竹島

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修正要求

投稿者: nobuo_shoudoshima 投稿日時: 2004/02/06 11:42 投稿番号: [3581 / 18519]
>何ら道理のない韓国の「実行支配」

「不法占拠」です。

( ´H`)y-~~

そうでしょうか。

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/06 11:14 投稿番号: [3580 / 18519]
>なんかこーゆう問題って、「日韓」ちゅう間柄からして、一部「骨肉」になってそうで、

韓国の武装占拠、所謂実行支配にはなんら道理もありません。最も反日的なかの「赤旗」でさえそう言っています。

>もう、首相と大統領がジャンケンか、アミダクジとかで決めれ。

これは冗談としても、もしも何らかの手続きによって韓国が竹島を失うことになったらどうなると思いますか。多分、韓国側の政権は危機に陥り、死者も出るかもしれません。

>あとど真ん中に線ひいて、半分こでもいい。幼稚園風に、ほのぼの決めれ。俺、日本人だけど、とにかくもう仲良くしてーんだよ、隣同士。そんだけ。

情況をご理解ください。韓国が国際司法裁判に応じ、同意すればそれで全てが済むことなのです。まずは話し合いから始め、それから妥当な道筋を求めればいいこと。仲良くするためにまずはその解決のための方法の合意が必要ですが、それを韓国が避けているだけの話です。

何ら道理のない韓国の「実行支配」に、もう仲良くしたいから何とかしてくれ、というのは普通で考えれば国益に沿うものでもなく、また冷静な議論でもないと思います。

仲良く

投稿者: tydkemvo 投稿日時: 2004/02/06 08:14 投稿番号: [3579 / 18519]
>俺、日本人だけど、とにかくもう仲良くしてーんだよ、隣同士。そんだけ。

いまの日韓関係は過去の歴史などいろいろひきずっていて、贖罪意識や遠慮、屈折した加害者意識、被害者意識などがあって、
まともに話し合いができていない部分があると思います。

竹島問題を感情的にならずに冷静に話し合い出来るようになったとき、本当の意味で日韓が友人になれると思います。

誰か書いてるかもな〜

投稿者: youusajfk 投稿日時: 2004/02/06 01:43 投稿番号: [3578 / 18519]
なんかこーゆう問題って、「日韓」ちゅう間柄からして、一部「骨肉」になってそうで、前の書き込み見んの怖いからわからんが(^^;)。眠いのもあんだけど(笑)

もう、首相と大統領がジャンケンか、アミダクジとかで決めれ。もちろん両国TV生放送だ。瞬間視聴率すげ〜・・・かな?

あとど真ん中に線ひいて、半分こでもいい。幼稚園風に、ほのぼの決めれ。

俺、日本人だけど、とにかくもう仲良くしてーんだよ、隣同士。そんだけ。

韓国領だと証明できる物

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/06 00:41 投稿番号: [3577 / 18519]
>竹島(韓国名、獨島)が韓国領だと証明できる物は何もないと言うことだ。

逆説的に言うと、証明出来ない為に、島の側面にわざわざ「韓国領」と書いてまで嘘を通している訳だ。 (笑)

http://www.ullungdo.com/spboard/board.cgi?id=kch_photo&action=view&gul=187&page=5&go_cnt=

韓国側の言う「三石列立」

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/05 22:10 投稿番号: [3576 / 18519]
は、「独島」の西島の北、約300mの「水犬岩石(Mulgae Bawi)」のことだが、こじ付けも此処まで来ると、韓国側が可哀想に思えてくるな。

要は、竹島(韓国名、獨島)が韓国領だと証明できる物は何もないと言うことだ。 (笑)

http://www.ullungdo.com/spboard/board.cgi?id=kch_photo&action=view&gul=82&page=10&go_cnt=

観音島の隣のもう一つの島 II

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/05 13:34 投稿番号: [3575 / 18519]
>航路標識なり船舶・軍などの問題で削った可能性は出てきますね。

実際にそうであるとすれば、証拠隠滅だね。

天理大学の藤田明良氏も、2000年の鬱稜島訪問で「かって棲息していた『可支(カジェ=ニホンアシカ)』に関する聞き取りをおこなったが、この海獣の記憶が領有問題と結びついて再編されていることを強く感じた」と言っているのが興味深い。

