竹島

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>一応

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/12/13 16:57 投稿番号: [6400 / 18519]
>米を物々交換で入手する必要性を考えた場合、通漁者にそれほど必要とは考えづらく、元々島民がスルメを捕っていたところへ後から1911年以降日本人入植者が入島し従事するようになったと考えるのが合理的でしょう。

スルメは加工品ですから、加工の仕方を島民は誰から習ったのかですね。

隠岐の漁民からと考えるのが妥当でしょう。

inisshieniさんへトピずれですが、

投稿者: pimann55 投稿日時: 2004/12/13 12:34 投稿番号: [6399 / 18519]
あなたの『相手への配慮が足りないという基本が
欠けている』、その通りですね。
それは、領土問題などよりも   もっともっと大切な
人格の問題です。

私は今の韓流フィーバーで韓国に興味を持った一人に
過ぎませんが、知るとどんどん面白くなってきます。
もともと古代史には興味を持っていましたから
その辺から入ると簡単です。

韓国の文化や言語がどのように日本に伝わり変化して
きたかなど興味が尽きません。

サイトがあればお教え下さい。

一応、まとめて置きます

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/12/13 11:03 投稿番号: [6398 / 18519]
家鴨と兎さんwrote:
>「明治32,3年頃から通漁、特に36年イカの饒産を発見するや、入植者急に増加す。朝鮮もこれにならってイカ釣開始。この頃奥村平太郎潜水器及びサザエ、さば缶詰開始。日露役後移住者急増、35,6年頃から邦人も海藻採集を開始したが、単独経営ではなく全部島人との共同経営。潜水器業者も早くから来島し、あわび採取、その人夫に朝鮮人を使用、大正4年頃にはすでに大分県人40人来漁移住、39年小学校開設、本島産のするめは専ら隠岐島人の開拓で、42,3年頃から石見、境、米子の商人が専門の運搬船をもって取引し、ほとんどするめと米の物々交換であった。」(古田敬市「朝鮮水産開発史」1954年、内藤正中「竹島[鬱陵島]をめぐる日朝関係史」p.156.より孫引き)

古田氏の「朝鮮水産開発史」がどの様な史料に基づいたものなのかは不明ですが、慶尚南道庁『慶尚南道道勢要覧』1911年(明治44年)に拠れば、同時期の鬱島郡の内地人漁業従事者はゼロですから、鬱陵島でスルメ取引をしていたのは隠岐などからの通漁者か、又は1290名が従事していたと記録されている朝鮮人漁業従事者(内スルメ従事するのは90人)かの何れかになります。
しかし、米を物々交換で入手する必要性を考えた場合、通漁者にそれほど必要とは考えづらく、元々島民がスルメを捕っていたところへ後から1911年以降日本人入植者が入島し従事するようになったと考えるのが合理的でしょう。

どうでもいいですが

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/12/13 10:55 投稿番号: [6397 / 18519]
私は下條氏とも内藤氏とも理解は異なりますが、ともあれ、自分の考えをまとめるにあたって両氏のご意見を参考にもしますし、韓国側の意見ももちろん参考にします。

それだけのことです。修士課程の学生にも至らないとか「大目に見ながら」論文を見るとか、いちいちここで書くほどのことではないかと思いますよ。

nochonggakkさん

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/12/13 07:36 投稿番号: [6396 / 18519]
>内藤正中も「隠岐視聴合記」の読みについて言えば誤読しています。

では、「隠岐視聴合記」のあなたの誤読でない解釈を言われたらいかがでしょう。

もう一言だけ。

投稿者: nochonggakk 投稿日時: 2004/12/13 06:02 投稿番号: [6395 / 18519]
「あなたの批判に従えば、結論的には島根大学名誉教授の内藤正中氏や文政時代の大西教保なども、現在の修士課程レベルの学生の読解力に至らないという話になりますがそういうものですか。」

大西教保はともかく、内藤正中も「隠岐視聴合記」の読みについて言えば誤読しています。内藤正中は、近世史研究者ではありませんから、史料の読みを時々誤っていることについては仕方ないなあと、いつも大目にみながら論文を拝見しています。彼の問題意識は尊重していますから。

