南京大虐殺・従軍慰安婦強制連行の嘘

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南京虐殺事件に関する考察(8)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/23 08:42 投稿番号: [30320 / 41162]
第13師団山砲兵第19聯隊の第111大隊・大隊段列、
大隊段列というのは   輸送部隊のことだ。
その上等兵であった人物の当時の日記を見てみよう。

12月16日午后一時、
「我が段列より二十名は残兵掃蕩の目的にて、幕府山方面に向かう」
「二、三日前、捕虜にせし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出し
機関銃を以て射殺す」。機関銃で殺したとあるから、かなり具体的だ。

このときに、前述の将校の日記によると、向こう側の日本兵に当たり、
日本側にも死者が出るという「大失態」に見舞われた。
「その后、銃剣にて思う存分に突刺す」
「自分もこの時ばかりと、憎き支那兵を三十人も突刺した」
この人物は、先ほどの伍長と違い、あまり痛ましいとは思っていない。
この時とばかりに   思い切り突刺した、と書いている。

「山となって居る死人の上をあがって突き刺す気持は、
鬼をもひしがん勇気が出て、力いっぱいに突き刺したり」
「うーんうーんとうめく支那兵の声。年寄りも居れば、子供を居る」
これは   解釈が少しばかり難しいところだ。
「年寄りと子供」と言っているが、兵隊にしては年寄り・子供なのか、
それとも   本当に   年寄りと子供なのか、どちらにも取れる。

「一人残らず殺す。刀を借りて、首をも切って見た」
「こんな事は今まで中にない珍らしい出来事であった」
「帰りし時は午后八時となり、腕は相当つかれて居た」
と書いているところを見ると、相当数を殺したことが分かる。

この上等兵は   先ほどの伍長と違って、良心の呵責がなかったらしい。
大いにやったという、高揚感を表して興奮気味に書いている。
この人物は   まさに現場で、最後に止めを刺したと語っている。
これが虐殺の現場にいて、実際に事を行った者の記録だ。

以上の日記は、同じ師団で、同じ事件について記したものだが、
記録者の立場が違い、将校と下士官と兵隊の3段階で、
命令する者、現場を監督する者、そして実際に手を下す者だ。
どの段階でも   こういう日記が残っているということは、
まったく   否定の余地がない   ということだ。

詳細に見ると   少しずつ数が違っていたりすることはあるが、
数千人を一つの単位として、機関銃で殺害したということは分かる。
どう解釈しても、虐殺がなかったとは   およそ言えない。
こんなにみんなが揃って   幻を見ていることは   あり得ないことだ。
しかも   実際に手を下した人間が証言しているのだから。

南京虐殺事件に関する考察(7)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/23 08:40 投稿番号: [30319 / 41162]
同じ第13師団で、同じ事件を日記に残していた者が他にもいる。
現場の下士官──兵隊を指揮する立場で、一番現場に近い者だ。
以下は   第13師団山砲兵第19聯隊第8中隊の伍長の日記だ。

12月16日   「午前中給需伝票等を整理する」
「午后南京城見学の許しが出たので、勇躍して行馬で行く」
「食料品店で洋酒各種を徴発して帰る」。

代金を払って持ってきたならば   「購入」と書くはずだが、
この伍長は、洋酒各種を「徴発して」帰ってきたらしい。
「徴発」でも   本当は、代金を払わなければいけないのだが、
当時の日本軍は、勝手に持ってくるのが常だったそうだ。

「丁度見本展の様だ。お陰で随分酩酊した」と書いてある。
かなりの量の酒を持ってきたらしく、ずいぶん酔っ払ったようだ。
「夕方、二万の捕虜が火災を警戒に行った中隊の兵の交代に行く」
酔ったせいか、どうやら少し   文章が混乱しているようだが、
「遂に二万の内三分の一、七千人を今日揚子江畔にて銃殺と決し」
「全部処分を終る。生き残りを銃剣にて刺殺する」とあるので、
この人物は   実際に行って、生き残りを銃剣で刺殺したようだ。

「月は十四日、山の端にかかり、皎々として青き影の処、
断末魔の苦しみの声は   全く惨さこの上なし。」
「戦場ならざれば見るを得ざるところなり。九時半頃帰る」
「一生忘るる事の出来ざる光景であった」   と言うのだから、
戦場慣れしている下士官でさえも、あまりの痛ましさに、
さすがに心を痛めていることが読み取れる。

同じ光景に遭遇しても、このように心を痛めている者もいたのだ。
この人物は実際に「生き残りを銃剣にて刺殺す」とあるので、
そういうことが行われていた   まさにその現場にいたということだ。
では、さらに   もう一歩、近くにいた者はどう感じていたのか、
次の記録を見てみよう。
これも同じ事件だが、兵士の日記が残っている。


南京虐殺事件に関する考察(6)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/23 08:39 投稿番号: [30318 / 41162]
同じ事件について、一人の記述だけでなく   別の記述と比べてみよう。

第13師団歩兵第65聯隊第8中隊の少尉の日記を挙げておきたい。
この人物は   先ほどの少尉とは中隊が違うので、
同じ現場でも、少し違う作業を   やっていた可能性もある。

12月16日、先ほどの少尉の日記で   火事があったという日だ。
「定刻起床、午前九時三十分より一時間砲台見学に赴く」
もう戦闘は終わっている   ということが分かる。
「午後零時三十分、捕虜収容所火災の為出動を命ぜられ、同三時帰還す」
「同所において、朝日記者横田氏に逢い、一般情勢を聴く」とある。
やはり、現場には新聞記者もいたようだ。

「捕虜総数一万七千二十五名、夕刻より軍命令により捕虜の
三分の一を江岸に引出し、I(=第一大隊)において射殺す」
この日記を見ると、捕虜の数が17,025名だ   としている。
その3分の1を   軍命令で射殺せよということになったという。

どうして   こんなことになってしまったのか。
さきに   火事が起こって収容が困難になったということが出てきたが、
このあとに   「一日二合宛給養するに百俵を要し、兵自身徴発により
給養し居る今日、到底不可能事にして、軍より適当に処分すべしとの
命令ありたりものの如し」   とある。

要するに、兵隊自身も   自ら食べ物を徴発している状態だから、
ましてや捕虜に与える食料はないから、「適当に処分すべし」
という命令が出た、と言うのだ。
12月17日、「幕府山頂警備の為、午前七時兵九名を差し出す」
幕府山というのは、日本側が適当に付けて呼んでいる名前らしい。
命令されて、警備のためにこの中隊からも兵を出したということだ。

