イラク日本人襲撃事件

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Re: <お別れの会>鴨志田穣さん

投稿者: fvj_mac 投稿日時: 2007/05/08 18:15 投稿番号: [1062 / 1062]
お久しぶりです。残念ながらお別れの会には参列することもかなわずに、追悼文への寄稿という形で参加させていただくことになりました。実は追悼文には2本用意していたので、ここでは以下に、掲載されなかった方の追悼文を寄稿させていただくことにします。

=かなわぬ夢、、、残念無念=

  1996年以降、橋田三人組の活動も休止して、互いにそれぞれの家族・家庭を持つよう
になってからというモノ、二人で一緒に活動する機会は激減し、ついにはカモちゃんがバ
ンコクを引き払い、東京に拠点を移して以後は、年に1〜2回ぐらいしか再会する機会さ
えなくなっていました。あの頃、再会するたび毎回のようにカモちゃんが口にしていた言
葉があります。
「二人でまた何かをやらかそうよぉ、どこかへ行こうよぉ!」
  いつしかその言葉は、自分にとっては近いうちには実現させたい「夢」と同義語になっ
ていました。最近では初めて自分の方から「ドイツのワールドカップで暴れてやろう。競
技場の裏方は修羅場のようになるはずだから、チケットはなくても絶対に中に入れる
よ!」という感じで迫りましたが、その頃にはすでに体力的な限界を感じていたようでし
たね。あくまでも療養中ということだったので、元気づける意味でも「どうせならば南ア
フリカの方がネタにしやすいだろうし、それまでには回復させろよ!」と、自分自身にも
ムチを入れるつもりで励ましましたが、ついにはそれも「かなわぬ夢」ということになっ
てしまったようです。残念無念ということは、本当にこういう心境のことを言うモノなの
でしょうね、、、。今はただただ、バンコクより心からご冥福をお祈りいたします。

以上、
映画については、橋田さんの時のTBS特番ドラマに唖然とさせられた経験があるので、あまり期待を寄せないようにしておきますが、とはいえ、密かな楽しみとしてとっておこうという気分でいます。

<お別れの会>鴨志田穣さん

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2007/05/07 04:30 投稿番号: [1061 / 1062]
<お別れの会>知人やファンら1250人献花   鴨志田穣さん


  フリーカメラマン・ライターで、漫画家の西原理恵子さんのパートナー、
鴨志田穣さん(享年42)のお別れの会が28日、東京都千代田区のホテル
であった。知人やファンら約1250人が献花に訪れ、西原さんは「いい男
でした。もうちょっと仕事をしたいと言っていた。残念です」とあいさつし
た。

  鴨志田さんは、イラクで銃撃され死亡した戦場ジャーナリストの橋田信介
さんに師事。内戦時のカンボジアなどを取材し、今年3月に腎臓がんのため
亡くなった。

  この日は、橋田さんの妻、幸子さんらが思い出を語り、鴨志田さんが作詞
した歌が初披露された。アルコール依存症の克服体験を書いた鴨志田さんの
著作「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」の映画化も発表され、監督の東陽
一さんは「望んでいた脚本を読むことなく人生を中断したのは無念だったと
思う。弔い合戦と思い、実力ある作品として08年に公開したい」と話した。


故・鴨志田穣さんのお別れの会であいさつする西原理恵子さん
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070429-00000003-maip-peo.view-000




こんな表現を見つけました。

『戦場カメラマンとして、ぶっちゃけて言えば日本一名高いアル中として
  ほとんど平和の中で戦死した鴨志田氏』




fvj_imacさま

某料理店長のブログにて、追悼文を読ませていただきました。

カモさんの本に描かれる人物像や事実関係のほとんどは創作・・悪く言う人も
多かったようですね。亡くなったからと「美化するな」というようなことを
書かれる方も何人か見ました。

でも、fvj_imacさま同様、許せてしまえるようですね。
ゲッツさんも。

【カモちゃん。死んだから言うわけじゃねえけど、オレもお前を許すよ。】
ゲッツ板谷「週刊SPA!2007/4/24号」
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20070423


店長からのお返事が、ご夫妻のお人柄を言い当てているように思いました。

『思うに、西原理恵子という作家も、作品の中では知り合った人間を片っ端からネタにして
  こきおろして、喧嘩売って、ババたれて帰ってくるみたいな人なんですよね。
  カモちゃんもそういう人と結婚したせいか、もとからそういう人なのか、ほとんど同じ
  ような気がします。

  でも、不思議なのは西原さんもカモちゃんも、作品で敵も作ったろうけど仲間や友達も
  たくさん作ったと思う。
  笑いのネタにされて、ただ頭にくるような作風じゃないんだな。
  どこか温かい。
  人の弱さが、痛みが根っこのところでわかる、みたいな。
  なんだろう、無頼の魅力かなぁ。』


映画が楽しみですね。

オヨヨ通りから世界をまわって

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2007/04/24 22:53 投稿番号: [1060 / 1062]
【追悼】鴨志田穣氏
土肥寿郎(寿郎社代表)

  オヨヨ通りと呼ばれた南一条西五丁目あたりが当時の札幌の遊び場だった。彼はよくジャズ喫茶にいた。進学もせず就職もせず中途半端な遊び人である自分にいらだっていた。
  だから二十歳を前にして東京に出た。そして新宿の焼鳥屋で働いた。常連客と朝まで飲み歩く生活の中で、海外を知るカメラマンから刺激を受けた。ベトナム戦争を取材した開高健や沢田教一に憧れ、カメラを買い、何もわからぬままタイに向かった。そしてアジアを放浪する。
  ある時、一人のジャーナリストと出会う。後にイラクで亡くなる橋田信介氏だ。即座に弟子入りし、以後ビデオカメラをかついで世界の紛争地帯を駆け回った。
  だが、本物の戦場は想像を絶していた。目の前で人が死ぬ。とてもカメラなんか回せない。自分も死ぬかもしれない。強い酒なしには眠られなくなった。
  タイに戻って今度は一人の日本人女性と巡り会う。人気漫画家の西原理恵子氏。一年後に結婚し一男一女を授かるが、酒量はひどく増え、七年で離婚。彼の面倒を見ていた母親も限界に達し、その後みずから精神病院に入院して治療に取り組んだ。
  そしてこの一年は完全に酒を断って、復縁もした。家族で旅行にも行った。しかし、すでに腎臓がんが進行していて、平穏な暮らしは半年で終わった。東京に桜が咲いた三月二十日、フリーカメラマンで作家の鴨志田穣はこうして四十二年の生涯を終えた。
  オヨヨ通りから始まる私小説を書きたいと言っていた。しかしアルコール依存症との戦いを綴った『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』(スターツ出版)で力尽きた。その本に寄せられたリリー・フランキーさんの言葉をいま友人としてかみしめる。〈なんだかんだあっても、幸せな男。〉   タイムアップだ鴨よ、旅のつづきはきっと誰かがしてくれるだろう。


遺稿
【小説】旅のつづき
〈第十三回〉 邂逅   (1)   (2007年3月13日更新)
〈第十四回〉 邂逅   (2)   (2007年3月20日更新)


http://homepage2.nifty.com/jyurousya/




故・鴨志田穣「お別れの会」

日時:4月28日(土)16〜18時
場所:東京丸の内・パレスホテル 2階 ローズルーム

2007年3月20日に腎臓がんで逝去した鴨志田穣のお別れ会を上記の日程で行います。
関係者とファンがともに集い、故人を偲びたいと思いますので、どなたでもお越しいただけます。
随時、ご献花をいただき、故人を知る方々のスピーチをうかがいながら、パーティ形式でご歓談をいただきます。
平服でお越しくださるようお願いいたします。

<主催・故鴨志田穣氏お別れの会事務局より>
献花用の花は会場に用意しておりますので、お持ちいただく必要はありません。
ご香典は受け付けておりませんが、会場内に「募金箱」を設けます。


http://www.toriatama.net/kongetu.htm

オヨヨ通りから世界をまわって

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2007/04/24 22:53 投稿番号: [1060 / 1062]
【追悼】鴨志田穣氏
土肥寿郎(寿郎社代表)

  オヨヨ通りと呼ばれた南一条西五丁目あたりが当時の札幌の遊び場だった。彼はよくジャズ喫茶にいた。進学もせず就職もせず中途半端な遊び人である自分にいらだっていた。
  だから二十歳を前にして東京に出た。そして新宿の焼鳥屋で働いた。常連客と朝まで飲み歩く生活の中で、海外を知るカメラマンから刺激を受けた。ベトナム戦争を取材した開高健や沢田教一に憧れ、カメラを買い、何もわからぬままタイに向かった。そしてアジアを放浪する。
  ある時、一人のジャーナリストと出会う。後にイラクで亡くなる橋田信介氏だ。即座に弟子入りし、以後ビデオカメラをかついで世界の紛争地帯を駆け回った。
  だが、本物の戦場は想像を絶していた。目の前で人が死ぬ。とてもカメラなんか回せない。自分も死ぬかもしれない。強い酒なしには眠られなくなった。
  タイに戻って今度は一人の日本人女性と巡り会う。人気漫画家の西原理恵子氏。一年後に結婚し一男一女を授かるが、酒量はひどく増え、七年で離婚。彼の面倒を見ていた母親も限界に達し、その後みずから精神病院に入院して治療に取り組んだ。
  そしてこの一年は完全に酒を断って、復縁もした。家族で旅行にも行った。しかし、すでに腎臓がんが進行していて、平穏な暮らしは半年で終わった。東京に桜が咲いた三月二十日、フリーカメラマンで作家の鴨志田穣はこうして四十二年の生涯を終えた。
  オヨヨ通りから始まる私小説を書きたいと言っていた。しかしアルコール依存症との戦いを綴った『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』(スターツ出版)で力尽きた。その本に寄せられたリリー・フランキーさんの言葉をいま友人としてかみしめる。〈なんだかんだあっても、幸せな男。〉   タイムアップだ鴨よ、旅のつづきはきっと誰かがしてくれるだろう。


遺稿
【小説】旅のつづき
〈第十三回〉 邂逅   (1)   (2007年3月13日更新)
〈第十四回〉 邂逅   (2)   (2007年3月20日更新)


http://homepage2.nifty.com/jyurousya/




故・鴨志田穣「お別れの会」

日時:4月28日(土)16〜18時
場所:東京丸の内・パレスホテル 2階 ローズルーム

2007年3月20日に腎臓がんで逝去した鴨志田穣のお別れ会を上記の日程で行います。
関係者とファンがともに集い、故人を偲びたいと思いますので、どなたでもお越しいただけます。
随時、ご献花をいただき、故人を知る方々のスピーチをうかがいながら、パーティ形式でご歓談をいただきます。
平服でお越しくださるようお願いいたします。

<主催・故鴨志田穣氏お別れの会事務局より>
献花用の花は会場に用意しておりますので、お持ちいただく必要はありません。
ご香典は受け付けておりませんが、会場内に「募金箱」を設けます。


http://www.toriatama.net/kongetu.htm

カモさん

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2007/04/09 01:32 投稿番号: [1059 / 1062]
知りませんでした…


橋田信介さんと一緒に戦場を取材されたカメラマン、エッセイストの
鴨志田穣さんは、3月20日 腎臓がんのためお亡くなりになりました。


多分、遺稿は、「カモのがんばらないぞ」3月15日
「漁師の人生」というタイトルの記事:
http://www.ozmall.co.jp/entertainment/kamo2/vol15/


テレビでの訃報:
http://www.youtube.com/watch?v=KvV0lxem9mY

最後に、勝谷誠彦氏がコメントしています:

・・・西原さんが泣くのオレ初めて見たけど、
「最後はホンマにエエ人やったんよ、お酒も抜けてね、
  見たって、この子らカモの子や」って、
横に息子さんとお嬢さんがいてね、
すごく丁寧にオレに向かって頭を下げてくれてくれました。
「ありがとうございました」…
いい子を残したね、カモ…


西原さん:「毎日かあさん」しばらくお休みします
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/women/etc/riezo/
西原さんからお礼のお手紙
http://mb.mainichi-msn.co.jp/cgi-bin/bbs/KU01.cgi?CID=00000012&ID=00000135

関連記事
http://ericidle.exblog.jp/5763552
http://blog.goo.ne.jp/vei04656/e/dd6730f32dcae8ec201ba48d4095614e


ご冥福をお祈りします。

Re: サマワの孤児院が完成

投稿者: yankeejapan 投稿日時: 2006/08/15 21:26 投稿番号: [1058 / 1062]
  大変良い事だと思います。

  今、世界で目の前で親を強姦、虐殺され、兄弟、従兄弟どうしが殺し合う少年兵となった子供達が30万人います。それも何とかしませんと。

Re: サマワの孤児院が完成

投稿者: yankeejapan 投稿日時: 2006/08/15 21:26 投稿番号: [1058 / 1062]
  大変良い事だと思います。

  今、世界で目の前で親を強姦、虐殺され、兄弟、従兄弟どうしが殺し合う少年兵となった子供達が30万人います。それも何とかしませんと。

サマワの孤児院が完成

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2006/08/15 21:07 投稿番号: [1057 / 1062]
【民間資金でサマワに孤児院完成   橋田幸子さんらが会見】

