南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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Re: 日本軍はなぜ虐殺事件を起こしたのか

投稿者: yqxfk192 投稿日時: 2009/12/26 11:13 投稿番号: [30401 / 41162]
相変わらず日本語の文章が正しく読めないバカネコだなぁ!

日本語文読解力皆無のバカネコは、
下記の文章を読んで<中佐が大佐に命令するとは何処の軍隊だい>だってさぁ!

『その代表的なものとして、1931年の   十月事件の首謀者であり、
沖縄戦では   中将で参謀長だった将校の場合を   みてみよう。
この人物は、南京戦のときは中佐で、
上海派遣軍の参謀兼中支那方面軍参謀情報課長だった。
軍司令官の専属副官だった大佐が   投書で、当時の方面軍司令部内部の
雰囲気を示すものとして、次のような出来事を   記録している。

   12月18日朝、第六師団から   軍の情報課に電話があった。
   「下関に支那人約十二、三万人居るが、どうしますか」
   情報課長、●●中佐は極めて簡単に「ヤッチマエ」と命令したが、
   私は事の重大性を思い、情報課長の電話は軍司令官の意図に反すると
   確信した。   この事を軍司令官に報告した。
   軍司令官は   直ちに●●中佐を呼んで
   「下関の支那人十二、三万人の解放」を命ぜられたが、
   ●●中佐は   「支那人の中には軍人が混っております」という。
   軍司令官は「軍人が混っていても、却って紀律を正しくするために
   必要だ」と   強く「解放」を命ぜられたので、●●中佐は
   「解りました」と返事をした。
   (中略)
   ところが   約一時間ぐらい経って再び第六師団から電話があった。
   「下関の支那人をどうするか」である。
   ●●中佐は   再び「ヤッチマエ」と命じた。
   私は   このことを軍司令官に報告することができなかった(以下略)』

この中で投書した大佐はどこに所属していたのか?!軍の情報課へ電話した「第六師団」なのか?!
それとも中佐と同じ「上海派遣軍」なのか?!

日本語の文章が正しく読める人は、大佐は中佐と同じ「上海派遣軍」に所属していて、
当時の方面軍司令部内部の雰囲気をよく知る立場に居た人である。だから一度目の中佐の対応に対し、
「私は事の重大性を思い、情報課長の電話は軍司令官の意図に反すると    確信した。
この事を軍司令官に報告した。」なのである。

>ところが   約一時間ぐらい経って再び第六師団から電話があった。

命令を受けようと連絡入れた人間が、上記の様な書き方をするのか?!

「北」のバカネコ工作員=nyankotyanndamonは、もう一度「北」へ帰って勉強しなおせ!
でも、日本へ戻って来なくて良いからなぁ(^^)/~~~

Re: 南京虐殺の背景にあった人権感覚欠如②

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/26 09:26 投稿番号: [30400 / 41162]
抗日拠点ではなく、中国軍と共に共匪の殲滅を行おうとした。

Re: 南京虐殺の背景にあった人権感覚の欠如

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/26 09:25 投稿番号: [30399 / 41162]
毒ガスを日本軍が使ったという証拠はない、中国軍が使ったという証拠はある。

北鮮の阿呆虫ikeyo_anoyoよ ( ´ー`)y-~~

投稿者: markyoshiweek 投稿日時: 2009/12/26 09:11 投稿番号: [30398 / 41162]
お前、年末は北朝鮮に帰らへんのか?
犬糞餅で汚臓煮でも作って食うんか、お?W

残虐行為は南京だけではない

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/26 08:55 投稿番号: [30397 / 41162]
日本軍は   中国大陸の各地に侵攻し、住民に多大な損害を与えた。
首都・南京の占領と   そこで発生した虐殺事件は、ごく一端にすぎない。
当時、中国軍に日本を武力侵略する意図も能力もなく、したがって
日本は   中国領土での戦線拡大の大義名分を   持っていなかった。
国際社会からの孤立、批判と経済制裁は自ら招いたものに他ならない。

いまだに   南京事件を「ウソ」「捏造」などと決め付けて否定する
愚かな人間は、そもそも   日中戦争の本質すら理解できていない。
しかし、それは   あまりにも見苦しい。
歴史に真摯に向き合う勇気がなければ、未来への責任は持てない。

日中戦争の実態を象徴するものの一つに、重慶爆撃があげられる。
日本軍による重慶への爆撃は、史上初の   戦略爆撃として知られる。
これは   南京事件同様の   残虐行為といえるものだ。
1938年2月〜43年8月にかけて、中国の臨時首都となっていた
重慶市に対し、日本軍は   長期間の無差別爆撃を   くり返した。

中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究会編の
『重慶抗戦紀事』によると、爆撃の被害は   死傷者2万6千人、
焼失家屋1万7千戸と集計されている。
とくに、1939年5月3日と4日にわたる   熾烈な波状攻撃は
「五・三、五・四空襲」の名で、市民に今なお語り継がれている。

5月3日、漢口基地を発進した日本軍の45機は   午後1時すぎ、
長江北岸から急降下し、爆弾、焼夷弾を   雨のように投下、
人口密集地は火炎に覆われ、逃げ道を失った人々を巻き込んだ。
炎は夜まで燃えさかり、鎮火後の焦土には、死体が累々と横たわった。
『重慶抗戦紀事』には、両日だけで、死者2648人、
負傷者は3668人にのぼった   と記録されている。

無差別に市民が殺された「東京大空襲」と同じ惨劇を、
その6年前、この重慶で、日本軍が引き起こしていたのだ。
ナチスドイツのゲルニカ爆撃(37年4月26日)とともに、
この重慶爆撃は、一般民衆を狙った最初の本格的な無差別都市爆撃
として、戦史に名を刻むこととなった。

日本軍は37年12月に南京を、38年10月には武漢を占領したが、
中国は降伏せず、蒋介石と国民党政権は   武漢からさらに奥地にある
この重慶に遷都して抗戦の姿勢を示していた。
背景には国際社会からの支持と正義の旗印があった。

この手詰まりを打開しようとしたのが
「飛行団ハ主力ヲ以テ重慶市街ヲ攻撃シ敵政権ノ上下ヲ震撼セントス」
(陸軍命令書)という“抗戦意思を砕く”目的の「無差別爆撃」だった。

一般民衆を殺傷する非人道的行為は   いかなる理由があっても許されない。
しかし、これが   「戦略爆撃」の名のもとに   合理化され、
やがて、米軍の日本本土空襲や広島・長崎の原爆投下、
さらには   ベトナム戦争でのナパーム弾使用などにつながっていった。

ジュネーブ条約「国際武力紛争の犠牲者の保護に関する追加第1議定書」
そこには、「文民を攻撃の対象としてはならない」   としたうえで、
「無差別攻撃を禁止する」ということを   明文化している。
二度と、あってはならない   歴史の事実を   しっかりと認識すべきだ。