「南京入城式参加の為、十三Dを代表して、Rより兵を堵列せしめらる」
十三Dとは   第13大隊、Rとは聯隊、つまり第65聯隊を意味する。
堵列というのは、銃剣を持って   ずらっと並ぶことだ。
「午前八時より小隊より兵十名と共に出発、和平門より入城」
「国民政府道路上にて軍司令官松井閣下の閲兵を受く」
この人物も   入城式に参加したわけだ。

「帰舎午後五時三十分、宿舎より式場間で三里あり、疲労す」。
宿舎に帰るのに時間がかかって疲れたらしい。
つづいて「夜、捕虜残余一万余処刑の為、兵五名差出す」とある。
第8中隊からも捕虜1万余を殺すために   兵を出したのだ。

南京虐殺事件に関する考察(5)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/23 08:21 投稿番号: [30317 / 41162]
第4中隊の少尉の日記の記述を続けて見てみよう。

「二万以上の事とて、ついに大失態に会い」
「友軍にも多数死傷者を出してしまった。中隊死者一、傷者二に達す」
多くの捕虜を機関銃で撃った、ところが   日本側が周りを囲んだまま
撃ったものだから、向こう側にいる日本兵に   当たってしまった。
大失態とは、そのことを言っているのだ。

取り囲んで味方を撃ってしまい、それによって死んだ者もいた。
「中隊死者一、傷者二に達す」ということだから、
日本軍にとっては   確かに「大失態」だったろう。

翌12月18日、「昨日来の出来事にて、暁方ようやく寝に就く」
射殺で時間がかかって、明け方までかかり、ようやく寝に就いた。
「起床する間もなく昼食をとる様である。午后敵死体の片付けをなす」
「暗くなるも終らず、明日又なす事にして引き上ぐ。風寒し」。
前日一日かけて射殺して、死体を片付けた。
しかし   一日やっても終わらなくて、また明日やることにした・・・
というのだから、死体は   相当な数だったということが分かる。

「二万人以上の事」と、この少尉は聞いていたという。
12月19日には、「昨日に引続き、早朝より死体の処分に従事す」
「午后四時迄かかる」と書いている。
この日も   揚子江に遺体を流す作業をやっていたと言うのだ。
つまり17日の南京入城の前日から組織的に捕虜の殺害が行われ、
19日までの4日間、この13師団は   懸命に捕虜の遺体を
揚子江に流す作業を   やっていた、ということが判る。

前述した   犠牲者の数が判らないというのは、このためだ。
このように   無秩序に殺した遺体を、どんどん流してしまった。
日本軍も   これが違法な殺害だということを自覚していたので、
証拠隠しのため大急ぎで遺体を川に流すということをやったのだ。
また、誰も   正確な記録を付けているわけでもなかったので、
殺された者の数が   どれくらいだったか、不明となったのだ。

この日記は   確かに現場の指揮官の記録なので重要だ。
これだけでも   虐殺はなかったなどとは言えない。
この人物は、現場の指揮官で、兵隊に「やれ」と指揮している。

南京虐殺事件に関する考察(4)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/23 08:19 投稿番号: [30316 / 41162]
前述したのは師団長、中将の記述だった。
現場に直接行って   殺害を見ていなかったのではないか、
という批判も   あるかもしれない。
そこで、もう一つ   別の記録を見てみよう。

第13師団山田支隊、これは   山形の部隊だ。
この部隊に所属していた   現場指揮官が日記をつけている。
第13師団歩兵第65聯隊   第4中隊の少尉の日記だ。
これは   南京陥落後のもので、12月16日付。
「警戒の厳重は益々加はり」
「それでも午前十時に第二中隊と衛兵を交代し、一安心す」

中隊が   捕虜が脱走しないかどうかを見張っているのだが、
衛兵を交代して   ちょっと一安心だ、ということだ。
「しかしそれも束の間で、午食事中に俄に火災起り」
「非常なる騒ぎとなり、三分の一程延焼す」。
捕虜を収容していた所で火事が起きて   大変なことになった。

で、この捕虜をどうするのか。このままだと手間がかかる。
それで、「午后三時、大隊は最後の取るべき手段を決し」
「捕虜約三千を揚子江岸に引率し、これを射殺す」
「戦場ならでは出来ず、又見れぬ光景である」と記している。

捕虜を監視しているのが大変だから、殺してしまおう
ということになり、揚子江岸に引率していって射殺した、という。
捕虜の管理が大変だから殺してしまう――   それは   もちろん違法だ。
たしか   映画『硫黄島からの手紙』でも   描かれていた。
米兵が   捕虜にした日本兵を、面倒くさいから撃ち殺す場面。
これは、それを組織的に、大規模に行なった   ということだ。

次は12月17日、翌日のものだ。
この日は、南京の入城式というものが行われている。
「本日は一部は南京入城式に参加」
これは   映像でも残っている。
一部分は入城式に参加したが、「大部は捕虜兵の処分に任ず」。
つまり   大部分の兵隊には捕虜の「処分」を命じたということだ。

「小官は八時半出発、南京に行軍。午后晴れの南京入城式に参加」
「荘厳なる史的光景を目のあたり見る事が出来た」。
この人物は将校で、入城式に参加できたようだが、午後に帰ってきて
「夕方ようやく帰り、直ちに捕虜兵の処分に加はり、出発す」
ということで、南京入城式が行われている当日、一方では、
揚子江岸で   捕虜を大量に処分していたということだ。
その状況については、今後さらに   詳しい記録で確認していきたい。



南京虐殺事件に関する考察(3)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/23 08:17 投稿番号: [30315 / 41162]
1937年12月13日の日記、これは   南京陥落の当日だ。

「到るところに捕虜を見、到底その始末に堪えざる程なり」
投降した中国兵が大勢いて始末に負えない、ということだ。
「大体、捕虜はせぬ方針なれば」
国際法上、戦時に捕虜を確保した側に   それを保護する義務がある。
しかし、第16師団長は、捕虜にはしない方針だ、と言うのだ。

「片端より之を片付くることとなしたれども、中々実行は敏速には出来ず」
捕虜にはしないで、片っ端から片付けることにした、と言う。
「片付ける」ということは   どういうことなのだろうか。

「佐々木部隊だけにて処理せしもの約一万五千」
「太平門に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約一三〇〇」
「その仙鶴門付近に集結したるもの約七、八千人あり」
「尚続々投降し来る」。
ここでは「処理」と言っている。

