朝鮮を笑う
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アラーに感謝汁
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/02/28 19:12 投稿番号: [1240 / 2847]
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 12
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/27 08:46 投稿番号: [1239 / 2847]
前回に続き、児島襄「朝鮮戦争」が元ネタです。
>金錫源は司令部へ電話をかけ、副軍団長の金白一准将に皮肉をあびせた。
この金白一准将は、白善菀、崔楠根とともに越南した人間です。
白善菀の自伝によると、本来は金燦圭という名でしたが、越南時に「白一」にあらためたそうです。3人が、政党が乱立していた南の状況をみて「俺たちも政党をつくるか」「北のアカに対抗して『白』、朝鮮統一を目指して『一』、白一党にするか」とかわした冗談を元ネタにしたらしいです。この戦争中、移動中に搭乗機が墜落して死亡します。
>無言で受話器を床にたたきつけた金師団長は、にわかに狂した。
「生きて退却ができるかァ」
とさけび、腰の拳銃をぬいてみずからのこめかみにおしつけた。
錫元がとっさに腕にしがみついたが振りはらわれた。崔参謀長がさらに腕にとりつき涙を流して説得して、師団長はようやく撤退を承諾した。
ここも『朝鮮戦争』が元ネタです。
腕にしがみついたのは副官の南少尉なんですが、物語上の都合で錫元に差し替えました。これ以降、南少尉は出番どころか存在すら錫元に食われてしまいます。(笑)
北朝鮮も、アメリカの介入する時間を与えず、電撃速攻で戦争を終らせたかったでしょう。かなり無理を重ねていたようです。
そのため、補給も滞り、戦力補充も不十分なまま攻勢を続けて息切れしてしまい、将棋で言うところの「指し切り」に陥ったところに、仁川上陸をはじめとした反撃をくらうのです。
これは メッセージ 1238 (toapanlang さん)への返信です.
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斜め上の雲 12
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/26 09:40 投稿番号: [1238 / 2847]
首都師団は、安東の南を流れる洛東江を背にして、文字どおり背水の陣をひいている。
撤退するためには洛東江にかかる橋をわたらなくてはならない。それに避難民もいる。軍民の移動をよほどうまくやらなくては混乱をきたすばかりか、全軍潰滅のおそれさえある。
げんに、ソウル撤退時には橋の爆破を実行したときに避難民を巻きこんだ大惨事がおこっている。
それをたった1時間でやれという。
しかも時刻は午前2時である。なぜ制空権の確保できている現況において、昼間の撤退をしないのかという不手際もある。
金錫源にとっては、そういったことよりも、今は不退転の決意だけが味方を奮いたたせるとして、敵味方に徹底抗戦の決意をしめすようにひいた背水の陣をくずすのがしゃくである。
金錫源は司令部へ電話をかけ、副軍団長の金白一准将に皮肉をあびせた。
「退却がお好きなようだが、退却するだけで勝てるのかね」
戦況がかんばしくないため准将も気がたっている。元来金錫源とおなじく猛将であるかれはたたきつけるようにいった。
「命令です。後退は命令です」
受話器を床にたたきつけた金師団長は、にわかに狂した。
「生きて退却ができるかァ」
とさけび、腰の拳銃をぬいてみずからのこめかみにおしつけた。
錫元がとっさに腕にしがみついたが振りはらわれた。崔参謀長がさらに腕にとりつき涙を流して説得して、師団長はようやく撤退を承諾した。
その後首都師団は、日本海に面した盈徳にすすみ、東部戦線を守ることとなった。
開戦から破竹の進撃をつづけてきた北朝鮮軍も内情は苦しい。
一気呵成に李承晩を半島から追い落とし、5回目の光復節をソウルでむかえたいというのが金日成首相の指令であった。そのため、損害をかえりみずしゃにむにここまで戦ってきている。
しぜん、戦力補充も追いつかず、兵員も各師団で上限80パーセント程度の充足率にまでおちこんでいた。戦車にいたっては補充はなかった。
補給もうまくいっていない。緒戦こそ計画的に備蓄された弾薬食糧があったものの、ソウルを陥とし南側に本格的にすすんでからは、輜重隊が米空軍によって襲われ、のびきった兵站線がときに寸断されるようになったのである。
弾薬はともかく、食糧は地域住民からの調達にたよらざるをえなかった。戦況がよいときでさえ、こういった行動が円滑におこなわれることはまずない。当然のごとくうまくいかなかった。
「ことしの8月15日はソウルで統一国会を開催する」
そう豪語する金日成もいらだっていたのであろう。戦線がすこし膠着するだけで、服でも着がえるように師団長や参謀たちをかんたんに更迭した。そのため軍上層部には一種奇妙な倦怠感があったともいわれている。しかし兵卒たちにおいてはその戦意はなおさかんであり、米軍もまともに抗することができなかった。
金錫源は、盈徳の救援が間にあいそうにないとみて、進路をかえて南の浦項に入り防禦線を構築することにした。
これは メッセージ 1225 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: >アンパン
投稿者: nanairokamen03 投稿日時: 2006/02/26 04:14 投稿番号: [1237 / 2847]
>その日の21時に死刑判決、深夜25時に銃殺刑で処刑
25時ですか。どっかの予備校が喜びそうな時刻ですね。
これは メッセージ 1234 (toapanlang さん)への返信です.
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誰か言ってやって
投稿者: doronpa90 投稿日時: 2006/02/26 02:21 投稿番号: [1236 / 2847]
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Re: 司馬令太郎がノモンハンを書きたいと
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/25 11:50 投稿番号: [1235 / 2847]
>いっていたと、奥さんがいってましたが、新資料が出ないうちに書いてしまったら、恥をかいていたかもしれませんね。
それで半藤一利が「ノモンハンの夏」を書いたそうですね。
司馬遼は書きたくとも書ける気がしなかったそうですが、新資料が出ていれば、楽にかけたかもしれません。
>勝敗は彼我の比較で決められるはずなのに、今までの史家はソ連側のことに付いては全く言及していませんでしたね。このことは一応不思議におもっていたのですがグラスノスチの結果、ある程度の情報が旧ソ連側の資料の開示と言う形で出てきたことで一応納得です。
これまでは、東側について我の資料はあっても彼の資料がなく、つき合わせができなかったため、あやふやにならざるを得ないことが多かったですね。
『斜め上の雲』のネタ本のひとつである児島襄「朝鮮戦争」も北朝鮮側についての記述で苦心している点が多くあります。
これは メッセージ 1232 (kuuboakagi00 さん)への返信です.
