、瀕死の重傷を負いながらも、舩坂は足を包帯代わりの日章旗で縛ることで止血し、夜通し這うことで洞窟陣地に帰り着き、翌日には左足を引き摺りながらも歩けるまでに回復している。その後も瀕死クラスの傷を何度も負うも、動くことすらままならないと思われるような傷でも、不思議と翌日には回復しているのが常であった。これについて舩坂は「生まれつき傷が治りやすい体質であったから」と、その理由を述べている。

舩坂は絶望的な戦況にあってなお、米兵から鹵獲した短機関銃で3人を一度に斃し、左足と両腕を負傷した状態で、銃剣で1人刺殺し、短機関銃を手にしていたもう1人に投げて顎部に突き刺して殺すなど、鬼神の如く奮戦を続けていた。実際、舩坂の姿を見た部隊員たちから、不死身の分隊長、鬼の分隊長と形容する声が聞かれるほどであった。

糞文句たれて、害しかなさない朝鮮人

投稿者: numbergl 投稿日時: 2009/06/01 19:36 投稿番号: [316 / 402]
精神病なのでは?

Re: 美しい国日本 あげ

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/06/01 19:27 投稿番号: [315 / 402]
あげ

下痢糞たれて、政権を投げ出した安倍

投稿者: japanpoors 投稿日時: 2009/05/30 16:48 投稿番号: [314 / 402]
精神病なのでは?

朝鮮通信使 13

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/05/30 12:15 投稿番号: [313 / 402]
通信使一行は、尾張中納言宗勝の城下で既路に勝る饗応を受けたが、旅は佳境に入っており、先を予定通りに進めなければならない。早朝五時、対馬守自らあわただしく岡崎に急ぐ。通信使たちも遅れずに出立するようにと伝言を残した。
岡崎では信使到着後上使対面の儀式が催されることになっている。上使対面の儀とは、朝鮮国の訪問に対し徳川幕府が公式に受け入れを承諾し歓迎の意を表する公式セレモニーだ。江戸から既に三枝備中守が下向し待機している。対馬守が幕府の公使と朝鮮国通信使との式次第を仲介し、通訳も兼ねるのだ。
しかし外は雨模様、通信使の腰は重い。

「対馬藩士は困って色々と手を尽くして説得し、漸く了承して出発したのは牛の下刻(午後1時)であった」。予定より6時間も遅れている。
午後三時ごろ休憩所の鳴海に着く。ここに先行の対馬守から、上使対面のため速やかに出輿願いたいと重ねて伝言が入る。対面の儀式に間に合わないと責任問題なので対馬守はあせっているのがわかる。
しかし信使らはここで値打ちをつける。少しも急がずゆったりと休憩をとり、タバコをふかして歓談にかまけ、出立したのはすでに午後四時であった。しかもその後重ねて二度の休憩を取る。ゆうゆうたる大物振りというか、底意地の悪さを発揮する。
しかし降ったり止んだりしていた雨が先に進むにしたがって本降り、さらに土砂降りに変わった。日が暮れるころにはいよいよ荒れてまるで暴風雨の如くになる。三使の駕籠の中にも雨風は容赦なく吹きつけ、上使・下僕を問わず全員濡れ鼠状態になる。旧暦の五月九日というからちょうど今頃(下旬)の季節か、春とはいっても掘割の水もまだ冷たさの残る候である。提灯の灯も取れない暗夜を、体をくの字に曲げて冷たい風雨の中を突き進む600名もの行列、なんでこーなるの?
とまれ、無意味に大物ぶってはみたものの、その時間差のためなんとも惨めな状態に陥ってしまったのだ。着地の失敗は身から出た錆である。

たっぷりと雨水を含んだ衣服が体に重くまといつき、髪の毛は顔中にべったり張り付いてはなれない。冷雨は体の熱を奪い、一様に青白い形相になり果てた一行が幽鬼よろしく岡崎にたどり着いた時は、すでに午前三時になっていた。
「このような苦痛を味わったのは来日以来始めてである」と通信使は書き残す。
もちろん上使対面の儀は翌日(正確には本日)十時に持ち越された。
時間がない。通信使たちは衣服を着替えた後すぐに対面の儀の予行練習にせきたてられる。公式な場であるので席順、挨拶順、進物の交換など、細かく式次第が定められる。
やがて正装した上使三枝備中守が客館を訪ね、風折烏帽子の対馬守の取り持ちで式が始まる。式は無事終了したらしいが通信使たちはもうヘトヘトである。予定ではすぐに出立しなければならないのだが、数百名分の衣服もまだ乾いていない。そのうち三使の1人が、歯が痛いと言い出して寝込んでしまう。フテ寝であろう。
結局出発は翌日に延期された。

一晩寝て元気を回復した一行はパレードを再開する。回復力はあるようだ。
三河吉田(現西尾市あたり)、遠江浜松と泊まりを重ね掛川に着く。♪越すに越されぬ大井川♪   五三次の難所だ。しかし列島はすでに雨季に入っている。
引用本にはその日その日の天気も記されているが、降ったり止んだりの典型的な梅雨模様である。大井川の水かさが増していて、一行はここで三晩留められる。川止めだ。