佐々木部隊──   これは   師団に属している   一つの大隊だ。
一個大隊は800人ほどだ。   その人数で1万5千人を「処理した」、
一中隊は200人ほどだが、それで1300人ぐらいを「処理した」、
と言っている。   さらに、続々と投降者が増えてきたと言っている。

投降者が増えてきたが、捕虜にはしない方針なのだから、
いったい   どうしたのかと言えば、
「この七、八千人を片付くるには、相当大なる壕を要し」
壕というのは、穴のことだ。

「中々見当らず。一案としては百、二百に分割したる後、適当の箇所に
誘いて処理する予定なり」
200人から300人に分け、適当な場所に連行して「処理」する。
第16師団は   内陸の方から攻めているから、近くに河がない。
「処理する」というのは、穴に埋めてしまう   ということだ。
8千人もの人間を埋める穴はないから、分割して埋めたのだ。

武器を捨てて投降してきたものを捕虜として保護せず、
片っ端から穴に埋めたというのだから、まちがいなく違法行為だ。
遺体は、のちに掘り出され骨になったものが発見されている。
ここでは   計画的に、最初から捕虜にしないで殺害して埋めてる
という方針を、師団長が言っているわけだから、軍の方針だった
ということが理解できる。

 

南京虐殺事件に関する考察(2)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/23 08:16 投稿番号: [30314 / 41162]
南京虐殺に関しては   様々な否定論があるが、
なぜ   こんなに   否定論が出てくるのか。
それは、犠牲者の数などが何人なのかが   はっきりしないなど、
どうしても   曖昧な部分があるからだ。
日本軍兵士の証言では、遺体を大量に   揚子江に流したという。
これでは、調べようにも   調べようがない。

南京で亡くなった人は、そこで遺体が確認されて埋葬記録が残る。
ところが、戦闘で亡くなったのか、虐殺なのか、その区別は難しい。
そして   南京は揚子江に面しているため、虐殺された人の遺体は
多くが証拠隠滅のため、組織的に   河に流されてしまったという。
そのため、その数は   正確に掴めないのが実情なのだ。

数がはっきりしないからと言って   虐殺は無かった、とはならない。
犠牲者の数がはっきりしないというのは、どんな戦争でもあることだ。
例えば   沖縄戦の犠牲者数も   正確には判らない。
なぜなら、戸籍まで焼かれてしまったからだ。
沖縄の「平和の礎」には、氏名が刻まれている人もいるし、
名前が判らず「誰々の子」とだけ書かれている人もいる。
犠牲者数が正確には判らないというのは、むしろ普通のことだ。

指摘しておきたいことは、現場で、そこに居た人が何を見たのか、
ということだ。   これは   非常に大事なことだと思う。
当時、南京大虐殺の現場を   多くの日本人が   見ているはずだ。
当然そこには   多くの日本兵が   参加している。

当時、軍人が残した日記の中には、しばしば新聞記者が出てくる。
したがって、新聞記者が現場にいて状況を見ていたことは確かだ。
しかし、戦争と言論の統制というのはセットになっていて、
そこで見たことを、新聞記者は   そのまま書けなかった。
記事にしても採用されないわけだから、最初から記事にしない。

当時の南京の地図を調べてみると、この都市は   揚子江に面し、
日本軍は   これを   南、東、そして揚子江の北側からも侵攻し、
まさに   南京を「包囲する形」で布陣していたことが分かる。
それで、最初に日記を残しているのは、第16師団だった。
第16師団は   京都の師団であり、南京の東方から侵攻した。
この師団長が   詳しい日記を残しているので後述したい。

南京虐殺事件に関する考察(1)

投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/23 08:13 投稿番号: [30313 / 41162]
南京事件を否定する人間は、さまざまな思いつきでモノを言う。
おかげで、いくつか「争点」と言われるものが   出てくる。
犠牲者の数が確定できないことをよいことに、諸説を振りまき、
極端なものでは   被害者は数十人だったという説まである。

「事件後、南京の人口が増えた」という説も   吹聴される。
「ゲリラ(便衣兵)殺害は戦闘行為」という説も出てくる。
その他   様々な否定論・「まぼろし」論は   何故に出てくるのか。

まず、犠牲者の数が   どれくらいなのかということだが、
中国は、東京裁判に出た26〜27万人という埋葬記録をベースに
30万人と発表している。しかし、日本の歴史学の研究者の間では、
10数万から20万人程度というのが、もっとも有力となっている。

また、虐殺とは何かという定義にも   さまざまな意見が出されており、
捕虜を殺したのは   一種の戦闘行為であり、戦闘行為は虐殺ではない
という説も流布される。   そうなると   犠牲者の数は
さらに少なくなり、数万人程度になる   と言われている。

極端な場合は、一件もなかったという者もいるが、これは論外だ。
現に日本側の人間でも、複数の目撃者が   記録を付けている。
これは   リアルタイムで、現場において記録されたものだ。  
あったのではないか、いや無かったはずだ、という推論ではない。

事件後、南京の人口が増えた   という説もある。
これは   大抵の否定派の本に書いているようだ。
ところが、ここで言うところの   「南京の人口」というのは、
じつは   南京の一部分の人口のことなのだ。  

南京市というのは   非常に広い領域であり、
その中に   城壁で囲まれた「南京城区」と言われる部分がある。
普通、我々が南京としてイメージしているのは、この南京城区だ。
さらに   その中に、国際安全区と呼ばれる難民避難地区があった。

人口が増えたと記録されているのは、この国際安全区なのだ。
つまり、南京全体(南京市あるいは南京城区)の人口が事件前より
増えたというような話ではなくて、多くの人が避難してきたため、
その安全区の人口が増えた   というだけのことなのだ。  

これを、南京の人口が   事件の前より増えたというふうに
真ん中を省略して語り、人口が増えたぐらいだから虐殺はなかった
という   都合のよい話に繋げているのだ。
南京と言ったときに、どこを指すか   ということを明確にせずに
都合よく議論しているため、うっかりすると   騙されてしまう。  

もう一つ、ゲリラ──   当時の言い方だと「便衣兵」だが、
その殺害は戦闘行為であるから虐殺ではない、という者がいる。
しかし当時、日本の兵隊たちが実際にどういうことを見たのか、
この「ゲリラの殺害」がどういう行為であったのかという実態を
しっかり見ておく必要がある。