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Re: >アンパン
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/25 11:44 投稿番号: [1234 / 2847]
>1937年(昭和12年)6月11日、赤軍のトハチェフスキー元帥(国防人民委員第一代理、赤軍軍需総監、党中央委員候補)ら8名の、
赤軍最高幹部の逮捕・処刑から始まった「赤軍大粛清」が始まってから2年しか経っておらず。
(実際は赤軍だけでなく、政府官僚、党員、労働者、知識人、さては「弾圧」する側のNKVD(内務人民委員部)要員まで、無差別に「大粛清」)
6月11日朝軍法会議開廷、その日の21時に死刑判決、深夜25時に銃殺刑で処刑、でした。その他にも国防会議議員80人中65人、将校2万人が刑死したといいます。
>「エジョフシチナ(「エジョフ騒動」)」の後半期。
(エジョフとは、大粛清の指揮を執った、NKVD(内務人民委員部)委員(長官。大臣)ニコライ・エジョフ)
その彼も、38年12月に突如解任され(後任はあのベリヤ)消息不明。たぶん消されたんでしょう。
>前年の1938年6月13日には、NKVD極東地区(極東地方内務人民委員部)長官のゲンリッヒ・サモイロヴィッチ・リュシコフ(大将相当)が、
満州国に亡命。
マラトフという変名で東京都内に隠れ家を提供されたそうですが、終戦後、日本軍によって大連で暗殺されたそうです。
>ジューコフ自身、トハチェフスキー元帥の「縦深戦闘理論」の「直弟子」でしたから・・・
朝鮮戦争で韓国軍を指揮した白善菀も書いていました。
ソ連軍といえばローラーのように広い正面で押してくるイメージがあるが、実際には、突進軸を設定し、部隊を梯団に区分して縦深戦力を充実させ、錐のように突破してくる。独ソ戦も満州侵攻もそうだった。と。
満州国軍だったので実際に見た上での記述らしいです。
これは メッセージ 1231 (samurai_03_japanjp さん)への返信です.
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令→遼
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2006/02/25 04:59 投稿番号: [1233 / 2847]
本文なし。
これは メッセージ 1232 (kuuboakagi00 さん)への返信です.
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司馬令太郎がノモンハンを書きたいと
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2006/02/25 04:37 投稿番号: [1232 / 2847]
いっていたと、奥さんがいってましたが、新資料が出ないうちに書いてしまったら、恥をかいていたかもしれませんね。
勝敗は彼我の比較で決められるはずなのに、今までの史家はソ連側のことに付いては全く言及していませんでしたね。このことは一応不思議におもっていたのですがグラスノスチの結果、ある程度の情報が旧ソ連側の資料の開示と言う形で出てきたことで一応納得です。
これは メッセージ 1231 (samurai_03_japanjp さん)への返信です.
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Re: >アンパン
投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2006/02/25 02:04 投稿番号: [1231 / 2847]
>実はソ連軍のほうもかなり損害をこうむっていたことが、近年発見された資料で判明したようです。
ノモンハン事件(第二次ノモンハン事件。ソ連軍と交戦した。第一次は「モンゴル人民軍」と)
日本軍
動員兵力:5万8926名
損害
戦死:7720名
戦傷:8664名
戦病:2363名
生死不明:1021名
総計:1万9768名
ソ・蒙軍
動員兵力:約5万7000名
(ソ連軍)
戦死:6831名
戦傷:1万5251名
戦病:701名
生死不明:1143名
合計:2万3926名
(蒙軍)
戦死・戦傷死:1267名
総計2万4492名
尤も、日本の第23師団(小松原師団)に限って言えば。
兵力:1万5875名
戦死傷病:1万2230名
損失率:約76.6%
戦闘による損失だけを考えれば。
日露戦争の遼陽会戦・17%
同上奉天会戦・28%
ガダルカナルの戦闘・34%
これに匹敵する損失率(戦闘のみ)は、「この世の地獄」独ソ戦初期のソ連軍部隊に見られるだけ。
>ソ連きっての名将とされたジューコフ元帥が粛清を恐れて、実情を隠して粉飾報告したらしいです。向こうさんも必死ですわな。
1939年(昭和14年)8月と言えば。
1937年(昭和12年)6月11日、赤軍のトハチェフスキー元帥(国防人民委員第一代理、赤軍軍需総監、党中央委員候補)ら8名の、
赤軍最高幹部の逮捕・処刑から始まった「赤軍大粛清」が始まってから2年しか経っておらず。
(実際は赤軍だけでなく、政府官僚、党員、労働者、知識人、さては「弾圧」する側のNKVD(内務人民委員部)要員まで、無差別に「大粛清」)
「エジョフシチナ(「エジョフ騒動」)」の後半期。
(エジョフとは、大粛清の指揮を執った、NKVD(内務人民委員部)委員(長官。大臣)ニコライ・エジョフ)
前年の1938年6月13日には、NKVD極東地区(極東地方内務人民委員部)長官のゲンリッヒ・サモイロヴィッチ・リュシコフ(大将相当)が、
満州国に亡命。
極東赤軍の軍事情報のかなりの量を日本に提供したと言う、不祥事も起こっている。
*リュシコフ自身「大粛清」を恐れての亡命であった。
ここで、馬鹿正直に彼我損失をモスクワに報告すれば。
ジューコフ軍団長(当時。中将に相当)もルビャンカ(NKVD本部)送りだったでしょうね・・・
ジューコフ自身、トハチェフスキー元帥の「縦深戦闘理論」の「直弟子」でしたから・・・
これは メッセージ 1230 (toapanlang さん)への返信です.
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>アンパン
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/25 00:31 投稿番号: [1230 / 2847]
>シ○ナー?
そうそう、ナンシー吸ってラリった勢いで、戦車のキャタピラに飛びこんで動きを止めて爆破、ってちゃう!