五月十五日早朝に対馬守から、水が引いたので早朝4時に出立するようにとの伝言が届く。四時に出発せよという対馬守の通達はいったい何時に来たことやら。寝る間も不十分のままたたき起こされた一行はあわただしく朝食をとり川辺に急ぐ。昼過ぎに大井河畔に着く。
「水は減ったというものの、肩が没するほどで流れも速い。」と信使は残す。
得別誂えの三使の輿には50人以上の人足が取り付いたというが、大半は一人乗りの輿か、総動員された川越え人足の肩車に一命を託した。もし人足が足を滑らせたら駿河湾までノンストップだ。恐怖のあまり発する彼らの声は、しかし腹の底から絞り出す人足の水唄と見物人の嬌声にかき消された。
「争って渡る声と激励の掛け声が周囲の町を振動させた」。両岸には遠江と駿河の国の両領民がパレード見物のため蝟集していたのだ。

つづく

朝鮮人は理解不能(笑)

投稿者: wakatakeru_x 投稿日時: 2009/05/28 00:52 投稿番号: [312 / 402]
日本人の私からすると朝鮮半島の朝鮮人、在日にかかわらず他国の有名人や偉人を在日認定したり起源を捏造したりする習性が全く理解出来ない(笑)
例え日本人からノーベル賞受賞者が皆無であろうが、偉人が皆無であろうが、外国人を捏造や願望で日本人認定など恥ずかしくて出来ないだろう。
漢字の漢は古代中国の漢の意味であるが、便利だから使うが朝鮮人のように漢字は日本人が作ったなどと主張する日本人がいるだろうか、平安時代には漢和辞典の新撰字鏡が作られ漢字に和訓が万葉仮名で当てられているが万葉集を韓国語で読めると主張する馬鹿に是非、新撰字鏡を訳してもらいたい。
ようするに朝鮮人はとてつもなく無様で不可解だ、多分、日本人とは恥さえ遺伝子レベルで違うと思えるほどだ。

Re: 美しい国日本 あげ

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/05/27 23:41 投稿番号: [311 / 402]
あげ

Re: 朝鮮通信使 12

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2009/05/24 21:27 投稿番号: [310 / 402]
良い話、有難う。

しかし、朝鮮通信使は日本国を見下していましたね〜。

朝鮮通信使の祭りを行なっている様ですが、彼等の行いも又如何であったか日本人は知るべきですね〜。

朝鮮通信使 12

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/05/24 10:45 投稿番号: [309 / 402]
上げてもらってどうも。スレがすくなくなったから油断できないな。

対馬藩は、担当役人の処罰を厳しくするので出発してほしいと信使側に懇願し、やっと朝食後遅くなってパレードを再開する。すぐに琵琶湖が見えてくる。

「琵琶湖は海のように広く、水面は鏡のようであり、山は翠に壁をなし、帆掛け舟が行き交い、鴨鷺が仲睦まじく遊んでおり、杭州の西湖の景色にも似ている。膳所藩主の居所は湖畔にあって、水を巡らせた楼台が白い城壁の中に聳え、裏山には鬱蒼とした檜の林の中に花草が今を盛りと咲き乱れ絵のような光景である。「奉使録」」

さすが李氏朝鮮のエリート、描写力はなかなかのものだ。
草津から中山道に入り、守山着。翌朝琵琶湖の右岸を北上し彦根に入る。三十五万石、井伊掃部頭の城下町である。

「町の賑わいや豊かさは大阪にも劣らぬほどであり、人々の容貌も服装も美しい」
また、「客館である宗安寺の飾り付けや什器類など、今まで通ってきた陸路の中で最高であり、中・下官の接待にも銀の匙を使用している」と讃える。
通信使の旅程に組み込まれた各地の大名のうち、10万石以上の大名は「自分御馳走」とされ、その接待費用は各藩が負担する。

早朝彦根を出立、摺針峠から琵琶湖を遠望し、その景観に驚嘆の声をあげる。さらに天下分け目の決戦が行われた関ヶ原を通り、神君家康の偉業を対馬藩士により語られる。これは通信使ごとの恒例である。
垂井追分で美濃路に入り大垣泊り。
翌日はいよいよ名古屋入りであるが、それまでに4川を渡らなければならない。揖斐川、長良川、境川、木曽川である。(現在の川名)これらの川を通信使一行は船橋で渡る。すべての船橋は将軍と通信使一行のときだけに用意されたというから、徳川幕府の朝鮮に対する格別な配慮がうかがわれる。
日本人は客人を大切に扱う。日本人の異人に対する友好的な振る舞いはイザベラ・バードの紀行文にも詳しい。
幕府も、国内的には通信地一行は徳川将軍に慶賀を参上に来た「格下国」として扱っているので配慮したのだろう。また同様に、道中の世話を命じられた各藩は競って通信使一行を優遇する。幕府に対する忠誠である。
対する一行はその厚遇に感謝するというよりも驕慢になっていく。自分たちは厚遇される価値のある人間、饗応する側はとうぜんその下の人間、と看做すのだ。決して恐縮などしないのである。

さて、いよいよ一行は尾張の国名古屋に入る。徳川御三家の堂々たる城下町である。しかし、参考にしている第10回目の通信使の記録に名古屋を描写したものがない。ただ饗応膳の豪華な内容を列挙しているだけだ。
ここはご存知「日東壮遊歌」から引用するしかない。「日東壮遊歌」はこの次の11回目の通信使が残したものだ。今回から16年後のことなので日本の風情が変わっているわけでもない。

