南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行は事実

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Re: 玉砕という美名に隠された真実①

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/11/07 19:25 投稿番号: [23958 / 29399]
第二次世界大戦も其の後も、どの国の軍隊も全滅すれば名誉の戦死と言うことは、コモンセンス。

日本だけが特別なものではない。

生きて帰れば非国民とか、意気地無しとか言われるのも各国共通で、例外はない。

玉砕という美名に隠された真実③

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2010/11/07 19:16 投稿番号: [23957 / 29399]
偽りの発表によって   ブナ守備隊の真実は、隠された。
「ニューギニアのブナ付近に挺身せる部隊は、寡兵よく敵の執拗な
反撃を撃退しつつありしが、その任務を終了せしにより、1月下旬
陣地を撤し、他に転進せしめられたり」   と発表された。
ブナ守備隊の   全滅は、大本営によって   封印されたのだ。
正確な戦況を報道することは、日本軍にとって   タブーだった。

しかし   戦況は、もはや   隠しきれないほど   悪化していた。
ブナから   奇跡的に生還した   阿部喜一さん(92歳)は、
守備隊本部と連絡が取れなくなり、深夜に海を泳いで脱出したが、
足に重傷を負い   病院に送られた。
「憲兵が、生き残った者には   うるさかったよ。   戦争に負けて
戻ってきたと言ってはいかん」と   証言している。

脱出後、栄養失調で倒れ、入院していた山下信幸さん(89歳)は
「ニューギニアと   ガダルカナル島の兵隊が   入院していたが、
それぞれ   別の病棟で、絶対   他の者とは   しゃべらせんように
なっていた」と   語っていた。
ブナ守備隊全滅の半年前、中部太平洋では、空母4隻を失う大敗北を
喫していた。   以降、太平洋での   日本軍の優勢は   崩れていった。

アッツ島守備隊全滅後、大本営は   方針を転換し、それまで隠してきた
兵士の敗死、部隊全滅を   初めて   「玉砕」という言葉で   発表した。
「アッツ島守備隊の   わが部隊は、遂に   ことごとく玉砕しました」
「生きて虜囚の辱めを受けず、あの戦陣訓を   そのまま実践したもの
であります」「後に続くものを信じ、心残りなく笑って、悠久の大義に
就いたのであります――」と。

陸軍の幹部が   記していた内部資料   「アッツ島報道方針」   には、
「戦意の高揚を図り、戦陣訓を一般に理解させる。山崎大佐はもとより
全将兵の勇戦を讃え、統率に   疑惑を   抱かせないようにする」
と   記されている。
アッツ島守備隊の   慰霊祭は、軍の主催で   大々的に   行われた。
玉砕した将兵たちは、「軍神」として   祭られたのだ。
その遺骨箱には、ただの砂が   入っていたという。

その後、太平洋の戦場で   部隊の全滅が   次々と起こり、
「玉砕」したと   発表されていった。
隠蔽されていた   ニューギニア・ブナの守備隊の全滅も、
「玉砕」と発表され   賛美された。
戦局が   絶望的になっても、大本営は   さらに玉砕を煽りたて、
一般市民をも   死に巻き込んでいった。

先の戦争で   亡くなった   日本人は   310万人。
このうち   二百数十万人は   アッツ島玉砕以降の   死者だ。
アッツ島の戦闘から   奇跡的に生還した人達は、67年経った今も、
戦友とともに玉砕できず   生きて帰ったことに   苦しんでいる。

「戦陣訓どおりに   立派に死ねれば   いいさ。   どうして   俺は
生きてきたんだろうと   何時も思うんです」   「生きて虜囚の恥を
かいているんだから」   「私が考えるに、運が悪かったから生きて
帰ったということです――」   と。

事実を覆い隠すための   美名として   使われた言葉   「玉砕」。
その裏には、残された者の   筆舌に尽くしがたい苦しみがあった。
そして、失われた   夥しい数の生命。
戦後65年、兵士たちの遺骨は   祖国から遠く離れた   絶海の島に
今も   残されたままである。
 

玉砕という美名に隠された真実②

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2010/11/07 18:51 投稿番号: [23956 / 29399]
アッツ島守備隊からの   増援、補給の要請を   無視したうえに、
大本営が   発したのは、   撤退命令でも   降伏勧告   でもなく、
「潔く玉砕し   皇国軍人精神の精華を   発揮あらんことを望む」
という   事実上の   玉砕命令だった。

これを受けた   守備隊長は、怪我を負い歩けない兵に   自決を命じた。
1943年5月29日、守備隊は   最期の突撃を敢行し   全滅した。
大本営は、これに対し   全滅の責任を   逃れるため、
守備隊自らの意思で   玉砕した   と発表したのだ。
「ことごとく玉砕した。アッツ島は   皇軍の真髄発揮の聖地として、
永遠に悠久に歴史の上に記されることになったのであります」   と。

大本営が   玉砕という言葉で   部隊の全滅を公表したのは、
アッツ島が   最初だった。   しかし   大規模な命の切捨ては、
それ以前から行われていた事が、最近   明らかになった。
日本から   5,000km、   パプアニューギニア南東部に位置する
ブナがある。

ブナの戦いを記録した   映像があった。
撮影されたのは   アッツ島玉砕の半年前。
そこには   多くの   日本兵の遺体が   映し出されている。
記録によれば   1943年1月2日、ブナに駐屯していた守備隊が
全滅した。   2000人余りが犠牲になった   と見られている。

日本軍が   ブナに上陸したのは   1942年7月、日本軍が戦争を
優位に進めていた時期だった。   しかし   米軍の反撃に会い、
4ヵ月後には   追い詰められていった。   同じ頃、ソロモン諸島の
ガダルカナル島でも、日本軍と米軍の激戦が   展開されていた。

現地司令部は、兵士や弾薬を   前線に送る際、駆逐艦を使っていた。
しかし   その多くが   撃沈され、12月上旬には   駆逐艦輸送は
打ち切られることになった。   孤立した守備隊は   一方的な攻撃に
さらされることになる。   大本営海軍部作戦課長   富岡大佐は、
昭和45年に亡くなる前に   大本営の論理を   明らかにしていた。

「あの軍は   敗残兵である。   これに   駆逐艦や潜水艦で米を運んで
いたのでは、日本海軍の戦力は   無くなってしまうぞ。
上司も捨てろ   というのです。   敗残兵になったら   死んでしまえと
いうのは、当たり前じゃないか」と。

大本営の参謀は、戦争継続を優先し、前線の兵士の命は顧みなかった。
上陸から半年後の   43年1月2日、この時までに   わずか10数人に
なっていた   ブナ守備隊は、最期の突撃を敢行、部隊は   全滅した。
大本営は   これを隠し、次のような   偽りの発表まで   行っていた。
「ブナ付近に挺身せる部隊」は「陣地を撤し、他に転進せしめられたり」
 

玉砕という美名に隠された真実①

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2010/11/07 18:50 投稿番号: [23955 / 29399]
旧日本軍の情報統制を   象徴するのは   「大本営発表」だ。
現代、大本営発表といえば、事実を歪曲した   偽り報道の代名詞だが、
かつて   ヤスクニ神社が   国家の施設として   権威をもっていた時代、
半世紀前には   それを疑う人間は   例外なく   「非国民」   とされた。
日本は負けるのではないかなどと   一言でも漏らせば、国賊扱いだった。