続き

投稿者: nise_raita 投稿日時: 2004/12/13 00:58 投稿番号: [6394 / 18519]
北西の基点が厳密でないばらば・・・

竹島を日本領に含むと認識していても、隠岐を北西限と書きうるし、
竹島を日本領と認識していなくても、やはり隠岐を北西限と書きうる、ということ。

日本領から除外する方向では、残念ながら重要な資料となりえないのでは?って疑問ね。
#「日本の北西限に竹島を含む」と読めることが確定的な場合に限り、重要資料になってしまうので、とても日本側に都合のよい資料ですね(笑

乾(ヨタ話)

投稿者: nise_raita 投稿日時: 2004/12/13 00:49 投稿番号: [6393 / 18519]
>然則日本之乾地、以此州為限矣

乾って表現では、そもそも厳密な話には向かないのでは・・・
東西南北ならともかく、艮坤巽乾は基点が定まらないとずれるでしょ。

(厳密に緯度確認してないけど)京都や江戸を基点にすると、隠岐は西南西っぽいし、竹島だって北西といえるかどうか・・・(西北西くらい?)

当時、領土(?)の艮坤巽乾方向の限界に関する資料ってほかにあるのかしら?

>あまり気乗りしませんが

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/12/13 00:21 投稿番号: [6392 / 18519]
行き過ぎた批判だと思いますね。「下條氏は文献史料を読む訓練が不足しています」とも思いません。ちなみに下條氏の隠州視聴合記の解釈は私の考えと異なるものですが、かといって修士学生レベルでもあんな読みができないはずだとは思いません。

あなたの批判に従えば、結論的には島根大学名誉教授の内藤正中氏や文政時代の大西教保なども、現在の修士課程レベルの学生の読解力に至らないという話になりますがそういうものですか。研究者の卵に聞くほどの話でもありません。何冊かの本を読めば済むことです。

私は以前に韓国の学者が文献の明白な誤訳をしている事例をここで紹介したことがありますが、それでさえ、「修士課程レベル」云々だの、研究者の卵だのという言い方はしていません。それは過ぎた批判というものです。誤りがあると思えばただ論駁、批判を行えばいいことです。

「学生でもあんな読みはできないはず」という批判ではなく、指摘すべきことは指摘すべきだと思いますよ。私は下條氏を擁護する気はかけらほどもありませんし意見も違いますが。

あまり気乗りしませんが

投稿者: nochonggakk 投稿日時: 2004/12/12 23:33 投稿番号: [6391 / 18519]
一言だけ。
下條氏は文献史料を読む訓練が不足しています。文春新書は、読むに耐えません。隠州視聴合記の解釈も完全な誤りです。というより意図的な誤読です。お近くの近世史研究者の卵に聞いてごらんなさい。修士課程レベルの学生でも、あんな読みはできないはずです、ふつうは。

竹島問題についての

投稿者: spangle_of_miracle 投稿日時: 2004/12/12 20:31 投稿番号: [6390 / 18519]
今の韓国民の態度を見てると、

女子中学バスケットの試合でよく見られる、相手に取られまいと

ボールを絶対に離そうとしない醜態をいつも思い出してしまう。

隠州視聴合紀

投稿者: seonsaeng 投稿日時: 2004/12/12 19:13 投稿番号: [6389 / 18519]
>外務省が日本領の有力な根拠としてきた『隠州視聴合紀』は、実は逆に不利な材料になってしまい(注4)、「固有領土」の主張が根底から危うくなりました。

「逆に不利な材料になってしまい」とは思わないですが。「此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、然則日本之乾地、以此州為限矣」では「此二島=此州」なわけで、「以此州(二島)為限矣」と読むのが正当な読み方ですね。

>「松島(竹島=独島)渡海免許」が存在しないという事実です。

自国の領域に出かけるのに「渡海免許」が必要なのは変な話ですね。「渡海免許」は存在しなかったと言うよりは必要なかったという事でしょう。

なら話は早いわな

投稿者: k_k_kamerikkka 投稿日時: 2004/12/12 17:24 投稿番号: [6388 / 18519]
それなら早速、国際裁判所で決着つけたいもんだ。
自信があるなら是非韓国政府側から提案していただきたいものだがな。

強引に占拠し、日本漁民を殺してきた韓国の恐ろしさを早く排除したいものだよ。

韓国政府は今でも国際的に目立たぬよう大人しくしてましょう、そうすれば既成事実が出来上がりますってなスタンスだけどな。
今日本が裁判を提案しても逃げるのは、間違えなく韓国だろう。

国際司法裁判所への誤解

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2004/12/12 13:11 投稿番号: [6387 / 18519]
   半月城です。