南京虐殺の背景にあった人権感覚欠如③

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/26 08:18 投稿番号: [30396 / 41162]
「事変」であるから、戦時に適用される国際規約は守る必要がない――
この一方的な位置づけも、南京での捕虜に対する虐殺行為につながった。
もともと中国人への蔑視が存在したうえに、戦友を殺されたという憎悪、
敵愾心が膨れ上がった日本軍兵士には、国際法規も   人権尊重の意識も
失われて当然の状況がうまれていたのだ。

日清・日露の戦役を上回る大規模な戦争に拡大しているにもかかわらず
日本軍は「事変」と称し、天皇の開戦詔勅さえもないまま侵攻を続けた。
支那事変」という呼称を決めたのは、1937年9月2日の閣議決定で
「今回ノ事変ハ之ヲ支那事変ト呼称ス」と決定したことによる。

その理由として「今回ノ事変ハ北支蘆溝橋附近ニ於ケル日支兵衝突ニ
端ヲ発シタルモノナルモ   今ヤ支那全体ニ及ブ事変ト化シタルヲ以テ
其ノ呼称モ名実相伴フ如クシ国民ノ意思ヲ統一スルノ必要アルニ依ル」
としている。
しかし、実のところ   戦争と呼称しなかった最大の理由は、
1928年のパリ不戦条約で「戦争放棄」が決められていたからだ。

さらに、国際法上、戦争となると中立法規が適用され、
参戦する意思のない国は   中立を守らなければならない。
アメリカは   1935年に中立法を制定しており、
交戦国や内乱国に、武器または軍需物資の輸出を禁止していた。
同法が発動されれば、日本は同国から戦略資源を輸入できなくなり、
戦争継続も困難になってしまう。
だからこそ、日本政府は、宣戦布告や最後通牒を避け、
日中戦争ではなく、あくまでも「支那事変」などと呼んだのだ。

宣戦布告もない戦争は   国際的には不正義なことであるため、
国民にも「戦争ではない」「悪い中国人を懲らしめるだけ」と宣伝し、
なおかつ、侵略戦争としての本質を   国際社会に隠す意味もあった。

なお、「大東亜戦争」という呼称は、41年12月12日の閣議決定
「今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ付テ」で、
「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ
支那事変ヲモ含メ   大東亜戦争ト呼称ス」   という決定に基づいている。
この「大東亜戦争」という呼称も、侵略戦争の性格を覆い隠し、
アジアの人々があたかも「共栄」できる「大東亜共栄圏」をつくる、
いかにも「正義の戦争」であるかのように   思わせるものだった。

敗戦後は、右翼を除いて   一般に「太平洋戦争」の呼称が定着する。
それは占領軍主導だったが、「大東亜戦争」の呼称の欺瞞性を否定する
国際社会の客観的な歴史理解に立っていた。
以後、歴史認識の深化とともに「満洲事変」から太平洋戦争終結までを
「十五年戦争」、「アジア・太平洋戦争」という呼称も使われている。
呼称の変化は、戦争の評価・位置づけと不可分ということだ。
時代の発展についていけない   黴の生えた化石脳の持ち主だけは
いまだに「シナ事変」や「大東亜戦争」の呼び方をしている。

南京虐殺の背景にあった人権感覚欠如②

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/26 07:49 投稿番号: [30395 / 41162]
中国侵攻戦が長期持久戦に入ると、日本軍は   華北において
中国軍が押さえていた地域、特に共産党が解放した抗日根拠地に対し、
大規模な「掃討作戦」を   繰り返し   実施した。

日本軍は   万里の長城の南北500キロ以上に「無人区」を設定し、
区域内にある村落を   徹底して「消滅」させていく作戦を展開した。
そのあまりの残虐さから、中国では、これらを、焼光、殺光、搶光、
つまり、焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす「三光作戦」と呼んだ。

一方、日本軍自身は   これを「燼滅掃討」と呼称した。
つまり、燃えカスが無くなるまで徹底的に滅ぼす作戦という意味だ。
この作戦で、37〜45年の8年に   7つの根拠地だけに限っても
約318万人の中国人が殺され、276万人が連行され、
1952万軒の家屋が焼かれ、5745万トンの食料が奪われ、
631万頭の耕作用家畜、4800万頭の豚・羊が失われたとされる。
(参考:『日本侵略軍在中国的暴行』軍事科学院外国軍事研究部編著)

作戦の実態は、被害を受けた中国の民衆や、元日本軍兵士の様々な証言、
記録によって窺い知ることができる。
「残虐行為はなかった」という靖国派は、中国側の調査はもちろん、
日本軍兵士の証言も「ウソだ」「捏造だ」などとして否定しようとする
が、数々の客観的証拠は、その憶測や主観的見解を打ち砕いている。

参考までに   昭和天皇の末弟・三笠宮崇仁の証言をあげておきたい。
三笠宮は、「支那派遣軍総参謀に補せられ、南京の総司令部に
赴任したときに、日本軍の残虐行為を知らされました」
「ごくわずかしか例があげられませんが、それはまことに氷山の一角に
すぎないものとお考え下さい」   と前置きし、次のように書いている。

   ある青年将校―私の陸士時代の同期生だったからショックも
   強かったのです―から、兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を
   銃剣で突きささせるにかぎる、と聞きました。
   また、多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に
   連行し、毒ガスの生体実験をしている映画も見せられました。
   その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州を調査するために
   国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた
   果物を出したが成功しなかった、と語っていました
   (『古代オリエント史と私』学生社、84年6月刊)

華北における掃討作戦は、南京大虐殺、毒ガス使用とともに
旧日本軍の人権感覚の欠如ぶりを象徴するものだ。

南京虐殺の背景にあった人権感覚の欠如

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/26 07:28 投稿番号: [30394 / 41162]
旧日本軍の   中国人に対する極端な蔑視、人権無視の姿勢が
南京事件をはじめとする中国各地での残虐行為の根底にあった。
そのことを端的に物語る事実が、毒ガス兵器の使用だった。
対米英軍に対しては使用しなかった(できなかった)が、
中国大陸では残虐兵器が   躊躇なく、大量に投入されていたのだ。

中国   河北省にある北坦村。
北京から南西へ   車で約4時間ほどの平原に位置している。
1942年5月27日、日本の北支那方面軍の第110師団の一大隊が
この地を「抗日根拠地」であるとして、村を急襲した。
当時、この村には   220世帯、1227人が暮らしていた。

村民は日本軍から逃れるため、全村を掘りつないでいた坑道に隠れた。
そこに   日本軍は   毒ガスを投入した。
坑道は地獄と化し、中毒死、刺殺、銃殺によって   少なくとも800人、
最大で1100人の村民が殺害された。
女性は、毒ガスで殺害されたほか、多数が強姦された。

現在、村にある虐殺記念碑には、多くの被害者名とともに
「それは最も悲しみの大きな一日だった。」
「我々が『五二七』の惨状を忘れることは永遠にありえない。」
「まだ母親の懐を離れない多くの乳飲み子と彼らの母親が、
ともに虐殺された。烈士たちの鮮血は黄土を赤く染めた。」
「八百人の遺体は、通りいっぱいに横たわった」   と刻まれている。