戦時中、798万人の軍人、軍属を動かしていた   大本営。
政府からも独立した   天皇直属の   最高統帥機関として、
絶大な権力を   握っていた。
長野修身海軍大将、杉山元陸軍大将を   中心に、
エリート参謀が   すべての作戦計画を   立案していた。

アッツ島守備隊の全滅を   「玉砕」と発表したのが   大本営だった。
「アッツ島守備隊の   わが部隊は、ついに   ことごとく玉砕しました」
「山崎部隊長は、ただの一度も   兵の増援を要求したことがないし、
また   一発の弾薬の補給をも   願ってまいりません」   と。
しかし   実際には、緊迫した   やり取りが   行われていた。

アッツ島守備隊長   山崎大佐は、米軍上陸直後から   厳しい戦況を
次のように   伝えていた。
「敵は、全面に渡り   上陸をねらっているものと   思われる。」
「その兵力は   一個師団を   くだらないであろう。敵飛行機、間断なく
執拗に   わが上空に飛来、かつ銃撃を   加えていく」

大本営は   直ちに電報を送った。   記録が   防衛省に   残っている。
「大本営は、アッツ島を   確保し   敵の狙いを   打ち砕くため、
あらゆる方途を講じているところである。   緊急必要とする兵力、
軍需品を   至急報告ありたし―   」
米軍を撃退するための   必要な兵力を送ると   伝えていたのだ。

電報を受け   山崎大佐は、すぐさま   増員兵力と物資を   要請した。
歩兵一個大隊半   約1500人、機関銃、手榴弾、高射砲の弾薬、
さらに、底をつきかけていた   食料の補給を   求めていた。
しかし   大本営は、隣の   キスカ島からの撤収は   するものの、
アッツ島守備隊を   見捨てる事を決定、援軍も補給も送らなかった。

守備隊からは   何の要求もなかった   と、大本営は   偽りの発表を
していたのだ。   さらに   大本営は、アッツ島守備隊が名誉を重んじ、
自ら   玉砕を決断した   と強調していた。
「山崎部隊長は、状況の推移を達観し、最期の決心を   いたしました」
「それは   敵に大鉄槌を下し、皇軍の真髄を   発揮せんというので
あります」   と。

しかし   守備隊には、事実上の玉砕命令が   出されていた。
防衛省に保管されていた   アリューシャン作戦記録がある。
この中には   守備隊に届いた   電文の内容が   記されていた。
「軍は海軍と万策を尽くして人員の救出に務むるも、地区隊長以下
凡百の手段を講じて、敵兵員の燼滅を図り、最後に至らば潔く玉砕し
皇国軍人精神の精華を発揮あらんことを望む―」   というものだった。
これは、1943年5月23日のものだ。

Re: 慰安婦のタイプ

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/11/07 18:39 投稿番号: [23954 / 29399]
日本の軍隊がどの程度のタブーを持っているか知ってるようだから、教えて頂戴ね。

戦時中の書類を破棄したと言うが、どの国でも行っているんじゃないかね、それでも日本には一千万頁もの資料が残っているんだよ。

Re: 慰安婦のタイプ

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2010/11/07 18:13 投稿番号: [23953 / 29399]
>強制連行を軍隊は行っていない。

軍隊ほど情報公開がタブーな組織はないのは常識だね。
当然、法律を守るよりも軍隊の統制が優先されるのはいうまでもない。
いまの日本でさえ、日米安保条約は日本国憲法より優越されている。

戦時中、「人権」が守られないことは当然のことであり、性奴隷の強制連行は普通のことだったんだね。

敗戦の日の前日、日本軍は大量の書類を焼却処分した意味はわかるね。
だから資料だけで戦争の歴史は語ることができない。
そこで実際に戦争に参加された水木しげる先生などの「証言」が重視されるわけなんだね。

忙しくて、水木しげる先生の「昭和史」まだ途中です。
ニャンコさんも買って読んでみたら?

◆噴飯もののたわご「南京大虐殺」

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2010/11/07 17:59 投稿番号: [23952 / 29399]
南京攻略した日本軍の先兵の記述によると、国民党軍は戦闘を放棄し、南京市内で略奪の限りを尽くす中国兵士たち。

当時の中国軍には、「占領されるくらいなら何もかも破壊してしまえ」との考えがあったそうで、南京以外にも日本軍が攻め込む前に村ごと焼き払って敗走した事が何度もあったそうです。

南京市民から略奪した後は、国民党軍の殆どが敗走し、一部が奪い取った衣服を身にまとい国際法に抵触する便衣兵となって、日本軍が占領したあとも散発的なゲリラ行為を続けてたそうです。

こうして、便衣兵を処分したのですが、それも武装解除してから市街追放する程度で、当時の「処分」=「処刑」とは違うわけです。

勿論抵抗した便衣兵やそれに疑われた人物がその場で射殺されたこともあるでしょうが、南京での死亡者の殆どがこの類であり、その数は決して多くはなかったのです。(抵抗する捕虜や便衣兵の殺害は戦場においては正当なる行為です)

当時の記録でも日本軍が南京を占領してから数万単位で人口が増加してる事実。

非常に危険だった中国大陸においては、国民党軍が治めてる地域よりも日本軍が治めている南京の方が安全と判断したからこその人口増なんですよね。


  追記

日本軍が攻めてくるというのに、これから攻められる南京城に逃げ込む馬鹿がどこにいるというのでしょうか。

安全な山や草の生い茂った野原に逃げ込んで身を隠すに決まっているでしょう。

国民党軍にしても共産軍にしてもゲリラ戦術を取っていたんですから真正面から戦闘を挑んでくる訳がないのです。

南京市の人口20万人の中の中国軍のほとんどが我さきに逃げ出して、南京城はほとんど空っぽだったと考えるのが当然だし、それが歴史の真実だったでしょう。

石井松根大将らの南京入場の映像からもそれは伺い知ることが出来るのです。

そして日本軍が撤退した3ヶ月後に、人口が25万人へと5万人も増えたのは周辺の町から南京城へ避難した人たちによって膨らんだからに違いないのです。

何故ならば、安全区以外にいる一般中国市民は、日本のスパイとみなされて共産軍によって虐殺されるかもしれないからです

Re: unhooさん(横レス)

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2010/11/07 17:56 投稿番号: [23951 / 29399]
>↑尖閣諸島の話は台湾人のすべてにとって、馬耳東風です。質問したらうるさがれるだけです。


うるさがれるとはどういう意味でしょう?

台湾の領土なのは当然のことだから、いちいちつまらんことを聞くなという意味ですか?

unhooさんのご意見は、尖閣諸島は台湾の領土ということなんですか?