   Re:6333
>だから、日本政府は国際裁判所で白黒付けようと言うんでしょう。

   ちょっと待ってください。現在、日本政府は竹島=独島問題を国際司法裁判所に提訴していると誤解している人が多いようですが、これは明らかな間違いです。
   意外に思われるかもしれませんが、過去 50年間、「日本政府は国際裁判所で白黒付けよう」として動いたことは一度もありませんでした。ちなみに裁判に関して、外務省のホームページは下記のように書いています。

>(注2:1954年(昭和29年)9月、我が国は本件問題につき国際司法裁判所に提訴するこ
とを提案したが、韓国側は右提案を拒否。なお、日韓両国間では国交正常化の際に「紛
争の解決に関する交換公文」を締結。)

   このように、国際司法裁判に関する話は 50年以上も昔の話です。当時、日本政府は国際司法裁判所で勝てるかもしれないと本気で思いこんでいたようです。それというのも、韓国政府側に反論に必要な日本の史料がほとんどなかったので弱かったのと、竹島=独島をめぐる多くの真実がまだ公になっていない段階だったので、日本政府はよほど自信があったようです。
   しかし、もし現段階で国際司法裁判で審議されるとなると、一番困るのは日本の外務省ではないでしょうか。それは外務省の情報隠しが満天下にさらされるためです。
   たとえば、明治政府が竹島=独島を朝鮮との関係で放棄した事実です(注1)。あるいは「松島(竹島=独島)渡海免許」が存在しないという事実です(注2)。これらは、国立国会図書館の塚本孝氏のように、竹島=独島を日本領と考える日本の学者すら認めている事実です(注3)。

   また、外務省が日本領の有力な根拠としてきた『隠州視聴合紀』は、実は逆に不利な材料になってしまい(注4)、「固有領土」の主張が根底から危うくなりました。それに追い打ちをかけるように、1905年の領土編入でも日本政府は竹島=独島を「無主地」と断定して「領土編入」したのであり、決して「固有領土」とは考えてはいなかったことも明らかになりました(注5)。
   さらに元禄期の「竹島一件」の時、江戸幕府は松島(竹島=独島)の存在すら知らなかった事実も今では明らかになっています(注6)。こうした経緯からして、どうみても裁判で日本に勝ち目は薄いとみられます。そのためか、最近の竹島=独島が関係する日韓交渉、たとえば海洋法条約関連などで国際司法裁判所の件はおくびにも話題になりませんでした。

   今や、情報隠しやウソまみれの外務省にとって、裁判は最も避けたい解決手段ではないでしょうか。もし、外務省に自信があるのなら、北方領土問題のようにしっかりした冊子ないしは資料集をつくっているはずと思われますが、現状はごく簡単なホームページのみでお茶をにごしているようです。
   将来、もし外務省の本格的な資料集が出たら、そこで明治政府の竹島=独島放棄をどう記述するのか、その時を私は楽しみにしています。

(注1)半月城通信<明治時代における松島、竹島放棄>
http://www.han.org/a/half-moon/hm095.html#No.6982
(注2)半月城通信<「松島(竹島=独島)渡海免許」>
http://www.han.org/a/half-moon/hm106.html#No.778
(注3)半月城通信<「竹島日本領派」の松島(竹島=独島)放棄への対応>
http://www.han.org/a/half-moon/hm093.html#No.672
(注4)半月城通信<下條正男氏への批判、『隠州視聴合紀』>
http://www.han.org/a/half-moon/hm105.html#No.768
(注5)半月城通信<竹島=独島の領土編入>
http://www.han.org/a/half-moon/hm095.html#No.6985
(注6)半月城通信<竹島=独島と鳥取藩池田家文書>
http://www.han.org/a/half-moon/hm092.html#No.667

だから

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2004/12/12 01:31 投稿番号: [6386 / 18519]
>鬱稜島には、青銅器時代の支石墓もあるし、その後の時代の古墳もあります。
新羅時代の寺院跡もあるしね。
文献によらないで、古代からの生活様式が分かる時代になっているのですよ。