日本軍による毒ガス使用は、北坦村だけでなく、中国全土で
2千回以上におよび、死傷者は   94000人以上と推計されている。
(参考文献:紀学仁『日本軍の化学戦』大月書店)
こうした残虐な毒ガス使用があまり知られていないのは、
戦前は日本軍が、戦後はアメリカ占領軍が隠蔽したからだ。

化学兵器や細菌兵器などの残虐兵器は国際条約で国際法違反とされた。
このため、第一次世界大戦後、化学兵器の開発を始めた日本陸軍は、
毒ガス製造工場を設置した広島県の大久野島を地図上から消すなど、
秘密主義を徹底した。

一方、中国への侵略戦争を始めると、化学戦部隊を戦場へ派遣した。
関東軍は   化学戦部隊・516部隊を   満州のチチハルに創設。
36年に創設した細菌戦部隊・731部隊と共同し、
毒ガスによる生体実験も実施するが、すべて軍事機密とされ、
毒ガスも「あか筒」「みどり筒」などと呼称した。
敗戦直前の撤退時には証拠隠滅を図った。

しかし、戦争中から毒ガス使用を非難してきた中国国民政府と米国は、
証拠をつかんでおり、戦後当初は、日本軍の毒ガス使用を国際法違反
として裁くはずだった。
ところが、一転、アメリカは   日本軍の生体実験などの研究データを
引き渡すことを条件として関係者を免罪し、極東軍事裁判(東京裁判)
では、毒ガスや細菌兵器の犯罪解明をせず   事実を隠したのだ。

Re: 日本軍はなぜ虐殺事件を起こしたのか

投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2009/12/26 04:47 投稿番号: [30393 / 41162]
>そしてこの長勇中佐(最終階級は陸軍中将)は、沖縄戦の時は沖縄住民を「
更衣兵」として、
アメリカ軍(=連合軍)に対して「一人十殺」を合い言葉に戦闘にも加わるように言っているんだよなぁ!
こんな指揮官が居たから、日本軍は戦後悪く言われるんだよ!

発想が逆だ。というか歴史に無知だ。

そもそも沖縄侵攻した米軍が悪い。あの頃までに日本は制海制空権を奪われほとんど矢玉尽き果てせいぜい特攻機、特攻艦(大和)とそれを走らせる片道燃料しか残っていなかった。すでに完全に敗北していたんだ。降伏は時間の問題だった。日本本土侵攻占領にこだわった米軍が悪い。

第一、インディアンを虐殺し広大で資源豊かな北米大陸を奪い、それでも飽き足らずハワイやフィリピンを侵略し、シナ大陸市場に強引に割り込もうとした米国が悪い。

米国は同時に着々とオレンジ計画を練り日本侵攻を計画していた。当然日本も石原莞爾のようにシナ大陸に拠って米国の侵略に対抗せざるを得ないじゃないか。米国のように国土資源広大な国は一国内に閉じこもってもやっていけたろうが、日本のような貧相小国はシナ大陸に拠るほかなかったのだ。

そもそも幕末明治にかけて米英ソ仏独など西欧帝国主義列強に迫られた日本は自存自衛上富国強兵せざるを得なかった。国防および経済上シナ大陸に出て行くよりほかなかった。欧米列強の真似をせざるを得なかった。紆余曲折はあれ日シ戦争、日米戦争は結局その延長なのだ。つまり、本をただせば欧米列強の世界侵略、その一環である東アジア侵略侵攻が沖縄戦の原因だ。一中佐の言動や集団自決云々のような木ばかり見て森を見ないと本末転倒の愚を犯すことになる。

Re: 日本軍はなぜ虐殺事件を起こしたのか

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/25 23:11 投稿番号: [30392 / 41162]
そうかね、中佐が大佐に命令するとは何処の軍隊だい、大佐が中佐に相談するとは何処の軍隊だい、世界中探してもないがね、天才バカボン君。

Re: 日本軍はなぜ虐殺事件を起こしたのか

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2009/12/25 22:02 投稿番号: [30391 / 41162]
シナ兵は古代より、屠城し、両脚羊として食うための人間を飼っていたんだな〜。おぞましい文化だね〜。

凌遅処刑とは何ぞや〜?生きながら食べ物として、そぎ落とし死に至らしめる民族〜。

今でも胎児スープ食ってる様だがの〜。

そもそも、嘘偽りが当たり前の民族、漢民族〜。

Re: 日本軍はなぜ虐殺事件を起こしたのか

投稿者: yqxfk192 投稿日時: 2009/12/25 20:51 投稿番号: [30390 / 41162]
>○○中佐の実名を示せないところが泣き所。

どこに行っても相変わらず、おバカなことしか書けない恥掻きバカネコだなぁ!

長勇中佐のことは、南京事件を知っている者なら常識なのだがねぇ!

そしてこの長勇中佐(最終階級は陸軍中将)は、沖縄戦の時は沖縄住民を「
更衣兵」として、
アメリカ軍(=連合軍)に対して「一人十殺」を合い言葉に戦闘にも加わるように言っているんだよなぁ!

こんな指揮官が居たから、日本軍は戦後悪く言われるんだよ!

有象無象のwadatumi_voice21

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/12/25 20:40 投稿番号: [30389 / 41162]
コピペ    (笑

何年間も    (笑

同じもの    (大笑

Re: 日本軍はなぜ虐殺事件を起こしたのか

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/25 18:41 投稿番号: [30388 / 41162]
軍の中佐と雖も、師団参謀は大佐であり命令することは、日本軍では出来ない相談だな。

第6師団参謀作戦主任佐藤幸徳大佐(25期生)昭和12年12月時点。

Re: 日本軍はなぜ虐殺事件を起こしたのか

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/25 18:38 投稿番号: [30387 / 41162]
○○中佐の実名を示せないところが泣き所。

軍の情報課とは、有線通信をすることはない、全て暗号電信。

日本軍はなぜ虐殺事件を起こしたのか⑩

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/25 18:25 投稿番号: [30386 / 41162]
参謀総長が異例の通達を出すほど、日本軍の軍紀風紀は   頽廃していた。
開戦後2年間のみに限っての軍紀風紀にかんする犯罪非違の調査によると、
日中戦争の戦地における犯罪非違は、日清・日露戦争に比べても
はるかに高率となっている。
大本営陸軍部が調査した開戦2年後の調査によると、軍隊内の犯罪数は
次のとおりだ。

   日清戦役(全戦役)   3387   内地1906   戦地1481
   日露戦争(全戦役)   5234   内地3780   戦地1454
   日支事変(2年間)   5221   内地2047   戦地3147
   (無形戦力軍紀風紀資料第一号「支那事変に於ケル犯罪非違ヨリ視タル
   軍紀ノ実相並ニ之ガ振粛対策」大本営陸軍部研究班昭和十五年十一月)

この数は   憲兵隊の取り扱ったものだけであり、
「実数ハ之ヨリ増加スベシ」   とされている。
そのうえで   戦地での犯罪数は、日清・日露戦争よりも
「今次事変ニ於ケル犯罪数著大ナルヲ知ルベシ」としている。