  イラク南部サマワで日本の民間資金による孤児院が完成した。イラクで死亡したジャーナリスト橋田信介さんの妻で、資金協力にかかわった幸子さん(53)、中東調査会上席研究員の大野元裕さん、アル・ジュマイリ在日イラク大使らが9日、東京都内で記者会見した。

(中略)

  大野さんによると、長い戦争によるイラクの孤児たちは、以前は部族の中で育てられていたが、経済制裁によって次第に困難になっているという。橋田さんは「イラクはまだ治安が悪く、世界中でたくさんの生と死がうずまいている。一生懸命生きていこうという人たちの力になれたら幸せです」と語った。

http://www.asahi.com/national/update/0809/TKY200608090376.html


【サマワに孤児院完成 埼玉のLC、橋田基金など協力“日の丸支援”継続の象徴】

  陸上自衛隊が約2年半にわたって人道復興支援活動をしたイラク南部のサマワに、日本の民間団体の支援による孤児院がこのほど完成、現地の奉仕団体に引き渡された。孤児院はイラク戦争などで親を失った子供に手を差し伸べるほか、陸自撤収後も日本による“途切れぬ支援”の象徴となりそうだ。

  孤児院の建設は、埼玉県のライオンズクラブ国際協会330−C地区(山本徹秀名誉顧問会議長)が中心となり進めた。同協会によると、イラクではイラン・イラク戦争(1980〜88年)や湾岸戦争(91年)以降、戦乱で親を失った孤児が増加。最近ではイラク戦争やその後の国内でのテロなどで孤児がさらに増えている。

  同協会では昨年6月以降、街頭募金などを実施、ライオンズクラブ国際基金に資金提供を申し入れた。また、2004年5月にバグダッド南方で、武装集団の襲撃で死亡したジャーナリスト、橋田信介さんの妻、幸子さんが代表を務める橋田メモリアル・モハマドくん基金100人委員会も、計画に賛同し520万円を提供した。一般の有志からの提供もあり、総額2351万3825円の建設資金が集まった。

  昨年7月には、土地を準備したサマワの奉仕団体「アル・アマル慈善文化基金」との間で孤児院建設について合意。12月に地元建設業者が着工、先月1日完成し、施設を運営する同基金に引き渡された。

  サマワでは7月の陸自撤収後、「日本」が完全に姿を消したとみる地元住民もいる。民間支援による今回の孤児院建設は、サマワの人々に日本の支援継続を印象づけ、陸自撤収で支援が途切れたわけではないことを伝える意義がある−と関係者は指摘する。

  孤児院は1階建てのコンクリート製(約363平方メートル)で、最大240人の孤児を収容できる。施設内には日本政府からの無償援助によるベッドなどが備えられる。現在、261人が入居を希望しているが、電気がまだ通っておらず、施設は運用されていない。

  幸子さんは「建設に参加でき光栄。生きていこうとしている人々のためになればと思っている」と述べ、「次はファルージャに病院をつくりたい」と今後の民間支援の計画を明らかにした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060810-00000001-san-pol



自衛隊撤収に間に合って良かったですね。
現地の奉仕団体〜民間支援〜日本政府の連携が、とてもうまくいった例になるでしょう。
でも…孤児院プロジェクト完了式(7月1日)に出席したのは自衛隊員や外務省の人だし、
http://www.lionsclubs330c.gr.jp/samawa/index.html
現地の人には、政府支援か民間支援かは関係ないでしょう。

ファルージャ子供病院については、進展がないようですね。1年前、すぐにも始まるかのように報告されたのですが…政府支援の基盤がない場所では、たいへんでしょう。

日本政府の支援は、イラク全土、こんなにあって…
http://www.apic.or.jp/plaza/oda/special/20060417-01.html

額は少なくても、善意の寄付で集まったお金。
民間資金ならでは、という事業もあるのではないでしょうか。
故・信介氏ゆかりのファルージャにこだわるのもわかりますが、有効な活用かどうか…エゴになっていないかどうか…を、再考することも必要なのでは?

Re: なんだかわからない何かを知るために

投稿者: revive_xd 投稿日時: 2006/05/27 20:54 投稿番号: [1056 / 1062]
穏やかで熱い書き込みを、いつもありがとうございます。
いくつか読ませて頂きました。

小川さん、まだずいぶんお若かったんだな。。。
「なんだかわからない何かを知るために」、か。。。

目を背けたくなる遺品にさえ故人の生きた証を見てしまう橋田幸子さんの気持ち、、、解る気がします。。。
彼女を支えるものはきっと、事件の真相と彼らが生きていれば取ったであろう行動の軌跡を追うこと、かな?
あるいは、自らが正しいと信じることを実現すること、かな・・・?

>改めて、ご冥福をお祈りします。

同じ気持ちでおられるみなさまとともに。。。合掌。

心に残った追悼文より(4)

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2006/05/27 15:29 投稿番号: [1055 / 1062]
この書を、ご迷惑でしょうが、橋田信介氏と小川功太郎氏に捧げます……。



宮嶋茂樹 氏「サマワのいちばん暑い日(イラクのど田舎でアホ!と叫ぶ)」
<あとがき>   より

心に残った追悼文より(3)

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2006/05/27 15:27 投稿番号: [1054 / 1062]
・・・橋田さんの秀逸な点は、あくまでも「真っ白」な視点から取材に入っていくことであった。バグダッド陥落のときそこにいて米英軍を見ていた彼は、その戦争に加担する自衛隊派遣に反対していた。しかし、サマワに行って隊員たちが砂嵐の中で活動しているさまを見ると「えらいなあ。頑張っているなあ。尊いなあ」と頷くのである。

  橋田さんの作品はいつも揺らいでいて、その揺らぎの中からふわりとある視点に着地するのであった。それはいいかげんということではない。よほどの経験と自信がなければできないことなのだ。

  本来ジャーナリズムというのはそういうものではなかったか。それが、限られた時間に「結果」と「数字」を出すために大手メディアはまず「ストーリー」を作って取材に出かけ、全てをその枠の中に当てはめようとするようになっているではないか。いや大手だけではないイラクをうろうろして人質になったりしている「ジャーナリスト」の皆さんの中には、古くさいイデオロギーから持ち出して憎悪や偏見で作り上げた物語に現場を押し込むことに汲々としている人も多いように私には見受けられるのである。

  橋田さんはそのどちらにも属さない人であった。だからこそあるいはその両方のまんなかに開いていた陥穽に落ち込み、自らの魂の自由に殉じたのである。


勝谷誠彦 氏「イラク生残記」
<序章> より

心に残った追悼文より(2)

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2006/05/27 15:24 投稿番号: [1053 / 1062]
「カモ、お前この仕事、向いてないよ」
  銃弾が飛び交う中、サラエボで言われた言葉は、今でも、耳の奥に残り、心に痛みを憶える。
  映画“ニュー・シネマ・パラダイス”の目の見えなくなった映写技師と、ハシダさんの言葉が重なる。
「ここはお前のいる場所じゃない。
  自分のする仕事を愛しなさい」

  ハシダさん自身、仕事を天命と考えていたのではないだろうか。
  人を、事件を、殺し合うまでからまった憎悪を、見とどける事が自分の役目だと思っていたようなフシがある。
「出鱈目だよなあ、全く」
  これが口ぐせであった。
  いつしか僕も、タカハシにもその口ぐせがうつっていた。
“天寿”を改めて考える。
  やり残した事も、残った人々の悲しみも、全然かんけいない。
  仕事を愛し続けた。
  死んでもなおカメラをはなしていなかった。
  僕は超リアリストにはなれないけれど。
  仕事を愛します。
  ありがとうございました。



鴨志田穣 氏「どこまでもアジアパー伝」
<文庫版あとがき>   から

心に残った追悼文より(1)

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2006/05/27 15:23 投稿番号: [1052 / 1062]
「戦場を駆け抜けていった友へ」

ときには   言葉が邪魔になる
ときには   沈黙が言葉を超えて
悲しみをしゃべりはじめる

生命をかけてまで撮らなければならなかった戦場を
生命を引き換えにしてまで伝えなければならなかった戦場を
駆け抜けていった

取材に夢中になって
帰り道がわからなくなったのなら
教える方法は   あるのだけれど

戦争とは   戦場とは   と問いかけながら
いや
そんな難しいことではなく
いつの戦争も   犠牲になるのは
ごく普通に暮らしている人たちであることに間違いない
それを撮り   伝えてきたのは   あなたで
生命をかけてきた

悲しいとか   悔しいとか   辛いとか
そんな言葉は似合わない
といって   ほかに言葉があるわけではない
時間は残酷だから
やがて何もかも忘れさせてくれるだろう
だけれども
あなたが撮り   伝えてきた
戦争とは   戦場とは
の問いかけだけは胸に刻み生きていきたい
それだけは約束する   約束できる

でも
「さようなら」は
もう少し   あとにしよう



飯田進 氏(元ウベニチ編集局長)
2004年6月、宇部での「お別れ会」にて朗読

モハマドくん基金:孤児院建設費贈呈式

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2006/05/19 20:14 投稿番号: [1051 / 1062]
【イラク孤児院建設に協力 モハマドくん基金】

  橋田メモリアル・モハマドくん基金100人委員会(橋田幸子代表)は17日、
沼津市立図書館で、埼玉県のライオンズクラブと共同建設しているイラク・サマワ
の孤児院の建設費として同クラブに520万円を託した。

  橋田代表が同クラブ役員の中東調査会上席研究員大野元裕さんに手渡した。
橋田代表は「私たちの最終目標は子ども病院の建設だが、病院の予定地
ファルージャの治安が悪い今、孤児院の建設に協力したい」と話した。
大野さんは「有効に使います」と謝辞を述べた。

  ガーニム・アル・ジュマイル駐日イラク大使も同図書館で、「イラク復興の
ための協力に感謝します。人々の交流も生まれるよう願っています」と話した。

  建設中の孤児院は、戦争やテロなどで親を失った子供240人を収容する。
今月末にはほぼ完成し、夏ごろの開館を目指している。建設費は約2000万円。
このうち同委員会が贈呈した資金はキッチンとダイニングホールの建設に充てる。
長泉町在住の彫刻家堤直美さんも入り口に飾るレリーフを贈呈する予定。

  戦争で左目を負傷したイラク人少年モハマド君(12)が沼津市内で治療を
受けたことを機に、フリージャーナリスト故橋田信介さんの妻幸子さんらが
一昨年8月、イラクでの子ども病院建設を目指して同委員会を設立した。

http://www.shizuokaonline.com/local_east/20060518000000000044.htm

テレビ・ニュースはこちら:
http://www.digisbs.com/newsilocal/20060517000000000082.htm

少女を描いたレリーフ…「日本」を強調しないところがいい感じ。
昨年、橋田幸子さん・モハマドくんが訪問した彫刻家、堤直美さんは、
日展評議員を務める方。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~naomi/



大野元裕さん、ライオンズクラブの役員もされてるんですね。

外務省・月間ODA新聞5月号の紹介記事:
http://lionsclubs330c.gr.jp/image/samawa_20060509132855.pdf

孤児院の機材は、日本政府の草の根・人間の安全保障無償資金協力により
整備され、完成後は、地元の慈善団体が運営する、とのこと。


本当にイラクのこと、子供たちのことを思うなら…
これが、正当な支援ルートと思います。
誰の手がらか、そんなことに拘らず…

どうでしょうね、
オルタナティブな支援団体の皆さん。。。

もうじき、3回忌。

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2006/05/08 02:08 投稿番号: [1050 / 1062]
今月末で、もう2年ですね。
このトピも、消されちゃうかな。。。

橋田幸子さんは、すでに4月初旬、大介さんと一緒に宇部に行かれ、
お墓参りをされた、と、あるブログにありました。

サマワの診療所・ファルージャの子ども病院…
とてもお忙しく、奔走されているとのこと。

でも、ほとんど報道もされなくなりましたね。


売り込みがうまいところだけ、ニュースやテレビで取り上げられる。。

橋田さんとは関係ありませんが、今月21日、「イラク支援をする
個人や団体が一同に介し、支援の報告をするイベント」というのが
開かれるそうです。内容は、完全に政治的・・・


橋田さんが、その「一同」に入らない理由は?
呼ばれなかったのか、断ったのかはわかりませんが、、、

支援が政治的にならない、また、別の目的に利用されないよう、
細心の注意を払っておられる橋田さんの姿勢を、支持します。


さて、

先月、約35万人の信者をもつとされる宗教法人が、
美術品の購入・寄贈により悪質な仮装工作を行い、
相続税などで約16億円もの申告漏れ、というニュースがありました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060419-00000056-kyodo-soci

これについて書かれたものの中に見つけた、「モハマド君事件」、、、
なんだろう?