「街の繁栄、美しさは大阪と同じだ。凄い。
自然の美しさ、人口の多さ、土地の豊かさ、家屋の贅沢さ…この旅で最高だ。
中原(中国の中心地)にも無い風景だ。
朝鮮の都も立派だが、名古屋と比べると、とても寂しい。
人々の美しさも最高だ。
特に女性が美しい。
美しすぎる。
あれが人間だろうか?
「楊貴妃が最高の美人だ」と言われているが、名古屋の女性と比べれば、美しさを失うだろう。 」

今まで追ってきた通信使一行は日本上陸以来その風景の美しさ、家屋敷の豪奢ぶり、民度の高さに驚嘆してきたが、この女性に対する評価はどうであろう。これはほめ言葉というより驚愕して腰を抜かした状態だ。
われわれも名古屋の大路を行き交う、髪を優雅に結い上げ、きらびやかな和服を着こなし、ちいさくハの字に歩を運ぶ江戸時代の女性を、その風景を思い浮かべることができる。浮世絵や時代劇でおなじみのシーンだ。それと同じ情景を通信使がみてひっくり返ってしまったのだ。
われわれは開国当初の朝鮮の大路を写真で見ることができる。京城の大門前の風景も実写で知ることができる。また多くの外国人訪問者が記したものを見ることもできる。朝鮮の都城でも瓦葺の屋根は200軒に1軒とフランスの宣教師シャルル・ダレは述べている。写真のとおりである。映りこんでいる人物たちは一様に白衣をまとっている。
大路の両側に瓦屋根の商店が軒を並べ、その前を色とりどりの和服が行き交う日本の同時代と比較するも愚かである。朝鮮の風景はカラー写真が必要ないほどナチョナルなモノクロだ。朝鮮という国土、文化、心象、すべてが悲しいほど色のない風景なのである。

つづく

Re: 何か繋がってませんね〜

投稿者: ioiorururu910 投稿日時: 2009/05/23 13:25 投稿番号: [308 / 402]
ここも犯人はネギでした
ロムついでに上げときます

朝鮮通信使 11

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/05/18 09:25 投稿番号: [307 / 402]
横道が長いと意味がわからなくなる。整理したいので朝鮮通信使の分を終らせてしまおう。

前項にも書いたとおり陸上の旅はおおむね平穏で、参考本の内容は旅程各地での日本側の饗応の詳細が後半のページを占めている。通信使もたいしたことは記録しておらず、相も変わらず日本の町、屋敷、風景の華麗さに驚嘆している。
もう一つだけ紹介しよう。

「通過する大きな村や役所の所在地には、必ず金屏風を張り巡らした庁があって、その前には槍竿が立てられ、後に火縄銃と弓矢などの武具が置いてある。これは今まで通ってきた村々も同じである。三使が乗る懸轎の担ぎ手は各々二十名と定まっており、それぞれ異なった模様の衣服を着て、背が高く壮健な者たちで、十歩くらい毎に絶えず交代して、それが乗っている者にいつ交代したのか分からぬくらいで、少しも停止せず進んでいく。これが朝鮮人であれば、もう交代して担げと喧しく叫ぶところであるが、少しも押しつける気配がない。路上では荷物一つを肩に掛け裸体で疾走する者に度々出会ったが飛脚である。時には多くの日本人が『朝鮮人御用』と書いた木札を差した荷物を、天秤棒一本に通して担いでいくが、飲食物を買ってくるらしい。
また中官、下官が馬上で暑さと疲労で居眠りすると、日本人の従者が着物を引っ張ったり、左右で支えてタバコを勧めたり、店屋で果物を買ってきて食べさせたりする。彼らが職務に勤勉であることを知る』

通信使はなんども日本人の勤勉さと協調精神に驚嘆し、くらべて自国朝鮮人の自堕落さを嘆いているが、これこそが彼と我との文化の違いの象徴であり、その間には渡ることの困難な激流が横たわっているのだ。対馬海流を人は渡れても、その激流は民族の精神文化をきっちりと遮断しているのである。
日本人は、自分が組織の歯車の一個であることを知っている(歯車でない者などいないが)。でも日本の各歯車は、自らが付属している機械全体を想像することができる。懸轎を担ぐ者、果物を買ってくる者、タバコを吸わす者、それぞれが些細であろうと片隅の仕事であろうと、組織全体の一所を担っていることを自覚しているのだ。一所に懸命し、わずかでも貢献することを誇りとする素晴らしい日本の文化だ。大陸人にはこれがない。概して刹那的に目前の利益を追求する。
もっとも、広大な欧州大陸は東西でかなり濃淡がある。その中で極東の半島に住む朝鮮人のそれは特にひどい。
象徴的な実話がある。
十数年前TVの特集で観たのだが、ソウルのある大きな会社のストライキを取材したもの。画面は座り込みシュプレヒコールを上げる社員の闘争姿勢だけでなく彼らの家庭や日常生活をも紹介する密着取材だった。
韓国の労使関係は最悪だ。いろいろやったが要求がきつく妥協ならずとなり、ついに会社は倒産してしまう。で、次の月から失業保険をもらいに行く元社員の姿をTVは紹介する。
要求貫徹のため会社潰しちゃったんだ!!???   ☆\(σ_σ#)ダメじゃん

彼らはジャンプする。空中で奇声を発しながら激しく手足をバタつかせ衆目を集める。しかし、それでいて着地点は畑の肥溜めにドボーン、というパターンが実に目立つ民族だ。後先考えずに飛翔し、着地に失敗するのだ。