文献だけとは誰も言っていないでしょう。

文献で歴史学的に、遺跡で考古学的に、突き止めていくわけですから。

これらどちらの面でも分からないものを「空想」したり「拡大解釈」「歪曲」するのが、禁物な訳だから。

通漁でしょうね

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/12/12 01:16 投稿番号: [6385 / 18519]
有り得るとすればですが。
つまり、大分県人40人が移住する以前には他の郡か又は日本から通っていたのならば、1911年の内地人漁業従事者ゼロも辻褄が合うと思います。
同様に、韓国人についても通漁があったか否かは慶尚南道庁の資料からは判りません。

一応、直して置きます

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/12/12 01:14 投稿番号: [6384 / 18519]
さきほどの書き込みに、内藤氏の原文(脚注番号)に誤植があり、原典を間違ったので、直して置きます。何度も訂正を入れて申し訳ありません。

>「明治32,3年頃から通漁、特に36年イカの饒産を発見するや、入植者急に増加す。朝鮮もこれにならってイカ釣開始。この頃奥村平太郎潜水器及びサザエ、さば缶詰開始。日露役後移住者急増、35,6年頃から邦人も海藻採集を開始したが、単独経営ではなく全部島人との共同経営。潜水器業者も早くから来島し、あわび採取、その人夫に朝鮮人を使用、大正4年頃にはすでに大分県人40人来漁移住、39年小学校開設、本島産のするめは専ら隠岐島人の開拓で、42,3年頃から石見、境、米子の商人が専門の運搬船をもって取引し、ほとんどするめと米の物々交換であった。」(古田敬市「朝鮮水産開発史」1954年、内藤正中「竹島[鬱陵島]をめぐる日朝関係史」p.156.より孫引き)

今日はどうもへろへろなので、今日のところはこれでこのトピでの書き込みを打ち止めにします。

この資料

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/12/12 01:07 投稿番号: [6383 / 18519]
付き合わせてみると、どうも理解に苦しみますね。なお、先ほどの資料ですが、内藤氏の本に誤植があり、脚注番号がずれていました。「島根県統計書」ではなく、古田敬市「朝鮮水産開発史」(1954)によるもののようです。

とにかく、この時期に日本人がすでに訪れており、イカ漁に携わっていたことはこの古田氏の資料に、先ほどの引用で、

…明治32,3年頃から通漁、特に36年イカの饒産を発見するや、入植者急に増加す。朝鮮もこれにならってイカ釣開始。

と示したとおりです。さきに触れたとおり私は断言はする気はありませんが、イカ漁に日本人の影響の可能性は充分に考える余地はあるかと思うという話です。

鬱陵島での漁業がこの時期においてまだ必ずしも規模が大きいものではなかったことは、不勉強な私としてはあらたな収獲でした。

李圭遠が鬱陵島をたずねたときに于山島の存在に気づかなかったのも、実は本当に島民たちも竹島(独島)の存在を知らなかった可能性もあるのかと、ふと思ったり。こうして見てみると、確かに李圭遠の日記には漁業の話よりは林業の話が出てきているような感じですし。実際に、この時期には漁業は微々たるものだったのかな、と、ちょっとこれから勉強してみようかと思っています。

リンク

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/12/12 00:30 投稿番号: [6382 / 18519]
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=73020474&VOL_NUM=00000&KOMA=85&ITYPE=0

そうだね

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/12/12 00:24 投稿番号: [6381 / 18519]
いろいろな角度から検討しないとね。

明治44年は西暦1911年ですね。
この年に発行された慶尚南道庁の『慶尚南道道勢要覧』に拠れば、鬱島郡の漁業従事者に内地人はゼロですが、スルメに従事している朝鮮人は90人となっています。
大正4年頃にすでに大分県人40人来漁移住していたとしても、1911年以降かもしれませんね。

あ、もう一つ

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/12/12 00:08 投稿番号: [6380 / 18519]
どうもすみません。また誤字です。

>…鬱陵島は日本海の孤島であるから、当然に漁業が主産業のように思われるが、「本当には安全なる漁港なし」の実情であり、

→…鬱陵島は日本海の孤島であるから、当然に漁業が主産業のように思われるが、「本島には安全なる漁港なし」の実情であり、

これについても

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/12/11 23:59 投稿番号: [6379 / 18519]
これについてもレスしておきましょうか。

>>農業主体だった鬱稜島島民が隠岐漁民の下で働いてスルメの製法を学んだ事は考えられますが。

>こんなことは考えられません。なぜって、鬱稜島島民が農業主体だという前提が間違っているからです。あの島は、平地は真ん中のカルデラにしかないからね。かぼちゃは一杯あったけど。漁業で成り立つ島ですよ、昔から。