Re: 「南京事件」は両論併記、最後迄読め

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/22 15:26 投稿番号: [30312 / 41162]
日中歴史共同研究、24日発表   「近現代史」は見送りか (2/2ページ)
2009.12.19 19:37

このニュースのトピックス:中国
  特に、民主化運動を武力鎮圧した天安門事件や、中国側が「愛国主義教育」と称して“反日教育”を行っているなどの部分は、中国側が強く反発し削除を求め続けたため、近現代史の発表は難しい状態となっている。

  報告書は当初、昨年夏に発表される予定だったものの、何度も延期された。いったんは、日本の民主党政権発足直前の今年9月4日に記者会見を設定したにもかかわらず、中国側が突然延期を伝えてきた。「親中的な民主党政権に、歴史問題で対中配慮を期待したためではないか」との指摘が飛び交った。

  関係者によると、今回、発表される方向となったのは、「国民の税金を使った研究なので、これ以上延期できない。年内には発表したい」との日本側の強い要望によるという。

  両国の学者は東京で24日に最終的な全体会議を開いた後、報告書を公開する記者会見を開くという。双方の学者らは岡田克也外相を表敬訪問、研究の終了を報告する予定だ。

  日中両政府は来年に第2期の共同研究委員会を発足させる方針だが、近現代史の発表時期は不明だ。

↑近代史の発表は未定と言うことだな。

最後迄読めと言っただろう、馬鹿目。

「南京事件」は両論併記、最後迄読め

投稿者: markyoshiweek 投稿日時: 2009/12/22 13:26 投稿番号: [30311 / 41162]
「南京大虐殺捏造説も併記する」なんて、どこにも書いてねえぞ、馬鹿チョンnyankotyanndamon君よ。WWWWWWWWWW

「南京事件」は両論併記、最後迄読むこと

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/22 13:00 投稿番号: [30310 / 41162]
日中歴史共同研究、「南京事件」は両論併記へ
12月22日3時5分配信 読売新聞

  日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」(日本側座長=北岡伸一・東大教授)が24日にも最終報告をまとめ、このうち「総論」を発表することが明らかになった。

  時代ごとに担当委員が執筆した論文を盛り込んだ「各論」も近く公表される見通しだ。

  ただ、南京事件の犠牲者数など両国の争点となっている論点を巡っては溝が埋まらず、両論併記になる見通しだ。

  1945年以降の現代史については公表を見送る方向となった。中国側が現在の中国政府への批判につながることを懸念したためとみられる。

  日本軍が37年に中国・南京を占領した際に起きた南京事件に関しては、中国側は政府の公式見解「犠牲者30万人」を譲らず、日本側も「数万人から20万人まで」など様々な説があると主張したため、両論併記とすることとした。日中戦争についても、日本側は「軍部の一部勢力に引きずられて戦線が拡大した」との見解を示したが、中国側は「計画的な中国への侵略」と結論づけ、かみ合わなかった。

  現代史に関する公表が見送られるのは、米英など連合国がいわゆる「A級戦犯」を裁いた東京裁判(46〜48年)や、天皇陛下の中国訪問(92年)などの評価で意見が対立したためだ。89年の天安門事件なども、「中国側には触れられたくないテーマ」(関係者)だという事情があった。

Re: 「南京事件」は両論併記

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/22 11:58 投稿番号: [30309 / 41162]
酒にでも酔っているようだな、難民の数と、死傷者を同じにするな。

20万という数字は生存者の数。

死傷者の数は、当時から現在まで一切示されていない、捏造以外は。

Re: 「南京事件」は両論併記

投稿者: markyoshiweek 投稿日時: 2009/12/22 11:13 投稿番号: [30308 / 41162]
おお、さすがにお前も「南京大虐殺は虚構」と喚く馬鹿どもには、阿呆らしくてついて行けんわけじゃの。まあ、そりゃそうじゃわの。WWWW

Re: 「南京事件」は両論併記

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/22 10:44 投稿番号: [30307 / 41162]
日本軍の調査では、避難民の数20万人。

国際安全委員会の調査、避難民20万人内数万人の便衣兵。

中国に遠慮しては史実が捏造される。

「南京事件」は両論併記

投稿者: markyoshiweek 投稿日時: 2009/12/22 10:09 投稿番号: [30306 / 41162]
日中歴史共同研究、「南京事件」は両論併記へ
12月22日3時5分配信
  日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」(日本側座長=北岡伸一・東大教授)が24日にも最終報告をまとめ、このうち「総論」を発表することが明らかになった。
  時代ごとに担当委員が執筆した論文を盛り込んだ「各論」も近く公表される見通しだ。
  ただ、南京事件の犠牲者数など両国の争点となっている論点を巡っては溝が埋まらず、両論併記になる見通しだ。
  1945年以降の現代史については公表を見送る方向となった。中国側が現在の中国政府への批判につながることを懸念したためとみられる。
  日本軍が37年に中国・南京を占領した際に起きた南京事件に関しては、中国側は政府の公式見解「犠牲者30万人」を譲らず、日本側も「数万人から20万人まで」など様々な説があると主張したため、両論併記とすることとした。

まあ、有識者同士の議論だから、無識者どもが喚く「南京大虐殺は捏造」などという阿呆論は議論にすらならず却下されたのが当たり前じゃわの。WWWWWWW

自由と真実の破壊とのたたかい

投稿者: dorawasabi5001 投稿日時: 2009/12/21 23:45 投稿番号: [30305 / 41162]
【特別寄稿】

★自由と真実の破壊とのたたかい

家永三郎


  「東京裁判史観」「自虐史観」などのレッテルはり攻撃をまともな教科書にはりつけて、「大東亜戦争肯定史観」――それはやがて「皇国史観」にたどりつく危険をはらんでいる――の復活を企てる動きの活発になっているのを見せつけられるのは、まことに腹立たしい。


そのきっかけは、中学校の教科書に「従軍慰安婦」が登場してきたことはあるが、彼らは中学校の教科書から「従軍慰安婦」の名が消えれば、それで満足するのだろうか。そんなはずは絶対ない。


「東京裁判史観」「自虐史観」といった形容句で検定済みの教科書を攻撃している彼らが、アジア・太平洋戦争を「聖戦」化し、戦前の国定教科書なみの軍国主義・植民地支配賛美の教育への逆もどりを終局の目的としていることは、火を見るより明らかである。