「アンパン」は地雷のことですね。形が似ているのでそう呼ばれたらしいです。
ノモンハンでの関東軍は、戦車戦では勝負にならなかったため、歩兵がその地雷をくくりつけた棒をもって肉薄して、ソ連軍のBT戦車のキャタピラを爆破して擱座させたり、火炎瓶でエンジンを炎上させて撃破したそうです。
そりゃ、7割近い損害出したり、戦車隊長が発狂した(噂)とかいいますわ。
って、実はソ連軍のほうもかなり損害をこうむっていたことが、近年発見された資料で判明したようです。ソ連きっての名将とされたジューコフ元帥が粛清を恐れて、実情を隠して粉飾報告したらしいです。向こうさんも必死ですわな。
ま、痛み分けってとこかなぁ。
現地の日本軍司令官小松原中将は、戦況を聞いて「日本の兵隊は強いと聞いている。なんとかしてくれるだろう」ともらした、と司令部付の従卒がのちに言ったそうですが、たしかに、なんとかしたと言えなくもないですね。
そういえば、ノモンハン事変は、陸軍がトラックを大量に使用した最初の戦役であったようです。前線からの戦死者輸送が多かったようですが。(涙)
これは メッセージ 1229 (himaneko92 さん)への返信です.
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Re: 解説:斜め上の雲 11
投稿者: himaneko92 投稿日時: 2006/02/24 09:24 投稿番号: [1229 / 2847]
>「アンパン」がなんなのかわかんなーい。
シ○ナー?
これは メッセージ 1228 (toaniuniu05 さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 11
投稿者: toaniuniu05 投稿日時: 2006/02/23 17:09 投稿番号: [1228 / 2847]
今回は師父にかわって解説するよ。
今回は2巻からです。
>このように、劣勢に立ちながらも粘りづよく戦う韓国軍人に日本軍出身者が多いことについて米軍は注目した。従軍記者による朝鮮戦争記にも、このことにふれている。
日清戦争当時、イギリスの記者が日本海軍に薩摩人の多いことに注目して書いた記事が元ネタだってー。原文はこちら。
≫ただ、日本海軍の最高幹部が、ほとんど薩摩人であることについても、各国の観戦者は注目した。海相西郷、軍令部長樺山、司令長官伊東、緒戦で問題をおこした浪速艦長東郷など、その数はじつに多い。
世界の海軍界でもっとも権威のある英国のプラッセー年鑑一八九五年発刊の「日清戦争」の項にも、このことについてふれている。この年鑑の記者は薩摩人というのは日本人のなかの特殊なある種族であるとおもっているらしく、
「おもうに、薩人もしくはその一派の種族は、天資剽悍で勇猛ではあるが、元来学識とぼしく、従って冷静な判断力に欠けている」
と、書いている。
マッカーサーが韓国軍のなかで首都師団を名指しして賞賛した、というのと、安東からの撤退に怒るところは、児島襄「朝鮮戦争」からのパクもとい引用です。ここんとこは次回に続きます。
>「いま、われわれに不足しているのは兵力と武器だ」
しかしそれをなげいてもどうにもならない。やれることをやるしかない。
「力のないものは知恵と根性でたたかうしかない。最後は肉弾で食いとめる」
「朝鮮戦争」によれば、金錫源は第1師団長時代、国境での小競り合いに投入された北のT34に対戦車兵器が通じないのをみて、「特攻隊」を組織し、決死の覚悟で撃破したんだって。
やっぱり「アンパン」を抱いて車体の下に潜り込ませたのかなぁ。え?わたし台本読んでるだけだから、「アンパン」がなんなのかわかんなーい。
これは メッセージ 1225 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: 解説:斜め上の雲 10
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/23 00:53 投稿番号: [1227 / 2847]
>で、「朝鮮戦争編」で厚かましくもリクエストを・・・
>米軍関係者で「キム大尉(Young Oak Kim
階級はWW2終戦時)」の登場を(笑)
先日亡くなられた、あの日系部隊を率いた方ですね。
了解しました。
戦場での活躍をじかに書くことはできませんが、ぜひ登場していただきましょう。(ちょうど、朝鮮戦争編の容量に余裕があるんです)第19回くらいに登場していただけそうです。
これは メッセージ 1226 (samurai_03_japanjp さん)への返信です.
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Re: 解説:斜め上の雲 10
投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2006/02/23 00:38 投稿番号: [1226 / 2847]
>ネタが一個あるので避けずに書きたいんですが。
是非とも。楽しみにしております。
で、「朝鮮戦争編」で厚かましくもリクエストを・・・
米軍関係者で「キム大尉(Young Oak Kim
階級はWW2終戦時)」の登場を(笑)
WW2では第442連隊に所属し、特別戦功十字章(DSC)、銀星章(SS)、
柏葉飾(c/o)付殊勲戦傷章(パープル・ハート勲章、PH、柏葉飾り付は二度以上の戦傷を意味する)を受賞し。
朝鮮戦争でも特別戦功十字章(DSC)を授与されている、真のプロフェッショナルです。
これは メッセージ 1221 (toapanlang さん)への返信です.