また、非違の発生件数は、日清・日露の記録がないので比較できないが、
「今次事変」では3万2964名に達し、しかも「刑法処分ニ処スベキモノ
本人ノ功績ト犯行ノ情状トヲ酌量シテ行政処分ニ附シタルモノ相当数アリ」
「シカモ軍紀上相当悪性ナルモノ多数発生シツツアルニ於テオヤ」
とされている。

つまり、
軍法会議に付された犯罪、懲罰権者の処罰ですませた非違の双方とも、
日中戦争下で軍紀風紀犯罪が多発しているという結果が示されているのだ。
こうした犯罪のなかで、もっとも多かったのが   掠奪だった。
上海から南京への追撃戦は   補給を無視しての急進撃で、
給養はすべて   占領地での徴発に頼った。

徴発といっても、そこは敵国であり   実態は掠奪にほかならなかった。
兵士の日記には、ほとんど例外なく、毎日   無人の集落から
何を徴発したかが書かれているが、それは無統制に、
兵士が勝手におこなう掠奪であったことを   具体的に示している。

占領地で徴発するには   国際法があり、規則があった。
しかし、中国戦線で   それが守られることはほとんどない実態にあった。
次のような   南京攻略戦のさいの第九師団経理部将侯の記述がある。

   徴発品の代金の支払は如何にされて居つたか、
   軍隊は強盗でも山賊でもない。
   必ず代金を払って買はねばならないのである。(中略)
   後日所有者が代金の請求が出来るようにして置かねばならない
   故に徴発書はかねて印刷配付して所要の事項を記入すればよいように
   して(中略)ある。しかるに後日所有者が代金の請求に持参したものを
   見れば其記入が甚だ出鱈目である。
   例へば○○部隊先鋒隊長加藤清正とか退却部隊長蒋介石と書いて
   其品種数量を箱入丸升とか樽詰少量と云ふものや
   全く何も記入してないもの
   甚だしいものは単に馬鹿野郎と書いたものもある。
   全く熱意も誠意もない。

でたらめな記入をした徴発書では、代金の支払いはできない。
中国の人々は、食糧などの物資を   だまし盗られたことになる。
国際法規も無視し、中国人民を侮蔑して略奪の対象としかみなかったことが
南京での残虐行為の誘因となったと考えれば   その理由が理解できる。

日本軍はなぜ虐殺事件を起こしたのか⑨

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/25 18:23 投稿番号: [30385 / 41162]
虐殺事件の背景には、幕僚層の国際感覚の欠如とモラル低下だけでなく、
軍紀風紀の頽廃があったことは   以前にものべたとおりだ。
戦争の拡大と軍隊の大量動員が、軍の素質の低下をもたらしたことも
先に明らかにしたとおりであるが、それに伴って   軍の規律がゆるみ、
軍紀風紀が乱れたことが   犯罪非行を続出させた原因となった。

大量虐殺は、軍の組織的行為である捕虜の殺害や   敗残兵狩りが
原因であることは   もちろんだが、軍紀の乱れから   兵士個人による
行為によって起こった場合も多出したことが、いっそう事件を大きくした。

この点は軍上層部でも認めており、事件が国際的非難を浴びたのを受けて、
南京占領直後の38年1月4日付で   参謀総長は   中支那方面軍に対して
次のような要望をおこなっている。
同じ内容の要望は   北支那方面軍にも出されているが、これは軍紀風紀の
粛正が、この時期の日本軍にとって、大きな問題だったことを示している。

   顧ミレバ皇軍ノ奮闘ハは半歳ニチカシ   其行ク所常ニ必ズ赫々タル
   戦果ヲ収メ   我将兵ノ忠誠勇武ハ中外斉シク之ヲ絶賛シテ止マズ
   皇軍ノ真価愈々加ルヲ知ル  
   然レ共一度深ク軍内部ノ実相ニ及ベバ未ダ暇謹ノスクナカラザルモノ
   アルヲ認ム
   就中軍紀風紀ニ於テ忌々シキ事態ノ発生近時漸ク繁ヲ見  
   之ヲ信ゼザラント欲スルモ   尚疑ハザルベカラザルモノアリ
   惟フニ一人ノ失態モ全隊ノ真価ヲ左右シ   一隊ノ過誤モ
   遂ニ全軍ノ聖業ヲ傷ツクルニ至ラン
   (中略)
   遡テ一般ノ情特ニ迅速ナル作戦ノ推移或ハ部隊ノ実情等ニ考ヘ及ブ時ハ
   森厳ナル軍紀節制アル風紀ノ維持等ヲ困難ナラシムル幾多ノ素因ヲ
   認メ得ベシ
   従テ露見スル主要ノ犯則不軌等ヲ挙ゲテ直ニ之ヲ外征部隊ノ責ニ
   帰一スベカラザルハ克ク此ヲ知ル
   然レ共実際ノ不利不便愈々大ナルニ従テ益々以テ之ガ克服ノ努力ヲ
   望マザルヲ得ズ(後略)
    (中支那方面軍参謀長「軍紀風紀ニ関スル件通牒」)  

参謀総長から   このような要望がでたことは、異例のことだった。
それだけ   在中国軍の軍紀風紀の頽廃が、
軍中央部にとっては   頭の痛い問題だったのだ。
 
 
 

日本軍はなぜ虐殺事件を起こしたのか⑧

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/25 18:19 投稿番号: [30384 / 41162]
さまざまな記録資料や   証言を検証していくなかで、
南京虐殺につながった原因には、当時の日本軍の国際感覚の欠如、
中国人への蔑視と敵愾心の増幅、日本軍の軍隊としての資質の低下など
様々な要因が   絡んでいたことが   理解できる。

ここで、その誘因のひとつとなったと考えられる中堅幕僚層の性格や
国際感覚の実情を示す資料を   みてみよう。
まず、第十軍司令部が37年11月に作成した「南京攻略ニ関スル意見」
(丁集団参謀部『南京ヲ急襲ニヨリ奪取シ得サル場合ノ攻略案』)
をあげることができる。

湖東会戦を終了して南京にむかって追撃している   この時期に
軍司令部が作成した   この意見は、第一、第二の両案に分かれており、
第一案は   追撃の態勢のまま一挙に南京を急襲奪取するというものだ。
第二案は   急襲が成功しなかった場合のもので、つぎのように述べている。

   南京ヲ急襲ニヨリ奪取シ得ザル場合ノ攻略案

   此ノ場合ニ於テモ正攻法ノ要領ニヨリ力攻スルコトヲ避ケ左記要領ニ
   依リ攻略ス
   急襲案ト同一要領ニヨリ先ヅ南京ニ急追シテ包囲態勢ヲ完了シ主トシテ
   南京市街ニ対シ徹底的ニ空爆特ニ「イペリット」及焼夷弾ヲ以テスル
   爆撃ヲ約一週間連続的ニ実行シ南京市街ヲ廃墟タラシム
   右方法ニヨルモ敵若シ要塞ヲ死守スル場合アリトセバ軍ハ努メテ
   僅少兵力ヲ以テ包囲態勢ヲ持続シ敢テ力攻スルコトナク前要領ノ空爆ヲ
   続行シ敵ノ自滅ヲ図ルモノトス(中略)
   本攻撃ニ於テハ徹底的ニ毒瓦斯ヲ使用スルコト極メテ肝要ニシテ
   此際毒瓦斯使用ヲ躊躇シテ再ビ上海ノ如キ多大ノ犠牲ヲ払フ如キハ
   忍ビ得ザルトコロナリ
   (『陸支密大日記』昭和十三年陸支密受5267号防衛研究所図書館所蔵)

