残虐行為は南京だけではない
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/26 08:55 投稿番号: [30397 / 41162]
日本軍は
中国大陸の各地に侵攻し、住民に多大な損害を与えた。
首都・南京の占領と そこで発生した虐殺事件は、ごく一端にすぎない。
当時、中国軍に日本を武力侵略する意図も能力もなく、したがって
日本は 中国領土での戦線拡大の大義名分を 持っていなかった。
国際社会からの孤立、批判と経済制裁は自ら招いたものに他ならない。
いまだに 南京事件を「ウソ」「捏造」などと決め付けて否定する
愚かな人間は、そもそも 日中戦争の本質すら理解できていない。
しかし、それは あまりにも見苦しい。
歴史に真摯に向き合う勇気がなければ、未来への責任は持てない。
日中戦争の実態を象徴するものの一つに、重慶爆撃があげられる。
日本軍による重慶への爆撃は、史上初の 戦略爆撃として知られる。
これは 南京事件同様の 残虐行為といえるものだ。
1938年2月〜43年8月にかけて、中国の臨時首都となっていた
重慶市に対し、日本軍は 長期間の無差別爆撃を くり返した。
中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究会編の
『重慶抗戦紀事』によると、爆撃の被害は 死傷者2万6千人、
焼失家屋1万7千戸と集計されている。
とくに、1939年5月3日と4日にわたる 熾烈な波状攻撃は
「五・三、五・四空襲」の名で、市民に今なお語り継がれている。
5月3日、漢口基地を発進した日本軍の45機は 午後1時すぎ、
長江北岸から急降下し、爆弾、焼夷弾を 雨のように投下、
人口密集地は火炎に覆われ、逃げ道を失った人々を巻き込んだ。
炎は夜まで燃えさかり、鎮火後の焦土には、死体が累々と横たわった。
『重慶抗戦紀事』には、両日だけで、死者2648人、
負傷者は3668人にのぼった と記録されている。
無差別に市民が殺された「東京大空襲」と同じ惨劇を、
その6年前、この重慶で、日本軍が引き起こしていたのだ。
ナチスドイツのゲルニカ爆撃(37年4月26日)とともに、
この重慶爆撃は、一般民衆を狙った最初の本格的な無差別都市爆撃
として、戦史に名を刻むこととなった。
日本軍は37年12月に南京を、38年10月には武漢を占領したが、
中国は降伏せず、蒋介石と国民党政権は 武漢からさらに奥地にある
この重慶に遷都して抗戦の姿勢を示していた。
背景には国際社会からの支持と正義の旗印があった。
この手詰まりを打開しようとしたのが
「飛行団ハ主力ヲ以テ重慶市街ヲ攻撃シ敵政権ノ上下ヲ震撼セントス」
(陸軍命令書)という“抗戦意思を砕く”目的の「無差別爆撃」だった。
一般民衆を殺傷する非人道的行為は いかなる理由があっても許されない。
しかし、これが 「戦略爆撃」の名のもとに 合理化され、
やがて、米軍の日本本土空襲や広島・長崎の原爆投下、
さらには ベトナム戦争でのナパーム弾使用などにつながっていった。
ジュネーブ条約「国際武力紛争の犠牲者の保護に関する追加第1議定書」
そこには、「文民を攻撃の対象としてはならない」 としたうえで、
「無差別攻撃を禁止する」ということを 明文化している。
二度と、あってはならない 歴史の事実を しっかりと認識すべきだ。
首都・南京の占領と そこで発生した虐殺事件は、ごく一端にすぎない。
当時、中国軍に日本を武力侵略する意図も能力もなく、したがって
日本は 中国領土での戦線拡大の大義名分を 持っていなかった。
国際社会からの孤立、批判と経済制裁は自ら招いたものに他ならない。
いまだに 南京事件を「ウソ」「捏造」などと決め付けて否定する
愚かな人間は、そもそも 日中戦争の本質すら理解できていない。
しかし、それは あまりにも見苦しい。
歴史に真摯に向き合う勇気がなければ、未来への責任は持てない。
日中戦争の実態を象徴するものの一つに、重慶爆撃があげられる。
日本軍による重慶への爆撃は、史上初の 戦略爆撃として知られる。
これは 南京事件同様の 残虐行為といえるものだ。
1938年2月〜43年8月にかけて、中国の臨時首都となっていた
重慶市に対し、日本軍は 長期間の無差別爆撃を くり返した。
中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究会編の
『重慶抗戦紀事』によると、爆撃の被害は 死傷者2万6千人、
焼失家屋1万7千戸と集計されている。
とくに、1939年5月3日と4日にわたる 熾烈な波状攻撃は
「五・三、五・四空襲」の名で、市民に今なお語り継がれている。
5月3日、漢口基地を発進した日本軍の45機は 午後1時すぎ、
長江北岸から急降下し、爆弾、焼夷弾を 雨のように投下、
人口密集地は火炎に覆われ、逃げ道を失った人々を巻き込んだ。
炎は夜まで燃えさかり、鎮火後の焦土には、死体が累々と横たわった。
『重慶抗戦紀事』には、両日だけで、死者2648人、
負傷者は3668人にのぼった と記録されている。
無差別に市民が殺された「東京大空襲」と同じ惨劇を、
その6年前、この重慶で、日本軍が引き起こしていたのだ。
ナチスドイツのゲルニカ爆撃(37年4月26日)とともに、
この重慶爆撃は、一般民衆を狙った最初の本格的な無差別都市爆撃
として、戦史に名を刻むこととなった。
日本軍は37年12月に南京を、38年10月には武漢を占領したが、
中国は降伏せず、蒋介石と国民党政権は 武漢からさらに奥地にある
この重慶に遷都して抗戦の姿勢を示していた。
背景には国際社会からの支持と正義の旗印があった。
この手詰まりを打開しようとしたのが
「飛行団ハ主力ヲ以テ重慶市街ヲ攻撃シ敵政権ノ上下ヲ震撼セントス」
(陸軍命令書)という“抗戦意思を砕く”目的の「無差別爆撃」だった。
一般民衆を殺傷する非人道的行為は いかなる理由があっても許されない。
しかし、これが 「戦略爆撃」の名のもとに 合理化され、
やがて、米軍の日本本土空襲や広島・長崎の原爆投下、
さらには ベトナム戦争でのナパーム弾使用などにつながっていった。
ジュネーブ条約「国際武力紛争の犠牲者の保護に関する追加第1議定書」
そこには、「文民を攻撃の対象としてはならない」 としたうえで、
「無差別攻撃を禁止する」ということを 明文化している。
二度と、あってはならない 歴史の事実を しっかりと認識すべきだ。
これは メッセージ 30396 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.