◆なぜ南京大虐殺は捏造されたのか

投稿者: newdendenmaru 投稿日時: 2010/11/07 17:56 投稿番号: [23950 / 29399]
「南京大虐殺」も「従軍慰安婦強制連行」も反日が国是である中共や朝鮮、そして、これらの国に媚び諂うイカレタ反日サヨクの捏造であり、嘘・出鱈目ということはもはや衆知の事実であるが、いまだに日本と日本人を何としてでも悪者にしたいwadatumi_voice21やshoujoujiのような脳腐れの反日工作員共が必死に嘘と捏造の投稿を繰り返しているので「おさらい」の意味も含めて

  「なぜ南京大虐殺は捏造されたのか」を振り返ってみましょう。



   http://www.youtube.com/watch?v=iPhyKUmxwm0


   http://www.youtube.com/watch?v=iPhyKUmxwm0


  汚い反日の屑どもの妄言・狂言に賢明な真の日本人諸君はくれぐれも騙されないでほしい。

円高について gatsdapooさん

投稿者: anthony_749 投稿日時: 2010/11/07 17:51 投稿番号: [23949 / 29399]
>今の円高の理由を理解してませんねぇ。
金(Gold)、$、スイスフラン、円の関係を勉強したほうがいいでしょう。


世界的な不況で各国が通貨安競争しているというニュースで報道されている程度の認識しかありませんでした。

その貴方の言われる円、金、ドル、スイスフラン関係と、この先の円高の方向性についてわかりやすくご説明いただきたいのですが   <(_ _)>

Re: 南京大虐殺(;中国政府書翰)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/11/07 11:18 投稿番号: [23948 / 29399]
君が南京事件と南京捏造事件を混同していたから、示したのだよ。

序でに中国共産党が中国政府から、犯罪者だと烙印を押されている文章もね。

現中国共産党の前進は、日本国民及び南京に居た諸外国の人間を虐殺し、掠奪し、放火し、強姦し、虐待した。

之は歴史的に、総ての国が認めている事件。

南京捏造事件は、誰も知らない資料もない、夢幻の事件。

南京大虐殺(;歴史学事典)

投稿者: netuyo_wa_bakada2 投稿日時: 2010/11/07 10:26 投稿番号: [23947 / 29399]
弘文堂『歴史学事典   第7巻』

「南京事件」(執筆者・笠原十九司)

日中戦争初期、当時の中国の首都南京を日本軍が攻略・占領した際に中国軍民にたいしておこなった虐殺、強姦、掠奪、放火、拉致、連行などの戦時国際法と国際人道法に反した大規模な残虐行為の総体。
南京大虐殺事件、略称として南京事件という。単に南京大虐殺ともいう。
一九三七年(昭和十二)年十二月一日の大本営の下令によって正式に開始された南京攻略戦は、もともと参謀本部の作戦計画にはなかった。激戦三ヶ月におよび、甚大な損害を出した上海派遣軍を独断専行で南京に進撃させてのは、中支那方面軍司令官の松井石根大将と、参謀本部から出向して同軍の参謀副長となった拡大派の武藤章大佐らであった。上海派遣軍は、疲弊して軍紀も弛緩していたうえに、休養も与えられず、補給体制も不十分なままに、難行軍を強いられたため、中国軍民に対するむきだしの敵愾心と破壊欲を増長させ、虐殺、強姦、掠奪、放火などの残虐行為を重ねながら南京に進撃していった。
十二月四日前後に中支那方面軍は、中国軍の南京防衛陣地(南京特別市行政区に重なる)に突入、南京の県城・農村地域から日本軍の残虐行為は開始された。南京城区には四〇万〜五〇万人(南京攻略戦以前の人口は一〇〇万人以上)、近郊の六つの県には一〇〇万人前後(同じく一五〇万人以上)の市民が残留していたが、日本軍はこれらの膨大な中国民衆を巻き込んで、南京防衛軍に対する徹底した包囲殲滅(皆殺し)作戦を実施した。同作戦は、戦時国際法に反して、自ら武装解除した投降兵・敗残兵あるいは武装解除された捕虜までもすべて殺害することになった。一般民衆も敵対行動、不審行動をする「敵国民」と判断された場合は殺害された。日本軍は、十二月十三日南京城を占領した後、十七日の南京入城式に備え、徹底した残敵掃蕩戦を展開、長江沿岸などで捕虜および投降兵の大量処刑を行なった。武器を捨て、軍服を脱ぎ捨てても、中国兵であった者、中国兵と思われた者はすべて殺害したので、多くの市民、難民が巻き添えにされて犠牲になった。さらに日本軍には戦勝の「慰労」として一〇日間前後の「休養」が与えられ、総勢七万人以上の日本軍が南京城内に進駐、勝利者、征服者の「特権」として、強姦、掠奪、暴行、殺戮、放火などの不法行為を行ない、南京事件は頂点に達した。その後、第十六師団が駐屯して軍事占領を続け、三十八年三月二十八日に中華民国維新政府が成立するまで、日本軍の残虐行為は続いた。
極東国際軍事裁判(東京裁判)では、南京事件による中国軍民の死者を二十万以上とし、不作為の責任を問われた松井石根が死刑となった。中国国民政府国防部戦犯軍事法廷(南京軍事裁判)では、犠牲者三十万以上とし、四人の将官が死刑となった。一九七〇年代から八〇年代末にわたり、歴史事実か「虚構」「まぼろし」かをめぐっていわゆる「南京大虐殺論争」が展開され、家永教科書裁判の争点にもなったが、いずれも否定論が敗れた。犠牲者数の確定は困難であるが、現段階の日本側の研究では、十数万から二〇
万人の中国軍民が犠牲になったと推定する説が有力である。

Re: 南京大虐殺(;中国政府書翰)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2010/11/07 10:25 投稿番号: [23946 / 29399]
ヤスクニ派「資料係」くん、その文書にある   「南京事件」は、
1927年3月、蒋介石の国民党北伐軍が   南京を占領した際に起きた
日本を含む   外国領事館と居留民に対する   襲撃事件のことではないか。

世間で   議論の対象となっているのは、1937年12月に   日本軍が
南京を占領した際に   中国軍の捕虜、敗残兵や   一般市民などを不法に
虐殺したとされる   「南京大虐殺事件」であり、まったく   別のモノだ。

的はずれな資料を持ち出して   話をすり返るのは、いかにも
典型的なヤスクニ派らしいが、あまりにも幼稚で姑息な手法は、
見識を疑わせ、他の   ヤスクニ派諸氏にとっても   恥なのではないか。
いちおう長い付き合いがある者の   忠告として、指摘させてもらおう。
 

◆日本の海上保安庁の船はオンボロだ

投稿者: hh19951995 投稿日時: 2010/11/07 10:08 投稿番号: [23945 / 29399]

  中国の漁船にぶつかって来る日本の巡視船は、オンボロではないか。まるで工作漁船のようだ。
  日本の海上保安庁は予算不足のため、中古工作漁船を巡視船として代用しているのだろう。
  (「海上保安庁が中国漁船にぶつけた」ビデオ所感)
 
 
◆日本軍が中国人を殺した!?????  
  南京大虐殺等々は事実だったと確信しているが、
  大屠殺戮の主犯者が捏造されている。
  (65年前は勝てば官軍だったのである。)
  