猛毒のイペリット使用も   市街に対する無差別爆撃も、
何の躊躇もなしに   計画をたてていたのだ。
念のため言っておけば、毒ガス兵器使用は、当時も国際法規違反行為だ。
結果として、第一案の急襲が成功したため、無差別空爆も毒ガス使用も
なかったが、こうした幕僚層の   国際法にも人道にも無関心な態度が、
大虐殺の背景に存在していたといえるだろう。
 

日本軍はなぜ虐殺事件を起こしたのか⑦

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/25 18:16 投稿番号: [30383 / 41162]
南京事件のような残虐行為を、どうして日本軍が起こしたのだろうか。
日本人が   もともと残酷で、人殺しはその本性だとはとても考えられない。
むしろ、日本人は本来   温和で、人や自然を愛する民族だったと思う。
それが、このような事件の主役になったのには、相当の背景と原因が
あったはずだ。

もともと   軍隊とは暴力組織であり、明白な自律意識が保たれなければ
残虐行為に走るのは当然だ、と言ってしまえば   それまでであるし、
他国の戦争にも、いくつも   その例を   見出すことはできる。
しかし、南京事件は、あまりにも大規模で   しかも組織的な行為だった。
それを行なった旧日本軍=「皇軍」の性質に、
事件を誘発する原因があったのだ   と考えられる。

第1に、近代の日本軍の特徴は、世界にも稀なほど厳しい規律と、
兵士に対する服従の強制があり、兵士の自主性を尊重することなく、
がんじがらめの規則と厳しい罰則とで、軍隊の秩序を維持していた。

兵士の人権は極度に制限され、苛酷なまでの絶対服従が強要された。
古参兵士が新兵にたいしてふるった私的制裁としての暴力などは有名だ。
自国の中でも、また自己の軍の中でも、人権と自由を尊重しないのだから
敵国軍の捕虜や民衆に対する処遇に、人権の尊重を求めるのは無理な話だ。

第2に、皇軍の特徴には、非合理な精神主義の強調があった。
明治の建軍にあたって、日本軍の幹部は   すべて士族だった。
近代軍でありながら、「武士道」が持ち込まれた。
このことにより、死ぬことが名誉であるという武士の価値観が、
天皇のために死ぬことが軍人の最高の美徳という位置づけとなり、
やがて玉砕や特攻などという、およそ近代軍にあるまじき作戦の立案と
実行にまで   行き着くものになった。

いさぎよく死を選べ、生きて虜囚の恥はさらすな、という思想が
兵士一人ひとりに   徹底して刷り込まれた。
自軍の捕虜を認めないぐらいだから、相手国の捕虜の処遇も
非道なものとなったのは   当然だったといえる。

日本人が、日本人らしさを最も失っていた軍国時代に起きた悲劇。
その現実に向き合わなければ、未来に責任を持つことはできない。
歴史を省みることは   自虐でもなければ   恥でもない。
恥だとすれば、自国にのみ都合よく歴史を歪曲することだ。

そうした恥ずべき歴史の改ざんに躍起になりながら、
国際社会が進展している現代にあっても、いまだに他国の人々を
侮蔑しようとする   傲慢な人間がいる。
しかし、他国民衆への侮蔑的感情が、
違法な残虐行為の要因になったことを   忘れてはならないと思う。

日本軍はなぜ虐殺事件を起こしたのか⑥

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/25 18:13 投稿番号: [30382 / 41162]
ドイツ本国に送られた大使館の報告によれば、
直接ドイツ人が見聞した日本兵の殺人や強姦の例が多数あげられている。
ドイツ大使館にまで、女性を渡せと日本兵が侵入してきたことまで報告し、
37年12月24日には、
「日本兵による民間人に対する行為のもっとも忌まわしい事実が
あきらかになった」
「ドイツの政策目標である共産主義拡大防止に明白に対立するものだ」
としている。

38年1月15日の報告では、
「日本軍が占領してから1月以上もたっているのに、女性や少女の連行と、
暴行も同じく続いている。」
「この観点から言えば、日本軍はここ南京において   みずからの恥辱の
記念碑をうちたてた」
とまで記録されている。

同年2月10日の報告には、神父が撮影した映画フィルムを同封するとし、
このフィルムは   残虐行為の事実を雄弁に物語っているものであるから
「総統にもぜひ、映画をご覧いただきたいと願う」   としている。
このとき同封された解説文は   ベルリンに残されているが、
フィルムは残されておらず、ヒトラーが   実際に、これを
見たかどうかは、残念ながら   今となっては   知るすべがない。
当該フィルムは、米国で発見された『マギーの遺言』と題する映画と
おそらく   同じものであったと考えられる。

当時、南京の国際員会委員長は、ドイツ人の   ジョン・H・D・ラーべ
という人物だった。
彼は、38年2月に帰国して報告書を作成している。
この報告書には、日本軍が捕虜を数千単位で処刑したり、
集団で略奪や強姦を繰り返したと記録されており、
非戦闘員で殺された者については「5万から6万人ぐらい」としている。

ラーベが記した非戦闘員犠牲者の数は、彼が居た安全区内
もしくは   周辺市街だけに限ったものだ。
一般住民の被害は、市内よりも   周辺農村部のほうが多かったのであるし、
調査が十分に行われたわけではないので、これらの数字は   最低限のもの
と考えるべきだろう。

一般市民の被害者数を   正確に数えることは   もはや困難なことだ。
問題は、日本軍による一般市民への残虐行為   とくに殺人、強姦が
多出した   という事実だ。
否定派は、その数がきわめて少ないから大虐殺ではないと主張している。
極端なものでは、市民の殺害は47人だけだ   などという主張まである。
これは、国際委員会が   47人の市民殺害について日本軍に抗議したことを
根拠としたものらしい。
しかし   それは、スマイス調査や   ドイツ大使館の報告をはじめとする
第三者のあげる数字も、まして被害者側や日本兵自身の生々しい証言も  
すべて無視するものであって、まったく根拠に欠けるものだ。
 

Re: 北鮮の馬鹿虫nyankotyanndamonよ

投稿者: markyoshiweek 投稿日時: 2009/12/25 18:06 投稿番号: [30381 / 41162]
>馬鹿の揚げ足鳥か

そう、お前という馬鹿のな。
自覚はしておるようじゃの。WWWWWWWWWWW

日本軍はなぜ虐殺事件を起こしたのか⑤

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/25 17:58 投稿番号: [30380 / 41162]
一般市民の被害を   調査した第三者の記録として   残されているものは、
金陵大学社会学教授ルイス・S・C・スマイス博士が行った
「南京地区における戦争被害1937年12月−1938年3月
都市および農村調査」(日中戦争資料編集委員会編『日中戦争資料9
南京事件Ⅱ』河出書房新社、所収)がある。