韓国側が「獨島」の旧名と主張する「可支島(1794年)」も鬱稜島で或る可能性を抹消する意図が読み取れる。 (笑)

http://www5b.biglobe.ne.jp/%7Ea-fujita/hoko.html

重要情報

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/05 10:37 投稿番号: [3574 / 18519]
そうですか。観音島のそばに「小島」なり岩礁などがあったとすれば、現在はそれが見当たらないわけですから、航路標識なり船舶・軍などの問題で削った可能性は出てきますね。

しかも航路標識の工事は2000年になされていますので時期的にも話は合います。金自周の探査問題や李奎遠の地図の正確性を考える上で重要情報かと思います。

たしかにインターネットの鬱稜島地図でも観音島の近くにつぶのような点がついているものがあり、ここで話題になったこともあったようですね。写真が見つからずその後、話の展開はなかったですがそれは決して誤りではなかったのかもしれません。

とにかく「消えた」島・岩礁が、巌石列立に見えるものであれば、金自周の探査は完全に鬱稜島に合致することになりますね。

観音島の隣のもう一つの島

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/05 07:04 投稿番号: [3573 / 18519]
1999年発行の「鬱稜島観光案内図」に拠ると、観音島が竹嶼を面する南東側すぐのところに孔岩に付属する「小島」と同じくらいの大きさの小島があり、その小島の東、約50mに岩礁があるのが見えるがね。

地名の意図的な変更

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/05 06:31 投稿番号: [3572 / 18519]
そのページの「三仙岩」の図に出ている「船艙(ソンチャン)」だが、「鬱稜島外図」では「倭船艙」と漢字で大きく書かれている事から要所だったことが分かる。

この地名も、いつ意図的に変更されたのかな?(笑)

http://www.scubakorea.or.kr/scuba/ulrung3.htm

http://www.ullungdo.com/map/11.htm

電波少年さん

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/04 20:49 投稿番号: [3571 / 18519]
航路標識ですね。海洋観測システムがあるようです。にょきりと航路標識が水面から出ていますね。お示し下さったページの画像に書いてある「-3」などの数字は水深を示しますが、このサンジョンチョは大変に水深の浅い暗礁ですね。

水流が非常に強いポイントでダイビングの難関でもあるようです。ここに航路標識ができたのは2000年のことのようです。工事をした会社の名前まで分かりますが具体的な工事内容は不明です。

ハングルでサンジョンチョを検索するといろいろ出てきましたが、もともと岩礁だったと言う話は出てきませんでした。しかし、どうも観音島のあたりに、何かがあったのではないかという気はしています。

というのは李奎遠の鬱陵島地図の島は大きさなどは不完全ですが、島の存在を知らせる意味では、観音島の隣の島以外はほぼ正確であるからです。まぁ、これは推測に過ぎない話で、なんともいえません。このサンジョンチョは興味深いですね。

tanakasan

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/04 20:04 投稿番号: [3570 / 18519]
1wo 2ni kaete kudasai.

1ha "kyouseiteki" no imi.
2ha "kojituke" no imi.
"kaisyaku" to iu tango ha onaji nanode sonomama de iidesu.

sorekara 1wo 2ni henkan site usironi hankaku space wo hitotu irete kudasai. "kojituke"to "kaisyaku"no aidade wakatigaki simasu.

1. 悪薦旋昔

2. 常走

連続投稿ですいません。

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/04 17:13 投稿番号: [3569 / 18519]
↓でリンクを貼った地図には観音島の東北東に小島がありますね。どうも灯台のようなものらしい?   のですが、元々は岩礁だったのではないでしょうか?   なにもない所に灯台を海底からは作らないと思います。

鬱陵島外図の観音島の横の島とも整合がとれますし、この岩礁を列立した岩に見立てると全てのつじつまが合います。

どうでしょう?

