Re: 解説:斜め上の雲 10
投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2006/02/22 00:17 投稿番号: [1220 / 2847]
>釜山の日本軍戦車を率いていた福田定一陸軍少尉にご出演していただきました。
あはは、やはりそうでしたか、福田定一陸軍少尉。
日本の戦車は「憂鬱な乗り物」
と、何かの紙面で仰ったられたそうですが。
>日本軍の97式戦車といえば、その弱さとかわいさでごく一部に熱狂的なファンを持ちますが(笑)、現在で言えば歩兵戦闘支援車に相当するでしょうね。
あー・・・そうとも言えますなぁ。
精々が、英国のブレンガンキャリアーや、ドイツのSd.Kfz251(37mm対戦車砲搭載型)なんかと、良い勝負でしたからねぇ・・・
「半装軌装甲車」(現代の歩兵戦闘車両)と良い勝負の「『軽』戦車」・・・
まぁ、終戦時のチハ車(九七式中戦車)は、一式47mm戦車砲に換装した「九七式中戦車改」だったんでしょうけど。
(一式中戦車(チヘ車)も、同じ戦車砲)
*実戦では「70m」の距離でM4シャーマンの側面・後部装甲なら射貫できたそうですが。
惜しむらくは、1941年には完成していた一式中戦車(チヘ車)の大口径型である、
「三式中戦車(チヌ車)」(車体は同一で、75mm野砲を戦車砲に転用)
これまでの「歩兵戦闘支援車両」の観念を捨て、純然たる「戦車同士のどつきあい」用に開発された
「四式中戦車(チト車)」
の、両戦車の開発に後手を踏んだ事でしょうか。
(五式中戦車(チリ車)は捨て置きます(苦笑))
1944年5月に開発がスタートし、同年10月には試作車両が完成した三式中戦車。(たった「5ヶ月」)
搭載砲の九十式野砲は1941年当時既に既存砲でしたし。
車体も一式は完成していたし。
せめて、米軍がM4を投入し始めた1943年初頭から開発を始めていれば・・・
少なくとも、射距離1000mで、M4の側面装甲なら射貫できる攻撃力ですし。
(ま、装甲はドイツの4号中戦車並み。M4やT34より薄く、英国のクルセイダーより厚い)
せめて1944年頃までは、列強中戦車となんとか渡り合えたんじゃないかなぁ・・・
四式は1942年後半に開発が開始され、44年10月に試作完了。(2年弱)
搭載砲の五式75mm戦車砲は、スウェーデンのボフォース社製の75mm高射砲をコピーした、
四式75mm高射砲を基に、砲架などを車載用に改修したものだから、高初速で貫通力も大きい。
装甲も80mm程の傾斜装甲だったから、防御力も結構ある。
少なくとも、M4シリーズでは「最強」のM4A3E8中戦車(イージー・エイト)以外なら、殴り合えたんじゃないかな。
性能的にはドイツ装甲師団の中核を占めた「軍馬」ことⅣ号中戦車より上。
*装甲、出力、機動力、攻撃力共に。
Ⅳ号はFⅡ型とG型で43口径75mm、H、J型で48口径75mm。四式は53口径75mm。M4A2、M4A3、T-34/76とほぼ互角。
言いたいのは、列強の中戦車開発はいずれも3〜5年を費やしていると言う事。
その中で、既存改良とは言え、三式中戦車の「5ヶ月」、四式中戦車の「2年弱」は驚くほどの「短期間」
結局は、「用兵思想」が日清、日露のまま、だった影響かもしれません・・・
>グレネードランチャーの源流である擲弾筒の性能が良かったのはそのせいでしょうか
後のM79グレネードランチャーを製作するきっかけになったと言われていますね。
余談ながら、アメリカ軍のテストで膝に構えて撃ってから大腿骨を複雑骨折したという話がよく知られていますが、
それが、いつ、どこで、誰がやったかはわからず、捕獲兵器を担当した教官が