閑話休題。通信使にとっても平穏な陸路だがちょっとしたトラブルがあった。それは陸行まもなくの大津で起こった。
「奉使録」では、信使側の食料担当者が、後から来る一行の食事準備のため先行するが、同行の対馬藩の役人に、藩主の宿泊施設の門前を通るのでと、むりやり下馬させられたとする。信使側は激昂し対馬守に関係者の処罰を要求する。その結果を聞くまで一歩も動かないというのだ。
しかし飛脚の往来をしているうちに日が暮れてしまい、結局200名を超える通信使一行は動きが取れず、結局宿泊設備もないところで一夜を過ごしたのである。
なにやってんだ!   対馬藩側は幕府への面子もあるので大いにあわてたが、藩内の誰も処罰されてはいない。このように、一見朝鮮側の高圧的パフォーマンスがやたら騒がしいが、かれらの着地点は春とはいえ朝晩の冷え込む野宿、まさに肥溜めに嵌まったようなものだ。

つづく

Re: 美しい国日本 age

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/05/15 13:32 投稿番号: [306 / 402]
トピ数、200あった半分になったのかな。

Re: 朝鮮通信使10−1

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/05/11 02:15 投稿番号: [305 / 402]
「趙彝(ちょうい)は、進士に合格し、クビライの知遇を受け、クビライに、高麗に郷導(道案内)させて、日本に使者を送ることを勧める。「趙彝 帝所に出入りして、讒しりて曰く、高麗、日本と隣好す。元、使いを日本に遣わすに、本国をして郷導せしめよと。」[高麗史日本伝〈下〉,1265年]。

提言の7年前だ。さらに、

「枢密院は、高麗の征討について協議した。
馬亨と言う者が述べた。『高麗は蒙古に忠誠を誓ってはいるが、本心かどうか。隣国である日本の事情について、詳しくないはずがない。今、日本に遣使するというが、日本が(蒙古の)朝廷の命令を聞かなかったら、面目を失ってしまう。かといって、日本は島国だから、派兵も難しい。そこで、高麗を併合すべきである。日本を攻めるために道を借りると称して軍勢を送り込み、そのまま併合してしまってはどうか。高麗を直接治め、軍備を調え、日本と南宋を分断するのだ。』
馬亨はまた述べた。『兵を動かして、日本を攻めるべきではない。彼らが地形をたのんで、兵糧を山積みにし、堅く守って動かなかったら、打つ手がない。その点、高麗は扱いやすい。高麗は、日本攻撃の巻き添えを食うことを恐れている。また(蒙古)朝廷の命令に従わなかった罪もあるので、内心ビクビクしている。彼らが謝罪してきたら、寛大に接することである。為政者を数人呼びつけて、来朝したら、南宋の罪を数えて、その討伐に加担させるべきである。
  日本に遣使して親仁善隣の道を説くのも、また同じ意味だ。
  南宋を平定してから、彼らに他心が無いか明らかにし、兵を送って平定するというのも、決して遅くはない。むしろ一挙にして両得である。全勝の策である。今すぐに兵を発したりしたら、敵を作るだけのことだ。』
他に賛同する者もおり、枢密院は、馬亨の意見を詳しく聞いた。」
『元高麗紀事』至元六年(1269)十一月二日条、『元史』高麗伝至元六年十一月条』

これが提言の3年前。なんのことはない、高麗王の思惑もヘッタクレもあったもんじゃない。元は日本征服のプランをしっかりと持っていたのだ。
そのプランは着々と実行される。

「1270年11月、蒙古は高麗に屯田兵を置く事を決定。4
1271年3月、蒙古は高麗の金州(朝鮮半島南岸)に屯田兵5千人を展開させた。」

マルコポーロから黄金の国ジパングの話を聞いたのはフビライの祖父である成吉思汗だ。フビライは膝の上でおじいさんの夢物語を聴いてことがあったのかもしれない。ともあれ、日本征服は高麗王朝の思惑とはまったく関係なく元の強い意思で進められていたのだ。
高麗の提言は日本進攻の3年前、そのころには屯田兵駐留にわかるように、元の列島征服の準備は目に見える形で進行していた。つまり「高麗提言」は後出しじゃんけんにすぎなかったのだ。
思うに、元の日本侵略の意思を動かすことができないと悟った高麗は、逆転の発想をしたのだ。すなわち、日本進攻の先陣を駆って大いに働けば、戦勝後日本支配の役はとうぜん高麗が担うことになる。そして半島から多量の移民を図れば実質上日本列島は高麗のものになる<丶`∀´>ピカッ!
と、閃いたのだろう。