先ほど紹介したHP

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/04 16:39 投稿番号: [3568 / 18519]
ですが竹嶼と観音島付近です。

下記のHPの地図にポイントが示されてます。地図よりリンクになってますので位置関係の推測にお役たてください。

http://www.scubakorea.or.kr/scuba/map/ulrungdo.htm

こんなHPを見つけました。

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/04 16:03 投稿番号: [3567 / 18519]
とは言え韓国語は全くダメですのでよくわかりません。

竹嶼付近の海底岩礁を表示したものと思いますが、そうすれば500年前には海上にこの岩礁が露出していたとも推理できます。

この辺までが私の調査能力の限界でしょうから、あとは皆さんにお任せします。

http://www.scubakorea.or.kr/scuba/map/ulrung2.htm

http://www.scubakorea.or.kr/scuba/ulrung3.htm

HPを修正しました。

投稿者: Tanaka_Kunitaka 投稿日時: 2004/02/04 01:27 投稿番号: [3566 / 18519]
>同じところの赤字部分「仮に于山島が竹島だとして、何故この
>無人島が人の住める鬱陵島より優先し、于山国という国名に
>なるのであろうか?」ですが、これが、「仮に于山島が優先し、
>于山国という国名になるのであろうか?」と訳されています。
>ミスでしょう。これは必ず訂正してください。

出来ました。ご覧下さい。
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/Takeshima/

上記2ページに書かれてある「強制的な解釈」というフレーズを
この掲示板に貼り付けて下さい。

電波少年さん

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/04 00:25 投稿番号: [3565 / 18519]
はじめまして。

私は東と言うより、北東です。「巖石列立」については正直、私もよく分かりません。文章の印象では必ずしも海中にある石とは限らず、観音島と竹嶼のあいだから見える本島のがけにそれらしきものはないか(現在の海上滝のあたりでしょうか)、という気もしますが、難しいところです。

それにしても、そのあたりの写真がどうも見当たりません。軍事施設でもあるのでしょうか。詳しい地図も見つけることができません。さしあたり19世紀の李奎遠の調査における鬱陵島外図を見ますと、まぁ記述のように見えないこともありませんが。

また、李奎遠の地図では観音島の隣にもう一つ島が出ているのですが、この島は何なのでしょうか…あるいはここに列立したかに見える島が以前は本当にあったのか…。これまた不明です。まさか、島をつぶすようなことは無いでしょうが。

浚渫などいろいろ考えて見てもいいかとは思います。でも、それにより岩を削ったり小島をつぶしたりすることなどあるものでしょうか。韓国グーグルで「鬱陵島   浚渫」で60程度ヒットしましたが、よく分かりませんでした。

ちなみにGaenaraさんは、また違うお考えのようです。鬱陵島外図についてはご存知でしょうがもしもお手元に画像がなければGaenaraさんの3547のリンクをご参照ください。

鬱陵島の詳細地図が見当たらないこと、また観音島周辺の写真が手に入らないことが大変痛いです。やはり、何か軍事的な理由でもあるのでしょうか。韓国ヤフー地図でも鬱陵島は除外ですし、地図サイトでも同様…。どうなっているのでしょう。

「見える」と「見た」とは

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/03 23:28 投稿番号: [3564 / 18519]
全く違います。

隠岐< -- ->鬱陵島を毎年航海していた日本人ですらその航路上にある竹島を発見するのに25年かかってることを考えると鬱陵島から竹島が見える事実をもってしても「見た」と言えないところがおもしろいんですよ。

韓国側資料に「竹島が見えた」と合理的に解釈できる資料がない事も頷けますね。

>竹島は

投稿者: neokon123 投稿日時: 2004/02/03 23:17 投稿番号: [3563 / 18519]
>国際審判に任せる。
韓国は選択条項を受託していないみたいですよ。

>鬱陵島からとにかく絶対見ること。最新兵器使用可能。

どうして鬱陵島から竹島が見えることが(竹島のことですよね?)領有権と関係するんですか?

>その時の条件を報告すること、そして素直に二人は土下座すること。

思わず笑ってしまったv(^^)

竹島は

投稿者: Jin_Kidney 投稿日時: 2004/02/03 23:00 投稿番号: [3562 / 18519]
国際審判に任せる。

観光側の参加者に、半月城さんとアホーさんを選ぶ。
寒くて気の毒ですが、アフリカの視力のいい人を連れてくる。
鬱陵島からとにかく絶対見ること。最新兵器使用可能。

その時の条件を報告すること、そして素直に二人は土下座すること。

どうして?