「家族を新興宗教から守ろう」というHPに、詳しくまとめてありました:
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9575/okagebanashi.html

簡単言えば、

この宗教法人は、浄霊による「奇跡」が売り物。

その集会で、こんな話しがされた・・・
モハマドくんは、イラクで医療活動をしている人に浄霊をしてもらっていた。
治療で日本に来たときも、体の調子が悪くなり、浄霊してもらったらよくなり、
手術が11日から9日に繰り上げられた。手術は11日にしたことになって
いるため、この話しはが公になってはいない・・・

信者しか聞かない話しのつもりが、これを掲示板に書き込んだ人がいた。
そして、ねつ造がバレると、「この偽情報は外部のある人物からもたらされた。
その偽情報を信じて会長以下全員が騙されていた」と、被害者であると主張。。。

「昔、オウム真理教がサリン被害者説でマスコミや警察を騙そうとしたのと
同じように・・・。今回の事件は、カルトのやりたい放題であったこれまで
とは違い、インターネットというグローバルな情報発信手段を活用すること
によりカルトのウソを見破り、それをカルトに突きつけることによりカルト
が方針を変えざるを得なかったという意味で、エポックメーキングな事件で
あったとも言える。」



まさに、そうですね。
「便所の落書き」も、役に立つ。

教団を潰そうとする体制側の陰謀、とは、さすがに言わなかったんだな。。。

幸子さん講演録より

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2006/04/09 17:00 投稿番号: [1049 / 1062]
サマワ孤児院の建設は順調そう。
もうじき完成だそうです。
http://www.lionsclubs330c.gr.jp/cab_news/samawa/samawa.html#samawa4

モハマドくん基金の診療所の方は…?

今年2月4日、袋井市「NPO講座」での幸子さんの講演録を見ると
http://www.city.fukuroi.shizuoka.jp/Files/1/39990335/html/npo.giziroku.pdf.2.txt
○寄付金2700万円、モハマドくんの治療の残りが1600万円。
○ファルージャの子供病院…5年以内につくる目標。
○サマワ…ライオンズクラブの孤児院の中に診療所を作る。7月完成予定。
○奥・井ノ上イラク子ども基金からも協力の申し出。
http://www.oku-inoue-fund.com/

進んではいるようですね。


ちょっとだけ、抜き書きを。

モハマドくんについて

『2回目の来日っていうのが、角膜の移植。そして、レンズがなかったものですから、レンズの挿入という、大手術だったんですけれども…視力からいうと0.2か3。目の前1・2メートル先の指が1本2本とかね、そういう数は見えます。日常生活に支障はありません。』

『イラクの人たちは、日本あるいは日本人っていうものに、ものすごい信頼を、信頼と尊敬をよせていました。だから、あの親切な日本っていう国の日本人だったら、もしかして自分の息子を助けてくれるかもしれない。そう思ってあの親子は、バグダッドに泊まっていた、橋田信介を訪ねてきたと思うんです。で、橋田信介は、フリーランスのジャーナリストです。フリーランスっていうのは、私3Kと言っているんですけどね、「きつい・きたない・金欠」と。…自分の取材費だけでも工面するの大変なのにね、イラク人の少年、彼を日本に連れて行って、治療させるっていうのは、自分に出来るかどうか?だけど、なんか出来るかもしれない。と思って、写真を撮って、私の所に戻ってきました。で、私の目の前で、ほんとに日本全国津々浦々、もう赤十字だとかアムネスティーだとかNGOとかね、いろんなところに電話してましたけれども、どっからもなかなかいい返事を貰えなくて、で、その時にふっと私の頭に浮かんだのが、あんまり可哀相だったんで、身抱えしてましたのでね、思わずそこにいらしゃる、一杉さんという方なんですけど、で、彼とはほんとに2003年の時に一緒に高校生三人連れてアフガニスタンのカブーンまで行ってきました。で、一緒に連れてった高校生が2004年には、大学生になってました。静大ですけれども。で、そこでその話をしましたら、ワンコイン活動をはじめてくれたんですね。モハマド君親子の、渡航費だけでもどうにかしよう。ということで、ワンコイン活動はじめてくれました。で、一杉さんが、お医者さんと、執刀医と、それと病院を探してきてくれて、で、手術代については、イラクで撮影したテープを売ればどうにかなるのではないかと、で、お金ないから、ほんとに宿泊費とか食費はね、一杉さんのところと私の所と半分ずつみなきゃだめよねぇ・・なんていうところからはじめた、本当に小さな小さなプロジェクトでした。』

襲撃事件について

『慎重な人ですから、行く道に何か異常を感じたら、日程的にも時間がありますから、彼は絶対にとまったと、サマワに。それをしなかったっていうことは、行く道何も異常を感じなかったと思うんですよね。で、帰り道にああいう事故に、事件にあってしまった。私は彼らが、拉致されたのだったらならば、絶対に全身全霊をかけて彼を救い出すことができたと、思ってるんですけどね。だけど、ああいう殺され方をしたら、しょうがないですよね。避けようがないですもんね。』

『私も今年52です。…この52年間の中で、一番苦しかったですね。ほんとに、これでもかって言うくらい、涙ってずいぶん出るもんだってなとかね、思って過ごしましたし、今でも、こう言うと怒られちゃうかもしれないけれども、10年とか20年ね、介護なさってる方にこういう話すると怒られちゃうかもしれないけど、せめて一週間なり一ヶ月なり看病が出来たら、隣で看ていって、それなりに自分の中で納得できる部分、あったんじゃないかな?あるいは、自分の目の前で撃たれて血を流している姿を見れたんだったら、それもまた、ひとつ自分で納得いくのかな。だけど、ある日突然、煙のようにね、この地球上からいなくなるっていうことについては、それを自分の中で折り合いをつけていくっていうことは、なかなか大変です。もう会えなくてもいい、声を聞けなくてもいいから、地球\xBE

幸子さん講演録より

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2006/04/09 17:00 投稿番号: [1049 / 1062]
サマワ孤児院の建設は順調そう。
もうじき完成だそうです。
http://www.lionsclubs330c.gr.jp/cab_news/samawa/samawa.html#samawa4

モハマドくん基金の診療所の方は…?

今年2月4日、袋井市「NPO講座」での幸子さんの講演録を見ると
http://www.city.fukuroi.shizuoka.jp/Files/1/39990335/html/npo.giziroku.pdf.2.txt
○寄付金2700万円、モハマドくんの治療の残りが1600万円。
○ファルージャの子供病院…5年以内につくる目標。
○サマワ…ライオンズクラブの孤児院の中に診療所を作る。7月完成予定。
○奥・井ノ上イラク子ども基金からも協力の申し出。
http://www.oku-inoue-fund.com/

進んではいるようですね。


ちょっとだけ、抜き書きを。

モハマドくんについて

『2回目の来日っていうのが、角膜の移植。そして、レンズがなかったものですから、レンズの挿入という、大手術だったんですけれども…視力からいうと0.2か3。目の前1・2メートル先の指が1本2本とかね、そういう数は見えます。日常生活に支障はありません。』

『イラクの人たちは、日本あるいは日本人っていうものに、ものすごい信頼を、信頼と尊敬をよせていました。だから、あの親切な日本っていう国の日本人だったら、もしかして自分の息子を助けてくれるかもしれない。そう思ってあの親子は、バグダッドに泊まっていた、橋田信介を訪ねてきたと思うんです。で、橋田信介は、フリーランスのジャーナリストです。フリーランスっていうのは、私3Kと言っているんですけどね、「きつい・きたない・金欠」と。…自分の取材費だけでも工面するの大変なのにね、イラク人の少年、彼を日本に連れて行って、治療させるっていうのは、自分に出来るかどうか?だけど、なんか出来るかもしれない。と思って、写真を撮って、私の所に戻ってきました。で、私の目の前で、ほんとに日本全国津々浦々、もう赤十字だとかアムネスティーだとかNGOとかね、いろんなところに電話してましたけれども、どっからもなかなかいい返事を貰えなくて、で、その時にふっと私の頭に浮かんだのが、あんまり可哀相だったんで、身抱えしてましたのでね、思わずそこにいらしゃる、一杉さんという方なんですけど、で、彼とはほんとに2003年の時に一緒に高校生三人連れてアフガニスタンのカブーンまで行ってきました。で、一緒に連れてった高校生が2004年には、大学生になってました。静大ですけれども。で、そこでその話をしましたら、ワンコイン活動をはじめてくれたんですね。モハマド君親子の、渡航費だけでもどうにかしよう。ということで、ワンコイン活動はじめてくれました。で、一杉さんが、お医者さんと、執刀医と、それと病院を探してきてくれて、で、手術代については、イラクで撮影したテープを売ればどうにかなるのではないかと、で、お金ないから、ほんとに宿泊費とか食費はね、一杉さんのところと私の所と半分ずつみなきゃだめよねぇ・・なんていうところからはじめた、本当に小さな小さなプロジェクトでした。』

襲撃事件について

『慎重な人ですから、行く道に何か異常を感じたら、日程的にも時間がありますから、彼は絶対にとまったと、サマワに。それをしなかったっていうことは、行く道何も異常を感じなかったと思うんですよね。で、帰り道にああいう事故に、事件にあってしまった。私は彼らが、拉致されたのだったらならば、絶対に全身全霊をかけて彼を救い出すことができたと、思ってるんですけどね。だけど、ああいう殺され方をしたら、しょうがないですよね。避けようがないですもんね。』

『私も今年52です。…この52年間の中で、一番苦しかったですね。ほんとに、これでもかって言うくらい、涙ってずいぶん出るもんだってなとかね、思って過ごしましたし、今でも、こう言うと怒られちゃうかもしれないけれども、10年とか20年ね、介護なさってる方にこういう話すると怒られちゃうかもしれないけど、せめて一週間なり一ヶ月なり看病が出来たら、隣で看ていって、それなりに自分の中で納得できる部分、あったんじゃないかな?あるいは、自分の目の前で撃たれて血を流している姿を見れたんだったら、それもまた、ひとつ自分で納得いくのかな。だけど、ある日突然、煙のようにね、この地球上からいなくなるっていうことについては、それを自分の中で折り合いをつけていくっていうことは、なかなか大変です。もう会えなくてもいい、声を聞けなくてもいいから、地球

サマーワに孤児院を!

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2006/03/16 22:35 投稿番号: [1048 / 1062]
ライオンズクラブ国際協会埼玉地区
サマーワに孤児院を!!! 建設募金活動の結果報告

http://www.lionsclubs330c.gr.jp/orphanage/samawa-index.html

募金目標額   2,000万円
達成額合計   22,543,107円
  内   訳
   街頭募金額             14,668,107円
   ライオンズクラブ国際財団申請額    7,875,000円

「・・・サマーワには、日本の自衛隊が派遣されています。自衛隊の
派遣に関しては賛否両論がありますが、派遣された自衛隊員の安全は、
日本人が願うものだと考えます。またライオンズクラブは政治に関与
しない原則を貫いています。日本の純粋な民間支援が、日本人である
自衛隊員の安全をお手伝いすることを希望しています。・・・」

建設状況
http://www.lionsclubs330c.gr.jp/cab_news/samawa/samawa.html



順調なようですが、自衛隊撤収に間に合うかな。。。

モハマドくん基金の診療所の方は、どうなんだろ?
HPも更新されないし。。。

サマーワに孤児院を!

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2006/03/16 22:35 投稿番号: [1048 / 1062]
ライオンズクラブ国際協会埼玉地区
サマーワに孤児院を!!! 建設募金活動の結果報告

http://www.lionsclubs330c.gr.jp/orphanage/samawa-index.html

募金目標額   2,000万円
達成額合計   22,543,107円
  内   訳
   街頭募金額             14,668,107円
   ライオンズクラブ国際財団申請額    7,875,000円

「・・・サマーワには、日本の自衛隊が派遣されています。自衛隊の
派遣に関しては賛否両論がありますが、派遣された自衛隊員の安全は、
日本人が願うものだと考えます。またライオンズクラブは政治に関与
しない原則を貫いています。日本の純粋な民間支援が、日本人である
自衛隊員の安全をお手伝いすることを希望しています。・・・」

建設状況
http://www.lionsclubs330c.gr.jp/cab_news/samawa/samawa.html



順調なようですが、自衛隊撤収に間に合うかな。。。

モハマドくん基金の診療所の方は、どうなんだろ?
HPも更新されないし。。。

<白夜通信> より

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2006/01/27 00:29 投稿番号: [1047 / 1062]
村尾建吉氏
<白夜通信> 〜「底が突き抜けた」時代の歩き方〜
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/
より

○イラクの戦場で生涯を全うしたジャーナリスト橋田信介
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/Taro10-480.pdf

カンボジアだけでも何度も銃をつきつけられた橋田さんだが、いつもそれを切り抜け
る秘術があった。
「相手がいろいろ言う前に、座っちゃうんだよ。そして、相手にも『まあ座れよ』って
言うんだ。座ったらもうしめたもので、そこから先は絶対に撃たない」
まずこちらの目線を下げる。それに従い相手も下げると奇妙な連帯感がうまれ、殺さ
ないというのである。
目線の低さは、橋田ジャーナリズムのすべてに共通する。戦争があり人が殺し合って
いても、そこには生活があり人生がある。弾が飛び交う下で、人は飯を食い糞をし、そ
して交わる。橋田さんはそれを知り尽くしていた。弾の後ろから戦争を見るジャーナリ
ストは多いが、橋田さんは弾の「下」から見たのである。弾が頭上を飛び交う場所、馬
鹿同士が殺し合う、その真ん中で弾の腹を眺めて人々の営みを描くほど、戦争とそれに
勤しむ連中を軽蔑した目線があるだろうか。


