玉砕という美名に隠された真実②
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2010/11/07 18:51 投稿番号: [23956 / 29399]
アッツ島守備隊からの
増援、補給の要請を
無視したうえに、
大本営が 発したのは、 撤退命令でも 降伏勧告 でもなく、
「潔く玉砕し 皇国軍人精神の精華を 発揮あらんことを望む」
という 事実上の 玉砕命令だった。
これを受けた 守備隊長は、怪我を負い歩けない兵に 自決を命じた。
1943年5月29日、守備隊は 最期の突撃を敢行し 全滅した。
大本営は、これに対し 全滅の責任を 逃れるため、
守備隊自らの意思で 玉砕した と発表したのだ。
「ことごとく玉砕した。アッツ島は 皇軍の真髄発揮の聖地として、
永遠に悠久に歴史の上に記されることになったのであります」 と。
大本営が 玉砕という言葉で 部隊の全滅を公表したのは、
アッツ島が 最初だった。 しかし 大規模な命の切捨ては、
それ以前から行われていた事が、最近 明らかになった。
日本から 5,000km、 パプアニューギニア南東部に位置する
ブナがある。
ブナの戦いを記録した 映像があった。
撮影されたのは アッツ島玉砕の半年前。
そこには 多くの 日本兵の遺体が 映し出されている。
記録によれば 1943年1月2日、ブナに駐屯していた守備隊が
全滅した。 2000人余りが犠牲になった と見られている。
日本軍が ブナに上陸したのは 1942年7月、日本軍が戦争を
優位に進めていた時期だった。 しかし 米軍の反撃に会い、
4ヵ月後には 追い詰められていった。 同じ頃、ソロモン諸島の
ガダルカナル島でも、日本軍と米軍の激戦が 展開されていた。
現地司令部は、兵士や弾薬を 前線に送る際、駆逐艦を使っていた。
しかし その多くが 撃沈され、12月上旬には 駆逐艦輸送は
打ち切られることになった。 孤立した守備隊は 一方的な攻撃に
さらされることになる。 大本営海軍部作戦課長 富岡大佐は、
昭和45年に亡くなる前に 大本営の論理を 明らかにしていた。
「あの軍は 敗残兵である。 これに 駆逐艦や潜水艦で米を運んで
いたのでは、日本海軍の戦力は 無くなってしまうぞ。
上司も捨てろ というのです。 敗残兵になったら 死んでしまえと
いうのは、当たり前じゃないか」と。
大本営の参謀は、戦争継続を優先し、前線の兵士の命は顧みなかった。
上陸から半年後の 43年1月2日、この時までに わずか10数人に
なっていた ブナ守備隊は、最期の突撃を敢行、部隊は 全滅した。
大本営は これを隠し、次のような 偽りの発表まで 行っていた。
「ブナ付近に挺身せる部隊」は「陣地を撤し、他に転進せしめられたり」
大本営が 発したのは、 撤退命令でも 降伏勧告 でもなく、
「潔く玉砕し 皇国軍人精神の精華を 発揮あらんことを望む」
という 事実上の 玉砕命令だった。
これを受けた 守備隊長は、怪我を負い歩けない兵に 自決を命じた。
1943年5月29日、守備隊は 最期の突撃を敢行し 全滅した。
大本営は、これに対し 全滅の責任を 逃れるため、
守備隊自らの意思で 玉砕した と発表したのだ。
「ことごとく玉砕した。アッツ島は 皇軍の真髄発揮の聖地として、
永遠に悠久に歴史の上に記されることになったのであります」 と。
大本営が 玉砕という言葉で 部隊の全滅を公表したのは、
アッツ島が 最初だった。 しかし 大規模な命の切捨ては、
それ以前から行われていた事が、最近 明らかになった。
日本から 5,000km、 パプアニューギニア南東部に位置する
ブナがある。
ブナの戦いを記録した 映像があった。
撮影されたのは アッツ島玉砕の半年前。
そこには 多くの 日本兵の遺体が 映し出されている。
記録によれば 1943年1月2日、ブナに駐屯していた守備隊が
全滅した。 2000人余りが犠牲になった と見られている。
日本軍が ブナに上陸したのは 1942年7月、日本軍が戦争を
優位に進めていた時期だった。 しかし 米軍の反撃に会い、
4ヵ月後には 追い詰められていった。 同じ頃、ソロモン諸島の
ガダルカナル島でも、日本軍と米軍の激戦が 展開されていた。
現地司令部は、兵士や弾薬を 前線に送る際、駆逐艦を使っていた。
しかし その多くが 撃沈され、12月上旬には 駆逐艦輸送は
打ち切られることになった。 孤立した守備隊は 一方的な攻撃に
さらされることになる。 大本営海軍部作戦課長 富岡大佐は、
昭和45年に亡くなる前に 大本営の論理を 明らかにしていた。
「あの軍は 敗残兵である。 これに 駆逐艦や潜水艦で米を運んで
いたのでは、日本海軍の戦力は 無くなってしまうぞ。
上司も捨てろ というのです。 敗残兵になったら 死んでしまえと
いうのは、当たり前じゃないか」と。
大本営の参謀は、戦争継続を優先し、前線の兵士の命は顧みなかった。
上陸から半年後の 43年1月2日、この時までに わずか10数人に
なっていた ブナ守備隊は、最期の突撃を敢行、部隊は 全滅した。
大本営は これを隠し、次のような 偽りの発表まで 行っていた。
「ブナ付近に挺身せる部隊」は「陣地を撤し、他に転進せしめられたり」
これは メッセージ 23955 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.