  私は、本来ならば彼らと同じ次元で論争したくはない。学問の上で見れば、彼らの主張は全然根拠がなく、ヒステリックな大声をあげているだけにすぎないのだから、そんな連中を相手にまじめに論争するのは、ばかばかしいきわみだからである。


  されぱとて、彼らの妄論を放置しておいてよいのだろうか。

「自由主義史観」を唱えている東大教授某の所論だけなら黙殺してもよいかもしれないが、彼らは『産経』『諸君』その他のタカ派ジャーナリズムと結びついており、彼らの機関誌が現場の第一線の教師たちの間に相当数のひろまりを見せていると聞くし、さらに自民党の札つきの右翼国会議員や、自民党右翼の別動隊である右翼集団なども背後で動いているようであるから、やはり徹底的にたたきのめしておかねばならないだろう。


  杉本判決の言うとおり、教育内容は国家権力の及ばない領域であり、国家権力をかりて自分たちのウルトラ右翼教育を復活させようとする企てに対し、三十余年法廷でたたかってきた私としても、到底黙過するわけにはいかないのである。

(いえなが さぶろう 東京教育大学名誉教授)

http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/01/ienaga_tatakai.htm

憎悪の狂人fukagawatohei

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/12/15 13:13 投稿番号: [30304 / 41162]
もはや筋道のたった言葉を使えなくなっている。

centurychina=koudousuruAHOのコピペ

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/12/15 09:36 投稿番号: [30303 / 41162]
>>http://www.centurychina.com/wiihist/
>centurychinaーセンチュリーチャイナーは中国のプロパガンダ機関である。


このサイトはkoudousuruAHOが(日本の光)というマヌケなトピに
コピペしたものです。

koudousuruAHOは中国宣伝部の日本駐在員として日夜このサイトを
使って南京大虐殺の真実を日本に伝えると言う、重要な任務を
果たしています。

centurychina=fukagawatoheiのコピペ

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/12/15 09:19 投稿番号: [30302 / 41162]
http://www.centurychina.com/wiihist/

centurychinaーセンチュリーチャイナーは中国のプロパガンダ機関である。

プロパガンダはどこまでもプロパガンダである。

反日の虚偽宣伝を際限もなく流すのである。そして、

理由もなく日本人を憎悪する狂人fukagawatoheiのコピペ投稿と、

ほぼ同一の内容である    (大笑

南京大虐殺の真実 by koudousuruAHO

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/12/15 08:33 投稿番号: [30301 / 41162]
http://www.centurychina.com/wiihist/
centurychinaは中国のプロパガンダ機関である。
プロパガンダはどこまでもプロパガンダである   >

南京大虐殺の真実をこれでもかと伝えるkoudousuruAHO.
中国宣伝部の日本駐在員として、日夜任務に励むkoudousuruAHO.
ごくろうさんと言って置こう。

南京大虐殺は嘘っぱちのでっち上げ!

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2009/12/15 05:03 投稿番号: [30300 / 41162]
南京大虐殺は嘘っぱちのでっち上げ・日本軍による南京虐殺の犠牲者数はゼロ(0人)・南京事件テーマに映画祭では匿名の証言など証拠力ゼロの映画を垂れ流し・南京虐殺は嘘(0人)シリーズ84の目次
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3670.html

●まとめ

日本軍による南京市民虐殺はなかった(0人)。

まず、南京市民の大半は、日本軍が南京を陥落させた1937年12月13日以前に南京を脱出して日本軍が占領した上海などに避難していた。

南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として居なかった。

南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。

次に、南京に残った全市民が集められていた安全区内の状況だが、12月13日に日本軍が南京を陥落させる前と比べ、日本軍占領後の南京安全区の人口は増加した。

日本軍が占領した上海などに避難していた南京市民が徐々に戻って来たのだ。

陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、日本の軍関係の裁判を司る法務部で把握されている。

日本軍将兵は道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけられたりしていたが、「虐殺」事件は南京に居た憲兵隊などに通報されたことも全くなかった。

また、15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。

日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、日本軍が占領していた上海などに避難していた南京市民が戻って来て南京の人口は増加した。

虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も、憲兵隊などによる発見もなかった。

支那軍による虐殺や戦闘中の誤爆による事故はあっても、犯人や被害者が特定されるような日本軍による虐殺事件はなかった。

最後に、戦後しばらく経ってから自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。

よって、日本軍による南京虐殺事件は0件だった。

Re: 南京の真実

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2009/12/15 05:02 投稿番号: [30299 / 41162]
>南京大虐殺はあった。ワシはこの眼で見たんや。



誰の証言かも明記していないじゃん。

証言は、それが『いつ記録されたものか、本当かどうかの検討ができるか』という2点がとても大事です。日本人の中にも南京大虐殺を目撃したとか虐殺したという証言をした人もいました。しかし、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。例えば、元軍人であれば同じ部隊の人がまだ生きていたりしたので、周囲の人の証言や記録を調査すれば、彼は南京にいなかったとか作り話であるということなどが判明します。

そのため、最近では日本人に関しては匿名の証言が作られるようになりました。また、中国人の証言の多くは中国政府(中国共産党)が南京大虐殺の宣伝に力を入れ始めた以後に作られた(記録された)ものです。しかも、証言はその証人が本物か、証人は実際に当時の南京にいたのか、内容は真実かなどの検討が可能であって初めて意味を持つのです。

みなさんも本や被害者だという人の証言をうのみにするのはやめて、自分が裁判官になったような気持ちで自分の目で証拠(当時の記録)を確実に検討してみてください。そうするといわゆる南京大虐殺は、実体のないものだということがわかります。証言については、その証言がいつ記録されたのかをまず確認しなければなりません。例えば、もしあなたが、匿名やその場にいたかどうかも証明できない人の、しかも事件から何十年後にされた証言だけで、犯罪者とみなされたら納得できるでしょうか。


偽造資料、ニセ証言者たち

これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。

東史郎…一番有名な捏造者。原本が存在しない創作をバラまいた。支那じゃ未だに真実扱い

中山重夫…戦車段列から処刑を見たと吹聴していたが場所時間がコロコロ変わったのでうそがばれた

永富博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明

舟橋照吉…東の懺悔屋成功に載せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するというカッコつけかました仮想戦記な内容であっさり×

曾根一夫…野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵で下士官だと経歴と日記を捏造。やっぱり経歴を調べられて嘘と判明。懺悔屋の代表格で、秦郁彦も騙された

田所耕三…強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。後に「普通の話だと記者が興味を示さないから…」と捏造を白状

太田壽男…死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記(捏造物の数々と違って原本確認できる)により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった

富沢孝夫…海軍の暗号兵で、「南京発の松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」と証言(だから逆説的に虐殺があったという主張)。だが陸軍の暗号を海軍の知識しかない彼が解読するのは不可能で、おまけに証言日時には松井司令官は蘇州で入院していた

上羽武一郎…「上官の命令で強姦虐殺放火をした」と証言。しかし彼は「(後方で担架運びの)衛生兵」でしかもそんな命令が出たという史料は一切無し


匿名・仮名証言の嘘の例
『南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて――元兵士102人の証言』というトンデモ本は匿名(仮名)の証言集だが、バレバレの嘘だらけ。
例えば、南京で強姦しまくったと証言した鬼頭久二(第16師団歩兵第33連隊   第1大隊)(仮名)は、計算すると南京戦当時11歳だったことになるが、帝国陸軍に11歳の少年兵は居なかった。

その拳銃は何だあッ!?