「モハマド君を連れてくるというのは単なる美談ではなく、橋田さんが長年ジャーナリ
ストとして培ってきた一種冷徹な計算でもある。少年を助けるという行為で現地の人々
の懐に入り、ディープな情報を入手しようとしたんでしょう。GMCを使ったのも、イ
ザという時には逃げられる馬力があるからです。
そもそも根っからの戦場記者の彼がバグダッドを目前にして引き返すはずがない。き
っと美談を使ってメディアから便宜を得ようとも考えたでしょう。でも、それは決して
悪いことではない。その冷静さがフリーランスには必要なんです」

妻の幸子さんが橋田氏が殺害された4ヵ月後の9月に講演した際に、「もし、橋田信介
さんが誘拐されていたとしたら、どうしましたか? 」という質問に、やや間を置いて「モ
ハマドを取引の材料に使おうと思ったでしょう」と答えたことである。《会場が一瞬静
まり返ったような気がした。そんなことを言っていいのだろうか》と、ジャーナリスト
の高瀬毅は『アエラ』(05.2.7)のなかで書いている。



○ジャーナリストは命懸けの現場を目指せ!−橋田幸子の切ない思い
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/Taro10-481.pdf

イラクのファルージャで日本人三人が人質になった事件を聞いたとき・・
橋田は私に電話をかけ、こう言った。
「日本では、すごいバッシングが起きているんだって? オレに何があっても、政府や世間に
助けてくださいなんて言うなよ。オレはそれなりの信念をもってやっているんだから」
「そんなこと解っているわよ。何年私と夫婦をやっているのよ。自分のオクサンを信じなさい!」
私は、事件後、橋田との約束どおり振舞うことができただろうか? しかし、夫を失
った悲しみを癒すには、それだけではだめだった。事件の真相を知らなければ、心に澱
が残った状態のまま生きていかなくてはならない。》
二ヵ月がたったからこそ、こう書けたにちがいない。「政府や世間に助けてください」
と言わないだけでなく、政府批判も禁句であった。夫の「信念」をけっして貶めないよ
うに、マスコミに言質を取られるような振舞いだけはなんとしてもしてはならなかった。
《私は、事件後、橋田との約束どおり振舞うことができただろうか?》と書いているよ
うに、そのことだけがずっと事件後の妻の心中を占め、気が張りつづけてきたことをこ
の手記は窺わせている。二ヵ月ずっと橋田信介の妻として振舞いつづけ、自分を抑制し
てきたのだから、少しは橋田幸子として感じたことをいわせてもらいますよといったニュ
アンスが、外務省や出先の大使館の事件への対応についての記述のなかに滲みでている。


・・橋田信介はもとより、共に殺害された小川功太郎もイラク
入りするために、NHKを辞めてフリージャーナリストになったのだ。現場に行くため
にフリーにならざるをえないジャーナリストが、その「フリー」であることの意味を更
に問われることになるのは、砲弾を撃ち込まれる立場を共有するまなざしにおいてであ
ろう。危険な現場の更なる危険な被弾される場所に立った取材であることにおいて、「フ
リー」であることの効果が十全に発揮され、いま起こっている戦争がどのようなもので
あるかが

<白夜通信> より

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2006/01/27 00:29 投稿番号: [1047 / 1062]
村尾建吉氏
<白夜通信> 〜「底が突き抜けた」時代の歩き方〜
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/
より

○イラクの戦場で生涯を全うしたジャーナリスト橋田信介
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/Taro10-480.pdf

カンボジアだけでも何度も銃をつきつけられた橋田さんだが、いつもそれを切り抜け
る秘術があった。
「相手がいろいろ言う前に、座っちゃうんだよ。そして、相手にも『まあ座れよ』って
言うんだ。座ったらもうしめたもので、そこから先は絶対に撃たない」
まずこちらの目線を下げる。それに従い相手も下げると奇妙な連帯感がうまれ、殺さ
ないというのである。
目線の低さは、橋田ジャーナリズムのすべてに共通する。戦争があり人が殺し合って
いても、そこには生活があり人生がある。弾が飛び交う下で、人は飯を食い糞をし、そ
して交わる。橋田さんはそれを知り尽くしていた。弾の後ろから戦争を見るジャーナリ
ストは多いが、橋田さんは弾の「下」から見たのである。弾が頭上を飛び交う場所、馬
鹿同士が殺し合う、その真ん中で弾の腹を眺めて人々の営みを描くほど、戦争とそれに
勤しむ連中を軽蔑した目線があるだろうか。


「モハマド君を連れてくるというのは単なる美談ではなく、橋田さんが長年ジャーナリ
ストとして培ってきた一種冷徹な計算でもある。少年を助けるという行為で現地の人々
の懐に入り、ディープな情報を入手しようとしたんでしょう。GMCを使ったのも、イ
ザという時には逃げられる馬力があるからです。
そもそも根っからの戦場記者の彼がバグダッドを目前にして引き返すはずがない。き
っと美談を使ってメディアから便宜を得ようとも考えたでしょう。でも、それは決して
悪いことではない。その冷静さがフリーランスには必要なんです」

妻の幸子さんが橋田氏が殺害された4ヵ月後の9月に講演した際に、「もし、橋田信介
さんが誘拐されていたとしたら、どうしましたか? 」という質問に、やや間を置いて「モ
ハマドを取引の材料に使おうと思ったでしょう」と答えたことである。《会場が一瞬静
まり返ったような気がした。そんなことを言っていいのだろうか》と、ジャーナリスト
の高瀬毅は『アエラ』(05.2.7)のなかで書いている。



○ジャーナリストは命懸けの現場を目指せ!−橋田幸子の切ない思い
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/byakuya/Taro10-481.pdf

イラクのファルージャで日本人三人が人質になった事件を聞いたとき・・
橋田は私に電話をかけ、こう言った。
「日本では、すごいバッシングが起きているんだって? オレに何があっても、政府や世間に
助けてくださいなんて言うなよ。オレはそれなりの信念をもってやっているんだから」
「そんなこと解っているわよ。何年私と夫婦をやっているのよ。自分のオクサンを信じなさい!」
私は、事件後、橋田との約束どおり振舞うことができただろうか? しかし、夫を失
った悲しみを癒すには、それだけではだめだった。事件の真相を知らなければ、心に澱
が残った状態のまま生きていかなくてはならない。》
二ヵ月がたったからこそ、こう書けたにちがいない。「政府や世間に助けてください」
と言わないだけでなく、政府批判も禁句であった。夫の「信念」をけっして貶めないよ
うに、マスコミに言質を取られるような振舞いだけはなんとしてもしてはならなかった。
《私は、事件後、橋田との約束どおり振舞うことができただろうか?》と書いているよ
うに、そのことだけがずっと事件後の妻の心中を占め、気が張りつづけてきたことをこ
の手記は窺わせている。二ヵ月ずっと橋田信介の妻として振舞いつづけ、自分を抑制し
てきたのだから、少しは橋田幸子として感じたことをいわせてもらいますよといったニュ
アンスが、外務省や出先の大使館の事件への対応についての記述のなかに滲みでている。


・・橋田信介はもとより、共に殺害された小川功太郎もイラク
入りするために、NHKを辞めてフリージャーナリストになったのだ。現場に行くため
にフリーにならざるをえないジャーナリストが、その「フリー」であることの意味を更
に問われることになるのは、砲弾を撃ち込まれる立場を共有するまなざしにおいてであ
ろう。危険な現場の更なる危険な被弾される場所に立った取材であることにおいて、「フ
リー」であることの効果が十全に発揮され、いま起こっている戦争がどのようなもので
あるかが

Re: 涙が止まらない

投稿者: iwannobaka1 投稿日時: 2006/01/27 00:17 投稿番号: [1046 / 1062]
覚悟無し
人の死を利用する無かれ

涙が止まらない

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2006/01/26 23:56 投稿番号: [1045 / 1062]
床の間に置かれた一辺50cmのガラスケースに、グレーの帽子が収まっている。右後頭部に、直径1cmにも満たない小さな穴が開いており、縁にはかすかに焦げたような跡がある。左前頭部の生地は、縦に大きく引き裂け、帽子の内側には、ところどころ薄れかかった血液のような茶色の痕跡が残っている。抜けて残った銀色の毛髪が生々しい。

世界の戦場を渡り歩いたジャーナリストの夫、信介=当時(六一)=が銃弾に頭を撃ちぬかれて命を奪われた″物証″だ。見る者に銃弾や戦争の恐ろしさを突きつけるが、妻はそこに、夫が生きたことの証しを見、ぬくもりを感じている。


二十八日午前六時二十分過ぎ、イラクに同行していた功太郎の家族から電話連絡を受けたあとは、息つく間もなかった。同日夕方の六時には、都内のホテルで記者会見に臨んだ。
「このたびは夫のことでお騒がせしまして、申し訳ありません」「夫も私も、覚悟はできていました」「ジャーナリストの大先輩として尊敬しています」矢継ぎ早になされる質問に、一つ一つ冷静に答えた。取り乱している暇はなかった。


生家の屋号から「こみかどのゆっこちゃん」と呼ばれた活発な少女は、昭和二十八年八月、静岡県清水町に生まれた。
父は国立大学の物理科を卒業した県立高校の数学の教師。一方の母も戦中、女学校で薙刀を教えていた。

両親から勉強しろといわれたことは一度もなかったという。ただ、「人さまに迷惑をかけるようなことを恥ずかしいと思う感覚、恥の精神は持っていました」。日本女子大文学部へ進み「文部省で働こう」と、漠然とした将来像も描いた。卒業論文のテーマは「フリースクール」。先進国の米国に研究にも行った。

だが、「なんだか、つまらない」と思いだした大学四年のとき、転機が訪れた。学園祭でベトナム戦争の実情を伝える展示会を企画し、写真の貸し出し依頼に出向いた日本電波ニュース社に、信介がいた。

「ひょろりと背が高く、日焼けした妙な人だわ」。これが第一印象。だが、ベトナムの戦地から戻ったばかりの信介の話は、面白かった。

志向はマスコミに変わり、大学卒業後はNHKに勤務。番組のリポーターを約二年やったが、「やっぱりつまらない」。

そんな時、信介がバンコクへ派遣されることになった。幸子は「面白そう」と同行を決めた。

「男と女の関係なんて、紙切れ一枚役所に出すか、出さないかのものではないはず、と思っていました」
結婚するつもりはなかったが、「橋田記者がバンコクの自宅に女性を連れ込んで暮らしている」と本社でうわさになっていることが分かり、入籍することにした。

以来、バンコクに通算十三年以上、ローマでも暮らした。夫はカンボジア内戦やビルマ動乱、アフガン戦争を現場から伝え続け、妻は時にパートナーとして取材に同行し、時に家で一人息子と、夫の無事を祈った。

夫に振り回され続けたようにも映るが、「信介さんとの人生は、次から次へ楽しいことばかり。本当に幸せでした。」


信介は取材の傍ら、イラク戦争で片目を負傷したファルージャの少年、モハマド君に日本で手術を受けさせようと奔走していた。だが、信介の死で少年の所在は分からなくなった。戦乱のイラクで連絡先を捜し当てることなど不可能に思えた。

だが、信介は亡くなる前日、少年親子を日本の通信社の記者に引き合わせていた。それが細い糸となって連絡が取れたからには、夫の後を引き継がねば」妻はその後も走り続け、モハマド君の来日は実現し、手術は成功した。モハマド君の名を冠した基金には、いまも多くの人の善意が集まっている。

自衛隊の宿営地、サマワに建設されることになった孤児院にも、日本の篤志家団体と協力して支援を続けてきた。昨年十二月には予定地の地ならしが始まった。施設はシーア派の宗教者協会が設立母体で、二百五十人を収容することができ、七月に完成する予定だ。

「イラクには戦争で親を亡くし、身体が傷ついた子供たちが、まだまだたくさんいます。最終的には、ファルージャに子供病院を建てたい。まだまだ頑張ります」


夫の死に接した際の気丈な姿は、一部の人には「薄情な女」とも映った。だが、事件から一年八カ月近くたっても、寂しさが抑えられないことがある。
「夜中、部屋の明かりを消して布団にひっくるまるでしょう。一人で真っ暗闇の中にいると、涙がボロボロ出て止まらなくなるの。煙のようにこの地球上からいなくなったことを受け入れるのが、つらいわ。いつまでもこんなんで、困っちゃう」

噦気丈な妻噦はそういって、固く結んだ唇を震わせながら上を向いた。

(産経新聞)

なんだかわからない何かを知るために

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2006/01/26 23:40 投稿番号: [1044 / 1062]
昨日、1月25日は、小川功太郎さんの誕生日でした。
1971年生まれ…この事件がなかったら、35歳…今頃は独立して、
橋田さんの後継者として、活躍していたでしょう。