この調査は、日本軍占領下で行動が制限されているという困難な状況下で、
南京の市部と、南京市の行政区にふくまれる周辺6県について行われた
サンプル調査である。
ただし、市部の中でも調査員の立ち入りが困難な地区もあり、
周辺部についても   県城を除外した純農村だけが対象となっているので、
その数字は   総数をあらわしているものではない。

この調査によると、市部(城内および城門外の下関と中華門外を含む)で、
死傷者6,750名、拉致された者   4,200名となっている。
死者は3,400名で、そのうち兵士の暴行によるもの2,400名、
爆撃や砲撃その他によるもの   1,000名となっている。
域内の農村部では、5県の県城をのぞく純農村で、死者30,905名、
そのうち殺されたもの26,870名、また「村に帰って来ない」ものは
133,230名   となっている。

「拉致された者」や「帰って来ない者」の多数も殺された可能性は高いが、
これをのぞいても、この調査で   日本兵の暴行による死者、
または   殺された者として計上されているのは、29,270名にのぼる。
これに、調査で除外されている県城での被害をたせば、
犠牲者総数は、はるかに多いことが   分かるだろう。

南京虐殺否定派は、当時の英米人は日本に敵意をもっていたはずだから
その証言や調査は信用できない、と言うかも知れない。
しかし、日本と同盟を結んでいた友好国ドイツの在中国大使館の報告でも、
日本軍の残虐行為を   くわしく報告している。
当時、ドイツ大使館の書記官が、直接   本国の外務省に報告を送っていた。
この報告は、ベルリンの旧東ドイツ国立公文書館に残されており、
東西ドイツ統一後に公開されている
(0102在大使館報告「2208日中紛争203〜205」)。
 
 
   

日本軍はなぜ虐殺事件を起こしたのか④

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/25 17:57 投稿番号: [30379 / 41162]
11月11日付の   第三師団歩兵第六聯隊第二大隊の攻撃計画は、
大隊長から将兵に対して   次のように命じるものとなっていた。
「一般ノ領民ハ総テ城内ニ避難シアルヲ以テ城外ニ在ル一切ノ者ハ
敵意ヲ有スルモノト認メ之ヲ殲滅ス」とし、さらに   次の項では
「掃蕩ニ方リテハ家屋ヲ焼却スルヲ便トスルヲ以テ之ガ材料ヲ
準備スルコト」   と示していた。
つまり、城外にいる一切の人間を殺し、家屋を焼き払うことを命じたのだ。

それでなくとも   日本兵は、中国軍の予想以上に頑強な抵抗により
苦戦を強いられ、味方に多くの犠牲者がでたことで   中国人への憎悪と
敵愾心にあふれていた。
さらに   後方補給のないまま   強引な物資の「現地徴発」を重ねて
追撃していったのだ。
そのうえに、「支那住民ハ老人、女、子供ト雖モ敵ノ間諜ヲ勤メ」ている
と教示され、区別なく敵と見なし、村落も焼き払え   と命じられれば、
極限状態にあった兵隊たちが   どのような行動をとったかは、
想像するに   難くない。

その第一線部隊の後方にも、大量の軍隊が   進軍していった。
道路や橋が破壊されていたため、馬や車両をもつ部隊の前進はとどこおり、
行李や輜重、砲兵や通信隊などの特科部隊は、後方から第一線を追いかける
ことになったのだ。
上海戦での損害も大きかったので、各隊には   次々と補充員が送られた。
この補充員たちが、各隊ごとに   先任者の引率で第一線を追いかけるので、
これも後方の混乱の原因になった。

こうして   上海から南京への江南の平地は、第一線の通過したあとも、
雑多な部隊が   長期間、広範囲にわたり、まるでイナゴの大群のように
「現地徴発」を繰り返しながら   進んでいった。
第一線部隊が通りすぎ、避難していた住民が集落に戻ったあとに、
三三五五と   またやって来た日本兵に、殺されたり強姦されたりした例が
多いという中国側被害者の証言があるのは、このためであった。

一般市民の被害の状況を   全体としてあきらかにすることは非常に困難だ。
兵士の日記や証言などに、個々の掠奪や殺害の記録があるが、
加害者である日本軍側が   まとまった記録を残しているわけがない。
したがって   一般市民への残虐行為、特に   どれだけの人が殺されたかは、
概数を第三者の記録にたよるほかはない。

 

日本軍はなぜ虐殺事件を起こしたのか③

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/25 17:55 投稿番号: [30378 / 41162]
国際法にも人道にも反する   大量の捕虜殺害が行われた   という事実は、
日本軍の記録でも明らかであり、外国人の捏造だなどと否定できない。
そこで   南京虐殺否定派は、苦し紛れに
戦闘継続中のゲリラ掃討のようなものだから   違法行為ではない
などと   主張するかもしれない。

しかし、どの記録や証言をみても、難民区を含む地域での
「敗残兵の剔出」、あるいは   自ら投降した捕虜たちを
「処断」したのであって、「戦闘による」ものではない。
仮に、敗残兵の中に   戦闘継続を図る者がいた   と言うのであれば、
入城後において   日本軍側に   どれほどの犠牲者が出たか、
その記録があれば   「戦闘」の証拠として   示すべきだろう。

さて、このような   中国軍捕虜および「敗残兵と見なされた」中国人の
大量殺害とともに、南京大虐殺の   核心というべきは、
非戦闘員への残虐行為、とりわけ   婦女に対する強姦殺人だろう。
なぜ、このような残虐な行為が行われ、また   それを防げなかったのか。

南京攻略より以前、すでに日本軍は   退却する中国軍を追撃するなかで
一般民衆と接触する機会が頻繁となっていた。
第十軍は、杭州湾上陸に先立つ10月21日、将兵に対して
「軍参謀長の注意事項」を通達したが、その中の「支那住民ニ対スル注意」
では   次のように   一般住民に対する断乎たる処置は求めているが、
その保護については   いっさい   触れていない。

   北支殊ニ上海方面ノ戦場ニ於テハ一般ノ支那住民ハ老人、女、
   子供ト雖モ   敵ノ間諜ヲ勤メ、或ハ日本軍ノ位置ヲ敵ニ知ラシメ、
   或ハ敵ヲ誘導シテ日本軍ヲ襲撃セシメ、或ハ日本軍ノ単独兵ニ危害ヲ
   加フル等寔ニ油断ナリ難キ実例多キヲ以テ、特ニ注意ヲ必要トス、
   殊ニ後方部隊ニ於テ然リトス、斯ノ如キ行為ヲ認メシ場合ニ於テ
   些モ仮借スルコトナク断乎タル処置ヲ執ルベシ
   (防衛研究所図書館所蔵「昭和12年陸支密大日記」)

