Re: 解説:斜め上の雲 10
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/02/22 00:38 投稿番号: [1221 / 2847]
「えー加減なこと書いてるんちゃうんかなー。サムライさんが見たら突っ込むやろなー」とどきどきしながら書いていたりしました。(汗)
>まぁ、終戦時のチハ車(九七式中戦車)は、一式47mm戦車砲に換装した「九七式中戦車改」だったんでしょうけど。
(一式中戦車(チヘ車)も、同じ戦車砲)
福田少尉の本土移動が昭和20年の春でしたから、ほんとうは九七式中戦車改に乗っていたとおもったんですが(たしか4輌を率いて、鉄道で満州(四平かな)から釜山まで行ったはずです)、ビジュアル的に、砲身の短いただのチハ車のほうがT34との対比になるかとおもって改竄しました。
>*実戦では「70m」の距離でM4シャーマンの側面・後部装甲なら射貫できたそうですが。
これはきいたことがあります。自信はないですが、末期のフィリピン戦線での話でしたかねぇ。
>惜しむらくは、1941年には完成していた一式中戦車(チヘ車)の大口径型である、
「三式中戦車(チヌ車)」(車体は同一で、75mm野砲を戦車砲に転用)
マレー攻略の島田戦車隊にはチハ車と一式中戦車が配備されていたような記憶があるのですが。
四式のほうは、上官に「こいつがシャーマン殺しの切り札だ」とか言って見せられたと、司馬遼が書いていたような気がします。
>結局は、「用兵思想」が日清、日露のまま、だった影響かもしれません・・・
第一次大戦に陸軍が本格的に参加していなかったのも影響があるんでしょうかねぇ。
にしても、この程度の知識で私はベトナム戦争の韓国軍を書けるのか?(汗)
ネタが一個あるので避けずに書きたいんですが。
これは メッセージ 1220 (samurai_03_japanjp さん)への返信です.
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