日本軍はなぜ虐殺事件を起こしたのか
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/25 17:51 投稿番号: [30376 / 41162]
どうして日本軍は、南京で
大規模な残虐行為を
犯したのだろうか。
日本人が もともと残酷で、人殺しを好む本性だとは 考えられない。
それが 突然、このような事件の主役となったのには、
それだけの背景と 原因があったはずだ。
もともと軍隊とは 暴力組織であり、よほどの統制が保たれ、
明白な自律意識がなければ、戦争という極限状態にあっては
残虐行為に走るのは仕方がないのだ、という見方もある。
確かに、ベトナムでのソンミ事件などのように、
戦争に伴って、いくつもの類似例は 多数存在している。
だが、それらに比べても、南京での大虐殺、大量強姦は、
あまりにも大規模で しかも 組織的な行為だった。
それが、なぜ 実行されたかを知るためには、
“天皇の軍”=皇軍の 性格と特質について 考察する必要がある。
旧日本軍の残した 当時の資料を検証・分析してみて 気づくことは、
参謀が軍司令官の意図を無視して、無謀な作戦計画を立てたため
補給の困難から、侵攻した現地で 掠奪暴行を引き起こしたり、
勝手に捕虜の処刑を命令したため 戦後になってから司令官を
戦犯死させることになった という事例が 少なくないことだ。
その代表的なものとして、1931年の 十月事件の首謀者であり、
沖縄戦では 中将で参謀長だった将校の場合を みてみよう。
この人物は、南京戦のときは中佐で、
上海派遣軍の参謀兼中支那方面軍参謀情報課長だった。
軍司令官の専属副官だった大佐が 投書で、当時の方面軍司令部内部の
雰囲気を示すものとして、次のような出来事を 記録している。
12月18日朝、第六師団から 軍の情報課に電話があった。
「下関に支那人約十二、三万人居るが、どうしますか」
情報課長、●●中佐は極めて簡単に「ヤッチマエ」と命令したが、
私は事の重大性を思い、情報課長の電話は軍司令官の意図に反すると
確信した。 この事を軍司令官に報告した。
軍司令官は 直ちに●●中佐を呼んで
「下関の支那人十二、三万人の解放」を命ぜられたが、
●●中佐は 「支那人の中には軍人が混っております」という。
軍司令官は「軍人が混っていても、却って紀律を正しくするために
必要だ」と 強く「解放」を命ぜられたので、●●中佐は
「解りました」と返事をした。
(中略)
ところが 約一時間ぐらい経って再び第六師団から電話があった。
「下関の支那人をどうするか」である。
●●中佐は 再び「ヤッチマエ」と命じた。
私は このことを軍司令官に報告することができなかった(以下略)
日本人が もともと残酷で、人殺しを好む本性だとは 考えられない。
それが 突然、このような事件の主役となったのには、
それだけの背景と 原因があったはずだ。
もともと軍隊とは 暴力組織であり、よほどの統制が保たれ、
明白な自律意識がなければ、戦争という極限状態にあっては
残虐行為に走るのは仕方がないのだ、という見方もある。
確かに、ベトナムでのソンミ事件などのように、
戦争に伴って、いくつもの類似例は 多数存在している。
だが、それらに比べても、南京での大虐殺、大量強姦は、
あまりにも大規模で しかも 組織的な行為だった。
それが、なぜ 実行されたかを知るためには、
“天皇の軍”=皇軍の 性格と特質について 考察する必要がある。
旧日本軍の残した 当時の資料を検証・分析してみて 気づくことは、
参謀が軍司令官の意図を無視して、無謀な作戦計画を立てたため
補給の困難から、侵攻した現地で 掠奪暴行を引き起こしたり、
勝手に捕虜の処刑を命令したため 戦後になってから司令官を
戦犯死させることになった という事例が 少なくないことだ。
その代表的なものとして、1931年の 十月事件の首謀者であり、
沖縄戦では 中将で参謀長だった将校の場合を みてみよう。
この人物は、南京戦のときは中佐で、
上海派遣軍の参謀兼中支那方面軍参謀情報課長だった。
軍司令官の専属副官だった大佐が 投書で、当時の方面軍司令部内部の
雰囲気を示すものとして、次のような出来事を 記録している。
12月18日朝、第六師団から 軍の情報課に電話があった。
「下関に支那人約十二、三万人居るが、どうしますか」
情報課長、●●中佐は極めて簡単に「ヤッチマエ」と命令したが、
私は事の重大性を思い、情報課長の電話は軍司令官の意図に反すると
確信した。 この事を軍司令官に報告した。
軍司令官は 直ちに●●中佐を呼んで
「下関の支那人十二、三万人の解放」を命ぜられたが、
●●中佐は 「支那人の中には軍人が混っております」という。
軍司令官は「軍人が混っていても、却って紀律を正しくするために
必要だ」と 強く「解放」を命ぜられたので、●●中佐は
「解りました」と返事をした。
(中略)
ところが 約一時間ぐらい経って再び第六師団から電話があった。
「下関の支那人をどうするか」である。
●●中佐は 再び「ヤッチマエ」と命じた。
私は このことを軍司令官に報告することができなかった(以下略)
これは メッセージ 30355 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.