玉砕という美名に隠された真実③
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2010/11/07 19:16 投稿番号: [23957 / 29399]
偽りの発表によって
ブナ守備隊の真実は、隠された。
「ニューギニアのブナ付近に挺身せる部隊は、寡兵よく敵の執拗な
反撃を撃退しつつありしが、その任務を終了せしにより、1月下旬
陣地を撤し、他に転進せしめられたり」 と発表された。
ブナ守備隊の 全滅は、大本営によって 封印されたのだ。
正確な戦況を報道することは、日本軍にとって タブーだった。
しかし 戦況は、もはや 隠しきれないほど 悪化していた。
ブナから 奇跡的に生還した 阿部喜一さん(92歳)は、
守備隊本部と連絡が取れなくなり、深夜に海を泳いで脱出したが、
足に重傷を負い 病院に送られた。
「憲兵が、生き残った者には うるさかったよ。 戦争に負けて
戻ってきたと言ってはいかん」と 証言している。
脱出後、栄養失調で倒れ、入院していた山下信幸さん(89歳)は
「ニューギニアと ガダルカナル島の兵隊が 入院していたが、
それぞれ 別の病棟で、絶対 他の者とは しゃべらせんように
なっていた」と 語っていた。
ブナ守備隊全滅の半年前、中部太平洋では、空母4隻を失う大敗北を
喫していた。 以降、太平洋での 日本軍の優勢は 崩れていった。
アッツ島守備隊全滅後、大本営は 方針を転換し、それまで隠してきた
兵士の敗死、部隊全滅を 初めて 「玉砕」という言葉で 発表した。
「アッツ島守備隊の わが部隊は、遂に ことごとく玉砕しました」
「生きて虜囚の辱めを受けず、あの戦陣訓を そのまま実践したもの
であります」「後に続くものを信じ、心残りなく笑って、悠久の大義に
就いたのであります――」と。
陸軍の幹部が 記していた内部資料 「アッツ島報道方針」 には、
「戦意の高揚を図り、戦陣訓を一般に理解させる。山崎大佐はもとより
全将兵の勇戦を讃え、統率に 疑惑を 抱かせないようにする」
と 記されている。
アッツ島守備隊の 慰霊祭は、軍の主催で 大々的に 行われた。
玉砕した将兵たちは、「軍神」として 祭られたのだ。
その遺骨箱には、ただの砂が 入っていたという。
その後、太平洋の戦場で 部隊の全滅が 次々と起こり、
「玉砕」したと 発表されていった。
隠蔽されていた ニューギニア・ブナの守備隊の全滅も、
「玉砕」と発表され 賛美された。
戦局が 絶望的になっても、大本営は さらに玉砕を煽りたて、
一般市民をも 死に巻き込んでいった。
先の戦争で 亡くなった 日本人は 310万人。
このうち 二百数十万人は アッツ島玉砕以降の 死者だ。
アッツ島の戦闘から 奇跡的に生還した人達は、67年経った今も、
戦友とともに玉砕できず 生きて帰ったことに 苦しんでいる。
「戦陣訓どおりに 立派に死ねれば いいさ。 どうして 俺は
生きてきたんだろうと 何時も思うんです」 「生きて虜囚の恥を
かいているんだから」 「私が考えるに、運が悪かったから生きて
帰ったということです――」 と。
事実を覆い隠すための 美名として 使われた言葉 「玉砕」。
その裏には、残された者の 筆舌に尽くしがたい苦しみがあった。
そして、失われた 夥しい数の生命。
戦後65年、兵士たちの遺骨は 祖国から遠く離れた 絶海の島に
今も 残されたままである。
「ニューギニアのブナ付近に挺身せる部隊は、寡兵よく敵の執拗な
反撃を撃退しつつありしが、その任務を終了せしにより、1月下旬
陣地を撤し、他に転進せしめられたり」 と発表された。
ブナ守備隊の 全滅は、大本営によって 封印されたのだ。
正確な戦況を報道することは、日本軍にとって タブーだった。
しかし 戦況は、もはや 隠しきれないほど 悪化していた。
ブナから 奇跡的に生還した 阿部喜一さん(92歳)は、
守備隊本部と連絡が取れなくなり、深夜に海を泳いで脱出したが、
足に重傷を負い 病院に送られた。
「憲兵が、生き残った者には うるさかったよ。 戦争に負けて
戻ってきたと言ってはいかん」と 証言している。
脱出後、栄養失調で倒れ、入院していた山下信幸さん(89歳)は
「ニューギニアと ガダルカナル島の兵隊が 入院していたが、
それぞれ 別の病棟で、絶対 他の者とは しゃべらせんように
なっていた」と 語っていた。
ブナ守備隊全滅の半年前、中部太平洋では、空母4隻を失う大敗北を
喫していた。 以降、太平洋での 日本軍の優勢は 崩れていった。
アッツ島守備隊全滅後、大本営は 方針を転換し、それまで隠してきた
兵士の敗死、部隊全滅を 初めて 「玉砕」という言葉で 発表した。
「アッツ島守備隊の わが部隊は、遂に ことごとく玉砕しました」
「生きて虜囚の辱めを受けず、あの戦陣訓を そのまま実践したもの
であります」「後に続くものを信じ、心残りなく笑って、悠久の大義に
就いたのであります――」と。
陸軍の幹部が 記していた内部資料 「アッツ島報道方針」 には、
「戦意の高揚を図り、戦陣訓を一般に理解させる。山崎大佐はもとより
全将兵の勇戦を讃え、統率に 疑惑を 抱かせないようにする」
と 記されている。
アッツ島守備隊の 慰霊祭は、軍の主催で 大々的に 行われた。
玉砕した将兵たちは、「軍神」として 祭られたのだ。
その遺骨箱には、ただの砂が 入っていたという。
その後、太平洋の戦場で 部隊の全滅が 次々と起こり、
「玉砕」したと 発表されていった。
隠蔽されていた ニューギニア・ブナの守備隊の全滅も、
「玉砕」と発表され 賛美された。
戦局が 絶望的になっても、大本営は さらに玉砕を煽りたて、
一般市民をも 死に巻き込んでいった。
先の戦争で 亡くなった 日本人は 310万人。
このうち 二百数十万人は アッツ島玉砕以降の 死者だ。
アッツ島の戦闘から 奇跡的に生還した人達は、67年経った今も、
戦友とともに玉砕できず 生きて帰ったことに 苦しんでいる。
「戦陣訓どおりに 立派に死ねれば いいさ。 どうして 俺は
生きてきたんだろうと 何時も思うんです」 「生きて虜囚の恥を
かいているんだから」 「私が考えるに、運が悪かったから生きて
帰ったということです――」 と。
事実を覆い隠すための 美名として 使われた言葉 「玉砕」。
その裏には、残された者の 筆舌に尽くしがたい苦しみがあった。
そして、失われた 夥しい数の生命。
戦後65年、兵士たちの遺骨は 祖国から遠く離れた 絶海の島に
今も 残されたままである。
これは メッセージ 23956 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.