  タイトルねつ造!「日本船が中国船にぶつけた」尖閣ユーチューブ動画
      スポーツ報知   11月7日(日)8時1分配信
  沖縄県・尖閣諸島付近の中国漁船衝突事件の映像がインターネット上に公開された問題で、今度は中国人とみられる利用者が動画投稿サイト「ユーチューブ」に、英語で「海上保安庁が中国漁船にぶつけた」とのタイトルをつけて動画を投稿していることが6日、分かった。一方、日本では検察当局が、今回流出した映像は、海保から検察側に提出されたビデオと同一であると断定。石垣海上保安部や第11管区海上保安本部(那覇)から流出した可能性が高いと見ている。
  中国人とみられる利用者はユーザー名「Mychinanet」を名乗り、海上保安庁から流出したとみられる映像をそのまま投稿しているが、タイトルは「Japanese   coastguard   hit   Chinese   fishing   boat   at   Diaoyu   Island(尖閣諸島で海上保安庁が中国漁船にぶつけた)」。映像は6つに編集され、長さは44分。「流出映像」とほぼ同じ構成だった。
  動画のコメント欄には「タイトルが間違っている」「英語を勉強しろ」など書き込みがされているが、すでに5万回以上再生されている。実際に映像を見ればどちらが日本の巡視船でどちらが中国の漁船か、あるいはその航跡はどうかはすぐわかりそうなものだが、英文で表記することで、日本語と中国語を理解しない視聴者が誤解することを狙ったものとみられる。
  中国国内のネット上では「衝突事件は日本側に非がある」「船長は英雄」「自衛行為だ」など、衝突事件を正当化する書き込みが殺到。中には、日本の官公庁のウェブサイトを対象にしたサイバー攻撃を呼びかける動きや、反日デモを呼びかける書き込みもあり、下火となりつつあった反日感情が再燃する可能性が出てきた。一時、「流出映像」は中国当局が規制していたが、この日までにほぼ視聴可能になった。
  中国のネット人口は4億

◆日本軍が中国人を殺した!?????

投稿者: hh19951995 投稿日時: 2010/11/07 09:48 投稿番号: [23944 / 29399]

  南京大虐殺等々は事実だったと確信しているが、
  大屠殺戮の主犯者が捏造されている。
  (65年前は勝てば官軍だったのである。)
 
 
  タイトルねつ造!「日本船が中国船にぶつけた」尖閣ユーチューブ動画
      スポーツ報知   11月7日(日)8時1分配信
  沖縄県・尖閣諸島付近の中国漁船衝突事件の映像がインターネット上に公開された問題で、今度は中国人とみられる利用者が動画投稿サイト「ユーチューブ」に、英語で「海上保安庁が中国漁船にぶつけた」とのタイトルをつけて動画を投稿していることが6日、分かった。一方、日本では検察当局が、今回流出した映像は、海保から検察側に提出されたビデオと同一であると断定。石垣海上保安部や第11管区海上保安本部(那覇)から流出した可能性が高いと見ている。
  中国人とみられる利用者はユーザー名「Mychinanet」を名乗り、海上保安庁から流出したとみられる映像をそのまま投稿しているが、タイトルは「Japanese   coastguard   hit   Chinese   fishing   boat   at   Diaoyu   Island(尖閣諸島で海上保安庁が中国漁船にぶつけた)」。映像は6つに編集され、長さは44分。「流出映像」とほぼ同じ構成だった。
  動画のコメント欄には「タイトルが間違っている」「英語を勉強しろ」など書き込みがされているが、すでに5万回以上再生されている。実際に映像を見ればどちらが日本の巡視船でどちらが中国の漁船か、あるいはその航跡はどうかはすぐわかりそうなものだが、英文で表記することで、日本語と中国語を理解しない視聴者が誤解することを狙ったものとみられる。
  中国国内のネット上では「衝突事件は日本側に非がある」「船長は英雄」「自衛行為だ」など、衝突事件を正当化する書き込みが殺到。中には、日本の官公庁のウェブサイトを対象にしたサイバー攻撃を呼びかける動きや、反日デモを呼びかける書き込みもあり、下火となりつつあった反日感情が再燃する可能性が出てきた。一時、「流出映像」は中国当局が規制していたが、この日までにほぼ視聴可能になった。
  中国のネット人口は4億人とも言われ、日中両国では、ネット上で激しい“空中戦”が繰り広げられている。

嘘を書いてまで正当化を謀るshoujouji

投稿者: maximirion 投稿日時: 2010/11/07 08:23 投稿番号: [23943 / 29399]
当初から、
【「交戦規定に従する軍装を脱ぎ捨て民衆に紛れ潜伏」ただけでも戦争犯罪者である。】
としか書いてない私が、「血相を変えて訂正した」と書き込んで己の白痴振りを弁解しようと懸命なshoujoujiだが、血相を変えて弁明に躍起なのが外でもないshoujouji自身であることは誰の目にも明らかだ。
「相手の投稿をコピペして白痴としただけでは何の言質にもならない」と必死の抗弁だが、一瞥すればその白痴振りを明白にみてとれるshoujoujiの投稿を何ら脚色することなく掲示するのだから、白痴とするに何の言質も必要ない。
「見て分からん者は読んでも解らん」
「読んで解らん者は見ても分からん」
ということのよい例だな。
この手の白痴くんは、
「見て分からぬ者は訊いても解らぬ」
「聞いて解らぬ者は見ても分からぬ」
も地でいくのだろう。

Re: shoujoujiが日本語を読みとれない例

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2010/11/07 02:25 投稿番号: [23942 / 29399]
>日本語の御字面は読めても理解が出来ないという驚くべき白痴ぶりである。

相手の書いた文章をそのままコピペして,馬鹿だ白痴だと書いたところで,
何の言説にもなっていない。私が君の主張を「正規兵が軍服を脱いだとたん
に交戦者資格を失う」と書いたのに対し,君は血相を変え,自分の主張は
「交戦規定に従する軍装を脱ぎ捨て民衆に紛れ潜伏しただけでも戦争犯罪者」
だと訂正した。だから私は,前者だけなら問題がなくて後者との組合わせなら
問題なのかと君に聞いている。また君は常に「戦争犯罪者」という言葉と
「戦闘員の資格を失う」という言葉を同義語のように使っているから,私は
それらは全く異なる概念だろうと言ってるのだが,君の返答が全くない。

>日本人だと思っていたが、どうやら違うのかもしれない。

その種の言い方は,君が典型的なネトウヨ以外の何者でもないことを
示している。君は少し前にこのトピで薄汚い民族蔑視発言をする屑を
叱る投稿をしていたから,少しはましなやつかと思ったが,何のこと
はない,屑の一人だったようだ。

>そういう仕様の日本語変換ソフトを使っているのはまず見かけない。

最近,入力環境設定でそうしているだけのことだ。
ネトウヨの狭い世界の中での常識が普遍的なものと思わない方がよい。
公文書や学術論文において,横書きの日本語では(,と。)が普通である。
君は兵士の日記の日本語がおかしいとか主張している少々あぶないご仁と
何の変わりもないようだ。

shoujoujiが日本語を読みとれない例

投稿者: maximirion 投稿日時: 2010/11/06 23:14 投稿番号: [23941 / 29399]
Re: 便衣兵は、捕虜とみなされない 2010/11/ 5 11:53 [No.16823 /16836 ] 投稿者 : shoujouji