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斜め上の雲 11
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/23 00:08 投稿番号: [1225 / 2847]
金錫源はさらにいう。
「わしは、かつて日本軍をひきいて戦い、今はアメリカとともにソ連じこみの北韓軍と戦うというふしぎな道をたどっている」
しぜん、各国軍の長短について感じざるをえないことが多いという。
「これからはアメリカ流が主流になるだろうが、日本軍のやりかたにも学ぶことは多い」
とくに、下士官が兵と密着していることは強みだ、という。
「この軍には日本兵あがりが多い。学ぶことだ」
金錫源が義勇軍を組織したさい、韓国内でゆき場をなくしていた元日本兵たちはかれのもとに集結し、ほどなく戦争がはじまったため、金はかれらを麾下にしたまま首都師団を率いている。
そのため、韓国軍じたいが全体的に日本軍の色が濃いといえるが、金錫源の師団はとくにそれが濃厚となった。
このように、劣勢に立ちながらも粘りづよく戦う韓国軍人に日本軍出身者が多いことについて米軍は注目した。従軍記者による朝鮮戦争記にも、このことにふれている。この記者は日本軍出身者というのは朝鮮人のなかの特殊なある種族であるとおもっているらしく、
「おもうに、日本軍出身者もしくはその一派(筆者注:満州軍をさす)の種族は、責任感がつよく勇猛であるが、死に対する観念がとぼしく、戦況によってはかんたんにわが身を死地に投じる」
と、書いている。
また、この時期、視察におとずれたマッカーサー元帥も韓国軍のなかでとくに名指しで首都師団の戦いぶりを賞している。
「いま、われわれに不足しているのは兵力と武器だ」
しかしそれをなげいてもどうにもならない。やれることをやるしかない。
「力のないものは知恵と根性でたたかうしかない。最後は肉弾で食いとめる」
と金錫源はいった。さすがに錫元の顔に不安の色がさした。
「心配はいらん。抗戦しているうちに米軍が来る」
それまで持ちこたえればよい、と金錫源はいった。
7月7日、国連安保理において、国連軍の派遣が決定され、おもに米軍が日本から釜山に来援してきつつあった。しかし、それらは平和な任地にとどまることがながく、平時編制のままで訓練装備は不足しており北朝鮮軍に抗することができなかった。そのため大規模な援軍の到着まで時間をかせぐ必要があった。
7月下旬、米韓軍は大田から撤退し、南東の安東、洛東里の線までさがった。
その数日後、米軍指揮官ウォーカー中将によって、さらに南東へ撤退し、洛東江を天然の濠として防御線を形成し、敵軍の進撃を遅滞させ、米軍の増援を待つという戦略が決定された。
金錫源は首都師団をひきいて安東を守っていたが、崔参謀長が持ってかえってきた後退命令をみると憤然とした。
命令書によればあと1時間以内に撤退せよという。
これは メッセージ 1217 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: 朝鮮を笑う
投稿者: himajin92 投稿日時: 2006/02/22 11:18 投稿番号: [1224 / 2847]
|▽T)ノ
ウリも・・・
道の画像に○の写真を貼り付けようとして断念しますた☆
これは メッセージ 1223 (ricky_eto さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1224.html
Re: 朝鮮を笑う
投稿者: ricky_eto 投稿日時: 2006/02/22 11:09 投稿番号: [1223 / 2847]
はーい!(^0^)/
恥ずかしながら…
ネタを元に
AAを考えようと思いましたが
手に余りました(爆)
これは メッセージ 1222 (dylake2r5j1 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1223.html
朝鮮を笑う
投稿者: dylake2r5j1 投稿日時: 2006/02/22 10:41 投稿番号: [1222 / 2847]
『道に「ペッ」清掃義務も
北京』
不覚、タイトル見て笑った
このタイトルに脊髄反射した人、韓カテには結構いるんじゃないかと(笑)
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1222.html
Re: 解説:斜め上の雲 10
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/22 00:38 投稿番号: [1221 / 2847]
「えー加減なこと書いてるんちゃうんかなー。サムライさんが見たら突っ込むやろなー」とどきどきしながら書いていたりしました。(汗)
>まぁ、終戦時のチハ車(九七式中戦車)は、一式47mm戦車砲に換装した「九七式中戦車改」だったんでしょうけど。
(一式中戦車(チヘ車)も、同じ戦車砲)
福田少尉の本土移動が昭和20年の春でしたから、ほんとうは九七式中戦車改に乗っていたとおもったんですが(たしか4輌を率いて、鉄道で満州(四平かな)から釜山まで行ったはずです)、ビジュアル的に、砲身の短いただのチハ車のほうがT34との対比になるかとおもって改竄しました。
>*実戦では「70m」の距離でM4シャーマンの側面・後部装甲なら射貫できたそうですが。
これはきいたことがあります。自信はないですが、末期のフィリピン戦線での話でしたかねぇ。
>惜しむらくは、1941年には完成していた一式中戦車(チヘ車)の大口径型である、
「三式中戦車(チヌ車)」(車体は同一で、75mm野砲を戦車砲に転用)
マレー攻略の島田戦車隊にはチハ車と一式中戦車が配備されていたような記憶があるのですが。
四式のほうは、上官に「こいつがシャーマン殺しの切り札だ」とか言って見せられたと、司馬遼が書いていたような気がします。
>結局は、「用兵思想」が日清、日露のまま、だった影響かもしれません・・・
第一次大戦に陸軍が本格的に参加していなかったのも影響があるんでしょうかねぇ。
にしても、この程度の知識で私はベトナム戦争の韓国軍を書けるのか?(汗)
ネタが一個あるので避けずに書きたいんですが。
これは メッセージ 1220 (samurai_03_japanjp さん)への返信です.
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Re: 解説:斜め上の雲 10
投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2006/02/22 00:17 投稿番号: [1220 / 2847]
>釜山の日本軍戦車を率いていた福田定一陸軍少尉にご出演していただきました。
あはは、やはりそうでしたか、福田定一陸軍少尉。
日本の戦車は「憂鬱な乗り物」
と、何かの紙面で仰ったられたそうですが。
>日本軍の97式戦車といえば、その弱さとかわいさでごく一部に熱狂的なファンを持ちますが(笑)、現在で言えば歩兵戦闘支援車に相当するでしょうね。
あー・・・そうとも言えますなぁ。
精々が、英国のブレンガンキャリアーや、ドイツのSd.Kfz251(37mm対戦車砲搭載型)なんかと、良い勝負でしたからねぇ・・・
「半装軌装甲車」(現代の歩兵戦闘車両)と良い勝負の「『軽』戦車」・・・
まぁ、終戦時のチハ車(九七式中戦車)は、一式47mm戦車砲に換装した「九七式中戦車改」だったんでしょうけど。
(一式中戦車(チヘ車)も、同じ戦車砲)
*実戦では「70m」の距離でM4シャーマンの側面・後部装甲なら射貫できたそうですが。
惜しむらくは、1941年には完成していた一式中戦車(チヘ車)の大口径型である、
「三式中戦車(チヌ車)」(車体は同一で、75mm野砲を戦車砲に転用)
これまでの「歩兵戦闘支援車両」の観念を捨て、純然たる「戦車同士のどつきあい」用に開発された
「四式中戦車(チト車)」
の、両戦車の開発に後手を踏んだ事でしょうか。
(五式中戦車(チリ車)は捨て置きます(苦笑))
1944年5月に開発がスタートし、同年10月には試作車両が完成した三式中戦車。(たった「5ヶ月」)
搭載砲の九十式野砲は1941年当時既に既存砲でしたし。
車体も一式は完成していたし。