つづく

朝鮮通信使10

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/05/11 02:13 投稿番号: [304 / 402]
参考にしている西村毬子著の「日本見聞録にみる朝鮮通信使」の内容、そのエピソードは陸上行になるとほとんど消え去る。後は饗応膳の内容を細かに記すのみになってしまう。なぜなら陸行は苦難の船旅とちがって京から江戸までさしたるできことも起きないから面白くないのだ。
だからこの16年後に来訪した11回目の通信使が残した京・大阪・名古屋・江戸の感想文を入れようと思ったが、ご存知のようにこの「日東壮遊歌」にある朝鮮人の心情の吐露、その内容は常人の理解を超えたものだ。
妬みにまみれ、自らと比較して日本の隆盛が血を吐くような怨嗟になる。これは朝鮮人の歴史をなぞらなければ説明がつくものではない。
今日の日韓・日朝関係を見てみよう。彼らは外国の地図に「日本海」と表記していると国民挙げて「東海」と改定、または併記せよと当該機関に迫る。学問的に何の根拠も示せない、識者からは苦笑しか返ってこない「問題」であるにかかわらず、日本海と表記する当該機関は「誤記」している、と声を荒げる。当該機関といっても古今東西世界の地図のほとんどすべてが日本海と表記しているのにかかわらず、「あの機関は誤記している」と主張する。何がなんだか分からないではないか。
このバカバカしくもサイケデリックな主張も、自信たっぷりの物言が功を奏し屈する機関も出てくるのだ。嘘も百回言えば本当になる、という言葉は東京裁判で実証済みだ。
彼らの日本に対する「優位性・敵愾心」の根源を探り、その虚言性を指摘をすることによって、朝鮮人マジックを理解したいのだ。
彼らの歪な民族性はその悲惨な歴史に原因があると考えるからである。

もともと急ぐ旅ではない、道草を食いながらゆっくり行こう。

さて、後世のわれわれが見ても、元の朝鮮に対する要求は苛斂誅求そのものだ。恒久的な提出に加えて日本に攻め入るときは目も当てられない要求をされた。

「戦費全額を高麗が負担、軍船900余隻の建造をしたのです。更に、艦隊の発進基地(港)・兵士約6000人・水夫約6700人・兵糧を提供しました(文永の役)。ウィキ」

これは高麗の国力を以ってしては莫大な人的、物質的負担だ。900の軍船を作るのに半島南岸の森林は丸裸になったことだろう。彼らの悲鳴が聞こえてくるようだ。
これを自業自得とする説がある。すなわち、

「「世子 褜は言った。『・・・思いますに、あの日本は、いまだ陛下の聖なる感化を受けておりません。ゆえに命令を発して我が軍の装備や糧食を整えさせました。今こそ戦艦兵糧を使うべきです。わずかではありますが、臣たる私めにお任せくだされば、つ
とめて心力を尽くし、帝の軍をいささかでもお助けできますことを切願しております。』
と。」   『高麗史   元宗十三年(1272)3月』

高麗王の皇太子が上記のように日本征伐を提言した記録をもってそう言うのだが、ことはそう単純ではないだろう。

すぐつづく。

何か繋がってませんね〜

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2009/05/10 23:25 投稿番号: [303 / 402]
ヤフーが邪魔をしているんじゃないのかと思う今日この頃。

朝鮮通信使 9 民族性の形成

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/05/06 09:12 投稿番号: [301 / 402]
半島に覇をとなえた朝鮮人の国々は、有史以前からほぼシナの属国としてのみ存在を許されてきた気の毒な国だ。それを語るに、大国シナの隣という地勢学的に常に不運であった、しようがないなどと同情ある論が存在するが、詭弁であろう。なぜなら北方の騎馬民族諸集団は絶え間なくシナ領土を侵略し、しかも中原に統一王権を確立した唐、隋、元、清などの強力な王朝は漢民族ではなかったのだ。それなのに長城外の諸族の一つ朝鮮民族は、ただの一度もシナ領土に攻め込む、その気配すらなかった。唐・元・金・明・清・と、中原の覇者は代わろうと、いつも敗者=被支配者として屈辱的な歴史を蒙ってきた。こんな民族は世界にも例がない。それが民族色に影響しないはずがないだろう。
異民族に屈服するということは具体的にはどういうことなのか。元寇を絡めて見てみよう。

  『高麗伝』より
「・高宗十八年(1231)十二月二十三日、(蒙古の)使者が来た。曰く、「崔&#29760;から進上された貢物は、欲しくないものばかりだ。別の財宝を持ってくるがいい。また戦いが長引き、兵士の衣服がすべて破れているので、百万人分を調達せよ。馬一万匹を選んで持ってくるように。王子・王女などはもちろん、身分が高い家から子女を供出せよ。また男女一千人を選び、蒙古皇帝に贈ること。これらは迅速に行え。」

「・高宗十九年(1232)四月、高麗は蒙古に使者を送って奏上した。高麗王は、「臣」と称した。曰く、「要求された貢物が多すぎて調達が困難である。現在集め得たものを贈
るので、事情を考慮願いたい」云々と。」

元が要求する男女一千人は奴婢・奴隷要員である。奴隷とは、最低限の食料を与えられ死ぬまで過酷にこき使われるだけの存在である。危険な土木作業現場では虫けらのように死んでいく消耗品で墓も弔う者もない。
清に逆らった丙子胡乱では50万人もの李氏朝鮮人民が豆満江を越え満州の地に連れ去られた。そのときの諸記録に、「彼らは逃げも逆らいもせず、数百人ずつの隊列に胡人2人ほどの監視でよかった」とある。哀れ、歴史から叩き込まれた諦観であろうか。

「・元宗十五年(1273)三月、元使が高麗を訪れて「南宋の軍人が妻を求めているので、夫のない婦女百四十人を献上するように」と命じた。督促は秋に至るまで激しく行われた。」

