南京虐殺事件に関する考察(4)
投稿者: wadatumi_voice21 投稿日時: 2009/12/23 08:19 投稿番号: [30316 / 41162]
前述したのは師団長、中将の記述だった。
現場に直接行って
殺害を見ていなかったのではないか、
という批判も
あるかもしれない。
そこで、もう一つ
別の記録を見てみよう。
第13師団山田支隊、これは
山形の部隊だ。
この部隊に所属していた
現場指揮官が日記をつけている。
第13師団歩兵第65聯隊
第4中隊の少尉の日記だ。
これは
南京陥落後のもので、12月16日付。
「警戒の厳重は益々加はり」
「それでも午前十時に第二中隊と衛兵を交代し、一安心す」
中隊が
捕虜が脱走しないかどうかを見張っているのだが、
衛兵を交代して
ちょっと一安心だ、ということだ。
「しかしそれも束の間で、午食事中に俄に火災起り」
「非常なる騒ぎとなり、三分の一程延焼す」。
捕虜を収容していた所で火事が起きて
大変なことになった。
で、この捕虜をどうするのか。このままだと手間がかかる。
それで、「午后三時、大隊は最後の取るべき手段を決し」
「捕虜約三千を揚子江岸に引率し、これを射殺す」
「戦場ならでは出来ず、又見れぬ光景である」と記している。
捕虜を監視しているのが大変だから、殺してしまおう
ということになり、揚子江岸に引率していって射殺した、という。
捕虜の管理が大変だから殺してしまう――
それは
もちろん違法だ。
たしか
映画『硫黄島からの手紙』でも
描かれていた。
米兵が
捕虜にした日本兵を、面倒くさいから撃ち殺す場面。
これは、それを組織的に、大規模に行なった
ということだ。
次は12月17日、翌日のものだ。
この日は、南京の入城式というものが行われている。
「本日は一部は南京入城式に参加」
これは
映像でも残っている。
一部分は入城式に参加したが、「大部は捕虜兵の処分に任ず」。
つまり
大部分の兵隊には捕虜の「処分」を命じたということだ。
「小官は八時半出発、南京に行軍。午后晴れの南京入城式に参加」
「荘厳なる史的光景を目のあたり見る事が出来た」。
この人物は将校で、入城式に参加できたようだが、午後に帰ってきて
「夕方ようやく帰り、直ちに捕虜兵の処分に加はり、出発す」
ということで、南京入城式が行われている当日、一方では、
揚子江岸で
捕虜を大量に処分していたということだ。
その状況については、今後さらに
詳しい記録で確認していきたい。
これは メッセージ 30315 (wadatumi_voice21 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143582/fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4n13_1/30316.html