投稿者: neokon123 投稿日時: 2004/02/03 22:52 投稿番号: [3561 / 18519]
国際法上の権限である領域権を争うのに
どうしてみなさん歴史の話しをしているのですか?

ahirutousagi2さん初めまして

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/03 22:49 投稿番号: [3560 / 18519]
よろしくお願いします。

風景描写の件ですが、私も鬱陵島を東から見て本島以外を列記したと推察するのが一番合理的と思えます。

その場合の問題点はahirutousagi2さんもご指摘の「巖石列立」につきると思われます。

鬱陵島付近の写真を検索エンジンにて多数確認しましたが観音島の南東周辺には岩礁は見えませんでした。
で、推測として浚渫された可能性はないでしょうか?   岩礁があれば北から港に入るのに邪魔になります。

日本語で検索してもそのような記述は当然確認できませんでしたので何の裏づけもありません。ただの推理です。

もし、どなたかが韓国語で検索すれば見つかる可能性もあります。もちろん日本国内ですら浚渫の記録をWEB上で見つけるのは難しいので無理かもしれませんが。

現在の目

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/03 20:35 投稿番号: [3559 / 18519]
>いいえ、竹や木が鬱蒼と茂っていれば、土地の産物として、重要な成果を報告しないのは全く不自然です。

ある程度離れて島を見て、そのまま帰ってきたのですから、産物などの成果は詳しくは言いようがないでしょう。図に記せばそれまでです。民が逃げて住むような島(と考えたはず)なら木も生えていましょう。その点は別に不自然だとは思いません。

>そして金自周の報告を素直に読むならば、どこにも書かれていない木や竹を勝手に書き加えることもできません。

原文は以下の通り(部分引用)。

「西距島七八里許到泊 望見則 於島北 有三石列立 次小島 次巖石列立 次中島 中島之西 又有小島 皆海水通流 亦於海島之間 有如人形 別立者三十 因疑 不得直到 画島形而來 臣等…」

さて、ここにはなるほど木や竹は書かれていません。「島」(本島)のことはなにも書いてないようです。独島ならば岩礁の島とでも書いてあればいいのでしょうが、そういうのでもありません。

私は金自周が鬱陵島の北東から見たように判断していますが、鬱陵島と考えるにせよ、独島と考えるにせよ、ここに記された風景を見出すのはなかなか簡単ではなさそうです。これについてはすでに1400あたりで議論がありました。結局、あの議論に行き着くのでしょう。

私見では、鬱陵島の場合「巖石列立」「海水通流」をどう見るかというのは確かに問題がないわけではないですね。しかし移住するものがいたりするなど、周辺の資料と付き合わせれば、鬱陵島と見るのが妥当かと判断しています。

さらに、中島・小島という表現にも注目できそうです。本島を「大」として暗示しているとすると、それに次ぐ竹嶼が中島、観音島その他の島が小島となる、大・中・小の対応関係が文章の背景にあるような気もします。ま、これは完全に、私の感覚的な読み方の話ですが。

で、案内人の金漢京は咸鏡道から見えるとしているのですが、独島は咸鏡道から肉眼で目視が可能でしょうか。

>勘違いしないで頂きたいのは、現在残された記録では成宗7年の記録で初めて二島の認識が確認できるだけと云うことです。これは現在の我々の問題です。

二島論については置いておきましょう。

三峰島=鬱陵島 II

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/03 20:06 投稿番号: [3558 / 18519]
ところで、1476年に金自周が「於島北」と書いた理由が、2000年に日本人の盛某の「同じ風景が続くため突出した見所というと少なく感じるかもしれません。偏差値の高い地区は、やはり島の北側になるでしょう」と言っているところから、500年以上経っても、共通した認識が持てる事が興味深い。(笑)

http://member.nifty.ne.jp/VEA02651/ullungdo_2.htm

石島=観音島

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/03 18:55 投稿番号: [3557 / 18519]
観音島の対岸にある石圃(Seokpo)という地名だが、「後日、村名を決める時に、石が多い事から「石圃」にした」とあるように、「後日」とは何時の事なのか、そして観音島も、石から成っている事から「石島」にした時期があったのか、という疑問が湧いてくる。(笑)

http://www.ulleung.or.kr/ull/ull06_2.php

>ややこしくない

投稿者: henchin_pokoider01 投稿日時: 2004/02/03 15:17 投稿番号: [3556 / 18519]
>島の東に停泊したかもしれない、そこから透視術を使って島の北側も見えるかも知れない、等々の勝手な推測