いや、橋田さんの「助手」という報道が多かったけど、当時すでに
立派な自立したジャーナリストだったのでしょう。
2004年4月、米軍のファルージャ包囲攻撃のころ、橋田さんは一時帰国し
(朝まで生テレビに出演した頃ですね)、小川さんは1人で貴重な取材を続け、
http://www2.asahi.com/special/jieitai/TKY200405290154.html
停戦直後のファルージャに侵入。
『月刊現代』2004年6月号に掲載された「ファルージャ突入記」は、
説得力がありました。

『・・・撮影していると、一人の青年が近づいてきた。
この家には自分の叔父が住んでいたが、半年も帰ってこない。
その米軍の攻撃で老女が2人死んだ。
子供は怖がっていまも家から出られない、と淡々と説明した。
20歳だというこの青年の物静かな口調が逆に憎しみの深さを想起させる。
冷めたように見える表情から、諦めというよりむしろ何かを決意した者のみが
持ち得るある種の凄みが感じられた。眼光が鋭い。
「これがアメリカの民主主義だ」
青年が焼けただれた家を指差す。
「罪のない人間をたくさん殺しやがって、必ず米兵を殺してやる。
  殺して遺体を八つ裂きにしてやる。
  もしこの戦いで俺が殺られてもアラーの神様が天国に導いてくれる。
  俺は必ず殺るよ」
青年の目が暗く光った。レジスタンツが生まれた瞬間のように思えた。』


村尾建吉氏の記事で知ったのが、

『勝谷誠彦によれば、このルポには当初、編集部とのやりとりで削除された次の数
行が付け加えられていたらしい。
《第二次大戦以降の世界の紛争地で、ここまで明確な政治的意志を持って日本人が狙わ
れたことはなかった。今のイラクに滞在すること自体、無謀だという意見はあるだろう。
批判は甘んじて受け入れる。しかし、なぜこんな事態になってしまったのか。今こそ逃
げずに考えるべきではないかと自分自身に言い聞かせながら、私はバグダッドに残って
いる。自衛隊員も外交官もNGOもジャーナリストも、少しでもイラクの役に立ちたい
という共通の思いの元に各々の「仕事」をしているのだと私は信じたい》』



小川さんがクローズアップされたのは、NHKの特集番組
「戦場から伝えるもの〜フリー映像ジャーナリストたちの記録〜」
くらい、かな。。。
番組の最後に紹介されたのが、「最後のイラク通信」として広く転送された
友人宛のメール…今も強く印象に残っています。

『人質事件が起こった今こそ、日本でもイラク問題に関する根
本的な議論が行われてもいいと思うのだけど、バッシングだけ
で終わってしまうとしたら寂しいことです。世界の中で日本が
どうあるべきか、ということを考える近年まれに見るよい機会
だと思うのですが。でも、日本にいるとそんなこと考える余裕
がないというのも確かだと思います。僕自身、働き始めてから
はそうした問題はなるべく考えずに避けて通ってたし。仕事に
追われ、そのうさを晴らすように腹いっぱいメシ喰って、ポン
だチーだと叫んでやり過ごしてた。

でも、今回ばかりは・・・という気がします。
前回イラクから帰って心から思ったけど、やっぱり平和という
のはいいものです。日本で満開の桜を見て、それを楽しむ人た
ちを見るだけで涙が出そうでした。有難いことだな、と。でき
れば世界中の誰もがこの幸せを感じられればと思うのだけど、
自分に出来ることといえば、目の前で起こってることをなんと
か伝えることと、こうして心ある人にメールを書くことくらい
です。

安全には十分注意を払い、現地大使館とも連絡をとりながら、
なるべくおとなしく暮らしています(今の大使は立派な人で、
外務省の退避勧告が出てるのに、私ごときの駆け出しジャー
ナリストを応援してくれます)。いのしし歳なので、ときには
理不尽な現場に突撃したい衝動にかられるけど、ぐっとこらえ
てチグリス川の川面を眺めています。きっといつか役に立てる
日が来ると思いながら。
なんだかわからない何かを知るために。』



改めて、ご冥福をお祈りします。

なんだかわからない何かを知るために

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2006/01/26 23:40 投稿番号: [1044 / 1062]
昨日、1月25日は、小川功太郎さんの誕生日でした。
1971年生まれ…この事件がなかったら、35歳…今頃は独立して、
橋田さんの後継者として、活躍していたでしょう。

いや、橋田さんの「助手」という報道が多かったけど、当時すでに
立派な自立したジャーナリストだったのでしょう。
2004年4月、米軍のファルージャ包囲攻撃のころ、橋田さんは一時帰国し
(朝まで生テレビに出演した頃ですね)、小川さんは1人で貴重な取材を続け、
http://www2.asahi.com/special/jieitai/TKY200405290154.html
停戦直後のファルージャに侵入。
『月刊現代』2004年6月号に掲載された「ファルージャ突入記」は、
説得力がありました。

『・・・撮影していると、一人の青年が近づいてきた。
この家には自分の叔父が住んでいたが、半年も帰ってこない。
その米軍の攻撃で老女が2人死んだ。
子供は怖がっていまも家から出られない、と淡々と説明した。
20歳だというこの青年の物静かな口調が逆に憎しみの深さを想起させる。
冷めたように見える表情から、諦めというよりむしろ何かを決意した者のみが
持ち得るある種の凄みが感じられた。眼光が鋭い。
「これがアメリカの民主主義だ」
青年が焼けただれた家を指差す。
「罪のない人間をたくさん殺しやがって、必ず米兵を殺してやる。
  殺して遺体を八つ裂きにしてやる。
  もしこの戦いで俺が殺られてもアラーの神様が天国に導いてくれる。
  俺は必ず殺るよ」
青年の目が暗く光った。レジスタンツが生まれた瞬間のように思えた。』


村尾建吉氏の記事で知ったのが、

『勝谷誠彦によれば、このルポには当初、編集部とのやりとりで削除された次の数
行が付け加えられていたらしい。
《第二次大戦以降の世界の紛争地で、ここまで明確な政治的意志を持って日本人が狙わ
れたことはなかった。今のイラクに滞在すること自体、無謀だという意見はあるだろう。
批判は甘んじて受け入れる。しかし、なぜこんな事態になってしまったのか。今こそ逃
げずに考えるべきではないかと自分自身に言い聞かせながら、私はバグダッドに残って
いる。自衛隊員も外交官もNGOもジャーナリストも、少しでもイラクの役に立ちたい
という共通の思いの元に各々の「仕事」をしているのだと私は信じたい》』



小川さんがクローズアップされたのは、NHKの特集番組
「戦場から伝えるもの〜フリー映像ジャーナリストたちの記録〜」
くらい、かな。。。
番組の最後に紹介されたのが、「最後のイラク通信」として広く転送された
友人宛のメール…今も強く印象に残っています。

『人質事件が起こった今こそ、日本でもイラク問題に関する根
本的な議論が行われてもいいと思うのだけど、バッシングだけ
で終わってしまうとしたら寂しいことです。世界の中で日本が
どうあるべきか、ということを考える近年まれに見るよい機会
だと思うのですが。でも、日本にいるとそんなこと考える余裕
がないというのも確かだと思います。僕自身、働き始めてから
はそうした問題はなるべく考えずに避けて通ってたし。仕事に
追われ、そのうさを晴らすように腹いっぱいメシ喰って、ポン
だチーだと叫んでやり過ごしてた。

でも、今回ばかりは・・・という気がします。
前回イラクから帰って心から思ったけど、やっぱり平和という
のはいいものです。日本で満開の桜を見て、それを楽しむ人た
ちを見るだけで涙が出そうでした。有難いことだな、と。でき
れば世界中の誰もがこの幸せを感じられればと思うのだけど、
自分に出来ることといえば、目の前で起こってることをなんと
か伝えることと、こうして心ある人にメールを書くことくらい
です。

安全には十分注意を払い、現地大使館とも連絡をとりながら、
なるべくおとなしく暮らしています(今の大使は立派な人で、
外務省の退避勧告が出てるのに、私ごときの駆け出しジャー
ナリストを応援してくれます)。いのしし歳なので、ときには
理不尽な現場に突撃したい衝動にかられるけど、ぐっとこらえ
てチグリス川の川面を眺めています。きっといつか役に立てる
日が来ると思いながら。
なんだかわからない何かを知るために。』



改めて、ご冥福をお祈りします。

どうぞ、よいお年を

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2005/12/31 04:03 投稿番号: [1043 / 1062]
続きです。


橋田幸子さんは、「橋田メモリアル・モハマドくん基金100人委員会」の活動と、
ヨガの講師をしたり、タイ語を教えたり、農作業もされているとのこと。
イスラム世界では女性の体は女性しか診られないということで、「イラクの
女医さんを日本に招聘してトレーニングをする」活動をしたいそうです。
相変わらず講演に招かれることも多いようで、平和団体のシンポジウムから、
自衛隊第1次イラク復興支援群長の番匠幸一郎陸佐と一緒に講演したり、
スタンスの広さはさすがですね。
青年海外協力隊の雑誌のインタビューが読めます。
http://www.sojocv.or.jp/~v2-sojoc/interview/36.html
先月には女性ファッション誌に取り上げられ、「かっこいい女性」として
支持を集めたようです。


>有名になった「カモちゃん」のことも御存知ですよね?

すみません、「アジアパー伝」シリーズ、読んでなくて。。。
ちょっとだけ立ち読み(汗)…でも、マンガばっかり読んで(大汗)。
どれかの後書きに、橋田さんへの追悼文…ジーンときたのを覚えています。
カモさん、連載の仕事も中断中で、ファンの方も心配されているようですね。
もう、お元気になられたんでしょうか?


ブログかHPなどと、勝手なことを申し、お詫びいたします。

>現時点の自分としては、こうした掲示板の存在には重宝させられている次第です。
>周囲の友人・知人等々に向けてではなく、見知らぬ人たちに向けて自分の思いを
>伝える場が(大なり・小なり)あるということには、今の自分には、なにか
>勇気づけられる心持ちでいるというのが現状です。

ああ、その通りですね。先日もある方が、掲示板は「心の内にしまっておけない
思いをどこかに吐き出したいからこそする」とおっしゃっておられて、まさに
その通りだと思いました。

もう、一年半が経ち…正直なところ、だいぶ記憶も薄れました。
当事者でない一般市民には、この事件は風化しつつあります。
来年は、三回忌ですね。このトピも、いつかは消されるでしょう。
でも、全てが明らかになるまでは、残っていてほしいものと。。。


北朝鮮は・・・fvj_imacさまが「いよいよ重い腰を上げる」状況にならないことを
祈るのみです。


fvj_imacさま、
どうもありがとうございました。
バンコクでのお正月がどういうものか、よく知りませんが、
どうぞ、よいお年をお迎えください。

どうぞ、よいお年を

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2005/12/31 04:03 投稿番号: [1043 / 1062]
続きです。


橋田幸子さんは、「橋田メモリアル・モハマドくん基金100人委員会」の活動と、
ヨガの講師をしたり、タイ語を教えたり、農作業もされているとのこと。
イスラム世界では女性の体は女性しか診られないということで、「イラクの
女医さんを日本に招聘してトレーニングをする」活動をしたいそうです。
相変わらず講演に招かれることも多いようで、平和団体のシンポジウムから、
自衛隊第1次イラク復興支援群長の番匠幸一郎陸佐と一緒に講演したり、
スタンスの広さはさすがですね。
青年海外協力隊の雑誌のインタビューが読めます。
http://www.sojocv.or.jp/~v2-sojoc/interview/36.html
先月には女性ファッション誌に取り上げられ、「かっこいい女性」として
支持を集めたようです。


>有名になった「カモちゃん」のことも御存知ですよね?

すみません、「アジアパー伝」シリーズ、読んでなくて。。。
ちょっとだけ立ち読み(汗)…でも、マンガばっかり読んで(大汗)。
どれかの後書きに、橋田さんへの追悼文…ジーンときたのを覚えています。
カモさん、連載の仕事も中断中で、ファンの方も心配されているようですね。
もう、お元気になられたんでしょうか?


ブログかHPなどと、勝手なことを申し、お詫びいたします。

>現時点の自分としては、こうした掲示板の存在には重宝させられている次第です。
>周囲の友人・知人等々に向けてではなく、見知らぬ人たちに向けて自分の思いを
>伝える場が(大なり・小なり)あるということには、今の自分には、なにか
>勇気づけられる心持ちでいるというのが現状です。

ああ、その通りですね。先日もある方が、掲示板は「心の内にしまっておけない
思いをどこかに吐き出したいからこそする」とおっしゃっておられて、まさに
その通りだと思いました。

もう、一年半が経ち…正直なところ、だいぶ記憶も薄れました。
当事者でない一般市民には、この事件は風化しつつあります。
来年は、三回忌ですね。このトピも、いつかは消されるでしょう。
でも、全てが明らかになるまでは、残っていてほしいものと。。。


北朝鮮は・・・fvj_imacさまが「いよいよ重い腰を上げる」状況にならないことを
祈るのみです。


fvj_imacさま、
どうもありがとうございました。
バンコクでのお正月がどういうものか、よく知りませんが、
どうぞ、よいお年をお迎えください。

fvj_imac さま

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2005/12/31 03:59 投稿番号: [1042 / 1062]
fvj_imacさま
こちらから返信を途絶えさせてしまい、申し訳ありませんでした。
秋以降、関係するニュースもぷっつり無くなってしまって。。。

いろいろと貴重なお話しをうかがった後、橋田さんや幸子さんの本を
読み返し、認識を新たにすることがたくさんありました。
fvj_imacさまのようなお立場の方でも、このままピリオドを打たせたく
ないとお考えであること、よく理解できました。
早くイラクの治安が回復し、襲撃現場への訪問・遺留碑建設や、
事件の検証ができる日が来ることを願うばかりです。

結局のところ、橋田さん・小川さんは、戦争に殺されたのか?
それなら、「覚悟」があったことでしょう。
それとも、狙われて殺されたのか?
それだったら、徹底して真相を究明してほしい。
誤射という、いわば事故のような形で亡くなり、謝罪があったから、と
丸くおさめてしまうような結論で、本当に済んでしまうんでしょうか?