><maximirion>
「交戦規定に従する軍装を脱ぎ捨て民衆に紛れ潜伏」しただけでも戦争犯罪者である。
その行為は、敵に身柄を捕縛される或いは預ければ捕虜としての身分を保障される。
「戦時国際法に規定された戦闘員」の身分を放棄であり、行為の瞬間から「捕虜の身分を得られる戦闘員の資格」を失い戦争犯罪者となる。


まず,「軍装を脱ぎ捨て」と,「民衆に紛れ潜伏」のどちらの要件が「戦争犯罪」なのかを説明してもらおうじゃないか。それらが同時になされたときに初めて戦争犯罪になるというなら,個々の行為だけなら犯罪ではないということだな。
それをまずはっきりとするがよい。
その時点で君は,軍人が軍服を脱ぐことは戦争犯罪でないと言ってることになる。
一方,君はそれらが「戦闘員の身分を放棄」したことであるとも言っている。
では,上記のどちらの要件が戦争戦闘員の身分の放棄なのかを説明してもらおうじゃないか。
それらが同時になされたときに初めて戦闘員の身分の放棄だというなら,個々の行為だけなら放棄ではないということだな。





日本人だと思っていたが、どうやら違うのかもしれない。
句読点に「,」を日常的に使っているのだね。
そういう仕様の日本語変換ソフトを使っているのはまず見かけない。

【「交戦規定に従する軍装を脱ぎ捨て民衆に紛れ潜伏」しただけでも戦争犯罪者である。】
と書いてあるのを読んで、
【「軍装を脱ぎ捨て」と,「民衆に紛れ潜伏」のどちらの要件が「戦争犯罪」なのかを説明してもらおうじゃないか。】
とレスをしている。

日本語の御字面は読めても理解が出来ないという驚くべき白痴ぶりである。

日本語を読めないshoujoujiは目眩も同じ

投稿者: maximirion 投稿日時: 2010/11/06 22:59 投稿番号: [23940 / 29399]
<shoujouji>
娼妓取締規則(しょうぎとりしまりきそく)は、娼妓稼業に関する取締法規である。
明治33年内務省令第44号として1900年10月2日に発布され、1946年に廃止された。

娼妓取締規則の特徴は,
1) 娼妓(公娼)となる女性自身が地元の警察署に出頭して同意書を提出し,自筆の娼妓名簿をもって登録されること,
2) 地元の警察署の管轄
にある売春所(貸し座敷)以外では営業できないこと,
3) 娼妓自身が娼妓名簿からの
削除を申請して廃業することができ,これを妨害することは誰にもできないことである。
現実には借金などにより女性の自由意志は制限されていたとはいえ,法律上は公娼の人権を守る工夫はされていたのである。

これに対して,軍慰安婦の場合,そもそも娼妓名簿などは存在せず,1) から3) までの
すべてにわたって娼妓取締規則に違反していた。そしてこれに代わるべき軍慰安婦の
根拠となる法律は存在しなかった。すなわち法治国家であるはずの日本において,
軍慰安婦制度は超法規的に機能していた。



「従軍慰安婦の強制連行」は事実であるとして、アジア女性基金が政府をあ利用して集めた″証拠″だとする資料集すら読んでいない、無知でお馬鹿な日本語を理解できずに眺めるばかりの白痴なshoujoujiくん。
彼には、そういった資料集の其処此処に「特殊慰安所」と「特殊慰安婦」の許可登録に関する資料があっても分からない。
もちろん日本語を理解できずに存在する資料に気付くことができ難い白痴くんには、「特殊慰安婦」が「娼妓取締規則」に違犯しているかどうかなど分かるはずもない。

日本で生まれ育ちながら日本語の理解も儘ならない馬鹿で白痴な御仁というのは、真に不自由で哀れなもんですな。

Re: 娼妓取締規則

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/11/06 22:32 投稿番号: [23938 / 29399]
渡航婦女

醜業を目的とする渡航婦女は現在内地に於いて娼妓の他事実上醜業を営んでいる者にして満21歳以上且つ身体強壮なるもの

南京大虐殺(;中国政府書翰)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/11/06 22:20 投稿番号: [23937 / 29399]
http://proxy.f1.ymdb.yahoofs.jp/users/ff282557_m477e9141/bc/54a3/__hr_/8410.jpg?bchF2SNBgc3GxUb5

中国人は認めているんだね、中国共産党が虐殺したことを。

娼妓取締規則

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2010/11/06 22:13 投稿番号: [23936 / 29399]
娼妓取締規則(しょうぎとりしまりきそく)は、娼妓稼業に関する取締法規である。
明治33年内務省令第44号として1900年10月2日に発布され、1946年に廃止された。

娼妓取締規則の特徴は,1) 娼妓(公娼)となる女性自身が地元の警察署に出頭して
同意書を提出し,自筆の娼妓名簿をもって登録されること,2) 地元の警察署の管轄
にある売春所(貸し座敷)以外では営業できないこと,3) 娼妓自身が娼妓名簿からの
削除を申請して廃業することができ,これを妨害することは誰にもできないこと
である。現実には借金などにより女性の自由意志は制限されていたとはいえ,法律上
は公娼の人権を守る工夫はされていたのである。

これに対して,軍慰安婦の場合,そもそも娼妓名簿などは存在せず,1) から3) までの
すべてにわたって娼妓取締規則に違反していた。そしてこれに代わるべき軍慰安婦の
根拠となる法律は存在しなかった。すなわち法治国家であるはずの日本において,
軍慰安婦制度は超法規的に機能していた。

昔、親が娘を売り、娘が従うのは儒教の美談

投稿者: stmtr314stmtr 投稿日時: 2010/11/06 21:57 投稿番号: [23935 / 29399]
有史以来の全ての国家・帝国が売春を禁止していた、というユートピア的な御伽噺で相手を間違っていると非難する勘違いが出てきましたね、、、、笑い。

少しだけ言えば、ベニスの商人、強制労働や奴隷禁止の国別時期、中国の農奴、売春の歴史などなどを細かく調べる必要は無いが、歴史の流れ見る常識を持ちたいね。

最近もテレビで、子豚をカワイイと言った直後に、子豚ポークをオイシイイと食える、クルクルパー人間・アナウンサーも多い。


世界中の親の誰一人として、喜んで娘を売る親はいない。
売られる娘も、育ててくれた親のため、兄や弟や妹のため、家族のため、儒教でいう親孝行のために、売られた。売られることに納得した。

さらに儒教の本家・中国では、親が病で倒れたら子供は自分の腿肉を切り取って親に与えることが、親孝行とされた。
朝鮮は、こうした親孝行の儒教の考えを最良・最善のものとして国を運営してきた。