「三石列立」はアラビア数字の3説、磁極の90°移動説を再び持ち出すつもりかい(笑)

付け加え

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/03 14:50 投稿番号: [3555 / 18519]
さっき書き忘れましたが彼らの探している三峰島は賦役逃れの人が逃げ込んでいる島です。

ですので探索している島は緑があり、人が住める島を探したでしょうね。

>>現在の目

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/02/03 14:36 投稿番号: [3554 / 18519]
>>だからこそ大臣達も大竹や木々が鬱蒼と茂る鬱陵島とは明らかに異なると判別できたのです。

>それは違うでしょう。もしも竹や木が鬱蒼としげる図面であったとしても「島」が未知のものであった以上、それはそれで受け入れたことでしょう。そもそも鬱陵島の地勢を把握できる図面なるものもどの程度の精度のものがあったかは不明です。

いいえ、竹や木が鬱蒼と茂っていれば、土地の産物として、重要な成果を報告しないのは全く不自然です。
そして金自周の報告を素直に読むならば、どこにも書かれていない木や竹を勝手に書き加えることもできません。

>しかし、その後、金自周のことが出てこないで朴宗元の失敗探査が別のところなどで引用されるところを見ると、金自周の調査はあまり受け入れられていなかったのかもしれません。

勘違いしないで頂きたいのは、現在残された記録では成宗7年の記録で初めて二島の認識が確認できるだけと云うことです。これは現在の我々の問題です。
実際にはそれ以前に二島認識が確立していれば、当時は金自周の報告を殊更に重要視する必要はないのです。

そうかも知れませんね。

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/03 14:21 投稿番号: [3553 / 18519]
彼らの探索目的は鬱陵島本島ではなく鬱陵島の近くにあるであろう三峰島ですから。

風景描写も鬱陵島本島ではなく、その周辺の島のみを描写したんでしょうね。

そう推察すると鬱陵島本島と図画が違っていてもなんら矛盾がないみたいですね。

>現在の目

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/03 14:19 投稿番号: [3552 / 18519]
>承政院日記も三峯島画図も残されていない現在とは異なり、金自周の報告当時には、より詳細な報告がなされ図画も添付されていたことは明らかです。

もちろん、そうです。

>だからこそ大臣達も大竹や木々が鬱蒼と茂る鬱陵島とは明らかに異なると判別できたのです。

それは違うでしょう。もしも竹や木が鬱蒼としげる図面であったとしても「島」が未知のものであった以上、それはそれで受け入れたことでしょう。そもそも鬱陵島の地勢を把握できる図面なるものもどの程度の精度のものがあったかは不明です。

しかし、その後、金自周のことが出てこないで朴宗元の失敗探査が別のところなどで引用されるところを見ると、金自周の調査はあまり受け入れられていなかったのかもしれません。

金自周探査から5年経っても、永安道監察使が三峰島の存在さえも明確に把握しておらず、民が島に移住することなど申し述べているところを見てもそこに独島の知見はありません。

大臣たちがどう考えたかは資料から確認できませんが、結果としては三峰島は鬱陵島を指す言葉として後に随所に見られますし、金自周が独島を確認したと引用する書籍も後にあったわけでもなさそうです。

現在の目

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/02/03 13:57 投稿番号: [3551 / 18519]
承政院日記も三峯島画図も残されていない現在とは異なり、金自周の報告当時には、より詳細な報告がなされ図画も添付されていたことは明らかです。
実録にも画があったことは記録されています。
だからこそ大臣達も大竹や木々が鬱蒼と茂る鬱陵島とは明らかに異なると判別できたのです。

>現在の目からするとそれは鬱陵島・独島ではなく、鬱陵島ただ一島を指すに過ぎなかったのです。

どんな目をお持ちなのか、理解できません。

大事と思われる

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/03 13:52 投稿番号: [3550 / 18519]
風景描写のくだりが二の次三の次の問題になってしまいましたね。ご愁傷様です。笑

結局、竹島(独島)に風景描写と一致する視点は見つからなかったんですか?