>これも推測の域はでませんが、おそらくは「ピースボート」の現地窓口
>みたいなところへ最初の申し出があり、それに応じるために(故人や
>奥さんとも縁の深い日テレ系の)「ディア氏」が動員されたという
>事なのではないでしょうか?

橋田幸子さんの著書によると、「頭に浮かんだのが、キデル・ディアという
イラク人男性」とあり、「力を貸して欲しい」と依頼したようですね。
でも、幸子さんとは面識が無かったし、誰かが紹介したのでしょう。
ともかく、これは完全にミスキャストと思います。ディア氏は明らかに
反米側にいますから、もしも、日本人だからと狙われてというのが真相でも、
日本国民にレジスタンスへの憎悪をかき立てるような公表をできる立場には
なかったのではないでしょうか。


事件当時イラクにいた不肖・宮嶋さんは、遺体の確認に奔走しましたが、
宮嶋さんでも、犯人を自分で捜す行動に出ることは到底できない状況で
あったようですね。

宮嶋さんの「サマワのいちばん暑い日」のこの一節は、何度読んでも、、、

『少しずつ襲撃の様子が報じられるにつれ、怒りがこみ上げてくる。二人はジャーナリストととして壮絶に戦死したというべきだろう。…犯人どもは、丸腰の六一歳のジャーナリストを警告もなしに蜂の巣にし、辛うじて初弾を逃れた青年も撃ち殺した。もし、犯人どもが目の前に現われ、人を殺しても罪に問われないという特権を与えられたなら、私は躊躇なく銃口を向け、引き鉄を引ける。その時、私はエゾシカを的にかけるほどの同情も哀れみも感じないだろう。
  イラクは、そういう奴らがゴマンと生息している国なのである。何がイスラムの大義だ。何が占領軍への徹底抗戦だ。こんな国は、援助どころか徹底的に破壊したいくらいである−それがこの日の正直な感想であった。
  サマワ市内のムサンナ・テレビでは、自衛隊の人道支援活動を市民に理解してもらおうと、CMが流されていた。そんなものはもう止め、外務省は、そのカネでバグダッドのテレビ局のCM枠を片っ端から買い取れ。そして犯人逮捕につながる情報か、証拠付きで犯人の首を持ってきた者には賞金を出すというCMを流すのである。』

そして、あとがきに、

『この書を、ご迷惑でしょうが、橋田伸介氏と小川功太郎氏に捧げます…。
   :
  二人を押し留められなかった私は、どんな非難をも受ける覚悟であった。しかし、両家は、二人の故郷でもあったバンコクで執り行われた葬儀に、私を参列させてくださったばかりか、上官と最後のお別れの対面も許してくださった。
   :
  もう二度とあんな国に行くもんかと、その時の怒りも覚めてはいないのに、今、私はサマワに向かう途中のクウェートにいる。…アホは死ななきゃ治らんか。』

>take_the_rag_awayさま-2

投稿者: fvj_imac 投稿日時: 2005/09/27 15:24 投稿番号: [1041 / 1062]
> ここでは読む人も少ないでしょうが、ブログかHPなどで、fvj_imacさま
> の思いなどを伝えていただける場所があると、この事件を気にかけておら
> れる方の起点にもなるのでは、と…

一例として上記、少し「昔話」をさせて頂きました。先日の投稿でも触れたとおりですが、自分自身は現時点では報道の世界とはかけ離れた日常を送ることを余儀なくされており、残念ながら、とくに自分の思いを広く一般に(定期的に)公開しようというつもりは毛頭ないというのが現状ですが、、、。

> Yahooの掲示板には、こんな方まで投稿されるのか、と驚きました。

そういう意味では、現時点の自分としては、こうした掲示板の存在には重宝させられている次第です。周囲の友人・知人等々に向けてではなく、見知らぬ人たちに向けて自分の思いを伝える場が(大なり・小なり)あるということには、今の自分には、なにか勇気づけられる心持ちでいるというのが現状です。

先日も何か宣言めいたモノを書かせて頂きましたが、いずれ師匠の最後の場所には必ず足を踏み入れたいとは考えていますし(「カモちゃん」にも必ず同行させます)、橋田さんが最後の遺著の中でも自問自答していたように、彼が実際に最後の舞台として感じていた場所は、北朝鮮なのだろうとも(自分自身にも)思われます。もしも仮に北朝鮮が戦場と化すような事態になれば、それこそ日本人としては他人事とはなり得ませんから、そうした事態に至っては、自分自身もいよいよ重い腰を上げる潮時だと考えてはおりますが、まあ、どちらにしても今すぐということではないのでしょうね(?)。今のところはせいぜい、自分も後日になって、家族・遺族(?)から泣き言を言われないように、日々備えを怠らないでおくようにしておきたいというのが現状です。

以上、取り急ぎまして、、、

>take_the_rag_awayさま

投稿者: fvj_imac 投稿日時: 2005/09/27 15:21 投稿番号: [1040 / 1062]
take_the_rag_awayさま
毎度、御返信ありがとうございます。

> 橋田さんの著書、特に「戦場特派員」でfvj_imacさまのことを詳しく存じ
> 上げることになり…

なるほど、そういうことでしたか・・・。有名になった「カモちゃん」のことも御存知ですよね?

> 「謝罪をする」という目的には、やり方が不自然な気がしています。金子
> 氏経由・ディア氏経由と、2回行う理由もよくわかりませんし。

これも推測の域はでませんが、おそらくは「ピースボート」の現地窓口みたいなところへ最初の申し出があり、それに応じるために(故人や奥さんとも縁の深い日テレ系の)「ディア氏」が動員されたという事なのではないでしょうか?   にしても、日本の大手マスメディアの窓口の方がはるかに存在感は大きいはずのところで、なんでまたよりによって「ピースボート」へ駆け込むことになったのか?   いみじくも、そのあたりに申し出た側(犯人グループと称するモノたち)の意図が見え隠れしているようにも思われる次第なのですが、どうでしょう・・・?

> この「真相」を疑うような内容は、幸子さんの書かれたものから見つける
> ことができませんが、襲撃犯についての部分を『覚悟』から引用します:

ありがとうございます。なるほど、「誤射」であったとする謝罪を受け入れた上で、おそらくは(あの奥さんのことですから)立件に向けても何らかのアクションを起こそうとしてはみたモノの、まったくラチがあかないという感じなのが実情なのかもしれませんね・・・。ですが、そうであるのならば、(御自身もジャーナリストを自称しているようでもありますし)事の次第を白日の元に曝しながら、日本政府に対してモノを申して頂きたいと感じるところです。

> 全ての面で、本当に「奇跡的」に、目的にピッタリだったのではないで
> しょうか。天が遣わした子、と呼ぶのもうなずける気がします。

ですね。橋田さんという人は、まさにこういう人を見る目が突出して秀でていた人だったと思います。少し昔話をさせて頂くと、ボスニアの戦場をウロウロしていて、なんとか最前線を突破して反対側へ潜入しようとした時にも、難民キャンプで絵になる老婆を見つけ、国際ボランティアを説き伏せて、一緒にその老婆を(反対側の)故郷へ送り返すという名目で、潜入に成功したことを思い出しました。まあ、いわば朝鮮半島の南北に離散した家族を(当局の目を盗んで)見事に再会させたという感じでしょうか(少し誇張しすぎカモしれません)。

下半身不随の老婆同伴ですから、途中の検問でもなんとか見逃してくれた・・・といういささか冷や冷やモノの潜入ではありましたが、そこでは同行させたボランティアの身分証も威力を発揮しました。で、そのボランティアというのも、実は諜報関係の人間で、彼自身も反対側の様子を見たくてたまらなかったんです。なんとか無事に故郷に到着した途端、我々がテレビカメラを回しはじめるのと同時に、彼は付近周辺の写真撮影を始めて、現地の軍人に取り押さえられてしまいました。橋田さんは「まったくドジな007だな〜」と言いながら、彼のカメラからフィルムを抜き取り、軍人に差し出したこともあり、老婆の実家も加勢をしてくれて、事なきを得ましたが、橋田さん自身は彼を今回の潜入に巻き込もうとした時点ですでに、おそらくは諜報関係の人間なのであろうと察しはついていたようでした。

まあ、「スパイ」といってしまうと、なんだかハリウッド的に感じられてしまうでしょうが、戦場には、こうして情報を元手に換金しようとする輩(報道人というのも表面的には同種なのかもしれませんが)は、政治的な信条などとは無縁の世界で、まさにウヨウヨしているのが実情です。イラクの戦場でも欧米諸国の民間人が数多く犠牲になっているようですが、そうした実情にはおおよその察しがつくところです。

>つづく

fvj_imac様>追加です。

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2005/09/27 09:07 投稿番号: [1039 / 1062]
>こうして、事件そのものが無闇やたらと美化されていこうとしている一方で、
>その真相・真実がまるで追求されておらず、そういう姿勢さえも見えないと
>いう現状は、橋田信介という人がもしも健在であるならば、許し難い事態の
>ように思われるはずなんです・・・。

事件の真相そのものを追求・議論、そういう場すらないですね。
ここでは、役不足ですし・・


私は、いえ、多分、多くの方がそうだと思いますが、fvj_imacさまの
お話しを、もっと聞けたら、と願っています。

橋田信介氏から、新しい原稿が出てくることは、もうありません。
家族の中での橋田さんの素顔については、幸子さんが書いてくれました。
戦場での橋田さんのことは、fvj_imacさまのように、生きるか死ぬか
という状況を共にされた方しか、知らないのではないでしょうか。

ここでは読む人も少ないでしょうが、ブログかHPなどで、
fvj_imacさまの思いなどを伝えていただける場所があると、
この事件を気にかけておられる方の起点にもなるのでは、と…

どうか、お考えいただけないでしょうか?
ああ、勝手なことを書いて、申し訳ございません。

それでは、今日はこれで失礼いたします。
しばらくレスできないと思いますが、何卒ご了承ください。

fvj_imac様>続きです。

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2005/09/27 09:05 投稿番号: [1038 / 1062]
>奥さんの著書については、まるで読んではいないのですが、遺族としての心情から、
>事件直後の段階(文藝春秋での発表時点)では受け入れることにしたが、その後、
>落ち着いて考え直してみるとやはりおかしいので「許せない」みたな心情の変化に
>でも言及されているのでしょうか?

この「真相」を疑うような内容は、幸子さんの書かれたものから見つけることが
できませんが、襲撃犯についての部分を『覚悟』から引用します:

「人違いの結果だったとはいえ、最愛の夫を殺した襲撃犯を、笑って許すこと
  などできるはずがありません。でも、「憎い」とか「恨みに思う」とかの感情
  に支配されているのかというと、それも違うのです。むしろ、そういう原因
  を作ったアメリカや日本政府への「反感」のほうが強い。
   :
  信介たちは誤って殺されました。「アメリカの同盟国の人間」として直接の
  ターゲットになったとしても、客観的に見て何ら不思議ではなかったのです。
  その程度の「認識」や「覚悟」は私にも、当然信介にもありました。
  だから、そんなことにならないよう「自分たちはアメリカサイドの人間では
  ない」ことを意識的に伝える努力をしていたのです。モハマドくんの来日を
  地元新聞紙に「売り込んだ」のには、そういう意味合いもありました。
  ただし「憎んではいない」から、このままでいいわけではありません。
  イラクは一日も早く「法治国家」としての体制を整えて、襲撃犯を逮捕して
  ほしい。犯人たちはきちんと裁判を受け、犯した罪を償ってもらいたい。」


>いや〜実はその点に関しましても、真相は逆で、実はロータリークラブの方から
>頼まれた(いわば厄介事だったとまで言うと、言い過ぎかもしれませんが)と
>いう風に聞き及んでいるところです。

なるほど、そうだったんですか。。。

モハマド君については、これも悪い言い方になってしまいますが、日本で
手術を受けるのにちょうどいい負傷の程度、それと、日本にあんな小学生
がいるか、と思うくらいの真面目で明るいパーソナリティとアイドル性、
全ての面で、本当に「奇跡的」に、目的にピッタリだったのではないで
しょうか。天が遣わした子、と呼ぶのもうなずける気がします。


>最後になりますが、今現在も、襲撃現場には慰霊碑めいたものは存在せずと
>理解をしておりますが、いつの日か、誰彼はばかることなく現場を訪れる
>ことができる日がくることを祈りつつ、もしも仮にその時点でもまだ存在
>していないようであれば、是非とも建立したいと考える次第です。
>思い起こせば、数々の戦場で、殉職した記者の慰霊碑を目の当たりにし、
>橋田さんと一緒に撮影をしましたが、それはもちろん番組などで放送
>されることもなく、ただただ後からその場を目撃した者の当然の勤め
>として、誰一人なんの疑問も持たずにフィルムに収めてきたモノで
>すが、その橋田さんの最後の場所に、橋田さんの慰霊碑がないという
>状況は、自分自身としてはまったく許し難いというのが最大の想いで
>います。

心にしみるお言葉です。

幸子さんも、『世界の戦場でバカとさけぶ』の「はじめに」で、このように
書かれていたました;

「なるべく早くイラクのファルージャに「子供病院」を建て、その落成式には
  イラクを訪れ、橋田たちが事件にあったマフムディアに花をたむける…
  それがまだ私に残された「供養」だと思っている。
  橋田が亡くなった地、イラクに一日も早く平和が戻ることを願ってやまない。」

fvj_imac様>事件の真相?-2

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2005/09/27 08:55 投稿番号: [1037 / 1062]
>> fvj_imacさま・・・目を疑いました。よく存じ上げております。
>えっ?   「はじめまして」ともありますし、自分と面識のある方と
>いうわけではないのですよね?