今日の朝鮮人や在日や左巻き等が、「従軍慰安婦」だ等と声高に叫べば叫ぶほど、親孝行のため売られた娘を冒涜している、と言える。

maximirion さんが間違ってますよ

投稿者: sterbacksicecofee 投稿日時: 2010/11/06 20:53 投稿番号: [23934 / 29399]
>「職業に貴賤なし」というが、「従軍慰安婦の強制連行」を口にする者の中の多くに「特殊慰安婦」或いは「娼婦」をよく知らず、また知ろうともせずに″恥ずべき″と思っている、偏見に基づく差別主義者であることは嘆かわしい。


ほんらい婦女子の保護をするのが国家としての役割ですの。

慰安婦にたいして「両親の許可」「警察署長の許可」が必要などという法律があった国家であったことのほうが嘆かわしいことですわ。

ある意味、従軍慰安婦強制連行と同じくらい嘆かわしいことですわ。

差別と偏見にまみれたカフィー

投稿者: maximirion 投稿日時: 2010/11/06 20:42 投稿番号: [23933 / 29399]
「職業に貴賤なし」というが、「従軍慰安婦の強制連行」を口にする者の中の多くに「特殊慰安婦」或いは「娼婦」をよく知らず、また知ろうともせずに″恥ずべき″と思っている、偏見に基づく差別主義者であることは嘆かわしい。
国際的に、売春に纏わる何を排除すべく連携と努力を重ねてきたのかも分からぬようなこういった輩は、その国際的取り組みに沿って性風俗の規制がなされ、制度づくりと改善が積み重ねられてきたことなど、思いもよらないのだろう。
しかし、知らないことをあれやこれやと問題視して騒ぎ立てる馬鹿がここにもいて、例に違わず知らないことを自慢気に胸を張る白痴であるというのには、恐れいるねぇ。

愛知のばか君♪ (^Д^)

投稿者: stefibackascoffee 投稿日時: 2010/11/06 18:01 投稿番号: [23932 / 29399]
>売春婦には売春の営業許可が必要って話なんだよ。
風俗営業許可っていうのは、個人に対して許可登録させるものなんだよ。


(゚ロ゚;)エェッ!?

ニャンコちゃんさんの話は本当なのかい?

まあ事実とすれば、恥ずかしい話ではあるな。(^◇^)

あんまりいばって言えることじゃないぜ。

それにしても君はやたら性風俗に詳しいようだな。( ^ω^)

俺は行ったことないからわからん。

君は性風俗店で遊んだことあるのかい?   (*^^*)

南京大虐殺(;歴史学事典)

投稿者: gotou324677 投稿日時: 2010/11/06 15:51 投稿番号: [23931 / 29399]
弘文堂『歴史学事典   第7巻』

「南京事件」(執筆者・笠原十九司)

日中戦争初期、当時の中国の首都南京を日本軍が攻略・占領した際に中国軍民にたいしておこなった虐殺、強姦、掠奪、放火、拉致、連行などの戦時国際法と国際人道法に反した大規模な残虐行為の総体。
南京大虐殺事件、略称として南京事件という。単に南京大虐殺ともいう。
一九三七年(昭和十二)年十二月一日の大本営の下令によって正式に開始された南京攻略戦は、もともと参謀本部の作戦計画にはなかった。激戦三ヶ月におよび、甚大な損害を出した上海派遣軍を独断専行で南京に進撃させてのは、中支那方面軍司令官の松井石根大将と、参謀本部から出向して同軍の参謀副長となった拡大派の武藤章大佐らであった。上海派遣軍は、疲弊して軍紀も弛緩していたうえに、休養も与えられず、補給体制も不十分なままに、難行軍を強いられたため、中国軍民に対するむきだしの敵愾心と破壊欲を増長させ、虐殺、強姦、掠奪、放火などの残虐行為を重ねながら南京に進撃していった。
十二月四日前後に中支那方面軍は、中国軍の南京防衛陣地(南京特別市行政区に重なる)に突入、南京の県城・農村地域から日本軍の残虐行為は開始された。南京城区には四〇万〜五〇万人(南京攻略戦以前の人口は一〇〇万人以上)、近郊の六つの県には一〇〇万人前後(同じく一五〇万人以上)の市民が残留していたが、日本軍はこれらの膨大な中国民衆を巻き込んで、南京防衛軍に対する徹底した包囲殲滅(皆殺し)作戦を実施した。同作戦は、戦時国際法に反して、自ら武装解除した投降兵・敗残兵あるいは武装解除された捕虜までもすべて殺害することになった。一般民衆も敵対行動、不審行動をする「敵国民」と判断された場合は殺害された。日本軍は、十二月十三日南京城を占領した後、十七日の南京入城式に備え、徹底した残敵掃蕩戦を展開、長江沿岸などで捕虜および投降兵の大量処刑を行なった。武器を捨て、軍服を脱ぎ捨てても、中国兵であった者、中国兵と思われた者はすべて殺害したので、多くの市民、難民が巻き添えにされて犠牲になった。さらに日本軍には戦勝の「慰労」として一〇日間前後の「休養」が与えられ、総勢七万人以上の日本軍が南京城内に進駐、勝利者、征服者の「特権」として、強姦、掠奪、暴行、殺戮、放火などの不法行為を行ない、南京事件は頂点に達した。その後、第十六師団が駐屯して軍事占領を続け、三十八年三月二十八日に中華民国維新政府が成立するまで、日本軍の残虐行為は続いた。
極東国際軍事裁判(東京裁判)では、南京事件による中国軍民の死者を二十万以上とし、不作為の責任を問われた松井石根が死刑となった。中国国民政府国防部戦犯軍事法廷(南京軍事裁判)では、犠牲者三十万以上とし、四人の将官が死刑となった。一九七〇年代から八〇年代末にわたり、歴史事実か「虚構」「まぼろし」かをめぐっていわゆる「南京大虐殺論争」が展開され、家永教科書裁判の争点にもなったが、いずれも否定論が敗れた。犠牲者数の確定は困難であるが、現段階の日本側の研究では、十数万から二〇
万人の中国軍民が犠牲になったと推定する説が有力である。

狂人fukagawatoheiは投稿を止められない

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2010/11/06 11:34 投稿番号: [23930 / 29399]
誰もまともには相手にしない。

またあの狂人か、と思うだけのことである。

それを承知でfukagawatoheiは止められない。

狂人である。

日本人に対する理由も根拠も無い憎悪だけがfukagawatoheiの生活の中味なのだから。

陰気な人生だ。

南京事件に「史料批判」を

投稿者: nannkainosima 投稿日時: 2010/11/06 11:27 投稿番号: [23929 / 29399]
秦郁彦『南京事件・増補版』中公新書p131、
上段に写真版で掲載されている「井家又一日記」は、

私には全くの驚愕でした。

秦氏が、多くの元兵士の日記を、
証拠として採用しておられるもかかわらず、

どう見てもニセモノが、堂々とそこにあるのです。

どうしてニセモノだと思ったのか、
理由は私ホームページに掲載しています。

「南京事件元兵士の日記はニセモノ」
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/nannkinnjikenn.motoheisinikkinisemono.ht ml

私が南京事件の本を手にしたのは2010年9月23日。
この秦著が初めてでした。

いくら何だって、日記が本物かどうか、検討されていない、
などと言うようなことが、あるのだろうか?