>まず鬱陵島である可能性を完全に排除...
りっぱな資料理解の姿勢ですね。
感服しました。

>必然性

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/03 13:45 投稿番号: [3549 / 18519]
>そもそも三峯島が鬱陵島であるならば、新たに鬱陵島を捜得する必要はないわけです。

もちろん、そうです。

>成宗7年条の記述を見ても明らかなように、政府は三峯島を鬱陵島とは別の島と考えていました。

もちろん、そうです。

>同条に記された金自周の報告は、まず鬱陵島である可能性を完全に排除して読まねばならんのです。

金自周は金漢京の案内で「三峰島」に出かけたわけですが、この金自周も永興の人でした。鬱陵島の存在は知っていても行ったことはなかったのでしょう。金漢京の言うままに「三峰島」をそのまま「三峰島」と考えただけかと思います。しかし、それは結局、現在でいう鬱陵島にほかならなかったということです。

朝廷が二島と考えたことはそれはそれでいいでしょう。しかし、それは独島をすでに認識していたことを意味することにはなりません。現在の目からするとそれは鬱陵島・独島ではなく、鬱陵島ただ一島を指すに過ぎなかったのです。

「獨島」を「四峰島」と読む必然性

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/03 13:41 投稿番号: [3548 / 18519]
>西から見たとか、東から見たとかは、二の次三の次の問題に過ぎません。

確かにな。「三峰島=獨島と読む必然性」は分かるが、現実には「獨島」を「四峰島」と読む必然性もあるな。(笑)

http://www.ullungdo.com/spboard/board.cgi?id=kch_photo&action=view&gul=271&page=1&go_cnt=

三峰島=鬱陵島

投稿者: Gaenara 投稿日時: 2004/02/03 13:02 投稿番号: [3547 / 18519]
>獨島を描いた絵が残されていないので、当時の様子を生々しくお伝えできないのは残念ですが、実録に要約された文章でさえも、明らかに鬱陵島と三峯島は別島だと分かります。

「西距島七八里許到泊 望見則 於島北 有三石列立 次小島 次巌石列立 次中島 中島之西又有小島 皆海水通流」の記述を1882年の「鬱陵島外図」と併せて見れば、「三峰島=鬱陵島」なのは明白だな。

同外図の北東に描かれている「四石列立」は作者のケンチャナヨなミスで実際には「三石列立」、今の「三仙岩」に当たる。その西隣に大きく描かれている岩は、実際には其の次に描かれている岩(「孔岩」=「中島」)よりも小さい「竹岩」で「小島」に当たると言える。

次に、同外図北側に内方向へ二つ描かれているのが、「巌石列立」、今の「ソンゴット山(又はソンゴット・バウィとも呼ばれる)」に当たる訳だ。 因みに、「バウィ」は朝鮮語で巌石の意味だな。(笑)

http://www.ullungdo.com/map/11.htm

三峯島=獨島と読む必然性

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/02/03 12:48 投稿番号: [3546 / 18519]
金漢京ら永安道の民間人が鬱陵島を三峯島と呼称していた可能性と、政府のそれは切り分けて考えねばなりません。
そもそも三峯島が鬱陵島であるならば、新たに鬱陵島を捜得する必要はないわけです。
成宗7年条の記述を見ても明らかなように、政府は三峯島を鬱陵島とは別の島と考えていました。
そのことは、往年の朴宗元は至らず還った(鬱陵島には至った)のに金自周は到達した旨を大臣達が述べたと記録されていることからも疑う余地は全くありません。
同条に記された金自周の報告は、まず鬱陵島である可能性を完全に排除して読まねばならんのです。

西から見たとか、東から見たとかは、二の次三の次の問題に過ぎません。

>ややこしい

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/03 12:34 投稿番号: [3545 / 18519]
そうです。資料はまずそのままに読むべきです。私は金漢京が独島のことを三峰島と考えていた可能性はまったくないと思います。咸鏡道から見えるといっているのですから。