では、こういう記述はいかがでしょうか。

「明治32,3年頃から通漁、特に36年イカの饒産を発見するや、入植者急に増加す。朝鮮もこれにならってイカ釣開始。この頃奥村平太郎潜水器及びサザエ、さば缶詰開始。日露役後移住者急増、35,6年頃から邦人も海藻採集を開始したが、単独経営ではなく全部島人との共同経営。潜水器業者も早くから来島し、あわび採取、その人夫に朝鮮人を使用、大正4年頃にはすでに大分県人40人来漁移住、39年小学校開設、本島産のするめは専ら隠岐島人の開拓で、42,3年頃から石見、境、米子の商人が専門の運搬船をもって取引し、ほとんどするめと米の物々交換であった。」(島根県統計書、明治44年、内藤正中「竹島[鬱陵島]をめぐる日朝関係史」p.156.より孫引き)

こういう資料を一つ見ても、いろいろな角度から検討の必要はありそうですよ。断言はできませんが。

日本語が

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/12/11 23:44 投稿番号: [6378 / 18519]
変なことになってしまった。失礼しました。

>読みもしないでどうしてそういう見下げた批判から入ろうとなさるのはいかがでしょうか。

→読みもしないでそういう見下げた批判から入ろうとなさるのはいかがでしょうか。

>下條教授って

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/12/11 23:37 投稿番号: [6377 / 18519]
下條氏は実際に行ってますよ。文庫本の一冊も読めば分かることですが、読みもしないでどうしてそういう見下げた批判から入ろうとなさるのはいかがでしょうか。

それはともかく、面白そうなので私も手元の資料をちらっとのぞいて見ました。下條氏はお嫌いのようですので内藤正中氏からもってきます。ただし、日本人渡航者に関する記述。

…鬱陵島は日本海の孤島であるから、当然に漁業が主産業のように思われるが、「本当には安全なる漁港なし」の実情であり、漁業のための条件は整備されていないとみるべきであろう。したがって、「住民の生業は農業を主」とすることになるが、潅漑水利の便を欠くため、伐採跡地の焼畑で大麦、大豆、馬鈴薯を生産するに過ぎない。(竹島[鬱陵島]をめぐる日朝関係史、p.153-154)

で、木材は取り尽くして海岸近くは禿山となってしまい、結局、イカ猟が来島日本人の主要な目的になっていったという話が出ています。一方、同書からの孫引きになりますが、奥原碧雲「竹島及鬱陵島」ではつぎのようにかかれているそうです(p.155)。

…韓人は和布海苔を採取するのみにて、他の漁業に従事するものなし。本邦人中、農業の傍ら漁業に従事するもの40人あり(明治38年調査)。

(具体的には本をお持ちでしたら151ページに鬱陵島からの輸出品目が具体的に一覧表になっているので確認して下さい。トドなどもあります)。

これだけでは物足りないので、いつぞやヘンチンさんがアップロードして下さった皇城日報ものぞいてみました。光武3年[1899]9月23日。

「…所産は柴胡、藁本、石楠、藤草、香草、槻木、藍竹で、土性は宜麦なりて古に牛形無角の水獣が有り、名を可之といい、海鳥が有り名を霍鳥という。
-中略-
居民は男女約三百口で、数十年来、漸次船匠商客と漁人耕夫が相随して至り、居生するが、海水が深く、魚産は未だ盛んならず、ただ海菜の運出が毎年に二千擔に多至…(原文、ハングル漢字混合文)」

で、土地は糞漑を要さず、春には大小麦、秋には薯と豆がとれることが記されています。通商としては、海菜と板木といったところ。

まぁ、和布、海苔、海藻類といった産物はあったのでしょうが、漁業は現在の我々が想像するほどには韓国人も日本人もあまりやってなかったようですね。

んん?

投稿者: diedielove999 投稿日時: 2004/12/11 23:32 投稿番号: [6376 / 18519]
どうしてでしょう?

漁業関係者(名称はいいません)からして、領有権は外交問題、あるいは、関連はあるが別物、と考えている。実際には、漁業権や操業規則の設定などによって、じわりじわりと外務省の姿勢を変えさせるようにしてゆくと同時に、日本国民の関心が高い北方領土との連携を試みておられるようですが。

一般論として、領土問題そのものというのは、現実的に考えると解決までのスパンが極端に長くなる傾向があるので、やっぱほかの事はできれば切り離したい、それも相手国との関係全体の中で捉えなおしながら出来るところですすめてゆく、というのは、ごく普通の判断じゃないか。

あるいは、日韓関係がイスラエルとパレスチナのようなのが望ましいというのなら、話は別ですが。

これは在日であるなしにかかわらず、損害をまぬがれない非現実的な話でしょう。

君はどこの国の人?