せめて、米軍がM4を投入し始めた1943年初頭から開発を始めていれば・・・
少なくとも、射距離1000mで、M4の側面装甲なら射貫できる攻撃力ですし。
(ま、装甲はドイツの4号中戦車並み。M4やT34より薄く、英国のクルセイダーより厚い)
せめて1944年頃までは、列強中戦車となんとか渡り合えたんじゃないかなぁ・・・
四式は1942年後半に開発が開始され、44年10月に試作完了。(2年弱)
搭載砲の五式75mm戦車砲は、スウェーデンのボフォース社製の75mm高射砲をコピーした、
四式75mm高射砲を基に、砲架などを車載用に改修したものだから、高初速で貫通力も大きい。
装甲も80mm程の傾斜装甲だったから、防御力も結構ある。
少なくとも、M4シリーズでは「最強」のM4A3E8中戦車(イージー・エイト)以外なら、殴り合えたんじゃないかな。
性能的にはドイツ装甲師団の中核を占めた「軍馬」ことⅣ号中戦車より上。
*装甲、出力、機動力、攻撃力共に。
Ⅳ号はFⅡ型とG型で43口径75mm、H、J型で48口径75mm。四式は53口径75mm。M4A2、M4A3、T-34/76とほぼ互角。
言いたいのは、列強の中戦車開発はいずれも3〜5年を費やしていると言う事。
その中で、既存改良とは言え、三式中戦車の「5ヶ月」、四式中戦車の「2年弱」は驚くほどの「短期間」
結局は、「用兵思想」が日清、日露のまま、だった影響かもしれません・・・
>グレネードランチャーの源流である擲弾筒の性能が良かったのはそのせいでしょうか
後のM79グレネードランチャーを製作するきっかけになったと言われていますね。
余談ながら、アメリカ軍のテストで膝に構えて撃ってから大腿骨を複雑骨折したという話がよく知られていますが、
それが、いつ、どこで、誰がやったかはわからず、捕獲兵器を担当した教官が
「膝に構えて撃ったら骨を折るから、んな撃ち方すんじゃねぇぞ」と注意したのが一人歩きした可能性も無くはない。
これは メッセージ 1218 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: 朝鮮を笑う
投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2006/02/21 20:22 投稿番号: [1219 / 2847]
>妻や恋人に下着をプレゼントしたい時があるが、人が多い場所で女性の下着を手に取りづらく、あきらめてしまうケースも少なくない。
こりゃ駄目だ。
だいたい、下着のプレゼントなんて発想はしない。ましてや自分で買いに行くなんて思う事自体ありえない。
買ってくれとねだられたら、好みがわかっているから2万円くらい渡して好きなのを勝手に買って貰うが。
だから、自分用にかなんてレスがつく。気色悪いったらありゃしない。
これは メッセージ 1216 (sonoba_kagiri さん)への返信です.
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解説:斜め上の雲 10
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/21 17:02 投稿番号: [1218 / 2847]
今回も『坂の上の雲』本文に元ネタはありません。
その代わりといっちゃなんですが、釜山の日本軍戦車を率いていた福田定一陸軍少尉にご出演していただきました。ええ、のちに司馬遼太郎となる方です。
戦車を率いて釜山で道に迷った話は「街道をゆく
韓の国紀行」で書いていました。本土決戦に備えて満州から本土へ移動するときです。
日本軍の97式戦車といえば、その弱さとかわいさでごく一部に熱狂的なファンを持ちますが(笑)、現在で言えば歩兵戦闘支援車に相当するでしょうね。
日本陸軍の軍事思想は、歩兵中心(グレネードランチャーの源流である擲弾筒の性能が良かったのはそのせいでしょうか)で、戦車は支援戦力という考え方でしたから、私は日本軍の戦車はダメだ、と単純に決め付ける気にはなれません。
ノモンハンの戦いなどで、思想転換の必要性をさとったとしても、開発期間や仕様、予算枠、各部局の調整等の問題もありますし、シミュレーションゲームみたいに生産ラインをすぐ切り替える、なんてのはできませんわな(お役所的かと思いますが、軍も官公庁ですし)。
これは メッセージ 1217 (toapanlang さん)への返信です.
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斜め上の雲 10
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/20 14:18 投稿番号: [1217 / 2847]
これまでみたように、開戦時の南北の軍事力は懸絶している。
さらにいえば、韓国軍には備蓄弾薬が数日分もなく、1月に米韓軍事援助相互協定が調印されたものの、それによる軍需物資はまだ到着していなかった。
李承晩大統領は北進統一をさけんでいたが、とうてい戦争をはじめることができる状態ではなく、500人にもおよぶアメリカ軍事顧問団がそれをみとめることもなかった。
また、たとえこの状態で北侵したとしても北朝鮮軍は反撃できただろうが、そのまま逆侵攻して、通常装備・兵站のまま米軍をもけちらして半島南端の釜山まで追いつめることができるものではない。
以上のことから考えて、朝鮮戦争は北がじゅうぶんに準備したうえでの南侵からはじまったことはうたがえない。
北朝鮮軍はソ連製のT34戦車を前面におしたてて進撃してきたが、韓国軍に戦車はなく、対戦車兵器もとぼしかった。アメリカ軍の持ちこんだ3.5インチバズーカだけがまともに戦車を撃破できたが、数もすくなく苦戦をしいられている。
錫元はこれほど大量の戦車をみるのははじめてである。太平洋戦争の末期、釜山ではたらいている父信五のもとに遊びにいったとき、日本軍の戦車を数輌見たことがあるだけである。
その戦車集団は、砲塔が民家の軒先をかすめるような狭い路地をふらふらとさまよいながら進んでおり、あきらかに道に迷っていた。
錫元と信五の前で隊列がとまり、先頭車輌のハッチが開いて軍人がおりてきた。
「西面はどこかいな?」
眼鏡をかけたその軍人はたよりなさげな口調できいてきた。信五が場所を教えると、礼をいって車内に戻り、行進を再開した。
「だいじょうぶかな。あんな将校で」
階級章をみると少尉だったらしい。信五がためいきをついたのを錫元はおぼえている。
そのときみた戦車は、腰高で優雅な感じではあったが砲身が細く短く、少尉同様たよりなさげであった。
それにくらべて北朝鮮のT34は、無骨きわまりない外見であるが、そのぶんたくましくみえる。金錫源にそれをいうと、
「T34はいい戦車だ。ドイツもあれにかなりやられた。釜山でみたというのは関東軍のチハ車だろう。戦車どうしのたたきあいはできないシロモノだった。もっとも」
歩兵戦闘の補助が目的なのでしかたのないことだったが、とつづけた。
「将軍は敵の戦車をほめるのですか」
錫元は意外そうにききかえした。
「敵であろうがなんであろうが、性能のよいものはよい、悪いものは悪い。錫元はウリナラが好きか?」
「はい。好きです」
「ならば、ウリナラが世界でいちばんすぐれて大きい国とおもうか?」
すこしためらったあと、錫元は答えた。
「・・・いいえ。おもいません」
「それと同じことだ。好き嫌いと良し悪しはべつの問題だ」
軍人にとってもっとも忌むべきことは、目の前の事象に手前勝手な規定をあてはめて納得するという硬直性だ、ともいった。
これは メッセージ 1208 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: 朝鮮を笑う
投稿者: sonoba_kagiri 投稿日時: 2006/02/19 00:56 投稿番号: [1216 / 2847]
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1216.html
Re: 金正日のプレスリー(爆)
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/02/18 22:28 投稿番号: [1215 / 2847]
>月火水木金正日
いただきました。
これは メッセージ 1213 (amanattousuki2003 さん)への返信です.