「膝に構えて撃ったら骨を折るから、んな撃ち方すんじゃねぇぞ」と注意したのが一人歩きした可能性も無くはない。
あはは、やはりそうでしたか、福田定一陸軍少尉。
日本の戦車は「憂鬱な乗り物」
と、何かの紙面で仰ったられたそうですが。
>日本軍の97式戦車といえば、その弱さとかわいさでごく一部に熱狂的なファンを持ちますが(笑)、現在で言えば歩兵戦闘支援車に相当するでしょうね。
あー・・・そうとも言えますなぁ。
精々が、英国のブレンガンキャリアーや、ドイツのSd.Kfz251(37mm対戦車砲搭載型)なんかと、良い勝負でしたからねぇ・・・
「半装軌装甲車」(現代の歩兵戦闘車両)と良い勝負の「『軽』戦車」・・・
まぁ、終戦時のチハ車(九七式中戦車)は、一式47mm戦車砲に換装した「九七式中戦車改」だったんでしょうけど。
(一式中戦車(チヘ車)も、同じ戦車砲)
*実戦では「70m」の距離でM4シャーマンの側面・後部装甲なら射貫できたそうですが。
惜しむらくは、1941年には完成していた一式中戦車(チヘ車)の大口径型である、
「三式中戦車(チヌ車)」(車体は同一で、75mm野砲を戦車砲に転用)
これまでの「歩兵戦闘支援車両」の観念を捨て、純然たる「戦車同士のどつきあい」用に開発された
「四式中戦車(チト車)」
の、両戦車の開発に後手を踏んだ事でしょうか。
(五式中戦車(チリ車)は捨て置きます(苦笑))
1944年5月に開発がスタートし、同年10月には試作車両が完成した三式中戦車。(たった「5ヶ月」)
搭載砲の九十式野砲は1941年当時既に既存砲でしたし。
車体も一式は完成していたし。
せめて、米軍がM4を投入し始めた1943年初頭から開発を始めていれば・・・
少なくとも、射距離1000mで、M4の側面装甲なら射貫できる攻撃力ですし。
(ま、装甲はドイツの4号中戦車並み。M4やT34より薄く、英国のクルセイダーより厚い)
せめて1944年頃までは、列強中戦車となんとか渡り合えたんじゃないかなぁ・・・
四式は1942年後半に開発が開始され、44年10月に試作完了。(2年弱)
搭載砲の五式75mm戦車砲は、スウェーデンのボフォース社製の75mm高射砲をコピーした、
四式75mm高射砲を基に、砲架などを車載用に改修したものだから、高初速で貫通力も大きい。
装甲も80mm程の傾斜装甲だったから、防御力も結構ある。
少なくとも、M4シリーズでは「最強」のM4A3E8中戦車(イージー・エイト)以外なら、殴り合えたんじゃないかな。
性能的にはドイツ装甲師団の中核を占めた「軍馬」ことⅣ号中戦車より上。
*装甲、出力、機動力、攻撃力共に。
Ⅳ号はFⅡ型とG型で43口径75mm、H、J型で48口径75mm。四式は53口径75mm。M4A2、M4A3、T-34/76とほぼ互角。
言いたいのは、列強の中戦車開発はいずれも3〜5年を費やしていると言う事。
その中で、既存改良とは言え、三式中戦車の「5ヶ月」、四式中戦車の「2年弱」は驚くほどの「短期間」
結局は、「用兵思想」が日清、日露のまま、だった影響かもしれません・・・
>グレネードランチャーの源流である擲弾筒の性能が良かったのはそのせいでしょうか
後のM79グレネードランチャーを製作するきっかけになったと言われていますね。
余談ながら、アメリカ軍のテストで膝に構えて撃ってから大腿骨を複雑骨折したという話がよく知られていますが、
それが、いつ、どこで、誰がやったかはわからず、捕獲兵器を担当した教官が
「膝に構えて撃ったら骨を折るから、んな撃ち方すんじゃねぇぞ」と注意したのが一人歩きした可能性も無くはない。
これは メッセージ 1218 (toapanlang さん)への返信です.
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