たいへん、失礼いたしました。

以前のご投稿「真相は解明されるのか 1-5」には、たいへん強い印象を
受けました。その後、橋田さんの著書、特に「戦場特派員」で
fvj_imacさまのことを詳しく存じ上げることになり…Yahooの
掲示板には、こんな方まで投稿されるのか、と驚きました。

昨年8月頃よりこのトピが閑散としてきて、消されてしまう危機感
から、ポツポツと投稿をして参りました。やはり、fvj_imacさまの
ように、本気でこの事件のことを心配される方もおられるでしょうから、
このトピを存続させてほしいと願っておりました。

こうしてお話しさせていただけるのが、夢のようです。


>そうなんですよね、、、。運転手から詳しく話を聞くことができれば、
>もう少しは真相がハッキリとすると自分も思うのですが、

シバレイさんが書いておられた「当初、橋田さん達はその時一緒に仕事を
していたイラク人通訳の車(こちらは普通の乗用車)に乗ってサマワに
向かうはずだった。ところが、それまで橋田さんと仕事をしていたイラク人
ドライバーがホテルに来て、自分のGMCのでサマワに行こうと主張したのだ。
このドライバーが「お前は俺の仕事をとるのか」と通訳と口論を始めたので、
橋田さんは「わかった、わかった。じゃあ、君の車で行こう」とGMCに
乗り込んでしまったのである。」という話し・・・これを知っていながら、
取材を打ち切ってしまったんでしょうか?
また、金子氏・ディア氏が犯人と接触した時期、シバレイ氏はまだイラクに
滞在中だったのですが、全く連絡も取り合わなかったんでしょうか?
…どうも、疑問はいろいろあるのですが、シバレイさん自身は、今年5月の
ブログにも「私はこの事件について、マハムディーヤの住民から話を聞いたの
だが、現地では 「日本人は米軍のスパイ」 だと思われており、橋田さんと
小川さんは、そのために襲撃を受けたのではとのことだった。」と書いておられ
るので、「CIAと間違われて」という話しを知らなかったようにも見受けられ…
よく、わかりません。


>ちなみに、ファルージャを往来していた時点で、すでにあの襲撃された
>車両のナンバーは、何やら怪しい連中にメモされていたというような話は、
>自分も耳にしておりますが、あの運転手自身が襲撃を事前に予測することが
>できたかどうか(要は、グルだったのかどうか?)については、自分自身は
>懐疑的な印象を持っています・・・。

GMCというだけで、ナンバーも確認せずに襲撃した、なんてちょっと信じ難い
気もしますし・・・その他、事件直後、運転手は犯人は日本人と確認して
襲撃したはず、と言ってたり、犯人が襲撃の様子をビデオ撮影していた、とか
事件から約2週間後の6月8日、ほとんど同じ場所・同じ手口で、今度はGMCに
乗ったサマワ警備隊員が襲撃された(また間違えた?)とか、当初の報道と
フィットしないところが多すぎるように思います。


>あの文藝春秋の記事を書いた記者というのも、(何故か?)「ピースボート」の
>人だったんですね。

「謝罪をする」という目的には、やり方が不自然な気がしています。
金子氏経由・ディア氏経由と、2回行う理由もよくわかりませんし。

>事件の真相?-3

投稿者: fvj_imac 投稿日時: 2005/09/26 14:51 投稿番号: [1036 / 1062]
続きになります、、、

> 橋田信介氏と親しかった方々からは、この「真相」について、何のコメン
> トも出されていないように思われます。理由があってのことと推察してお
> ります。

想像の域は超えませんが、やはり(橋田さんの遺志とは無関係に)イラクとの友好親善のために一役を担おうとしている奥さんの意向を踏まえてということになるのでしょう。が、それでもしかし、奥さん自身が時間の経過とともに心情の変化をきたし、犯人グループを許せない(あの真相として主張された内容はやはり受け入れられない)と表明しているのであれば、この点についても、もはや遠慮や配慮は無用だとも思われるんですが、どうなっているんでしょう?

まあ、そもそもは、友好的に親善を深めるためにも、ああいう内容でうやむやにするよりも、(外交官襲撃事件等々も含めて)やはり相互に真相・事の次第をハッキリとさせるべきだと思われます(昨今の日中・日韓関係などについても、同様のことが当てはまりますよね)。自分自身も残念ながら、バンコクくんだりで家族持ちの身と成り果て、報道とはかけ離れた世界で日々の生活を送っているのが現状で、せめて今後の成り行きだけは見届けたいと肝に銘じるのせいぜいです。

最後になりますが、今現在も、襲撃現場には慰霊碑めいたものは存在せずと理解をしておりますが、いつの日か、誰彼はばかることなく現場を訪れることができる日がくることを祈りつつ、もしも仮にその時点でもまだ存在していないようであれば、是非とも建立したいと考える次第です。思い起こせば、数々の戦場で、殉職した記者の慰霊碑を目の当たりにし、橋田さんと一緒に撮影をしましたが、それはもちろん番組などで放送されることもなく、ただただ後からその場を目撃した者の当然の勤めとして、誰一人なんの疑問も持たずにフィルムに収めてきたモノですが、その橋田さんの最後の場所に、橋田さんの慰霊碑がないという状況は、自分自身としてはまったく許し難いというのが最大の想いでいます。

以上、取り急ぎまして、、、
今後ともどうぞよろしくお願いします。

>事件の真相?-2

投稿者: fvj_imac 投稿日時: 2005/09/26 14:47 投稿番号: [1035 / 1062]
take_the_rag_awayさま、御返信ありがとうございます。

> はじめまして。   jeff_kept_a_rollinは、忙しくてレスをいただいても
> お返事できそうにないとき、情報をあげるだけに使っているHNです。

スミマセン。すっかり勘違いをしていたようで、jeff_kept_a_rollinさんが、シバレイさんだと思いこみをしていたようです。

> fvj_imacさま・・・目を疑いました。よく存じ上げております。

えっ?   「はじめまして」ともありますし、自分と面識のある方というわけではないのですよね?

> 運転手への追求を継続していたら、もっと別の情報があったかもしれませ
> ん。その後の運転手の態度の豹変ぶり、また、犯人グループに運転手宅の
> 電話番号を知る者がいたという疑惑…これらを見ると、残念に思います。

そうなんですよね、、、。運転手から詳しく話を聞くことができれば、もう少しは真相がハッキリとすると自分も思うのですが、事件の直後(の報道でも、微妙に解釈が異なっていて、読み比べてみると何か釈然としない部分もあります)以降は、誰もそういうことをしようともしていないように思われるのが残念です。ちなみに、ファルージャを往来していた時点で、すでにあの襲撃された車両のナンバーは、何やら怪しい連中にメモされていたというような話は、自分も耳にしておりますが、あの運転手自身が襲撃を事前に予測することができたかどうか(要は、グルだったのかどうか?)については、自分自身は懐疑的な印象を持っています・・・。

> 幸子さんは、犯人を許さない、とはっきりおっしゃってますね。

その後の著書か何かでそのような言及はされているらしいですね。そうであるならばやはりなぜ、あのような主張(「真相」と称するモノ)を受け入れたのでしょう?   奥さんの著書については、まるで読んではいないのですが、遺族としての心情から、事件直後の段階(文藝春秋での発表時点)では受け入れることにしたが、その後、落ち着いて考え直してみるとやはりおかしいので「許せない」みたな心情の変化にでも言及されているのでしょうか?   (詳しいことはこの場では申し上げられませんが、私自身は奥さんとは音信不通状態にあり)もしも御存知でしたら教えてください。

> 犯人グループの特定・接触ができるのは、キデル・ディア氏。報道に携わ
> る人ならば、自分のつかんだ「真相」の証明のために、立件に協力してほ
> しいところですが…この人が、そんなことをするはずもない・・・残念で
> す。

今回の投稿後にちょっと調べてみたんですが、あの文藝春秋の記事を書いた記者というのも、(何故か?)「ピースボート」の人だったんですね。これについても何かおかしいように感じていて、実際にはわざわざイラクまで足を運ぶことなく、あの事件の「真相」とやらの背景は、日本国内のど真ん中でも探ることはできるように考えますが、それさえも誰もやろうとはいていないようなんですよね。

こうして、事件そのものが無闇やたらと美化されていこうとしている一方で、その真相・真実がまるで追求されておらず、そういう姿勢さえも見えないという現状は、橋田信介という人がもしも健在であるならば、許し難い事態のように思われるはずなんです・・・。

> 言い方は悪いですが、橋田さんは、ファルージャに侵入するためにモハメ
> ドくんを利用した…そのために、日本で「お金が余っていて、使う名目を
> 必要としていた」ロータリークラブに話しをつけていた…といったところ
> でしょうか。

いや〜実はその点に関しましても、真相は逆で、実はロータリークラブの方から頼まれた(いわば厄介事だったとまで言うと、言い過ぎかもしれませんが)という風に聞き及んでいるところです。橋田さんの方はまさに、これをうまく「利用」することができれば・・・と考えただけのことのように自分には思われてなりません。事件直後の週刊文春でも、不肖・宮島さんが、橋田さんは「日本」でどのように受け止められるのかを(偽善的すぎるのではないかと)心配していた様子だったと語っています。それはつまり自分としては、橋田さんは「イラク」で報道されることの方を本来の目的と考えていたのであろうと推察する次第です。

fvj_imac様>続きです。

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2005/09/25 12:00 投稿番号: [1034 / 1062]
>なお、故人に成り代わり、せめてここで声を大にしておきますが、橋田信介という
>人間は、決してあの番組の中で描かれていたような偽善的な人物ではありません。
>国連ボランティアの日本人青年が殺害された事件を検証した時のことです。あの時も、
>まさしく今回と同様に、あの青年はカンボジアのために死んでいったかの如くに…
  :
>自分には現在の状況が、まさにあの時と酷似していることもあり、この番組
>そのものが故人の遺志を冒涜しているように思えてならなかった次第です。

結果的にNさんのケースと似た状況になり、忸怩たる思いを感じておられること、
部外者ながら、理解できる気がします。

言い方は悪いですが、橋田さんは、ファルージャに侵入するために
モハメドくんを利用した…そのために、日本で「お金が余っていて、
使う名目を必要としていた」ロータリークラブに話しをつけていた…
といったところでしょうか。
「善意の人」みたいな報道、センチメンタルな味付け…日本人好みといえば
それまでですが、よくご存じの方ほど違和感をおもちなのでは、と
推察いたします。

でも、約束は約束。
幸子夫人は、本当に素晴らしい仕事をされたのではないでしょうか。

信介氏が亡くなったことで、基金に予定以上のお金が集まってしまった…
幸子さんが支援先に選んだのが、自衛隊のいるサマワと、ファルージャです。
このバランス感覚が、素晴らしいと思いました。
ファルージャも、反戦団体に渡すのではなく、ファルージャ市と交渉し子供病院用の
土地を提供してもらうとのこと。
作業は現地住民に任せ、「サポートはするけどヘルプはしない」と明言されています。
この支援に政治的意図が含まれないよう、細心の注意が払われています。
私は、このやり方を支持しています。


>故人がもしも現状を知り得るとするならば、やはり事件の真相が
>解明されていないということを最も憂慮することでしょう。
>もしもですが、あの真相とやらが、日本とイラクの友好親善団体みたいな
>勢力の意向を踏まえたでっち上げだったとしたならば、それこそ自分は、
>宇部の墓参りにも行くことができません。

お気持ち、胸が熱くなりました。

確かに「あの真相」は、一方の団体に都合のいい結果になっています。
橋田信介氏と親しかった方々からは、この「真相」について、何のコメントも
出されていないように思われます。
理由があってのことと推察しております。


ドラマ・判決・モハマドくんの件が終わり、もう当分、このトピに
書き込みする事もないと思っておりました。

fvj_imacさまの書き込みを読ませていただき、
自分に何かできるわけではありませんが、
この事件を忘れないでおこう、注意していよう、と
思った次第です。

どうもありがとうございました。

fvj_imac様>事件の真相は?