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Re: 金正日のプレスリー(爆)
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/18 22:21 投稿番号: [1214 / 2847]
>こんなことしてイイニカ?
人形劇映画「チームアメリカ」では「ミスター・ロンリー」を熱唱していたので有りでしょう。
「ジョンイル・オン・ステージ」ですね。
曲目は「Suspicious Mind」「In the Nidaa」「I've lost that Atomic things」「I Just can't help starvin'」かな?(『エルビス・オン・ステージ』では歌ってないものも混じってますけど)
これは メッセージ 1213 (amanattousuki2003 さん)への返信です.
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金正日のプレスリー(爆)
投稿者: amanattousuki2003 投稿日時: 2006/02/18 21:20 投稿番号: [1213 / 2847]
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1213.html
解説:斜め上の雲 9
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/18 11:38 投稿番号: [1212 / 2847]
今回は『坂の上の雲』本文に元ネタがありません。100%オリジナルです。そのせいで文体が硬いです。
両軍の戦力差についてはほぼ資料丸写しです。
日本の知識人については、本文であげた以外にも多いです。
社会党系評論家の中川信夫(映画監督とは別人)は、1990年代になっても、南の北侵説を堅持して、前に触れた兪成哲らの証言を「金目当て」と断言した勇ましいお人です。
藤原彰は41年陸士卒、大戦中の戦死者の多くが餓死だったという研究が有名な御大です。死去したとき左翼の学者からすら「これでやっと自由な研究ができる」といわれたくらいの大御所でした。このあたりは赤城艦長がよくご存知です。
これは メッセージ 1208 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: キム・ヨンア
投稿者: aldebaran09i 投稿日時: 2006/02/17 20:01 投稿番号: [1211 / 2847]
まぁ〜!自分の国の選手を持ち上げる記事なら東スポだって真面目に取り上げる。東スポの毎度おなじみ御笑いネタなのに日本中のメディアが注目しているかのような書き方。余りにもイタすぎるね。
これは メッセージ 1210 (imp_mania_jk さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1211.html
キム・ヨンア
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2006/02/17 19:41 投稿番号: [1210 / 2847]
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1210.html
すいません↓
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/17 15:48 投稿番号: [1209 / 2847]
なぜか最近2重投稿が多いです。
これは メッセージ 1208 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1209.html
斜め上の雲 9
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/17 15:36 投稿番号: [1208 / 2847]
金錫源はとくに錫元に目をかけてくれた。
「まだ若いおまえを前線に出すわけにはいかない。わしの副官がわりに連絡兵をしながら勉強しろ」
そういって、戦闘のあいまにみずから戦術や英語の初歩について講義をした。
「基礎は叩きこんでやる」
あとは自分で考えることだ、ともいった。
金錫源は、日本の陸軍士官学校を卒業したあと、北支戦線で活躍し、山西では一個大隊を率いて多勢の中国軍を撃破し、金鵄勲章功三級をもらった。少佐の身でしかも生存者が授与されるとはまことに稀有のことである。
建国まもない韓国にあっては随一の勇将といっていい。そういう人からじかに教えを受けるのは、
「とほうもない幸運だ」
と参謀長の崔慶禄大佐がいった。
金錫源は光復後、陸軍大佐として第1師団長に任じられ、韓国陸軍の建設に努力していた。日本の古武士をおもわせる剛直な性格で知られていたが、李承晩大統領に直言をおこなったため不興を買い、解任され予備役に編入されていた。前にふれたタラ事件で李承晩に抗議した第1師団長とはかれのことである。
しかし、かれは不穏な情勢を察して大田で義勇軍を組織訓練し、開戦時には軍部の要請で現役に復帰し首都師団長となっていた。
かれが錫元に目をかけたのは、同名という親しみのせいだけでなく、太平洋戦争末期の日本軍の少年兵たちをみていたこともあって、いたずらに若者を死地に送りたくないということもあったであろう。
韓国軍は押されっぱなしである。
将兵の多くが外出、外泊していて週番しか残っていない日曜日の明け方に奇襲を受けたうえ、装備にひらきがありすぎた。
余談ながら、開戦時の両軍の兵力・装備についてのべる。
北朝鮮軍の地上兵力は、7個歩兵師団11万1千人、欧州で勇名をうたわれたソ連のT−34戦車242輛を中心に編成された1個機甲旅団、そのほかに1個機械化旅団があり、火砲は122mm榴弾砲、120mm迫撃砲を最大に全軍に1610門が装備されていた。
これに対して、以前にもふれたが韓国軍は8個師団をそろえていた。とはいえ、そのうちの4個師団は2個連隊編成という旅団程度のものであり、戦車はなく、手持ちの2.36インチバズーカも57mm対戦車砲もT−34には通じなかった。
北朝鮮の航空兵力は戦爆あわせて211機。韓国は練習機と連絡機22機しかなかった。
さらに、余談。
日本の一部進歩的知識人は開戦当初から、
「南朝鮮の北侵によって戦争ははじまり、北朝鮮がそれをはね返した」
と主張していた。
かれらは、アメリカ大統領特使のダレスが6月中旬に38度線の視察をおこなったことを北侵謀議の証拠とし、在韓米軍の撤退すら先制攻撃を偽装するためのものであるとした。
アメリカのI・F・ストーンは、G・ガンサーがGHQ高官2人と日本の日光で昼食中、かかってきた電話にでた1人が「南朝鮮軍が北朝鮮軍を攻撃した」といったことを「秘史朝鮮戦争」に書いたが、杉捷夫東大教授はそれをもって韓国の北侵の証拠とした。