投稿者: oooka_echigo 投稿日時: 2009/12/13 08:46 投稿番号: [30298 / 41162]

Re: 南京の真実

投稿者: thirteen_satan 投稿日時: 2009/12/12 01:50 投稿番号: [30297 / 41162]
何回目のコピペだ人間の屑(嘲笑)
最近屑ぶりに磨きがかかっているな。

犯罪者にしてみれば著作権法違反なんてのはたいした事でないと考えているのが見え見えだ。

Re: 南京の真実

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/10 12:32 投稿番号: [30296 / 41162]
中国軍の負傷した兵士の話だな。

日本兵と同じように、日本の看護婦と医者が手当てをしたんだな。

因みに従軍看護婦ではなく、日本赤十字の看護婦だな。

Re: 南京の真実

投稿者: markyoshiweek 投稿日時: 2009/12/10 12:27 投稿番号: [30295 / 41162]
>日本兵は中国人に親切にして遣ったからな、

殺してから愛撫してものう・・・

>負傷兵は手厚く看護もしたし、

そりゃ日本軍の負傷兵なら看護するわの。

>難民には米も分け与えたんじゃ。

残飯ではのう・・・

>記録映画にもその様な場面が一杯映っている。

お前の祖国の記録映画では、人々が金日成にマンセーしながら感涙にむせんでおるようじゃの。W

Re: 南京の真実

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/10 11:24 投稿番号: [30294 / 41162]
南京ではな、何もなかったんじゃやよ。

日本兵は中国人に親切にして遣ったからな、負傷兵は手厚く看護もしたし、難民には米も分け与えたんじゃ。

市民は、中国の警察によって守られていたしな、日本の憲兵も警護をしていたし、和気藹々としたもんだったんじゃよ、記録映画にもその様な場面が一杯映っている。

南京の真実

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/12/10 09:46 投稿番号: [30293 / 41162]
「南京を守っていた中国の兵隊は一杯おってな、捕虜になった兵隊は、みんないなくなったんや。そりゃそうやで、中国の兵隊は捕虜になって殺すのは当たり前やんか。

捕虜に飯食わすのは、もったいないさかい。「南京を守っておった兵隊はどこへいったんや」と嘘を言ったって、実際いたのを全部殺してしまったんやから。南京大虐殺はあった。ワシはこの眼で見たんや。

わしらはどういうわけで戦争しているのかわからんで、一銭五厘で召集されて「チャンコウなんて殺してしまえ」と言っていたんやから。あの時は、中国人をなめてかかっていたな。

揚子江の港、下関に行ったときやった。港とは名ばかりでな、河に桟橋がつき出ていた。捕虜を収容している倉庫のような建物から、五十人くらいの捕虜を引っ張り出し、幅があまりない桟橋に並ばせてた。

そこを重機関銃でドルルルルーと水平になでていた。やられた中国人はみんなそのまま河に落ちよった。河のそば、桟橋があるところにわしは行って覗いて見たんや、川底からすぐ足下の岸まで人間が積み重なっていた。

大きな船の着く桟橋や、そうとう深いのと違うやろか。ちょうど河に浮いているボラの死体のようにぷかぷか浮いて流れて行った。始末することないわな。

南京大虐殺はあった。自分がこの眼でみてきたことや。今から振り返ってみても、南京の虐殺については、中国人をチャンコウといって下に見ていた。

そんなのに自分の戦友や村の者がやられて死んでいったのを見て、かーとなって、殺して当たり前と考えていたんやな。強姦についてはな、男やから二年も女の人に接していなかったなら我慢できないもんや。

それは仕方のないことや。自分の部隊も、となりの部隊もみんなやっていた。兵隊はみんなやっていた。それを人に言うか言わんだけのことや。」

(日本軍は南京市に入る前に飛行機でビラをまき、「おとなしく抵抗しなければ丁重に扱う」とウソをついた。
南京の中国人はそのビラを信用して、南京から逃げずに逆に日本軍を
日本の国旗を振って歓迎した。

日本軍はハラに減っている人はトラックに乗れと中国人に告げ、
トラックに乗り込んだ中国人を処刑場に連れて行き、片っ端から
殺した。

ドジな日本軍にとっては、南京大虐殺は中国で唯一大成功した作戦だった。)

嘘を根拠に?

投稿者: neonanashinogonbei 投稿日時: 2009/12/10 01:29 投稿番号: [30292 / 41162]
南京事件は、あったかもしれない!

しかし、南京大虐殺はなかったのでは?

どうやって、30万人?300万人?を殺したのですか?

何でお前は日本国に

投稿者: konoyo_anoyo 投稿日時: 2009/12/09 23:16 投稿番号: [30291 / 41162]
息吸ってられるんだ〜?

日本人が嫌いなんだろ〜?

でも、日本人で居たいのかい〜?