投稿者: mattouya 投稿日時: 2004/12/11 23:13 投稿番号: [6375 / 18519]
語るに落ちるね。

在日の奥さん

投稿者: mattouya 投稿日時: 2004/12/11 23:12 投稿番号: [6374 / 18519]
あなたの奥さん、お気の毒ですなあ。
常にこういう偏見にさらされているとは(笑)

>>竹島に関して漁業の問題と別個に協議されているようにです。
  >私を、あなたが在日だと確信させたのは、この部分です。普通の日本人は、そこまで知らないですから。

普通の日本人って、どこにいるのです?
そんな最小公倍数だか最大公約数だかの抽象的な存在はないですよ。
いろんな考えがあって、それが日本と言う国を形作っています。
知識がなければ馬鹿にして、あれば、お前は日本人ではない、ですか?
貧困な魂。お気の毒。

言いたいのは

投稿者: ichibacho 投稿日時: 2004/12/11 23:09 投稿番号: [6373 / 18519]
日本人でもないくせに日本人のふりは止めなさいと。お休みなさい。

何が言いたいの?

投稿者: mattouya 投稿日時: 2004/12/11 23:04 投稿番号: [6372 / 18519]
聖霞神堂へも行ってきましたよ。
この伝説も当然知っています。
それで〜〜〜?
何が言いたいの?

「鬱陵島には、古代から人が住んで、豪族や王を中心に、秩序ある生活をしていた」なんてことはないといいたいの?
それとも、藻を取る程度で、船で遠出をして漁業は行っていなかったとでも?

そんなこと、この文章にはちっとも書いていないけどね。
「豊作や豊漁を祈願して」と言う言葉で、
米の豊作でも想像しましたか?

まあ一回自分で行って御覧なさい。
火山性の島とはいえ、水は豊富ですよ。
石だらけの崖を開墾して、棚田でも作ってみてください(笑)

こんばんは

投稿者: ichibacho 投稿日時: 2004/12/11 22:40 投稿番号: [6371 / 18519]
>竹島に関して漁業の問題と別個に協議されているようにです。

私を、あなたが在日だと確信させたのは、この部分です。普通の日本人は、そこまで知らないですから。

>私が在日だと思う根拠はなんですか。それがあなたの偏見の証明じゃないかな。

家内が在日で偏見はないつもりです。何でも偏見としようとするのは、在日の証拠ですね。

まっとうやさん

投稿者: diedielove999 投稿日時: 2004/12/11 22:35 投稿番号: [6370 / 18519]
>「軍事行動に出るには国民が歩調を整えないと無理があるからね。」
なんて考えは憲法違反なのにデス。

健全ですねえ。

いま、それを言える人が少なくなってきているんですから。

なんで?

投稿者: diedielove999 投稿日時: 2004/12/11 22:32 投稿番号: [6369 / 18519]
あのねえ、このトピは竹島のトピで、尖閣諸島じゃないですよ。
尖閣諸島であっても、資源問題と領土問題とは、おそらくどこかで分かれさせられてゆくと、予測しています。
ちょうど、竹島に関して漁業の問題と別個に協議されているようにです。

要するにあなたに言いたいのはね、領土問題もまた政治的なトレードの一つに過ぎないって事です。

で、私が在日だと思う根拠はなんですか。
それがあなたの偏見の証明じゃないかな。

>所詮孤島

投稿者: ichibacho 投稿日時: 2004/12/11 22:21 投稿番号: [6368 / 18519]
>国としてロスを出してでも領土問題は解決すべしなどという農村的、あるいは漁村的発想が日本をだめにしている。