また、藤原彰・遠山茂樹・今井清一は共著「昭和史」において、北朝鮮軍が侵略したという理由で韓国軍が侵攻したとし、のちには、26日に北朝鮮軍が反撃して38度線を越えた、と書きくわえた。
これは メッセージ 1193 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1208.html
斜め上の雲 9
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/17 15:36 投稿番号: [1207 / 2847]
金錫源はとくに錫元に目をかけてくれた。
「まだ若いおまえを前線に出すわけにはいかない。わしの副官がわりに連絡兵をしながら勉強しろ」
そういって、戦闘のあいまにみずから戦術や英語の初歩について講義をした。
「基礎は叩きこんでやる」
あとは自分で考えることだ、ともいった。
金錫源は、日本の陸軍士官学校を卒業したあと、北支戦線で活躍し、山西では一個大隊を率いて多勢の中国軍を撃破し、金鵄勲章功三級をもらった。少佐の身でしかも生存者が授与されるとはまことに稀有のことである。
建国まもない韓国にあっては随一の勇将といっていい。そういう人からじかに教えを受けるのは、
「とほうもない幸運だ」
と参謀長の崔慶禄大佐がいった。
金錫源は光復後、陸軍大佐として第1師団長に任じられ、韓国陸軍の建設に努力していた。日本の古武士をおもわせる剛直な性格で知られていたが、李承晩大統領に直言をおこなったため不興を買い、解任され予備役に編入されていた。前にふれたタラ事件で李承晩に抗議した第1師団長とはかれのことである。
しかし、かれは不穏な情勢を察して大田で義勇軍を組織訓練し、開戦時には軍部の要請で現役に復帰し首都師団長となっていた。
かれが錫元に目をかけたのは、同名という親しみのせいだけでなく、太平洋戦争末期の日本軍の少年兵たちをみていたこともあって、いたずらに若者を死地に送りたくないということもあったであろう。
韓国軍は押されっぱなしである。
将兵の多くが外出、外泊していて週番しか残っていない日曜日の明け方に奇襲を受けたうえ、装備にひらきがありすぎた。
余談ながら、開戦時の両軍の兵力・装備についてのべる。
北朝鮮軍の地上兵力は、7個歩兵師団11万1千人、欧州で勇名をうたわれたソ連のT−34戦車242輛を中心に編成された1個機甲旅団、そのほかに1個機械化旅団があり、火砲は122mm榴弾砲、120mm迫撃砲を最大に全軍に1610門が装備されていた。
これに対して、以前にもふれたが韓国軍は8個師団をそろえていた。とはいえ、そのうちの4個師団は2個連隊編成という旅団程度のものであり、戦車はなく、手持ちの2.36インチバズーカも57mm対戦車砲もT−34には通じなかった。
北朝鮮の航空兵力は戦爆あわせて211機。韓国は練習機と連絡機22機しかなかった。
さらに、余談。
日本の一部進歩的知識人は開戦当初から、
「南朝鮮の北侵によって戦争ははじまり、北朝鮮がそれをはね返した」
と主張していた。
かれらは、アメリカ大統領特使のダレスが6月中旬に38度線の視察をおこなったことを北侵謀議の証拠とし、在韓米軍の撤退すら先制攻撃を偽装するためのものであるとした。
アメリカのI・F・ストーンは、G・ガンサーがGHQ高官2人と日本の日光で昼食中、かかってきた電話にでた1人が「南朝鮮軍が北朝鮮軍を攻撃した」といったことを「秘史朝鮮戦争」に書いたが、杉捷夫東大教授はそれをもって韓国の北侵の証拠とした。
また、藤原彰・遠山茂樹・今井清一は共著「昭和史」において、北朝鮮軍が侵略したという理由で韓国軍が侵攻したとし、のちには、26日に北朝鮮軍が反撃して38度線を越えた、と書きくわえた。
これは メッセージ 1193 (toapanlang さん)への返信です.
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Re: 解説:斜め上の雲 8
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/17 09:07 投稿番号: [1206 / 2847]
>やれやれやっとここまで来れました〜〜
このところステルストピの潜伏度がアップしてて、たまにつかまっても
延々「更新」をクリックしないと読めない有様。
きいぃぃぃっ!とヒステリー起こして暫くご無沙汰してました(笑)
たしかに最近よく潜っております。書き込む前に読むことすら一苦労です。
「ノギはどこだ?ノギの第3軍はどこにあらわれる?」
と焦燥するクロパトキンのように、所在を探知するのに必死です。(笑)
>その間に「斜め上の雲」が8まで行ってたんですね。
正直、18までは完成しています。小出しにしていかないと後がつらくなるので、逐次投入という戦略上の禁忌を犯しております。(苦笑)
>東亜さんの解説の通り、場面場面に覚えがあって嬉しくなりました。
元ネタばらしはどうかな?ともおもったんですが、主目的は時間稼ぎです(おい!)。
これは メッセージ 1205 (mamakaede さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1206.html
Re: 解説:斜め上の雲 8
投稿者: mamakaede 投稿日時: 2006/02/16 15:36 投稿番号: [1205 / 2847]
やれやれやっとここまで来れました〜〜
このところステルストピの潜伏度がアップしてて、たまにつかまっても
延々「更新」をクリックしないと読めない有様。
きいぃぃぃっ!とヒステリー起こして暫くご無沙汰してました(笑)
その間に「斜め上の雲」が8まで行ってたんですね。
東亜さんの解説の通り、場面場面に覚えがあって嬉しくなりました。
次回が楽しみですが…また潜っちゃうだろうなぁ、このトピ…
これは メッセージ 1204 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1205.html
解説:斜め上の雲 8
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/16 13:58 投稿番号: [1204 / 2847]
今回は、元ネタが4つあります。
最初の、
>ソウルはわずか4日で陥落した。
すでにふれたように坡州はソウルの北にある。北朝鮮軍が通過したあと、町のひとびとはようやく事態を解釈できた。
(ふいに殴りつけられただけで、首都があっけなく陥ちるのか)
と、元さんは、わが身に関係のあるこの事態について考え、あらためてこの政府のもろさにおどろかされた。
最後2段落は、『坂の上の雲』1巻、陸軍の学校に入った秋山好古が、西南戦争のため曾我祐準校長らまで出征してしまい、とても授業にならなかったときの表現が元ネタです。