矛盾した人生の深川東平〜。

阿呆だ

投稿者: seraphim_redeye 投稿日時: 2009/12/09 19:22 投稿番号: [30290 / 41162]
妄言しか吐けなくなっているw

完全に人格が壊れたfukagawatohei

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/12/09 11:05 投稿番号: [30289 / 41162]
間違いなく狂人である。

koudousuruAHOの任務

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/12/09 10:18 投稿番号: [30288 / 41162]
>   http://www.centurychina.com/wiihist/
>これは中国のプロパガンダ機関である    (笑>

koudousuruAHOは中国宣伝部の日本駐在員として
南京大虐殺の真実を日本人に伝える任務を負っている。
日中関係におけるkoudousuruAHOの役割は重大である。

抱腹絶倒 fukagawatohei

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/12/09 09:30 投稿番号: [30287 / 41162]
>   http://www.centurychina.com/wiihist/

これは中国のプロパガンダ機関である    (笑

http://sg.answers.yahoo.com/question/index?qid=20070723103244AAh0qb0&show=7

リッキーはcenturychinaにかぶれたdanger dogを落第にした。

英語がデケナイfukagawatoheiはそれを理解できない    (大笑

Re: 南京の真実

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2009/12/07 20:30 投稿番号: [30286 / 41162]
>南京大虐殺はあったんじゃ。無茶苦茶やったんや。


証言は、それが『いつ記録されたものか、本当かどうかの検討ができるか』という2点がとても大事です。日本人の中にも南京大虐殺を目撃したとか虐殺したという証言をした人もいました。しかし、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。例えば、元軍人であれば同じ部隊の人がまだ生きていたりしたので、周囲の人の証言や記録を調査すれば、彼は南京にいなかったとか作り話であるということなどが判明します。

そのため、最近では日本人に関しては匿名の証言が作られるようになりました。また、中国人の証言の多くは中国政府(中国共産党)が南京大虐殺の宣伝に力を入れ始めた以後に作られた(記録された)ものです。しかも、証言はその証人が本物か、証人は実際に当時の南京にいたのか、内容は真実かなどの検討が可能であって初めて意味を持つのです。

みなさんも本や被害者だという人の証言をうのみにするのはやめて、自分が裁判官になったような気持ちで自分の目で証拠(当時の記録)を確実に検討してみてください。そうするといわゆる南京大虐殺は、実体のないものだということがわかります。証言については、その証言がいつ記録されたのかをまず確認しなければなりません。例えば、もしあなたが、匿名やその場にいたかどうかも証明できない人の、しかも事件から何十年後にされた証言だけで、犯罪者とみなされたら納得できるでしょうか。


偽造資料、ニセ証言者たち

これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。

東史郎…一番有名な捏造者。原本が存在しない創作をバラまいた。支那じゃ未だに真実扱い

中山重夫…戦車段列から処刑を見たと吹聴していたが場所時間がコロコロ変わったのでうそがばれた

永富博道…当時は学生だったのに自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。経歴照会であっさり嘘判明

舟橋照吉…東の懺悔屋成功に載せられて日記捏造。輜重兵の自分が1人で敵陣突撃し勇戦するというカッコつけかました仮想戦記な内容であっさり×

曾根一夫…野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵で下士官だと経歴と日記を捏造。やっぱり経歴を調べられて嘘と判明。懺悔屋の代表格で、秦郁彦も騙された

田所耕三…強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。後に「普通の話だと記者が興味を示さないから…」と捏造を白状

太田壽男…死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記(捏造物の数々と違って原本確認できる)により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった

富沢孝夫…海軍の暗号兵で、「南京発の松井軍司令官の虐殺を戒(いまし)める暗号を傍受・解読した」と証言(だから逆説的に虐殺があったという主張)。だが陸軍の暗号を海軍の知識しかない彼が解読するのは不可能で、おまけに証言日時には松井司令官は蘇州で入院していた

上羽武一郎…「上官の命令で強姦虐殺放火をした」と証言。しかし彼は「(後方で担架運びの)衛生兵」でしかもそんな命令が出たという史料は一切無し


匿名・仮名証言の嘘の例
『南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて――元兵士102人の証言』というトンデモ本は匿名(仮名)の証言集だが、バレバレの嘘だらけ。
例えば、南京で強姦しまくったと証言した鬼頭久二(第16師団歩兵第33連隊   第1大隊)(仮名)は、計算すると南京戦当時11歳だったことになるが、帝国陸軍に11歳の少年兵は居なかった。

Re: 南京の真実

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2009/12/07 20:29 投稿番号: [30285 / 41162]
>人を殺したとは言うても、他のことは誰にも言うとりゃあせんよ。戦友会でも言わん。


証言は、それが『いつ記録されたものか、本当かどうかの検討ができるか』という2点がとても大事です。日本人の中にも南京大虐殺を目撃したとか虐殺したという証言をした人もいました。しかし、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。例えば、元軍人であれば同じ部隊の人がまだ生きていたりしたので、周囲の人の証言や記録を調査すれば、彼は南京にいなかったとか作り話であるということなどが判明します。

そのため、最近では日本人に関しては匿名の証言が作られるようになりました。また、中国人の証言の多くは中国政府(中国共産党)が南京大虐殺の宣伝に力を入れ始めた以後に作られた(記録された)ものです。しかも、証言はその証人が本物か、証人は実際に当時の南京にいたのか、内容は真実かなどの検討が可能であって初めて意味を持つのです。

みなさんも本や被害者だという人の証言をうのみにするのはやめて、自分が裁判官になったような気持ちで自分の目で証拠(当時の記録)を確実に検討してみてください。そうするといわゆる南京大虐殺は、実体のないものだということがわかります。証言については、その証言がいつ記録されたのかをまず確認しなければなりません。例えば、もしあなたが、匿名やその場にいたかどうかも証明できない人の、しかも事件から何十年後にされた証言だけで、犯罪者とみなされたら納得できるでしょうか。

Re: 南京の生き証人ー夏淑琴さん勝訴

投稿者: deliciousicecoffee 投稿日時: 2009/12/07 20:28 投稿番号: [30284 / 41162]
>夏淑琴氏が、高齢にもかかわらず本件訴訟を提起したのは、自分の悲惨な体験を…