どうですかね。あなたの理論は、領土問題関連地域で原油が発見された時点で潰れる理論です。

>そんなものにはらう税金はない。あったらさっさと外貨預金でもするからね。

そんなものに税金は払いたくないということですね。わかりますよ、もし、あなたが在日ならば。

所詮孤島、冷めた目で見よう

投稿者: diedielove999 投稿日時: 2004/12/11 22:09 投稿番号: [6367 / 18519]
異議あり、ですな。

国としてロスを出してでも領土問題は解決すべしなどという農村的、あるいは漁村的発想が日本をだめにしている。

ロシアが二島返還論に言及し始めている。
もともとロシアは二島だろうと四島だろうと、ソビエト時代から領土問題の存在そのものを否定する立場をとってきたのだが、このところに来て感触が変わりはじめた。
つまるとところ所詮領土問題もまた、政治的なトレードの対象の、一部分でしかないって事なんだ。

そろそろ、そういうものだと分かって国家と付き合う時代に入ってきているという事なのかもしれない。

いずれにしても領土問題だから、共存発展という大きな流れよりも以前の問題という態度は、そろそろ放棄すべきだ。

だいいち、竹島は、日本側からはメリットは皆無な孤島だし。欝龍島からでも独島に行けば観光客の昼間の日程は完全につぶれてしまう距離にあり、ゆれにゆれる船の中で往復4時間以上を過ごさなければならない。それより遠い日本側からは、おおよそ観光資源にさえ、ならない。
無用の長物(でさえないか。)だ。

都会の人間には、たかが国への思い入れのために、こんな地域に管理費をかける感覚は、なじまない。
そんなものにはらう税金はない。
あったらさっさと外貨預金でもするからね。

まっとうやさん

投稿者: ichibacho 投稿日時: 2004/12/11 21:59 投稿番号: [6366 / 18519]
敢えて反論しませんが、みっともないですよ。

>文献によらないで、古代からの生活様式が分かる時代になっているのですよ。

http://www5b.biglobe.ne.jp/%7Ea-fujita/hoko.html

これでも読んで下さい。これを、どう読むかはあなたの自由ですが、歴史は人なんだと。

文献史学の

投稿者: mattouya 投稿日時: 2004/12/11 21:33 投稿番号: [6365 / 18519]
限界ですかね。

鬱稜島には、青銅器時代の支石墓もあるし、その後の時代の古墳もあります。
新羅時代の寺院跡もあるしね。
文献によらないで、古代からの生活様式が分かる時代になっているのですよ。

下條教授って

投稿者: mattouya 投稿日時: 2004/12/11 21:23 投稿番号: [6364 / 18519]
鬱稜島へ行ったことあるんですかあ?
こんなこと書いているとしたら、他のことも信じられませんね。
行って地形を見たら、あなたにも分かりますよ。
一度行ってらっしゃい。

反論>ええかげんなこと

投稿者: ichibacho 投稿日時: 2004/12/11 20:53 投稿番号: [6363 / 18519]
>文書についても、決着がついたと思えぬが、文書に残ったことが人間の歴史の全てではない。

歴史とは、そういう物です。ただ、文章に残っていないからといって、あなたのようにええかげんな推測をするのは危険ですね。

>鬱稜島島民が農業主体だという前提が間違っているからです。

下條教授の「竹島は日韓どちらのものか」の125ページには、「1910年発行の『韓国水産誌』によると、鬱稜島の住民は元農業を主とし、漁は採藻のみ。。。常に耕作を専業とす、漁業は絶えて従事するものなく、まったく知らざるものの如しの状態にあった」とあります。

あなたの前提が間違っていますね。

れ:漁場の共有

投稿者: jaway 投稿日時: 2004/12/11 20:50 投稿番号: [6362 / 18519]
>韓国ニュースでも、獲る漁業から育てる漁業を唱えているのを見ましたよ。

韓国の言うところの育てる漁業は漁場を作る、
と言う者では無く、養殖の事じゃないでしょうかね?

韓国のニュースを探しても魚礁の投入とかは見あたらないし。

養殖の廃棄物が壱岐や対馬に大量に漂着して困ってますが・・・

>取締りとなれば、韓国は結構厳しいですよ。人権問題が心配になるくらい

それはあるね。殴る蹴るは当然だから。

漁場の共有

投稿者: mattouya 投稿日時: 2004/12/11 20:36 投稿番号: [6361 / 18519]
韓国ニュースでも、獲る漁業から育てる漁業を唱えているのを見ましたよ。
こんなものは、漁業者自身にとっても、利益になるのだから、お互いの国が話し合って決まりを作れば、可能な話です。
法律破りはどこにでもいるでしょうが、そこは取締りをするしかありません。
取締りとなれば、韓国は結構厳しいですよ。人権問題が心配になるくらい(笑)
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