これについても
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/12/11 23:59 投稿番号: [6379 / 18519]
これについてもレスしておきましょうか。
>>農業主体だった鬱稜島島民が隠岐漁民の下で働いてスルメの製法を学んだ事は考えられますが。
>こんなことは考えられません。なぜって、鬱稜島島民が農業主体だという前提が間違っているからです。あの島は、平地は真ん中のカルデラにしかないからね。かぼちゃは一杯あったけど。漁業で成り立つ島ですよ、昔から。
では、こういう記述はいかがでしょうか。
「明治32,3年頃から通漁、特に36年イカの饒産を発見するや、入植者急に増加す。朝鮮もこれにならってイカ釣開始。この頃奥村平太郎潜水器及びサザエ、さば缶詰開始。日露役後移住者急増、35,6年頃から邦人も海藻採集を開始したが、単独経営ではなく全部島人との共同経営。潜水器業者も早くから来島し、あわび採取、その人夫に朝鮮人を使用、大正4年頃にはすでに大分県人40人来漁移住、39年小学校開設、本島産のするめは専ら隠岐島人の開拓で、42,3年頃から石見、境、米子の商人が専門の運搬船をもって取引し、ほとんどするめと米の物々交換であった。」(島根県統計書、明治44年、内藤正中「竹島[鬱陵島]をめぐる日朝関係史」p.156.より孫引き)
こういう資料を一つ見ても、いろいろな角度から検討の必要はありそうですよ。断言はできませんが。
これは メッセージ 6360 (mattouya さん)への返信です.
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