犯人は支那人。
――――
マギー牧師の解説書

  フィルム四
  一二月一三日、約三〇人の兵士が、南京の南東部にある新路口五番地の中国人の家にやってきて、なかに入れろと要求した。戸は馬というイスラム教徒の家主によって開けられた。兵士はただちにかれを拳銃で撃ち殺し、馬が死んだ後、兵士の前に跪いて他の者を殺さないように懇願した夏氏も撃ち殺した。馬夫人がどうして夫を殺したのか問うと、かれらは彼女も撃ち殺した。
  夏夫人は、一歳になる自分の赤ん坊と客広間のテーブルの下に隠れていたが、そこから引きずり出された。彼女は、一人か、あるいは複数の男によって着衣を剥がされ強姦された後、胸を銃剣で刺され、膣に瓶を押し込まれた。赤ん坊は銃剣で刺殺された。
  何人かの兵士が隣の部屋に踏み込むと、そこには夏夫人の七六歳と七四歳になる両親と、一六歳と一四歳になる二人の娘がいた。かれらが少女を強姦しようとしたので、祖母は彼女たちを守ろうとした。兵士は祖母を拳銃で撃ち殺した。妻の死体にしがみついた祖父も殺された。二人の少女は服を脱がされ、年上の方がニ、三人に、年下の方が三人に強姦された。その後、年上の少女は刺殺され、膣に杖が押し込まれた。年下の少女も銃剣で突かれたが、姉と母に加えられたようなひどい仕打ちは免れた。
  さらに兵士たちは、部屋にいたもう一人の七、八歳になる妹を銃剣で刺した。この家で最後の殺人の犠牲者は、四歳と二歳になる馬氏の二人の子どもであった。年上の方は銃剣で刺され、年下の方は刀で頭を切り裂かれた。
  傷を負った八歳の少女は、母の死体が横たわる隣の部屋まで這って行った。彼女は、逃げて無事だった四歳の妹と一四日間そこに居続けた。二人の子どもは、ふやけた米と、米を炊いたとき鍋についたコゲを食べて暮らした。
  撮影者は、この八歳の子から話の部分部分を聞き出し、いくつか細かな点で近所の人や親戚の話と照合し、修正した。この子が言うには、兵士たちは毎日やってきて、家から物を持って行ったが、二人の子どもは古シーツの下に隠れていたので発見されなかった。
  このような恐ろしいことが起こり始めると、近所の人はみな、難民区に避難した。一四日後、フィルムに映った老女が近所に戻り、二人の子どもを見つけた。彼女が撮影者[の私]を、死体が後に持ち去られた広々とした場所へ案内してくれた。
  彼女と夏氏の兄、さらには八歳の少女に問いただすことによって、この惨劇に関する明確な知識が得られた。このフィルムは、同じころに殺害された人の屍の群に横たわる一六歳と一四歳の少女の死体を映し出している。夏夫人と彼女の赤ん坊は最後に映し出される。
――――

●検証

①賊が「なかに入れろ」と要求したら、馬氏が戸を開けた。
夏氏が犯人に懇願し、馬夫人が犯人に質問した。
犯人達と被害者達は会話をしていたのだから、犯人達は支那人。

②婦人が強姦された後、胸を銃剣で刺され、膣に瓶を押し込まれ、赤ん坊は銃剣で刺殺され、他の少女も刺殺され、膣に杖が押し込まれた…犯行手口から犯人は支那人。

③戸を開けた者を直ちに撃ち殺す連中の前に別の者が跪いて他の者を殺さないように懇願したなんて有り得ない。

④8歳の子供が犯行日時は12月13日9〜10時と認識し、更に14日間も経って記憶していたなんて有り得ない。

⑤事件後、向かいが日本軍の宿泊所になり、日本兵が家の庭を通る足音が聞こえる都度布団に隠れ、兵士達が毎日来て家から物を持って行ったのに、4歳の妹も泣き喚いたりせず二人で古シーツの下に隠れていたので発見されなかったなんて有り得ない。

⑥傷を負い這っていた8歳の夏淑琴が、銃殺された母の死体が横たわる部屋で、誰にも見つからず14日間も4歳の妹と生き続けたなんて有り得ない。

⑦12月1日に南京市長、12月8日に支那軍司令長官が、全市民に安全区に移るよう命令し、警察や支那軍による強制退去が行われ、12月13日には安全区以外の南京には誰も居なかった。犯行は13日より前に支那軍か支那人盗賊が行った。

⑧仮に12月13日の犯行だとしても、南京は前夜から本格的な戦闘状態に突入しており、近所の連中が当該事件に恐れて避難したなんて有り得ない。

⑨安全区国際委員会のマギーが日本軍による犯行だと考えれば、現場の日本軍憲兵隊に通報しなければならなかったのに通報しなかった。


⑩駄目押し決定打!
日本軍にはアリバイがあった。
当時8歳の夏淑琴は犯行日時を12月13日9〜10時と証言したが、12月13日9〜10時に日本軍はまだ犯行現場に行き着いていなかった。

馬鹿は遂に

投稿者: nyankotyanndamon 投稿日時: 2009/12/07 10:39 投稿番号: [30283 / 41162]
本論から外れて、英語の勉強をしているようだな、下手な英語を振るかざして、恥ずかしくないのだろうかね。

今南京大虐殺を伝えるkoudousuruAHO

投稿者: fukagawatohei 投稿日時: 2009/12/07 09:23 投稿番号: [30282 / 41162]
以下の内容はkoudousuruAHOが「日本の光」というまぬけなトピに
コピペしたものです:

the SS troops at their worst would have had difficulty matching the brutality, racism, and fanaticism routinely displayed by the Japanese military; their cruelty towards, and frequent mass slaughter of prisoners of war and civilians; their wanton destruction of cities, towns and villages; their rape camps; The use of chinese civilans for bayonette practice; even cannibalism.

That is often overlooked by people in the US today, and I think that is why there is more sympathy for them than the Nazis

http://www.centurychina.com/wiihist/

南京大虐殺の真実を世に伝えるkoudousuruAHOの功績は大きい。

デケナイ・憎悪の狂人fukagwatohei (

投稿者: koudousuru009 投稿日時: 2009/12/06 17:29 投稿番号: [30281 / 41162]
the SS troops at their worst would have had difficulty matching the brutality, racism, and fanaticism routinely displayed by the Japanese military; their cruelty towards, and frequent mass slaughter of prisoners of war and civilians; their wanton destruction of cities, towns and villages; their rape camps; The use of chinese civilans for bayonette practice; even cannibalism.

That is often overlooked by people in the US today, and I think that is why there is more sympathy for them than the Nazis

英語デケナイfukagawatoheiの訳    (大笑     誤訳    (大笑

この回答者は(日本軍が中国人にした事はナチスよりひどいじゃないか。
日本軍人は人を食う。アメリカ人はその事を見落としている。だから、私は中国人に対する同情がかなりあると思う。)って言ってるだろ〜が。No.25622    投稿者:fukagawatohei

抱腹絶倒の大笑い、大笑い!

原文はリッキーが落第点をつけた。当然のことである。

根拠も無く日本人を憎悪するfukagawatoheiだけがしがみついている。

それにしてもfukagwatoheiは英語がデケナイ    (笑

貿易実務35年、日本語より英語が達者だと称したのに    (笑

ウソである、絶対に    (大笑
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