これは、中国一般住民は   老人、女性、子供であっても敵に通じ、
日本軍に危害を与える存在であるから   油断するな、
怪しい者は   断固として処置せよ、という指示であり、
どこにも   一般市民は保護すべきだという考えは   示されていない。
むしろ、すべての民衆を敵とみなせ   という命令さえ下していた。
その具体的例としては、
上海南方地域の掃蕩にあたった第三師団の歩兵第六聯隊第二大隊の
11月11日付の大隊長命令による攻撃計画などがある。

 
 
 

日本軍はなぜ虐殺事件を起こしたのか②

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/25 17:52 投稿番号: [30377 / 41162]
この中佐が、勝手に処刑命令を出したという点について、別の証言もある。
彼は   南京戦直後に、朝鮮の歩兵第七十四聯隊長に   転任するのだが、
同年4月に同じ師団の砲兵聯隊長であった人物が、本人から聞いたとして、
戦後に刊行された   「裁かれる歴史」に   記している。

約30万人の中国兵捕虜を   「みな殺し」にすべしとの命令を、
「何人にも無断で、軍司令官の名で配下の各部隊に無電で伝達した」
と豪語していた   というのだ。
(新風社1948年刊行「裁かれる歴史〈敗戦秘話〉」)
筆者は、これは   中佐の大言壮語と思っていたが、後で   残虐行為の全貌を
知り、そんな大量虐殺は   軍の統制ある集団行為でなければできないから、
中佐の言葉は真実であった   と思い当たった、と書いている。

同じ本の中で、中佐を評して
「その最大の欠点は正邪を問わず   いやしくも自己が是と信じたことは、
如何なる悪辣なる手段を以てするも   貫き通そうとする反省なき実行家
であった」   と記している。
以上のような日本軍の特質が、南京事件の背景にあったことはあきらかだ。
さらに1937年という時期と、対ソ戦を準備しながら   予期しない
対中国全面戦争を戦うことになったことから生じた条件が、
大虐殺を引き起こす原因になったのだ。

上海で苦戦し、南京で大虐殺事件を引き起こした日本軍は、
山東出兵や満州事変のときのような   現役兵を中心として
訓練も行き届いて   厳正な軍紀をたもった軍隊とは、
すっかり   異質なものにかわっていた。
日中戦争が思いもよらぬ大規模な全面戦争に拡大したこと、
しかも   一方で、対ソ戦に備えなければならないという状況のもとで、
陸軍は   それまで経験したことのない規模の   戦時動員を行なった。

ところが   日本軍の戦時動員計画は、第一次大戦を画期としてはじまった
総力戦段階に適合するものには   なっていなかった。
双方とも   千万人単位の大軍を動員した大戦は、それまでの   常備軍中心の
戦争とは、まったく違う性質の   戦争となっていた。
戦後の先進各国とも、その経験にもとづいて、
戦時には膨大な大衆軍を編成できるような準備をすすめていた。

常備軍の性格は、戦時に編成する大衆軍の基幹部分を整備しておくものに
変わっていた。
しかし   日本の軍部は、一般国民を   有能な軍人として信頼しなかった。
第一次大戦後の戦時動員計画も、依然として日清・日露戦争時代と同じに、
常備兵力を主体とする考え方に立っていた。
大量動員の場合も、既教育兵を中心とするように計画してあったから、
動員部隊は年齢の高い予備兵が主力を占めるものとならざるを得なかった。

また   陸軍は、日中戦争が拡大しても、対ソ戦第一主義を変えず、
ソ連に備えて、満州と朝鮮北部の常設師団は   そのままにしておいた。
そのため   中国戦線へは、近衛師団と北海道の第七師団を除く
すべての内地の常設師団を動員のうえで   派遣することになった。
ところが、華北の戦線拡大、上海での苦戦など   予想外の事態が進展し、
次々と特設師団まで動員して、第一線に投入せざるを得なくなったのだ。

開戦後1年を経た38年に、陸軍省は動員部隊の役種区分調査を行なった。
その調査報告のうち、中国戦場にある常設5個師団、特設5個師団の分が、
陸軍省陸支密大日記(防衛研究所図書館所蔵)に残されている。
これによると、損耗の程度、補充の回数や   その他の理由によって
各師団が   かならずしも   同一ではない。
だが、大雑把にいえば、常設師団では   現役兵3割、予備兵4割、
後備兵と補充兵あわせて3割、つまり予備兵が最も多かったことが判る。
これに対し、特設師団の場合は   圧倒的に後備兵が多く、
これに   予備兵と補充兵が加わる。
 

日本軍はなぜ虐殺事件を起こしたのか

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/25 17:51 投稿番号: [30376 / 41162]
どうして日本軍は、南京で   大規模な残虐行為を   犯したのだろうか。
日本人が   もともと残酷で、人殺しを好む本性だとは   考えられない。
それが   突然、このような事件の主役となったのには、
それだけの背景と   原因があったはずだ。

もともと軍隊とは   暴力組織であり、よほどの統制が保たれ、
明白な自律意識がなければ、戦争という極限状態にあっては
残虐行為に走るのは仕方がないのだ、という見方もある。
確かに、ベトナムでのソンミ事件などのように、
戦争に伴って、いくつもの類似例は   多数存在している。

だが、それらに比べても、南京での大虐殺、大量強姦は、
あまりにも大規模で   しかも   組織的な行為だった。
それが、なぜ   実行されたかを知るためには、
“天皇の軍”=皇軍の   性格と特質について   考察する必要がある。

旧日本軍の残した   当時の資料を検証・分析してみて   気づくことは、
参謀が軍司令官の意図を無視して、無謀な作戦計画を立てたため
補給の困難から、侵攻した現地で   掠奪暴行を引き起こしたり、
勝手に捕虜の処刑を命令したため   戦後になってから司令官を
戦犯死させることになった   という事例が   少なくないことだ。

その代表的なものとして、1931年の   十月事件の首謀者であり、
沖縄戦では   中将で参謀長だった将校の場合を   みてみよう。
この人物は、南京戦のときは中佐で、
上海派遣軍の参謀兼中支那方面軍参謀情報課長だった。
軍司令官の専属副官だった大佐が   投書で、当時の方面軍司令部内部の
雰囲気を示すものとして、次のような出来事を   記録している。

   12月18日朝、第六師団から   軍の情報課に電話があった。
   「下関に支那人約十二、三万人居るが、どうしますか」
   情報課長、●●中佐は極めて簡単に「ヤッチマエ」と命令したが、
   私は事の重大性を思い、情報課長の電話は軍司令官の意図に反すると
   確信した。   この事を軍司令官に報告した。
   軍司令官は   直ちに●●中佐を呼んで
   「下関の支那人十二、三万人の解放」を命ぜられたが、
   ●●中佐は   「支那人の中には軍人が混っております」という。
   軍司令官は「軍人が混っていても、却って紀律を正しくするために
   必要だ」と   強く「解放」を命ぜられたので、●●中佐は
   「解りました」と返事をした。
   (中略)
   ところが   約一時間ぐらい経って再び第六師団から電話があった。
   「下関の支那人をどうするか」である。
   ●●中佐は   再び「ヤッチマエ」と命じた。
   私は   このことを軍司令官に報告することができなかった(以下略)