「・高麗に駐在する元の役人もまた良家の婦女を求め、美女を選んで強制的に結婚した。高麗王は、何も言わなかった。」『高麗史提綱』

「   ・忠烈王元年(1274)十月、処女を元に献上する時期が近づいていたので、国中で結婚が禁止された。」

「   ・忠烈王二年(1275)閏三月、元使が高麗に至り、帰附軍のため妻となる女を献上するよう求めた。高麗王は寡婦処女を選別するための監督に金応文ら五人を諸道に派遣した。」

このように元は盛んに高麗美女を要求している。承った朝鮮は国家が女衒そのものとならざるを得ず、李朝の高官自ら指揮をして国中の美女・処女をあさった。選別された美女は主に辺境に送られ異人種の駐屯兵にあてがわれた。まるで「従軍慰安婦」そのものではないか。しかも元は侵略した当初より半島各所に駐留軍を置き、その兵どもにも妻を要求した。
大東亜戦争終了後、いちおう秩序のあるとされる米軍が日本に進駐したが、米兵による押し込み強姦の件数は公表された数とはバカバカしいほどかけ離れたものだった。
もし、ソ連に占領されていたら被害はアメリカのそれとは比較にならないほどであろうし、蒙古の朝鮮支配はそれさえ慈悲深く思えるほどではなかったか。
猛古兵が民家に押し入り、夫の前で妻を、親の前で子女を蹂躙することが常態だったであろう。逆らうものはその場で殺された。あるいは軍律違反の証拠隠滅として逆らわなくても殺された。
これは近代になっても一部の日本兵が南京で、良心の呵責を感じることなく普通にやった。認めるべきことは認めよう。生死を賭けた戦闘の末の武力制圧は暴走するものだ。

朝鮮半島の大部分が山地で構成されている。勇壮な遊牧民が跋扈した草原は豆満江の向こうだ。
山間に拠っていたかれらは草原の民のように往来・競合することが少なく、こういう条件では大英雄が出にくい。生来朝鮮人の性質は保守的で、机上屁理屈をこね回すのが好きな臆病な民族だったろう。
そこに超獰猛で狡知に長けた蒙古人の血が140年間にわたり注入されたのだ。古より倭と深い交流のあった百済や加羅人は人種として消えてしまったと見るほかない。

つづく

朝鮮通信使 8 朝鮮人の民度

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/04/28 15:17 投稿番号: [299 / 402]
長い休憩だった。
朝鮮通信使は釜山から対馬・壱岐・玄界灘の藍島と、荒海を乗り越え、そこから関門海峡を通り瀬戸内海を西端から東端まで航行、枚方から川船に乗り換え内陸部の淀まで遡上った。内海に入るまでは冬の荒天に翻弄され、濃霧にまかれ船団がばらばらになったり座礁したりもした。
対馬藩の随行員を含めると1000人にも上る一行は、宿泊地の先々で豪勢な供応を受けながらゆるゆると、京都まで5ヶ月も船旅をつづけた。ここからいよいよ陸路となる。

さて、ここでもう一度朝鮮通信使の意義と背景を確認しておこう。それは現在の日韓関係につながるスパンの長いものであるが、とりあえず7世紀からとしてみると、白村江の戦い以来大和朝廷は半島から手を引く。半島との係わり合いはほぼなくなったが、鎌倉末期、元の尖兵となって高麗軍が襲来、対馬・壱岐で残虐の限りを尽くした。
室町・戦国時代には倭寇が半島や大陸沿岸を略奪し、秀吉は明国征伐の戦初めとして半島を蹂躙した。
このように概して非友好的な両国関係だったが、諸外国との交易ロンダリングの地として往来はそれなりに続いていた。

15世紀初頭室町幕府と国交を回復するが、内政外交とも常に宗主国の厳重な管理下にあった。朝鮮国が実行する朝貢とも取れる日本への遣使は、明、清と変わったが、どちらも宗主国の命令によるものだった。
明・清は日本の情報を積極的に望んだ。なにせ世界に冠たる大明国を征服しようと企む日本人である、気にならないはずがない。
したがって朝鮮通信使は宗主国の代理としての外国、しかも潜在的敵国への公式訪問ということになる。当然その大使節団は規律が行き届き威儀を正したものであったはずだ。
なのに・・、再掲するが、

『江戸時代を「探検」する』   山本博文   新潮社   に次の記述がある。
「通信使の随員の中には、そのような扱い(日本側の厚遇をさす)に慣れ、段々と尊大な行動をする者も現れた。出船の時に、前夜出された夜具を盗んで船に積み込んだり、食事に難癖をつけて、魚なら大きいものを、野菜ならば季節外れのものを要求したりというような些細なことから、予定外の行動を希望し、拒絶した随行の対馬藩の者に唾を吐きかけたりするようなこともあったという」

Wiki=「屋内の壁に鼻水や唾を吐いたり小便を階段でする、酒を飲みすぎたり門や柱を掘り出す、席や屏風を割る、馬を走らせて死に至らしめる。供された食事に難癖をつけ夜具や食器を盗む、日本人下女を孕ませる。魚なら大きいものを、野菜ならば季節外れのものを要求したり・・。」