と、思ったけれど、これはどう見てもおかしい。

「史料批判」という考え方は、誰もが知っていなければならないことです。
私ホームページに、その考え方の基本もUPしてあります。

「歴史学研究法」要旨
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/rekisigakukennkyuuhou.html

これは、「つくる会」の見解とも相反するものですが、反論はできないだろう、と考えています。

これまでに南京虐殺事件で大議論した方々は、
「史料批判」をご存知ない、と思いました。

「史料批判」の第一歩は、当該史料が本物かどうかという、
「真偽の検討」です。

これなしで、「内容の検討」ばかりになっている。

一次史料がニセモノだったために、
それまで世界の共通理解だったことが、全部ひっくり返った実例があります。
それが、偽イシドールス法令集です。
http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/genndaibunn.niseisidorusu.html

世界の共通理解である、ということは、
なんら真実の証明にはなりません。

南京事件の背景に関する考察

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/11/06 11:03 投稿番号: [23928 / 29399]
http://proxy.f1.ymdb.yahoofs.jp/users/ff282557_m477e9141/bc/54a3/__hr_/8410.jpg?bchF2SNBgc3GxUb5

中国では、人食いが美談ですから

投稿者: stmtr314stmtr 投稿日時: 2010/11/06 10:46 投稿番号: [23927 / 29399]
世界四大文明発祥の地、中国・漢人の食文化・伝統に「人食い」がありますが、遣唐使として渡った日本人の多くが、人食いを目にしたであろう。だから突然、遣唐使が取りやめになったのでしょう。

今も昔も、日本人は中国を異常に美化し、今も学者、坊主、マスコミ、大企業等が当人の飯のタネだからという理由で精力的に美化し続け、人食いを隠蔽し続けています。

例えば魯迅の狂人日記、中国文学の専門家・学者は、比喩であるとして寝ぼけた・虚偽の解説しますが事実です。ここから曲学阿世という言葉が一般化したのでしょう。

しかしながら、中国・漢人の人食いが漢人のDNAであるとすると、人食人種が住む国に旅行したいと考える日本人は今も昔もいないことから、長い目で見て今の中国ブームは、昔の遣唐使と同じ・麻疹と同じで下火になるのでしょう。

さらに、世界中で人食いを美談とするのは中国・漢人だけですから、最近まで、中国全土の料理店や庶民の食卓に人肉饅頭や人肉シューマイが並んでいた。

例えば水滸伝の日本語訳は、意図的に誤訳していて人食いが判らなくなっていますが、本来の水滸伝は初めから終わりまで人食い物語が随所に出てきます。日本でも有名な劉備の関係でも人食いが美談とされています。

中国人の子供達は幼少の時から、この反吐の出る・気色の悪い人食い水滸伝を「楽しく」・「ワクワクとして」・「嬉々として」・「愉快に」、子守唄のように聞いて育った人々です。

中国の諺として有名なものに「中国人(漢人)は四足の食台以外は何でも食べる」というものがあるが、比喩ではなく事実で、人肉も食べるという意味で使われたのが本来の意味でしょう。

昔の中国の食料市場では、人肉が売られていたことが東方見聞録等にも記載されているが、日本人の翻訳者が何を思ったのか「事実ではない」等と訳の判らない注釈を付けています。

人肉の値段も子供・女・男の順で安くなるそうです。丁度、羊のマトンとラムの連想を思い出しますが、人間を「両脚羊」と中国人が呼んでもいました。

漢方の本草拾遺や本草綱目にも、人肉・人間の薬効が記されている訳ですが、中国の奴隷制度等と「両脚羊」とを織り交ぜると、次のような推測も強ち間違いではないではないでしょう。
当時の中国人は、豚や牛のように人間を家畜として飼育していた。

さらに王朝交代の度に、人口が10分の1まで何度も激減したが、これも漢人同士が共食いしたためでしょう。
子供と女とを先に食べる中国人の食文化から考えれば、人口が増える筈も無く、最近のアフリカ等で起きた大飢饉でも人口が減らないことも、この補強材料です。

この中国4000年の人食い文化・伝統から考えれば、当時南京市内に残った中国人同士が共食いして数万人・数十万人が中国人の胃袋に入ったと考えるべき南京事件です。

本当に
中国人同士の共食い人数まで日本の責任にされちゃ、叶わんな。

追伸
半世紀前の文化大革命の時でも人食いが大流行したが、その時も
馬鹿な日本の左派学者・朝日新聞・岩波書店などは「文化大革命バンザイ」でしたね。

Re: 慰安婦になる為には? (^Д^)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/11/06 10:40 投稿番号: [23926 / 29399]
軍慰安婦などは居ないよ、脳無し君。

爆笑

Re: 慰安婦になる為には? (^Д^)

投稿者: shoujouji 投稿日時: 2010/11/06 09:47 投稿番号: [23925 / 29399]
それでは,軍慰安婦の自筆の同意書である娼妓名簿を出せ,
ということになるわな。自爆くん(藁

Re: 中国に住む日本人

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/11/06 08:57 投稿番号: [23924 / 29399]
在日中国人の数。

680,518人(2009年)

南京事件の背景に関する考察は不要

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/11/06 08:55 投稿番号: [23923 / 29399]
南京事件は1913年に起こった事件。

南京大虐殺は、夢幻の事件。

南京事件の背景に関する考察

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/11/06 08:51 投稿番号: [23922 / 29399]
南京事件は中国兵の内共産党員が起こした、掠奪、虐殺、放火、毀損事件。

中国政府が公式に謝罪をしている。

日本は被害国。

中国は加害国。

Re: 慰安婦になる為には? (^Д^)

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2010/11/06 08:48 投稿番号: [23921 / 29399]
>売春するのに警察署長が許可を出していたのかい?

↑君は知らないんだね。

慰安婦とは公娼なんだよ。簡単には成れないんだよ。

明治三十三年十月二日内務省令第四四号
改正大正元年十二月内務省令第十七号
娼妓取締規則
第二條   娼妓名簿に登録せられざる者は娼妓稼ぎを為すこと
     を得ず
     娼妓名簿は娼妓所在地管轄警察官署に備えるものとす
     娼妓名簿に登録せられたる者は取締条警察官署の監督を受けるもの
     とす

第三條   娼妓名簿の登録は娼妓たらんとする者自ら警察官署に出頭し左の事
     項を具したる書面を以て申請すべし
     一.娼妓と為るの事由
     二.生年月日
     三.同戸籍内に在る最近尊属親、尊属親なきときは戸主の承諾を得
       たること若し承諾を与うる者なきときは其の事実
     四.未成年者に在りては前号の外実父、実父なきときは実母、実母
       なきときは実祖父、実父母、実祖父なきときは実祖母の承諾を
       得たること
     五.娼妓を為すべき場所
     六.娼妓名簿に登録後に於ける住居
     七.現在の生業   但し他人に依りて生計を営むものは其の事実
     八.娼妓たりし事実の有無並びに嘗て娼妓足り下野は其の過業の開
       始廃しの年月日、場所、娼妓たりし時及び稼業廃止の事由
     九.前号の外廳府県令を以て定められたる事項
     前項の申請には戸籍吏の作りたる戸籍謄本、前号第三号、第四号の
     承諾書及び市町村長の作りたる承諾者印鑑証明を添付すべし
     娼妓名簿登録申請者は登録前廳府県令の規定に従い健康診断を受く
     べきものとす