以前に触れましたが、金自周の「西距島七八里許到泊…」ですが、これは「西に島を隔てて7・8里ばかり…(つまり船は東側)」でしょう。

こういう用例は「西距」でググると現代中国語であれば(古典もひっかかります)すぐに出てきます。逆に「西距」で主語が修飾語の西方にあるという訳し方をする場合はあるのでしょうか。私は中国語にも漢文にも弱いのでよく知りませんが。とにかく、

「島の西方7,8里(2.8-3.2km)に到着し停泊して」ではなく、
「西に島を隔てて7・8里ばかりに到着し停泊して」と私は考えています。

>現在の獨島日本領派の諸君は、島の東に停泊したかもしれない、そこから透視術を使って島の北側も見えるかも知れない、等々の勝手な推測…

まぁ、訳し方の問題でしょう。透視術は必要ありません。一冊の漢和辞典とググるインターネット環境があれば「西距」の用例確認はいくらでも自分でできることでしょう。

ややこしくない

投稿者: Am_I_AHO_1st 投稿日時: 2004/02/03 12:13 投稿番号: [3544 / 18519]
>つまり、こういうことはできるかもしれません。二島論はあった。しかし、現在の目からみれば、その二島はいずれも鬱陵島を指すに過ぎなかったということ。当時の資料で見る限り、二島(鬱陵島・三峰島)は決して鬱陵島と独島を指していないのです。

へー(笑
とても資料は素直に読みましょうと仰った方のご意見とは信じがたいですな。
この時代の承政院日記や金自周が獨島を描いた絵が残されていないので、当時の様子を生々しくお伝えできないのは残念ですが、実録に要約された文章でさえも、明らかに鬱陵島と三峯島は別島だと分かります。
っで、現在の獨島日本領派の諸君は、島の東に停泊したかもしれない、そこから透視術を使って島の北側も見えるかも知れない、等々の勝手な推測を加えて「その二島はいずれも鬱陵島を指すに過ぎなかった」と結論しちゃうわけですか。(笑

へー(笑

ややこしい

投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2004/02/03 11:45 投稿番号: [3543 / 18519]
そもそも竹島問題はややこしくて、なかなか議論が難しいのですが、もしかしたら私が申し上げたことも文章のまずさからアホさんに通じていない点もあるかもしれません。一応、まとめて整理しておきます。

当時、三峰島があるという話が出ることで鬱陵島とは別のこの島に対する探査は当然に必要になりました。で、探査しましたが朴宗元らのときは見当たらず、金自周の時は見当たりました(それに先立って金漢京も)。

ただし、この金自周や金漢京の見た三峰島は、現在の我々から見ると実は鬱陵島にほかならなかったのです。

私は三峰島探査を鬱陵島探索と勘違いしているのではなく、もちろん三峰島を探査しましたが、三峰島をまったく確定できなかったのであり、確定できたと思った金自周の島も、現在から見れば鬱陵島を勘違いしていたに過ぎない、と申し上げたのです。

二島論については、もちろんそういう観念をもって探査は行われましたし、民の移住も問題になったところをみると、アホさんの仰るように「確立」といっていい部分もあるかもしれません。

つまり、こういうことはできるかもしれません。二島論はあった。しかし、現在の目からみれば、その二島はいずれも鬱陵島を指すに過ぎなかったということ。当時の資料で見る限り、二島(鬱陵島・三峰島)は決して鬱陵島と独島を指していないのです。

朝鮮って不思議ですね

投稿者: dennpashounenn 投稿日時: 2004/02/03 02:34 投稿番号: [3542 / 18519]
1640年ころの日本の漁師は松島(現竹島)のことを竹島への航路上にあり隠岐より60里あまりと特定していますね。竹島(鬱陵島)へも100里余りと特定されてます。

たった150年遡っただけの朝鮮の政府役人...当然教養も知識もあっただろう人間がなぜ三峯島が独島だったとして位置を特定できないんだろう?
なんで「南東の水平線上に見える」じゃなくてただの「歴々と見える」なんだろう。
なぜ朝鮮には1800年代ですら1600年代の日本の漁師が書いたような位置が特定できる書物がないんでしょう?  

不思議ですね朝鮮人って。

あっ、あくまで朝鮮国が独島の存在を知ってた場合ですよ。知らなければ書けって言われても書けませんからね。笑
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