このほかに献上物を満載した船1艘を失火により積載物ともに全焼、原因は泥酔の果ての燈火の扱いという。さらに火薬の管理者が火薬のそばでタバコを吸って爆発騒ぎを起こす。幸い類焼はなかったが、当人は全身タバコになってしまい苦悶の末死亡した。
一方朝鮮随行員は徒党を組んで街を練り歩き、泥酔して夜道で大声をだして憚らず、はては娼妓を船に連れこんで淫行にふけるという傍若無人ぶり。
さらに、民家の庭先の鶏を収奪するは、阻止しようとしたものを殴り倒すは、市中の飼い猫や犬を捕らえて食ったりしている。
まさか宗主国シナ様も属国の遣使がこれほど自堕落むちゃくちゃなものとは考えもしなかったであろう。知らぬが仏とはよく言ったものだ。
なぜこうなるかと探ろうと試みても、女の愚痴を根気よく聞かされるようなもので中身は低次元だ。彼らの振る舞いを簡単に解析すれば、ひとえに「民度」ということだろう。ではなぜこんな低劣な民度が形成されたのか、推理してみたい。

しかしこれらの「厚遇に応じて段々に増長する」民族性は、いかにも今も変わらぬ朝鮮人気質と、ひどく納得できるものがあるのである。

つづく

Re: 美しい国日本 あげ

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/04/24 10:08 投稿番号: [298 / 402]
あげ

Re: 美しい国日本 age

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/04/21 05:29 投稿番号: [297 / 402]
hageじゃないよ。

日本が美しい国になるためには

投稿者: anthoniy_williams 投稿日時: 2009/04/17 20:52 投稿番号: [296 / 402]
まずkonoyo_anoyoが日本からでていくことだな。

Re: 美しい国日本 あげ

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/04/17 20:29 投稿番号: [295 / 402]
ました。

Re: 美しい国日本

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2009/04/13 21:23 投稿番号: [294 / 402]
美しい国日本を誇りに思いましょう。

Re: 美しい国日本 訂正」

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/04/12 18:35 投稿番号: [293 / 402]
>シナチョンナシの陰嚢か。

間違えた   陰嚢=陰謀   はっは

まあ、あいつならどっちでも字面印象はあってるけど(笑い

Re: 美しい国日本 age

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/04/12 18:32 投稿番号: [292 / 402]
どうぢてこんなに下るのが早いんだ。シナチョンナシの陰嚢か。

Re: 美しい国日本 age

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/04/11 01:37 投稿番号: [291 / 402]
age

そろそろ帰ろうか アゲ

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/04/08 05:30 投稿番号: [290 / 402]
ますた。

Re: 美しい国日本 あげ

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/04/05 15:31 投稿番号: [289 / 402]
あげた

Re: 美しい国日本 あげ

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/04/04 02:41 投稿番号: [288 / 402]
あげ。

Re: 美しい国日本 あげ

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/04/01 07:15 投稿番号: [287 / 402]
あげ

Re: 美しい国日本 あげ

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/03/29 14:02 投稿番号: [286 / 402]
グリーンカード更新の知らせが来た。忘れていた。そんで出張先からA国に戻ったのでバッグひとつに数冊の本、『朝鮮通信使』の資料本は重たいので持ってこなかった。

スレッドは100に半減したのか、やたらアゲをしなくてはいけなくなった。
とにかくしばらくアゲがつづく。

Re: 美しい国日本 あげ

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/03/26 19:14 投稿番号: [285 / 402]
あげ

Re: 美しい国日本 age

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/03/21 20:34 投稿番号: [284 / 402]
age

私見 司馬遼太郎 最終章

投稿者: hendazo04 投稿日時: 2009/03/18 11:23 投稿番号: [283 / 402]
私ら凡人が、ひときわ優れた人物の思考をあれこれ推測するのは不遜なのかもしれない。ただ、凡人であるがゆえに、秀才の思考様式がなんとも納まりが悪く、落ち着かなくてしようがない場合もあるようだ。

先生が一定のラフスケッチを胸に苗代川の集落を訪れたのは間違いないだろう。
そして沈氏から話を聞いたとき「故郷忘れじがたく候」のテーマが決まった。
力なき庶民の悲哀を、日本の文化的資産である陶業を軸に数百年の歴史的スパンを以って語られるのだ。先生が顔を真っ赤にして‘もらった!‘と、叫んだのも無理がない、真によい題材である。ただし、小説家が生み出す創作としてであって、それを先生があえて事実を語る随筆としたところから、後世に我らごときに批評される羽目になったのだ。

ただ、先生は圧倒的に支持されている国民的作家であり、そのインテリジェンスと人柄はそのような疑問を霧中に隠してしまう強みを持っている。
だから先生の意図はともかくも結果として「故郷・・・」は、戦後を通じてやはり大衆作家の松本清張や森村誠一らが、彼らの属する日本共産党の主張に沿った作品を数多く送り出し大いに大衆を『啓蒙』したのと、同じ軌道に位置してしまったのである。
清張らの作品は、城山三郎や大江健一郎などの書く文学と違い、生来善良で疑うことの苦手な日本人大衆の心をがっちりつかんだ。よって日本人の心の深奥に、『小説帝銀事件』や『日本の黒い霧』で731部隊とアメリカの陰謀を植えつけ、中国共産党の資料と証言を基に書き上げた『悪魔の飽食』では罪悪感を、これでどうだ!と、ばかりにかき立てたのだった。かれら左翼文士(じつに多い)の著作群が、中国に対する日本の経済、技術協力に影響を与えないはずがない。
そしてボロ服のシナ人がふんぞり返って日本人の血税を受け取り、金満日本人はひれ伏しながらシナ人に血税を捧げるという、まことにコミカルな儀式が出来上がってしまった。