投稿者: take_the_rag_away 投稿日時: 2005/09/25 11:45 投稿番号: [1033 / 1062]
はじめまして。   jeff_kept_a_rollinは、忙しくてレスをいただいても
お返事できそうにないとき、情報をあげるだけに使っているHNです。

fvj_imacさま・・・目を疑いました。よく存じ上げております。
再びご投稿いただけるとは、夢にも思ってもおりませんでした。
橋田さんと、崖っぷちの修羅場を潜ってこられた方の貴重なご意見、
本当にありがとうございます。


>ようやくのことで「番組」を拝見することができたのですが、
>その後、気分はすっかり滅入ってしまいました。

私も、橋田さんをドラマ化するのなら、もっと他に伝えるべきことが
たくさんあるだろうに、と思いました。

あのドラマは、幸子さんの言葉にもあるように、あくまでフィクション、
ということですね。でも、多くの視聴者は、そうは思っていない…
中途半端なものになってしまったと思います。


>文藝春秋で事件の「真相」と称するモノが発表されて以来、ずっと
>気がかりでいたのですが、犯人グループと称する人達と接触する
>過程では、シバレイさんも関与していたのでしょうか?

シバレイ氏は、橋田氏とモハマドくんの記事を掲載した現地の新聞を
テレビ局に提供しただけだと思います。

シバレイさんも、お知り合いですか?

シバレイ氏が、批判を押し切ってバグダッドへ行き、ブログで日々の活動を公開、
電話番号まで載せているのを見ていて、売名行為だけの人かと思ってました。
襲撃事件直後、すばやく運転手にインタビューし、ブログに掲載したときには
見直しましたが、それで問い合わせが殺到、取材が終わってしまいました。
運転手への追求を継続していたら、もっと別の情報があったかもしれません。
その後の運転手の態度の豹変ぶり、また、犯人グループに運転手宅の電話番号を
知る者がいたという疑惑…これらを見ると、残念に思います。
今、魂を売り渡してしまったようなシバレイ氏には、興味も期待も持てない、
というのが正直なところです。


>どうやらあの真相というのは、奥さんがそのように解釈をして、
>まあ、自分を納得させたいだけという性格のモノのように
>思えてならないのですが、いかがなモノでしょうか?

fvj_imacさんでも、そう思われますか・・
私の考えは、#1029で書いた通り、現時点ではそれも仕方ないのかな、
とも思っています。


>ああして真相として語られている内容が明らかになる過程では、
>犯人グループを特定することができているわけですから、なにも
>保険金を受け取るために裁判をするくらいなら、犯人を捕まえる
>ための裁判(というか、立件手続きというか)の方にこそ、努力
>を傾注すべきなようにも思われるのですが、それもまあ、犯人と
>称するモノたちの謝罪を受け入れたから不要ということにでも
>なるのでしょうか?

幸子さんは、犯人を許さない、とはっきりおっしゃってますね。

犯人グループの特定・接触ができるのは、キデル・ディア氏。
報道に携わる人ならば、自分のつかんだ「真相」の証明のために、
立件に協力してほしいところですが…この人が、そんなことを
するはずもない・・・残念です。


>自分にはどうしても、あの「真相」の背後には、なにか政治的な
>ニオイが感じられてならないのですが、もしも接触する過程で
>何らかの関与をされていたようであれば、その辺の事情を教えて
>ください。

「疑惑の宝庫」ディア氏ですから、多くの人が同じニオイを
感じているのではないでしょうか。
http://www.geocities.jp/marikatokyo/infsk/n6zu19a.htm
http://www.geocities.jp/marikatokyo/infsk/n6zu19b.htm

事件の真相は?

投稿者: fvj_imac 投稿日時: 2005/09/22 15:51 投稿番号: [1032 / 1062]
はじめまして。故・橋田信介の元弟子筋にあたるモノです(在バンコク)。
ようやくのことで「番組」を拝見することができたのですが、その後、気分はすっかり滅入ってしまいました。文藝春秋で事件の「真相」と称するモノが発表されて以来、ずっと気がかりでいたのですが、犯人グループと称する人達と接触する過程では、シバレイさんも関与していたのでしょうか?
あの番組を見てしまって以来、いろいろとネット上を検索しまくってみましたが、どうやらあの真相というのは、奥さんがそのように解釈をして、まあ、自分を納得させたいだけという性格のモノのように思えてならないのですが、いかがなモノでしょうか?
ああして真相として語られている内容が明らかになる過程では、犯人グループを特定することができているわけですから、なにも保険金を受け取るために裁判をするくらいなら、犯人を捕まえるための裁判(というか、立件手続きというか)の方にこそ、努力を傾注すべきなようにも思われるのですが、それもまあ、犯人と称するモノたちの謝罪を受け入れたから不要ということにでもなるのでしょうか?
自分にはどうしても、あの「真相」の背後には、なにか政治的なニオイが感じられてならないのですが、もしも接触する過程で何らかの関与をされていたようであれば、その辺の事情を教えてください。

なお、故人に成り代わり、せめてここで声を大にしておきますが、橋田信介という人間は、決してあの番組の中で描かれていたような偽善的な人物ではありません。

かつてカンボジアの取材では常に自分も同行しておりました。とくに今も強く脳裏に焼き付いているのは、国連ボランティアの日本人青年が殺害された事件を検証した時のことです。あの時も、まさしく今回と同様に、あの青年はカンボジアのために死んでいったかの如くに祭り上げられ、遺族となった父親はその後、財団・基金みたいなモノを設立して、カンボジアとの友好親善に一役を担うことになるのですが、故人はそれこそ声を大にして(それは自分のように掲示板という手法ではなく、もちろん雑誌等々でですが・・・)、怒りを表明しておりました。

自分には現在の状況が、まさにあの時と酷似していることもあり、この番組そのものが故人の遺志を冒涜しているように思えてならなかった次第です。カンボジアの事件では、女性問題に端を発する逆恨みで殺害されたというのが真相なんです。故人の著書を読まれた方ならば、御存知ですよね?   故人がもしも現状を知り得るとするならば、やはり事件の真相が解明されていないということを最も憂慮することでしょう。もしもですが、あの真相とやらが、日本とイラクの友好親善団体みたな勢力の意向を踏まえたでっち上げだったとしたならば、それこそ自分は、宇部の墓参りにも行くことができません。

テロリズムを 根絶

投稿者: taked4700 投稿日時: 2005/08/23 22:14 投稿番号: [1031 / 1062]
長くなってすいませんが、田中宇という国際ジャーナリストが次のような文を書いています。http://www.tanakanews.com/f0823terror.htm    より引用。

この記事は「アルカイダは諜報機関の作りもの」の続きです。

  前回の記事で「テロ戦争」とはアメリカなどの諜報機関が世界支配の強化のために仕掛けている作戦のようだと書いたが、だとしたら、諜報機関はどうやって自爆テロ志願者を集めているのだろうか。

  その答えとなりそうなのは、最近、米英当局者が言い出した「アルカイダはテロ計画の立案実行には関与せず、単にテロを誘発するイスラム原理主義の理念をばらまいているだけの存在である」という分析である。これはビンラディンは「資本論」のカール・マルクスと同様、革命的な理念を表明しただけで、実際の革命(テロ)活動は、その理念に感化された人々が勝手に行っている、という見方である。(関連記事)

「アルカイダは、ネットワークではなく、ウイルスのようなものだ」という主張も出てきた。世界各地にばらばらに存在するイスラム過激派の地元組織を感化して自発的にテロをやらせているのがアルカイダであるという主張である。(関連記事)

「アルカイダの幹部」たちは、中東や北アフリカ、西欧や北米、東南アジアなどの都会にある貧しいイスラム教徒たちが住む地域の、モスクを中心とするコミュニティの中に入り込み、失業者が多く欲求不満が募り、最近では反米感情も高まっている若者たちに時間をかけて接近し、彼らを「聖戦」に立ち上がる気にさせる。彼らは「アルカイダの幹部」たちは、米英などの諜報機関に通じているから、そのルートで爆弾も入手できる。

(中略)
  ここで指摘しておかねばならないのは、米英の当局の全員が、自作自演のテロ戦争に荷担しているわけではないということである。アルカイダを操っているのは、当局者の中のごく一部で、秘密に行動することが多い諜報機関である。英米などの諜報機関は、政府のトップに直結しており、たとえばCIAは大統領の命令にのみ従う。ブッシュ大統領と、ホワイトハウスの側近は、CIAが「アルカイダ」を操作していることを知りうるが、その他の役人や警察官などは、自分の政府が自作自演のテロをやっているなどとは思っていない。

  そのため911事件の前には、FBIなどの現場の捜査官が、テロに関与しそうな容疑者に対する捜査を申請しても、上部から「必要ない」と却下され、事件後に「何であのとき却下したのか」と問題になった。

  911や、7月7日のロンドンテロの当日には、実際に起きたテロとほとんど同じ想定で訓練が行われており、現場の係官たちが、テロなのか訓練なのか分からずに混乱するような仕掛けが、あらかじめ作られていた。これも、テロを演出する上層部による、何も知らない現場担当者たちが正常に動いてテロの発生が阻止されるのを防ぐための作戦だったと考えることができる。(関連記事)

引用終わり
 
僕も含めて、かなり多くの人が世界貿易センタービルのテロやアフガン侵攻、イラク戦争などを見ていて、かなりの部分が、でっち上げとしか見えないといっている。
その根拠は、世界貿易センタービルのテロでのさまざまな矛盾した状況など具体的にあげることが出来ます。

テロリズムを 根絶

投稿者: taked4700 投稿日時: 2005/08/23 22:14 投稿番号: [1031 / 1062]
長くなってすいませんが、田中宇という国際ジャーナリストが次のような文を書いています。http://www.tanakanews.com/f0823terror.htm    より引用。

この記事は「アルカイダは諜報機関の作りもの」の続きです。

  前回の記事で「テロ戦争」とはアメリカなどの諜報機関が世界支配の強化のために仕掛けている作戦のようだと書いたが、だとしたら、諜報機関はどうやって自爆テロ志願者を集めているのだろうか。

  その答えとなりそうなのは、最近、米英当局者が言い出した「アルカイダはテロ計画の立案実行には関与せず、単にテロを誘発するイスラム原理主義の理念をばらまいているだけの存在である」という分析である。これはビンラディンは「資本論」のカール・マルクスと同様、革命的な理念を表明しただけで、実際の革命(テロ)活動は、その理念に感化された人々が勝手に行っている、という見方である。(関連記事)

「アルカイダは、ネットワークではなく、ウイルスのようなものだ」という主張も出てきた。世界各地にばらばらに存在するイスラム過激派の地元組織を感化して自発的にテロをやらせているのがアルカイダであるという主張である。(関連記事)

「アルカイダの幹部」たちは、中東や北アフリカ、西欧や北米、東南アジアなどの都会にある貧しいイスラム教徒たちが住む地域の、モスクを中心とするコミュニティの中に入り込み、失業者が多く欲求不満が募り、最近では反米感情も高まっている若者たちに時間をかけて接近し、彼らを「聖戦」に立ち上がる気にさせる。彼らは「アルカイダの幹部」たちは、米英などの諜報機関に通じているから、そのルートで爆弾も入手できる。

(中略)
  ここで指摘しておかねばならないのは、米英の当局の全員が、自作自演のテロ戦争に荷担しているわけではないということである。アルカイダを操っているのは、当局者の中のごく一部で、秘密に行動することが多い諜報機関である。英米などの諜報機関は、政府のトップに直結しており、たとえばCIAは大統領の命令にのみ従う。ブッシュ大統領と、ホワイトハウスの側近は、CIAが「アルカイダ」を操作していることを知りうるが、その他の役人や警察官などは、自分の政府が自作自演のテロをやっているなどとは思っていない。

  そのため911事件の前には、FBIなどの現場の捜査官が、テロに関与しそうな容疑者に対する捜査を申請しても、上部から「必要ない」と却下され、事件後に「何であのとき却下したのか」と問題になった。

  911や、7月7日のロンドンテロの当日には、実際に起きたテロとほとんど同じ想定で訓練が行われており、現場の係官たちが、テロなのか訓練なのか分からずに混乱するような仕掛けが、あらかじめ作られていた。これも、テロを演出する上層部による、何も知らない現場担当者たちが正常に動いてテロの発生が阻止されるのを防ぐための作戦だったと考えることができる。(関連記事)

引用終わり
 
僕も含めて、かなり多くの人が世界貿易センタービルのテロやアフガン侵攻、イラク戦争などを見ていて、かなりの部分が、でっち上げとしか見えないといっている。
その根拠は、世界貿易センタービルのテロでのさまざまな矛盾した状況など具体的にあげることが出来ます。
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