Re: 有象無象のコピペより

投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2009/12/25 17:23 投稿番号: [30375 / 41162]
>中国のプロパガンダ機関であるcenturychina(センチュリーチャイナ)を直接見ればいい。

ちょっと見ただけだが、中帰連の告白を得々として証拠として挙げているところはまさにプロパガンダですね。

それにしても、シナ人の戦略は長期的だ。撫順戦犯管理(洗脳)所。60年後100年後の効果を射程においている。

蒋介石は日本人は几帳面だが短気だと見抜いていた。

Re: 日本軍の規律消失を示す資料

投稿者: mokneybrain123 投稿日時: 2009/12/25 17:16 投稿番号: [30374 / 41162]
>この資料によると、天津・杭州・蘇州の3箇所の特設病院で、
開設以来1939年までの   性病入院患者は、
じつに   1万6千人を超えていた実態を   記録している。
>これを見ると、予備役や後備役兵に感染者が多いことが判る。
限られた期間の、しかも3箇所の病院だけの調査ではあるが、
日本軍に性病患者が   いかに増加していたか、それも戦地での
感染者が圧倒的多数であったかが   示されている。

要するに言いたいことは、軍規弛緩による略奪強姦の多発ということらしいが、不審点1,2。

>また   感染地と相手女性の調査では、備考として
「朝鮮女ノ活躍ハ他ヲ圧倒シアリ将来戦ノ参考タリ得ベシ」と
じつに意味深長な文章が書かれている。

1.意味深長かどうかしらないが、多数の日本兵がシナで強姦して性病に感染したのならどうして圧倒的に朝鮮女の活躍になるのだろうか。
2.売春婦以外のシナ女性を多数強姦して多数性病に感染したということは、素人のシナ女性の多くが性病持ちということになるが本当にそうだったのだろうか。

>その対策の一つが、組織的な慰安婦の動員、慰安施設の導入となり、
軍みずからが   管理と統制に   乗りだすことになったのだ。

もちろん強姦防止の目的もあったろうが、朝鮮女活躍云々から判断して、兵がいかがわしい商売女とかかわって性病に感染するのを防ぐための慰安施設導入だったのではないだろうか。

いづれにせよ、慰安施設設置はきわめて合理的な処方でそれ自体は問題視されることではなかろう。

Re: 北鮮の馬鹿虫nyankotyanndamonよ

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/25 17:07 投稿番号: [30373 / 41162]
馬鹿の揚げ足鳥か、馬鹿目。

有象無象のコピペより

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/12/25 16:15 投稿番号: [30372 / 41162]
中国のプロパガンダ機関であるcenturychina(センチュリーチャイナ)を直接見ればいい。

中国のプロパガンダがどんなものであるか、分かる    (大笑

http://www.centurychina.com/wiihist/

プロパガンダはプロパガンダである    (笑

英語がデケナイfukagawatoheiはワカラナイ    (大笑

北鮮の馬鹿虫nyankotyanndamonよ

投稿者: markyoshiweek 投稿日時: 2009/12/25 15:13 投稿番号: [30371 / 41162]
それは「コピペ」じゃ、ボケ。WWWWWWWWWWWWWWW

Re: コペピスト

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/25 15:03 投稿番号: [30370 / 41162]
コピー・アンド・ペースト。

Re: 南京の真実

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/25 15:02 投稿番号: [30369 / 41162]
命令

南京は敵の首都である、世界が注目している、皇軍の規律を以て作戦を行うこと。

koudousuruAHOが伝える南京の真実

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/12/25 13:18 投稿番号: [30368 / 41162]
>中国のプロパガンダ機関であるcenturychina(センチュリーチャイナ)を直接見ればいい。
南京大虐殺がどんなものであるか、分かる
http://www.centurychina.com/wiihist/

中国宣伝部の日本駐在員として、日夜これでもかと、南京大虐殺の真実を日本人に伝えるkoudousuruAHO.
来年もガンバレよ。

Re: コペピスト

投稿者: markyoshiweek 投稿日時: 2009/12/25 10:18 投稿番号: [30367 / 41162]
「コペピ」って何かね?W

憎悪の狂人コペピストfukagawatohei

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/12/25 09:20 投稿番号: [30366 / 41162]
日本人に対する根拠の無い憎悪の狂ったfukagawatoheiが、

またコピペした。

同じものをなんども、なんどもコピペする。

狂っている。

南京の真実

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/12/25 08:21 投稿番号: [30365 / 41162]
入城式のための「残敵大掃蕩」(笠原著:『南京事件』より)

功名心にはやる松井石根(いわね)司令官と中支那方面軍司令部が17日に入城式を強行することにしたため、日本軍は14日から17日にかけて、南京城の内外で全軍をあげての徹底した「残敵掃蕩・殲滅(せんめつ)」作戦を遂行することになった。

大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有の盛事、敵の首都への皇軍の入城」の一大セレモニーの日に、式場はもちろん、城内、城外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮鳩彦王(あさかのみやはとひこおう)中将(久邇宮朝彦親王の第8子)は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。

天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。

こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。

Re: 南京虐殺はなぜ起きたのか⑨

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/24 21:37 投稿番号: [30364 / 41162]
南京国際院会は、東京裁判で便衣兵が居ることを日本軍に何度も訴えたと証言している。

便衣兵抽出は、国際委員会が望んだことである。

Re: 南京虐殺はなぜ起きたのか⑥

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/24 21:35 投稿番号: [30363 / 41162]
>九、右命令ニ基キ兵器ハ第一第四中隊ニ命ジ整理集積セシメ監視兵ヲ附ス
   午後三時三十分各中隊長ヲ集メ捕虜ノ処分ニ附意見ヲナシタル結果、
   各中隊ニ等分ニ分配シ監禁室ヨリ連連五十名宛レ出シ、第一中隊ハ
   路営地南方谷地   第三中隊ハ路営地西南方凹地   第四中隊ハ露営地
   東南谷地ニ於テ刺殺セシムルコトトセリ
   但シ監禁地ノ周囲ハ厳重ニ警戒兵ヲ配置シ連レ出ス際絶対ニ察知
   サレザル如ク注意ス

   各隊共ニ午後五時準備終リ刺殺ヲ開始シ概ネ午後七時三十分刺殺ヲ
   終リ聯隊ニ報告ス
   第一中隊ハ当初ノ予定ヲ変更シテ一気ニ監禁シ焼カントシテ失敗セリ
   捕虜ハ観念シ恐レズ軍刀ノ前ニ首ヲ差シ伸ブルモノ、銃剣ノ前ニ乗リ
   出シ従容トシ居ルモノアリタルモ、中ニハ泣キ喚キ救助ヲ嘆願セル
   モノアリ   特ニ隊長巡視ノ際ハ各所ニ其ノ声起レリ

↑これは日本軍の書式と違うものである。

Re: 南京虐殺はなぜ起きたのか⑥

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/24 21:33 投稿番号: [30362 / 41162]
南京で銃撃が行われたという事実は、南京国際委員会の誰もが証言していない。
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