司馬先生の主義主張ははっきりと分からないが、満州赴任時は物書きとして世に出る前の経験だ。陸軍は、新兵にとっては地獄に近いものがあったという、いやな思いをしたことだろう。
結果として、日露戦争までの日本はすばらしかった、しかし昭和の日中戦争からの日本はバカ者だ、というのが先生の歴史観になったのか。
その歴史解釈を近代左翼人が掲げるところとなり、『司馬史観』なる怪しげな『史観』を生み出してしまった。「故郷・・・」のエッセンスは人を奪い文化を奪った相手、韓国に対する「原罪」であろう。

語るに多すぎるが、わたしを含む(それなりに)多くの日本人には到底受け入れられない、いびつな歴史観である。

先生とて、取材を通じて『漂着者』が、そして主人公の沈寿官氏が何者であるか分からないはずがない。そこを先生はどう咀嚼したのだろうか。
思うに、すべてを自分の作品に沿わすため犯した天才ゆえの異常な思い込みなのか、それとも自作のためには歴史の捏造を厭わないという確信犯なのか、どちらかなのだろうが、それにしても、14代沈寿官氏の個展に最大限の賛辞を贈り、その中のどうということもない一作品に勿体つけて銘名するなど、韓国人が『従軍慰安婦』の資料館を作るような物的な確証をも与えたのは飛び過ぎといえるだろう。

長々と大先生にものを言ってきたが、作家としての司馬遼太郎は日本の大衆文壇の一方の金字塔であることは間違いないし、明治までの日本を、愛情を込めて語る名文章家である。尊敬に値しないはずがない。
ただ、縷々述べてきたように、司馬遼太郎という作家の真髄はあくまでも大衆小説家であって、歴史を語る人としては著しく公平性に欠けるキャラであることは納得していただけただろう。したがって、その人が醸しだした『司馬史観』なるものは参考資料程度の意味しか持ち得ないということになる。

最後に、日露戦争のことを知りたくて「坂の上の雲」を昨年末通読したことを白状しておく。おもしろい。薄氷の勝利だったことがよく分かる。(用兵は資料が残っているのでそう恣意的には書けないだろう)
どなたか、他の作家で日清・日露戦争のデティールを書いた作品があれば教えてほしい。・・なるべく面白く読めるものが好ましいですが。

ここで「故郷・・」に関する私の愚見は終らせ、また朝鮮通信使に随行して江戸に下ることにします。

Re: 私見 司馬遼太郎

投稿者: zxneuro 投稿日時: 2009/03/17 19:20 投稿番号: [282 / 402]
司馬遼太郎さんの事について、ブログで取り上げアップしました。
詳しくは↓を見てください。
http://yuuki-ran.cocolog-nifty.com/blog/

安倍元総理の「美しい国日本」とは

投稿者: ilovejapan338373 投稿日時: 2009/03/15 17:44 投稿番号: [281 / 402]
>安倍政権の終了によって「美しい国日本」再生は一頓挫を余儀なくされている。


<スポンサーは韓国系パチンコ業者>
…。謄本を見ると、安倍事務所の土地は、…「株式会社東洋エンタープライズ」という会社の所有なのだが、
実はこの会社、…パチンコ業者なのである。
…。清廉潔白な「政界のプリンス」というイメージの強い安倍の地元事務所がパチンコ業者の持ち物だったのである…。
…業者が安倍に提供しているのは、地元事務所だけではない。
…、敷地2000平方メートルにも及ぶ(安倍の)超豪邸もやはり以前、同社所有で、
地元では「パチンコ御殿」と揶揄されているのである。
「…。晋太郎(父親)が存命していた時代には、同代議士の福岡事務所とそのスタッフを、
親会社の七洋物産が6年間にわたり無償提供していたことが発覚したこともある」(地元政界関係者)
しかもこの関係は今も地元で囁かれ続けている。…。
<祖父と父から引き継いだ「利権構造」>
…、地元事務所が七洋物産=東洋エンタープライズの土地に今も居座っていることからも明らかなように、
安倍が父親の築いた利権構造を解消できないまま引きずっているのは、明白な事実である。
「安倍晋三は中央では清廉潔白なイメージのようですが、地元での評価はかなり違って、
『父親と同じ利権政治家』という声がかなり多い。
実際、七洋物産以外でも、いろんな疑惑で安倍事務所の名前が登場していますし。
例えば、周辺の港湾土木事業を一手に掌握する関門港湾建設という会社があるんですが、
この会社とは、安倍事務所の責任者だった人物が監査役として就任していたほどの近い関係。
また、安倍は大学卒業後、父親の後援者と関係の深かった神戸製鋼に入社していますが、
その神戸製鋼が最近、…下関市の総額200億円にも及ぶ大型公共事業を次々と落札。
『官製談合ではないか』と地元で問題になっている。
他にも下関市長選挙の不正をめぐって、安倍の元地元秘書の関与が囁かれたり、…キナ臭い話は絶えないんです。…」(地元紙の記者)
「…、ようするに安倍はたんなるボンボンなんだよ。
地盤や利権は父親からそっくり引き継ぎながら、祖父の受け売りをして『憂国の士』を気取る。…」(政治評論家)
だが、こんなボンボン政治家の仕掛けにまんまと乗って、「次期首相」などと持ち上げているのが、この国のメディア状況なのである。…。
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