第八条   娼妓稼は官廳の指定したる貸し座敷内に在らざれば之を為すことを
     得ず

中国に住む日本人

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2010/11/06 00:17 投稿番号: [23920 / 29399]
>世界四大文明発祥の地、ということで日本人は中国を異常に美化しますが、真実の中国とは大違いです。
例えば人食い、遣唐使として渡った日本人の多くが、人食いを目にしたであろう。だから突然、遣唐使が取りやめになったのでしょう。(人食人種が住む国に旅行したいと考える日本人は今も昔もいない。)>

おまえは相変わらずうそつきだねぇ〜:

外務省の海外在留邦人数調査統計平成20年によると・・・

現在海外に住む日本人の数は、1,085,671人(平成19年10月1日現在)で、
第1位:アメリカ 374,732人、第2位:中国 127,905人、第3位:イギリス 63,526人

中国では、人食いが美談ですから

投稿者: stmtr314stmtr 投稿日時: 2010/11/05 23:46 投稿番号: [23919 / 29399]
世界四大文明発祥の地、ということで日本人は中国を異常に美化しますが、真実の中国とは大違いです。

例えば人食い、遣唐使として渡った日本人の多くが、人食いを目にしたであろう。だから突然、遣唐使が取りやめになったのでしょう。(人食人種が住む国に旅行したいと考える日本人は今も昔もいない。)

さらに、世界中で人食いを美談とするのは中国だけですから、最近まで、中国全土の料理店や庶民の食卓に人肉饅頭や人肉シューマイが並んでいた。

例えば水滸伝の日本語訳は、意図的に誤訳していて人食いが判らなくなっていますが、本来の水滸伝は初めから終わりまで人食い物語が随所に出てきます。劉備の関係でも人食いが美談とされています。

中国人の子供達は幼少の時から、この反吐の出る・気色の悪い人食い水滸伝を「楽しく」・「ワクワクとして」・「嬉々として」・「愉快に」、子守唄のように聞いて育った人々です。

中国の諺として有名なものに「中国人(漢人)は四足の食台以外は何でも食べる」というものがあるが、比喩ではなく事実で、人肉も食べるという意味で使われたのが本来の意味でしょう。

昔の中国の食料市場では、人肉が売られていたことが東方見聞録等にも記載されているが、日本人の翻訳者が何を思ったのか「事実ではない」等と訳の判らない注釈を付けています。

人肉の値段も子供・女・男の順で安くなるそうです。丁度、羊のマトンとラムの連想を思い出しますが、人間を「両脚羊」と中国人が呼んでもいました。

漢方の本草拾遺や本草綱目にも、人肉・人間の薬効が記されている訳ですが、中国の奴隷制度等と「両脚羊」とを織り交ぜると、次のような推測も強ち間違いではないではないでしょう。
当時の中国人は、豚や牛のように人間を家畜として飼育していた。

さらに王朝交代の度に、人口が10分の1まで何度も激減したが、これも漢人同士が共食いしたためでしょう。
子供と女とを先に食べる中国人の食文化から考えれば、人口が増える筈も無く、最近のアフリカ等で起きた大飢饉でも人口が減らないことも、この補強材料です。

この中国4000年の人食い文化・伝統から考えれば、当時南京市内に残った中国人同士が共食いして数万人・数十万人が中国人の胃袋に入ったと考えるべき南京事件です。

本当に
中国人同士の共食い人数まで日本の責任にされちゃ、叶わんな。

追伸
半世紀前の文化大革命の時でも人食いが大流行したが、その時も
馬鹿な日本の左派学者・朝日新聞・岩波書店などは「文化大革命バンザイ」でしたね。

南京事件の背景に関する考察⑩

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2010/11/05 23:40 投稿番号: [23918 / 29399]
当時の日本軍には、人権の無視、人命軽視という   体質が存在し、
さらに   「生きて捕虜になるのは恥」とする   武士道的精神主義が
強まって、敵国の捕虜をも軽蔑し   否定するようになっていた。
また、アジア諸国民にたいする   差別意識、侮蔑的観念が加わり、
欧米人に対するのと中国人に対する対応が違うという二重の基準を
もつことになり、これが   中国人捕虜の大量虐殺を招いた。

さらに   日中戦争は、国民に明示する戦争目的を見出せないまま、
予期せぬ規模に拡大し、それまで経験したことのない規模の大軍を
広大な中国大陸の各地方に   送り込まねばならなくなった。
日本軍は、それを   年齢の高い予後備兵に頼らざるを得なかった。
また   この時期の軍幹部は、特種エリート教育で偏狭な武断主義に
凝り固まり、国際知識も人権感覚も欠いた   独断、積極主義者が
中核となっていた。それが   南京攻略戦における捕虜の大量処刑、
敗残兵と疑われた人々の   大量殺戮を招く   要因となった。

また   大軍の動員により   応召兵が主体となったこと、
幹部不足と素質の低下、幕僚層の独善は、軍紀の紊乱と低下を招き、
それに加えて   中国軍の激しい抵抗は、戦争目的があいまいなまま
突然召集されて   損害多出の戦場に投入された兵隊たちを
自暴自棄の行動に   かりたてることに   なってしまったのだ。
これらが   軍紀風紀の頽廃、志気の低下を招いて、残虐行為を
ひきおこす原因になったのだと   考えられる。

南京事件から   すでに   70年以上が経過している。
事件の全貌と、その責任が   すべて   明らかにされてはいない。
その原因の一つは、敗戦の時点で   軍も政府も   戦争責任の追及を
恐れ、証拠湮滅のために   多くの関係書類を   焼却したことによる。
また   戦後の日本で、戦争原因や責任の究明が   きちんと行われず、
戦争を美化し戦争犯罪を隠蔽しようとする勢力が温存されたことも
関係している。

だが、事件の存在そのものは、動かしがたい   歴史の事実だ。
かりに   被害者数については   議論の余地があるとしても、
大量の捕虜を組織的に処分したこと、敗残兵を不法に処刑したこと、
一般住民への大規模な残虐行為が行われたことは、否定できない。
その事実を、いっそう正確に   解明することと、
なぜ   そのようなことが行われたのかという原因を究明することが、
現在の残された課題だろう   と思う。

人が   失敗や試行錯誤を経て   成熟した大人に成長するように
人類社会が発展する過程にあっては、どこの国家、どの民族にも
その歴史には   暗い部分が   必ず存在する。
過去の汚点自体が、国家や民族の名誉を   汚すものではない。
過去を省みずに   真実を歪めることこそ、国家と民族の恥になる。

どんな忌まわしい過去であっても、歴史の真実を   直視し、
そこから   真摯に教訓を学びとり、それを次世代に伝えて
二度と   過ちをくり返さないように   しなければならない。
そうすることこそが、戦争の犠牲となって   生命を失った
内外の   数多の人々に報いる   唯一の道であると思う。
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