次、
>大田で家族と別れるとき、父の信五が、
「しっかりお役に立つんだぞ」
と、息子をはげました。まわりのひとびとが涙を流しながらみなうなずいたところをみると、もはや生きては会えぬものと信じていたらしい。
同じく1巻。大阪へのぼる好古を、郷里の人々が港で見送った場面です。原文では「郷党の名誉をあげろ」とはげまされ、みんな大まじめにうなづいた。まだ藩の名誉みたいなものを信じていたらしい時代だ、というような表現でした。
>義勇軍の宿営地に行って手続きをすませると、司令部にゆくよう言われた。
司令部テントの奥のほうに司令官がいた。背はやや低めながらがっちりした男で、山賊のように背中に刀を背負っている。錫元に気づくと近づいてきて、
「おまえは何歳かな」
といった。
年齢を正直に答えれば追い返されるであろう。が、戦時中である。本人申告の真偽をたしかめられることもないと思い、
「19歳です」
と答えた。
「干支は何年かな」
「亥年です」
と答えると、司令官は笑った。19歳なら未年であるべきだった。司令官はこの少年が年齢をごまかしていることに気づいたらしいが、黙認したようだった。
ここも1巻。大阪で師範学校を受けようと申し込んだとき、年齢をごまかし、受付官が見逃してくれたのが元ネタです。
なお、韓国でも干支はあります。占いでもちゃんと十二支占いがあります。
>司令官――金錫源准将――はそういって錫元の体格を、ちょうど道具屋の手代のような目でながめていたが、やがて、
「わしのそばで連絡兵をつとめろ」
といった。
最後も1巻。東京へ出て陸軍の学校に受かったとき、係官(寺内正毅)が、好古の体格を品定めして騎兵に回すところです。固有名詞二つ「司令官――金錫源准将――」「連絡兵」以外はほぼそのままですかね。
やっと朝鮮戦争にたどり着きました。
といっても朝鮮戦争編はほぼ完成、今は李承晩について書こうとしているところです。
これは メッセージ 1193 (toapanlang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1204.html
Re: 朝鮮を笑う
投稿者: himajin92 投稿日時: 2006/02/16 11:19 投稿番号: [1203 / 2847]
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/dabaafa4rbepa4a6_1/1203.html
びふぉーあふたー
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/16 00:18 投稿番号: [1202 / 2847]
整形大国の名に恥じないです。
>[ハンギョレ] 金何某(27・食堂 運営)さんは いくら 私は 胸に シリコーンを 入れた. 女性も ない 男性である 金さんが 巨金 850満員を 投資した のは 貧弱な 胸が ‘コンプレックス’ だからだ. 運動で 筋肉を 作り のために ジムナジウムも 通って見たが 忙しくて 半分 以上は 出るの できなかった. 金さんは “このごろは ‘オルチァング’より ‘モムチァング’が もっと 株価が 高い から 胸を 成形することに 決心した”と “服を 着れば 胸 筋肉が ドドラジョ 満足する”と 言った.
筋肉があるように見せかけるんですか。
よく自慢される方がいますが、兵役いってりゃ屈強な肉体ができあがっているはずだとおもうんですが。
>男性たちが ‘入社 面接で 良い 印象を 週期 のために’ 成形手術を する のは 今 古語だ. 筋肉質 体つきと 削っておいた ような 顔, 纎細な 肌 など 自己満足の ために 成形手術を する 男性たちが たくさん 増えて 手術 部位も ますます 多様になって ある. 最近には 成形外科を 捜す 人 の中 30%を 男性が 占める 位だ. 特に 伝統的に 男性たちが たくさん する 鼻 手術 でなくとも 尻と お腹 おくれることを 阻む 地方吸入 手術は 勿論 胸 手術を する 男性たちも 増えて ある. 男性 成形 専門家 成形外科 相談室長は “10大儺 20台 男性たちは ママ 手に 導かれて 成形手術を しに 来る 場合が かなり 多い”と “初めには 恥ずかしがるが 手術 結果に 満足して 後ほど 再び 捜す これらも ある”と 伝えた.
>ソ\\\ウル 江南区 鴨鴎亭洞の たいてい 成形外科 院長は “男性 胸 手術は 女性 胸 拡大 手術と ような 原理で, 女性用より 堅い シリコーンを 入れて 胸を 筋肉質で 見えるように する 手術”と言いながら “主に 運動を 割 時間が ない 20~30台 職場 男性たちが 手術を 願う”と 言った. 彼は “まだ 手術を 受ける 人は 多いでしょう ないが お問い合わせは もっと 多い”と 付け加えた.
>弾力 ある 尻を 作り のために 女性の 専有物にだけ 思った 地方吸入を する 男性たちも 増えた. 林何某(28)さんは “他の 部位より 尻に 肉が 多くて 去る 年末 脂肪吸入術を した”と “すらっとする 体つきに 大韓 欲求が 大きかった”と 言った.
最も重要なあの手術は整形にカウントされるんでしょうか?
ええ、9センチの話ですとも。
・・・・・・・
成形外科 顧客 30%街 男性…男たちも 胸 拡大 成形手術
[ハンギョレ 2006-02-15 20:24]
http://j2k.naver.com/j2k_frame.php/japan/news.naver.com/news/read.php?mode=LSS2D&office_id=028&article_id=0000145867§ion_id=102§ion_id2=255&menu_id=102
これは メッセージ 1 (guiseinoyuu さん)への返信です.
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あっ、いた居た(ストーカーじゃぁねえヨ)
投稿者: hard_lord1978 投稿日時: 2006/02/15 18:54 投稿番号: [1201 / 2847]
居ましたね〜。こんなとこに居たんすか(笑)
オレも、ウ○コ投げつけられちゃった一人だもんね(笑)
それにしてもスゴい所っすね、ここ。
ヘイトスピーチが溢れ返ってんじゃないの〜?
オレも在日外国人の権利問題なんか、クビ突っ込んだことあんのよ。アメリカじゃイエローの苦労させられたこともあるし。
私も勝負したい!・・・・ちょっとトシくっちゃってっますけど(笑)
これは メッセージ 1200 (maiko3_geiko3 さん)への返信です.
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